必ず自分が調理するものに、「ふかし芋」と「サトイモの煮物」がある。ふかし芋は蒸し器に入れて火をつけると、ちょうど25分で蒸しあがる。サトイモの煮物は皮をむくのに手間がかかるので家人が嫌がり、食べたい時に自分で調理するようになった。
ふかし芋があると、間食のパンが減らせる。
新聞は10月から朝日新聞だけにする予定だったが、9月末の新聞の盗難騒ぎで新聞受けの場所を代えてもらい、新しい新聞受けケースを設置してもらったので、明日から2紙やめて1紙だけにしますというのが言い出しづらく、結局、山陽新聞の1紙だけやめ、農業新聞と朝日新聞は継続することにした。
農業新聞にめぼしい記事はなく、自分にとって参考になる記事も少ないが、この国の農業の方向とか流れ、農協の活動などが概略的にわかる。
ただ、新聞枚数の割りには購読料が2550円と高い。家人の携帯電話代は月に2300円ほどだと言うが、果たして農業新聞とどちらが情報価値が高いだろうか。今の自分の経済状況では両方は保持できないので、どちらか一方になる。
農業新聞は、政権が変わるまでは完全に自民党寄りの姿勢だったのに、政権が変わって急に論調が変わった。
同じ読むなら、イベントや事件や地域行事を並べただけの地方紙より、全国紙を読まないと政治が見えなくなると思う。ずっと山陽新聞だけを読み続けてきたが、なぜもっと早く朝日新聞に切り替えれなかったか。家族3人が山陽新聞派だったので多数決で負けていた。
今は読んでいないのでわからないが、政権が変わるまで、山陽新聞も自民党よりの姿勢が顕著だった。
農業者でも有機農業系の人は反自民の人が多い。慣行農法を否定して有機農業をしているのだから、反自民、反農協というのもわかる。ただ、政権が交替してから自民党も農協も急に変わってきたような気がする。もっと早く変えるべきだった。10年遅いような気がする。現政権がいかにごたごたしようとも、今後10年は旧政権を復帰させてはいけないと思う。
家人が定職につけれていなかったら、今頃我が家は生活苦で路頭に迷っていたと思う。農業収入が低収入でもやってこれたのは、家人の定期収入のおかげである。
生涯を通して、収入を得る能力が自分には決定的に欠けていた。しかし今の世の中で、独立自営業で手取り200万になる仕事があるだろうか。農業で簡単にそれくらいになるなら、若い世代の農業志向は爆発的に増えるだろう。200万の半分の100万の手取りが極めて難しいから、誰も農業に参入できない。
農業に新規参入してうまくいっているのは、ほんの一握りであり、真似はできないと思った方がよい。それくらい農業は多方面の能力を要する仕事である。
100万円の攻防をしておればよかったから、農業を継続することができた。200万円にしなければならないなら、農業は続けれていない。
サラリーマン社会から完全に落ちこぼれたから、農業がひらめいたのであり、普通にサラリーマンができていたら、農業などしていない。カネにならないのは当時から一目瞭然だったから。
転職を繰り返して履歴書が埋まってしまい、どこも使ってもらえなくなって初めて農業がひらめき、藁をもすがるような思いでさばりついた。
家つき、田んぼつき、先生つき(まだ父が健在だった)だったが、自分の能力で農業で食えるだろうかと大いに迷った。迷ったけれど農業以外につけれる仕事はもう見当たらなかった。
今、世の中を見渡して見ても、独立自営業の仕事はほとんどない。これまで集落に何人もいた大工さん、左官さんも全くいなくなった。好きでも嫌いでも、向いていても向いていなくても、組織の一員として働くしか生きるすべがなくなっている。その組織は、卒業時にレールに乗れなかったら、あるいは途中でレールから降りたら、次にレールに戻るのは極めてむずかしい。
生きる選択肢がどんどん少なくなり、レールにしがみついていないと生きていけない。「しがみつかない生き方」などできない。そして今の自分は農業にしがみついている。なんでもいいからしがみついていないと自分が壊れそう。カネにならないが、しがみついていないともっとカネにならなくなる恐れがあるし、農業以外のことをするのは不安だし、年をとりすぎている。