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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

第2の青春のただ中で



最初の青春時代は、時間をもてあますことも多々あったが、還暦を迎えての第2の青春時代は、忙しくて目が回るようになる。


その間の40年間ほどを、どんな生き方をしても、残りの人生時間は長くない。


なんとか40年間生きてきた結果を清算したり、反省したりするが、いざ自分の今後すすむ方向が見えてきたとしても、その時には、身体に無理がきかなくなったり、病気がちになったり、目が衰えたりして、思うようには事が運ばない。


1年ほど前に買い替えたパソコンのキーボードがどうも手にフィットしなくて、壊れかけて壊れなかった旧パソコンを使っている。


眼鏡も買い替えてまた合わなかったのを使い続けている。


こういうことから、人生が崩れて(崩されて)いくのだろう。


でも、還暦後の第2の青春では、そんなことにとらわれている時間の余裕はなくて、ただ、がむしゃらに前だけを見て進めている。


だからその反動で、部屋がごみ屋敷になって、追い詰められた寸前で片づけている。



今日の朝日新聞に、コロナを契機として「デジタル化が急速に進む」と米グーグルCEOの見解が書いてあったが、「デジタル格差」は大変大きいような気がする。


自分の場合、日々ワンパターンのブログ操作はできても、他の操作は全くできない。


「書くネタがあること」と「パソコン操作」は、どちらも得意、どちらも一定以上という人は少なくて、どちらか一方に偏ると思う。


いまだにパソコン等で買い物はほとんどしないし、必要と思わないのでのスマホも持たない。不定期でブログ操作のパソコン指導(最近はズームで)も受けている。


デジタル機器に強い弱いは、年齢というより人によると思う。
 

いろんな格差の一つとしての「デジタル格差」は「経済格差」と同じくらい生活にかかわる格差と思う。


コロナ後は、いろんな格差が顕在化して「月に7~8万のベーシックインカム」がないと立ち行かなくなるのではないか。


ベーシックインカムがあれば、コロナ後の二極化は大きな争点にはならず、個人の生き方として、田舎で自給自足の生活なども実現できると思う。



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今日のクイーン(再5)  10

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在野のアナリスト

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大島青松園  綾井 譲さん(1)

 

癩院の女男の契りははかなしも子を産むと言ふ慣しもなく




誰かまたわが名を書かむ柩旗君の弔旗を書きつつ思ふ




疲れたるわが官能を刺激して女ひとりが過ぎゆきにけり




飯崎吐詩朗兄とその妻
青潮のひたひた寄する真白砂踏むべくはなく逝きし君はや




くだかけの雄の一羽がなが啼ける声さびさびと海渡るらし




故岩田副婦長
葬列の人すぎゆきてまたもとの浜辺にかへる松原の道




カニューレ→呼吸困難なる重症者は切開し、僅かにその管に生命をたのむ
咳けど咳けど切れざる啖かまじまじとなす術もなく見て佇ちて居つ




林先生
噫つひに一人の旅に出でましき庭の糸瓜に雨ふれる音




すがすがと鉄砲百合の咲く頃は吾も健かに生きたかりけり




ゆうべ死にし友の名前は朱に書かれ食事異動の伝票が来つ




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リメイクしてカレー


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昨日の肉ジャガの残りは、ルーを1個入れ、青みにネギを入れ、カレーにした。



タマネギのベーコン炒め


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熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の粗みじん切り、ベーコン3枚の細切り、タマネギの順に炒め、ニンニク醤油で味付けし、皿に取ってから、冷凍保存しているバジルの葉をふって出来上がり。



目玉焼き


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ネギの小口切りを入れた。



タケノコの下処理

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タケノコの皮をむき、半分に切って鍋に入れ、大さじ2ほどのコメ糠を入れ、煮立ったら弱火にして40分程にて下処理の完了。


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日々雑感


新聞がコロナ記事ばかりになって、内容がつまらない。


理容店が開いているのは助かる。2ヵ月に1回ほどの散髪は自分の場合、欠かせない。


5月の連休は毎年、農作業が忙しく、農業を始めてからほとんど外泊したことはないので、コロナによって外出できないという失望感はほとんどない。


専業農家でも家庭菜園でも、長年、農業をしている人は、農業に楽しいことがあるから続いているので、田んぼは遊び場や趣味でもある。


土から離れた、離された生活は、今はもう考えられない。


田舎の集落の人は、コロナに対して圧迫感は、さほど強くないように思う。田畑や山河の自然の風景が日々、眼前に広がっているから。


コロナに関しては、都会在住はかなり不利な状況であり、精神的にも参ってしまうだろう。子供はもっと追い詰められているかもしれない。



睡眠時間は6時間ほどで足りている。深夜に目覚めて用足しに行くことはないので、熟睡できているのかも知れない。夢もほとんど見ない。


それでもPM10時半までにはブログを終えようという、自分の中での予定がある。が、今日も終わらない。


海や山へ出かけることも、田舎へ帰ることもできない都会の人は、5月の連休をどんな気持ちで過ごされるのだろう。



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今日のクイーン(再5)  9

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内田樹の研究室

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大島青松園  島田しげるさん(4)



