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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

在野のアナリスト

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栗生楽泉園  谺 雄二さん(1)



病床で



うかつに 病むことは

ゆるされぬ

まして 病んで 死ぬなんて

平和すぎて

ボクの性には あわない

だのに ライを

八つの時から 病んでいる


ボクの朝は またしても

夜から 取り残され 充血

直立歩行への 焦燥にかられ

なお畸形を ふかめる 風景の中

ボクはようやく わが体臭に めざめる

オヤジよ! 思わず 呼び

息子の位置は するどく

えぐられる━━オフクロはライに死んだ


わが体臭を かぐ

病床に あぐらをかいて

胸元を はだけて

その痛み かなしみを かみしめ

肚いっぱい 体臭を かぐ

すると ボクの 体の中に

重い手ごたえ 確かにあって

しかもそれ 病んで とげとげしく

痩せ細った ボクの神経を あばき

さらに荒々しく 心 踏みにじり

むかつくほど 熱っぽく

ボクを おそう


たわけが

いつまで 病む気か!

じんと こみあげ

ボクを搏つ 体臭━━

オヤジは すでに年老いて

もうじき 死ぬ

働いて 働きぬいて

報われもせず ついに骨枯れて

ある日

オヤジは 死ぬ


しかし オヤジ!

この まっぴるま

ボクの病室の 窓にも

すごく青い 八月の 空

ライの 汗と垢と 屈辱の

傷のにおいに まみれてなお

ベッドの上の 息子に伝わる

あなたの 体臭が ある


その体臭を かぐ

いかにも 病んで

死んでは ならぬ

 


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栗生楽泉園  本間きよしさん(2)


山峡の四季


ぼくらの住家は

白根山を背中にして

小高い丘の上にある


赤い屋根の黒いトタンの家だ


春が来ると千二百米のぼくらの丘が動きだす

(ぜんまい、わらび、杉の子のフラダンス)

そして あの大きな白根山や浅間山までが

青白い雪の衣装をすべらし

ぼくらの内部の悲しみの涙をそっと拭ってくれる

だからぼくらは山のサンドイッチだ




カカッコ カカッコと

カッコウ鳥が鳴きながら

ぼくらの頭をよこぎる

それは夏の知らせである

ミンミン蝉がゲーゲー蝉が紅雀が

ぼくらの病窓にとまり

ぼくらの住家をのぞく

だからぼくらは蝉や雀たちとは兄弟なのだ




秋の知らせは悲しい

谷間に流れる湯川の面も

紅葉で真赤になる

やがて はらはらと音もなく

紅葉が散る




冬は訣別の季節である

あんなに大きかった白根山や浅間山は

すっぽりと雪におおわれ

頂きはいつも灰色の雲にかくれている

ぼくらの丘も雪にとざされて微動だもしない


カッコウ鳥もどこかの空の下で

カカッコと鳴きながら飛び去ってしまった


裸木はすっかり葉を落してしまい

ひゅう ひゅう と手ばなしで泣いているが

ぼくらは平和なこの自然の大地で

いつまでも抱かれていたい



本間きよ志(本間清)(本間きよし)さんの略歴
1933年5月22日栃木県に生まれる。1945年5月8日栗生楽泉園入所。自治会、全患協で活動する。1964年多摩全生園に転園。1955年頃より「高原」に評論などを多数発表している。1993年11月17日死去。


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栗生楽泉園  本間きよしさん(1)




