いつもの具材(ヤーコン、ニンジン、ネギ)に山菜の山ウドを加えて揚げた。
ダイコンおろし、ニンジンおろし
2030年 農業の旅→

朝日新聞 3月19日 30面
やがては流れ流れて
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
この祇園、長い間、京都の祇園あたりのお寺のことだと思っていたのだが、実はインド奥地の僧院のことだという。
この無常(情けない、の無情ではなく、常ならず)という諦観はどのようにして日本人の心に宿るようになったのか。
方丈記の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の流れ行く感慨にも通底する。
おそらく相次ぐ争乱、疫病、災害、飢饉などに絶えずさらされるうちにおのずと醸成されたものだろう。
ならば、現在、大騒動をもたらしている感染症も、やがては流れ流れていくはずだ。
それは制圧や根絶ということでなく、ウイルスとの共存という形で。ワクチンや治療薬の開発、そしてなにより我々の側の馴れによって、日常の風景の一つになるということである。
さて、平家物語は次のように続く。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。おごれる人も久しからず・・・。ここに動的平衡のことわりと入れてもぴったりくる。
ということで、私のこの定期連載も今回で終わります。別におごっていたつもりはさらさらないのだが、言葉の常として、意図に反して誰かを傷つけたり、不快にしたりしたことがあったかもしれません。
何事にも終わりがあり、終わることによって始まることもある。長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。
(生物学者)
最後の言葉が印象に残った。「何事にも終わりがあり、終わることによって始まることもある」
ヤギの銀ちゃん、ラムちゃんもそうだった。
死ななかったら、ハンセン病文学との出会いもなかった。
夕飯作りの時間もとれなかった。
護憲に関心を持つことも、多分なかった。
農業と出荷とヤギの世話で「くるくるまい」の日々だった。
でも、それだけの時間を費やしたから、後悔もあまりなく、時々「在りし日の姿」を思い出す。
死んだから(終わりがあったから)、終わることによって「時間に余裕ができ」、新しい何かに関心が移った。
還暦以降に始まったことは、すべて銀ちゃん、ラムちゃんの「死」に起因する。
銀ちゃん、ラムちゃんは、ぼくに次のステージを用意したのだった。
人間関係もいっしょと思う。
人生にはどういう出会いが用意されているか、誰にもわからない。
出会いは人それぞれの「宿命」かも知れない。
かなり年月が過ぎてから、出会いを振り返るようになる。
「意図に反して誰かを傷つけたり、不快にしたことがあったかもしれません」と福岡伸一さんは言う。
「知らず知らずのご無礼をどうぞお許し下さい」と母は亡くなる前の病床で唱えていた。
ある出会いが終っても、一生その出会いをひきずって生きていくこともある。
出会いはどういう形で始まるかわからない。無防備のうちに始まる。
受動的に始まり、よかったと思える出会いも、出会わなければよかったと思うことも、それぞれの人生の一コマである。
出会いは、望んだことではなく偶然という宿命。
一生ひきずっていく出会いもある。日々念じながら。
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