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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

ちきゅう座


帝国に迫る夕闇の中で謳うトランプ


唄うトランプさんがおもしろい。動画2つは必見です。

熊王信之さんは「ちきゅう座」にさほど登場されないが、今日の記事で、今後は要チェックのリストに加えた。


2030年 農業の旅→ranking


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栗生楽泉園  松崎水星さん


回想


病室からレントゲン室までの距離は

五十米にも足りなかったけれど

土の上を歩くと云うことは

ベッドに寝たっきりの私には

こよなく嬉しいことだった


足萎えの私は看護婦に支えられて庭に出た

昼近い初冬の柔かい陽差しを浴びて

すずらんの花のように甘く漂う

看護婦の体臭に 私は

忘れていた君の面影を思い出した


二十数年前の白根神社の祭の夜

赤い名古屋帯に縞の単衣の君は

悪い片足を労わるように

私と腕を組んで佇っていたのだった


波が寄せて返すように

みこしは近づき 遠去って行った

私達も旅館に帰ったのだったが━━


半年の灸点治療は二人の距離を遠くした

病気の快くなった君は故郷へ

病気の悪くなった私は国立療養所へ

互に互の面影を抱いて

別れなければならない
えにしだった












祈り




風花の舞う師走も末の寒い朝

君が担ぎこまれたこのベッドに

今日は僕が

肺を侵されて臥している


洗濯板のような胸を撫でながら

昼餉を待ち侘びていると

なんでもかでもよく食った

君の蒼白い顔が瞼に浮んでくる


君はかすれた声で鳥肉が喰いたいと云った

僕は懸命に探した

だが 終戦後の緊迫した食糧事情の中で

鳥肉が手に入った時には

君は既に食慾を失っていた


宗教を否定しつづけて死んで行った

君の魂は

今頃何処にどうしているだろうかと

そんなことを考えているうちに

ふと 自分の祈りの足りないことに気がついて

たまらなく寂しくなって来た













雪が降っていた

天女の涙の結晶なのだろうか

雪は音もなく降っていた

安静時間中の病室は静かだった


私は雪が好きだった

雪が降ると故郷の匂いが感じられた

音もなく降る雪の音を

私は聞いていた


鈴の音が聞こえて来た

と思ったら

シベリヤで抑留中死んだと云われていた

弟の
そりが帰って来た


死んだ筈の弟が帰って来たことに

私は少しの疑問も抱かなかった

自在鉤に吊した鍋を囲んで

二人はどぶろくを汲み交わした


弟の顔は消えた

自在鉤も鍋も消えていた

窓を打つ風もなく

雪は静かに降っていた




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長島愛生園  山田青路さん


黄昏の感傷


今日も曠野の真中に突っ立って

落ちてゆく夕陽を懸命に呼んでいる

破れ
案山子かかし


  呼べばとて戻る夕陽にあらねども

  明日を待てぬ宿命の

  あはれ痛ましきその姿よ、その声よ


黝い黄昏はすでに足下の草叢を包んで・・・・

刻刻に迫る己が身の終焉の恐怖に

虚空に伸した双手は

何をつかみ

何にすがればいいのか


あはれ黒
からすの羽搏きは遠く

薄暮の嶺にそが
いやはてヽヽヽヽの宿命を嘲笑わらう

・・・晩秋の暮景に立って

私はほとほとに疲れ痩せてゆく










郷愁


遠く山河のへだたりを 痩せた胸骨の疼きに埋めて

レプラ十年旅に臥すれば

日毎老ひ 日毎朽ちゆくこの身内に

炎の如く燃え立つ郷愁の心切なく

幾度を思慕の小鳩の 杳かなる青空を望んで

この胸を飛び立ちしことか


だが 十年を流れながれる歳月の波濤に

古里は日毎遠のき 遠のいて

あはれ空しくも翼疲れて

この胸に舞ひ戻りし 我が思慕の小鳩よ


あゝ今日も

蜿蜒と連なる山脈の彼方

赫々と燃ゆるあかねの雲を眺めては

又しても我が思慕の小鳩は

薄暮れの空にあえかなる想出の夢を追って

はた・・・はた・・・と

羽搏くのだ 飛び立つのだ








冬近き墓場に


━━レプラ病みて十年古里は懐かしされど山川草木ことごとく我に冷たし━━


鬱蒼と繁る常緑樹の葉陰を盗んで、ちらちらとこぼれ落ちる薄れ陽に、磨かれた石面を蜥蜴の眸の様にうるませて、冷めたい墓石の沈黙よ。


父の! 祖父の! 曾祖父の! つながる血縁の上に課せられた永久の寂寥を慰むと、墓前に植えられた菊花の薫香も、打ち振ふ季節の触手に霜枯れて・・・。
死におくれた蟋蟀の一つ二つ・・・鳥も啼かぬこの静謐の真昼間。亡霊の咽ぶが如きすすり音の哀しさをなんとする。


