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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

HPで領収書公開を 県議会に陳情書


朝日新聞1月28日21面


海外視察報告書 ネット公開要請(県議会議長にオンブズ)


市民オンブズマンおかやまは27日、県議の海外視察の報告書や政務活動費の収支報告書などをインターネット上に公開するよう求める陳情書を県議会議長あてに提出した。

議会事務局によると、議会の申し合わせなどで、海外視察は任期1期に旅費120万円を上限に認められ、視察後に議会に報告書を提出する。閲覧には情報公開請求が必要だ。

政務活動費については、条例で県議1人に月35万円が交付され、報告書や領収書などを提出し、会計帳簿を作成・保管する。窓口で閲覧はできるが、平日に限られ、コピーを請求すると費用がかかる。オンブズマン代表幹事の光成卓明弁護士によると、政活費の領収書は昨年9月時点で全国18都道府県議会がネット公開しているという。





毎日新聞1月30日22面


HPで領収書公開を 市民オンブズマン 県議会に陳情書

NPO法人「市民オンブズマンおかやま」は27日、県議の政務活動費に関わる領収書と海外視察の報告書を議会ホームページ上で公開することなどを求める陳情書を県議会に提出した。

現在の仕組みでは、領収書を閲覧するには県議会に足を運ばなければならず、写しを持ち帰るためには1枚10円の費用がかかる。また、海外視察の報告書を閲覧したり写しを手に入れたりするには情報公開請求の手続きを踏み、同じく費用を払わなければならない。

陳情書では、政務活動費の収支報告書、領収書などのホームページ上での公開が全国の他自治体から遅れをとっていると指摘。

視察報告書については、公費による活動の成果は県民が共有することができるものであるべきだとした。同団体の光成卓明代表幹事は取材に対し、「現状は県民に対して十分な透明性が確保されない」と話した。


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今日のクイーン(再4)  12

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郷原信郎が斬る

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大島青松園  塔 和子さん(12)





あそこは暗かった

あそこで食べたのは

木の根の汁だけ

あそこは長かった

もう明るみに出る日はないかと思った

なんと明るいのだここは

思い切り声を出して暮らせる日が来ると

あの長い年月

考えられもしなかった

大勢の仲間と

好きなだけ声が出せる

声が出せることがこんなにすばらしいことだとは

知らなかった

あそこでは

言いたいことがあっても

じいっとがまんしていた

声を出しても

回りからふさがれたものだ

ああ

太陽をいっぱい受けて

愛し合って

産んで

祈って

ここは緑と光の楽園

あの暗かった季節に

こんなすばらしい日が訪れるなんて

いかなる摂理によるものだろう

三日の命だってかまやしない

いまは

生きている感動にふるえる目を

かっと見ひらいていよう











風紋


いつも

幸運が

顔を少し近づけた頃に

風が消したので

風紋があるだけ

風紋たちはささやいた

  小学校しかゆけなかったね

  自分の作品に

  親からもらった名前も記せないね

  病気はなおっていても

  病名が悪いから

  なおったと言って祝ってもらえないね

風紋のささやきに焦られて

私は立つ


偏見と差別の風

ひっそりと沈黙した砂たち

生産のない砂漠

風紋ができる条件が

いつの場合も

そろっていて



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大豆の煮豆


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緑ダイズは一晩、水で戻す。

戻し水を少し捨てて、戻し水ごと圧力鍋に入れ、角切りしたニンジン、ヤーコン、シイタケを入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付し、ダシの素を入れ、強火で、おもりが勢いよく回りだしたら極弱火にして25分、火を消して圧が抜けるまでそのまま放置して出来上がり。



ダイコンとニンジンのバターポン酢


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熱したフライパンにバターを入れ、7~8ミリに輪切りしたダイコンとニンジンを入れ、煮立ったら極弱火にして20分蒸して裏がえし、手作りポン酢(大さじ1強の醤油、大さじ1弱の酢とレモン果汁、大さじ半分のみりん)をまわしかけ4~5分煮つめて出来上がり。



