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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

観覧席にいるあなたへ


12月31日 朝日新聞 社説一部抜粋


人類ってやつは、もっとも愚かで不公平な類の種族だ。大半のランナーは、まともなスニーカーやきれいな飲み水さえ持っていない。


生まれつきすごくラッキーなランナーもいて、そいつらは道の途中でも手厚くケアされるうえに、審判まで味方みたいだ。


多くの人が完全に競争をあきらめて、観覧席に座りこんで、ジャンクフードを食べながらヤジを飛ばすのも不思議じゃない。


「令和元年」の祭りばやしが鳴り響いた2019年の日本でも、そんな光景をあまた目にした。社会の分断? それにしても見物人が多すぎやしないか。


こんなゲームはおかしい。


みんなが抗議の声を上げれば、ルールは変えられる。なのに多くの人はずっと手前であきらめて、観覧席に退却する。


なぜだろう?


小文はこう結ばれる。


「人類に必要なのは、もっと大勢のストリーカーだ」


ストリーカーとは「素っ裸で人前を疾走する人」。努めて穏当に意訳すれば、空気を読まず、秩序を攪乱する人、という感じか。


観覧席で飼いならされるな。


許可なく生存し、嫌われ、迫害されてもなお文明を食い破る可能性を秘めているネズミは君の究極のお手本だ━━バンクシーはそう言っている。たぶん。





それにつけてもランナーと見物人を分かつものは何だ? 問いを携え瀬戸内海の島に渡る。


広島県・尾道港からフェリーで50分、人口500人弱の百島で、今月15日までアートイベント「百代の過客」が開かれた。


企画・運営したのは、島に移住した20代の男女4人。「芸術とプロパガンダ」など3つのテーマをしつらえ、作家や識者、一般参加者が語らう対話企画を主軸に、昭和天皇の肖像をコラージュした作品などを展示した。


「不便な島だからこそ、作品とじっくり向き合い、考えてもらえると思いました」。島に住んで約3年、映像作家の八島良子さん(26)は話す。


ところが、先行したあいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」で、天皇コラージュの作者の映像作品が苛烈な批判にさらされ、「余波」は百島にも及んだ。広島県や尾道市に抗議が寄せられ、会場には急きょ警備員が配置された。


「ひどい展示だった」。ネットには罵詈雑言が連なった。だが、会場で罵詈が飛ぶことはほとんどなく、不快や不可解は、「なぜこんな展示を?」の質問として発せられることが多かったと八島さんは振り返る。


対話企画の最終回、登壇した作家と、「公金使って不快な作品を展示するのはおかしい」という参加者が対立した。公金は今回使われていないと説明するも、「許せない」「不快な芸術もある」と議論は続いた。そして最後、参加者が「同意はできないが、あなたのような人がいることは理解する」と言い、二人は握手を交わしたという。


過疎が進む小さな島で生まれた、とてもとても小さな話。でも、そこからしか始まりようのないお話。観覧席を出なければ見ることのできない風景。


「永久に止まらずに歩き続ける旅人」。そんな意味が「百代の過客」にはあり、企画した4人はこう思いを込めた。「芸術は時に徴発的でもありますが、それは複雑な社会を表現し、自由な精神を求めて戦い続けているからです。本企画が『私たちはどこに向かって歩き続けるべきか』という一つの問いかけとなることを期待します」。


会場を出て、帰りのフェリーの時間まで島内を歩く。露地に入れば、朽ちた何戸もの廃屋に行き当たる。年かさの男性が黄色い実を収穫していた。橙だ。「正月飾りをする人が減って、ダメになりかけてたんだけど最近の健康ブームで国産の需要がものすごく増えた」と一息で説き、ひとつくれた。


イベントの中傷ビラがまかれたと聞いていたので、それとなく水をむけると「もっと人が来るかと期待してたんだけど。でも最近ちょっと有名になったみたいね。よかったね」と言って笑った。


月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也
(松尾芭蕉「奥の細道」)


来年は子年。さて、どこに向かって歩き出しましょうか。



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今日のクイーン(再3)  73

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阿修羅

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邑久光明園  泉 安朗さん(2)



