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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

長島愛生園  大村堯さん


清き空白

一家心中の記事あり癩病みて切迫つまりし過去吾れも持つ




死体硬直の来し君が手は故里に君待つ母のために組みやる




「死にたくない」と言ふ告白を君も残し癩病む一生を滅びてゆけり





患者道徳といふものがあり死の母にその夜逃亡の友をかばひて





この人を知りこの人に学びて癩院におそれなく孤独の命生きゆく




生きゆくは所詮孤りに耐ふるものたとへば死期の迫る日日にも




とりすがる術もなかりき受験期のわが朝を打砕く癩の宣告





降り続く霧雨今日も降りやまず鐘哀哀と島は暮れ行く





吾も亦指を落せり
癩病いたつきの運命と言はば母よ嘆かん



発病当時
あらがひて酒に荒さびし明暮も母は涙に許し給ひき



発病当時
母の涙を酒場の酒にのがれ来てグラスにひさぐ嘘だらけの秋




明石海人
見舞行きし人の思はぬ衰弱にもの言ひかけてしばし見守る



明石海人
たへがたき疲れなるらし痰切れし暫しの間も君はまどろむ




知覚なき手となりはてぬ知らむまに小指に深き傷負ひて居し





幾日を熱もちうづく傷故に小指は医師に乞ひて落しぬ




便さへなき病友多き身に比して和みゆくべく吾が幾日なる




新しく茶をいれしめて綴りつつ言葉そへがたき虚しさに居り





新薬プロミンに開く未来を命賭けて逝きにし友よかなしかりけり


大村堯(牧原白路・牧原徹・島崎徹)さんの略歴
大正5年沖縄県平安座島の生まれ。父は那覇の中心地・若狭町で法律事務所を開業。そこから首里一中に通う。昭和10年代初め福岡県「生の松原」にあった深敬病院分院に入院。当時の院長は早田晧。分院の閉鎖に伴って長島愛生園に移る。このとき早田も愛生園の医官となる。戦前は青年団のリーダーとして活躍。昭和12年から「愛生」に短歌を投稿。その頃は牧原白路・牧原徹・島崎徹などを名のる。昭和25年「水甕」入会。予防法闘争時は社会党長島愛生園支部長、全患協事務局長を務める。58年からは作歌を再開し大村堯名で発表。「水甕」所属。昭和61年1月9日逝去。『青磁』(昭和26年)『清き空白』(昭和61年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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