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この国の公文書管理はむちゃくちゃ


日本の常識は世界の非常識

世界の常識は日本の非常識


この国の公文書管理はむちゃくちゃだ。改竄、廃棄、何でもありの国だ。


戦争中の公文書も、戦後すぐに大半が焼き捨てられた。


公文書はどこの国でも、きちんと管理すべく特定の人員が配属されている。


公文書管理すら出来ない国の外交」はあり得ない。




朝日新聞1月30日4面一部抜粋

合法的な文書隠蔽の危機
成城大学非常勤講師(瀬畑源さん)

瀬畑さんは、1年未満で捨てる文書か否かが現場の判断にゆだねられている部分が多いことに危機感を募らせる。「合法的に文書を捨てたり、隠蔽したりできるような状態になってしまったのではないか」。

公文書管理を監視する役割を担う、公文書監査室が内閣府の中にある限り、身内を激しくチェックすることはできない」と語った。 



歴史学者の興那覇潤さんは、下記の記事の末尾で、

『民俗学者の宮本常一が書いているが、こうした談合型の意思決定は村の寄合では有効だ。論争による分裂を避けられ、後から「お前の案のせいで」と吊るし上げられる心配もない。ただし副作用として、誰がいつどう発言したかという「歴史」と、それに伴う「責任」を失うことにはなるが。

私たちは歴史と責任を引き受けて生きるのか、歴史なき「流れで決まった」式の楽園で”幸せ”に暮らすのか。それこそを政権は国民に問うている。』と書いている。




朝日新聞1月30日28面

興那覇潤の歴史なき時代 「流れで決まった」楽園

安倍政権が重要な会議で議事録をとらず、とっても黙って廃棄していたことが批判されている。一般論としては、たしかによいことではなさそうだ。

しかしわが身を振り返ると、よくわからなくなってくる。准教授として大学の教授会に出ていたころ、輪番で「書記」を頼まれた。

ノートPCを持ち込んだら、職員さんが驚いている。教授会の書記とは、審議項目のみでほとんど「目次」と変わらない儀礼的な議事録に、承認の印鑑を押すだけの役割だったのだ。

より慣れた教授になると、大事な議題ほど資料を出さないで審議させる。組織再編のような重要事を、レジュメ1枚すら作らず提案する姿勢に疑問を呈したら、なんとこちらが説教された。

意訳すると「誰が議論を主導したのか足がつかないように、場の流れで決まったふりを装おうとしているのが、わからんのか!」ということらしい。

民俗学者の宮本常一が書いているが、こうした談合型の意思決定は村の寄合では有効だ。論争による分裂を避けられ、後から「お前の案のせいで」と吊るし上げられる心配もない。ただし副作用として、誰がいつどう発言したかという「歴史」と、それに伴う「責任」を失うことにはなるが。

私たちは歴史と責任を引き受けて生きるのか、歴史なき「流れで決まった」式の楽園で”幸せに”暮らすのか。それこそを政権は国民に問うている。(歴史学者)


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今日のクイーン(再4)  11

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澤藤統一郎の憲法日記

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大島青松園  塔 和子さん(11)

 
エバの裔


泉の目

苺の唇

杏の頬

風に吹かれる五月の草のやわらかい髪

雌鹿の足

鬼百合の雌蕊の細い指

新鮮な野生のにおいに包まれた女の

持ってきたものは

一匹の蛇

ひとりの天使

女は

いつも愛らしく清らかで

誇りにみちていたが

蛇の暗示から抜け出すことができず

疑惑や悔恨や欲望の間をさまよいつづけた

女は昼と夜とを共に抱き

知性と本能に身をほてらして

不可解な魅力に輝く

咲き乱れた矛盾の花園



その優しいもの 

強いもの

罪深さの故に魅力あるもの

私は

この美しいひとりの女を住まわせている

住居










遠くからの声



母から母へ

   母から母へ

はるかにはるかに流れて来た私が

人の繁みの中へ

ほうり出されている

繁みの中の個として

もうどこへもつながっていないのに

どこか遠い遠いところから声がする

私は今日

次の世代へ渡すべくあらされている母性


あなたよ

あなたの父性も

その父のその父の

はるかなはるかな始祖から

あなたへ流れて来た血を受けとめてあるのか

私たちらい夫婦は子を産まず

遠くからの声を

うさぎのように耳を立てて

聞いているだけ

流れをせきとめて立つことの

重たさが

透明にしみる一瞬を




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ハクサイとツナ缶の煮物


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ざく切りしたハクサイを鍋に入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付し、強火で、ハクサイが少ししんなりしたら、油をよく切ったツナ缶を入れ、煮立ったら極弱火にして15分煮て出来上がり。



