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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

娘を亡くし、いじめの講演を1500回重ねた



7月31日朝日新聞 ひと 小森美登里さん(63)



2020-07-31 029
   


娘さんに対する最大の供養と思う。

お母さんの小森美登里さんにも、講演は最大の癒しと思う。



考えても、振り返っても、自分を苦しめるだけ

これ以外にない最大の前向きな生き方

講演回数が増えれば増えるほど、供養も癒しも増える



亡くなった現実は変えることができない

講演は一つ一つ階段をのぼっていくことなのか

のぼりつめた時、加害者をも、自分をも許せるのだろう

とっくに加害者は許し、自分との闘いになっているのかもしれない



時は解決してくれないし、時の経過によって気持ちが薄らぐこともない

講演が最大の供養になり最大の癒しになって、日々を支えてくれる




それにしても、この「いじめ」という現況は、きわめて日本的なものと思う。

戦時下の訓練という名のいじめ

村八分といういじめ

学校でのいじめ

職場でのいじめ


多くは逃げられない状況の時に起こる。例えば上のような状況の時、逃げ場がない。

これは日本人の体質か

江戸時代にもあったのか

明治維新後にはびこったのか

太平洋戦争という激しい現実に、いじめという防御本能ができてしまったのか



いつまでたってもなくならない、いじめ

いじめは日本特有のものなのか

韓国や台湾や米国や欧州のいじめはどうなっているのだろうか

「日本の常識は世界の非常識」から考えると、きわめて日本的なものかもしれない





以下に全文を書き写しました。

「一人娘をいじめ自殺で失いました」。

7月下旬、地元・横浜市の中学で、そう切り出した。1500回目の講演になる。

高1だった長女の香澄さんが命を絶ったのは1998年。同じ吹奏楽部の部員らから言葉で傷つけられていた。

なぜ守れなかったのか。自分を責めたが、娘の死を生かそうと決意。2003年、NPO「ジェントルハートプロジェクト」をつくり、講演を始めた。

話す相手の9割は小中高生。いじめる子の背景を想像することに重点を置く。「苦しみを抱えているかも」「悩みを話せる人がいたら」。加害者の傷を癒さなければ、いじめはなくならない。自らの経験からそう気づいたからだ。

話し終えた後、控室に来て、もじもじする子が時々いるという。
「つらかった?」と話しかけると涙を流す。「一緒に頑張ろうね」と手を差し出す。
帰りがけに男子に呼び止められたこともある。「もういじめ、やんねーからよ」

講演を重ねることは、いじめに向き合い続けることでもある。娘を救えなかった悔いが年々膨らむが、それでも引き受ける。「娘のように苦しんでいる子が一人でもいるかもしれないから」

いつも香澄さんの写真を掲げ、死の数日前の言葉を伝える。「優しい心が大切だよ」。NPOの名もここからつけた。いじめを減らす鍵だと信じている。


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今日のクイーン(再6)  10

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No Nukes 原発ゼロ

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菊池恵楓園  藤本松夫さん(8)



悲しげに視つめる人の瞳を想い秋深む獄に星仰ぎいる






獄塀の影ながながと昏れゆきて吾れにひたひたと寄せる哀感





満ち足りぬ思いのままに暮れし日と夕べ鉄窓に降る雨見居り





整髪をして出獄を待つ友の二十八歳という若さ羨し





松の幹ふるれば白く秋の陽に乾きておりて悲しさ湧きぬ





吾が知らぬ讃美歌なれば只管に師の口元を見つめつつ唄う





今日もまた一日ことなく終えて夜の房に背を寄す柱の欲しき刻あり





争いはすべてが吾の事からと母の便りは囚吾を泣かしむ





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夏野菜煮込み


2020-07-31 003 2020-07-31 005 2020-07-31 008

無水鍋にトマトを入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら極弱火にして5分ほど煮て、ニンニク1片と生姜1片をすりおろし、ズッキーニ、インゲン、ナンキン、ジャガイモ、タマネギ、ナス、ピーマン、オクラを入れて強火にし、再度煮立ったら極弱火にして10分ほど煮て一度混ぜ、また10分ほど煮て、胡椒を入れて混ぜ、2分ほど煮て火を消し、そのまさ冷めるまで放置して出来上がり。
   
