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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

猛虎一路


 
朝日本維新聞


猛虎一路さんが書かれているように、12月30日の朝日新聞(全国版)を見てぼくもそう感じた。


今回だけでなく、朝日新聞の維新バックアップのような記事が折に触れて気になる。


他の人はそう思わないかもしれないが「鳥瞰」すると、強く感じる。


朝日と毎日に関して、リベラルの仮面をかぶった保守と感じることも多い。



いつの頃からか、新聞はすぐに信じて受け入れたりせず、「自分ならどう考える」と常に対比しながら、批判的に読むようになった。



記事をそのままに受け入れることは、とてもできない。




(1)登場してくる論客の名前を見て、読まずに「スルーする」ことが自分は多い。

(2)韓国の文政権に対するネガティブな記事が多く、手本にしたり、称賛するような記事はあまり載らない。

(3)現政権に対する批判記事が概して弱く、批判すべき個別の事態も一過性で終わってしまう。

(4)朝日に関しては気位が高く、権威主義である。投書欄に関しても「趣旨を変えない範囲で訂正することがあります」と朝日、毎日、ともに投書欄に書かれており、朝日は無断転載禁止の要項もある。
転載希望の投書も多いと思うが、そういう声は反映されない。



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ブリの照り焼き


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熱したフライパンに油を入れ、15秒湯通ししたブリに片栗粉を付けて置き、裏表7分ずつ焼いて、タレ(醤油、砂糖、酒、みりんを各大さじ1)をそれぞれにかけ、火を止めて余熱5分で出来上がり。



ブロッコリー

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太い茎の部分は薄切りする。

沸騰したら茎の部分を先に入れて1分半、その後、花つぼみの部分を入れて1分半茹でて、湯切りして出来上がり。



目玉焼き


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まわりにホウレンソウのおひたしを置いた。醤油で味付け。
 

夕方、年越しそばを作って、12月31日の料理が出来上がり。 


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五木寛之さん 「寄稿」の続き


目のことはあきらめかけていたが、ちょっと空いた時間がとれ、唐突に眼科を訪問し、唐突に白内障と言われ、唐突に手術の決断をしたが、ピンチはチャンスにしたい。


運転はまだしないようにと言われているが、田んぼくらいは裸眼でいける。


ただ、眼鏡はかけていないが、度なしの防御眼鏡はかけている。 


料理も禁止されているが、防御眼鏡をすれば、油も飛び散ってこない。


毎日定番の、味噌汁、ダイコンおろしとニンジンおろし、ホウレンソウのおひたしの他に昨日はバターナッツナンキンを無水鍋で煮た。


今晩はすき焼きだった。

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千切りしたダイコンとニンジンをフライパンに入れ、水と出汁の素と削り節を入れ、醤油、砂糖、酒、みりんを入れ、煮立ったら弱火にして5分ほど煮て、ざく切りしたハクサイとネギを入れ、15秒湯通しした牛肉100gを置き、強火で、ハクサイがしんなりしたら混ぜて弱火にし、7分ほど煮て出来上がり。


まだ目をかばった生活をしているので、日常生活に支障がある。年末の片づけも墓掃除もできなかった。今日しようと思ったが、強風が吹き荒れて何もできなかった。


夜9時ごろに寝床に入ったら朝4時頃にめざめる。目のためにはこんな生活の方がいいのかもしれない。



五木寛之さんは寄稿の中で、

『思えば私が若かった頃、1960年代から70年代にかけては、いうなれば、夜の黄金時代だった。

深夜の映画館には学生たちが押しかけ、アングラの舞台には殺気さえ漂い、朝まで活気のある店が軒をつらねていた。作家や映画人などが集って「24時間講演会」などという催しをやったこともある。

徹夜麻雀は日常だった。盛大に唾をとばしあいつつ議論し、肌をこすり合わせるようにスクラムを組む。

そんな時代が過ぎ去ったのちも、夜は長く自由の天地だった。』

寄稿には東京・歌舞伎町の写真も載っていた。



大阪にいた7年ほどの間、ぼくは夜の街にほとんど出かけなかった。何か、身を持ち崩しそうな気がして、近寄ってはいけない場所と思った。

近寄らなかったが、その空気感は大好きで、黒岩重吾さんの「釜ヶ崎シリーズ」は文庫本で5冊以上読んだ。面白くて止まらなかった。最後は決まって悲劇的な結末だった。

黒岩重吾さんの描いた釜ヶ崎の風景はもう残っていない。殺風景で殺伐とした、人間臭のない空気が街中に漂っているだろう。


夜の盛り場は、なくてはならない場所でもあった。しかし今、コロナによって、夜の街のネオンが消えようとしている。行き場のない人間を包みこんでくれた場所でもあったが、コロナによってそんな街が根こそぎにされ、そこを生活の基盤にしていた人たちは、白い社会に放り出されてさまよい続ける。