シイタケの三杯酢

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シイタケを裏表10分ほどずつ焼いて皿にとり、三杯酢をかけて出来上がり。



ダイコンおろしとニンジンおろし


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隣組


「隣組」とは・・・と検索して、「ウイキペディア」や「コトバンク」、「制度・活動ドリフターズ」隣組とは「チクったりチクられたり」から、抜粋したり、コピー&ペーストしました。


隣組は、概ね第二次世界大戦下の日本において、各集落に結成された官主導の銃後組織である。大政翼賛会の末端組織、町内会の内部に形成され、戦争総動員体制を具体化したものの一つである。


もともと江戸時代に五人組・十人組という村落内の相互扶助的な面もある行政下部組織が存在していて、この慣習を利用したものである。


日中戦争やヨーロッパで始まった第二次世界大戦に対応して行われることになった国家総動員法、国民精神総動員運動、選挙粛正運動と並び、前年に決定し、1940年9月11日に内務省が訓令した「部落会町内会等整備要領(内務省訓令第17号)」(隣組強化法)によって制度化された。5軒から10軒の世帯を一組とし、団結や地方自治の進行を促し、戦時下の住民動員や物資の供出、統制物の配給、空襲での防空活動などを行った。


また、思想統制や住民同士の相互監視の役目も担っていた。戦後の1947年、連合国軍最高司令官総司令部により禁止されたが、その後も町内会等は現在に至るまで多くが残存し、回覧板など隣組の活動形式を色濃く残している。



国民の、国民による、国家権力のための活動

さて、隣組の活動について。
先にも述べましたが、隣組は、地域の消防、灯火管制、警報伝達、防護といった「家庭防空」、出征兵士の見送りや遺族・留守家族への救援活動、食糧増産、貯蓄推進、国債の割当といった銃後後援や経済面での活動を行っていました。食糧等の配給切符支給も、隣組を通じて行われています。
国債の割当なんかでは、年々公債発行額が増加していったことから、そのしわ寄せが国民に対する半ば強制的な割当消化としてあらわれることとなりました。
ある隣組では、副食費を節約して国債購入金の一部に充てることを決定するなど、涙ぐましい努力が行われたりしてます。国の失策のしわ寄せが国民に押し付けられるというのは、日本の伝統なんでしょうかね。

チクったりチクられたり

さて、隣組の活動には家庭防空や経済協力以外に、もうひとつ重要なことがありました。
もう予想はついてると思いますが、隣組を構成する人々同士での相互監視ですね。

太平洋戦争勃発の1941年(昭和16年)の日本では、治安維持法をはじめとする治安法規とそれに基づく弾圧により、「不平不満分子」はほぼ一掃されていました。
にも関わらず、この時点に至っても隣組を通じた「赤化防止」が企図されており、隣組常会により「犯罪者の隠れ家、赤化分子のアヂトと云ふ様なものは其の存在が困難」になるとしながら「常会への赤化思想の浸潤は厳に注意」としています。
赤化はともかくとしても、戦争で疲弊し、食べるものもろくにない国民が国家に対する不平不満を抱くのは当然であり、常会などでふと漏らした不満が密告されるなんてことが起こるようになりました。前述した国債割当について漏らした不満(いわく「無理に戦争に勝とうとするからこの様な国債売までするのだ。早く戦争を止めてもらいたい。」)が、不穏言辞として記録されたりも。

焼夷弾への対応

1941年(昭和16年)、「防空法」の改正により応急防火義務が規定されたため、投下された爆弾の消火について、民衆が対応しなければならなくなりました。
爆弾は炸裂した瞬間しか爆弾ではない。あとは、唯の火事ではないか」などとわけのわからんことを言って、隣組の面々に消火活動を押し付けたりしたわけですが、雨のように降り注ぐ焼夷弾、波状攻撃の敵機の前には、消火活動は不可能に等しいものでした。