 

キュウリの酢の物


 2020-07-31 011 2020-07-31 018 2020-07-31 020 

キュウリはスライスして塩をふってもみ、何回かもみながら、キュウリがしんなりするまで30分以上置いて、さっと水で洗い流し、水気をしぼる。

ボールに1分湯通しして冷水にとった小魚を入れ、大さじ2の酢、各大さじ1のレモン果汁と醤油、砂糖を少しとハチミツを入れて混ぜ、キュウリを入れ、混ぜて出来上がり。



キュウリの塩もみ

 
2020-07-31 022 




オクラの薄切り

 2020-07-31 013 2020-07-31 016


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民俗学者・宮本常一さんの「寄りあい」に関して



7月29日の毎日新聞2面に『「寄りあい」に学ぶこと』という毎日新聞の専門編集委員が書かれた記事があった。


これは日本の田舎に古くからある地域の夜の集会「寄りあい」について「日本型民主主義の究極の姿だ」と学生に紹介している・・・と。


田舎にこんな民主主義など、あるわけがない。


民主主義が根付いていたなら、「太平洋戦争への道」は防げていたはずだ。


寄り合いによって「物事」が民主的に決まるように思っているらしいが、

たいていはその寄り合いの前に、地域の有力者に話を入れて、まずはその人の話を聞き、うまく話しをまとめてくれるようお願いしたり、特定の方向へ向けるような話をしてほしいと依頼したりなどの「根回し」をしていることが多い。


例えば、地域に原発や他の「ハコモノ」を誘致する時、いきなり寄りあいでその話を持ち出したりしない。話を持ち出した時には、すでに方向を決定しており、寄り合いは、一応反対意見も聞くが、多くは「了承」を求める場になっており、かんかんがくがくの議論がなされるわけでは全くない。


そういうハコモノを持ち込みたい業者は、前もって菓子箱等をもって、その地域の有力者と言われている人に先に話を持ち出し、参考意見を聞いて、どのように進めたらうまくいくかの作戦を考える。


田舎のハコモノの大部分はそのようにして決まると思う。地域の寄りあいなどで決まると考えるなら、それは「田舎暮らし」の経験がない人である。


地域の寄り合いは議論より、少数の反対意見を孤立させてしまうことの方が多い。そしてみんなが賛同するような「同調」の場になることの方が多い。



田舎では、田舎の人同士の「監視」という目も多いと思う。


太平洋戦争に加担したような、戦前の「隣組」などの組織を見れば、「寄りあい」が民主的な議論の場ではないことなど一目瞭然である。


戦後もこの状態が全く改善されなかったことが、「今という社会」に顕著に現れている。


いけやすすめの高度成長の時代には、それが目立たなかっただけで、成長が終わり、下降に向かう経済下では、これまでのひずみが表面化してくる。


ここ数年の政治状況を見せつけられ、この国の現状に絶望して、もうあきらめてしまっている自分がいる・・・





記事の一部を抜粋しておきます。

・・・「忘れられた日本人」(岩波文庫)の冒頭に収録された「対馬にて」という一節である。

筆者の民俗学者、宮本常一(1907~81年)は学術調査で長崎県・対馬の漁村を訪ねる。

村の区長宅に古文書を収めた箱があり、見せてほしいと頼んだ。これは了承されたが、一晩では書き写しきれないため、翌日に拝借を願うと「寄りあいにかけて皆の意見を聞かねばならない」と言われて会場に行くというストーリーだ。

