2019年12月6日の記事の再掲です。
昨日のトップニュースだった中村哲医師の死は大きな衝撃だった。
誰もが知っている思われる、名前
若いときからの、その生き様
まだ73歳で、ぼくと7歳しか違わない
今日の新聞記事で、福岡市のNGO「ペシャワール会」のメンバーとしてアフガニスタンで活動中の伊藤和也さん(当時31歳)が武装集団に殺害されたのは、2008年だったことをあらためて思い起こした。
「俺はこの先生のところに行く」。正之さん(父)と順子さん(母)が、和也さんから中村さんの著書を手渡されたのは03年12月だった。アフガンへの航空券も手配しており、「息子にそこまでの意志があるなら、素晴らしい人なのだろう」と思った。旅立った和也さんは、中村さんとともにアフガン東部の山あいの村で用水路建設など農業支援に携わった。

08年8月、車で移動中だった和也さんが武装集団に連れ去られ、翌日に遺体で見つかった。遺体が納められたひつぎを引き取ったのは中村さんだった。遺体には生々しい銃創があり、カブールで記者会見した中村さんは「伊藤君のご両親には本当に申し訳ない」と泣きながら謝罪の言葉を繰り返した。
(12月6日毎日新聞26面)
この記事を読んで感じた・・・
中村哲医師はあの日から亡くなるまで10年余り、「伊藤和也」さんのことを一日も忘れることができなかったのではないか。そして自分も同じように殉じるかも知れないと・・・
命のともしびの寸前、伊藤和也さんのことが走馬燈のようによぎったのでは・・・中村哲医師はそういう人だったと思う。