最後に

部落会・町内会・隣組制度は、太平洋戦争敗戦後の1947年(昭和22年)、GHQ(連合国総司令部)によって「国家体制に組み込まれた地域社会を構成する中心組織」とみなされ、ポツダム政令により廃止されました。

ちなみに、隣組制度は意外なところで生き続けています。
インドネシアのRT/RW制度がそれで、もともとは太平洋戦争中、日本軍占領下のインドネシア、ジャワ島で行政補佐のために日本式の隣保制度が導入されたことに端を発しています。
敗戦で日本軍が去ったのちにも存続し、とりわけ開発独裁の時代(1966〜1998年)には重用されました。
(日本の占領統治とスハルト政権の性格の類似(権威主義的な統治)による、との指摘があります。)

さて、ついでというとなんですが、最後の最後に、隣組の歌の歌詞を掲載しておきます。
1番は冒頭で乗せましたが、一応再掲して最後の4番までどうぞ。

とんとんとんからりと隣組
格子をあければ顔なじみ
まわしてちょうだい回覧板
知らせられたり知らせたり

とんとんとんからりと隣組
あれこれ面倒味噌醤油
ご飯の炊き方垣根越し
教えられたり教えたり

とんとんとんからりと隣組
地震やかみなり火事どろぼう
たがいに役立つ用心棒
助けられたり助けたり

とんとんとんからりと隣組
何軒あろうと一所帯
こころは一つの屋根の月
纏められたり纏めたり

余計な一言。最近は愛国者様を中心に、こういう脳天気な歌詞をまんま信じちゃうような人が結構いたりするので、驚きです。「そんなに悪いものではなかった」とか「良い面もあった」とか飛ばしちゃったり。

自分の見たい情報だけをみて自説強化してるんでしょうけど、あまりやり過ぎるとこじらせて境界線を越えたりしちゃいますので、程々にしておくのがよろしいかと


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今日のクイーン(再4)  10

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広原盛明のつれづれ日記

 京都新聞の反共広告は謀略宣伝広告だった。千住博・前京都造形芸術大学学長(日本画家)や放送作家の小山薫堂氏が「無断掲載」との緊急コメント、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(20)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その197)


この広告は、今後の国政選挙の野党共闘にくさびを打ち込んだ!

(1)京都新聞がなぜ、このような広告を(内部でいろんな議論があったと思うが)押し切って出すことに決めたのか、説明責任がある。

(2)今までの広告に比べて一歩踏み込んだと認識するなら、名前を使わせてもらった個々の人に、今回の広告の原本をみせて、各人に承諾を得るのは当然と思う。

(3)こんなことでは国政の野党共闘はできない。

(4)この広告自体が、現在の安倍政権を支持しているということ。京都市民の立憲民主や国民民主からの大量離反があるだろう。

(5)これでは次の国政選挙が思いやられる。ここで京都の現職が勝つなら、次の総選挙でも自民党が勝つ。


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大島青松園  塔 和子さん(10)

 
舞台


夢をくれた方は目覚めもくれた

甘さをくれた方は苦しさもくれた

愛をくれた方は憎悪もくれた

美しさをくれた方は醜さもくれた

生をくれた方は死もくれた

その方はみんなくれた

片方だけにしなかったから

人間はみんな知り

みんな味わい

みんな成すことができた

でも理性という根締で

ちょっぴりしめておいたのはさすがでした

あなたの思いの中で

自由と拘束の間を綱渡りする人間は

怪物にもなれず

天使にもなれず

ふらふらと危うげに

幕の下りるまで

舞台にいます









ある姿勢


風は愛撫を

鳥は言葉をはこんでくれた

人はただ眺めて通った

いつもながめ方はちがっていた

親しみだったり

愛だったり

情けだったり

憎しみだったり

軽蔑だったり

いろいろな人が

いろいろな目でながめて行った

私はいつでも黙って立っている樹だった

立ったまま

眺める人をながめている樹だった

人は樹の前では

いつも眺められていることを忘れていた

樹になっていると

何でもよく見えた

樹の前だと人はありのままの姿を見せたから


雨が降れば雨に降られ

風が吹けば風に吹かれるまま

私は黙って立っている樹だった

そして

誰も

私が樹になっていることを

さして気にもとめなかった



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野菜のかき揚げと芋天


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野菜のかき揚げの具材は、前回と同じで、ニンジン、ヤーコン、シイタケ、ネギの4種類。他に芋天。
心がけたことは、

