我故に苦労に明け暮れし母なりし写真さえも戦禍になくす
青空に咲き誇る梯梧取らんとして母に叱られし頃のなつかし
つき初めの心にかかる探り杖つきゆくうちに思いほぐれる
戦時中苦労を分ちし友来る宮古名産の黒糖提げて
沖縄戦終えて三十年未だ尚我らおびやかす魔の不発弾
復帰すればよくなるものと思いしに最悪迎うる園の医師不足
点字毎日のテープに禿の歌があり我は頭をさすりつつ聞く
熊蝉の声もひそまる昼下り盲導鈴のみ威勢よく鳴る
連れ立ちて治療に通ふ杖の友それぞれの性音に出しつつ
病故に馴染のフォークも唇にあてて確む盲ひの我は
杖に頼る我の引越は何時も何時も病む療友らの善意に安らぐ
今日からは盲ひ同志の二人住ひ声かけ合ひて明るき部屋に
父います母もいませる里の墓四十四年墓参もいけず
金城忠正さんの略歴
明治44年生まれ。幼い頃父を失い母の手一つで育てられる。小学校卒業後発病。昭和18年半ば「強制収容」を遁れて沖縄愛楽園入園。昭和40年失明。昭和47年盲人会に入会。六十過ぎて先輩たちのすすめで「樹木」によって短歌を作るようになる。『地の上』(1980年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)