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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

ゆく年くる年

今、世界を席巻しているこのライブエイドを聞きながら、新しい年を迎えましょう。

https://www.youtube.com/watch?v=AyRpGcXSgvc




おじさんと呼ばれる年齢になって
(11月28日の再掲です)

生きるとは
位置を見つけることだ
あるいは
位置を踏み出すことだ
そして
位置をつくりだすことだ

位置は一生分だ
長い呻吟の果てに
たどりついた位置だ
その位置を
さらにずらすことは
生涯を賭すことだ
それでもなおその賭けに
釣り合う
未来はあるか
それに踏み切る
余力はあるか
まだ

死んだ後,おのれの位置が定まる。棺を蓋いて事定まる,という。しかし,人は生き方通りの死に方をする,ともいう。出処進退を過たず,の気概でいこう。



死ぬことは 誰かの心の中で生き続けること
(11月29日の再掲です)


「うらを見せおもてを見せてちるもみぢ」


「散る桜 残る桜も 散る桜」



「独り生れ、独り死し、独り去り、独り来る」



「病が不幸だけなんて。もったいない。がんは特に残り時間が読めるからありがたいわよ」



「いひおほせて何かある」

「言い尽くせない中にこそ価値がある」


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阿修羅

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長島愛生園  宇田川克衛さん



短かかる生命と思へばいつはらず心のままの歌を詠みたき




いより来てさし出す草を喰むとする山羊の息吹きの掌にあたたかし




暮れ近き
かやの大木の根に寄りて悲しき病ひ母に告げにし




ひさしつたふ雨だれの音静かにて明日越え行かむ山川を思ふ




田畑売りて済みし負債の幾つかは吾が病故に借りませしもの




繭売ると母はい行きぬ留守もりて今宵去るべき家に吾が居り





宇田川克衛さんの略歴
長島愛生園。昭和11年から16年頃まで「愛生」に出詠。『楓陰集』(昭和12年)



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長島愛生園  則武厚志さん




初夏の雨明るく傘に音たつる治療に通ふ道の楽しも




指奪られ脚奪はれし吾になほ読み書くことの叶ふ倖




熱鉄のはり射つ如し吾が脚の
神経痛いたみに耐ふる夜は長きかも




手のぬくみこもる思ひすしみじみと君が遺愛の杖を手にして




ささやかなる命まもりて住みなれし寮庭に秋の球根植うる




夕まけて雨のはれたるしづけさよ島の嶺出でて月の光冴ゆ




ピンセット手に括り持ち病む妻に薬包紙もて折鶴つくる


則武厚志さんの略歴
昭和13年4月8日長島愛生園入園。『小島に生きる』(昭和27年)『あらくさ』(昭和30年)『陸の中の島』(1956年)



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長島愛生園  洲間新伍さん



ふるさとの古新聞よ癩われの偽名の歌がひとつ載りをり




弾痕のうづく此処まで侵しくる癩をしみじみ憎しと思ふ
(洲間さんは傷痍軍人なのだろう)



昂りて
いのれる人の群にゐて湧く寂しさよ何処よりくる




蔦は石にすがりて萌ゆる初夏の陽に生きゆくことも幸のひとつか




癩われの癒ゆる日待つと言ふ母の心うたがふ今夜愚かに




さすらひの果にきたりし此の島はふるさとに似て空碧く澄む




犠牲と言はれ宿命と言はれ滅亡を希はるる種族か癩者吾らは




死滅希はるるうつつこの身のかなしみを犠牲と人らの言ひて足るらし



洲間新吾(須間新吾)さんの略歴
昭和23年7月29日長島愛生園入園。34年8月29日没。享年42。『青磁』(昭和26年)『小島に生きる』(昭和27年)


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年越しそば


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今日は家人が作った。エビ天は市販品。


ブリ

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ブリの幽庵焼き。
 


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しあわせの青い鳥

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長島愛生園  二見博三さん(2)