紅葉は

明るくて赤い

凍えるほどに孤独だ


赤い海のささやき


ああ

それは消えるために

燃えたつのです









豆ちゃんのうた
━━ある重症患者の手記より


豆ちゃんとは白衣の乙女です

笑うと躰全体がぴちぴちとはぜる

昨日も今日もギスギスとしたベッドの中のオアシスです

よどんだベッドの中で

豆ちゃんの赤い頬が

黒い瞳が

きらりと光る

つかれた人に安息を

孤独な人に母親を


豆ちゃんとは白衣の乙女です

とざされ衰えた肉体の影が

生命をつかむ

その白い羽ばたきながら

くすぶった澱みをかきたてて

明日を胚む










声帯


灯火の風は白い階段を浸ませて

浅間の嶺に消えた

湯の町の灯は葉ずれに強く流れ

ゆがんだ顔に

しずくがふきあげる霧の中で

私はぶよぶよした紫の手に

よごれた紅葉をまさぐった


木葉は音もなく散って

腐った松かさの様な脚に

コッカニンの口は歯ごたえのない音を

立てて喰いついてゆく

私に遠く


七年間のサナトリウムに肉体はボロボロになってしまった

よどんだ泥の中で

もう鳴る事のない声帯を踏みつけながら

私は歌った

  異教レプラ

  お前は生きている

  真赤な血は音を立てて流れている

  眸は美しく微笑んでいる


声は

細く細く

大きく強く

山峡に
こだましていった。



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具たくさん味噌汁



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乱切りしたサツマイモを鍋に入れ、水とダシの素と削り節を入れ5分ほど煮て、その他の野菜(タマネギ、ピーマン、パプリカ、ナス、インゲン)を入れ、煮立ったら弱火にして15分煮て、味噌を溶き入れ2分ほど煮て出来上がり。



ゴーヤチャンプル

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熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の粗みじん切り、魚ソーセージ、下処理したゴーヤの順に炒め、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。

今日は画像のアップロードがうまくいかず、画像少なめです。



焼きナスビ

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定番です。



甘いハーブティ

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左からステビア、セイジ、タイム、アップルミントで、沸騰したら火を消して入れ、3分蒸らし、全て取り出し、ステビアだけ戻し、さらに30分以上浸して出来上がり。
   
     


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志葉玲(フリージャーナリスト)

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栗生楽泉園  山下ハツさん(2)



待ちまちし秋雨清し顔を洗い義眼を外し丹念にすすぐ




火葬場跡熊笹なかに長き歳月さらされて居し療友のみ骨




雪どけの坂ゆきなずむうしろより友の声ありその掌にすがる




山霧に頬は冷たくぬれながら一つの傘に夫に添いゆく




束の間を乳ふくませて別れにき侘しくも吾の乳房老いたり




朝な朝な手萎の夫のボタンかけて吾が生甲斐を覚ゆるものを




手の萎えし夫の入歯を洗いつつ我亡き後はと思う厨に




母さんと吾子が呼ぶ声幾とせを待ちわび居りしその掌握りしむ




独り身と思い居りしに新嫁を携え来しに吾はうろたう




便り絶えてせつなかりしを子に言えば聞きいる嫁のすすり泣く声



山下初子(ハツ)さんの略歴
明治33年生まれ。はじめ身延深敬病院に入院するが、藤本トシと共に外島保養院を目指し、門づけをしながら外島保養院に入る。外島のいわゆる「赤化事件」に巻き込まれて保養院を出る。昭和15年栗生楽泉園入園。「高原短歌会」所属。昭和56年没。『山霧』(昭和41年)『冬の花』(昭和53年)『凍雪』(昭和63年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


「地面の底がぬけたんです」で有名な「藤本トシ」さんと友人だったんですね。「門付け」しながら山梨の身延深敬病院から大阪の外島保養院(邑久光明園の前身)を目指したくだりには涙があふれます。


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栗生楽泉園  山下ハツさん(1)



吾が貧しきさまを憐れみ面会の義姉は着て来し衣もおきゆく




骨になりても帰るすべなき夫と吾骨堂に聞かん松風の音




繰返す菌の検査に陰性と言はるるも空し今は盲ひぞ




数十年を経なば癩者の骨堂のみ寒き松原の丘に残らん




クロッカスの芽はいでぬかとまさぐれば土の中より囁ききこゆ




丘に遊ぶ盲いのさまはけものらに似たりと言うに吾逆わず




母われの乳房も知らず育ちたる子の肩幅の広きをまさぐる




優しき嫁にわが寄りて肩を背を探りその髪型にそっと触れみる




敷布団綴じるなかばに早や疲れぬ吾の気負いに身は従わず




髪を洗い抜毛一筋指にからむこの感覚の指になおあり





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栗生楽泉園  沼尾神四郎さん(2)



