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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

アンダークラス2030 置き去りにされる「氷河期世代」


明日の食べることに精一杯になると、政治のことなどどうでもよくなる。とにかく、生活のことで頭がいっぱいだ。政治家にはその方が好都合だろうが。


この国は多くの人をそういう状態に追い込んできた。


ぼくの若い頃は何回転職を繰り返しても、すべて「正社員」扱いだった。


今は、地方公務員でも半数近くが正規職員ではなく、学校の教員でもそれに近い状態のようだ。


同一労働、同一賃金から、全くかけ離れている。


一般企業もそれに似たようなものだろう。


誰がこういう世の中にしたのだ。


悪名高き、小泉、竹中改革か。


小泉首相には多くの人が本当に騙されたと思う。


小泉さんのキャッチフレーズはかっこよくて、ぼくもまんまとだまされた一人である。


竹中さんは今の菅首相とも会食仲間である。


職場の中で待遇の違う人同士が同じ仕事をするのは、互いにやりづらいし、人間関係も空疎なものになってしまう。


「同一労働同一賃金」を闘いとる必要があると思う。


みんなが「待ち」の姿勢か。

誰かが「変えてくれる」と思っているのか。

財界と自民党の結託は長く強固なので、選挙の仕組みから変える必要がある。

この非正規、正規の労働問題を変えていかないと、日本は本当に危ない。

「生まれいずる不幸」が現実の国になる。




橋本健二著
アンダークラス2030 置き去りにされる「氷河期世代」
(以下は伊藤光晴、京大名誉教授の書評です)

毎日新聞 1月30日 12面 一部抜粋



 アンダークラスとは、非正規雇用労働者のうち、主婦の家計補助的雇用と学生のアルバイトを除き、その収入で家計を支えている人たちのことである。


非正規であるから、当然雇用は不安定で、所得は著しく低い。


非正規雇用者は増え続けているが、著者の推測によると、非正規労働者として働くアンダークラスは現在900万人、働く人の14%を超える。失業者らを含めると1200万人に達し、2030年になっても変わらないという。


何がこうした人たちを生み出したのか。まず派遣労働者の拡大が考えられる。


派遣業は、戦後、職業安定法第32条によって禁止されていた。戦前の女工哀史や、炭鉱労働の過酷さへの反省からである。


それは戦後の労働憲法ともいわれてきた。


これを覆したのが、”労働者派遣法”である。はじめ(1986年)、高給の通訳などの専門職を対象にし、しだいに派遣業の適用範囲を拡げ、最後に製造業にまで進んだのであり(03年)、これだけ長期にわたり政策変更が進められたのは旧労働省官僚の意図的な計画と考えざるをえない。


この結果、派遣労働者という、低賃金の人たちが多数生まれ、その対極に少数の高所得の派遣業の経営者が生まれたのである。


これに就職氷河期が加わる。大きな就職難の時代が94年から07年まで続いたと著者はいう。


本書はこの氷河期世代を、前期氷河期、中期氷河期、後期氷河期と分けて分析を進めているが、重要なことは、氷河期に卒業期を迎えた人は、正規雇用者となる比率が落ち、日本の労働市場の特徴から、それが一生ついてまわることである。


これが長い期間続くと大きな非正規層となっていく。


景気動向指数で、この氷河期を見ると、2度の好況が記録されているが、それが強いものではなかったこともわかる。景気はそれ以後も変動し、第二氷河期、第三氷河期となり非正規雇用者を増大させていった。


非正規雇用者は、低賃金ゆえに、結婚が男女ともに難しい。


さらに不安定な職場であるため、技能の習得もむずかしい。多くの人は、働く中で技能をみがき、その中に生きがいを見出していく。


著者は政治哲学者ロールズの言葉を引いている。
自分は世の中の役に立っている。そう自ら感じていることが、生きる上で大切なのだと。


非正規雇用者は、働く中に生きがいを感じることができない。


同一労働、同一賃金━これは世界共通の大原則である。日本では20年4月から、中小企業では21年から、ILO(国際労働機関)のこの原則を実施することになっている、と。



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今日のBTS(再5)  15

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RITERA

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星塚敬愛園  川野 順さん(2)

 