ここを出て、どこで生きていったらいいのだ


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8群が越冬中

  
2020-12-30 008 2020-12-30 013 2020-12-30 015 

田んぼの3群は、正面以外の3面に段ボールを置き、プチプチのポリで覆って寒さ避けをした。

少し雑な寒さ避けだが、毎年、このようにしている。なお、山の5群は寒さ避けをしていない。山の中は田んぼに比べて暖かいし、風当りもさほど強くない。


10月下旬に採蜜した1群は1ヵ月ほど後に消滅した。この群だけ、オオスズメバチの襲来が多かったが、2年目の群で、今年まだ採蜜をしていなかったし、5段になっていたし、最下段の開閉扉を開けた時に蜂球が見える状態に巣が伸びていたから、採蜜をしておいた方がいいと判断したが、この群にだけオオスズメバチの襲来をよく見かけたということは、見かけとは違い、弱い群になっていたのだと思う。

オオスズメバチは群の強い弱いをすぐに見分ける。近くの4段の群には、襲来しても、巣門のまわりに止まることはなかったから、4段でも簡単には近寄れなかったのだろう。

採蜜をしなかったら、越冬していた可能性が高く、自分の注意力不足だった。


残りの8群に関しては、昨日、最下段の開閉扉を開いて底板の掃除をしたが、全ての群で威嚇があったので、順調に推移していると思う。

今でも10度を超える時間帯には、巣門からの出入りがある。

45日後の2月中旬頃には活発な出入りが始まり、その45日後には第1分蜂が始まる。


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夜の世界には もどれないから


12月25日の朝日新聞に、五木寛之さんの「寄稿」が載っていた。題は、

夜の世界には もどれないから

「蜜」へのノスタルジー 捨てて生きる


1932年生まれだから、1953年生まれのぼくより21歳年上の、
おん
年88歳か。でも文章がとてもみずみずしかった。

九州の筑豊の炭田から上京・・・「青春の門」が特に有名であるが、ぼくは読んでいない。

作家ではとてもかっこいい人だ。ヘアスタイルや格好が(現在の写真ではない)。

寄稿の中で、
『新型コロナの流行以来、「三密」という言葉が忌むべきものとして喧伝されてきた。しかし「三密」とは、仏教用語として長く大事にされてきた言葉である。

もともと密教系の言葉だが、それだけにはとどまらない。「身・口・意」の三つの世界は、「からだ」と「ことば」と「こころ」と読みかえてもいいだろう。法然の口称念仏にも、親鸞の信心為本にもつながるものがあると私は思っている。』
と書かれていた。



中学、高校時代に「三密」の世界で過ごすことができなかったら、その後の人間関係の築き方もわからないのではないか。

人間が人間になれないような・・・

「青春の門」の入り口で「三密」が許されなかったら、人間関係の築き方をどのように教えられるのだろうか。

今の30代後半~40代前半の人が「ロストジェネレーション」と呼ばれて、正社員になれず、4割ほどの人が非正規社員らしいが、現在の中学生、高校生、大学生は「三密疎外ジェネレーション」とでも呼ばれて、近い将来、社会問題化するような気がする。

人間関係も変わっていかざるをえないのだろうか。

五木さんは末尾に、

『最近、よく目にする言葉に「ニューノーマル」というのがある。異常な状況が終わっても、世の中はそれ以前の常態にはもどらない、という考え方らしい。つまりコロナの流行が終わっても、以前の暮らしにはもどらない、というのだろう。新しい日常がはじまるのだ。

私はこれまで、昼間は行動の世界、夜は想像力の世界、と勝手に決めていた。しかし、それも変わる。
これまでの生活はもどってこない。そう覚悟するしかないだろう。
<覆水盆に返らず>という言葉を思い出してしまった。「蜜」な世界へのノスタルジーを捨てて、アサッテの世界を思いつつ昼の時間を生きている。』

