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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

星塚敬愛園  川野順さん


狂いたる磁石盤


狂いたる磁石盤にも似てあればもろ手たらして吾が立ちすくむ




己れをば弔う夢を吾れは見し安定剤に頼るこの頃





現実はどうにもならず呆然と天の一角にまなこ凝らしぬ





からだ中でんでん虫の角生やし盲いは生きて行かねばならず




国籍を秘めて働きし時の名を用いこの国の詩形を学ぶ





病みつぎていのち死ぬべきこの国に帰化も援護も許されずいる





片方が欠ければ住めぬ夫婦舎のわが窓近く木犀を植う





海隔て我は病むなり我が母の死にたる報せ今手にしつつ





秋の夜の灯りの下に病む妻と菜漬の話少しして寝る





バイブルを引き裂き投げて喚きたきいく日の衝動吾は狂わん





社会復帰の見込みもあらずこの国に籍を持たねば年金もなし




キリストを信ずる吾を気違いと田村史朗が文よこしたり





苦しみし者のみぞ知る哀しさにふたつのこころ相寄りにけり





無視されて無視せんとしてさびしけれああ日本に住む僑胞よ




学生は如何に聴くらん病みつぎて知りし世界の吾の語らい





少年の日に吾が憧れし街ソウル踏めど見えず吾れは還暦





著者名も呼ばるる時もカワノジュン自負なき吾の悲しみなれや





指曲り眉抜けしまま目は見えずライ治癒と言われてもライ園住人




同胞に傷つき寡黙にこもる我にしばしば囁く妻は日本人




刺繍あるチマ・チョゴリ着し君立てば火の島に遊ぶ人ら寄り来る





はろばろと訪う薩摩路に君まと うチマとチョゴリはわが誇りとも




点字にては用なさぬ事多かりき文字が読みたし文字が書きたし





カーテンを引いて灯の下今妻と人の世に住み人に疲れて





日本名用い日本の歌学び惑うともなく惑う日のあり





ひりひりと舌先痛し舌をもて点字聖書の箴言を読む





結ばれしこの世の縁かろからず妻の先祖を拝みまつる




手紙断ちしふたりの妹持つ妻が無心に花の水替えて居り




世の偏見未だも消えず縁者等にかくしかくされて妻は療養





土踏めば母の温もり身を包む眼見えねどここはふるさと





日本の療養所より恋い来たり血をひくものの宴のなかにいる




夢抱きふるさと出でし日は朧ろ日本の癩園にまた帰り行かん





元旦の礼拝に来て畏めば疼きの如し生あることの





幼児が母待つごとく妻と待つ今日はボランティアーの来る木曜日





劣等感捨てよと手紙給いたり答えん手紙のまとまり難し





自らも光放つにあらざれば闇黒黒とおしせまるべし





朝鮮語とも韓国語とも言われずにはんぐる講座と言いて始まる





結論は教会の骨堂に入るべし妻も故山に帰らずという





距離角度しつこきまでにくり返しわれは聞くなり新しき道





鳥でさえ見えて飛ぶ身と思う時どっと悲しみがつき上げてくる




韓国名馴染まざる儘この国の小詩形学び骨埋むるべし




四十年われは見ざるも茜さす野の上のさま山山のさま



川野順(兪順凡)さんの略歴
1915年2月12日韓国慶尚北道月城郡に生まれる。1929年公立普通学校卒業。1933年、叔父を頼って渡日、音楽家を志しながら職業を転々とする。1937年発病。1939年身延深敬園福岡分園に入園。1940年九州療養所(現・菊池恵楓園)転所、1942年星塚敬愛園転所。1940年「アララギ」短歌会入会。受洗。1950年失明。1955年「未来」短歌会入会。1990年12月8日死去。『陸の中の島』(1956年)『荊━━わが半生記と折々の歌』(1972年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『狂いたる磁石盤』(1993年)。


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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