片方が欠ければ住めぬ夫婦舎のわが窓近く木犀を植う

どちらかが亡くなれば独身寮(多人数部屋)へ移された。夫婦者も当初は6畳一間に2夫婦のような部屋割り(長島愛生園・加賀田一さんの著作より)だった。




海隔て我は病むなり我が母の死にたる報せ今手にしつつ






秋の夜の灯りの下に病む妻と菜漬の話少しして寝る






バイブルを引き裂き投げて喚きたきいく日の衝動吾は狂わん






社会復帰の見込みもあらずこの国に籍を持たねば年金もなし





送還をおそるる憂い日本の短き詩形学びゆく日日





年金受くる日本人の盲友が別の世界の人種に見ゆる





ものの音たしかめんとて身をにじる耳たぶに風ぼうぼうと鳴る





憐れまれ慰められてひしひしと隔たり覚ゆ手紙読みつつ






苦しみし者のみぞ知る哀しさにふたつのこころ相寄りにけり




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ニンジンおやき


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前日のおかずが残っていたので、今日は作らなかった。代わりに「おやき」を作った。

ここ2年ほど作っていなかったと思うが、以前はよく作っていたので、すぐに勘が取り戻せた。


ホットケーキミックスの袋の裏に書いてあった方法で作った。

ニンジンは過去の自分の記憶より。

ニンジンを入れると食べ応えがする。

ホットケーキミックス1袋(150g入り)をボールに入れ、すりおろしたニンジン100g(ニンジン1本の約半分)を入れ、溶き卵1個を入れ、水を50CC入れ、混ぜて少ない気がしたので、25CCほど足した。

熱したフライパンにバターを入れ、流し入れたが、1つのフライパンでは入りきらなくなり、急きょ、残りは別のフライパンに入れた。

極弱火で8分焼いて裏返し、4分焼いて火を消し、余熱5分で出来上がり。


途中で砂糖(蜂蜜)を入れるのを忘れたことに気づいたが、結果的には、入れ忘れたから焦げなかったと思う。蜂蜜をつけて食べた。


電子レンジのオーブンを利用するより簡単だった。牛乳がなかったので、オーブンではなくフライパン(一つは無水鍋の外蓋)を利用した。
    


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特派員メモ  アマトリーチェ(イタリア)


1月29日 朝日新聞 9面


車輪付きの仮設住宅


イタリア中部のアマトリーチェを昨秋、2年ぶりに訪ねた。5年前の震災で、600年の歴史を伝える石造りの街並みはがれきの山になった。


町は歴史的価値がある中心部の再建をめざすが、行政手続きや財源の問題があって今も手つかずのままだ。


住民の多くは今、町外れや近隣の集落につくられた仮設住宅に住む。ただ、中心部に住み続けたい、と願う人は少なくない。


このままでは町が消えるのでは、という危機感も強い。


復興への焦燥感をよく表しているのが、中心部近くにある「車輪付きの仮設住宅」だ。住民団体代表のドラツィオさんの案内で見に行くと、なるほど家の下にキャンピングカーのような車輪がついているので、動かすことはできる。「住宅だけど、住宅じゃない」。


都市計画がまだ策定されていないため、正式な住宅は建てられないが、一刻も早くコミュニティーを取り戻したい。苦肉の策にはそんな思いがにじむ。


団体は外国企業から資金提供を受け、復興を研究する大学生への奨学金や、地元の養蜂を次世代に伝える取り組みも進める。


町の将来を住民自ら描く、との強い意志に希望が見えた気がした。

(河原田慎一)






短い特派員メモだが、震災復興に対する日本との違いが鮮明に出ている。


5年前の震災で、がれきの山・・・今も手つかずのままだ。


都市計画がまだ策定されていないため、正式な住宅は建てられないが・・・


町の将来を住民自ら描く、との強い意志に希望が見えた気がした。・・・




日本の東北大震災復興に関しても、こういうイタリアの視点があったなら、復興住宅ができたが、住民がそこに住まないとか、住民が帰って来ない・・・という問題は生じなかったはずだ。


なぜこうなったかというと、政・官・財で「勝手に」進めたからだ。


住民代表とひざ詰めでよく話し合ったというかも知れないが、それは地域の有力者や政官財とつながりのある人と話し合っただけだった。


やっぱり、海が見えるところに住みたい。


あの高い堤防は何だ、海が見えやしない。


震災前に住居があった場所が整備されたと言っても、以前の面影が何も見いだせない。こんな場所に住みたくない。



結局、儲けたのは業者だけだ。

政・官・財の癒着・・・復興等の現場では、これが多いと思う。




イタリアでは、5年前の震災の再建はまだ手つかずのまま・・・、町の将来を住民自ら描く、との強い意志・・・と書いてあったが、まさにこの点にあると思う。


復興予算に期限があるのか!