口にくわえ履かねばならぬ靴下に不潔を覚えなくなりてきし




手引かれて来し梅林のまだ固き梅の蕾を唇もて触るる




療園というには遠き概念を抱きて立ちぬ監房の庭




死者たちの愛に渇きし鋳型ともベッドの窪に心ただるる



島田しげる(茂)さんの略歴
昭和6年12月6日愛媛県南宇和郡伊方町に男5人女4人の末子として生まれる。幼くして父をなくし母の愛を一身に背負って育つ。昭和26年9月1日19歳で大島青松園に入園。兄妹のうち唯一人の発病。園内作業の過労で失明。失明後、詩や短歌、文章を書き、川柳は「島一休止」名。昭和39年9月から46年1月まで「林間」に所属。『美しき非情』(昭和50年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)。


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肉ジャガ

  
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熱した無水鍋にバターを入れ、ニンニク1片の粗みじん切り、玉ねぎの順に炒め、残りの野菜(ニンジン、ジャガイモ、シイタケ)を入れて炒め、全体に油が回ったら水を1カップほど入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けして混ぜ、15秒湯通した豚肉100gを置き、煮立ったらごく弱火にして25分、火を消して余熱5分で蓋を開け、混ぜて出来上がり。



味噌汁


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今日のクイーン(再5)  8

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クマのプーさんブログ

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大島青松園  島田しげるさん(3)



遷りゆく故里のことなど言う母の訛りにふれて匂う我が闇




振り返り風邪を引くなと言いながら母帰りゆく冬雨の中




果てしなく転げゆく石追いながら壊してはならぬ我れらの組織




老母への思慕うずくなり送りきし着物に袖を通すたまゆら




残る眼も抜かねばならぬ診断を受けとめてわが握る白杖




盲いし我が夢にめざめし冬の夜の暗きまほらを刻む時計は




八十路なる母の面会受くる窓燕の声のひかりてよぎる




夾竹桃のもゆる花かげ踏みながら納骨堂の坂登りきる




断絶をつなぐ願いの受話器とる故郷の訛りの蘇りつつ




我が声も聞えぬ母よ愕然と受話器置きつつ義眼がうるむ




健やかに八十五才となりし母盲の我より先には逝くな




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ニンジン、ネギ、豚肉の煮物


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千切りしたニンジンを鍋に入れ、シイタケを入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、水と出汁の素を入れ、煮立ったら15秒湯通しした豚肉100gを入れ、ざく切りしたネギを入れ、ネギが少ししんなりしたら弱火にして10分煮て出来上がり。



味噌汁

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サツマイモとシイタケを鍋に入れ、水と出汁の素を入れ、煮立ったら弱火にして千切りしたニンジンを入れ、タマネギを入れ、10分ほど煮て味噌を溶き入れ、小口切りしたタマネギの葉をふって出来上がり。
 