寄りあいは前日から続いていた。夜もなく昼もなく、何かを決めるには皆の納得のいくまで何日もかける。その間、区長や総代は聞き役として居続ける。

古文書の貸し出しはこもごも意見が出た後に許可されたが、寄りあいはなお他のテーマで続行されたという。

調査時期は50、51年。寄りあいの記録は江戸期からあり、対馬全域の自治習俗らしい。

宮本は「気の長い話だが、とにかく無理はしなかった」「だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった」と書き残している。

難しい言葉を使わなくても、人間集団が穏やかに暮らしていけるよう育まれた知恵なのだろう。慶応大の上山信一教授は宮本の記述について「日本型民主主義の究極の姿だ」と学生に紹介している。

「論点を先鋭的に並べ立てない、とても高度な文明だ」と。




これは全くのきれいごとだ。草の根でこういう民主主義が根付いていたなら、あの戦争に至った道は回避できていたはずだと思うし、原発などの誘致も決してされなかったと思う。「対馬」が特別とも思わない。

日本全国の田舎の津々浦々で、ハコモノの誘致の時は「根回しがあり、事前に話を決め、寄りあいは意見を聞く場のように見えて、賛同を得るという同調の場」である。


田舎では、人間関係がどうしても濃いので、あまりいさかいは起こしたくなく、寄りあいなどの場で、強く自分の意見を言わない人が多い。だから先行しての「有力者への根回し」や「見えないワイロ」が幅をきかす。



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今日のクイーン(再6)  9

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マスコミに載らない海外記事

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菊池恵楓園  藤本松夫さん(7)




待つことに疲れて眠る夜の夢に母よりの文幾束も来し




風つのる獄の夕窓ひたすらに巣をいとなめる蜘蛛は殺さず







澄み渡る空の青さよ真実の再審を寄せよ我は祈る




さつまいも三個ありてささやかに秋分の日をば祝いぬ




自嘲めく心もあれど捨てかねて短歌かく事も日課となりぬ





面会もとぎれとぎれ拾年過ぎ吾の望みも小さくなりゆく





朝露を身に浴びながら野草刈る農夫の姿獄窓に思い居り





いたずらに虚空をさぐる思いして獄に過ぎ行く日日の淋しさ




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ピーマン炒め


2020-07-30 015  

熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の粗みじん切り、ピーマンの細切りの順に炒め、ピーマンに火が通ったら削り節を入れて1分ほど炒め、醤油で味付けして出来上がり。




ソーメン

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 薬味はミョウガと青シソの粗みじん切り。めんつゆで。



ハーブティ
 

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ミョウガの甘酢漬け

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一晩、薄い塩水に浸してあく抜きしたミョウガはザルに上げ水切りし、瓶に入れ、甘酢を注いで出来上がり。

