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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

そよかぜ ガイド歴32年 磨いた技(シンガポール)

 
2月27日 朝日新聞 9面


マスクをしていない人はいないか。行列が込みすぎていないか━。


2月初め、シンガポール中心部の繁華街を、赤いポロシャツを着た2人の男性がパトロールしていた。ジェームズ・パンさん(60)と、デビッド・チューさん(55)。住民に新型コロナウイルス対策を守るよう促す、政府の指導員だ。


ふたりとも、本職は日本語の旅行ガイド。「こんなことになるとは、思いもしなかったですね」。パンさんが言った。


パンさんはガイド歴32年、勤めていた日本企業で東京からの出張者を案内していた経験を生かし、フリーのガイドになった。


観光業は、景気や社会の状況に左右されやすい。


2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行したときも、しばらく旅行は下火になった。だから収入を安定させるため、中華料理店チェーンの営業マンとしても働いて「二足のわらじ」を履いてきた。


だが、今回の危機は想像を超えていた。昨年1月下旬から、ガイドの依頼はゼロ。料理店からも契約を切られた。


シンガポールは4月から約2ヶ月間の外出制限に入り、いよいよ仕事を再開するめどは立たなくなった。


焦りと不安の日々。「職を見つけるには、自分を高める必要があった」。政府の就職支援プログラムに参加し、小売業のマネジメントなどについてオンラインで学んだ。


政府観光局からコロナ指導員の依頼が来たのは、7月。「収入面でも、とてもありがたかった」


巡回は週5日、休憩を挟んで8時間。楽な仕事ではない。歩く距離は長く、市民の視線も集める。中には注意をすると、逆に怒り出す人もいる。殴られた同僚もいる。


でも、怖くはなかった。相手の機嫌を損ねないようにしながら言うことを聞いてもらうのは、ガイドの仕事で何度も経験してきたことだ。


表情、見ぶり、声、言葉、磨いてきた接客技術が生きた。「普通の人よりは、少しだけ、面の皮が厚いんです」。パトロールを応援してくれる人もいて、やりがいがある。


観光の再開はいまだ見通せない。でも、パンさんは楽観的だ。「日本からの旅行客?明日にでも来てほしいね」と笑いつつ、「ワクチンの接種も始まったし、少しずつ状況はよくなっていますよ」。


旅行客たちを得意の「おやじギャグ」で笑わせる日が、遠からず来ると信じている。

(西村宏治)




ガイドって、おもしろく、やりがいのある仕事なのだなあと、後年になって気づいた。

先日紹介した「はとバスガイド」

原爆資料館を訪れた外国人観光客を英語で案内(定年まで高校の英語の先生だった)

ハンセン病療養所の学芸員・・・主に団体客を相手に歴史や、園内を引率して説明

大阪の近鉄日本橋駅の駅員さん・・・主に中国、韓国、台湾の観光客に母国語で説明

道頓堀近くのホテル・・・中国、韓国、台湾の観光客に母国語で説明


語学が一つしゃべれたら、職業選択の大きな武器になるのだなあと、駅員さんを見てふと思った。



ぼくは、働くことに関して(就職に関して)は、まるでお客さんだった。

自分のしたい仕事がわからず、

どういう仕事が向いているかわからず、

ひと昔前、モラトリアムという言葉が出回っていたが、典型的なモラトリアム人間だった。



ガイドは自分を高める(高めざるをえない)仕事のように思う。

京都観光ガイドとか、

目標にしているハンセン病文学ガイドは、コロナ禍で、どこの療養所も団体客が来なくなっているように思う。

ガイドはやはり「対面の仕事」と思うから、いろんな分野のガイドさんは、シンガポールのパンさんのように大変な状況だろう。

しかし、各方面のガイドはどうしても必要なので、対面のガイドの仕事はなくならないと思う。


ボランティアガイドも楽しいだろうが、それが収入につながれば、もっと充実する。

ぼくが知らないだけで、世の中には無数のガイドが存在するのだろう。




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クイーン&BTS (7)