(1)入れる油は極力少なくして、最後は「揚げ焼き」のように。
(2)先に衣をつくるとうまくいかない。ボールに具材を先に入れ、大さじ3ほどのてんぷら粉でまぶす。
(3)天ぷら粉を入れ、水を入れ、天ぷら粉を入れ、水を入れを3回ほど繰り返す。目分量の方がうまくいく。
(4)一つのかき揚げの量を少なくすると、油鍋に入れた時、あまりばらけない。
(5)芋天は4つ入れるが、かき揚げの時は鍋に2つ。




味噌汁

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朝は作りたくないので、夕飯と一緒に作る。



ダイコンおろしとニンジンおろし

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国宝「山鳥毛」 購入へ


地元だから、この記事を書かないわけにはいかない。

ぼくは「花より団子」で、刀などに興味はないが、過去に1度だけ、ブログのねたに「刀剣博物館」を訪れたことがある。我が家から10分もかからない。


朝日新聞1月28日 21面

瀬戸内市は27日、戦国武将・上杉謙信が愛用したとされる国宝の備前刀「太刀 無銘一文字」(愛称・山鳥毛)の購入費として募っていた寄付が、目標の5億1309万円を超えたと発表した。市は所有者と2月中にも仮契約を結び、議会の議決を経て買い取る見通しという。


山鳥毛は県南東部の備前地方で鎌倉時代に作られたとされ、現在は県立博物館(岡山市北区)が個人所有者から寄託を受けている。

市は2018年春に購入方針を発表。その後「里帰りプロジェクト」と銘打ち、資金集めを進めていた。

方法は、ふるさと納税やクラウドファンディング(CF)、企業版ふるさと納税などを活用した。最終的な目標額は、山鳥毛の購入費5億円を含む5億1309万円とした。

記者会見した武久顕也市長らによると、26日現在で8億円を超す寄付が国内外の延べ1万4千超の個人や企業から寄せられ、目標額と返礼品などの経費を加えた総額を上回った。昨年末から急ピッチで増えたという。武久市長はその理由の一つに、昨年10月、市内の備前長船刀剣博物館であった山鳥毛の特別陳列が盛況だったことを挙げた。

今後は購入に向け、市議会2月定例会が始まる2月19日までに所有者と仮契約を結ぶ。本契約に進む議案を定例会に提出し、年度内をめどに山鳥毛の活用基本計画を策定。展示方法などを具体的に決める。寄付は3月末まで募り、目標額を上回った分は刀剣博物館の駐車場整備などに活用していくという。



山鳥毛の購入が決まるまで、市の方針は二転三転した。

市は当初、期限を翌19年1月末とし、全額を寄付だけで賄う計画を策定。目標額は、経費を含めて最大で合計11億円超と目された。

しかし、18年夏に西日本豪雨が発生した影響で、プロジェクトのスタートは約3ヶ月延期。期限を2ヶ月延長し、19年3月までとしたものの、寄付は経費分を除いて約2億2900万円にとどまった。

