縫ひものの巧みな手よとおのれ賞めこよひ黒子ある掌をみする妻
蕗の薹つみて匂へる妻の掌のわれのしびれし体を撫でくれぬ
ひとり身のきびしき終りに吾が妻の膝を求めていだかれ逝けり
癩園にきて日本の俳句作りゐきけふ母国語の歌うたひ帰りゆく
伊藤 保さんの略歴
大正2年大分県山国町生まれ。昭和8年菊池恵楓園入園。「檜の影」、昭和8年「アララギ」入会。昭和16年結婚。「短歌研究」誌上にしばしば秀作を発表。『昭和百人集』に登載される。昭和38年没。『檜の蔭の聖父』(昭和10年)『菴羅樹』(昭和26年)『仰日』(昭和26年)『陸の中の島』(1956年)『海雪』(昭和35年)『三つの門』(昭和45年)『白き檜の山』(昭和33年)『定本伊藤保全歌集』(昭和39年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)
伊藤保さんは療園の仲間たちの短歌にも詠まれ慕われた。
伊藤保が松葉杖つきたづね来て菜畑檜山のありさま教ふ
(菊池恵楓園 新開玉水さん)
咲き盛る
(菊池恵楓園 青木伸一さん)
ある時は義足叩きてもの言ひし伊藤保より十一年長く生きぬ
(菊池恵楓園 内海俊夫さん)
(若き歌友伊藤保君病む)
君病みては手紙のこと誌のこと歌のこと誰に頼まむ吾また迷ふ
(菊池恵楓園 島田尺草さん)