仮設住宅に住める期限が決められている!

政治家、行政、業者が、とにかく急いで進める!

本来の地元住民の意志はすぐにかたまらないから、イタリアのような長いスパンで見る必要がある!

復興住宅の入居が少なくても、誰も責任を取らない!





日本の復興の進め方はおかしい。以前の風景も、地域の伝統行事も、コミュニティもずたずただ。

それでも復興は終わったのだ。形の復興が。

心の復興はいつのことになるだろう。




日本の民主主義がまだ途上国のレベルにあることは、震災復興の進め方にも見えるし、コロナとの闘いにも見える。

国民のレベルこそ、この国の政治のレベルである。



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きょうのBTS (再5)  14

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ちきゅう座

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星塚敬愛園  川野 順さん(1)



狂いたる磁石盤にも似てあればもろ手たらして吾が立ちすくむ





己れをば弔う夢を吾れは見し安定剤に頼るこの頃






現実はどうにもならず呆然と天の一角にまなこ凝らしぬ




喜びてつくには遠き心にて貰いし杖を蔵いて久し






からだ中でんでん虫の角生やし盲いは生きて行かねばならず




盲いしは栄光の顕われんためなりと聖句に惑いまた読み返す




けがれなき愛恋からも身を退きき国籍秘めし劣等感に




滝水を掬いて吾の身に注ぐ病める子を持つ母の祈りは





国籍を秘めて働きし時の名を用いこの国の詩形を学ぶ






病みつぎていのち死ぬべきこの国に帰化も援護も許されずいる





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菜飯のおにぎり


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菜飯は一部、おにぎりにした。じゃこ入り菜飯おにぎりを参考にした。

菜飯は、熱したフライパンに油を入れ、溶き卵1個、細かく切ったホウレンソウのおひたし、1分湯通しした小魚の順に炒め、醤油で味付けして火を消し、ご飯を入れ、ほぐしながら点火し、具材となじんだら出来上がり。




味噌汁

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千切りしたダイコンとニンジン、薄切りしたジャガイモを鍋に入れ、水と出汁の素と削り節を入れ、煮立ったら極弱火にして15分煮て、味噌を溶き入れ、ネギをふって出来上がり。


おでん

 
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乱切りしたダイコン、カブ、ニンジン、ジャガイモ、ヤーコン、キクイモを鍋に入れ、水と出汁の素を入れ、醤油、砂糖、酒、みりんを入れ、生姜1片をすりおろし、ニンニク1片を粗みじん切りして入れ、15秒湯通しした鶏肉を入れ、極弱火で30分ほど煮て、ユズ1個の皮をすりおろして出来上がり。

    


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イマジン



想像してごらん・・・

想像できない・・・

死を前に会うことができない

コロナという病



他人事ではない

明日は我が身

しかし、想像できない

想像したくない



ある日、突然に病状が悪化して

しかし最後かも知れない時に会うことが許されない

これは大きな心残りになる



想像してごらん

今は想像したくない

明日は我が身

想像してごらん

家族の一人が感染したことを



別のところに移らなければ、うつってしまう

でも、いくら想像しても、他に移れる住み家がない

どこが受け入れてくれるだろう 親戚、友人、それは頼めない



我が家はリスクが高い、妻が養護老人ホームに勤めているし

もしクラスターが出たら、ぼくはどこに住むか

1日1回のニワトリの世話はどうするか



2週間(14日間)、1日2千円で世話をしてくれる人がいるか

餌は稲作農家でもらったコゴメ、購入飼料、農業仲間にもらっているおからの3種類は問題ないとして、問題は次の2つだ

1日1回、容器(鍋)の水を入れ替えてもらうこと

1日1回、野菜を与えてもらうこと。場所を伝えて、ハクサイ1個、キャベツ1個、ニンジン4~5本を与えてもらう

してくれそうな近所の人を何人かイメージしてみるが、難しいかも知れない



自分が続けるとしたら、家で療養する必要があるが、妻の住むところがない

想像したくない現実

しかし現実になるかもしれない



1年後の未来はあるか

不確かな1年後

その時、どういう現実が待っているのか



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今日のBTS(再5)  13

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RITERA

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星塚敬愛園  宿里禮子さん(6)