母と居て病のことは言うまじよ土産の鮎に話題をうつす





定時外は便器替えぬと立つ助手の蔑視に耐えて終る一生か





はらからと断たれて島に病み古りきなお断ちがたき面影一つ





母とする昼餉も久し蒼茫の烏城の空を群れ飛ぶつばめ





倖せと見えむ新春我が母は不治の子二人に茶を立てくれぬ





口述の詩をかきもらい侘しがる港に太く立つ虹の色





扶助うけて生きるは悲し罪ふかし蝉引く蟻の根性を見つ





九十四年の辛苦の炎燃えつきて仏陀のもとへ母旅発ちぬ





曲がる指もみくれ哭きし母なりき母のお指も今は世になし





ワークキャンプおわりて語る学生の思想はあやうきまでに新し




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カキフライ


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大量のカキをもらい、あまり日持ちはしないので、全てカキフライにした。

カキはボールに入れ、4回ほど水洗いし、ザルに上げる。薄力粉→溶き卵→パン粉の順に衣をつけて揚げる。

これだけ揚げるのに、溶き卵が4個いった。



年越しそば


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かき揚げは市販品。




ダイコンおろしとニンジンおろし

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味噌汁

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鍋にニンジンの千切りとカブのいちょう切りを入れ、水とダシの素と削り節を入れ、煮立ったらざく切りしたハクサイを入れ、再度煮立ったら極弱火にして10分煮て、味噌を溶き入れ、ネギとシュンギクをふって出来上がり。

 


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今日のクイーン(再3)  72

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リベラル21

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邑久光明園  泉 安朗さん(1)

 

青い鳥ついにとらえず明りなき吾れに耳あり希望は捨てじ




乗車拒否せしバス消えて冬の灯に癩ゆえ痛む影を凝視す




月光の縞をふみつつ降りきて夜更けの桟橋に姉の船待つ




二度と訪うこともなからむ対岸の吾が家のあかり吹雪にうるむ




千余名の暮らしささえて太く吐く炊煙は凍みて浜低く這う




わがために離婚となりし妹よ凍夜に祈る心疼きて




春茜染むる渚の白砂を踏む素足欲し健康が欲し




父逝きて家運をせおい立つ母の後姿愛し春の虹立つ




母の姿視野を去るまでまばたかず雁鳴きわたる瀬戸の小島に



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鯛アラと野菜の蒸し煮


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無水鍋の下敷きにタマネギとハクサイを入れ、千切りしたダイコンとニンジンを入れ、15秒湯通しした鯛アラを置き、ショウガ1片をすりおろし、砂糖少々と、酒、みりんを入れ、小さじ1の醤油を入れ、味噌を少しずつ置き、煮立ったら極弱火にして20分煮て出来上がり。

溶けると思っていた味噌が溶けておらず、味噌だけ取り出して酒で溶いて入れ、煮立つまで強火で煮て出来上がり。


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今日のクイーン(再3)  71

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週刊金曜日オンライン

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邑久光明園  牧岡秀人さん

 

面会に母がもて来し二貫目の柿は十日目に食ひはてにけり




父のみのみ墓の土を母そはは御護りにせよと送り給ひぬ




義足吾を歩ませ見つつ母そはは慈愛の涙ぬぐひ給へり




読難き片仮名だより母そはの母の情の溢れゐにけり




寝台によりて語れる面会の姉をいつしか月は照らせり




母そはよ産みたる罪をの給まふな吾は運命と諦めゐるを



牧岡秀人さんの略歴
大正4年3月5日鹿児島県生まれ。昭和14年5月17日邑久光明園入園。昭和58年7月27日没。『陸の中の島』(1956年)『光明苑』(昭和28年)



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リメイクしてグラタン


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焼いた食パンは半分に切ってグラタン皿に入れ、一昨日のホワイトシチューの残りをかけ、とろけるチーズ1枚を半分に切って置き、冷凍しているバジル粉をふり、オーブントースターで4分焼いて出来上がり。