わびしさを包む如くに装ほひて歩みゆくなり影を引きつつ




五年前面会の母と語りたる丘のベンチに独り来て佇つ




憎しみもはや憐みに変りつつ堪へてしゆかむ孤独なる日に




語りたき心励まし歩み来しが君の視線を読みてためらふ




生きてゆく過程の一つに今日もまた明日を恃みてプロミンを射つ




まちまちし君が手紙を読みて寝るあるひは夢に逢はむ思ひに




南向にゆるくなだるる日溜に独りの心しづめつつをり



二見博三さんの略歴
昭和11年長島愛生園入園。のち転園。「アララギ」「歩道」所属。『青磁』(昭和26年)『あらくさ』(昭和30年)『あかつち』(昭和31年)『陸の中の島』(1956年)『青芝』(昭和32年)


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長島愛生園  二見博三さん(1)



感覚なき腕にとまりし蚊を憎み殺さむとしてしばし見ており




十六年癩病む吾に父母の物送りくるる心に泣かゆ




(面会)

松林の間を帰りゆく母の姿泪にじみて吾佇みつ




嫁ぎゆく姉の手紙をあたたかき陽溜に来てくりかへしよむ




癒えて会ふ日のあらむ吾を励まして送りくるるよ君は写真を




明日には明日の日のあらむ皮匂ふ義足をぬぎて臥床に入る




レプラ菌より結核菌が怖しいと吾が差出すバット吸ふ人夫



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長島愛生園  牧野美保さん



病む吾に用なきものと見送りに来りし甥に腕時計やりぬ




プロミンの記事切抜きて送り来ぬ夫はひたすら癒ゆるを待つと




足瘡に堪へつつ歩む後より口笛吹きて人越しゆけり




点灸して痕残りたるわが顔に母泣きまししを今も忘れず




癩園を参観に来し少女らの吾に注げる目を堪へてをり




眉毛落ち睫毛なければ髪洗ふ石鹸の泡目にし沁み入る




着古せしセルの単衣を洗張す春近き温み背に覚えつつ



牧野美保さんの略歴
昭和23年3月29日長島愛生園入園。25年から29年「愛生」に出詠。『青磁』(昭和26年)『小島に生きる』(昭和27年)


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サツマイモとキーウイの蒸し煮



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熱した無水鍋にバターを入れ、乱切りしたサツマイモを入れ(混ぜない)、砂糖をふり、キーウイ2個の薄切りを置き、煮立ったら極弱火にして20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、混ぜて出来上がり。



ヤーコンの醤油、カレー粉炒め

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熱したフライパンに油を入れ、拍子木切りしたヤーコンを炒め、醤油とカレー粉で味付けして出来上がり。



小魚のポン酢浸し


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沸騰したら火を止め、1分湯通しして冷水にとり、お椀に入れ、ポン酢を浸して出来上がり。



ダイコンおろし
    
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阿修羅

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長島愛生園  古谷 弘さん



公園の暗きに父と会ひたりきマッチすりて吾を見つめたまひき




ははそはの母知らぬ世の寂しさに耐へて三十年まこと生き来し




痲痺の指温め揉みつつなほ読み得ぬ点字書の上に涙落ちたり




舌の尖に点字読む人ありと聞けどわが舌の麻痺も遠からじと思ふ




手間どりてやうやく読み得し点訳の一つを声あげて頒む




夕時雨あられまじりて降る聞けば心たひらかに冬を越したき




襤褸ぼろ毛布敷き寝て思ふ幼きより母に甘えしことなくて過ぎき




見覚えで訣れし母よ命あらば髪も白くなりていまさむ




貧しさをかこちつつ老ひし父上を歎かせて吾が病む日のながき




神を否定せざれどこの吾が五体にて感ずるものにすがりたし今は




意地も張りもなくなりて心淡淡と冬日の昏るる窓に向ひをり




血を吐きて友の幾人過ぎにけむベッドに吾の移されて来ぬ




高き熱に恋ひ思ふかな草津の峡に飲みしかの岩清水



古谷 弘さんの略歴
草津の聖バルナバ医院の閉鎖に伴い昭和16年4月23日長島愛生園入園。21年5月26日没。享年44。『高原歌集』(昭和12年)『青磁』(昭和26年)



