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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

在日


 
在日の人には優秀な人が多い。とても尊敬している。


自身のアイデンティティに悩み、両親や祖父母を見て、常にその生き方を間近に見て来たからだろう。


邑久光明園には朝鮮半島出身のハンセン病患者が多かった。確か、下関から近いという理由だったと思う。


そして随筆を多く残されている。強制労働に従事させられた随筆も多い。


もちろん、他の療園にも半島出身の人は多く、ぼくの知る範囲では、日本人と仲良くやっている様子が短歌からも見受けられる。





新聞にも半島出身の知識人がしばしば紹介される。


名前は記憶にとどまっていないが、人数の比率から見て、日本人よりかなり多い。中でも多く紹介されているのが、芸術関係や学者(教授)の人である。

5月27日の毎日新聞には、映画監督の崔洋一さんが紹介されていた。

5月16日の朝日新聞には、千葉大学を定年退職した趙景達さん(65)が紹介されていた。

著者に会いたい
近代朝鮮の政治文化と民衆運動 日本との比較

朝鮮と日本の歴史を31年間教えた千葉大学を3月末で定年退職し、この本を出した。「歴史学をなりわいとした者の責任として、仕事の仕上げができたかとほっとしています」

在日2世で、両親は韓国・済州島から日本に来た。父は廃品回収業を営み、十数人のバタヤ(くず拾い)と言われた人たちと住んでいた。

将来を決められずに大学に行き、自分のアイデンティティ―を探るため朝鮮史を学んだ。何かを見つけられるかと思って大学院へ進んだが、一時は兄と魚屋を開業。半年で失敗し、研究生活に戻った。

31歳で東京都立大学の助手になってからも、悶々としていた。「在日1世は困難な生活の中でいい研究を残しています。私は学問をする覚悟もなく、こんなみっともない在日2世はありえねえな、という自己嫌悪でした。最底辺の人たちと暮らした過去もあるし、1世に負けないことをやらなきゃいけないと思って」

38歳から研究に打ち込み始めた。テーマは日清戦争を誘発し、朝鮮の命運を決めた民衆運動である甲午農民戦争(1894年)だった。民衆は言葉を残さないので、様々な史料からその動きを跡づけてきた。

日本統治下の民衆が独立を求めた最大の運動が、三・一運動(1919年)だ。この本では「政治文化」に注目して考察した。

「日本は武断的な政治文化を朝鮮に持ち込み、民衆に深刻な葛藤を与えました。その帰結が三・一運動です。運動は、儒教的な民本主義や民衆の反乱(民乱)など、朝鮮の伝統的な政治文化の上に展開されました」

本の副題にした「日本との比較」はずっと考えてきた視点だ。
「日本では忖度や同調圧力が強いが、朝鮮には異議申し立てをし、文句を言う文化がある。それが民主主義の基礎にあるべきだと思います」



それは今の韓国に表現されていると思う。「文在寅大統領」として。

日本はますます、「民主主義」において、韓国の後塵を浴び続けるだろう。

一連のコロナ騒動を見れば一目瞭然。



2030年 農業の旅→ranking

 
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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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