詩がとてもわかりやすく、何回読んでも心に響く。特にこの3作品は時代の荒波を越えて残っていくだろう。
押入の中から
襖をあけて
押入れの中を覗くと
盲になった悲しみが
どっとこみ上げ
思わず咽喉から
逢えぬ我が子の名前が出る
三尺の押入れの中の
誰れにも冒されない安らかさに
口笛鳴らし
胸が弾めば
たまゆらの命は
病苦を超えて
幼い頃の明るさを呼ぶ
さぐり覚えの場所にある
僅かな荷物は
冷たくて
追われ来た日の淋しさが
残っているよ
来る所まで来
墜ちるところまで墜ちて
嘆くのは愚だ
怒るのは笑止だ
所詮くるしみの旅なれば
これっぽちになった荷物でも
盲いたことが終止符でも
いいんだ
私は此処から生き抜こう
別れて生きる子供の為に
湖底のような静かな
押入れの中から
私は新しく出発するんだ
外套を着れば
窓を打つこがらしに
さぐりながら着る外套は
頼もしいぬくみを持って
盲いた私を包んでくれる
戦乱の時
炎の中を逃げ廻り
発病した時
冷たい人の白眼視から
私をかばった外套よ
鷗だけが知っている
小さい島で
癒えぬ病を養えば
総てのものは離れていくのに
外套の暖い事はどうだ
記憶の底にある母にも似て
やわらかい感触に
病み疲れた身体が暖まると
何んにも見えない悲しみを
吹きまくる真冬の風が
さらって行くよ
外套の胸をひきしめて
自らがあたたまらねば
何処にも暖かさのない孤独の旅だ
蛍のように
自らが燃えて飛ばなければ
何処にも光のない無限のやみだ
見えぬ眼で掻きさぐる
これからの新たな道に
久遠の光が照すまで
外套よ
島の寒さを防いでおくれ
小包
附録のどっさりついた絵本を入れると
中身の貧しい小包は重たくなって
其処から子供達の歓声が聞える様だ
ただ生きていると云うだけの
只、親で有ると云うだけの自分だけれど
断ち切る事の出来ない骨肉の愛情と
打ち消す事の出来ない望郷の想いを
固く結わえた小包に秘めて送る
雪の故郷奥能登よ
別れて生きる親と子が呼び合うには
余りに大きく引離された間隔でも
盲いた事が悲しい闇の連続でも
私にはまだまだ命を支えるものがある
此の世の何処かに生きている親を信じて
成長して行く子供達のために
永らえる事が残された今の希いが
北陸のきびしい風雪に打たれても
やぶれぬ様に出来上った此の小包を
さあ一日も早く送ろうよ━━
信原翠陽さんの略歴
1954年頃、邑久光明園に在籍していた。入所前より詩作を趣味とし、地方の校歌の作詞に応募、入選の経歴を持つ。入所後は盲人会役員を務めた。詩のほかに短歌・エッセイなども発表。生没年、入園年は不詳である。楓短歌会『光明苑』(昭和28年)
2030年 農業の旅→