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長島愛生園  辻瀬則世さん(2)



何か身に湧きくる思ふ知覚なき指に伸びたる爪切られつつ




看護婦の私服の身際に座り居る吾よ卑屈に堕ちゆくなかれ




さげすみに堪えきし
忿いかりはりつめて杖にて探りゆく風塵の道





ゴム紐やチャックを附けし物を着つつ手萎えし今の不自由に馴れ居ぬ




春の夜の潮のふくらみを桟橋の上より浸しし盲杖に感ず




移りゆく雲の翳りをやわらかく瞼に覚ゆる日溜りに居り




世に出づる希ひ持ちてゐむ癩院の子等はひたすら夜学にはげむ




雨傘に文字書く君の傍に渋の匂ひを親しみてゐつ
「渋の匂ひ」とグーグルで検索したら、柿渋に含まれる柿タンニンが加齢臭の元を除去する柿渋石鹸と出ていた。当時も柿渋石鹸があったのだろうか。




母の側に居る如く思ふ盲われ骨とりくれし魚食ひつつ




若き日よ癩の癒えなば陶工として世に出でむ希ひもちゐし




登り窯のあり処ならむと坂を踏めば記憶の中に焼土にほふ




嘗てわが造りし花瓶のいくつかが愛生焼の名もて友園にあり




生きてゆくだけでもすでに尊しと言はるる癩の一人か吾も



辻瀬則世(恒春・津志多)さんの略歴
大正11年生まれ。昭和12年11月30日長島愛生園入園。「アララギ」所属。昭和29年6月2日逝去。享年32。『青磁』(昭和26年)『小島に生きる』(昭和27年)『あらくさ』(昭和30年)『陸の中の島』(1956年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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長島愛生園  辻瀬則世さん(1)




ゆるされし正月のみの酒に酔ひ癩の現を離れてめでたし




一本の指に残れる感覚を倖せとしながく癩園にあり




未だ見ぬ父にまみえむわが希ひ敢へなく過ぎて盲となりぬ




母とわれ残して去りし幾年を父はいづくの土地に病みゐむ




馴れやらぬ探りの杖をはぢらひて怖ぢつつ登る試歩の坂道




坂半ば人待ちをれば病葉の杖にあたりてころげゆくらし




肌柔き仔猫を日日に愛しめり盲ひゆく今の独り静けく




つつがなき年にてあれや生きゆかむ希ひあらたにプロミンを射つ




明日穿つ眼に今宵もならはしの眼薬をさして安らぐ思ひ




杖と靴に名札をつけていつよりかためらひもなき盲になりゐつ



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ダイコンを使った3品


ダイコンの味噌煮


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乱切りしたダイコンを鍋に入れ、水とダシの素を入れ、煮立ったら弱火にして、醤油を少しと、砂糖、酒、みりんを入れ、20分ほど煮て、味噌を溶き入れ、ユズの皮をすりおろして出来上がり。


ダイコンのユズ漬け

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ダイコン2キロ(2本)は2~3等分して皮をむき、半割して樽に入れる。砂糖400g、塩100g、酢半カップを入れ、ユズ1個の果汁と皮を細切りして入れ、重石をする。翌日、水が上がっているか確認し、上っていなかったらよく混ぜ、重石を重くするか、少し差し水をすると、重石を置いているサナの上まで水が上がって来る。

水が上がって6日間経過したら食べれる。10日目頃からがおいしくなる。


ダイコンおろし

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豆ご飯

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4合の白米を洗って炊飯器に入れ、50CCの酒と水を入れて4合の水加減にし、塩をひとつまみ入れて混ぜ、200gのグリンピースを入れ、炊けたら混ぜて出来上がり。