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くろねこの短語

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沖縄愛楽園  松岡和夫さん(1)



生きて居て何になるかと兵役免除の書類を思い死ぬこと思う





これやこのこれが雪かと掌にのせて茶垣の雪をなめて見ており





古里の友らは戦地へ行ったよと苦しき便りを母はたまいぬ





学校の休みに励みて得しお金故郷の弟は送りてくれたり





病み臥せる我を見舞に来し如く蜂はしばし枕辺におり





戦いに変り果てたりとわが聞きし沖縄の緑あかず見て立つ





盲友を背負いしままに三度びほどぐるぐる回りて消毒されぬ





終戦を盲友は喜び帰り来し沖縄の土を泣きつつ撫でおり





亡き祖母の写真を飾りねんごろに春子を娶りし喜びを告げぬ





訪ね来し友らにいちぢく缶あけぬ妻とわれの結婚祝い





療園にわれの娶りし妻の肩を母はたたくも親娘のちぎりに


 

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沖縄愛楽園  上間源光さん(4)



後遺症の我が手を強く握ります師の感触に心ぬくもる





沖縄の溜息の如く潮騒は島のめぐりに夜もすがらなり





君のくれしパパイヤ食ぶれば夜もすがら疼きし心臓静もりて来ぬ





ものなべて季節匂わせ狭庭辺の曼珠沙華の早や咲きており





抜歯せずよかったでしょうと長田医師の優れし治療に我は癒さる





治療おえし盲我れの手をとりて医師は戸口まで送り給いぬ





朝夕をたえ間なく磨く夜光貝艶めきいるさま触角で知る





かくせねば予算獲れぬ政治なりプラカード掲げ要請しており





復帰して一年経たる今もなお本土療園との格差の溝の深まる





星塚の緑茶に心かよわせて神山南星思いつつ飲む



 

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ネギの煮物


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昨日のダイズの煮豆を別鍋にとり(汁を多めに)、醤油と砂糖を少し加え、煮立ったらざく切りしたネギを入れ、ネギが少ししんなりしたら弱火にして5分煮て出来上がり。30分ほどおいて味を含ませる。



子持ち高菜とベーコン炒め

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子持ち高菜はスライスして2分ほど茹でて冷水にとり、水気をしぼる。

熱したフライパンに油を入れ、ベーコン2枚の細切り、子持ち高菜の順に炒め、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。



ホウレンソウと卵炒め

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ニンジンおろし、ダイコンおろし

 
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福島県双葉町出身の琴奏者 大川義秋さん(25)


朝日新聞 2月27日 2面


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あれは中学の卒業式の日に起きた。式の数時間後、突き上げるような衝撃を感じた。

制服姿のまま母校に避難した。10年前の3月11日。すぐに元に戻ると信じていた日常は、消えてしまった。

進学予定だった高校の校舎は損壊した。全町避難の対象とされた福島県双葉町の自宅に帰ることもできなくなった。

「福島から来ました」。避難先の埼玉県の高校で自己紹介したときは緊張で汗が止まらなかった。

方言や原発のことに触れられるのが嫌で、選んだ部活が部員の少ない廃部寸前の邦楽部だった。

琴に触れると、すっと染みいるような音色が心地よかった。琴の素材となるきりは、多くがふるさとの会津のもの。その不思議な巡り合わせに支えられるように、練習に打ち込んだ。

数年後、避難者の集いで音色を披露したとき。「私も頑張らなきゃね」。涙ながらに演奏を聴いていた女性が漏らした。琴の存在に救われてきた自分が、同じようにふるさとを失った人々の力になれると感じた瞬間だった。

