朝日新聞 8月30日
わがこころ澄みゆく時に詠む歌か詠みゆくほどに澄めるこころか
(若山牧水)
歌は自分を知り、守り育てたいために詠むものだと歌人は言う。
自分を僅かなりとも「濁りのないもの」にしたい。その点で「合掌礼拝」に似ると。
言葉は何か知れない自分というものをたぐり寄せ、
だが一つ間違うと自分を閉じ込めもする。
だからこそ言葉に距離をとり、注意深く吟味することが大切になる。
随想「歌と宗教」(『樹木とその葉』所収)から。
ハンセン病文学の短歌を読む時も、心を静謐にして読む。そして、詠みゆくほどに澄めるこころか、と同じような気持ちになる。
朝日新聞 8月7日
今 見ヨ イツ 見ルモ
(柳 宗悦)
民芸の思想家は、「ほととぎすいつ聞くとても(聞く度毎の)初音かな」という句をふと思い出し、これは鳥の声の美しさというよりも「聞き方の正しさ」を述べたものだという。
美しいものも、これまでの見方に沿ってではなく、「眼と心が何時も新しく働かねば」見えないと。
心を「うぶ」にし、はじめて見るかのようにそれを見るのはそれこそ至難のこと。
『心うた』から。
そう難しくはない。心の中で「無、無、無、無、無」と唱えるだけで、真正面から対峙できる。