わが病誤診と言いて憤りし父もあわれ今は世に亡し




オリオンのぺテルギウスやリッゲルや仰ぎ見し眼が吾にもありし




盲目われ右ひだりより支えられ障害度調査医の前に据えらる




朝な朝な時計に向い聴力を振子の音に確めてみる




スピーカーより流るるわれの歌声のよくぞ似しかな亡き父の声に




引き出しは素直ならねど想い出のこもる机といたわり使う




故郷には甥のその子が農を継ぎ癩を病みいる我を知らぬなり




かくも醜く容貌かえし癩なれば世の偏見もわかる気がする




閉じぬ唇指にて押さえものを食う我が生きざまを世の人見るな




欠かさずに食事取りつつ痩せゆくは身に恐ろしきもの潜み居るのか





行先を子らに言い繕い妹は遠く療園の我を訪い来ぬ




幾十年経ても故郷は有難し電気毛布がシーツが届く




長兄逝き次兄も逝きて療園に病み惚け居る三男我は





沼尾神四郎さんの略歴
大正2年1月27日生まれ。昭和16年10月5日栗生楽泉園入園。「群馬歌人」「高原短歌会」所属。平成元年1月没。『盲導鈴』(昭和32年)『山霧』(昭和41年)『冬の花』(昭和53年)『凍雪』(昭和63年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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インゲンのゴマ和え


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5日ほど前から生り出した秋のインゲンは、食べやすい大きさに切って無水鍋に入れ、大さじ2の水を入れ、煮立ったら極弱火にして12分、火を消して余熱5分で蓋を開け、醤油と蜂蜜を入れたボールにとり、すりゴマ(市販品)をふり、混ぜて出来上がり。



オクラを使った2品

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オクラは1分半茹でて冷水にとり、一部は薄切りし、残りは縦半分に切る。


オクラチーズ

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フライパン(無水鍋の外蓋)に並べ、チーズ2枚を切って置き、醤油を少しかけ、蓋(無水鍋の中蓋)をして強火で点火し、2分ほど熱したら火を消し、余熱3分で出来上がり。



ピーマンとパプリカの蒸し煮

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食べやすい大きさに切ったピーマンとパプリカを無水鍋に入れ、大さじ2の水を入れ、煮立ったら極弱火にして12分、火を消して余熱5分で蓋を開け、大さじ2の手作りポン酢で味付けして出来上がり。
 



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瀬戸の風

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栗生楽泉園  沼尾神四郎さん(1)



盲ひわれに盲ひの友が唇にてさぐりつつ足袋を履かせてくれぬ




癩園にわが果てゆかむ日思ひつつ卵売りし銭は箱にためおく




鶏小屋をなほすと妻が釘うつ音盲ひし大工のわれはききをり




鼻落ちてゆがみし面貌もおのれには見えざるを幸と思ふことあり




特重病者我ら演奏せし郭公ワルツ癩予防デーの朝ラジオより流るる




義弟夫婦がわれに面会に来るといふ理解ありてか好奇心持ちてか




他人の思惑窺ひ居ては何も出来ぬ盲杖持ち直し舗装路歩む




病歴に必要なれば拒まれず病み崩えし顔写真に映さる




鉢植の枇杷の苗木を雪解けし庭に移さんと位置を考える




この年は療友多くみまかりきしみじみと食う年越しのそば




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栗生楽泉園  沢田五郎さん(10)