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変わることができなくて


農業はコロナウイルスの影響の少ない職業である。


ありがたい職業と思う。


食料にもあまり困らない。


朝から太陽を浴びれる。


自然に抱かれながら土に触れる仕事ができる。




都会だったら、


小さな部屋から出ることができなければ、気分が滅入ってしまうだろう。


近くの公園で、ひとりぼう~とできる空間があれば、まだよい。


近くに小さな神社があって、そこで時間をつぶすことができれば恵まれた状況である。


そんな場所が近くになかったら・・・


どんな会話でもいいから、人とつまらない世間話ができれば、気が休まるが、コロナは人との接触があまりできない。


都会の片隅の小さな部屋で、もんもんと過ごす。


こんな時、本など読む気にはならないだろう。





変わらない日常が送れることに感謝。


田舎なら「何もすることがない」という状況はありえない。門前の草1本でも抜く仕事がある。


タワーマンションならどうだろう。


コロナには弱い住空間と思う。





今はコロナの戦中である。


重ぐるしい雰囲気に包まれている。


コロナ後の世界はどう変わるか。


何を期待するか。


コロナ後の世界にあなたは何を見ていますか。


変わらないものは何だ


変わるものは何だ


太平洋戦争が終わっても、結局、根元のところでは何も変わらなかった。


変われるわけがない。同じひとりの人間が、今日と明日でそんなに変われないように。


ああ、コロナ渦中の今と、コロナ後の未来のある日は、やっぱり地続きだ。


太平洋戦争によっても、社会の基本的システムは戦後何も変わらなかったように、コロナ後の世界にもあまり期待はできない。


戦争によって知ったのは、おぞましい人間の姿だけだった。


コロナによって知ったのは、この国の著しい劣化だけだった。


それでも、この国で、生きて行かざるをえない。


自分自身も、コロナ渦中の今も、コロナ後も、何ら変わることができなくて




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今日のクイーン(再5)  7

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阿修羅

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大島青松園  島田しげるさん(2)



患者が患者を看とらねばならぬらい園のこの現実を打ち破るべし




しみじみと独りの思いかみしめぬ僚友の縊死を知らされし後





脱げし下駄杖に探れば杖先に触れて冷たき石ころの音






生きの眼を摘出したる空洞に冬深ませて吹き抜ける風






挫折感深まりてゆく枕辺をやわらげて匂う水仙の花




ひまわりは太陽の花バンゴッホの晩年思う独りの午後を




桜散る庭に漂う終焉が孤独にわれを包みていたり




三矢計画聞きし不気味さ消えやらず盲導鈴の冴ゆる夜の道




老母への思慕柔かくうずくなりみとり婦が
胡瓜キュウリを刻める音に




ふりがなをつけて点字の賀状出すわが失明を案ずる母に




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タマネギのサラダ


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タマネギはスライスしてさっと水で洗い、水気をしぼってボールに入れ、カツオブシをふり、手作りポン酢(醤油大さじ1、酢大さじ1、レモン果汁大さじ1、みりん大さじ半分)で和えて出来上がり。



ナバナのおひたし

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菜飯

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熱したフライパンに油を入れ、ニンニク2片の粗みじん切り、1分湯通しして冷水にとり、水気を切った小魚、ナバナのおひたしの順に炒め、醤油で味付けして火を消し、ご飯を入れ、ほぐしながら点火し、具材となじんだら出来上がり。



目玉焼き


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人文知を軽んじた失政  藤原辰史さん


朝日新聞 4月26日 20面 

とてもよい内容と思ったので、大部分を抜粋させて頂きました。

人文知を軽んじた失政

歴史に学ばず、現場を知らず、統率力なき言葉

藤原辰史(京都大学人文科学研究所准教授)


歴史の知はいま、長期戦に備えよ、と私たちに伝えている。1918年から20年まで足掛け3年、2回の「ぶり返し」を経て、少なくとも4千万人の命を奪ったスペイン風邪のときも、当初は通常のインフルエンザだと皆が楽観していた。


人びとの視界が曇ったのは、第1次世界大戦での勝利という、疾病対策より重視される出来事があったためだ。


軍紀に逆らえぬ兵士は次々に未知の疾病にかかり、ウイルスを各地に運び、多くの者が死に至った。


長期戦は、多くの政治家や経済人が、今なお勘違いしているように、感染拡大がおさまった時点で終わりではない。


パンデミックでいっそう生命の危機にさらされている社会的弱者は、災厄の終息後も生活の闘いが続く。


誰かが宣言すれば何かが終わる、というイベント中心的歴史教育は、二つの大戦後の飢餓にせよ、ベトナム戦争後の枯葉剤の後遺症にせよ、戦後こそが庶民の戦場であったという事実をすっかり忘れさせた。


第1次世界大戦は、戦後の飢餓と暴力、そして疫病による死者の方が戦争中よりも多かったのだ。


スペイン風邪のとき、日本の内務省は貧困地区の疫病の悲惨を観察していた。1922年に刊行された内務省衛生局編『流行性感冒』には、貧困地区は医療が薄く、事態が深刻化しやすいことが記してある。神奈川県の事例を見ると、「日用品殊に食料品ノ騰貴に苦メル折本病の襲激ニ因り一層悲惨ナルモノ有り」(原文ママ)とある。


封鎖下の武漢で日記を発表し、精神的支えとなった作家の方方ファンファンは、「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は(中略)ただ一つしかない。それは弱者に接する態度である」と述べたが、これは「弱者に愛の手を」的な偽善を意味しない。


現在ニューヨーク市保健局が毎日更新する感染地図は、テレワーク可能な人の職場が集中するマンハッタンの感染率が激減する一方で、在宅勤務不可能な人びとが多く住む地区の感染率が増加していることを示している。


