「作者の久木綾子さんは70才で塔と出会い、取材に14年、執筆に4年をかけ、89才で作家デビューした。遅咲きの作家が取材と執筆を通して見つめた生のあり方とは・・・」
こんな紹介文が8月2日の朝日新聞に大きく載っていたので、読んで見ようと思った。
読み始めたが、結局最後まで読み続けることができなかった。登場人物の名前が覚え辛く、筋も複雑で、100ページを過ぎる頃から、わけがわからなくなった。
この本は、山口県山口市の瑠璃光寺にそびえる五重塔と、この塔を建てた若い番匠(職人)の姿を描いた歴史小説である。
グーグルで「瑠璃光寺」と検索したら、美しい画像とともにたくさんの紹介記事が出ていた。
この本を読んでいて、頭に浮かんだのは岡山県美咲町定宗にある本山寺の三重塔である。
岡山県の人でも、美咲町本山寺がどこにあるか知らない人が多いと思う。
それくらい辺鄙な所にある。
もちろん、興味があって本山寺を知ったのではなく、たまたまそこを通り、密林(過疎の山村で、昼間でも薄暗い山の中)に突如出現した「本山寺」という標識を見て、ふと立ち寄って見ようと思った。
歴史ある建物を見ると、人生の短さやはかなさを感じる。山口市の瑠璃光寺は1442年の建立で、岡山県美咲町定宗の三重塔は1652年の建立で200年ほど歴史は新しいが、それでも初めてこの三重塔を見た時は驚嘆した。瑠璃光寺は五重塔であり30メートルの高さらしいから、もっとすごいのだろう。
ただ、本山寺の本堂は1350年の建立で、瑠璃光寺の五重塔より100年ほど古い。
たまたま、昨日8月23日の山陽新聞にも本山寺のことが大きく載っていた。
1350年とか、1442年とか、1652年という年月の風雪を越えて現代の世に忽然とまだそびえたっているのを見ると、久木綾子さんでなくても、これを建てた人たちはどんな大工さんだったのだろうと想像する。
釘など使わずに建てたのだろう。
江戸時代の頃までは、かやぶき屋根で、当時の百姓は食料だけでなく、身の回りのあらゆるものを自給していたはずだから、住む家も自分たち(狭い地域内の応援があるだけ)で手作りだったと思う。
そんな時代の中で、「宮大工」として特殊技能を持った技能集団だったのだろう。
この本山寺は、日本棚田百選に選ばれている旭川沿いの久米南町周辺の3つの棚田から、吉井川沿いの奥塩田や田土の棚田に移動する時に、地図を見ながら走った山深い山道のそばで出くわした。
今でこそ平野部に人口が集中しているが、近世以前は、湯を沸かすにも、ご飯を炊くにも、おかずを作るにも、暖をとるにも、風呂に入るにも、必ず山の木が必要だったので、山の中か、海に面した山の中で人々は生活した。米だけでなく雑穀や山の幸、川の幸が自給の源になった。
「見残しの塔」を書いた久木綾子さんによると、「人は流転し、消え失せ、跡に塔が残った」という一文で小説を始めました。長い時間の中で見れば、人間が生きるのは一瞬。しかし、その人間が集まり、塔を残した。人間のはかなさと偉大さを書きたいと念じていました。
山口市の瑠璃光寺の五重塔を見る機会はないだろうが、美咲町の本山寺は棚田めぐりの時に、今後も何度か立ち寄ると思う。
久木綾子さんの「見残しの塔」は、人物と内容がこんがらがって最後まで読めなかったが、本山寺に立ち寄ったら、この作家の書かれた瑠璃光寺の5重塔を思い出すだろう。
歴史のある場所や建物は一人で行くに限る。一人なら何時間でも気が向くままに歩きまわったり、たたずんだりできる。現在、過去、未来を感じながら。
農業ブログで放電し続けたから、しばらく充電が必要になった。自分にとって充電は、
(1)田んぼや山の中で、ぼう~っとしたり
(2)農業仲間の田んぼを訪ねたり
(3)過疎の山村や棚田をドライブしたり
(4)読書したり
することである。
充電に最適なのは読書であり、農業ブログを書かなかったら、その日の3時間は読書にまわせる。しばらく読書で充電しつつ、週2回の読書感想文で放電していきたい。
しかし、まともな読書感想文にならないかも。同じ日にアマゾンで購入した外山滋比古の「思考の整理学」も途中で投げ出してしまった。
そんな読書感想文もあり?