雲を出でて雲に入りゆく月の下君の柩をまもりつつ行く




戦死せし兄憶ふ夫が吾の読む「レイテ戦記」に耳を傾く




「エリーゼのために」繰返す盲導オルゴール人影絶えし午後の舗道に




癩予防法廃止となれど心寂し音信絶ちて久しき弟




退職の君に贈らむ財布ひとつデパートに選ぶ病む手気にして




人恋ふる心にて摘みし吾亦紅若き日はなべて淡く過ぎにき




宿里禮子(川上・河上礼子)さんの略歴
1929年1月5日鹿児島県に生まれる。1940年長島愛生園に入所、1943年母親と同じ星塚敬愛園転所。現在に至る。1980年アララギ短歌会入会。『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『吾亦紅』(平成11年)



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揚げ出し豆腐


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熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、片栗粉をつけた豆腐を置き、まわりにネギを散らし、極弱火で10分、裏返して10分焼いて、タレをかけ、火を止めて余熱5分で出来上がり。
タレは大さじ3の醤油、大さじ1のみりん、大さじ1の酒、ダシの素を入れて混ぜた。

簡単すぎ?フライパン一つの揚げ出し豆腐を参考にした。



カブの甘酢漬け


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カブはスライスして塩をふってもみ、途中で何回かもみながら、しんなりするまで1時間以上置き、水気をしぼりながら瓶に入れ、ユズ1個の皮をすりおろす。
その間に甘酢を作る。
鍋に1カップの水を沸騰させて火を止め、削り節を入れ、15分ほどして出し殻を捨て、出し汁を鍋に戻す。酢を120CCと蜂蜜(砂糖なら50g)を入れて溶かし、冷めたら瓶に注いで出来上がり。明朝には食べれる。今の時期なら常温で7~10日ほど保存可能。



ニンジンとヤーコンの酢醤油和え

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ニンジンとヤーコンは拍子木切りする。ヤーコンはアクが多いので3分ほど水にさらす。ニンジンとヤーコンを鍋に入れ、水から煮て、煮立ったら弱火にしてニンジンが柔らかくなるまで煮る。
ボールに大さじ3の醤油、大さじ2の酢、大さじ1のレモン果汁、各大さじ1の酒とみりんを入れ、蜂蜜を入れて混ぜ、茹でたニンジンとヤーコンを入れて混ぜ、市販のすりごまを大さじ6ほど入れて混ぜて出来上がり。

農家のレシピ・ニンジンの酢醤油和えを参考にした。



ホウレンソウのおひたし


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ホウレンソウと卵のソテー

 
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古田徹也の言葉と生きる


 朝日新聞 1月28日 24面


「自粛を解禁」の奇妙さ


昨年、一回目の緊急事態宣言が解除された頃、多くのマスメディアで「自粛を解禁」という見出しや文言が躍った。



これは奇妙な言葉だ。「解禁」とは禁止を解くことであり、自ら進んで粛んでいたことには適用されないはずなのだから。
とはいえ、この誤用にはそれなりの背景もうかがえる。



昨年来、この国の行政府は、さまざまな活動の自粛を市民に要請してきた。



しかしその際、各県の知事などの口からは、「自粛を徹底させる」、「自粛の要請に従ってもらう」、「要請を守らない場合には」といった言葉が平気で発せられてきた。



要請には自主的に応じるものであり、従ったり守ったりするものではないにもかかわらず。



つまり、「自粛」や「要請」という言葉がいま、「禁止」や「命令」という意味にねじ曲げられているということだ。



自粛に対する「解禁」という誤用は、その歪曲がもたらしたひとつの結果とも言えるだろう。



事実上禁止や制限をされたことから解放されたいと願う人々は、緊急事態宣言の解除前から、SNSなどで自然と「解禁」という言葉を多用していた。この言葉こそが、自分たちの気持ちに何よりもぴったり合うものだったからだ。



マスメディアは、そうしたやむにやまれぬ誤用を漫然と反復した。



しかし、その本来の役割は、「自粛」や「要請」の歪曲を、その原因も含めて批判することであるはずだ。

(哲学者)