十年を歳月のデスタンスに断たれ、今墓前にぬかづく宿命の子の脳裡によみがへるものは冷めたく、六十余年の足跡を自ら柿の小枝に消した祖父の死貌と・・・愛憐の双手に火の鞭を下げて宿命の子を裏木戸に追った父の涙の眸と・・・


あゝ、だが総てはこれ杳い想出、父よ! 祖父よ! 我が血縁の諸霊よ、陰鬱な墓場の木洩陽をすくって、永久に瞑想の胡坐を続けよ、宿命の子は再び旅に出る、諸行無情の木枯を衝いて、遠く山河の果てに宿命の旅に出る。


山田青路さんの略歴
1933年8月9日長島愛生園入所。1945年9月5日死去。



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邑久光明園  信原翠陽さん


詩がとてもわかりやすく、何回読んでも心に響く。特にこの3作品は時代の荒波を越えて残っていくだろう。


押入の中から


襖をあけて

押入れの中を覗くと

盲になった悲しみが

どっとこみ上げ

思わず咽喉から

逢えぬ我が子の名前が出る

三尺の押入れの中の

誰れにも冒されない安らかさに

口笛鳴らし

胸が弾めば

たまゆらの命は

病苦を超えて

幼い頃の明るさを呼ぶ

さぐり覚えの場所にある

僅かな荷物は

冷たくて

追われ来た日の淋しさが

残っているよ

来る所まで来

墜ちるところまで墜ちて

嘆くのは愚だ

怒るのは笑止だ

所詮くるしみの旅なれば

これっぽちになった荷物でも

盲いたことが終止符でも

いいんだ

私は此処から生き抜こう

別れて生きる子供の為に

湖底のような静かな

押入れの中から

私は新しく出発するんだ












外套を着れば



窓を打つこがらしに

さぐりながら着る外套は

頼もしいぬくみを持って

盲いた私を包んでくれる

戦乱の時

炎の中を逃げ廻り

発病した時

冷たい人の白眼視から

私をかばった外套よ

だけが知っている

小さい島で

癒えぬ病を養えば

総てのものは離れていくのに

外套の暖い事はどうだ

記憶の底にある母にも似て

やわらかい感触に

病み疲れた身体が暖まると

何んにも見えない悲しみを

吹きまくる真冬の風が

さらって行くよ

外套の胸をひきしめて

自らがあたたまらねば

何処にも暖かさのない孤独の旅だ

蛍のように

自らが燃えて飛ばなければ

何処にも光のない無限のやみだ

見えぬ眼で掻きさぐる

これからの新たな道に

久遠の光が照すまで

外套よ

島の寒さを防いでおくれ

















小包


附録のどっさりついた絵本を入れると

中身の貧しい小包は重たくなって

其処から子供達の歓声が聞える様だ

ただ生きていると云うだけの

只、親で有ると云うだけの自分だけれど

断ち切る事の出来ない骨肉の愛情と

打ち消す事の出来ない望郷の想いを

固く結わえた小包に秘めて送る

雪の故郷奥能登よ

別れて生きる親と子が呼び合うには

余りに大きく引離された間隔でも

盲いた事が悲しい闇の連続でも

私にはまだまだ命を支えるものがある

此の世の何処かに生きている親を信じて

成長して行く子供達のために

永らえる事が残された今の希いが

北陸のきびしい風雪に打たれても

やぶれぬ様に出来上った此の小包を

さあ一日も早く送ろうよ━━



信原翠陽さんの略歴
1954年頃、邑久光明園に在籍していた。入所前より詩作を趣味とし、地方の校歌の作詞に応募、入選の経歴を持つ。入所後は盲人会役員を務めた。詩のほかに短歌・エッセイなども発表。生没年、入園年は不詳である。楓短歌会『光明苑』(昭和28年)


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焼きナスビ



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熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、8ミリほどに輪切りしたナスを置き、蓋をして裏表5分ずつ焼いて皿にとり、醤油をまわしかけて出来上がり。



オクラ

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1分半ほど茹でて冷水にとり、薄切りしてカツオブシをふり、醤油で。



ゆで卵

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ズッキーニの漬物

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ズッキーニは6~7ミリに輪切りして塩をふってもみ、1時間ほど置く。