バターナッツのポタージュ

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無水鍋に大さじ4の水を入れ、薄切りしたバターナッツを入れ、煮立ったら極弱火にして20分、火を消して余熱5分で蓋を開けてつぶし、牛乳をいれて点火し、混ぜながら牛乳が煮立ってきたら出来上がり。



チリメンのポン酢浸し

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手作りポン酢(大さじ1と半の醤油、各大さじ1の酢とレモン果汁、みりん大さじ半分)を作る。

沸騰したら火を止めてチリメンを入れ、60秒湯通しして冷水にとり、手作りポン酢に浸して出来上がり。



すき焼き


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醤油、砂糖、酒、みりんと水をフライパンに入れ、千切りしたダイコンとニンジンを入れ、煮立ったら弱火にして5分煮て、ざく切りしたハクサイとネギを入れ、15秒湯通しした牛肉150gを置き、強火で5分煮て、ハクサイがしんなりしたら弱火にして5分煮て出来上がり。
 


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てんでんこ

福島に生き、分断越える「我々」を歌う

朝日新聞12月28日 27面

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福島県会津若松市の本田一弘(50)は地元の高校で国語を教えながら、短歌を作ってきた。

はつはるの泥にまみれて死んでゆく春の泥こそあたたかならめ


東日本大震災が起きる前年の2010年に発表した「眉月集」。春の田の泥への愛着を歌うこの作品のように、福島の自然との一体化をも願う故郷愛があふれている。

福島市で生まれ、5歳の頃から実家近くに住む祖父母に育てられた。「いかにんじん」「ひきないり」など、ばあちゃんが作る郷土料理が好きだった。

だが、震災と原発事故で、事態は一変した。

ふくしまの雲を縫ひなば放射性物質ふふむ空をとぢむや


避難区域屋内退避区域計画的避難区域緊急時避難準備区域


14年刊行の歌集「磐梯」には放射能汚染への怒りと悲鳴のような絶望があふれる。

震災と原発事故はいくつもの断裂を生んだ。例えば、福島から出た人と残った人との間に。

補償のお金をもらった人ともらっていない人との間に。

何よりも、福島とその外、東北とその外との間に。

歌人仲間にも、宮城県から九州に子どもと避難し、批判された人がいた。

昨年刊行した歌集「あらがね」では、断裂を越える言葉を探った。

ふくしまの雪よ、言葉よ、分断を越えてあなたの胸に降るべし


「我」ではなく「我々」を歌う。それが短歌の本来の役割だと思っている。「自分を越えたところに身を投じる。福島の地で生きる人も外に出た人もみな被災者。分断を越える『我々』を歌いたい。そして、できることなら死者たちともつながりたい」

亡きひとのゐてあたたかき月の夜の声かき抱くふくしまのそら




原発後だけではなく、原発の誘致段階での「分断」は、原発後よりもっと激しかったのではないか。

原発誘致に関しては、地域の有力者への根回し、地域へのカネのばらまき・・・

集落ごとの寄り合い(集会)の前までに「根回し」は終わり、すでに誘致が既定の事実となり、反対の声も出しづらかったと思う。


原発に限らず、何らかの誘致に関しては、「地域の有力者への根回し」、「反対派の弱身を探し出し」、「地域全体に多額の金を落とす」。


このような中で、空気を読まず、自分の意見をいうことは、還暦を過ぎた人でもかなり勇気がいるだろう。


何らかの誘致に関する、集落内での意見の衝突は、長く尾を引く。


しかし、集会等で自分の意見をはっきり述べることは、次の世代のためにも大切!



