押入の中から
襖をあけて
押入れの中を覗くと
盲になった悲しみが
どっとこみ上げ
思わず咽喉から
逢えぬ我が子の名前が出る
三尺の押入れの中の
誰れにも冒されない安らかさに
口笛鳴らし
胸が弾めば
たまゆらの命は
病苦を超えて
幼い頃の明るさを呼ぶ
さぐり覚えの場所にある
僅かな荷物は
冷たくて
追われ来た日の淋しさが
残っているよ
来る所まで来
墜ちるところまで墜ちて
嘆くのは愚だ
怒るのは笑止だ
所詮くるしみの旅なれば
これっぽちになった荷物でも
盲いたことが終止符でも
いいんだ
私は此処から生き抜こう
別れて生きる子供の為に
湖底のような静かな
押入れの中から
私は新しく出発するんだ
外套を着れば
窓を打つこがらしに
さぐりながら着る外套は
頼もしいぬくみを持って
盲いた私を包んでくれる
戦乱の時
炎の中を逃げ廻り
発病した時
冷たい人の白眼視から
私をかばった外套よ
鷗だけが知っている
小さい島で
癒えぬ病を養えば
総てのものは離れていくのに
外套の暖い事はどうだ
記憶の底にある母にも似て
やわらかい感触に
病み疲れた身体が暖まると
何んにも見えない悲しみを
吹きまくる真冬の風が
さらって行くよ
外套の胸をひきしめて
自らがあたたまらねば
何処にも暖かさのない孤独の旅だ
蛍のように
自らが燃えて飛ばなければ
何処にも光のない無限のやみだ
見えぬ眼で掻きさぐる
これからの新たな道に
久遠の光が照すまで
外套よ
島の寒さを防いでおくれ
2030年 農業の旅→

友情
夕映えの小豆島は特に美しい
療養に疲れた軀
背と背を合わせ
いつまでも見ていよう
僕たちの友情が変らないように
菖蒲から
母は
粽をむすんでいた
姉は
菖蒲湯の釜を焚いていた
父は
旅から帰って来て
鯉のぼりを立ててくれた
青い菖蒲を見ていると
巻きもどってくる
昔の懐かしいフィルム
面影
白い
蝶
がひとつ
秋も終り
の木立を縫うていく
別れのとき
姉が振っていた
ハンカチのようだ
絵本
もうその絵本はいらなくなった
あの子は
昨日まで何度見たであろうか
自分でよめないうちに
地を去っていった
・・・・・・・・
忘れられた絵本は
秋風にぱたぱたと鳴っていた
父
枯れいくものの中に
青白い月影をいだいて
湖水は静かに眠る
夜毎にほそる湖水の月には
あなたの面輪がある
父よ
若き日の戦塵に
生命をさらし
・・・・・
老いての敗戦に
娘まで奪われ
剰え運命は
残された息子をも
癩の虜にしてしまったが
生きねばならない
宿命のゆえに
・・・・・
欠けいく湖月にも似た
顔写せよ━━
うちだ・えすい(内田恵水)さんの略歴
1921年7月10日奈良県生まれ。1940年光明園に入所。長期外出ののち1947年11月27日園に戻る。1958年受洗。詩のほかに俳句も親しむ。1998年5月2日死去。
2030年 農業の旅→

黄昏
綿屑の様な雲は
茜にもえて
墨を流した様な
煙突の煙は
だんだん薄くなりながら
西から東へ流れていく
電線に止っていた雀は
泥礫の様に見えながら
とんでいった
屋根の庇と
豆の手との間に
蜘蛛はさかさになって
囲を踏んまえている
皺のかたまりのような海面へ
太陽がめり込んでいった
くらがりのかけらが
とんでいる
蝙蝠だ
だんだん濃くなっていく
やみに包まれた私の
瞼にはっきりと
故郷の山川は生れた
窓
白バラの群のような雲は
見ているうちに
崩ずれてゆく
煙突の煙は
西から東へ
ゆるやかに流れてゆく
からすが一羽
煙突の煙の反対の方へとんでゆく
蕾のふくらんだ桜に
雀が二三羽止っている
窓は私の詩集である
あかい星がかがやいている
青い星がきらめいている
大きな星の隣に
小さな星がまたたいている
雨の降る穴だろうか
星は皆濡れている様に見える
山の端にあった円い月が
何時の間にか
黄(金)を失って
松の梢にかかっている
窓は私の詩集である
2030年 農業の旅→