と書かれていた。


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狭い交友と行動範囲で生きてきた



振り返ってみれば、過去も現在も、狭い交友と行動範囲の中で生きている。


農業を始めてからは、とにかく農業売上に必死となり、よそ見をする暇はあまりなかった。だから自然と、人との付き合いも限られていた。


農業を始めた頃に知り合った数人とつながりが続いている程度である。ただ、車で1時間ほどかかるので、年に1~2回会う程度だった。


それでもハウスは持たなかったので、1月、2月、3月中旬頃まで「農閑期」ができ、その間に農業に付随した何かを考える余裕の時間があり、毎年、農閑期には何かを試みてきたが、それが経済につながることは少なく、人間関係もあまり広がることはなかった。


一時、農業ルポライターをめざそうとしたこともあったが、それはすぐに断念した。


農業をしている人は、大なり小なり、他の農業者には真似のできない、一種独特の何かを持っており、それが他の農業者にはなかなか真似ができないと思う。


その一種独特のものにすがって、農業継続に懸命になる。つまり多くの農業者には独特の得意があって、それが他人にはなかなか真似ができないし、それを言葉にして表すことが難しく、単純に賞賛したり、圧倒されたりでは、読んでくださる人の心に何も届かない。


還暦を過ぎた頃から「農業一筋」を続けていくことに、体力的にもきつくなり、農業だけしていたのでは何も残らない気がした。農業本体でも稼げていなかったので、頑張ることがばかばかしい気にもなった。



農業をすることは、他のことをする余裕がなくなるほど、忙しいと思う。


だから、田んぼと家との往復のみ・・・ということも多い。


あまり出歩くこともなく、人付き合いが増えていくでもなく、小さな行動範囲と小さなネットワークの中で生きてきた。


それは「後悔」というものではなく、自分が希望したものでもなく、人生の流れの中で自然とそうなった。


狭い小さな世界で生きてきたが、意外にも?、充実した日々になっている。


経済的なこともあり、体力的なこともあって、外の世界はもっと小さくなったとしても、頭の中は誰でも無限である。妄想するのも自由である。


無理をすることなく、小さな行動圏で生き生きと動き、無理をすることなく新たな人と出会えるのも、ブログ発信を続けながら里山のすぐそばで農業ができているおかげ。


多分、本に関してもせいぜい「十数冊の本との出会いによる記憶の沈殿」という狭い小さな関わりに過ぎないと思う。


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人生相談 高橋源一郎


毎日新聞に載っている高橋源一郎さんの「人生相談」がおもしろい。


はっとした質問の時には、回答をすぐには読まず、自分ならどう考えるだろうかと、ちょっとの間、自分の回答を考えてから、高橋さんの考えを読み始めるのに、今日はすぐに回答を読んでしまった。


これでは何の役にも立たないし、記事のことが頭に残らない。


自分の回答を考えてから、高橋さんの考えを読むと、自分との「思考の深さ」の度合いが見えてくるし、考え方の相違もよくわかる。


だから、今回はとても残念だ。


これから、相談者の質問事項だけを書きます。高橋さんの回答(回答というのは語弊で、単に高橋さんの考えと言った方が適切かも知れない)は、末尾に書きますので、3分ほど目をつむって、自分なりの回答(考え)を導き出してから、高橋さんの考えと読み比べてみて下さい。


これをしないと、読んでも全く役に立たないし、この話が頭に残らないし、他人はどう考えるかという視点の置き所も、自分の身につかない。




【質問】
パパ活する女性 許せない

デートや性行為の対価として男性からお金をもらう「パパ活」で稼いでいる女性にイライラします。友達の話では、パパ活で稼いでいる女子大生は少なくないそうです。子どものころからまじめに勉強してきた学生よりも、パパ活女子が稼いでいる事実が受け入れられないです。こんな私のどうしようもない葛藤をなくせる考え方があれば教えていただきたいです。(22歳 男性)





















「パパ活」ですか。確かに感心しませんね。それが知り合いの女の子なら「やめたほうがいいね」と忠告するでしょう。
自分の娘なら「やめなさい」と強く忠告するでしょう。
その理由は、相手から「見くびられる」からです。また、自分も相手を「見くびる」ことになる。
そして、そんな「負の関係」の中にいると、人は魂を病むことになるからです。
けれども、そんなことでは、イライラしたりはしないと思います。だって、この世界には、もっと大きな不正がまかり通っているのだから。