この言葉は政府が休業補償や収入の損害補償をしたくないという「現れ」だろう。こういう言葉づかいをして、「自粛警察」に目を光らせてもらうという、日本独特の「同調圧力」をしかける為政者の「持って行き方」である。


つまり、為政者は第三者的傍観の態度をとり、両隣の人同士をけん制させるという、戦前や戦中の統治の仕方と同じである。


マスコミはこの言葉の意味するところがわかっていても、政権に忖度して、その言葉の使い方を追求せずに、うやむやにしておく。


こんな場合、(1)中国  (2)韓国  (3)台湾  (4)英国  (5)ドイツの持って行き方(処方箋)はどうなのかを記事にすべきだと思うが、マスコミは自民党政権には反政府的な行為はまずしない。財界のバックが少ない民主党政権だったら歯に衣着せぬ批判をしていたと思う。


つまり、財界の強いバックアップがある政権という立場を勘案しながら記事にする。日本のマスコミは政権から独立していない。戦前からの流れ・・・である。


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今日のBTS(再5)  12

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No Nukes 原発ゼロ

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星塚敬愛園  宿里禮子さん(5)



らい予防法廃止と聞けば改めて思ふ療園に生き来五十余年を




心幼く病むかなしみも知らざりし島の療園吾になつかし
(最初は長島愛生園に入所した)




人は皆寂しきものと思ひつつ山に没りゆく夕日見てゐつ




取り寄せし戸籍謄本に今日は見る会ひしことなき義弟二人の名前




らい園に病みし病歴かくすなき君の訃報読む今朝の新聞に




らい園に一生勤めしが私の勲章と君のみ言葉亡き後に聞く




らい予防法廃止となる日待ちし友ら今年逝きたる二十一名




生きてゆくものの営みかなしけれバッタを引きて蟻が群れゆく




日めくりに顔近づけて衰へし視力を今朝は夫のかなしむ




ハンセン病の一生をひたすら歌によりし亡き君の歌集今宵ひもとく



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リメイクしてカレー

 
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昨日のおでんは少し別鍋にとり、炒めた魚ソーセージとルーを1個入れ、カレーにした。


煮卵

 
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残りのおでんは汁を少し捨て、卵2個とネギを入れて煮た。



ダイコンおろし、ニンジンおろし

 
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サワラのアラ汁
  
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アラの残りを使った。

ダイコンとニンジンの千切りを鍋に入れ、水と出汁の素を入れ、煮立ったら弱火にして15秒湯通ししたサワラのアラを入れ、15分煮て味噌を溶き入れ、ネギをふって出来上がり。



ホウレンソウのソテー
 
2021-01-28 003 

ホウレンソウのおひたしを油を入れずに乾煎りし、傍らによけ、真ん中にバターを入れ、溶き卵1個を入れて炒め、醤油で味付け。


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弧族の国(2)


2010年 12月26日 朝日新聞


ここに書かれている男性が健在なら現在65歳。東北や南九州では働く場所が少なく「集団就職」もまだ残っていたのだろう。当時の日本は日進月歩の高度成長の時代で、たった5~6年の違いで、中学校を出ると都会へ就職していく人も多かったようだが、ここ瀬戸内市のぼくの年代ではすでに大半が高校進学の時代に入っていた。




死んでも 独り

 駐車場に止めてあった軽自動車の中から男性の遺体が見つかったのは、6月25日のことだった。3ヶ月間、放置されていた車のドアミラーには、ツタのような植物が絡みついていた。


神奈川県逗子市の公園の一角。駐車場の前は県立高校、隣には保育所がある。毎日、数百人もの人が車の前を行き来していた。だが、犬を散歩させていた近所の男性が「臭いがする」と通報するまで、警察や市に連絡はなかった。

