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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  笹川佐之さん

熊笹の道


癩病みて短き命なれど歌を詠みむだなき月日を一筋に生きん





六十五になりにし父の炭焼きて送る小遣いは我に尊し





己が傷の臭ひ己れにわかる日はひねもす部屋の一隅に座る





収容列車で共に送られし日を想ひ君がはふりの列に加わる





六人で送られて来しは九年前か君逝きて吾と姉と残るのみ





臥すことのできぬ身となり五ヶ月を座りつづけて君は逝きけり





仁王に似ると言ふ盲我の顔を見入る田舎の幼子ときく





一号室の少女が時にするいたずらを待つ思ひにて廊下を曲る





残飯を箱に入れ庭に出しおきぬ雀朝朝来るをねがひて





初めて会う我が膝にもたれ唱歌唱ふ癩となり来し七歳の児は





家族一人癩になりしを歎かひて一家九人心中を聞く




耐寒設備のなき病棟を高原に建てたる為政者を思ふ





癩病とは何かと癩の幼児に問はれて我答へず居りぬ





茂吉先生の人磨論を読みくれる友に朝ごと都合聞きにゆく





盲ひゆく心に釈迦もキリストも力かさざれば食を絶ちにき





さぐる手に頭を寄せて押してくる子羊の側を去りがたくをり





症状のあらわれぬ病胸にありて作業せぬ姉を非協力者と言ふ





炭小屋の育ちが今に及ぶらし山に入り来て心安まる





癩園に十一年あり頭禿げ鼻落ち盲ひて父を迎ふる





混み合へる汽車にて二十時間の旅を来し父の鼾して早や眠り居る





多数決で物ごと決まる世にありて戦時中の如く圧迫されゐる



笹川佐之さんの略歴
大正13年生まれ、炭焼きを業としていた父親に随い北海道から東北の山々を渡り歩く。昭和16年4月9日、16歳で秋田の山村から姉とともに「お召し列車」で栗生楽泉園に収容。昭和21年過労と栄養失調が原因で一夜にして失明。昭和23年頃から作歌を始める。「高原」「潮汐」に発表。らい予防法闘争ではハンガーストライキを決行。昭和27年、浅井あい、金夏日らと点字舌読を最初に実行し、その後舌読は全国に広がる。昭和33年4月19日自死。『山霧』(昭和41年)『熊笹の道』(昭和55年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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