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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

沖縄愛楽園  大味栄さん



朝早く阿旦林に土を掘る音すまた堕胎児を埋めるならん




日曜は糞尿処理の日ならんか水肥担ぎの列なして行く




北風の寒き広場に新任の園長の抱負聞かんと並ぶ




風呂釜で消し炭つくる妻の姿見えぬわが目に淋しくうつる




蟹をとる友らの声の騒がしく見えぬ目に仕草が映る




米国の盲人協会の寄付による盲導スピーカー道道に鳴る




新しくござを取り換える備後は我の古里のもの




取り換えし畳の部屋の心地良く備後の香りに郷愁誘う




プロミンの注射時間の鐘鳴れば道行く人の足音早く




選挙に代筆もならず盲ひ我一票生かさんと幾度も書き習ふ




死後までも癩者は癩と我が村は焼き豆を棺に入れる風習あると言ふ




慰問団にまざりて来るおば達が我を確かめ唯泣き崩る




二時までは茶を飲みあひし僚友三時には不発弾はぜて爆死体となる




巻き煙草三つに切りてキセルに喫ふ援護金のみの我の経済




一人あて十セントづつ出し合ひて我が短歌会の一周年を祝ふ



大味栄さんの略歴
大正4年沖縄県山原の大工の子に生まれる。高等科1年のとき父が急死、1年後には母も死亡。15歳で両親を失うも兄の支えで高等科卒業。伯父の持ち船である山原ー那覇間の運搬船で2年ほど働き、兄たちとともに大工になる。昭和18年2月12日軍医の診断で沖縄愛楽園入園。療養所の建築の第一陣を受け持つ。昭和25年ごろには視力が極度に減退、自暴自棄に陥ったが療友や松田ナミ医師の励ましでキリスト教に入信。昭和30年頃「杖の会」「短歌会」「琉歌会」を結成。昭和46年妻を失い作歌を中断。昭和50年頃から再び作歌を始める。「樹木」「アララギ」所属。『陸の中の島』(1956年)『蘇鉄の実』(1965年)『地の上』(1980年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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