昨年、全国コンクールで最優秀賞に輝き、メジャーデビューした。

年末、取り壊すことになった旧宅へ。10年の重みを感じたが、不思議と「帰りたい」という思いは強くはなかった。

「あの頃に戻りたい」と口にする同級生も多いが「新しい地で夢を追う」と決めている。

文・写真 中井なつみ


大川義秋━You-Tube


同じようにレベルの高い部活の仲間、そしてすぐれた指導者がその部活にいたのではないだろうか。

高校の部活で始めて、全国コンクールで最優秀に輝いたのだから。

不思議な巡り合わせに支えられるように、練習に打ち込んだ・・・ぼくも、ハンセン病文学と不思議な巡り合わせだった。

長島愛生園と邑久光明園はどちらも虫明沖の長島にあり、自分も同じ瀬戸内市に住んでいるといっても、還暦の頃まで、その実態は全くといっていいほど知らなかった。

長島大橋ができてから、たまにドライブに行っていたくらいで、ハンセン病に「文学」があることさえ知らなかった。

長島の風景をデジカメでとってブログに載せたことが大きな運命の展開になった。その画像がたまたま兵庫県明石市人権推進課の人の目に留まり、その画像をポスターに使わせてというメールがあった。長島愛生園の石田雅男さんが明石市で講演された「2010人権の集い」のポスターだった。

これは何か「大きな縁」だと感じた。愛生園がぼくを呼んでいる・・・しかし生活もかかっていたので、その後3年間は長島に足を踏み入れず、還暦を過ぎてから石田雅男さんの講演を始めて聞きに行った。

それは「歴史館」の見学から一歩踏み出し、自治会事務所の存在や神谷書庫を知り、石田さんから3冊の本を頂くきっかけになった。ハンセン病文学全集(1)~(10)を知ったのは、その後のことだった。

琴の存在に救われてきた自分が・・・ぼくもハンセン病文学の存在に癒されている。




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クイーン&BTS (6)

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ちきゅう座  RITERA

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沖縄愛楽園  城 郁子さん(2)



ギプスせる足の痛みに醒めをれば風の中なる遠き潮鳴り





病めるもの少年と少女朝朝の窓にあかるき声
とおりくる





あたらしきカーテン引きて臥す夜半の寝ねがたきまで窓照らす月





苦しさに堪へつつをれば窓の外蜻蛉とんぼ止りをり動くともなく





遠く来て逢ひし子の言葉すくなきを寂しみて夜を長く醒めをり





昼の空に浮く白雲の移ろひゆくこの高原にいつまでを病む





水たたふる入江の光る火葬場にかなしとぞ見る母焼く煙





与へたる手紙幾通今になほ持つ子よ共に住むことのなく





城郁子さんの略歴
昭和4年沖縄県国頭郡生まれ。6歳から12歳まで母が外国に行ったため伯母の元ですごす。国民学校高等科を終え青年学校に入学。伊江島に徴用。昭和22年18歳で発病。沖縄愛楽園に入園。所内で結婚。社会復帰し一児を得たが、再発。再入院した。昭和30年から作歌を始める。6月「アララギ」に入会。31年星塚敬愛園に転園。「姶良野」に出詠。34年「鹿児島アララギ」に入会。昭和38年再び沖縄に社会復帰したが3年余りで再入園。昭和58年沖縄愛楽園に転園。『三つの門』(昭和45年)『あかね雲』(昭和58年)

 

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沖縄愛楽園  上間源光さん(3)



たまさかに君の爆死の跡に来て戦傷に触るる哀しみの湧く





労わり合い耐えにし君も今はなく思い出を誘う古びし壕は





箱庭に培いしニガ菜の生汁を夏まけの我に盲友が持ち来ぬ





秋蝉のじいわじいわ鳴く森の道淡き陽ざしに落葉の匂う





君を焼く煙はみ空高く消え木立に小鳥も憂いつつ鳴く





祖国の負い目荷わされ来し沖縄の受けたる疵の癒ゆる日は何時





戦争で受けし痛みいまだ癒えぬ沖縄にまた自衛隊駐留





虐げを受けし黒人米兵がコザの街で暴れて又も住民怒らす





復帰せば本土企業の入り来らむ沖縄の美は守りたきものを





やがて会う甥や姪らの土産にと撰び置きたる夜光貝磨く




 