後部座席に敷かれた布団で寝たまま、遺体はすでに身元が分からないほど腐乱していた。


DNA型鑑定で身元は特定できたが、遺体の引き取り手はおらず、逗子市が火葬して遺骨を預かっている。


佐藤正彦さん、享年55。なぜ、このような最期を迎えたのか。引き取り手のない「行旅死亡人」として官報に記された以前の住所を訪ねた。


木製の窓枠がきしむ、2階建ての古いアパートだった。昔からの住人は、借金の取り立てが佐藤さんのところに来て、部屋を荒らしたのを覚えている。


2001年ごろ、佐藤さんは荷物を残したまま、姿を消す。部屋の玄関に積まれたままのスポーツ新聞には、求人欄に印がつけられていた。


さらに、本籍地の秋田県北部へ。佐藤さんが育ったトタン張りの実家は窓が割れ、人は住んでいなかった。約10キロ離れた場所に住む姉(62)を探し当て、話を聞いた。4人きょうだいの末っ子だった佐藤さんは1970年に地元の中学を卒業するとすぐに上京し、働きはじめたという。地方の若者が職を求めて大量に都市に移り住んだ時期である。


その後、実家への連絡は途絶えた。親の葬儀にすら出なかった佐藤さんが出し抜けに姉の元に現れたのは、昨年の夏。事前の連絡もなく、東京で亡くなった兄の遺骨を携えていた。郷里での滞在はわずか3日。菩提寺で納骨を済ませ、再び軽自動車で帰っていった。

姉が仕事や住まいを尋ねても、決して答えることはなかった。


兄の勤務先だった都内の塗装店を訪ねると、佐藤さんの生前の姿がおぼろげに浮かび始めた。


上京後も4歳上の兄を頼り、時にお金も借りていたという。一つの職が長続きしない弟に困りながらも、兄は連絡がつくように携帯電話を買い与えていた。


「弟は上京した当初は国鉄関連の溶接工として働き、収入もよかった。でも目をけがして転職せざるをえなかったんです」。塗装店主は、そう兄から聞かされた。


その兄が昨年3月に亡くなると、佐藤さんはエアコンが壊れた軽自動車で、兄のお骨を郷里に届けに向かった。片道約700キロの道程、兄の骨と二人きりで、何を考え続けたのか。その胸中を知る人は、いない。


佐藤さんの生存が最後に確認できたのは、兄の死の約1年後の今年4月9日。神奈川県警によると、姉に電話をかけた記録が残っている。「ご飯を食べるお金にも困っている」。姉が「私も困っている」と答えると、電話は切れた。司法解剖の結果によると、軽自動車の後部座席で生涯を終えたのは、その直後。病死だった。


生活保護を受けて暮らす姉は「弟を迎えに行きたいけれども、逗子まで行くお金も力もない」と話した。
県警はもうひとりいる姉にも連絡を取ったが、「縁が切れているので」との返事だった。


郷里に残る墓には、墓石がない。目印となるのは、佐藤さんが兄のために立てた卒塔婆と、姉が今年の墓参りで並べたコップ酒や缶ジュースだけだ。佐藤さんの遺骨は今、そこにはなく、厨子市郊外の遺骨安置所に眠っている。

「終のすみか」となった軽自動車は、市役所が業者に頼み、処分をした。



10年前にこの状況だから、現在の状況はもっとすさんでいるだろう。佐藤さんの場合、どこに援助を求めていいのか、それすらもイメージできなかったのかも知れないし、最初から支援は諦めていたのかもしれない。セーフティネットの無い社会だと思う。社会の底辺では団結して何かを求めることも進めることもできず、それを側面から支えてくれる人も少ない。

田舎では食べていかれないから都会へ出てきたのだが、田舎もすでに戦前、戦中、戦後2~3年間のような「自給自足」はできない時代で、生活様式は都会と何ら変わらない。

住む家も、住む公園も、生活していく手段も、「正規雇用」という社会の枠組みからはみ出てしまうと、どうやって生きていいのかわからなくなる。

親の収入や教育の格差が、子供の現状に現れて、それがまた孫の世代に受け継がれる。


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今日のBTS(再5)  11

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澤藤統一郎の憲法日記

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星塚敬愛園  宿里禮子さん(4)