甘酢は、みりんを1カップほど、酢を2カップほど、蜂蜜大さじ4ほど、砂糖も少し、醤油と塩を少し入れ、点火して溶かす。

冷めたら瓶に注いで出来上がり。

2日ほど常温に置き、その後冷蔵庫に入れると1年保存可能。



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金田一京助とアイヌ人少女


2020-07-29 031
 2020-07-29 028  

あの金田一京助がアイヌ人少女にアイヌ語を教わったのは、いつ頃の話だったのだろう。

国語の教科書に載っていたことを思い出す。



和人との同化政策のために、アイヌ語は禁止された。

朝鮮半島でも、朝鮮語は禁止され日本語が強制(学校だけだった?)された。1910年の韓国併合(朝鮮半島併合)の後のことだろう。



今日の毎日新聞の「ひと」は、第14回後藤新平賞を受賞したアイヌ民族の「宇梶静江さん(87)」だった。

7月29日毎日新聞4面

「ウタリ(同胞)たちよ、手をつなごう」。新聞の投稿欄を通じて仲間と呼びかけ、やがて半世紀。

「分け合って生きる。生きることを楽しむ。追いつめない」。

民族の精神性を唱え続ける姿が、医師で東京市長などを務めた後藤新平(1857~1929年)の「共生の理念と通じる」と評された。

過去の為政者が強いた同化政策。その屈辱に耐えかね「勉強して新しい道を」と二十歳で郷里の北海道浦河町を離れ、札幌の私立中学で学んだ。

東京に移り、早稲田大学の近くの喫茶店で働き、27歳で建築士の和人(日本人)と結婚。子ども2人をそだてながらアイヌとしての自分を詩で表現し、民族の復権運動に身を投じるようになった。

運動を始めた70年代、「自分はアイヌとして生きたいと思っているわけではない」と去っていく同胞がいた。寂しさに覆われ、アイヌの伝統刺しゅうの技法を基にした「古布絵」の創作に打ち込んだ。

新たな力がわき、同じ志を持つ首都圏のアイヌらと文化の継承に力を注いだ。

多様性の尊重が叫ばれる中で20代、30代の同胞が元気になってきたと感じる。

「自然を敬う先住民族の生き方は今の時代に必要なメッセージ。失ってはならない大切なものと気づき始めたのでしょう」。

今月、東京であった祝賀会には長男で俳優の宇梶剛士さん(57)をはじめ孫やひ孫も集まった。

「世界の先住民族と手を結んで自然をよみがえらせる努力をする。これからアイヌ民族が果たすべき役割は大きい」と目を細めた。


北海道生まれ。古布絵作家の活動が評価され2011年、吉川英治文化賞。今春、初の自伝「大地よ!」を刊行。




「過去の為政者が強いた同化政策。その屈辱に耐えかね」という宇梶さんの言葉は今の韓国にも言える。


韓国の屈辱を想像してみる・・・


今日の朝日新聞4面には慰安婦を表現した少女像と、その前にひざまずいて謝罪する安倍晋三首相をモチーフにした像を設置した(民間施設)写真が載っていた。

毎日新聞では2面に、菅氏の「日韓に決定的影響」という記事が載っていた。


両紙ともかなり大きな扱いだったが、そんなに騒ぎ立てるほどのことかと思った。

歴史の真実を想像しながら・・・

謝っても、謝りすぎることはない・・・

すでに終わったこと・・・と思うのは日本の方だけ



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今日のクイーン(再6)  8

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阿修羅

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菊池恵楓園  藤本松夫さん(6)



手を曳きしことも記憶あり高校二年になりし吾娘の文読む




許可を得て庭に出づれど一歩二歩我に近づき看守は見つむ




くつろぎて獄の夕餉に向かうとき愛しき我子の顔ふとかすめぬ




朝日射す鉄窓に移しし菊鉢に蜂の飛びきてうすき影曳く




信ずると言えど心に不安あり祈る思いで夕餉に向う




綻びし囚衣縫い着て今日もまた手にする針に母を想いぬ




木に残る年輪の如く吾が過去も残ると知りて恐ろしく




雨降れば雨具なしとて休む子のかくも多きか淋しき空席



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ゴーヤとツナ缶のサラダ


2020-07-29 011
 2020-07-29 014 

ゴーヤはスライスして塩をふってもみ、2分ほど置き、30秒茹でて冷水にとり、水気をしぼる。

タマネギはスライスして2分ほど水にさらしてザルに上げ、水気をしぼる。

ゴーヤとタマネギをボールに入れ、よく油を切ったツナ缶を入れて混ぜ、マヨネーズ、各大さじ1の酢、レモン果汁、醤油を入れ、砂糖を少し入れ、混ぜて出来上がり。



ナンキンとトマトの煮物

2020-07-29 004 2020-07-29 016 

無水鍋にトマトを入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら極弱火にして5分ほど煮て蓋を開け、ざく切りしたナンキンを入れ、再度煮立ったら極弱火にして20分、火を消してそのまま30分ほど放置して出来上がり。