ボールに醤油、酢、レモン果汁、蜂蜜を各大さじ1入れ、生姜1片をすりおろして混ぜ、ズッキーニの水気をしぼりながら入れ、混ぜて出来上がり。冷蔵庫に一晩おいて食べる。



ズッキーニ・ベーコン・チーズ
  
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熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、8ミリほどに輪切りしたズッキーニを置き、ベーコン2枚を小さく切って置き、とろけるチーズ1枚を小さく切って置き、少し醤油をかけ、蓋をして5分、火を消して余熱2分で出来上がり。





ピーマン炒め

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上で使ったフライパンに油を少したし、ニンニク1片の薄切り、ベーコン1枚の細切り、ピーマンの順に炒め、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。
   


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内田樹の研究室

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栗生楽泉園  武内慎之助さん


岩の家


私に人間であって人間ではないという日が来た

仮面をかぶって鬼になった



深い谷底に岩の家

それは鬼の家 私の家です

大きな立札が掲げてある

人間ならどなたでも歓迎します

けれど誰も来ない



なぜだろう?

私は気配を殺している

私は人間に嫌われ恐れられている

私を見たら人間は石を投げるだろう

私は感情を押える

感情がこわれる

希望もなくなってしまう

岩屋の柱にぶつかり苦しみもだえ

私は人間になりたい

人の言葉でこの鬼の心を伝えたい



人間が来た

大きなずた袋

弾のない短銃

靴をはいて

私の住居を覘く はじめは好奇の眼で

やがて私をみつけふるえていた

人間はしゃにむに逃げて行った








 



妻の手


妻はこんきよく洗濯している

わたしのシャツ ズボン

知覚のない手に石鹸袋をくくりつけてもらい

洗濯する盲妻の姿 私にも見えない

あわの中からきこえる音だけ

軽症の頃の妻は

ふっくらとした柔かい手をしていた

包丁のさばき 針仕事も上手だった

いまでは十本の指がみんな曲がり

それでも妻は

ほがらかに愚痴をこぼさない



洗濯の音がさわやかにきこえる

私は田舎廻りの役者にすぎない

高原の野外劇場に抱えられてより二十有余年

真剣に舞台に取り組んで来た

ヘレンケラーの三重苦の稽古した

数々の芝居の美しさも稽古した



知覚のない両手に点字書を抱えて

舌端で読む稽古を続けながら

今はレプラの盲目の果てを

静かに稽古している

夏の夜も

秋の夜も

冬の白夜も

昨日も今日も

懸命になって台詞の稽古をしてゆく



洗濯の音がさわやかに聞える














納められた骨



錆びた錠前がきしむと

雨の中で骨堂の扉がひらく

瞼を熱く泣きはらした妻が

急死した夫の骨をだき

二人の子供がそばに立つ。



骨堂は城だ 中はアパートだ

無数の骨箱が輝く秋の星にも見える

骨堂の明りに浮かびでる

下積みになった骨箱

名も知らない文字も読めない 古く毀れた骨

無縁の骨が匂う。



ここは無神論者 キリスト者 仏教者 天理教者の

居並ぶ骨 骨

やがて骨のアパートから声がおきる

私の胸の扉に突き刺さってくる

滲透してくる

未来に早く来い。



生れ出て人間として何をして来たのか

心弱さが沁み透ってくる

癩者盲目の

オンボロの年輪が緊きしまる

さらに未来の声が

漂泊として胸の扉から押寄せる、ひしめく

生きよ 生き抜け、と。

ああ納められた友の新らしい骨箱に

鮮やかな墨字

友の妻が手離さない骨に

まつわりつく足長の蜂。

骨堂の城に納まる人生と骨堂の外に生きてのがれゆく

人間すべての

城。



武内慎之助さんの略歴
1908年3月1日京都府に生まれる。1938年栗生楽泉園に入所。1950年失明、1953年より詩作を始める。詩集『裸樹』(1958 私家版)。短歌もあり、『慎之助歌集』のほか、栗生楽泉園の合同歌集『盲導鈴』、『山霧』、『冬の花』などに残っている。1973年4月5日死去。