食細き母に雑炊たきて行く今日は摘み来しよもぎを入れて




古きアララギに兄の歌探し下さりし
青木伸一さん思ふ兄の忌近く




俯せになりて眠る癖吾に似て姉と床並べ寝る五十年振りに




知覚大方失せしと思ふわれの身の背中しきりに痒き一日




年年に咲くを待ちゐし彼岸花のとき待たずして母は逝きしか




麻痺の手の棘を抜かむと医師君は痛覚の有無を先づ問ひ給ふ




父の手に縋り泳ぎし日もはるか魚筏浮かぶ故里の海




日脚やや伸びて射す日の暖かし療園の早き夕餉のひととき




音もなく雨降る午後を夫のこもる部屋より聞こゆ軍歌の曲の




吾が誕生日祝ひて君より葉書来ぬ聖書の短き言葉を添へて





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おでん


2021-01-27 002
 2021-01-27 009 2021-01-27 012

昨日、スーパーで買い物中に、おでんを食べたいなあと思って鶏肉を買った。

鶏肉を買うのは年に1~3回ほど。

ダイコン、ニンジン、赤カブ、ヤーコン、キクイモを鍋に入れ、水を入れ、醤油を少しと、砂糖、酒、みりんを入れ、ダシの素と削り節を入れ、生姜1片をすりおろし、煮立ったら15秒湯通しした鶏肉を入れ、弱火で25分煮て、味噌を溶き入れ、ユズ1個の皮をすりおろし、さらに10分ほど煮て出来上がり。
   


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身辺整理中  孤族の国(1)


朝日新聞 2010年12月26日  2面


日本の宿命


今の姿は半世紀前に宿命付けられていた。

「集団就職列車で東京に向かう日。列車が走り出したら、ホームをお袋が懸命に走ってくるんです」。90代の母を介護する60代の男性が語った思い出だ。

戦後、地方から都市部へ流れ込んだ大勢の若者たちは「金の卵」と呼ばれ、懸命に働き、消費にも励み、団地という新しい住まいで夫婦と子ども2人の「標準家庭」を築いた。

「団塊の世代」が成人する頃、日本に高度経済成長の花が咲いた。

都市部の集合住宅で家電製品に囲まれて住む核家族はいわば、高度成長が導いた生き方だった。半世紀がたった今、その団地やアパートで孤独死が頻発する。

戦後の人口急増や都市への大移動は経済成長に必須の条件だった。それが裏返しとなり、負の要因となって社会を覆っている。


新しい生き方探す時

経済成長に過剰に適応したとも指摘される人生の形は、男性によりはっきり表れている。首都圏有数の大規模集合住宅・常盤平団地(千葉県松戸市)の自治会長として孤独死予防センターを設立した中沢卓実さん(76)は言う。

「日本の男性は退職したら家に閉じこもり、ないない尽くしになる。あいさつしない、友人ない、連絡しない・・・」

会社という「疑似家族」に人生の大半を委ねることができた世代は、まだいい。不安定な雇用に直面する若い世代は、人生前半で働く場から排除され、仕事と結婚の扉の前でたじろぐ。



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今日のBTS(再)  10

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毛ば部とる子

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星塚敬愛園  宿里禮子さん(3)

 


雑煮をば夫と祝はむと帰り来ぬわが手術後の身を励まして




着る日なき着物おさめし行李ひとつ解くこともなく五年過ぎたり




検温の終ればなすなき病室に遠き林の蝉しぐれ聞く




「お母さん」と子の無き吾を呼びくるる介護員あり心に沁むも




麻酔より覚めたる朝を眼にしみて降る牡丹雪飽かず眺めき




抱かれて眠りし幼き日の記憶甦りくる父の命日




南国の少女の歌と吾が歌を評せし
津田治子に逢ひたかりき




麻痺の手を胸に温め眠る夜かなしき癖のつきし思ひに




粥一匙食べては居眠る母の辺に心もとなき時ながれゆく




折折に眼開きて吾を見る意識なき母の遠きまなざし




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ホワイトシチュー


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熱した無水鍋に油を入れ、ニンニク1片の粗みじん切り、15秒湯通しした豚肉100g、タマネギの順に炒め、タマネギがしんなりしたら残りの野菜(ジャガイモ、ニンジン、カブ)を入れて炒め、全体に油がまわったら火を止めて、薄力粉を大さじ4~5入れて2分ほど混ぜ続け、牛乳を入れて点火し、コンソメ2個を入れ、混ぜ続けながら、少し煮立ってきたら極弱火にして30分余り煮て塩・胡椒で味付けして出来上がり。
無水鍋で作ると、蓋が重いせいか、牛乳が吹きこぼれないように思う。



ホウレンソウのおひたし


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ニンジンおろしとダイコンおろし

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目玉焼き

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付け合わせはホウレンソウのおひたしで、醤油で味付け。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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