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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

菊池恵楓園  藤本松夫さん(1)


獄中歌



寝はぐれて夜ふけの獄に夏虫の白壁這うを吾は見ていし





獄の蜘蛛は白壁伝い高き隅に一夜の内に巣を作るなり




年毎に小さくなりゆく吾が夢か秋空今日も碧し





獄塀も沈みし暗の空に佇ち遠き蛙をたぐりつつ聞く




台風のそれて静けき屋根添いに蜂の飛びきて鋭き影曳く




ふんわりと夕日に赤きちぎれ雲今日も一日無事に過せり




送り来し人形なれど許可ならず手にも触れず領置す獄の悲しさ




今朝替えし花筒の水臭いだつ昼を臥し居り獄のベッドに





視界せまき獄舎の窓にわがよれば親しく住みし山遠く見ゆ





秋夕焼もゆるが如き獄塔に明日もとなえる番号哀し




はるばると母の便りの着きし日よ心を濡らし日照雨降る




獄庭に小さく咲きし菊花をながむる今日は父の命日





靴音をきけば誰ぞとわかるまで病長かりし独房にいて





泣きに来し母の小さき顔の皺ただおろおろと見守るばかり




面会の次回の日をば指おりて数える母はいたく老けたり




護送車の窓にすがりつくごとくして叫びし母の声を忘れず



藤本松夫さんの略歴
1922年7月18日、熊本県菊池郡水源村生まれ。1950年自覚症状のないまま、ハンセン病の宣告を受ける。1951年同村F宅にダイナマイトが投げ込まれ、Fが熊本県衛生課のハンセン病調査に際し藤本を患者として報告したことを逆恨みしての犯行として逮捕された。懲役10年の判決を受け菊池恵楓園内の拘置所に収容されたが脱走。脱走中にFの刺殺体が発見され53年死刑判決。57年8月最高裁で死刑確定。この事件は、裁判官は調書や証拠を扱うのにゴム手袋に長い箸を使うなど偏見と、はじめから藤本を犯人とする警察・マスコミなどの予断に満ちたものであった。58年「藤本松夫を救う会」(会長 中野菊夫)が発足し、全患協とともに松夫の救援を行う。62年には「救う会」による現地調査が始まり、運動が次第に盛り上がり再審が請求されたが、1962年9月14日福岡刑務所で処刑。藤本は、はじめ文字も読めなかったといわれるが獄中で文字を学び、短歌や詩を作り全国の支援者に書簡を送り無実を訴え続けた。


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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