お中元でもらったハム

2020-07-29 006

残っていたのを焼いた。





茹で卵


2020-07-29 010   



キュウリの塩もみ

2020-07-29 008     



ミョウガの甘酢漬け

2020-07-29 021
 

ミョウガは薄い塩水に一晩つけてあく抜きをし、明日、甘酢漬けにする。





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コロナ禍の、大きな利点


7月22日 朝日新聞 11面 「専門誌に聞け」一部抜粋


 近い将来に「この職務に対する、あなたのこの能力に、これだけの給料を出します」


「働く場所はオフィスでも自宅でも、最も働きやすい場所を選んでください」というのが人材確保の基本になるでしょう。


その世界にはもう「就社」という考え方はありません。


自分の生活スタイルや能力に最もあった「働き場」を選ぶ、そんな時代が控えています。






こんな夢のような社会が果たして実現するだろうか。

しかしコロナ禍で一気に在宅ワークが進んだ企業もある。



在宅ワークが可能になったら、

満員電車に乗って出勤する必要もないし

住まいを田舎にすることも可能であるし

一日の1~2時間を農作業にあてて自給用の野菜を作ることもできる

ほどほどの田舎なら、病院もそう遠くないし、学校も複式学級にはなっていない




義務教育では学校という場所へ、自分を必ず置かなければならなかったから、いじめ問題も発生した。


学校という場所は、勉強がどうしても「受け身」になってしまう。「能動的学習」は学校という組織では育たない。


それがコロナのせいで「在宅学習」が増えると、能動的学習が身に着くように思う。


従来の学校のような時間割通りに進める必要がなく、好きな科目に長時間を費やしてもいい。つまり在宅学習は必然的に「能動的学習」になるという大きなメリットがあり、束縛された学校の教室では、他にすることがないから先生の話を聞くというのが大方のパターンと思う。


一人だと能動的になりやすく、多人数だと受動的になりやすい。




仕事の在宅ワークが可能になったら、育児や介護で休業する必要がなくなるし、闘病中でも、身体を休み休み進めることもできるだろう。


最も大きなメリットは、ほどほどの田舎に住んで在宅ワークしながら、自給用の野菜も作れるだろうということ。


田舎なら家庭菜園をしている人もいるだろうし、教えてくれる人が近くにいなくても、今はネットの動画などで育て方もわかるだろう。




コロナ禍は悪いことばかりではなかった。在宅ワークや在宅学習を一気に進めた感がある。


別に学校や職場という組織に属さなくても、必要になった時に自分が求めさえすれば人間関係は作れる。


自分が求めていかないと人間関係は作れない。


今までは学校の同級生や、職場の同期など、横の人間関係が主体だったが、コロナ以後は、年齢に拘束されない縦の人間関係も深まっていくだろう。


ぼくは組織に属した期間は短く、無職の期間や、農業という個人事業の方が長いが、人間関係は組織に属そうが属しまいが、必要に迫られて自然とできていく。



学校でも職場でも地域でも、受動的ではない能動的な生き方をしないと、自分のアイデンティティが築けない。


常に自分の考えを持ち、安易に同調しないことが、能動的な生き方と思う。



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今日のクイーン(再6)  7

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くろねこの短語

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菊池恵楓園  藤本松夫さん(5)

 