炊きあがって6時間経過した頃には桜色になる。


シュンギクと卵の煮物
   
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一昨日のダイズの煮豆の残り汁に醤油と砂糖を少し足し、煮立ったらざく切りしたシュンギクを入れ、卵を2個入れ、弱火で5分、余熱3分で出来上がり。 


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佐藤 剛(音楽プロデューサー)

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長島愛生園  中原 純さん



涙腺がゆるみて涙ふくゆゑに病みて一つの癖となりたり




十年をあらそひ生きし如くにて古き患者と今は呼ばれぬ




十年を生き凌ぎきて残党に似たる思ひに机にをりぬ

(戦争をはさんだ10年を生き抜いて、戦後の昭和25年頃に詠まれた歌だろう。戦中は配給も無く、自給自足の生活で、食べれるものは何でも、草や草の根も食べた。)



古き患者と人に呼ばれる一人にてへらへらと笑むこの寂しさや




5CCの液体が静脈に吸はれゆくこんなに率直にプロミンを信じ




病む吾ら陰惨のみを歌にする常にかくまでは思ひたくなし




隔離より治癩の段階に入りたれば淡あはとして保てり今日も




長く住めば小さき諍ひも吾らにあり顔までうづめ寝る友を見る




年とれば寂しくなると言ふ母の古き手紙を引出しに持つ




君もまた不自由舎を希望し移るとき口ごもり吾に涙見せしよ



中原 純さんの略歴
大正8年生まれ。昭和14年9月27日長島愛生園入園。「水甕」所属。『青磁』(昭和26年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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長島愛生園  野村徳二さん



林檎の皮剥きつつ吾が手の幸を思ふかくの如くに盲ひしかども




我が杖をやさしくひきて泥濘を避け行かしめし人を思ふも




癒えがたき吾がいたつきの明け暮れをつたなき歌に残さむとおもふ




君と我れ部屋の一隅に肩並めて歌集読みてもらふ夜の更くるまで




眼の見えぬ嘆きは言はずこの日頃歌おもふ我のひとりたのしも




久久に連れられて来し丘の上身近にひびく山鳩の声




秋雨のそぼ降る中を連れられて教育委員の投票しにゆく




うつつには見るすべなけれど仲秋の月照る庭に一人たたずむ




ふるさとの空や何処ぞ人居らぬ山に登りて吾子の名を呼ぶ




いたつきの身は遥かなる妻思ふ煎じ薬の匂ひたつ夜




失ひし視力思はずひたすらに点字をさぐる指先いたはる



野村徳二(徳三)さんの略歴
昭和22年6月11日長島愛生園入園。『潮汐』所属。『青滋』(昭和26年)『小島に生きる』(昭和27年)『あらくさ』(昭和30年)


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長島愛生園  津川 冽さん



父母のなき生活を思ふ日もあらむ吾子の現実に寒夜堪へゐつ




清やかに白雲移る昏れ際も体温の指標は赤線を越す




たのめなき人の生命や眼をやりし鏡に映る冬海の色




声あげて泣き叫びたき衝動にひた堪へてをり寒夜潮騒




深沈と真夜の臥床に眼覚めゐて汝が生命を闇にまさぐる




潮騒の耳にたつ夜はしみじみと帰る日のなき故郷を思ふ




廻転椅子の軋みとともに我が向けし背に感ずる聴診器の冷え




薬飲みて得たる眠りのひとときも癩の想念ははなれゐざりき



津川 洌さんの略歴
昭和19年6月28日長島愛生園入園。『青磁』(昭和26年)『小島に生きる』(昭和27年)




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生ハム


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歳暮でもらったハム。付け合わせはチマサンチュ(レタス)とロケット(ルッコラ)。