あなたは、なぜ、「もっと大きな不正」にその憤りを向けないのですか?
それは、あなたの関心が、社会ではなく、「パパ活をしている女性」、あるいは、若い女子大生に向いているからですね。
「稼いでいる」ことが受け入れられないのではなく、「子どものころからまじめに勉強してきた」自分に振り向いてくれないのが受け入れられないのですよ。
でも、仕方ありません。だって、いまのあなたには、なにもないのだから。

ガッカリしましたか?
残念ですが、学校で「まじめに勉強」することと、人間的な魅力を持つことの間にはなんの関係もありません。
でも、大丈夫。みんなそこから始めるのだから。
ネガティブな感情に支配されないように。まず、日の当たる場所にある、好きなもの、楽しいものを見つける旅に出てください。
(作家)





ぼくの人生では、これができていなかった。すぐに回答を見ることが多かったので、勉強もできなかった。

農業の現場でも、自分でやってみようとせず、すぐに人に依存して、まず自分で「してみる」という行為が少なく(自分にはできないという先入観が強すぎた)、そのことが結局、いつまでたっても進歩のない状況につながってしまった・・・



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今までの眼科の経験を総動員して


眼科まで45~50分ほどかかり、タクシーで往復すると1万円を超えるので、夜勤明けや宿直明けなど、妻の仕事の都合に合わせて連れて行ってもらっている。


1月10日頃には自分で運転して行けると思う。


良くなっても、2週間に1回とかのペースで通院する必要がありそうで、生涯のご縁になるかも知れない。


理髪店は岡山へ帰ってから40年ほど同じ店に通い、歯科医も40年ほど同じ歯科医だったが、2年ほど前に亡くなられてから、家から30分ほどかかるが、あることで知った歯科医に通うようになった。


それに比べて、眼鏡店と眼科は、ころころ変わってきた。


「意思の疎通ができる」医師になかなか出会えなかった。
今回は、藁をもすがる思いだった。あきらめかけていた気持ちもあったので。


初めての眼科医だったが、その医師を、己の全身で見て、感じて、触感的に判断するようにした。


白内障と言われて、手術するかどうかの判断を迫られた時も、瞬時にしようと決めた理由は、診察を受けた時の触感というか直感のようなものだった。医院の通院者、看護師、医院全体の雰囲気や概観もそれに加わった。


まだ、この手術がよかったかどうか、月日が過ぎてみないとわからないが、判断は、自分の今までの経験や、今までに出会った眼科医の中で考えて、そして与えられた自分の境遇の範囲内(自宅からの距離や、自分で運転できないので家族の運転やタクシー利用等も含めて)選択するしかない。


白内障の手術は片目が4万~5万円ほどかかり、その後の通院医療費や薬代もかかるので、健康保険があっても安い金額ではない。


白内障の手術は遠目か近めのどちらかに焦点を合わすことができ、ぼくはパソコンや新聞を読む近めに焦点を合わせてもらったので、遠目は今まで通り眼鏡をかけることになる。


眼科医は、岡山市内のK病院、備前市の眼科、瀬戸内市の眼科、瀬戸内市の病院、西大寺の眼科と、この30年のうちに、何度かお世話になってきたが、そのいずれへも行こうと思わなかった。だから今度はどこへ行ったらよいのか大いに迷った。


どうしたらいいのだろうと妻と話しているうちに、義母が気に入っているという眼科へ「とりあえず」行ってみようと思った。


よかったのかどうかは月日が過ぎてみないとわからない。しかしもう「その後」にはあまりこだわっていない。自分がくだした決断だから。


タクシードライバーとの会話の中でも、大きな病院がいいとは限らないと思った。


選択肢が少なくなった状態の中で、自分の今までの(眼科の)経験を総動員しながら、全身で判断するようにした。


白内障は簡単な手術と言われているが、だいたいは75歳くらいまでの手術がすすめられていて、80歳以上は極少ないようだ。簡単な手術とは思えず、手術の決断は、どこの眼科や病院を選ぶかを含めて、何人かの経験者に話を聞いた方がいいと思う。