鉄窓に参観者が残すかすかなる香料暫し佇ちてかぎ居り




主なる我が神を讃うる唄なりきすがすがとかくわれら唄うは




苦しみの半生の記録にて風に吹かるる悲しみもある




貧乏人も食える時代が来ると言う政治のこえが我を支うる




一枚の葉書なれども深深と療友は囚なる我をいたわる




諦めし母よりやさしき文ありて一字一句をなつかしく読む




いどみ来る言葉に耐えて微笑める死刑囚吾を意識して居り




病む我がメモ紙になす薬包紙囚友等もそれぞれ用途持ち居り





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オクラのバター醤油


2020-07-28 002 


オクラは1分茹でて湯切りし、へたをとる。

熱したフライパンにバターを入れ、オクラを炒め、醤油で味付けして出来上がり。



目玉焼き


2020-07-28 009 2020-07-28 013 2020-07-28 014 

熱したフライパンに油を入れ、ニンニク、細切りしたピーマンの順に炒め、卵を入れ、極弱火で3分、火を消して余熱3分で蓋を開け、醤油で味付けして出来上がり。



ソーメン

 2020-07-28 005  2020-07-28 007 2020-07-28 011

薬味は青シソとミョウガの粗みじん切り。




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自分が自分であるための媒体が生徒だった


 2020-07-27 013 2020-07-27 014 2020-07-27 016

7月26日朝日新聞19面 一部抜粋

複雑な出自を抱えていた。政治家で養豚業を営んでいた父と母の間ではなく、京都にいた女性との間に生まれ、出生後は家を転々とした。
 

不登校や家出、大学生のときには北海道に長期間「失踪」もした。お供だったのが詩集。中原中也やランボーらの詩を読んでいると、自分の中のわだかまりがやわらぐ気がした。


大学卒業後も定職に就かず、東京で現実逃避の日々を送っていた西谷さんを変えたのが、29歳の時の親友の死。西谷さんは詩人、親友はギタリストをめざすとよく語り合った。そんな相手との突然の別れで、西谷さんは現実に引き戻された。


生計を立てるための唯一の武器となったのが英語だった。詩や雑誌を原文で読むことに始まり、語学学校で勉強を続けていた。東京の別の塾での評判がきっかけで、代ゼミから声がかかった。


1980年代はカリスマ講師がしのぎを削った時代。教える技術が高いのは当然で、生き残るには頭一つ抜ける「何か」が必要だった。


たどりついたのが「素の自分を出す」こと。逃げてきた自分の人生と向き合い、自身が抱える不安定さや挫折、後悔を包み隠さず自分の言葉で話し、渾身のエールを送った。志望校に通しさえすれば評価される予備校講師の中で稀有な存在だった。


「生徒は電流で、自分は『有機交流電燈』」だと西谷さん。宮沢賢治の詩集「春と修羅」の「序」に出てくる一節だ。「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」。


「自分が自分であるために媒体が必要で、それが生徒だった。自分を光らせてくれた」。この仕事が天職だと思うようになった。


以前、雑誌の企画で対談したミュージシャンの忌野清志郎さんの言葉を思い出す。「好きを大切に」。今日も生徒と向き合う。


西谷昇二さん(64)
1956年生まれ、高知県出身。国際基督教大学(ICU)卒業。88年から代々木ゼミナールの英語講師に。本部校(東京)で行われる授業は全国の校舎や提携塾などに配信されているほか、札幌や新潟でも授業を行う。自身の過去や生徒らへの言葉をつづった「dreamtime 負けたら終わりじゃない、やめたら終わりだ」(PHP研究所)など著書も多数。





何か一つでも「得意」があったらいいが、何もなかったのでぼくは農業者になった。子供の頃、親が農業をしていたので、農業がどんなものかは想像できた。


家も田んぼも農具も父も健在だったので、本当に恵まれていた。だから他所から来て、見知らぬ土地で農業を始める若い人には頭が下がる。


自分の場合は他に選択肢がなく追い詰められた状態で農業がひらめいた。


農業は自分に合うと思ったが、能力が伴わないことも直感としてわかった。


農業の能力にかなり欠けると、スタートする前から認識できたのは、農家育ちだからである。例えば簡単な大工仕事だったり、道具(機械)を使う能力だったり。


その後30年、真似ようと思っても他の農業者の真似ができなかった。


だから自分にできる方法で、違うやり方(例えば支柱作物にせず地ばい作りにする)で作ったり、小規模に抑えたり、出荷方法で活路を見出すしかなく、もう後がなかったので、がむしゃらだった。


