

あの金田一京助がアイヌ人少女にアイヌ語を教わったのは、いつ頃の話だったのだろう。
国語の教科書に載っていたことを思い出す。
和人との同化政策のために、アイヌ語は禁止された。
朝鮮半島でも、朝鮮語は禁止され日本語が強制(学校だけだった?)された。1910年の韓国併合(朝鮮半島併合)の後のことだろう。
今日の毎日新聞の「ひと」は、第14回後藤新平賞を受賞したアイヌ民族の「宇梶静江さん(87)」だった。
7月29日毎日新聞4面
「ウタリ(同胞)たちよ、手をつなごう」。新聞の投稿欄を通じて仲間と呼びかけ、やがて半世紀。
「分け合って生きる。生きることを楽しむ。追いつめない」。
民族の精神性を唱え続ける姿が、医師で東京市長などを務めた後藤新平(1857~1929年)の「共生の理念と通じる」と評された。
過去の為政者が強いた同化政策。その屈辱に耐えかね「勉強して新しい道を」と二十歳で郷里の北海道浦河町を離れ、札幌の私立中学で学んだ。
東京に移り、早稲田大学の近くの喫茶店で働き、27歳で建築士の和人(日本人)と結婚。子ども2人をそだてながらアイヌとしての自分を詩で表現し、民族の復権運動に身を投じるようになった。
運動を始めた70年代、「自分はアイヌとして生きたいと思っているわけではない」と去っていく同胞がいた。寂しさに覆われ、アイヌの伝統刺しゅうの技法を基にした「古布絵」の創作に打ち込んだ。
新たな力がわき、同じ志を持つ首都圏のアイヌらと文化の継承に力を注いだ。
多様性の尊重が叫ばれる中で20代、30代の同胞が元気になってきたと感じる。
「自然を敬う先住民族の生き方は今の時代に必要なメッセージ。失ってはならない大切なものと気づき始めたのでしょう」。
今月、東京であった祝賀会には長男で俳優の宇梶剛士さん(57)をはじめ孫やひ孫も集まった。
「世界の先住民族と手を結んで自然をよみがえらせる努力をする。これからアイヌ民族が果たすべき役割は大きい」と目を細めた。
北海道生まれ。古布絵作家の活動が評価され2011年、吉川英治文化賞。今春、初の自伝「大地よ!」を刊行。
「過去の為政者が強いた同化政策。その屈辱に耐えかね」という宇梶さんの言葉は今の韓国にも言える。
韓国の屈辱を想像してみる・・・
今日の朝日新聞4面には慰安婦を表現した少女像と、その前にひざまずいて謝罪する安倍晋三首相をモチーフにした像を設置した(民間施設)写真が載っていた。
毎日新聞では2面に、菅氏の「日韓に決定的影響」という記事が載っていた。
両紙ともかなり大きな扱いだったが、そんなに騒ぎ立てるほどのことかと思った。
歴史の真実を想像しながら・・・
謝っても、謝りすぎることはない・・・
すでに終わったこと・・・と思うのは日本の方だけ