岩の家
私に人間であって人間ではないという日が来た
仮面をかぶって鬼になった
深い谷底に岩の家
それは鬼の家 私の家です
大きな立札が掲げてある
人間ならどなたでも歓迎します
けれど誰も来ない
なぜだろう?
私は気配を殺している
私は人間に嫌われ恐れられている
私を見たら人間は石を投げるだろう
私は感情を押える
感情がこわれる
希望もなくなってしまう
岩屋の柱にぶつかり苦しみもだえ
私は人間になりたい
人の言葉でこの鬼の心を伝えたい
人間が来た
大きなずた袋
弾のない短銃
靴をはいて
私の住居を覘く はじめは好奇の眼で
やがて私をみつけふるえていた
人間はしゃにむに逃げて行った
妻の手
妻はこんきよく洗濯している
わたしのシャツ ズボン
知覚のない手に石鹸袋をくくりつけてもらい
洗濯する盲妻の姿 私にも見えない
あわの中からきこえる音だけ
軽症の頃の妻は
ふっくらとした柔かい手をしていた
包丁のさばき 針仕事も上手だった
いまでは十本の指がみんな曲がり
それでも妻は
ほがらかに愚痴をこぼさない
洗濯の音がさわやかにきこえる
私は田舎廻りの役者にすぎない
高原の野外劇場に抱えられてより二十有余年
真剣に舞台に取り組んで来た
ヘレンケラーの三重苦の稽古した
数々の芝居の美しさも稽古した
知覚のない両手に点字書を抱えて
舌端で読む稽古を続けながら
今はレプラの盲目の果てを
静かに稽古している
夏の夜も
秋の夜も
冬の白夜も
昨日も今日も
懸命になって台詞の稽古をしてゆく
洗濯の音がさわやかに聞える
納められた骨
錆びた錠前がきしむと
雨の中で骨堂の扉がひらく
瞼を熱く泣きはらした妻が
急死した夫の骨をだき
二人の子供がそばに立つ。
骨堂は城だ 中はアパートだ
無数の骨箱が輝く秋の星にも見える
骨堂の明りに浮かびでる
下積みになった骨箱
名も知らない文字も読めない 古く毀れた骨
無縁の骨が匂う。
ここは無神論者 キリスト者 仏教者 天理教者の
居並ぶ骨 骨
やがて骨のアパートから声がおきる
私の胸の扉に突き刺さってくる
滲透してくる
未来に早く来い。
生れ出て人間として何をして来たのか
心弱さが沁み透ってくる
癩者盲目の
オンボロの年輪が緊きしまる
さらに未来の声が
漂泊として胸の扉から押寄せる、ひしめく
生きよ 生き抜け、と。
ああ納められた友の新らしい骨箱に
鮮やかな墨字
友の妻が手離さない骨に
まつわりつく足長の蜂。
骨堂の城に納まる人生と骨堂の外に生きてのがれゆく
人間すべての
城。
武内慎之助さんの略歴
1908年3月1日京都府に生まれる。1938年栗生楽泉園に入所。1950年失明、1953年より詩作を始める。詩集『裸樹』(1958 私家版)。短歌もあり、『慎之助歌集』のほか、栗生楽泉園の合同歌集『盲導鈴』、『山霧』、『冬の花』などに残っている。1973年4月5日死去。
2030年 農業の旅→

病歴
母の絶間ない懊悩と苦銀に
母の絶間ない歌声と揺籃に
この小さい肉体はのびあがってきたのだ
この小さい生命は燃えあがってきたのだ
そしてこの私を━━
母はどんなに微笑ましく凝視めていたことだろう。
だが、宿命は虚しくも裏切ってしまった
この小さな肉体に与えられた力も
この小さな生命に描かれた幸いも
母の微笑も凡て絶望の闇に消失せて
淡い燈の下で 幾度吐息し
暗い闇の中で 幾度嗚咽したか、
寂寞とした幾年は流れて
日毎、潰れゆく己が肉体を撫でつつ、
孤独ながら 彼の追憶の歌を口吟み、
私の生活が続けられる。
この療舎で仰ぐ
茜雲は 杳く誰をか呼ばり
その風情がこよなく愛しい、
遠く 彼方に━━
暫く晩炊の手を休めて
母も必ず仰ぐことであろう。
ああ、夏の日、赫耀と燃える陽光に
挑み合ふ 生命があり、
瞬き散る 星座の中に
ほそぼそと 欷く光がある。
この宇宙の真性を 私は
尊厳な気持で 凝視するのだ。
松井秀夜さんの略歴
1921年9月1日高知県に生まれる。1934年9月20日全生病院に入院。小説、詩を作る。1945年1月30日死去。小説は一編が『ハンセン病に咲いた花 戦前編』(2002 暁星社)に収録されている。
2030年 農業の旅→