これが意味するのは、在宅勤務可能な仕事は「弱者」の低賃金労働に支えられることによってしか成立しないという厳粛な事実だ。


今の政治が医療現場や生活現場にピントを合わせられないのは、世の仕組みを見据える眼差しが欠如しているからである。


研究者や作家だけではない。教育勅語と戦陣訓を叩き込まれて南洋の戦場に行き、生還後、人間より怖いものはないと私に教えた元海軍兵の祖父、感染者の出た大学に脅迫状を送りつけるような現象は、関東大震災のときにデマから始まった朝鮮人虐殺を想起する、と伝えてくれた近所のラーメン屋のおかみさん、コロナ禍がもたらしうる食料危機についての英文記事を農繁期にもかかわらず送ってくれる農家の友人。そんな重心の低い知こそが、私たちの苦悶を言語化し、行動の理由を説明する手助けとなる。


これまで私たちは政治家や経済人から「人文学の貢献は何か見えにくい」と何度も叱られ、予算も削られ、何度も書類を直させられ、エビデンスを提出させられ、そのために貴重な研究時間を削ってきた。企業のような緊張感や統率力が足りないと説教も受けた。


だが、いま、以上の全ての資質に欠け事態を混乱されているのは、あなたたちだ。長い時間でものを考えないから重要なエビデンスを見落とし、現場を知らないから緊張感に欠け、言葉が軽いから人を統率できない。


アドリブの利かない痩せ細った知性と感性では、濁流に立てない。コロナ後に弱者が生きやすい「文明」を構想することが困難だ。


危機の時代に誰が誰を犠牲にするか知ったいま、私たちはもう、コロナ前の旧制度(アンシャン・レジーム)には戻れない。
 


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今日のクイーン(再5)  6

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RITERA

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大島青松園  島田しげるさん(1)



白杖にまだ馴れきれず足重く不安踏みしめ踏みしめ歩む




抑えても込み上げてくるもののあり推薦欄に我が歌が載る




盲いたる我に温き春光を浴びて漂う梅の香に酔う






白き杖大地に一歩一歩記し闇の非情をま探りゆきぬ






舌先に点字を習うこの姿老いゆく母に見せたくはなし





自らを燃やして光見出さん舌に点字の粒をま探る





灯の消えし重症寮に黙深しやみをひき裂く春の雷






癩ゆえに青春もなく盲いたる吾に桜はひらひらと散る




療養のわがうつろいを満たしつつ散りゆく桜が春日に匂う




蜜柑の花匂う車窓に見えぬ眼を向けつつ想う故郷の山河




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目玉焼き

 
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おかずが残っていたので、目玉焼きだけ作った。

卵のまわりにふったのはタマネギの葉の小口切りで、ニンニク醤油で味付け。


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佐高信さんの特集記事


好きか嫌いかなど、そんな判断はなかなか難しい。


得意か不得意かなど、そんな判断も確かではない。


ただ単純に、続いたことが適性があったのであり、向いていたのだ。


ただそれだけのこと。


だから、最初の判断はむずかしい。




なにをやっても続かなかった自分が、農業とブログは続いている。


どうして続いているのか、自分でもよくわからない。


続けるしか他にすべがなかった。


続けれる環境にあった(経済的に少しは依存できる人がいた)。


過去にパチンコ依存症やニコチン中毒の症状もあった自分だから、

「依存症」になりやすい性格をしている。

ブログは、パチンコ依存症やニコチン中毒、宗教依存症と同じようなレベル。

これらと比較すればまだ、ブログの方が健全か?

ブログは、更新できなくなったら、あっという間に見てもらえなくなる。

過去記事まで遡って見てくれる人はまずいない。

死んだら一気に消滅、それもまた良し。





久しぶりに「佐高信さん」が毎日新聞に載った。

新聞に出てくる論客と、ネットに出てくる論客は往々にして異なる(ぼくはネットの論客を重んじる)ので、佐高さんも新聞社には敬遠される一人かと思っていたが、半ページの特集記事だった。

そのうち二つを抜粋。

作家、五味川純平(1916~95年)「戦争と人間」につづられた言葉

「信じるなよ、男でも、女でも、思想でも。

ほんとうによくわかるまで。

わかりがおそいってことは恥じゃない。

後悔しないためのたった一つの方法だ」



「何事も心から納得できるまで信用してはいけない

理解するまで時間がかかっても恥ずかしくはない

それは自分の身を守ることなんだよ━と。」





今から30年ほど前、宮本氏(下記(注)参照)は役所内で後輩から「今週はすしを食べに行かないほうがいいですよ」とささやかれた。


なぜかと聞けば、「生エビにコレラ菌が発見され、もう市場に出回った」と後輩は答えた。「なぜ公表して、警戒を呼びかけないのか」と重ねて尋ねると、「上層部」が発表しないと決めたからだという。幸いにして患者は出なかったが、上司に「対応がおかしいではないか」と抗議したところ、逆にたしなめられた。