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今日のクイーン(再3)  70

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ちきゅう座

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邑久光明園  池部 登さん

 

ものなべてただ一色に沈むとき餘光吸ひをり白きダリアは





三代の養子つづける家にあれし一人子の吾の性管を絶つ





寝入りたる妻の乳房のふくらみに子をなさぬ女の運命を憎む





前歯一つ欠けたる父と対ひ居て自が病名は遂に告げ得ず





感じ易き処女にしあれば兄の身の癩と知りせば死をも選ばむ





癩を体質病と云ふ医師のあり妹は吾によく似てをるに





疎林の中母を帰して戻り来る石蹴れば響く凍てし音して





枕辺に水仙と梅活けやれど咽喉たちし汝は眼もあけず臥す




池部 登さんの略歴
邑久光明園。楓短歌会『光明苑』(昭和28年)に出詠




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目玉焼き


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ダイコンおろしとニンジンおろし

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年末 パリは燃えているか

朝日新聞 12月27日 12面

デモで始まりストライキに終わる花の都 


「クリスマス休暇の間も停戦はなし」。
フランス有力紙は今週に入り、こんな書き出しの記事を相次いで掲載しました。12月5日からフランス国鉄(SNCF)やパリ交通公団(RATP)の労働者らがストライキに突入。3週目を迎えても、パリを中心に交通機関運休の混乱が続いているからです。


クリスマスイブの24日はSNCFの半数近くの運転士らがストに参加。その影響で高速列車TGVと、在来線のTERの運行本数は、通常の40%にとどまりました。パリの地下鉄も6路線が全面運休。SNS上には、「クリスマスはパリでひとりぼっち。ありがとうSNCF」といったフランス人ならではのユーモアたっぷりのツイートも目立ちました。


マクロン政権による年金制度改革への反対を掲げてストが始まって以降、仏最大の労度組合であるフランス労働総同盟(CGT)が主催した大規模なデモも。12月17日のデモには全国で約180万人が参加したといいます(CGT発表)。


年の瀬が押し迫った日本で、ストが原因でJRや東京メトロが動かず、デモ行進で道路渋滞が起きたら、人々はどう受け止めるでしょう。


ですが、18世紀後半のフランス革命以来、抗議行動を通じて自らの意思を表現するのがフランス人。慣れたもので、怒り出す人はみかけません。実際、今回のストライキやデモにも理解を示すフランス人が少なくありません。仏世論調査会社Ifopと週刊誌ジュルナル・ドゥ・ディマンシュが実施した最新の世論調査では、全体の51%が一連の抗議行動を支持しています。


さて、肝心の年金改革は業種によって異なる複雑な 42の年金制度の一元化が骨子です。公務員や公営企業には特別な優遇制度があり、ストは年金制度が一本化されると受け取る額が少なくなってしまう恐れがあることなどに強く反発したものです。政府側は年明け1月7日に、年金改革をめぐって、労使双方との協議を行う方針を明らかにしました。これに対して、CGTのマルティネス書記長は「招待を受けていない」と仏メディアに語っており、事態が収拾に向かうかは流動的です。


燃料税の引き上げに端を発した、黄色いベスト(ジレ・ジョーヌ)を着た人たちによる毎週末の大規模なデモが、昨年11月から今年になってもしばらく続いた自由の国フランス。「ジレ・ジョーヌの危機」への記憶が鮮明な中での今回のゼネストで、皮肉にもフランスらしい1年になった感が否めません。

(大正大学教授 松崎泰弘)



そんなデモをうらやましく思う、フランス革命の国。

そして、100万人のローソクデモを繰り出す韓国。

いつ何が起きても、醒めている国、日本。




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今日のクイーン(再3)  69

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弁護士 猪野 亨のブログ

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邑久光明園  飯崎吐詩朗さん(8)



後前はさもあらばあれ一本の注射を欲れり痛み忘れて





痛む手の自由叶はぬあけくれは妻を煩はす己が手のごと





白眼に耐へて生くるも汝れゆゑと不仕合の母がこと寄せ給ふ





わが親にも親の親にもなき病いづこより得しこのやまひかも






子を産まぬ掟のもとにむすばれし男女の行ひより儚きはなし





掟てられ断種といふを施さるる身の深きなげきの消ゆべくもなし





おほかたの人の記憶に忘られてただ母のみを苦しめて生く





猿股の紐さへ人に頼まねばならぬこの身を如何に生くべき




飯崎吐詩朗さんの略歴
明治41年大阪生まれ。昭和4年外島保養院に入院。昭和6年「いぶき」の亀山美明に師事して作歌を始める。昭和9年の水害で大島療養所委託患者を経て邑久光明園へ。戦後いちはやく短歌会を結成。昭和23年逝去。享年41。歌集『やすらい』(昭和13年)『藻の花』(昭和10年)『光明苑』(昭和28年)『三つの門』(昭和45年)