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何かにつまずいて・・・崩れていく


怒りっぽくなった

さっき言われたことを、5分もしないうちに忘れて聞き直した

妻の車からタクシーに乗り換える時、眼科へ持参する自分の持ち物を忘れた

独り言が多くなった

誰もいないとき、独り言の声が大きくなった


何かにつまづいて・・・

人は崩れていくのか

でもそれは認めたくない


中学校の頃、負数の計算や因数分解につまづいて、数学は理解するものではなく暗記するものになったのもこんな感じか



しかし、まだ〇〇症の始まりとは認めたくなんかないし、そんなことにこだわってもいられない。前だけを見据えて進む。


まだ、社会や政治への関心は薄れていない。


ただ、新聞は数日でも離れると、政治の感覚が鈍るし、「自分の中での継続性」が途切れると「感」もちょっと狂う。


手術が終わったばかりで、字も読みづらく、大見出しや小見出しだけ見て、中の内容までは目がついていかない。


午前2時半、草木も眠る丑三つ時・・・こんな時間に毎日目覚めるのは、9時頃には寝床に入るから。


寝れなくて、パソコンの前に座った。


今日のコロナ感染状況を確認して、天気予報を見て、メールを確認して、
晴天とら日和をチェックして、ブログを書き始めた。


まだ、目がぼやけて入力しづらい。




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白内障は生活習慣病だった



白内障は、ブログ依存症による、目の積年疲労だったと思う。


眼鏡のせいにしていたが、ここ1年半ほどの間に、白内障が徐々に進行していたのかも知れない。


夜4時間というパソコンは、昼間に2時間、夜は2時間の半々に分け、遅くとも夜9時にはパソコンの前から離れる必要があるようだ。



白内障は簡単と聞いていたが、目なので、やはり怖かった。20分ほどで右目の手術は終わったが、後に先生が検診に見えられて、「水田さん、かなり力はいっていましたね」と言われた。


ビビったり、恐れたり、怖がったり、緊張したり、力んだりするのが自分の特性で、控室で手術のモニターテレビを見ていた妻が「あんた、いつもそうじゃがあ・・・、前の人は全然動かなかったのに、動くばっかりして・・・」と、先生が出て行ってから言う。

それを聞いた看護師が「え、モニター見ていたんですか。よう見ない人が多いのに」・・・と。


明日は左目なので、 もう一山超えなければ。



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白内障の手術のため更新はちょっとお休みします



いつもご訪問、まことにありがとうございます。

18日に右目、23日に左目の白内障の手術があり、

用心して、安静にした日々を過ごしたいと思います。

できそうであれば、ブログの更新をするつもりです。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。



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今年はシミュレーションで大阪彷徨



 毎年、年が明けた1月中旬頃に、高速バスを利用して大阪1泊2日の「60代の彷徨」を楽しんできた。


ホテルは黒門市場が目と鼻の先にあり、道頓堀まで歩いて5分ほどの場所にある。


しかし大阪のコロナ感染は多いので、今年はシミュレーションだけの彷徨にする。


彷徨だから、単に「土地勘のある場所」を歩き回るだけ。現在と過去を行ったり来たりしながら。


大阪に住んでいた頃、まさか将来、農業者になるとは想像もしなかった。


組織人として生きることの難しさが、30代の「農業のひらめき」につながった。



自分の農業は「ビジネスとしての農業」というより「自分の癒しや楽しみのための農業」だった。結果的に・・・。


それでも、農業を始める1年前に妻が定職に就けれたので、我が家の生活はまわっていった。


自分の能力以上の120%を農業に費やしたが、農業仲間と比べると格段に見劣りがした。

ただ、農業自体は自分にとても合っていると思った。


田んぼにいると、コロナは全く関係ないし、誰か訪問者があれば、どちらかがマスクをすればいい。



コロナの今、農業ができることは本当にありがたい。すぐにすぐ農業はできないものだから。


山すその行き止まりの場所だから、通る人はほとんどいないが、道をふさいでいる電柵を開けることと、ニワトリに朝の食事を与えるため、朝食を食べたら「まず田んぼへ行く」必要がある。

何もすることがない人から見れば、これはうらやましい状況かも知れない。



田んぼという空間は確かに、心を洗われる。

朝の太陽を浴びて銀色に輝く野菜。

その野菜の顔色をうかがいながら、一回り、見て歩く。


物置の餌を容器に入れて、50メートルほど先の鳥小屋まで、真正面から太陽を浴びながら歩く。

待ってましたと我先に、足元にまぶれついてくるニワトリ。

こんなことを、身体が動かなくなるまで続けるだろう。



現役世代の地位も名誉も職歴も高給も、どれひとつ農業には及ばない・・・と思う。

その生産物を使って夕飯作りもできる。




青春の彷徨はそのまま古希の彷徨につながっている。


歩いても歩いても、ハードルを越えることができない


歩いても歩いても、何もわからない


歩いても歩いても、何も変わらない


歩いても歩いても・・・それでも歩いて歩いて、


歩き疲れて・・・それでも歩き回る


青春の彷徨も、還暦の彷徨も、古希の彷徨も、全然変わらない・・・頭の中が



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今日のクイーン(再7)  60

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阿修羅

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菊池恵楓園  中村花芙蓉さん(3)