「考えてもみろ、1ヵ月ほどすし業界や料亭にお客が来なくなれば、経済的なロスは計り知れない。40~50人のコレラ患者なら、入院させて治療しても経済的な負担はたかが知れている。もうちょっと大人の発想をしなければ役人として生きていけないよ」


(注) 宮本氏は、米ニューヨーク医科大の准教授などを歴任し、1986年に厚生省(現・厚生労働省)に入省。約10年勤めて退官し、著書「お役所の掟」などを書いて、官僚や役所の実態を暴露した。



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今日のクイーン(再5)  5

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毛ば部とる子

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大島青松園  朝 滋夫さん(6)



 
島の土に伸びてとぼしく果をつけし葡萄の房らいの系譜となる勿れ




屋根には屋根の雪ふりつむ草木には草木の雪ふりつむそれぞれ重く




殺したる蛇のまわりにうちすてし石のたぐいを夜半に怖れき




缶詰の葡萄ことごとく種子とられ病みてそだたぬ吾が誕生日




朝滋夫(繁夫)さんの略歴
大正6年7月21日山口県下関市生まれ。昭和8年7月21日大島青松園に入園。十代の終わり頃から作歌を始める。昭和14年「多摩」に入会。「多摩」の解散の後、昭和28年「コスモス」創刊より同人、30年6月退会。昭和33年「青光」昭和41年「砂金」昭和52年「香川歌人」入会。その間、昭和45年12月第11回砂金賞受賞。昭和50年視力回復。第一歌集『星屑』第二歌集『海繍』第三歌集『異形』(昭和47年)第四歌集『樹瘤』(昭和56年)『生の構図』(平成3年)『三つの門』(昭和45年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)



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ニンジンのバターポン酢


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熱したフライパンにバターを入れ、輪切りしたニンジンを入れ、煮立ったら極弱火にして25分蒸して裏返し、手作りポン酢をまわしかけ、2分ほど煮つめて出来上がり。



コンニャクの乾煎り


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コンニャクは手でちぎって5~7分乾煎りし、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。




アゲ、シイタケ、ネギの煮物


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シイタケとアゲを鍋に入れ、水と出汁の素を入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付し、煮立ったらネギを入れ、ネギがしんなりしたら極弱火にして10分煮て出来上がり。



目玉焼き

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ネギの葉をまわりに置いた。ニンニク醤油で味付け。



味噌汁


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リードを離されても、人間なら動けない


毎日新聞 4月24日 10面 「みんなの広場」


木製のつえを持ちながら散歩をしている。おしゃれでもなく実用的でもなく、サイズも合わない。しかし、片手に何かを持ちながら散歩をしないと寂しいから、そうしている。

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、帰宅が早くなった。日脚も伸びた。運動不足を解消し、晩酌への下地を作るために歩き始めた。西日を背中に浴びながら田んぼを横切り、川に向かう。農業用水を取り込むために作られた堰が目的地だ。

以前、犬を飼っていて、一緒によくそこに行っていた。散歩をする人も、農作業をする人もいないことを確認し、首輪につけていたリードを離すと「本当に自由に走り回っていいの?」と尋ねるようにじっと私の目を見るので、軽くうなづくと駆けだしていた。

寂しがり屋だったが、その愛犬はもういない。今はつえを振り回して夕日を十文字に切り、一人きりで歩いて帰っている。




毎日新聞の「みんなの広場」に載っていた、鹿児島県の49歳の方の投稿記事です。


なんか心に響いた。そしてふと考えた。


犬は首輪につけていたリードを離すと、駆け出すことができるんだ!


人間には、これはできないのではないだろうか。


突然に与えられた自由は、意外と使えない。どうしていいかわからず困ってしまう。


人は知らず知らずのうちに「自分のテリトリー(領域)の中でしか動いておらず、そのテリトリーから一歩も抜け出せていない。


だから、たまに農業仲間に支援してもらって共同作業をすると、その発想に「あぜん」とすることがある。


この発想は「自分には思いつかない、全くない」と感じたり、


えっと思う柔軟性にふれて、「自分の硬さ」というか、「一定の枠から出られない思考の壁」のようなものを感じて、


そんなことを強烈に意識させられて、落ち込むことがある。



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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