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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

駿河療養所  田村史朗さん(2)


田村史朗遺歌集


兄二人を殺されし盲いのこの我に天皇を罵らずに居れというのか




赤紙あかがみにこき使われしかの四年黒き眉返せ見ゆる眼返せ




自治会の解散企らむ陰謀にも挑発にも乗らずいまはもの言う




目に見えぬ圧迫なれば監房設置に案外呑気で患者らはいる




「アカハタ」を聞きつつ描く空想が癩に盲いし今を支うる




盲い果てて流人の如き寂しさを党にまぎらすを人知るや否や





藤本松夫の死刑は止めよと大臣に打電し止めどなく涙こぼれつ




映画あれば寮はひとりの天下にて思いきり声あげ万葉を読む





大寒もようやく過ぎぬ盲杖に感づる土のやわらかくして



田村史朗さんの略歴
1918年10月5日福岡県大川市生まれ。旧制佐賀高校、京都帝大経済学部を繰り上げ卒業し陸軍燃料廠本部勤務主計軍曹で敗戦を迎える。1947年駿河療養所入所。1949年駿河療養所所歌作詞。失明。1950年駿河会会長。1951年復生病院に「追放」12月再入所。1952年作歌をはじめ「アララギ」入会。1953年点字を習得。「檜の影」「静岡アララギ」入会。らい予防法闘争に参加。1954年新日本歌人協会入会。1955年駿河会評議員議長、所内留置場設置反対闘争、ハンセン病盲人に身体障害者手帳交付の運動を起こし成功。1956年日本共産党入党。1957年藤本松夫救援活動に全力を尽くす。1959年身障者福祉年金獲得のため点字投書を提唱し獲得に成功。1959年12月22日肝臓がんのため逝去。享年42。駿河会最初の自治会葬をもって葬られた。『苔龍胆』第一集(昭和28年)『苔龍胆』第二集(昭和29年)『苔龍胆』第三集(昭和31年)『三つの門』(昭和45年)『陸の中の島』(1956年)『田村史朗遺歌集』(1961年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


田村史朗さんの過去記事


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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