 

焼き捨つる死者の義足や梅寒し




人知れず落葉と共に遺品焼く




マスクして故郷を出づる汽車にあり




顔面にひろがる麻痺や秋の風




ひきつって笑へぬ顔や曼珠沙華




死にさうもなし朝顔に水をやる




寒卵五六個残し逝かれけり




節分の豆のこぼるる義肢を脱ぐ




捨てて来し仔猫が先に戻りゐし




露の表札吾が偽りの名も古りぬ




日の匂ひ月の匂ひの牡丹かな




穿かぬまま去年となりたる義足かな




一枚の卒業証書もわれに無き




中村花芙蓉さんの略歴
菊池恵楓園 大正2年9月佐賀県小城郡生れ。昭和3年春、病をえて15歳で菊池恵楓園(当時九州療養所)に入所。望郷の思いや離別の悲しみに打ちひしがれていた昭和5年の春、盲人先輩の導きで句作を始める。昭和9年同病の女性と園内で結婚したが15年に愛妻が他界。句作活動は、「草の花」「鴫野」「ホトトギス」「阿」「水葱」「俳句作家」など俳誌に投句を続け、昭和63年に第17回「水葱賞」の第一席を受賞。後年、菌陰性となるものの神経障害などの後遺症で右眼失明、左眼も不自由の身となるが、持ち前の「老いの一徹に加えて皆を愛する温情」(菊池恵楓園長・熊丸茂)で句会の中心を担う。個人句集『句集ひとつぶの露』(平成元年)。合同句集『檜の蔭の聖父』(昭和10年)『俳句三代集』(昭和15年)『草の花句集』第二集(昭和26年)


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バターナッツナンキンの煮物

 
2020-12-15 002 2020-12-15 004 2020-12-15 006 

無水鍋に醤油、蜂蜜、酒、みりんと水を入れ、煮立ったら極弱火にして20分、火を消して余熱5分で出来上がり。

少し、水が多すぎた。


味噌汁

 
2020-12-15 008 

具材はダイコン、ニンジン、サツマイモ、シイタケ。



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積読(つんどく)



本はめったに買わない。


たまに買っても、机に積んでおくだけ。


いつか読むかも知れないが、読めないかも知れない。


2ヵ月ほど前、「電通の正体」をネットで購入し、「電通の正体 新増補版」を電子書籍のKindleで購入したが、どちらもまだ読んでいない。


買う時は読むために買ったが、その後忙しく、やっぱり読まずに机の上に置いている。


読もうというプレッシャーもなく、買わなければよかったという損をした感もなく、飾りでもいい。


これはその後、目のせいにした。多分、手術でかなり見えやすくなったとしても、当面は読まないような気がする。


本は楽しみのためや、単なる娯楽のために読むのが王道であり、自己啓発や将来の為にという義務感や教養のためだったら、それは読む時間の無駄と思う。


本を読んだからと言ってカネになるわけでもなく、将来の出世につながるわけでもない。


他のことをするより、本でも読む方が楽しくておもしろいと思う人だけ読んだらいい。


禅では、「一日千巻万巻のお経や陀羅尼を読むよりは、一念自心を見るにしかず」と教えている。この言葉は、読書と対峙する旗頭である。




朝日新聞12月12日の耕論(11面)で、永田希という書評家がおもしろいことを書いていた。

「積読こそが完全な読書術である」です。

キーワードは「積読」です。

買った本を読まずに積んである状況に、後ろめたさを感じる人は多い。

ただ書物は「読まれるために在る」と同時に「保存され、保管される」特質もあり、誰に読まれなくても中身が変わるわけではない。私はむしろ積読を勧めていますが、ただし「自分で積む」ことが条件です。

まず「積読」するために本を買って並べる。好きな作家をそろえたり、上限額を決めてとにかく買ったり、興味のあるテーマを決めて集めたり、その方法は自分で決めます。

積読の蔵書が増えてくると、パラパラめくったり、背表紙を眺めたりしているうちに、本と本の関係が見えてきたり、読んでみたいタイミングが自然に訪れたりします。



なるほど、ぼくのやっていることは「正攻法」なのだ。あなたも一緒に、本は買っても読まず、本棚か机に飾っておきませんか。

置いておくだけで、読んだ気分になる・・・そしていつか、本当に読むかもしれない。

人生の終末(終活)に読書はとてもじゃないが、出来ないと思う。その時は誰もが「一念自心を見るにしかず」の生活となる。


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今日のクイーン(再7)  59

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阿修羅

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菊池恵楓園  中村花芙蓉さん(2)

