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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

沖縄愛楽園  里山るつさん


屋我地島


歌の道学びてよりは盲しいたる吾の生涯も豊かになりぬ




浮び来る歌書きしるす術なくて浮んでは幾首か忘れてゆけり




日もすがら聖句の暗記しておれば盲の吾の日の短かり




癩盲にも耐えて生きゆく尊さを沁みて思えり死刑囚の手記に




仕事のない時しか読めぬと雨の日を養父は吾がため歌集を開く




聖堂より心すがすがと帰る道に朝の味噌汁ゆたかに匂う




自らの権利を主張せんと口びるにて探りて投票用紙に記す




舌読で点字聖書を学ぶという友よりの便り意欲に満てり




竹槍と石もて幾度も迫害されつつ沖縄の癩者を救い来し君




久々の試歩を義母に連れられて熟れしトマトの畑めぐり来ぬ




学生らと膝をまじえて語るさま故里の肉親に見せたく思う




療養の身の慰めに歌詠めと逝きにし兄の声よみがえる




亡き父の面影知らず母も兄も若くして逝き三十三年忌迎う




ありし日に養父が植えたる庭の百合朝の陽光にほのぼの匂う




二十余年苦労を共にせし療友ら復帰真近に次次逝けり




杖持つを恥じらい居しが叱咤され杖音はずますこの頃となりぬ




探りつつひとり出で来しこの辺り杜の近くか磯鳩の啼く




盲我の手足となりし養母逝きてなす術もなく茫然と居り




歌会を催すたびに吾が歌を喜びてくれし養母は在さず




歌も手紙も代筆してくれし井藤姉の去らるると聞けば切なくさびし




相抱き盲二人が涙しぬ三十年振りの再開なりて




三十年振り我が訪れし星塚の友ら多く盲となり居り




幼な時に両親なくせし我に尚叔父叔母ありて面会に来ぬ




鈴木先生の整形に垂足の足癒えてながき階段易易のぼる




「地の上」の合同歌集を喜びて亡き義父母の夢に顕わる




まとめたる歌忘れぬ間に代筆を頼めば看護生辞書をめくりぬ




亡き兄の遺志を守りて盲我歌を学びて四十年近し




園の生活豊かになればなる程に義父母と苦労せし歳月偲ばゆ




幾年を夢に抱き来し吾が歌の歌集になる日を指折りて待つ


里山るつ(るつ子)さんの略歴
1922年6月26日沖縄県那覇市生まれ。翌年8月父死亡。1933年12歳で発病。1934年母死亡。1935年12月兄とともに星塚敬愛園入園。1939年兄死亡。短歌を作っていた兄の死後、作歌を始める。虹彩炎から極度の弱視になり1942年失明。1943年3月15日受洗。養父母とともに1947年5月13日沖縄愛楽園に転園。1951年「樹木」入会。1970年養父、1973年養母死亡。失意のうちから作歌を再開。『陸の中の島』(1956年)『蘇鉄の実』(1965年)『三つの門』(昭和45年)『地の上』(1980年)『屋我地島(昭和58年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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