7月31日朝日新聞 ひと 小森美登里さん(63)

娘さんに対する最大の供養と思う。
お母さんの小森美登里さんにも、講演は最大の癒しと思う。
考えても、振り返っても、自分を苦しめるだけ
これ以外にない最大の前向きな生き方
講演回数が増えれば増えるほど、供養も癒しも増える
亡くなった現実は変えることができない
講演は一つ一つ階段をのぼっていくことなのか
のぼりつめた時、加害者をも、自分をも許せるのだろう
とっくに加害者は許し、自分との闘いになっているのかもしれない
時は解決してくれないし、時の経過によって気持ちが薄らぐこともない
講演が最大の供養になり最大の癒しになって、日々を支えてくれる
それにしても、この「いじめ」という現況は、きわめて日本的なものと思う。
戦時下の訓練という名のいじめ
村八分といういじめ
学校でのいじめ
職場でのいじめ
多くは逃げられない状況の時に起こる。例えば上のような状況の時、逃げ場がない。
これは日本人の体質か
江戸時代にもあったのか
明治維新後にはびこったのか
太平洋戦争という激しい現実に、いじめという防御本能ができてしまったのか
いつまでたってもなくならない、いじめ
いじめは日本特有のものなのか
韓国や台湾や米国や欧州のいじめはどうなっているのだろうか
「日本の常識は世界の非常識」から考えると、きわめて日本的なものかもしれない
以下に全文を書き写しました。
「一人娘をいじめ自殺で失いました」。
7月下旬、地元・横浜市の中学で、そう切り出した。1500回目の講演になる。
高1だった長女の香澄さんが命を絶ったのは1998年。同じ吹奏楽部の部員らから言葉で傷つけられていた。
なぜ守れなかったのか。自分を責めたが、娘の死を生かそうと決意。2003年、NPO「ジェントルハートプロジェクト」をつくり、講演を始めた。
話す相手の9割は小中高生。いじめる子の背景を想像することに重点を置く。「苦しみを抱えているかも」「悩みを話せる人がいたら」。加害者の傷を癒さなければ、いじめはなくならない。自らの経験からそう気づいたからだ。
話し終えた後、控室に来て、もじもじする子が時々いるという。
「つらかった?」と話しかけると涙を流す。「一緒に頑張ろうね」と手を差し出す。
帰りがけに男子に呼び止められたこともある。「もういじめ、やんねーからよ」
講演を重ねることは、いじめに向き合い続けることでもある。娘を救えなかった悔いが年々膨らむが、それでも引き受ける。「娘のように苦しんでいる子が一人でもいるかもしれないから」
いつも香澄さんの写真を掲げ、死の数日前の言葉を伝える。「優しい心が大切だよ」。NPOの名もここからつけた。いじめを減らす鍵だと信じている。