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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  山下初子さん



吾が貧しきさまを憐れみ面会の義姉は着て来し衣もおきゆく




骨になりても帰るすべなき夫と吾骨堂に聞かん松風の音




繰返す菌の検査に陰性と言はるるも空し今は盲ひぞ




数十年を経なば癩者の骨堂のみ寒き松原の丘に残らん




クロッカスの芽はいでぬかとまさぐれば土の中より囁ききこゆ




丘に遊ぶ盲いのさまはけものらに似たりと言うに吾逆わず




母われの乳房も知らず育ちたる子の肩幅の広きをまさぐる




優しき嫁にわが寄りて肩を背を探りその髪型にそっと触れみる




敷布団綴じるなかばに早や疲れぬ吾の気負いに身は従わず




髪を洗い抜毛一筋指にからむこの感覚の指になおあり




待ちまちし秋雨清し顔を洗い義眼を外し丹念にすすぐ




火葬場跡熊笹なかに長き歳月されされて居し療友のみ骨




雪どけの坂ゆきなずむうしろより友の声ありその掌にすがる




山霧に頬は冷たくぬれながら一つの傘に夫に添いゆく




朝な朝な手萎の夫のボタンかけて吾が生甲斐を覚ゆるものを




束の間を乳ふくませて別れにき侘しくも吾の乳房老いたり




母さんと吾子が呼ぶ声幾とせを待ちわび居りしその掌握りしむ




独り身と思い居りしに新嫁を携え来しに吾はうろたう




便り絶えてせつなかりしを子に言えば聞きいる嫁のすすり泣く声


山下初子(ハツ)さんの略歴
明治33年生まれ。はじめ身延深敬病院に入院するが、藤本としと共に外島保養院を目指し、門づけをしながら外島保養院に入る。外島のいわゆる「赤化事件」に巻き込まれて保養院を出る。昭和15年栗生楽泉園入園。「高原短歌会」所属。昭和56年没。『山霧』(昭和41年)『冬の花』(昭和53年)『凍雪』(昭和63年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


「地面の底がぬけたんです」で有名な「藤本トシ」さんと友人だったんですね。「門付け」しながら山梨の身延深敬病院から大阪の外島保養院(邑久光明園の前身)を目指したくだりには涙があふれます。藤本としさんは「ハンセン病文学全集4 記録・随筆」に進んだ時に紹介いたします。


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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