浮かび来る故郷は常に田と小川手拭にて目高掬いし春の日




小綬鶏の「ちょっとこいちょっくらこい」もまた楽し森に楽しきことのあるごと




生きる無駄はライ者自らが知るところ殺しやるは情けと言いし将校あり




戦い終り時おかずプロミンもたらされぬ戦場の他にても日本は負けいて




片時も故郷より心離れ得ず抜け殻のごとく過しし日もあり




故郷恋うる切なさは過ぎ過去なれど耳はそばだつその名聞くたび




旧法の隔離主義現行法に受け継ぎし昭和二十八年既にプロミンありき




沢田五郎さんの略歴
1930年4月29日群馬県生まれ。10歳で発病。翌年栗生楽泉園に入所。1949年から目を病み、55年失明。51年から作歌を始め「潮汐」「アララギ」。失明の頃から「アララギ」に疑問を感じ作歌を中断。昭和55年日本共産党入党。1965年「新日本歌人」所属。著書に『風荒き中』『朴の風ぐるま』『その木は這わず』『まなうらの銀河』『夜のほととぎす』『野ざらし』『とがなくてしす━私が見た特別病室』自伝『風荒き中を』(平成15年)により2004年度群馬県文学賞随筆部門受賞。『陸の中の島』(1956年)『山霧』(昭和41年)『風荒き中』(1967)『三つの門』(昭和45年)『冬の花』(昭和53年)『朴の風ぐるま』(1980年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『凍雪』(昭和63年)『その木は這わず』(1989)『高原短歌会合同歌集』(平成4年)『まなうらの銀河』(平成8年)『夜のほととぎす』(平成14年)


この病者は、生きているうちに二度死ぬっていうんです。一度はライになった時、二度めは失明した時です・・・(藤本トシさん「地面の底が抜けたんです」より)

「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない」・・・明石海人さん(長島愛生園)。
沢田五郎さんは、1955年の失明後も、人生に燃え続けているのだと思う。


沢田五郎さんはぼくと23才しか違わない。短歌から、父母の世代の人と思っていたが、そうではなかった。11才で栗生楽泉園に入所し、終戦を15才で迎えている。


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栗生楽泉園  沢田五郎さん(9)




八つ割りの柿七つ食い皿は空一つ畳に落したかもしれぬ




心眼は肉眼に勝るなど言えど肉眼なきはしごく不便なり




拾いくれし一片の骨掌に確かめ甕に納むる盲いの我は




国奪われ渡り来し少年
金夏日苦しき恋もしき日本の少女と




恋いやまぬ祖国の丘に父の骨抱き帰りき盲いの君は




ライの息子をただ一人おきては帰れぬと一家帰国せしめ残りしその父




劣る民と軽んじられライとて蔑まれ生き来し君は常に穏やか




ほととぎす栗生の盲いの友の耳訪えと詠いし鹿児島先生




らいに盲い嘆かう人の拠り所と己詠いしは土屋先生



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鯛アラとサトイモの煮物




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醤油、砂糖、酒、みりんと半カップ余りの水を無水鍋に入れ、煮立ったら乱切りしたサトイモを入れ、15秒湯通しした鯛アラを置き、生姜1片をすりおろし、再度煮立ったら極弱火にして20分、火を消して余熱5分で出来上がり。

鯛アラはサトイモの上にのせているだけで、単に「蒸し煮」だが、おいしい。サトイモも鯛アラのエキスが出ておいしい。
   


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しあわせの青い鳥

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栗生楽泉園  沢田五郎さん(8)




お味噌汁麩です熱いです気をつけてと気遣い給う我ら見えねば




読書慰問の人に交じりて小三の教科書読みしが今変声期




暮れゆけば陰り怪しく浮き立てり心に描く花は自在に




「河畔の宿」の記念碑に沿い立つ裸婦像を高峰三枝子だと撫でる盲いら




大阪の老いし盲女の編み帽子耳の凍える朝朝着て出づ




拠り所人は求めて生きるなり闇の底に編むこの人もまた




紅もささず着飾ることもなき妻の思いがけず絢爛たる花を植えにし




人の世の汚れおよばぬ位置にして星あり星
かげにいま濡れている




常闇へ張り詰めている我が弦に星光触れてりりりと鳴れよ



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栗生楽泉園  沢田五郎さん(7)