 

掛大根日々細りゆく窓に病む




ぼんやりと暮しゐる間に糸瓜へちま垂れ




古毛糸つなぐが如き命かな




若竹に流るる白き雲ばかり




闘病の五十年目の雑煮食ぶ




風鈴にぬぎそろへある義肢二足




仮の名で通す一生
石蕗ツワブキの花




病める手にもてあそびゐる胡桃かな




指の無き掌よりこぼるる雛あられ




見てゐしがついに踊りの輪に入りぬ





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ダイコンと練り製品の煮物


2020-12-14 002 2020-12-14 012 

熱した無水鍋に油を入れ、15秒湯通しした豚肉100gと乱切りしたダイコンを炒め、全体に油がまわったら水を入れ、醤油少々と酒を入れ、もらった練り製品を入れ、煮たったら極弱火にして20分煮て蓋を開け、味噌をみりんで溶いて入れ、さらに3分ほど煮て、ユズ1個の皮をすりおろして出来上がり。



目玉焼き


 2020-12-14 005 2020-12-14 014 2020-12-14 016 



ダイコンおろしとニンジンおろし

 
2020-12-14 007


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ブログランキングの他社への移動・・・



ブログランキングの表示方法の変更でモチベーションが少し下がっている。


この表示方法が続くなら、「日本ブログランキング」から「にほんブログ村」への移行も考えたい。


モチベーションが下がった理由は、週間INと週間OUTの表示方法が最近変わったから。




変更になった表示方法では、週間INが主体のランキングになった。


自分の場合、週間INは少なくても週間OUTでモチベーションを保持してきたのに、変更になった表示方法では、その週間OUTが見た目ですぐにわからなくなった。


他のブログを見る場合でも、順位は低くても、週間OUTが多いと、ちょっと見てみようという気持ちになったりすると思うが、それがわかりづらくなった。


自分の場合、週間OUTの数を日々チェックして、その数字の変動から、更新した記事のどれが良くて、どれがよくなかったかを自分なりに考えてきた(参考にしてきた)ので、自分の意に反する変更になった。

新しい表示方法が続くなら「日本ブログランキング」にとどまる意味がなくなった。



パソコンの先生にも相談して、今後、どのランキングシステムに移すか考えたい。もしくは他のランキングシステムと並行表示にしたい。


トップ10にはあまりこだわらず、10位前後にこだわりがあり、その場所に自分の居場所を見つけていた。それくらいの順位がプレッシャーもなく、楽しく思ったままを書ける。


10位前後というのはトップ3の次に目立つ位置だと、ぼくは思っている。


ただ、順位にはこだわっていないが、週間OUTの数字だけは特別にこだわってきた。これが自分の最も大切な点だった。それが今回の表示変更で見えづらくなったので、「日本ブログランキング」にとどまる理由がなくなった。


1ヵ月ほどかけて、自分の安住できるランキングの新しい居場所を探したい。



2030年 農業の旅→ranking



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今日のクイーン(再7)  58

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在野のアナリスト

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菊池恵楓園  中村花芙蓉さん(1)


8年ぶりに帰郷
山国の馬車の鈴の音帰省かな




妹の吾れになじまぬゆすらうめ




きび畑に母の声ある帰省かな




どろどろと阿蘇の地鳴や桑
くく




抱きよせてこぼるる萩を括りけり




風鈴の窓より貰ふ手紙かな




金魚玉看護婦長が映り来る




新患者火鉢に遠くかしこまり




春の夜明日断つ足をじっと見る




麻酔より醒めたる命菊匂ふ



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カブの甘酢漬け


2020-12-13 040  2020-12-13 031 

カブの甘酢漬けも、自分にとってなくてはならない冬の常備品である。

白カブ3個と赤かぶ1個は皮をむいてスライスし、塩をふってもみ、途中で何回かもみながら、しんなりするまで1時間以上置く。赤かぶを1個入れるだけで、全部がきれいなピンク色に染まる。

