毎日新聞 4月24日 10面 「みんなの広場」
木製のつえを持ちながら散歩をしている。おしゃれでもなく実用的でもなく、サイズも合わない。しかし、片手に何かを持ちながら散歩をしないと寂しいから、そうしている。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、帰宅が早くなった。日脚も伸びた。運動不足を解消し、晩酌への下地を作るために歩き始めた。西日を背中に浴びながら田んぼを横切り、川に向かう。農業用水を取り込むために作られた堰が目的地だ。
以前、犬を飼っていて、一緒によくそこに行っていた。散歩をする人も、農作業をする人もいないことを確認し、首輪につけていたリードを離すと「本当に自由に走り回っていいの?」と尋ねるようにじっと私の目を見るので、軽くうなづくと駆けだしていた。
寂しがり屋だったが、その愛犬はもういない。今はつえを振り回して夕日を十文字に切り、一人きりで歩いて帰っている。
毎日新聞の「みんなの広場」に載っていた、鹿児島県の49歳の方の投稿記事です。
なんか心に響いた。そしてふと考えた。
犬は首輪につけていたリードを離すと、駆け出すことができるんだ!
人間には、これはできないのではないだろうか。
突然に与えられた自由は、意外と使えない。どうしていいかわからず困ってしまう。
人は知らず知らずのうちに「自分のテリトリー(領域)の中でしか動いておらず、そのテリトリーから一歩も抜け出せていない。
だから、たまに農業仲間に支援してもらって共同作業をすると、その発想に「あぜん」とすることがある。
この発想は「自分には思いつかない、全くない」と感じたり、
えっと思う柔軟性にふれて、「自分の硬さ」というか、「一定の枠から出られない思考の壁」のようなものを感じて、
そんなことを強烈に意識させられて、落ち込むことがある。
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