眼裏にまざまざと顕つ或る時は苦しきまでの冬夜の星座




盲い果てし三十幾年残像の褪せこぬものに冬夜の星座




裁縫に夜更かす母の休む目安真上に仰ぎし星座忘れず




帰り得ぬ故郷と知ればなお熱く赤城へなだれゆく銀河を抱く




人の世と潮瀬の一つを界とし六十年の癩者の孤独
(邑久光明園と長島愛生園のある長島のこと・・・?)



掟破り今際の母へ馳せゆかん足はやる友拒みし海ぞ




過ぎて偲べば苦しき青春とてかけがえなし隔離なき世に長生きしようよ




胸苦しき隔離は過去よと声高く骨堂に言いて少し照れている




古川時夫を悼む)
悶え死ぬるらい者の終りの気管閉塞迫り来て君は喉を開きし




牧原の水芭蕉探ると池に落ちき喉癒えし頃君は明るく




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栗生楽泉園  沢田五郎さん(6)



老人を先立て先駆者の遺影抱き今ぞ渡り行く人間回復の橋
(長島大橋の落成式の様子を遠く栗生の地から詠んだ。もしくは招待されて長島に来られたのかも知れない)




呼べば届く島なのに何故橋がない少女の詩一篇力となりき




天皇はなぜに腹切らぬとたらちねが炉ぶち打ちしより四十幾年




ただ一度許されし帰郷の日を語る妻よたちまち涙声になり




五日居て弟の野良着縫いしという弟のその後知ることはなく




子を産まず老いゆく命語るなき妻の手に咲く折折の花




盲い我名乗られてなお耳疑う逞しき社会人となりし友の名
(多分、横山石鳥さんのこと)





肉親にも勝る思いに君が問う仲間の幾人亡きを告げやる




顔ほどのサボテンの花今朝咲くと妻は我が手を取りて触れしむ




降りしきる故郷の霙懐かしく妻に戻りくる越後訛よ




(赤木健介先生を悼む)
旅叶わぬ今では草津が恋しいと書かれある一行我を泣かしむ


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初物 サツマイモの味噌汁



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サツマイモは今年も7月中旬、イノシシによって全滅。イノシシは自分の弱い点を突いてくる。このサツマイモは昨日、近所でもらった。

乱切りしたサツマイモを鍋に入れ、水を入れて火にかけ、タマネギ、ナス、ピーマン、パプリカを切りながら次々に入れ、ダシの素と削り節を入れ、今日は練り製品1枚を入れ、煮立ったら弱火にして15分煮て、味噌を溶き入れ1~2分煮て出来上がり。





カラスガレイのバター醤油

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カラスガレイは15秒湯通しする。

熱したフライパンにバターを入れ、片栗粉をつけたカラスガレイを置き、蓋をして弱火で裏表5分ずつ焼いて皿にとり、醤油をまわしかけて出来上がり。



ポリポリキュウリ

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定番です。


 
オクラの薄切り
  
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定番です。
 


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7月の炎天をしのぎ、3群が生き残った


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4群が消滅し、3群しか秋の彼岸を迎えることができなかった。

3群は今のところ順調である。

巣落ち防止桟を入れてなくても、落下は去年まで一度もなかったが、今年の夏、初めて3群で落下があった。よほど暑かったのだろう。板厚は15ミリだし。

落下しても1群はすぐに復活した。結果的によかったと思うのは、最下段の開閉扉を開けて落ちた巣を引きずり出し、バケツに入れて、巣箱の1メートル前に置いたら、4日ほどかかって、本巣へすべて持ち帰ってくれた。




