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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

長島愛生園  明石海人さん(1)

1939年 白描

癩は天刑である。
加わる笞の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呻吟しながら、私は苦患の闇をかき捜って一縷の光を渇き求めた。

━━深海に生きる魚族のやうに、自らが燃えなければ何処にも光はない━━さう感じ得たのは病がすでに膏肓に入ってからであった。

齢三十を超えて短歌を学び、あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで己が棲む大地の如何に美しく、また激しいかを身をもって感じ、積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し時には扑舞しながら、肉身に生きる己れを祝福した。

人の世を脱れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。

癩はまた天啓でもあった。


診断

そむけたる医師の眼をにくみつつうべなひ難きこころ昂ぶる




看護婦のなぐさめ言も聞きあへぬ忿にも似るこの侘しさを




診断を今はうたがはず春まひる癩に堕ちし身の影をぞ踏む




人間の類を逐はれて今日を見る狙仙が猿のむげなる清さ




陸橋を揺り過ぐる夜の汽車幾つ死にたくもなく我の佇む




妻は母に母は父に言ふわが病襖へだててその声を聞く




職を罷め籠る日ごとを幼等はおのもおのもに我に親しむ




癩わが命を惜しむ明暮を子等がゑまひの激しくもあるか




さらばとてむづかる吾子をあやしつつつくる笑顔に妻を泣かしむ




鉄橋へかかる車室のとどろきに憚らず呼ぶ妻子がその名は




窓の外はなじみなき山の相となり眼をふせて切符に見入りぬ


明石海人(本名・野田勝太郎、明石大二、無明、清明、明海音、野田青明)さんの略歴
1901年(明治34年)7月5日、静岡県駿東郡(現・沼津市)に生まれる。静岡師範学校を卒業後、尋常高等小学校訓導として勤務。1924年結婚、二女をもうけるが、1926年に発病し退職。1927年、明石楽生病院入院。1932年、同院の閉鎖にともない、長島愛生園に入所。1933年受洗、1936年失明。1938年気管切開。「水甕」「日本歌人」に所属。1939年2月に上梓した歌集『白描』(改造社)はベストセラーとなったが、6月9日腸結核のため死去した。『海人遺稿』(1939年)、「明石海人全集』(1941年ともに改造社)、『海人全集』(上・下・別巻1993年皓星社)。『海人全集』に肖像、詳細年譜。『楓陰集』(昭和12年)『白描』(昭和14年)『三つの門』(昭和45年)「ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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