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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

菊池恵楓園  山本吉徳さん


ふゆの草


病む吾とみまもる母の乗りたれば客車の扉に錠下ろされつ





わが育ちし村の人等のごとく崩えゆく吾を家を避けにき




療養所に行くわが自動車に縋りつき泣きくずれたる祖母よいま亡し




崩れゆく病の父を連れ母は四国巡礼に出でてゆきにき




やせ畑の土にまみれて生くる母かたときも数珠をはなさず





身じろぎをすれば溢るる悲しみに身を堅くして夜をあかしにき





日の光の入らぬ左眼の諦めがたく日の照る窓に寄りて試む





芒の穂も曼珠沙華の花も咲きたらむ歩みてみたし虫の鳴く野を





月の出を知らせる妻の声につれ仰げどわれの眼には入りこず





めしひたる吾をいざなひ歩みくるる腕より妻の温み伝はる





堕したる吾子は七つになるべしと妻と語らふ癩の病舎に





治癩薬ただのひとつも受けつけぬ崩えゆく吾が身を呆然と撫づ





手を引かれ吾が歩みゆく辻辻に音色わかちて鳴る盲導鈴





われの眼の再び見ゆる日結ふといふ妻の黒髪腰に届きぬ





戸籍名と匿名ふたつを使ひつつ療園に二十四年は過ぎつ





無気力と怠惰に慣るるみづからの心を恐れ白杖を取る





よろめきて支えに握りし夏草に匂ひ親しき蓬草ありつ





まろき顔笑ひ崩して夢にたつ汝を今一度この眼に見たし





妻の手にいざなはれつつ父の手を取れど別るる言葉の出でず





相病めばこの日が終の別れとも思ひて老いし父と別れつ




めしひ吾の看取りを妻に頼みたのみ花冷えの朝母のいにたり





立ち動き影さへ見えぬ曇り日は妻の声のみ追ひて暮れゆく





茶の花を嗅がしめ茶の実を握らしむ妻ありて吾に短き一日





共に病みし
藤本松夫の命むなしかりき死刑囚の再審開かれむとして思ふ




再びは見ゆるなき眼となりしいま何を心にみつめて生きむ





二十八年かかりて無菌の身となりぬ気力衰えつきたるときに





眼廃て無菌となりて喜びを分ち合へるは妻のみなりし





十八年病む身寄せ合ふ妻あれば命の限り吾も生きたし





三十余年島の療養所にひとり生きし盲の父の遂に逝きたり




うかららのために自ら除籍して島に逝きたる父あはれなり





父の住みし病舎はここと妻いふに立ち去りがたく並び立ちゐつ




流浪の果てこの山門に病める身を連ねさらして命終へしか





吾を看つつ盛りを過ぐる妻あはれ声しっとりと丸味おびきぬ




生きてあらば楽しきこともあるといひ妻はしたたか吾が背を叩く


山本吉徳さんの略歴
昭和13年生まれ。昭和28年長島愛生園に入園、新良田教室一期生。社会復帰がかなわず35年菊池恵楓園に転園。昭和37年結婚。昭和47年頃から登場した新薬リファンピシンの後遺症で34歳の初夏に失明。それを機に作歌を始め、昭和48年「檜の影」、49年1月「アララギ」に入会。『ふゆの草』(昭和61年)『檜影集』(昭和51年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『すゞめの爪音』(平成10年)


2030年 農業の旅→ranking



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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