朝日新聞 4月26日 20面
とてもよい内容と思ったので、大部分を抜粋させて頂きました。
人文知を軽んじた失政
歴史に学ばず、現場を知らず、統率力なき言葉
歴史に学ばず、現場を知らず、統率力なき言葉
藤原辰史(京都大学人文科学研究所准教授)
歴史の知はいま、長期戦に備えよ、と私たちに伝えている。1918年から20年まで足掛け3年、2回の「ぶり返し」を経て、少なくとも4千万人の命を奪ったスペイン風邪のときも、当初は通常のインフルエンザだと皆が楽観していた。
人びとの視界が曇ったのは、第1次世界大戦での勝利という、疾病対策より重視される出来事があったためだ。
軍紀に逆らえぬ兵士は次々に未知の疾病にかかり、ウイルスを各地に運び、多くの者が死に至った。
長期戦は、多くの政治家や経済人が、今なお勘違いしているように、感染拡大がおさまった時点で終わりではない。
パンデミックでいっそう生命の危機にさらされている社会的弱者は、災厄の終息後も生活の闘いが続く。
誰かが宣言すれば何かが終わる、というイベント中心的歴史教育は、二つの大戦後の飢餓にせよ、ベトナム戦争後の枯葉剤の後遺症にせよ、戦後こそが庶民の戦場であったという事実をすっかり忘れさせた。
第1次世界大戦は、戦後の飢餓と暴力、そして疫病による死者の方が戦争中よりも多かったのだ。
スペイン風邪のとき、日本の内務省は貧困地区の疫病の悲惨を観察していた。1922年に刊行された内務省衛生局編『流行性感冒』には、貧困地区は医療が薄く、事態が深刻化しやすいことが記してある。神奈川県の事例を見ると、「日用品殊に食料品ノ騰貴に苦メル折本病の襲激ニ因り一層悲惨ナルモノ有り」(原文ママ)とある。
封鎖下の武漢で日記を発表し、精神的支えとなった作家の
現在ニューヨーク市保健局が毎日更新する感染地図は、テレワーク可能な人の職場が集中するマンハッタンの感染率が激減する一方で、在宅勤務不可能な人びとが多く住む地区の感染率が増加していることを示している。
これが意味するのは、在宅勤務可能な仕事は「弱者」の低賃金労働に支えられることによってしか成立しないという厳粛な事実だ。
今の政治が医療現場や生活現場にピントを合わせられないのは、世の仕組みを見据える眼差しが欠如しているからである。
研究者や作家だけではない。教育勅語と戦陣訓を叩き込まれて南洋の戦場に行き、生還後、人間より怖いものはないと私に教えた元海軍兵の祖父、感染者の出た大学に脅迫状を送りつけるような現象は、関東大震災のときにデマから始まった朝鮮人虐殺を想起する、と伝えてくれた近所のラーメン屋のおかみさん、コロナ禍がもたらしうる食料危機についての英文記事を農繁期にもかかわらず送ってくれる農家の友人。そんな重心の低い知こそが、私たちの苦悶を言語化し、行動の理由を説明する手助けとなる。
これまで私たちは政治家や経済人から「人文学の貢献は何か見えにくい」と何度も叱られ、予算も削られ、何度も書類を直させられ、エビデンスを提出させられ、そのために貴重な研究時間を削ってきた。企業のような緊張感や統率力が足りないと説教も受けた。
だが、いま、以上の全ての資質に欠け事態を混乱されているのは、あなたたちだ。長い時間でものを考えないから重要なエビデンスを見落とし、現場を知らないから緊張感に欠け、言葉が軽いから人を統率できない。
アドリブの利かない痩せ細った知性と感性では、濁流に立てない。コロナ後に弱者が生きやすい「文明」を構想することが困難だ。
危機の時代に誰が誰を犠牲にするか知ったいま、私たちはもう、コロナ前の旧制度(アンシャン・レジーム)には戻れない。