この経験から、「好きなこと、得意だと思えること」と「能力」は異なると思う。


「好きこそ物の上手なり」とはならない。


しかし、嫌いなことや得意と思えないことは、なおさらできないので、能力がないことが直感としてわかっても、自分に向いていると思えることを職業に選ぶだろう。



例えば医者でも、とても不器用な人はいると思う。そういう人は医者に向いていないかというと、そうでもなくて、「精神科医」などは理工系の能力より文系の能力が高い人が必要とされるのではないか。



還暦を過ぎてから年に1度の大阪彷徨を始めたが、この時、日本橋の地下鉄の改札口や、宿泊するホテルの職員が、自分にはわからない「韓国語」や「中国語」で説明している光景に出くわす。

こんな時、語学が一つでもできれば、それを活用したいろんな仕事に就けるということに今さらながら気づいた。

カリスマ講師の西谷さんも「英語で人生を切り開いた」一人なのだろう。


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今日のクイーン(再6)  6

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在野のアナリスト

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菊池恵楓園  藤本松夫さん(4)



一生の仕事をもちて生きぬけと子に云いきかせ吾は愚かにて




刑長きもののみが持つ性なるか吾も何時よりか壁際に座す




差し入れのタオル謝して使う朝故郷の香りを深く息吸う




限られし鉄格子の視野一杯に降り来る秋日に摑まりてたつ




独房に一人布団を繕いて手馴るる寂しさに吾は疲れつ






憶い出は悔につらなるものばかりにてこの寂しさを支うるものなき





区切られし冷たき壁の底にいて午前八時の飯を喰い居り






悲しみは二九の年につながりて獄に三九の年を迎うる





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夏野菜煮込み


 2020-07-27 004 2020-07-27 005 

無水鍋にトマトを入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら極弱火にして5分ほど煮て、ナンキン、ナス、ピーマン、タマネギ、インゲン、ズッキーニを入れて混ぜ、再度煮立ったら極弱火にして、途中で1回混ぜ、20分ほど煮て火を消し、冷めるまで放置して出来上がり。

昨日はピーマンだけで作ったが、今日は他の野菜も種々入れた。種類をたくさん入れた方がおいしい。



オクラの薄切り

2020-07-27 002 



キュウリの酢の物

 
2020-07-27 009


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吉田裕と森健の対話


毎日新聞7月26日10面「文化の森」

戦争体験や記憶 どのように継承すべきか
(一部抜粋・順不同)


吉田
・・・私は一昨年大学を退職するにあたり、約2万点の蔵書の引き取り手を探しましたが、国内ではみつからず、結局韓国の大学に決まりました。

日本には戦争に関する資料を収集・公開する公的な資料館がほとんどありません。戦争体験と記憶の継承、資料の散逸を防ぐためにも整備は急務です。



・・・戦闘だけでなく餓死が異常に多かったこと、戦病死、自殺、「処置」という名による戦傷病兵 の殺害の実態なども、詳細なデータに基づいて書かれており、衝撃です。日本軍兵士の多数が日本軍によって命を奪われた、と言っていいように思います。



・・・旧日本軍関係の1次資料は敗戦に伴い大量に焼却され、残ったものはアメリカが没収しました。その後返還を受けた防衛庁は、それでも一般公開に消極的でした。現代の行政に通じる気がします。



吉田・・・80年代から戦争責任や戦争犯罪のことを調べ始めたのですが、敗戦直後の消却処分もあって、公文書の資料が少ない。一方で各部隊史や個人の体験記に優れたものがあることが分かりました。

当初は特定のテーマからの読み方、例えば戦争犯罪に関するものを中心に読みました。

しかし読み込むにつれて最前線の兵士たちが無残な死を強いられていたことが分かり、ショックでした。歴史家として悲惨な死を遂げた人たちの記録を残したい、と強く思いました。



