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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

邑久光明園  永井静夫さん


冬風の島


一様に大き陽あたる社会欲し「らい病みまして」公然と言へる





収容バスの吾らゆくとき避けゐたる子らの声せり[あれはなんだ]と




紅鱗をはぎとるごとく無指の掌に包丁挟みてリンゴ剥きゐる




一葉の葉書のポストに落ちゆきし音につながる人とかそかに





水死に至るひとりの辛苦すらひと日ふた日の口伝に消えつ





灯を消せば身に犇しめける闇重し言葉にならざる空虚もちゐて





えのころ草自在にゆるる晩夏のゆふわが仰向きの小さな平安





身内うすく誰にみとられ逝きましし抄本の母に亡の文字あり





硬貨ほどの感覚のこる蹠を愉しむごとく撫でてゐにけり





海峡を泳ぎそこねし患者の屍うちあげられし磯とも想ふ





静まりて舌に点字を読む見れば生きると言ふはかく美しき





癒えねばならぬ係累もなき残生にきりきりと肉にしみ入る注射





ともすれば寂しさ疼く白灯に「火泥」を読みて意欲かり立つ





父も母も苦しみ秘めて逝きしかば秘むべくもなし癩とわが性





老いほけて只ごと歌を作りゐる吾に生きよと賞たまはりぬ





病む妻のいのち滅ぶやまさやかにみどりの木の芽雨しづくする





手を握り力の限り苦しめる妻との堺とほざかりつつ





時効なき病にひしがれ生きつぎて恋なく老いて無口になりき





生きてゆく戒のごと島の院にときめかぬ血を採られつつ老ゆ



永井静夫さんの略歴
明治39年大阪生まれ。家庭の事情で小学校3年で退学。職人として働くうち17歳ころ発病。大正11年外島保養院入院。昭和9年室戸台風で外島壊滅。栗生楽泉園に委託収容。昭和13年邑久光明園に帰る。その間2度結婚。短歌は昭和9年頃からはじめ「いぶき」「短歌」所属。平成10年3月19日逝去。享年93。『光明苑』(昭和28年)『海中石』(昭和31年)『三つの門』(昭和45年)『陸の中の島』(1956年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『冬風の島』(平成12年)


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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