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最初の画像の1群と、この2群が生き残った。

今年は7月の大雨の影響か、大スズメバチはあまり見かけないが、小型のスズメバチは頻繁に来襲するので、ペットボトルの捕獲器(酢50CC+酒50CC+市販のオレンジジュース1カップ)をそれぞれの群の近くに吊り下げた。


消滅した4群は、

(1)1群は6月中下旬に消滅したが、これは「無王群」だった。分蜂の大群が入ったのに、キンリョウヘンから妙に離れず、女王蜂がいないのかなと一瞬、頭をよぎったが、それが2ヶ月ほどして現実となった。巣がほとんど伸びていなかった。


(2)握りこぶしほどだった分蜂群は7月中下旬頃までキープしていたが、7月の暑さが応えたかも知れない。貯蜜を少し残して消滅した。


(3)1週間ほど連続して大量の蜂児が底板に積った1群は、その後2週間ほど経過した7月中旬頃に巣が落下した。蜂児が成虫になれず、群の蜂数が減り、巣を維持できなくなったのだろう。この群は落下後1週間ほどで消滅した。


(4)4群のうち1群だけ、風前のともしびの群がある。消滅群に加えたが、たまに出入りがある(落下して2ヶ月が過ぎたが)ので、正確に言えばまだ消滅確定ではない。この群も暑さで落下したと考えられる。落下した巣の中に大量の「スムシ」がいた。


それでもまだ3群が残っているので、ありがたい。毎日の見回りで出入りの状況をチェックし、蜘蛛の巣を取り払うのを日課としている。スズメバチが来襲していれば百均で買ったテニスのラケットで叩き落とす。カマキリは野菜の益虫だが、ミツバチも餌にされるので、巣門の近くで待機(待ち伏せ)していたらこれも仕留める。


見回りは楽しみであると同時に、回数多い足音(蜜蜂の天敵駆除)がミツバチに対する後方支援となる。



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I'm not Abe. and 駄洒落日記

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栗生楽泉園  沢田五郎さん(5)




癒ゆるなきらいと決りて置きて去りし近頃は思うその時の母の心




あの桔梗いいな盗ろうかと姉は言う連れ立ちて歩む療園の道




看護助手の子供のおさがり白ズック行動半径狭きわれ二年履く




朴の葉の風ぐるまつくり森の道駈けまわりいる若き看護婦




朴の葉の風ぐるまもらう盲達風来る方にただかざし立つ




ただならぬどよめきは春の雨なるか糊付けの如き深夜の瞼開く




皇族ら迎えてらいを理解する集い激しく裡にノーという声




らい園を離れわが人生を思ったことなし翼切られし野の鳥の涯




火葬場跡公園となり隣り合う監禁室を今日毀す音




思わずも犬のどこかに杖当りそれより親しくじゃれついてくる




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栗生楽泉園  沢田五郎さん(4)



(高橋あきと結婚)
幾年ぶり猛り来し男の心かもその荒荒しさを愛しむわれは




待ちわびし春とも遅すぎた相聞とも淡淡と痲痺の手重ねあう




病癒えて兄は印刷屋開きおり兄嫁は庭に菜をきざみおり




地の果てにか細く住めり時過ぎてらい者の列は公衆の前を





何もかも振り切らねばならなかった峠旅人として入りゆく故郷の村




他人の目に確めてもらうふるさとの氏神は新しき道からは見えず




乏しき視力窓外に凝らしいる妻に父母ねむる方を教える




掛算出来ぬ我が母の量の数え方目に浮べ新しき俵に触れつつ




朝鮮翁の遺言に折詰配られぬ苦しき思いに箸とり難し




朝鮮人侮蔑の言葉吐きし少年の日のわれを射す君の眼忘れず




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栗生楽泉園  沢田五郎さん(3)