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ダイズの煮豆


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白ダイズと青大豆、合わせて100gは一晩、水に浸す。

戻し水を少しお椀にとり、残りを圧力鍋に入れる。シイタケ、ニンジン、ヤーコンは角切りにして入れ、アゲと練り製品を少量入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、だしの素と削り節を入れ、最後にお椀にとった戻し水で水加減を調整し、強火で、おもりが勢いよく回りだしたら極弱火にして25分、火を消して圧が抜けるまでそのまま放置して出来上がり。

アゲ1枚は16等分して冷凍し、練り製品4枚入りの1枚を4等分(つまりこちらも16等分)して冷凍しておき、各16等分の1を、みそ汁やその他の煮物に使っている。




サトイモの煮物

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乱切りしたサトイモとシイタケを鍋に入れ、水を入れ、アゲと練り製品を少量入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、だしの素と削り節を入れ、煮立ったら極弱火にして20分煮て出来上がり。



目玉焼き

 
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どこから来てどこへ行くのか



ゴーギャンの絵
 (絵は拡大できます)


昨日の小原紘さんの記事で、ゴーギャンの絵にもこのような名前のついた絵があることを知った。

長島愛生園の志樹逸馬さんの詩には、水をテーマにした詩が多い。

どこから来てどこへ行くのか・・・を目にすると志樹逸馬さんの詩を思い出す。






手は汚れていた

けれど

水は

━━澄みきった深さ

しびれるほどの

生命の波紋で美しかった


水は天に投げ、地に叩きつけても砕けなかった

光を透かし

緑を匂わせていた


どこからきて どこへゆくのか

けれど

この胸の渇きのほど

水は生れ

無限に ほほえむかのように流れていた











秋の小川



小川の水は

なぜか 哀しいほど

わたしの手にしみる


おまえは青空を透かして流れるからなのか

固い小石に研かれるからなのか


物象のかげ映ろうままに

天地のひかりには揺れるがままに

せんせんと砕け

歌って生きる

秋の小川よ


冷たさに

おのずから澄むは水のこころ

(1949・秋)












曲った手で



曲った手で 水をすくう

こぼれても こぼれても

みたされる水の

はげしさに

いつも なみなみと

生命の水は手の中にある

指は曲っていても

天をさすには少しの不自由も感じない










癩者


誰が 俺に怪異の面を烙印したのだ

碧天の風を吸って 腐臭を吐き

黄金の実を喰って

膿汁の足跡を踏む


よろめき まろび

指を失った掌にも

土塊は砕け

何故 花は開くか


捨てられた水を呑んで生き

そそがれる光に

描くは 紫の浮腫 斑紋


己を憎み

人を恋い

闇の彼方に

天を憧れる 無性の渇き

ああ 非情の石よ

己が掌を微塵に砕け

悪魔よ ほくそえめ


除けものにされれば されるほど

自らを知る性


俺は 誰に

生きる表情を向けたらいいのだ








水を掬む女


広い地上 貴方はどうして

私達病み汚れている者の集まる小さな島を

たった一つの職場と選んだのですか


黒く澄んだ瞳を持つ若い貴方に

純白の服を着せたのは 誰なのですか


この生命に掬まれる水の 今日も━━

冷たいかおりを親しみ

うちに・・・赤い血潮となる不思議をいぶかしみながら


あゝ貴方は何処から来た

この胸に顫える手を

じっと 私はみつめるばかりです

(1951年)





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クイーン&BTS (5)

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広原盛明のつれづれ日記

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沖縄愛楽園  城 郁子さん(1)