波紋を呼んだのは、低調な寄付を受けて武久市長が19年2月、自治体の貯金に当たる財政調整基金を一時取り崩して売買契約を結ぶ方針を発表したことだ。

公費4億円超を投入する案に対し、市民からは「目標額を集められず不成功だったならやめるべき」「ずさんな公金支出に歯止めを」と反対の声があがった。

結局、武久市長は所有者の意向をふまえ、公金支出方針を撤回。再び購入費を全額寄付で賄うこととし、さらに受付期間を1年延長して、今年3月末までとしていた。



所有者はどんな人だろう。公表されることはないだろうが。

売買における譲渡所得などはどれほどかかるのだろうか。

この1年で5億円余りの寄付が集まっている。何か政治的な思惑も感じる。

何の見返りも期待せずに、このような金額が集まるものだろうか。刀に。

現在は県立博物館が個人所有者から寄託を受けていると書いてあったが、そのまま県立博物館で特別公開のような形で、見たい人に見てもらえばいいのではないか。

ここまで進んだら、もう後戻りはないだろうが、たとえばゴッホの「ひまわり」を5億円かけて購入するという話が持ち上がったら・・・、ぼくは複製画を見ていれば十分だ。



なお、山鳥毛は1952年に国宝指定されている。
2016年8月に新潟県上越市が購入方針を発表。所有者と価格の折り合いがつかず、後に断念。
2018年4月に瀬戸内市が購入方針を表明。6月、市の専門家組織が「5億円以上の価値」と評価。11月、瀬戸内市が資金集めを開始。


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今日のクイーン(再4)  9

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広原盛明のつれづれ日記

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大島青松園  塔 和子さん(9)




顔のない

なだらかな群れの中から

突然ひとつの顔が摘出される

そうだ

満員電車の中で足を踏まれたとき

あわててひたいをぶつからせたとき

突然群れの中からひとつの顔が摘出され

やあ失敬などと声を出す

しかし また顔は

再び群れの中へとけ込んでしまい

街は何事もなかったように

同じ速さで動いている



そんなものが本当に見えるのは

偶然によって対かい合った人間が

互いのことを確かめ合うときだけ

顔は接近すると対かい合う位置にある

でもみんな

平常は顔のことを忘れている

けれど

どこかで踏みはずしたとき

顔のない群れは

忽ち分解した微粒子のように

ひとつひとつの顔になり

転落した不幸な人間の上へかぶさってくる

そして

世界は顔になって

小さな不幸の上を踏みつける












口紅


口紅は

金の金具に納っている気取りやさん

手に取ると南天の実のように愛らしく

私の胸底をくすぐる

その華やかな紅と油質の固体をもったおまえは私のすべてを知っている

だからおまえといるとき

こんなに安心していられるのだ


うずうずと胸底にたぎる熱情も

刃物のように青澄んだ理性も

脂肪のように粘り着く執念も


おまえはみんな知っている

とりわけ鏡に対う私のうぬぼれを

許してくれるのはありがたい

だからこうしていると

私は夕べの空のような安心感を呼び戻すことが出来るのだ


乾いた私の病痕をうずめて

唇に艶めくおまえの

その華やかな紅の明るさ

やっぱり許していてくれる

たったひとつの嘆きを

不逞な美への執念を


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ヤーコンとニンジンのチヂミ


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ニンジンとヤーコンをすりおろして(ヤーコンは水気が多いのでしぼる)ボールに入れ、片栗粉を大さじ2~3入れて混ぜる。

熱したフライパンに油を入れ、スプーンで具材を落し、裏表10分ずつ焼き、皿にとり、手作りポン酢をかけて出来上がり。



カブの甘酢漬け


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カブはスライスして塩をふってもみ、途中で何回かもみながら、しんなりするまで1時間以上置く。

その間に1カップ余りの水を沸騰させて火を止め、削り節を入れ、15分以上置いて、出し汁を作る。

出し殻を茶こしで濾して、出し汁だけ鍋に戻し、酢を120CCと砂糖を50g入れ、火にかけて溶かす。(出し汁180CCと酢120CCで合計300CCの甘酢)

カブがしんなりしたら水気をしぼりながら瓶に入れ、冷めた甘酢を注ぎ、ショウガ1片をすりおろして出来上がり。

1昼夜経過したら食べれる。少し赤カブを入れると、全部がきれいなピンク色に染まる。



サトイモの煮物


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乱切りしたサトイモとシイタケを鍋に入れ、水を入れ、醤油、砂糖、酒、みりんを入れ、削り節を入れ、煮立ったら極弱火にして20分煮て出来上がり。



