鉦
誰が死んだのか、知らせの鉦が鳴っている。日が暮れて寒い雨が降っている。こんな日に私も死んでゆくのではないか。乙女達が婚礼の日を思うように、私は死ぬ日の事を考える。汚れた壁の傍で息をひきとるときも、付添夫が湯灌をする間も、お仕着せの浴衣を着せられて解剖室へ運ばれる時にも、柩車に乗って赤土の
切通しを火葬場へ向かう途中も、このような雨が寒い音をたてているのであろう。葬列には友人の誰彼が「こんな日に死ぬなんて後生の悪い奴だ。」と泥濘に吸われる下駄を気にしたり、やがて短い祈りと讃美歌。それにしても天国などへはゆけそうもないしいや私に堕ちて行く地獄さえあるであろうか。
妻が来ていたら、若し妻が来ていたら、昔、白雲の影むらさき立つ湖のほとりに住み、銀黒長身の狗を愛して、白鮠の跳る夕べを逍遥い、枇杷の実の明るい窓に唄いなどした事を思い出し乍ら、短いあの頃の為に涙を流してくれよう。後、その空色の音階に明日の喪服を被せてしまった私のためにも。
柩が罅の入った煉瓦の竃に入れられる時、目の下の入海にはあの黄色い煙突の鉱石船が、艫の辺りに灯を瞬かせ乍ら起重機の音を立てているかも知れない。
かくて、濡れた煙突の先からうすい煙が立ちのぼり、粗末な命の器がそれを触ばんだ微生物も共に、この島を降り沈める雨の中で灰になってゆく夜。人が名づけて不幸とよぶあらゆる不吉な影の焦点、生きながら屍になり果てる宿縁の一環が鳴り歇む夜も、雨の音に魂を濡らし乍ら、誰れかがやはりこんな事を考えているのであろう。
届けられた骨壺にふるさとの母や妻が嘆く日も、根上り松の古木が章魚のように足をひろげている海辺の松原に、父や弟や幼いものの墓と並んでその骨壺が埋められるときにも、冷たい雨は、遠く夢みる故郷の風物に白い光の縞を鏤めていよう。
冬がくる度この雨は、私の墓を濡らし、私を知っていた人達の墓を濡らし、それらの一切が忘られてしまってからも、天と地との間にささやかな音をてていることであろう。
世に暇を告げるなら島、をうづめる丹躑躅が黄金に映える夕べ、夏ならば白罌粟に露の乾く午前十時、などと思っていたことも、寒い雨が降り続けている今日この頃の心には儚いものになって来た。あたりの起居の中を冬枯の木立のように過ぎて来た四年越しの病褥。たまたま呼吸困難の発作もなく青ざめてゆく今日の背に、潤いも暖みも涸れつくしたこの身を罩めて、夜はひとしきり濃やかな影を拡げる。浅い眠りに呼びかえすあの日この日の谺を、現に嗤う寂滅の秒刻。今はもう不幸でさえもない。夕暮の底に濡れている盲いた夢であるにすぎない。
寒い雨が降っている。誰れが死んだのか、知らせの鉦が鳴っている。