水気をしぼりながら瓶に入れ、ユズ1個の皮をすりおろす。

その間に漬け汁を作る。1カップの水を沸騰させて火を止め、削り節を入れて15分ほど置き、削り節を濾して鍋に戻し、酢を120CCと蜂蜜(砂糖なら50g)を入れて溶かし、冷めたら瓶に注いで出来上がり。冬の常温で1週間以上にわたって食べれる。



歳暮でもらったハム


2020-12-13 028 

魚焼きグリルで裏表4分ほどずつ焼いた。



レタス


2020-12-13 021 

くわしくは、焼き肉を巻いて食べるチマサンチュという品種。市販のドレッシングで。



ホウレンソウのおひたし


2020-12-13 024
 2020-12-13 026 2020-12-13 030 




目玉焼き

 2020-12-13 034 2020-12-13 036 、

付け合わせは水気をしぼったレタスと、ホウレンソウのおひたしで、レタスを先にさっと炒めて、ホウレンソウのおひたしを置き、真ん中に卵2個を落とす。

      


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眼鏡で困っています(2)



「 眼鏡で困っています」とブログに書いたのは2019年5月13日で、2人の方に助言を頂いた。


それから眼鏡店に行って、遠近両用と、パソコン用の中近の眼鏡を購入したが、眼鏡店では「合っている」と感じたのに、家に帰っていざ使おうとすると、どちらも合わない。


半年以内なら無料でレンズを交換してくれるので、変えてもらったが、それもやっぱり合わず、1日も眼鏡をかけずに終わった。



店を変えて、また購入したが、それでも、1回目、2回目とも、いざ家に帰って使うと、ピントが合わず使えない。


結局「8回」の眼鏡が無駄になり、眼鏡チェーンの店員さんは、眼鏡を合わせてくれないと落ち込んでいた・・・


眼鏡にそんなにお金を使い続けることもできず、結局、ずっと以前に買った眼鏡をかけ続けるはめになり、最近は午後10時を過ぎる頃には、パソコンの画面が少しぼやけて見えることも毎日のようになっていた。


このままずるずると放置していてはいけないと思いながら、ずるずると今日まできてしまった。1年半もの間・・・


もう、眼鏡店へ直接行っても、「度を合わせてもらえる」という確信が持てず、再々度、眼科へ行って、眼鏡店を紹介してもらおうと思ったが、時々行っていた眼科も、初めての眼科も、眼鏡店を紹介してくれることはなかった。

眼鏡が合わず、どうしたらいいのかわからない・・・と眼科医に話しても、こちらの気持ちが眼科医になかなか伝わらなかった。



また異なる眼鏡店へ行っても、「度を合わせてはくれない」・・・という確信

やっぱり再度違う眼科に行って相談にのってもらおうと考えたが、どこの眼科へ行ったらいいのか分からない。



妻とかんかんがくがくの話をして、今回はとりあえず、義母が気に入っているという眼科へ行くことにした。


いろんな検査を受けた結果、「白内障」と診断され、18日に右目を、23日に左目を手術(白内障は日帰りの手術)することになった。

この眼科医にお任せしようと思った。



ブログで目を酷使した積算疲れかも知れない。

手術では遠方か近くかどちらかに焦点を合わせることができ、近く(パソコン画面や新聞用)に焦点を合わせてもらい、遠方は今まで通り眼鏡で合わせることになる。


手術は不安だが、放置するわけにはいかない。



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今日のクイーン(再7)  57

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伊達直人

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菊池恵楓園  伊藤輝文さん(6)



この谷の水引く棚田いく世代此処に貧しく母は果てたり




夕くらき壁にかかれるうつしゑの母の歳に吾近づきぬ





つきつめて残りたる生を思ふとき茶碗をもちし手の震へたり




見ゆるものみな思ひ出につながりて峠にみおろす我の故郷




癩病めば強き主張も出来かねてわが山林の譲渡を諾す




帰郷などしてくれるなと言ひゆきし父の言葉の甦りくる




手萎えわれ口に硬貨を拾ひをり母見給はば泣き給ふべし



伊藤輝文さんの略歴
大正3年熊本県の緑川上流の村に生まれる。昭和6年県立農学校卒、8年県の農林関係の職につくが、朝鮮の咸鏡南道の朝鮮窒素会社に転じる。発病して帰郷、結婚。昭和33年菊池恵楓園入園。7月「檜の影」会に入会。34年7月「アララギ」入会。『海雪』(昭和35年)『檜影集』(昭和51年)『三つの門』(昭和45年)『山峡の石橋』(昭和57年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)。



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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