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ホワイトシチュー


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材料はタマネギ、ニンジン、カブ、ジャガイモ(中も赤い品種)。

熱した無水鍋に油を入れ、ニンニク1片の粗みじん切り、15秒湯通しした豚肉100g、タマネギの順に炒め、残りの野菜(ニンジン、カブ、ジャガイモ)を入れ、全体に油がまわったら火を止めて大さじ3の薄力粉を入れて1分ほど混ぜ、牛乳を入れて点火し、コンソメを2個入れ、水を1カップほど入れ、煮立ってきたら極弱火にして20分煮て出来上がり。


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南西諸島の軍事化 構造的差別ここでも


毎日新聞 12月26日 11面   一部抜粋



 今、馬毛島が属する大隅諸島から、奄美諸島、沖縄諸島を経て、宮古諸島、八重山諸島に至る南西諸島全体にわたって、自衛隊基地が急激に拡張されつつある。


2016年に国内最西端の与那国島に陸自駐屯地が開設され沿岸監視隊が配備されたのを皮切りに、この1年間だけで、奄美大島(2か所)と宮古島に陸自駐屯地が開設され、石垣島でも陸自駐屯地が着工された。


奄美には中国軍を仮想敵とする警備部隊と地対空・地対艦ミサイルが展開しており、今後は宮古や石垣にも配備される。それぞれ、ミサイル用弾薬庫も併設される予定だ。まさに基地の新設ラッシュといえる状態である。


南西諸島に自衛隊のミサイル基地を集中させると、東・南シナ海で軍事衝突が発生した場合、島々が真っ先に攻撃の標的となる。また軍事施設の新設は原発と同様、地域社会に長くあつれきや抑圧を生む。


そうしたリスクやストレスを南西諸島に集中的に担わせる東京政府の政策は、公正とはとてもいえない。


そして、在京メディアはこのような南西諸島の軍事化についてあまり報道せず、本土の大都市圏住民の大多数は無知・無感覚のままである。


これは既視感のある構図だ。日本が沖縄や小笠原の米軍への貸与と引き換えに主権を回復した1950年代以後、本土各地で激しい米軍基地への反対運動が巻き起こり、それは「60年安保闘争」「70年安保闘争」の下地にもなった。


こうした反米世論に対応して、日米両政府は本土の米軍施設の整理縮小を進めていく。その結果、皮肉にも72年の沖縄返還前後の時期に、日本の米軍基地面積の7割以上が沖縄に集中する現状が完成する。


かたや本土では、冷戦の軍事的前線への痛覚が失われていった。


そして同時期の本土では、経済的停滞と人口流出に苦しむ海村地域に、補助金と引き換えに原発が次々と新設されていった。


結果として11年の福島第1原発事故は、核=放射性物質による公害を白日の下にさらした。


しかし、これを機に大都市圏住民は、原発設置のために地域社会が抱えてきたあつれきや抑圧について、いくらかの痛覚を養うことができただろうか。


基地や原発が「見えない」場所で「平和」や「豊かさ」を一定程度享受してきた人びとこそ、「戦後75年」をどのように迎えるかが激しく問われている。


たしかに現政権や電力会社の腐敗と傲慢は指弾すべきだ。だが同時に、日本の国家と社会が生み出してきた「構造的差別」への痛覚を養うこと、これを正すために努めることを、我々は決して忘れてはならないのである。

石原 俊 (明治学院大学教授・社会学)




軍備でも個人の資格でも、持てばそれを使おうとするのが政府の、そして人間の本性である。

他国に攻撃される前に、自国の政府によって、軍備による経済崩壊が始まり、1人1人の人格が先に破壊されてしまうだろう。75年前の戦争も同じ。



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今日のクイーン(再3)  68

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阿修羅

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邑久光明園  飯崎吐詩朗さん(7)