涙出づるまで心素直となりて臥す栴檀の黄の実見ゆる吾が部屋





二十幾年相見ぬ父が文くれぬ悲しきまでに心昂る





海の見ゆる家にて父母に抱かれたる幼き記憶美しかりき





潮騒の音きこえくる松原にいたく老いたる父と会ふ夢





母の指環米と代へたる日よりはや十四年過ぎぬ唯病みつぎて





我ひとり生みて五十の齢過ぎまだゆたかなる母の黒髪





親しみて吾が部屋に来る少女なれば愛しみたりき共に病みつつ





少女待ちて長き一日のくれむとす厨に桃の淡く匂ひて





幼き日幼きままに恋ひたりき若き日の父の写真古びぬ





笹の葉に秋の光のしろくして君が逝きしを遠くわが聞く



 


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沖縄愛楽園  上間源光さん(2)



気づかいし君は正気に戻りいて明るきメロディーのギター爪弾く






それぞれの苦悩は知らず独房に狂える人の歌声かなし





潮騒は遠くよりしてひそかなりい寝難き夜の既に深まる





アオサかく媼らの歌が潮風に途切れとぎれ透り来るなり





旧正には姪等が会いに来るという便りに弾む病み古りしわれ





平和への願いはむなし嘉手納基地にB52が待機し続く





暁のねむり妨げB52編隊の過ぎぬ島を搖すりて





ベトナムの戦雲激しくなりにつつ土地接収に住民いらだつ





ベトナムより撤退兵の駐留して続く事件に民はおびゆる





大いなる世論はついにベトナムの北爆停止の声明となる



 

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サツマイモの煮物


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熱した無水鍋にバターを入れ、乱切りしたサツマイモを炒め、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら極弱火にして20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、混ぜて出来上がり。



魚ソーセージと野菜炒め


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熱したフライパンにバターを入れ、ニンニク1片の粗みじん切りを炒め、魚ソーセージ、子持ち高菜、ヤーコンの順に入れて炒め、醤油で味付けして出来上がり。



ニンジンおろし、ダイコンおろし


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ホウレンソウのおひたし

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味噌汁

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ニンジンとダイコンの千切り、ジャガイモのスライスを鍋に入れ、少量のアゲと練り製品を入れ、水と出汁の素と削り節を入れ、シイタケを少し入れ、煮立ったら極弱火にして15分煮て、味噌を溶き入れ、ネギをふって出来上がり。



目玉焼き

 
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過去記事より 故郷喪失

 
2019年 7月27日、リベラル21に掲載された「小原紘さん」の記事です。

〈故郷喪失〉


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クイーン&BTS (4)

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新・定年オジサンのつぶやき

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沖縄愛楽園  上間源光さん(1)



父と我と弟と三人ありし日の炭焼く夢のさめて恋しも




悲しみの極みなる通夜に吾が妻の亡き骸に来る蚊をば追いにき




亡き父と登りし故郷の山の上の基地のあかり療園より見ゆ




幾年か妻と炭焼き親しみし故郷の山も基地と化しおり




昨日まで語りし友が早逝きぬ吾れ悲しみて遺骨を拾う




戦時下は疎開せし子に抱かれて君の遺骨は故郷にかえる




児童らと吾も登りぬ三上婦長の徳をしのびて名付し杜に




古里の山も米軍に測量さると朝茶のみつつ翁は嘆く




朝の祈りに通う路傍の花むくげ頬に触るれば露したたりぬ




われの視野銀色にみな輝かむ弱視に映ゆる月光を踏む


 


