8時半から始めて、雨が本降りになり始めた4時半頃に終わった。
いろんな加工(細工)をしてきてくれたので、1日で終わった。加工にまる2日間はかかったのではなかろうか。
昨日、門を2箇所、出入口を1箇所と書いたが、自分の認識不足だった。単に出入口を3箇所作ったということです。説明しづらいので明日、画像をアップします。
Nさんは誰に教えてもらったというのではなく、試行錯誤しながら自分で電柵の張り方を覚えていったらしい。
こういうことが簡単にできる人だから山深い山村に住み続けれるのだろう。
完成した電柵を見ながら、これから毎日、この電柵を自分で管理していかなければならないのだと思った。
ゆっくり(歩いて)触れたら問題ないが、突進して(走って)触れたら、電柵を突き破って入ってしまうらしい。
電柵がゆるんだ時の処置方とか、電柵の杭が壊された時の対処方も教えてもらったが自信がない。繰り返しているうちに、身体で覚えていくしかない。
電柵でも、苦手な「結び方」がしばしば出てくる。
道(公道)をふさいでしまったので、朝8時頃には開けて、日暮れに帰る時に閉めるということが日課になる。突きあたりの道なので、誰もあまり通らないが、道をふさいだ状態がしばしば人目にふれるのは問題なので、朝、晩の開閉は雨の日でも怠ることはできない。
どうのこうの思っても仕方がない。「電柵がある」というこの状態に慣れていくしかない。
こういう思いを繰り返しながら、農業から退いていくのだろう。
10月7日から今日までの1ヶ月半ほどは、貴重な体験だった。イノシシやシカが出没する地域の人の苦労が身に沁みてわからされた。
そしてこれから先10年、自分がどういうふうに害獣を防いでいけるか、頭に描けない。
わかっているのは、どんなことがあっても年100万ほどは「農業で」稼いでいかなければならないという現実である。84万ほどの年金がもらえ始める65才までは。