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韓国「併合」は、韓国「侵略」の日


朝日新聞1月27日 4面


英国が入植を始めた1月26日を祝いません━━。オーストラリアでこんな決定をする自治体が相次いでいる。

この日は、1788年に英国の船団が豪州に上陸したことを記念する「豪州の日」という国民の休日。

これまでは祝うのが普通だったが、「侵略の日」と受け止めている先住民(アボリジナルピープル)が多いことに、近年、自治体側が配慮し始めた・・・・




朝日新聞1月26日 天声人語

東京・池袋にある立教大学のキャンパスに一通の手紙のコピーが飾られている。

「窓の外で夜の雨がささやき

六畳の部屋は

よその国」

そんな書き出しのハングルの詩。

戦中の1942年、同大に留学した朝鮮の詩人、尹東柱が友人に送った自作だ。詩人は次いで書く。

「人生は生きがたいものだというのに

詩がこれほどもたやすく書けるのは

恥ずかしいことだ」

『たやすく書かれた詩』から伝わってくるのは、清冽で研ぎ澄まされた感性。

翌43年、尹は朝鮮独立運動にかかわったとして治安維持法違反で京都で捕まり、終戦の半年前の45年2月16日、27歳の若さで獄死した。

日本で書かれた詩は押収され、この手紙に記された5編だけしか見つかっていない。

「詩人尹東柱を記念する立教の会」の楊原泰子さん(74)たちは毎年、尹の命日のころに大学で朗読会を開いてきた・・・・



2020.01.27  映画『パラサイト 半地下の家族』を みましたか



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今日のクイーン(再4)  8

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よらしむべし、知らしむべからず

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大島青松園  塔 和子さん(8)

 
食べる


子供の頃は待ってくれた

かまどのそばで

針箱のそばで

いろりのそばで

父や母や兄弟が


するめを噛むと

ちょっとしょっぱく ちょっと甘く

その家の匂いがする

そこは

海辺の村だ

いまは誰も待っていてはくれない

父死に母死に

兄弟は巣立って行った

からっぽの家では

終日うす暗い闇が立ちこめ

物音もしないだろう


私はなおも噛む

海辺の村とちょっぴり甘い記憶の残るあの家を

するめはぴちょぴちょ口の中で

音立てながらすこしずつちぎれる

私の記憶もちぎれてはひとつ鮮明に浮き上がり消え

また

別の場所が浮き上がり

ひっそりとした秋の部屋で

ひとり

ぱりっとするめを裂き口に入れる

かくれて餌を食べる猫のように

こっそり

私はこころよい記憶を食べている











立つ


私は立っている

ふらついても抱き止めてくれない

透明の中に在って

はじめて私は立っている

ひまわりの花も薔薇の花も

その透明な空間を占めて

はじめて存在を示す

私が歩くと

私の存在が移動する

そして私は

ありとあらゆる空間へわけ入って

いっとき魂と共に歩き

くらりとすがるもののないかたわらの無へ

たおれ込むだけのもの

在ることは

厳然とわけられている

闇と闇の結んだ光の頂点に

否応なく立つこと

私は立っているものを愛おしむ

透明な空間で

くっきりと立つことは

孤独を光らせたまま在ることだから

ひまわりの孤独が立っている

薔薇の孤独が立っている

私の孤独が立っている

大地と空の間

何の物音もない

真昼の庭に



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リメイクしてカレー


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昨日の「圧力鍋でイノシシ肉」は、別鍋にとり、ルーを2個入れてカレーにした。

イノシシ肉はカレーによく合う。



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はとバス・ライセンスガイド 井上淳さん


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「私の名前はアツシ・イノウエ。アツシが発音しにくければ”スシ”と呼んでください。でも”テンプラ”とは呼ばないで」。


東京・浜松町を出発した「はとバス」の外国人向け東京観光ツアー。ユーモアを交えて英語で自己紹介すると、車内は笑いに包まれた。明治神宮に皇居東御苑、浅草、銀座━━。名所を回りながら、その歴史や見どころを説明する。新天皇即位や東京五輪・パラリンピックの準備状況などのトピックも盛り込み、軽妙なトークで乗客の興味を引きつける。


英語の全国通訳案内士の資格をもち、2012年からはとバスでツアーガイドを務める。


通訳案内士は語学のスキルはもちろん、日本に関する幅広い知識が求められる。ただ、それを相手に伝えるだけでは満足していない。「ガイドはエンターテインメント。どうしたら楽しんでもらえるかを常に意識しています」