ホウレンソウのおひたし

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目玉焼き

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ホウレンソウのおひたしを置いた。醤油と胡椒で味付け。



ダイコンおろし

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味噌汁

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ダイコンとニンジンの千切り、サツマイモの乱切りを鍋に入れ、練り製品1枚を細切りして入れ、水とダシの素を入れ、煮立ったら弱火にして15分ほど煮て味噌を溶き入れ、ネギを入れて出来上がり。


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天木直人のブログ

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長島愛生園  玉島美智男さん



嘘を吐く性もつ児ありかなしくて窓開けて見む空の青きを




同情などおほよそ虚し外燈に雨の降る夜はぬれてゆきつつ




朽ちてゆく落葉のごとくしづまりて時雨のなかに暮れて行く病棟




さりげなき言葉の裏を憶測するかなしき性となりて病みをり




生の世の哀しみ持つ故うつしみは骨堂の無韻のこゑのきこゆる




帰郷

雲のはて雲生れて輝る沖縄のこの海に死ねる兵らを思ふ




わがうちの充つる哀しみ傾けて飛行機は島の空旋回す




戦死せる友の名を挙げ病みいるも会える喜びに母を励ます




ふるさとの古井の水にうつりたる影たしかめしよりの哀しみ




玉島美智男(道夫・道生・球島美智夫)さんの略歴
昭和17年11月17日長島愛生園入園。「形成」所属。50年7月1日沖縄愛楽園転園。『青磁』(昭和26年)『あらくさ』(昭和30年)『あかつち』(昭和31年)『青芝』(昭和32年)『風光』(昭和43年)『地の上』(1980年)




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長島愛生園  三島稔夫さん



隣室の老死にゆきて無花果をとるものもなく蜂のまつはる




ふふみたる水飲み込まんと面あぐる吾の仕草は鶏に似る




長かりし冬の寒さに耐へながら個室に生き抜きぬ蜘蛛と蝿と吾と




麻痺しるき躰に熱のこもりきて犬の如く吾は口あけてをり




いつの日に病む寂しさの消えなむか繃帯白き白き吾が手よ




幾年を秘めて来りし吾が戸籍証して障害年金受けむか




妥協せぬわが性寂しと思ひつつ岸にただよふ藻屑見てをり




硝子戸の桟がおぼろに見えてゐる視力確かめ部屋の灯を消す




治癩薬飲めば心の安らぎて惰性のごとく生き来し三十年




わが視力漸く届く路上より人らがとび出すごとく歩みくる




百舌鳴きし山の上なる空青し病む眼ながらにわが視野も澄む



三島稔夫(溝渕嘉雄)さんの略歴
昭和18年11月26日長島愛生園入園。「潮汐」所属。『風光』(昭和43年)『海光』(昭和55年) 歌集『南天の実』(平成16年)


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長島愛生園  北村久子さん




日に十円貯金して買ひし広辞苑ふたたびを見む視力いたはる




弱りきし視力を父に知られじと装ひて注ぐ茶の手元危ふき




足に手に傷のふえきてこもる間に
木槿むくげ
の若葉伸びゆくはやし




手さぐりに夫の植ゑたる庭の菊もろもろの色を競ひ咲きいづ




手と足に入園番号の札貼られ年金診察のカメラに向ふ




病む身には帰ることなきふるさとの新聞に載るわが詠みし歌





この年は歩む日少く痛む足なほも痛みて除夜の鐘聞く




わが汗の下着を濯ぐ夫の背に人の見えざる手を合せたり




顔も知らずわが声たよりに添ひきしとつぶやく夫に涙こみあぐ




下駄も草履も穿けぬ足もつわがもとに色あざやかなカタログが来ぬ




不自由度審査に来ませし医師の前に指の欠けたる双手を並ぶ




萩の花今年も見ずに病みつぎて視力届かぬ丘を日日恋ふ


北村久子さんの略歴
昭和15年1月16日長島愛生園入園。平成5年没。『風光』(昭和43年)『海光』(昭和55年)