盆踊り
癩者は白鳥になる夢をもっている
栗の毬は手に触れがたいが
一皮はげば中から薄桃色の
美しい実がころげ出る
癩者の盆踊りを誰かが鬼が踊っていると
云った
外面すごく醜悪に見える病者にも
内面に美しい夢があり希望をもって生きている
苦しみも悲しみも打忘れ踊っている様は
灯を求めて飛び交う鳥に似ている
癩者は白鳥になる夢をもっている
踊っている鬼ではなく
あこがれに湖上を狂わんばかり
踊っている様だ
ランプの灯
盲になった私にも
色々な思い出があるのだから
夜になったら もう一度ランプの灯を
つけておくれよ
それは慾ばりでしょうか
ランプの灯には
妹が生れたよろこびの日の思い出がある
ランプの灯には
母を亡くした日の悲しい記憶がある
ランプの灯には
楽しく学校に通った少年の日の希望が残っている
私を慰さめて呉れるランプが
いつも郷愁の中にともっている
思い出がふかいランプの灯を
盲の私にもつけておくれよ
雨に陽に
春になって足の傷が治ったら
小鳥を飼うのだと云い
夏になって足の傷が治ったら
盆踊りに出るんだと云った
いつになったら
友の足がよくなるのだろうか
掛けてある松葉杖が
木枯に
かたことと
焦燥しているかの様になっていた
2030年 農業の旅→

孤冬
こんなにも
静寂りかへった冬朝
しんしんと身に喰ひ入る
この冷たさはどうだ。
からりっと
晴れ渡った空にも
憂愁の翳はあるのだらうか
杳々、山脈の端に
わびしい雲が動いている
ああ遠く離れ住む恋人よ
あったかい便りをくれないか。
五月
すっきりと晴れ渡った碧空
土蔵の白壁は五月の太陽を正面に浴びてゐた
とほく 若葉で飾ったポプラの舗道
チラ、ホラ掠める桃色パラソル
五月の風景は皆若々しく活発である
ああ だが
俺は痩せこけた胸に掌をあて
乱れたラッセルのおとを聴きながら
木陰で五月の日射を避けてゐる。
床を取る
身も冷へた 心も冷へた 冬の夜、
隙間洩る 風の心も 恨めしい。
待つ人も 待たるる人も ない身空
いつ知らず 胸の埋火 消へてゆく。
何んとせう 生きて居る身を 何んとせう
のろのろと 今宵も独り 床を取る。
2030年 農業の旅→

「春水」の斬新なタッチに驚かされ、「老鷲の賦」で、30年後の現在の療養所の情景を描いた。まさにそんな鷲が、邑久光明園と長島愛生園の2つのハンセン病療養所がある長島の空高く舞っている。
春水
うすみどりの 野の涯より
うすみどりの 野の涯まで
うらうらと つらつらと
流れ来て 流れ去り
流れ来て 流れ去る
ももいろの
・・・明り
ささやくように 羞うように
かんばせに照り あしもとに輝き
ちらちらと ゆらゆらと
流れ来て 流れ去り
流れ来て 流れ去る
ももいろの
・・・ひかり
水のせおとは 貴女の声に似て
水のきららは 貴女の微笑みに似て
流れ来て 流れ去り
流れ来て 流れ去る
ももいろの
・・・かげり
見えながら 消えていく
消えながら 見えている
貴女の面影
貴女の笑窪
いくつもいくつも
うたかた生れて
流れ来て 流れ去り
流れ来て 流れ去る
ももいろの
・・・こころ
ほのぼのと水の匂いが
さらさらと水のいのちが
野の花を濡らし 私を濡らし
流れても流れても・・・
流れは果てぬ
春の野川の
・・・ 一すじの夢
老鷲の賦
ここ廃園の
白痴にも似た静謐に
・・・赤錆びし檻の織りなす
虚しき影に絡まり
老鷲一羽
その傲岸な嘴に
霜を咥えて眠る
巨いなる翼に包みきれぬ
野生の哀愁が
茶褐色に流れ
磨り減れる強慾な蹴爪に
孤独の宿命を握りしめて眠る
万里の山獄を睥睨し
飛風天空を捲く
昔日の夢・・・
周囲の石壁に凍てて
ニヒリズムな
白樺色の光リ漂う
眠りつつ衰えゆく精気
身動きつつ滅びゆく生命
朽ちる日の木乃伊の祈りを遥か
枯園の慨きを・・・
おもむろに眠る
貪婪と
蹂躙と
強奪と
驕暴と
専横と征服
とを失える
荒廃の王座に
片々と木の葉が散りかかる
鎖されし生涯を
崩れし餌箱の散乱を
腐臭に満ちた
日輪が巡り・・・
ここ廃園の
忘却にも似た静謐に・・・
翼老いたる
鷲一羽
その傷痕の瞼に
永遠の憂愁を秘めて・・・
・・・眠る
2030年 農業の旅→