ざいざいと潮鳴りどよむ波に乗り赤味おびたる月昇り出づ




しがらみの人世の柵はありといへど聖き涙にさくはなきかも




相対する島は鬼ヶ島宵闇に弧をくまどりて横たはり居り




見えそめし群星ぐんじょうの光ぬきんでて輝きすめる宵の明星




生き死にの苦しき中ゆのがれ来て何か雄雄しく沸く思ひあり




(九州療養所に客死せる大曾根君を悼む)
トラックに乗り移りたる君の手をひたと握りき別れがてなく




人間の醜き相を思ふとき水のごとくにありたきものを




唖の児のものいふ声音聴きゐつつ闇にさしそふ光を感ず




おびただしき人の入りけむつもごりのすでに濁れる湯に入らむとす



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ダイコンの味噌煮


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豚肉100gは15秒湯通しする。

熱した鍋に油を入れ、ニンニク1片の粗みじん切り、豚肉、乱切りしたダイコンの順に炒め、全体に油がまわったら、ひたひたに水を入れ、醤油小さじ1と酒、みりん、砂糖を入れ、煮立ったら極弱火にして20分煮て味噌を溶き入れ、ユズの皮をすりおろして出来上がり。


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日本整形外科学会 7年ぶりに診療指針を改定


12月25日朝日新聞17面 一部抜粋



日本整形外科学会と日本腰痛学会は今年5月、7年ぶりに診療指針を改定。慢性腰痛には運動療法を強く勧めた。


福島県立医科大学の白土さんは指針の策定委員長を務めた。「昔は腰が痛ければ鎮痛薬を飲んで安静にしているのが普通だったが、いまは動いた方が楽になるのが常識になっている。痛みを繰り返す悪循環を断ち切るには、まず運動することを考えてほしい」


新たな診療指針は、国内外で発表された論文385本をもとに、医師らがまとめた。まず、腰痛を3種類に分けた。発症から4週間未満を「急性」、4週間以上3ヶ月未満は「亜急性」、3ヶ月以上は「慢性」と定義し、治療法について、勧める強さを4段階に分けて示した。


運動療法は、慢性の腰痛に対して強く勧めている。急性の場合でも、じっとしているより、ふだん通りの生活を続けることが良いとした。


指針が強く勧める背景には、運動が腰痛の改善や予防につながるとの研究が、近年積み重なってきたことがある。大阪市立大が腰痛患者1700人を調べた研究でも、背筋や腹筋といった体幹の筋肉量が減ることが、腰痛の悪化に関係することがわかった。


同大の寺井秀富准教授(整形外科)は「運動には手術を回避する効果がある。とくに背骨に沿った筋肉(脊柱起立筋)が減ると姿勢が維持できなくなるため、日頃の運動で体幹の筋肉量を保つことが大切になる」と指摘する。


ただ、重度の坐骨神経痛など、運動療法だけでは治療が進まない場合もあると指摘。「運動療法で改善しない場合は、手術が必要になることもある」と話す。


また、今回の指針は鍼治療やヨガ、マッサージなどの代替療法は科学的知見が確立されていないとして、治療を勧める程度を示さなかった。




最初、左ひざの痛みから始まって、その後、左足全体が痛くなり、それでも農作業を休むわけにはいかず、左足をひきずりながら、そして、イモ類やニンジンを掘る時に中腰ができず、両ひざを地面につけて作業をしている。


ここ数日、足をひきずることは、やっと少なくなった。


農業は運動にあらず・・・と思う。同じような体の動かし方になってしまうので、そこに負担がかかる。


長時間のブログも、農業と同じく、ひざや足の痛みにつながったと思う。


自業自得だが、今後は死ぬまで運動が欠かせない。


風呂上りの背筋運動や腹筋運動など、自分にとって身体がほぐれるような方法で。


できれば昼の時間帯も。


忘れずに、このことを意識し続けれるか!

 


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今日のクイーン(再3)  67

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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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