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星塚敬愛園  中村安朗さん



一つづつ柿持ちよりて子規忌かな




人を焼くけむりはくろし冬の空




罠のものまだ生きており息白く




夏痩せやベッドの上に紙のごと




雪の上に雪降りつもり西行忌




孕み猫妻去る方へ甘え鳴く




往診の医師来てへこむ梅雨畳




沈丁の香に打つ点字はかどりぬ




鶏頭の朱にたどりつく癩の杖




拍手する癩の手鳴らず年忘れ




木犀の香に酔ふと妻窓しめて



中村安朗さんの略歴
大正6年鹿児島県生れ。小学校5年のとき発病し退学。昭和15年4月星塚敬愛園に入園。翌16年6月頃、園内の「麦笛句会」に入会し、当時の選者であった星塚敬愛園薬局長・大山星花と園長の林東風に俳句を学ぶ。以来、「鴫野」(本田一杉)、「嵐」(高橋飄々子)、「雲海」(森川暁水・近藤忠)、「草の花」(恵楓園)、「俳句作家」(金戸夏楼・里見宜愁)へ投句を続ける。麦笛句会代表。『句集麦笛』(昭和36年)に採録。
 


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ホットケーキミックスでニンジンおやつ

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ボールにニンジン150gをすりおろし、溶き卵1個を入れ、ホットケーキミックス1袋(150g)を入れ、水を100cc入れて混ぜる。

熱したフライパンにバターを入れ、具材を流し入れ、極弱火で7分、裏返して4分、火を消して余熱3分で出来上がり。

ホットケーキミックスとニンジンは等量にした。

おかずが残っていたので、他には作らなかった。


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過去記事より 剛毅朴訥仁に近し


2018年11月28日の記事の再掲です。



 「おじさんと呼ばれる年令になって」について



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クイーン&BTS (3)

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くろねこの短語

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星塚敬愛園  岡村春草さん



長き夜や書にふるる吾にまなこ欲し




いただきし足袋膝にのせ足が欲し




浴衣着て受洗の式に背負はれゆく




爪切りに廻る看護婦春日和




猫抱いて年賀に廻る癩夫婦




日の当る縁へひろがる初句会




秋風や口もて開く薬包紙




梅の香に行き当りけり探り杖




顔出して蓑虫風を伺へり




白粥に割って貰ひぬ寒卵




門火焚く闇より亡母来給へり




車椅子寄せ合ひ憩ふ花の下




補聴器に二月の雲雀とらへけり



岡村春草さんの略歴
星塚敬愛園 療養生活の中で盲目の身となり、失意のどん底にあった昭和26、7年頃、園職員らが芭蕉の『奥の細道』を朗読してくれたのを機に俳句の道へ。鹿屋星塚敬愛園の機関誌「姶良野」、近藤忠主宰「雲海」、菊池恵楓園発行「草の花」へ投句。敬虔なカトリック信者。昭和52年から重病棟入りを繰り返すが、昭和54年「自分の生命の分身である句」(岡村)をまとめ『彌撒旦暮』を出版。他に合同句集『麦畑』(昭和36年)。 



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星塚敬愛園  不動信夫さん(3)




味噌漬は母の香春を惜みけり




吾が死後も残る小手毬手触れ見る




火葬場の庭ととととと寒
カラス






秋の蛇ゆっくり這へり園も過疎




杖一本出癖つきたり春隣




手花火の闇の奥より亡き子来る




柩討つ槌音ぬらす若葉雨




不動信夫さんの略歴
星塚敬愛園盲人会会長。個人句集『杖國』(昭和57年)、合同句集『麦笛』(昭和36年)

 

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野菜とサケの蒸し煮


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無水鍋の下敷きにざく切りしたネギを入れ、乱切りした赤かぶ、ヤーコン、ニンジンを入れ、15秒湯通ししたサケを置き、ショウガ1片をすりおろし、味噌をみりんと酒で溶いて入れ、5分ほどで煮立ったら極弱火にして20分、火を消して余熱5分で出来上がり。



目玉焼き

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菜飯

 
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熱したフライパンに油を入れ、細かく切ったナバナのおひたしを炒め、1分湯通しした小魚を湯切りして入れ、醤油で味付けして火を消し、ご飯を入れ、ほぐしながら点火し、具材とご飯がなじんだら出来上がり。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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