この詩は癩文学近代文学の頂点に位置する詩だと思います。
癩者
誰が 俺に怪異の面を烙印したのだ
碧天の風を吸って 腐臭を吐き
黄金の実を喰って
膿汁の足跡を踏む
よろめき まろび
指を失った掌にも
土塊は砕け
何故 花は開くか
捨てられた水を呑んで生き
そそがれる光に
描くは 紫の浮腫 斑紋
己を憎み
人を恋い
闇の彼方に
天を憧れる 無性の渇き
ああ 非情の石よ
己が掌を微塵に砕け
悪魔よ ほくそえめ
除けものにされれば されるほど
自らを知る性
俺は 誰に
生きる表情を向けたらいいのだ
瀬戸内市 長島愛生園 「島の四季 志樹逸馬詩集」
1959年 42歳で生涯を終える
2030年 農業の旅→

志樹逸馬さんは、私にハンセン病文学の扉を初めて、開いてくれた方です。
二十八年間
二十八年間
私はここで何をしていたというのだろう
あの日 私は中学制服に鞄一つさげて
ハンセン氏病療園に入った
盲目の人 全身腫物に爛れた人
ゆがんだ鼻
一つ鍋をかこんだ軽症な友人
松林の陰での読書
耕せば
陽光と影は私によりそって揺れ
緑も萌えた
友の多くを失い
私は病み衰えた
だが 渇きに飲む水は甘く
妻は側らにあった
私は一層 前かがみになり
短くなった指で 草をむしった
畑からころがり出てくる馬鈴薯に微笑んだ
生命へのいとしさをまし
友への懐しさをつのらせた
空は一つの尾根であった
光は一つの形を生む力であった
空気は一つのことばであった
唯みずからの生活を咀嚼するしか
すべての問にこたえる途はなく
このありのままの姿こそ その応答に等しいのだ
あの日の涙をとかした風が
今も この地上に立っている私の周辺に吹いていた
五月
青葉にめざめる
さわやかな風をすって
ぬれたおもいが
清水のような意欲を噴きあげる
鮮かなひかりが
全身にふりそそぎ
かぞえきれない
手のひらで
すくっても すくっても
こぼれる
あゝ 五月
私も
地上に萌える生命です
水を掬む女
広い地上 貴方はどうして
私達病み汚れている者の集まる小さな島を
たった一つの職場と選んだのですか
黒く澄んだ瞳を持つ若い貴方に
純白の服を着せたのは 誰なのですか
この生命に掬まれる水の 今日も━━
冷たいかおりを親しみ
うちに・・・赤い血潮となる不思議をいぶかしみながら
あゝ貴方は何処から来た
この胸に顫える手を
じっと 私はみつめるばかりです
(1951年)
2030年 農業の旅→