・・・第二次世界大戦の日本人死没者は310万人とされますが、そのうち推計で9割近くが敗戦に近い1944年以降の犠牲者ということに驚きました。
(注)吉田さんが年次別の陸海軍の戦死者数を唯一公表している岩手県のデータを基に推計したところ、軍人・軍属の死者230万人のうち201万人が1944年1月以降に亡くなった。民間人の戦没者80万人の大部分もこの時期とみられる。



吉田・・・日本はドイツがイギリスを屈服させることを前提として対米英戦を始めたのですが、「ドイツはイギリスには勝てない」と指摘する軍人もいました。ところが、こうした正論は採用されない。



吉田・・・見る人が戦争を追体験できるように心がけています。たとえば「東京大空襲の犠牲者は10万人」と概数で把握するのではなく、一人一人の犠牲者に顔と名前があり、人生がある。その死を悼む遺族がいる。その遺族や空襲体験者はどのような思いで戦後を生きてきたのか。そうしたことに対する想像力をかきたてる展示を目指しています。



吉田・・・政府は年次別の戦没者数を把握していません。年齢別、階級別の人数も分からない。原点に返ってこうした基礎的な資料を整えるべきでしょう。戦争で犠牲になった人たち一人一人のデータを集めて、補正していくべきです。



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今日のクイーン(再6)  5

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菊池恵楓園  藤本松夫さん(3)


(ここで、藤本松夫さんの略歴を紹介しておきます)


藤本松夫さんの略歴
1922年7月18日、熊本県菊池郡水源村生まれ。1950年自覚症状のないまま、ハンセン病の宣告を受ける。1951年同村F宅にダイナマイトが投げ込まれ、Fが熊本県衛生課のハンセン病調査に際し藤本を患者として報告したことを逆恨みしての犯行として逮捕された。懲役10年の判決を受け菊池恵楓園内の拘置所に収容されたが脱走。脱走中にFの刺殺体が発見され53年死刑判決。57年8月最高裁で死刑確定。この事件は、裁判官は調書や証拠を扱うのにゴム手袋に長い箸を使うなど偏見と、はじめから藤本を犯人とする警察・マスコミなどの予断に満ちたものであった。58年「藤本松夫を救う会」(会長 中野菊夫)が発足し、全患協とともに松夫の救援を行う。62年には「救う会」による現地調査が始まり、運動が次第に盛り上がり再審が請求されたが、1962年9月14日福岡刑務所で処刑。藤本は、はじめ文字も読めなかったといわれるが獄中で文字を学び、短歌や詩を作り全国の支援者に書簡を送り無実を訴え続けた。




護送車の窓にすがりつくごとくして叫びし母の声を忘れず




出獄の背広に替えて別れ言う囚友の笑顔は日本一なり




扉開くれば背むきし吾に会釈する母夏やせて先ず泣きにけり




闇を貫く群蛙の声哀し母と暮らせし日と異ならず




死刑なるが故の孤独かまなぶたの焼け付くまで本を熟読す




夜勤終えてかえる看守に羨望を感じていたり獄の休日




主の平安汝にあれと祈る母の手紙束になりて幾度か読む




さようならと立てばおろおろ面会の母は寂しき瞳し給う




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バターナッツナンキンのバター醤油


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熱したフライパンにバターを入れ、7mmほどにスライスしたバターナッツナンキンを置き、極弱火で裏表7分ずつ焼いて醤油をまわしかけて出来上がり。

醤油よりポン酢の方がよかったかも知れない。



トマトとピーマンの煮物


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無水鍋にトマトを入れ、醤油、蜂蜜,酒、みりんで味付けし、煮立ったらピーマンを入れて弱火にし、途中で1~2回混ぜ15分煮て出来上がり。



ゆで卵

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ハーブティ

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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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