三ヶ月に七名逝ける園の翳り拭ひ呉るるごと芽ぶく蕗の薹
義足脱ぎ灯り消したる爽けさよレースカーテンに月かかりゐつ
古き歌を清書しみれば病みてこその奇しき出合ひのわが歌多し
遠出せぬ者への晩秋の贈りもの園のナナカマド朱き実こぼす
かけがへなき出合ひをあまた享けたりき狭き歩みの療園にての生に
試歩の距離今朝は延ばしぬ土堤の辺の一叢咲ける花菖蒲まで
しみて思ふ養家に七年実家に八年病みてこの園に六十三年のわれ
荒家の如病み古れるわれにしてほめらるる個所ありき福耳なりと
両手萎えて知覚の無きに両眼まで見えなくなりて歌を忘れき
堰を切りたる如くに歌に復帰せり手術後文字が書ける様になり
癩と別れ十五の命断たむとせる彼の日を想ふ八十の今
病みをれど心豊かに老い得しは歌ありし故としみじみ想ふ
一生近く園に病み来て今きけり癩予防法廃止の朗報
松永不二子さんの略歴
大正2年8月7日福島市生まれ。母離縁のため母の実家で育つ。大正9年父方に引き取られる。福島第二小学校入学。大正11年母復縁。大正15年発病。昭和4年北部保養院に入院。昭和11年北部保養院の大火災で実家に5ヶ月帰る。昭和12年再入院。「白樺短歌会」、昭和17年「ことたま」昭和42年「形成」に入会木俣修に師事。「形成」終刊により「波濤」入会。平成11年10月没。享年86歳。『白樺第一集』(昭和32年)『白樺第三集』(昭和47年)『白樺第四集』(昭和58年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『出合ひ』(平成8年)
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2030年 農業の旅→

十一歳にて病ひを得しが七十三の今に生かさるる不思議を想ふ
開眼手術後見え来し夫が纏ひつくうるさき蝿を打ち取りにけり
妹のごと娘のごとしげしげと訪ひたびし立教の職員恵美さん逝きぬ
療園の共同風呂に汝と浸り背を流し合ひき母娘のごとく
リュック背にジーパン姿で「おばさあん」と汝が来る様な春光の門
さりげなく訪ひて交はる汝が前に吾病まぬ身の如く華やぎき
今は亡き娘が奉仕せる足跡を辿り父母君が園を訪はせり
病めりとも存分に生きし昇月よ作業をし作句し酒にも酔ひて
酒が入れば「相馬流れ山」と唱ひし好好爺同県のきみもつひに欠けたり
義肢のわれをからかふ様に逃げまろぶ干しし雨傘風を孕みて
2030年 農業の旅→

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新ジャガの煮物
無水鍋に乱切りした新ジャガを入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付し、大さじ2の水を入れ、煮立ったら極弱火にして20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、混ぜて出来上がり。
品種はレッドムーン。新ジャガなので、皮はむく必要がなかった。
収穫には10日余り早いが、出荷する野菜の種類が少なかったので掘ってみた。
豆ご飯
4合の白米を洗って炊飯器に入れ、50CCの酒と水を入れて、4合の目盛りに合わせ、塩少々を入れて混ぜる。200gのグリンピースを入れ(混ぜない)、炊けたら混ぜて出来上がり。
今年はエンドウ類の調子がよくなく、グリンピースの冷凍保存がほとんどできなかった。
ニンニクライス
ベーコン2枚の細切り、タマネギの粗みじん切り、ニンニク醤油のニンニク3片の粗みじん切りの順に炒め、ニンニク醤油で味付けし、火を止めてご飯を入れ、茹でたグリンピースを入れ、ほぐしながら点火し、具材となじんだら出来上がり。
2030年 農業の旅→

彼岸日和のまだら雪ある霊園の墓石墓石を微風めぐれり
知覚なき手を握られて君の手の温もり知りたく頬へとはこぶ
病まずとも死ぬより辛き生ありと綴りて友の便りが届く
手術して視力二十年保ちゐる喜びはこの一事に尽く
元看護婦のきみが祝ひの電話くれぬ今日は七十の誕生日なり
朝六時盲導鈴が岐路毎に鳴りいでてここの今日始まりぬ
難病に終へし哀れを和めむと療園に千余名の慰霊塔建ちぬ
慰霊塔の除幕式に代表は読みあぐる療園の逝去者は千二百七名なりと
我等絶え「松丘慰霊塔」のみ残りなば詣らせ給へ里の諸人
開眼手術受けしが見えぬと言ふ夫を慰さむる言葉すぐにはいでず
開眼手術後徐々に夫の目見え来らし今日はダイアル違へずに廻す
2030年 農業の旅→

後遺症深く残れど誇らまし四十年費やして癒えたるわれぞ
亡き母の意を嗣ぐ如く妹の送りくるる梨にたぐる億ひ出
手萎え吾に夫がむきくれし故里の梨の歯ざはりに遠き日を億ふ
切断と決むるも愛惜すべもなし明日は葬むらむ足洗ひゐる
父に似し指よと母の撫でくれし足よ手術室に切断れむとする
看護婦が両方のスリッパをおもむろに揃へくれけり片足の吾に
わがために咲くかと仰ぐ長く寝て試歩に出で来し道辺のさくら
時かけて病身の卑屈を剥ぎくれし植松司祭風の如逝く
わが家にて弟妹に逢へとふ従兄の手紙読み下しつつ心熱しも
川の水を共に運びて風呂もたてし憶ひ出ふかき従兄なりきみは
2030年 農業の旅→

吾等に憩ひの場をと荒れ果てたる沼辺を若き君等墾きぬ
病癒え晴れて帰郷れる駅頭に迎ふる肉親の顔は無かりき
寄せ来たる潮の如き倖せよ帰郷の荘に姉妹とくつろぐ
老深く外出適はぬ母そはの妹に託してちまき届けきぬ
かたじけな世の隅に居て詠む歌に心傾け給ふきみあり
逢ひ得ざる哀しきこころかくしつつ死線を越えたる母に文かく
三人の子を医師となすに貢ぎつつ夢を果せるその母は死す
母の逝きて吾の印鑑を欲しと来ぬ秘し断たれたる吾が生家より
暮れがたの沼辺の蛙あどけなく鳴きをりここに理屈などなき
潔らかなみ骨となりて子に抱かれ帰宅する病友を羨しとも見つ
2030年 農業の旅→

白杖をはなれて野辺を一人来つ吾かく見えし恵みになきぬ
ひそやかに母を待つ間よ教会の夫人がたてし茶に和みつつ
血筋悪しと知られ婚家ゆ離縁されき母は吾をぞ胎りにつつ
離婚後の母は稼ぐと街へ出でぬ癩病む祖母に吾を託して
吾が生れて母の復縁かなひしに其の吾が体を癩むしばめる
癩吾の去りても忌まるる其の家に汝ら励みて医業を成しぬ
離りつつ見守り来たれる妹等の今母となり職持てりといふ
うとまれし時代は過ぎぬ癩園の個室に訪ひ来し客と夕餉す
癩吾の縁家にあるをも打あけて娶りしといふ従兄は明るし
肉身の訪ふこと稀なるこの園に学生君らこぞり来給ふ
2030年 農業の旅→