旺盛なサービス精神には、役者の経験が生かされている。大阪の大学を卒業後、大手流通企業に就職したが、映画に携わる仕事をしたいという思いが捨てられず、3ヶ月で辞めた。東京の劇団に入って舞台役者をしながら、浅草で人力車を引くアルバイトを始め、そのうち独立して個人で人力車の会社を持った。


浅草は外国人観光客が多く、知人のガイドから教えてもらった通訳案内士に興味を持ち、難関の国家試験に挑戦しようと決意。役者の活動をやめて勉強に集中し、3度目のチャレンジとなる07年度の試験で合格した。


はとバスでは日本人向けツアーと違って、外国人向けにはガイドのマニュアルはない。先輩ガイドの案内を参考に、どのタイミングで何を話すか、自分なりのシナリオを作っていく。半日のツアーでリポート用紙30枚くらいの量になるという。内容はデータを常にアップデートするほか、より分かりやすい表現を思いつけばその都度書き直す。


「想定外の質問で話が飛ぶこともありますが、そこは柔軟に対応するのがテクニック。覚えたセリフをそのまま言うだけでは役者は成り立ちません。ガイドも同じです」


五輪イヤーで、インバウンドはこれからが本番だ。「国籍や文化、考え方がそれぞれ異なるお客様の多様性をあるがままに受け止め、個々の人間として接するように心がけています。ツアーに参加して、『心地よかった』とプラスの感情をもってもらえれば」。
プロのエンターテイナーとして”おもてなし力”に磨きをかける。

(文・田中洋之 写真・尾籠章裕)


いのうえ・あつし 1970年大阪府生まれ。浅草個人人力車協会の会長だった2008年、浅草に人力車専用レーンを実現させた。


私のイッピン 指示棒

はとバスでガイドをするようになってから同じものを使っている。先端には「どこでも目立つように」と、いつも黄色のてるてる坊主をつるしている。ツアー中の晴天を願う意味もあるが、「僕はもともと晴れ男なんです」。



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今日のクイーン(再4)  7

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阿修羅

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大島青松園  塔 和子さん(7)

 

いちじく


なまりのように重い暑さを扇風機がかき廻している

厚ぼったく茂った木々の間で

蝉がじんじん鳴いている

ひまわりはこくびをかしげたままいくぶんしおれている

夏は日々うれて

私は思い出の夏をその夏の上に重ねる

小川のそばのいちじくを手にいっぱい

もぎとって食べた夏

海でしぶきを上げながら泳いだ夏

少女の日の健康な夏は光り

そしていまそのさまざまな

思い出の夏を見ている

畳の上に

どさりと体をよこたえたまま











今はまだ


もうすこし年がいったら

この未完の物体が仕上がるのかも知れない

あるいは

夕焼の中の芦原のようになるのかもしれない

仕上がってほっとしたいとも思うし

ひっそりと枯れていたいとも希う

またしばらくは

静かにほほ笑んでいるような

薔薇色の夕焼雲のように在りたい

ああ

それから

安らかに眠りたい


もう少し年がいったら

そして今はまだ

なまぐさいものが好きだ

欲望や希望にゆれる波でおぼれそうな海

自らを引き裂きひきさき糧とする日常

愛や裏切りや

自負や喪失を重く沈めて

発酵している

この狂気のような現実が

なぜともなく好きなのだ



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圧力鍋でイノシシ肉


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もらったイノシシ肉は解凍してスライスし、15秒湯通しする。

圧力鍋に乱切りしたダイコンとニンジンを入れ、同じく乱切りしたヤーコンとジャガイモを入れ、タマネギのスライスを入れ、イノシシ肉を入れ、ネギを入れ、ショウガ1片とニンニク1片をすりおろし、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、1カップほどの水を入れ、強火で、おもりが勢いよくまわりだしたら極弱火にして25分、火を消して圧が抜けるまでそのまま放置して出来上がり。

おいしいイノシシ肉だった。豚肉や牛肉に比べ、煮た時の「目減り」がかなり少ない。
  


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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