癩きざす顔におののきいつもいつも鏡見ていたる少年の日よ




さげすみたる人の名記しおき何時の日か仇討たんと誓いき幼き兄と




悲しき人ひとりふえたり秘めおきしらいのうからを
義姉あねは知りける
(うからとは親族のこと)






わが歌集兄は涙して読みしとぞ材木相手のあらくれの兄よ




桜の枝にあるかなきかの冬芽なりそっと噛んで見る奥深き生命




女中にて姉が得し金せびりたり父は貧しくわれら幼く




腕を組み戦列に伴う君らなくば孤独のらい者にてあるいは果てんか




手を曳いてくれ顔に噴く汗は拭いてくれ明日を開く友らの暖かきこと




ペンを咥えて字を書く君と知らざりきその字さげすみしこともありけり
(「新堂ひろし歌集」を読む)




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夏野菜の蒸し煮


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ナス、ピーマン、パプリカ、オクラを無水鍋に入れ、ニンニク2片の薄切りを入れ、生姜1片をすりおろし、みりんと酒を入れ、大さじ1弱の醤油を入れ、強火で3分ほどで煮立ったら、極弱火にして15分煮て蓋を開け、味噌をみりんで溶いて入れ、混ぜて出来上がり。

今回は「ニンニク醤油」味でなく、「味噌」味にした。



甘いハーブティ
  
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レモンバーベナは傷みが早い(日持ちがしない)が、少々の傷みは使っている。他は冷蔵庫で10日以上持つ。


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情報収集中&放電中

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栗生楽泉園  沢田五郎さん(2)




雪消えて馬糞の匂う村に来ればどこか故郷に道が似ている




ファッショのきざしのみゆる癩園に育てねばならぬこの平和の会




天皇はなぜ腹切らぬと憤りき砂入りの白木の箱母は受けとりて




頭なでられ何事か祈る母の声に目覚めしことあり発病のころ




富士に射ちし米軍を自衛隊をののしりき
田村史朗を想う沼津通れば




細胞名染めぬき成れるわれらが旗手触れ頬を触れる盲目党員




安保闘争世をゆすりいて癩園に細胞の旗はついに立ちたり




婦人労働者と汗の腕くみて癩われも臆せずに労働歌合唱す




事件より一度も証言の変わらざるは
藤本松夫の生みの母のみ




絞首台へ無実の君が上るさま夜どおし浮びきて床に座し居つ




くびりたる生命へ怨め癩われら胸にきざまん九月十四日





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栗生楽泉園  沢田五郎さん(1)




夏雲を浮べてここに泉あり友みな飲めよふきの葉にすくいて




癩園にひしゃげる心見る如し崖にしきりに石落す友




熱に痛む眼の眩しかる炎天の葬りの列にわれ加わりぬ




唇も指も痲痺して舌によりわが書きし点字君は読めたり




痲痺の手に我が持たせやるあくだらの枯葉を友は唇にまさぐる




二日つづきの吹雪の凪ぎて暮るる坂らいの童ら
そりに乗りおり




腐乱死体となりたる君のポケットに染みつきて煙草のこしていたり




ともどもに学びし鈴木もしばられて零下二十度の監房に死にき





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栗生楽泉園  近間 治さん(2)



弟も癩に侵されて死にしこと八年を経て吾は知りたり




癩の身になし得る抗議はただ一つ安保反対の署名あるのみ




知覚残る唇のあたりより汗垂りて濡れし点字書舌先に辛し




手術して視力僅かに蘇る眼に草の緑を飽かずみつむる





十年ぶりに読書の意欲湧きてきぬ点字五十音舌読し得て




広島原爆犠牲者に黙祷す舌読中の点字書ひざにおきて




癩と肺身に病みながら盲ひ吾れ死の灰の降る世に生きむとす



近間治さんの略歴
大正13年9月17日生まれ。昭和10年12月13日入園。「高原」短歌会。昭和52年没。『盲導鈴』(昭和32年)『山霧』(昭和41年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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