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ダイズの煮豆


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緑ダイズは一晩、水に浸す。

戻し水を少し捨てて、戻し水ごと圧力鍋に入れ、ニンジン、ヤーコン、シイタケの角切りを入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、少しダシの素を入れ、強火で7分ほど煮て、おもりが勢いよく回り出したら極弱火にして20分、火を消して圧が抜けるまでそのまま放置して出来上がり。



ナンキンのスープ

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薄切りしたナンキンをタジン鍋に入れ、大さじ3の水を入れ、煮立ったら極弱火にして15分、火を消して余熱5分で蓋を開け、つぶす。

鍋に70CCほどの水を入れて煮立て、コンソメ半個を溶かし、牛乳とナンキンを入れ、煮立ったら出来上がり。



目玉焼き

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残っていたホウレンソウのおひたしを置き、醤油と胡椒で味付け。


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15キロの攻防


冬の野菜は重い。120サイズの箱では「15キロ」という重量制限がある。それを越えると送料が高くなる。

ハクサイ 2キロ500g

キャベツ  約500g

ダイコン 3本で3キロ

カブ   約700g

ニンジン 約800g

サトイモ  500g

ヤーコン 1キロ

これだけで合計9キロになる。

その他に入れる野菜は、

ネギ、シュンギク、ホウレンソウは2単位、レタス、ロケット(ルッコラ)、紫ミズナ(サラダミズナ)、春作のジャガイモとタマネギ、果樹のユズの合計で4キロほどになる。

ダンボールの目方を入れると13キロを超える。

長年やっているので、ダイコンの大きいのを入れると14キロを超えるとか、キャベツは小型品種にするとか詰め合わせを考える。

重量の他に「かさばる」というのも、秋冬野菜の特徴である。特にホウレンソウ、紫ミズナ、レタスの3種類で、特にレタスの「丸レタス」は箱に入りきらないのでミニレタスを作っている。

15キロを越えたりしないか、箱に納まるか、という2点を絶えず頭に置きながら出荷野菜を収穫している。



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澤藤統一郎の憲法日記

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長島愛生園  芝山輝夫さん(3)




カーテンを開きて人の動く窓二月の光あたたかく差す




倖せなる未来よあれよ椅子車あやつる少女の胸ふくらめる




療園に終る一生は詮なけれ呼ばれてみたき父といふこゑ




癩園に二代勤むる職員をわれは知りをり長く病みきて




療園といへど生活に差のありて支持党異なる看板が立つ




長病みて崩えたるわれに被爆かと問はれうなづく奈良の旅路に



芝山輝夫(芝田・志波多)さんの略歴
大正6年和歌山県生まれ。昭和13年4月1日長島愛生園に入園。「潮汐」「アララギ」所属。『あらくさ』(昭和30年)『陸の中の島』(1956年)『あかつち』(昭和31年)『青芝』(昭和32年)『風光』(昭和43年)『三つの門』(昭和45年)『海光』(昭和55年)



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長島愛生園  芝山輝夫さん(2)




癒えて尚つづく療養を想ふ日よ街の書店に辞書を購ふ




現身は無菌となれど代変り吾を迎ふる我が家ならず




自ら位置の定まる雑居部屋義肢に傷つく吾が畳拭く




後遺症しるき吾が手を哀しまず西瓜の種を春土にまく




百合活けし朝の食卓誰よりも盲の友が喜びくれぬ




ひまわりの黄に輝ける此の真昼汗出でぬ身の火照りに苦しむ




遺骸なきがらの運ばれゆきしベッドにはまだ新し義足残れる




死にゆきし人の金もて供物買ふ侘しき慣いの相談を受く




ひさびさに届きし義姉の便りには破談となりし姪のことのみ




義肢に擦れ傷みしズボンたたみをり一日終れば終る哀しみ




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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
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