きっこのブログ
「操作された嘘の情報を信じるのはバカの勝手。真実を書くのはあたしの自由」
昨今の就農出版ブームは、将来の農業を明るく描き出す。こんな状況を見て、上記の言葉を捧げたい。
どのような職業であれ、「なる」ことは意外に簡単でも、なりつづけること、ありつづけることは極めて難しい。(作家、沢木耕太郎)
農業者であり続けることは難しい。たとえ10年のベテラン、20年のベテランと言えども。
1990年に82万戸だった主業農家が、19年後の2009年には35万戸に減った状況を見ても、農業所得の増大策が必要である。(農業新聞8月13日、食料自給率)
農水省の調べでは、昨年12月末~6月末までに、全国各地の出先機関、農業会議所などの窓口で、就農相談を受けたのは29800件にもなる。このうち、4000人弱が農林漁業に新規採用された。このほか、こうした窓口を通さず地縁・血縁で就農した人がいる。実数は定かでないものの、農業分野は雇用の受け皿になっている。(農業新聞8月11日)
農業は独立自営業であることが、他の産業と異なる所であり、農業に雇用されるのなら、他産業に従事することと何ら変わりない。
農業の行く手を阻む最も大きな原因は「害獣」に尽きると思う。
見えない農村の将来像
農業に未来などない。このまま沈没するだけ。農業は「自給自足」することが基本であり、自給自足ができなくなった資本主義社会の元では、大半の人は農業ができない。
今後は、
(1)単なる趣味の自己満足の農業
(2)定年帰農者が楽しみでする自給自足農業
(3)企業型経営でする農業
この3つに集約されていく。民主党が「戸別所得補償制度の創設」をうたっているのは、(3)型の農業者のみ。
耕作放棄地を活用した牛の放牧
牛の草刈りによって、江戸時代に築かれたという棚田の石積みが再び姿を現し、周辺ではイノシシの姿が減ったという(山陽新聞8月13日)・・・この記事は2つ誤っている。一つは、棚田に牛を放牧したら石垣が容易に崩されてしまうことと、もう一つは、イノシシは牛を全く怖がらないという事実において。
牛は糞尿の量の多さによって、地域の水の生態系を壊す危険性が大きいと思う。
牛よりかなり小型のヤギでも、糞尿の多さにはちょっとびっくりする。人間より小さいのに、1回にする尿の量は、大人の人間の量より多く、回数は3倍ほど。糞も1日に大人の人間の糞の3倍ほど排出していると思う。放牧だから、小屋の中での糞尿はたいした量にならないだろうと想像していたが、小屋の糞出しは2~3週間に1度はしている。つまり、かなりの「肥料」が取れている。
ニワトリも20~30羽の庭先養鶏が、たった50年ほどの間に、資本主義の勃興によって駆逐されてきた。
大規模経営型に「戸別所得補償」をしても、環境も里山も全く守れない。逆に破壊されるだろう。本当は家庭菜園型を増やさなければならないのに、この方の施策はゼロ。
農業で最低限の自給自足ができれば、それだけで十分満足できる人も多いと思うが、資本主義は自給自足主義を駆逐することによってしか成り立たないので、世界の密林の奥地の集落の自給自足をも破壊してきた。
だめだったら、農業があるさ
農業に逃避できる
これが許されなくなっている
生きることの全てにわたって、カネがないと何もできない。