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多摩全生園  松井秀夜さん


病歴



母の絶間ない懊悩と苦銀に

母の絶間ない歌声と揺籃に

この小さい肉体はのびあがってきたのだ

この小さい生命は燃えあがってきたのだ

そしてこの私を━━

母はどんなに微笑ましく凝視めていたことだろう。



だが、宿命は虚しくも裏切ってしまった

この小さな肉体に与えられた力も

この小さな生命に描かれた幸いも

母の微笑も凡て絶望の闇に消失せて

淡い燈の下で 幾度吐息し

暗い闇の中で 幾度嗚咽したか、



寂寞とした幾年は流れて

日毎、潰れゆく己が肉体を撫でつつ、

孤独ながら 彼の追憶の歌を口吟み、

私の生活が続けられる。



この療舎で仰ぐ

茜雲は 杳く誰をか呼ばり

その風情がこよなく愛しい、

遠く 彼方に━━

暫く晩炊の手を休めて

母も必ず仰ぐことであろう。

ああ、夏の日、赫耀と燃える陽光に

挑み合ふ 生命があり、

瞬き散る 星座の中に

ほそぼそと 欷く光がある。



この宇宙の真性を 私は

尊厳な気持で 凝視するのだ。



松井秀夜さんの略歴
1921年9月1日高知県に生まれる。1934年9月20日全生病院に入院。小説、詩を作る。1945年1月30日死去。小説は一編が『ハンセン病に咲いた花 戦前編』(2002 暁星社)に収録されている。



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邑久光明園  中村七鶯さん


盆踊り


癩者は白鳥になる夢をもっている

栗の
いがは手に触れがたいが

一皮はげば中から薄桃色の

美しい実がころげ出る

癩者の盆踊りを誰かが鬼が踊っていると

云った

外面すごく醜悪に見える病者にも

内面に美しい夢があり希望をもって生きている

苦しみも悲しみも打忘れ踊っている様は

灯を求めて飛び交う鳥に似ている

癩者は白鳥になる夢をもっている

踊っている鬼ではなく

あこがれに湖上を狂わんばかり

踊っている様だ











ランプの灯


盲になった私にも

色々な思い出があるのだから

夜になったら もう一度ランプの灯を

つけておくれよ

それは慾ばりでしょうか

ランプの灯には

妹が生れたよろこびの日の思い出がある

ランプの灯には

母を亡くした日の悲しい記憶がある

ランプの灯には

楽しく学校に通った少年の日の希望が残っている

私を慰さめて呉れるランプが

いつも郷愁の中にともっている

思い出がふかいランプの灯を

盲の私にもつけておくれよ










雨に陽に



春になって足の傷が治ったら

小鳥を飼うのだと云い

夏になって足の傷が治ったら

盆踊りに出るんだと云った


いつになったら

友の足がよくなるのだろうか


掛けてある松葉杖が

木枯に

かたことと

焦燥しているかの様になっていた



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夏野菜煮込み


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もらったトマトが傷みかけていたので、早く使うことにした。トマト料理はこれしか思いつかない。

豚肉100gは15秒湯通しする。熱した鍋に大さじ1の油を入れ、ニンニク1片の薄切り、豚肉、タマネギの順に炒め、残りの野菜(ナス、ピーマン、インゲン、ズッキーニ)を入れ、全体に油がまわったら、白ワインとトマトを入れ、煮立ったら弱火にしてコンソメ2個を入れ15分煮て胡椒で味付けして出来上がり。

冷めたのを翌朝や昼に食べてもおいしいし、茹でたパスタにかけてもいいし、リメイクしてカレーにもできるので、たくさん作っても作り過ぎということはない。



カラスガレイのバター醤油

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カラスガレイのアラは15秒湯通しする。

熱したフライパンにバターを入れ、片栗粉をつけたカラスガレイを置き、蓋をして裏表5分ずつ焼き、火を消して余熱2分で出来上がり。

皿にとってから醤油をまわしかけた。



ハーブティ
   
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左からセイジ、アップルミント、タイムで、沸騰したら火を消して入れ、3分蒸らし、ハーブを全て取り出して出来上がり。



ポリポリキュウリ

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キュウリは乱切りして塩をふってもみ、2時間以上置く。

容器に醤油大さじ2、ゴマ油小さじ1、胡椒、ニンニク1片をすりおろして混ぜ、キュウリの水気をしぼりながら入れ、混ぜて出来上がり。冷して食べるとおいしい。

  


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リベラル21

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長島愛生園  坂井新一さん


孤冬


こんなにも

静寂りかへった冬朝

しんしんと身に喰ひ入る

この冷たさはどうだ。


からりっと

晴れ渡った空にも

憂愁の翳はあるのだらうか

杳々、山脈の端に

わびしい雲が動いている


ああ遠く離れ住む恋人よ

あったかい便りをくれないか。
 







五月


すっきりと晴れ渡った碧空

土蔵の白壁は五月の太陽を正面に浴びてゐた


とほく 若葉で飾ったポプラの舗道

チラ、ホラ掠める桃色パラソル

五月の風景は皆若々しく活発である


ああ だが

俺は痩せこけた胸に掌をあて

乱れたラッセルのおとを聴きながら

木陰で五月の日射を避けてゐる。










床を取る


身も冷へた 心も冷へた 冬の夜、

隙間洩る 風の心も 恨めしい。


待つ人も 待たるる人も ない身空

いつ知らず 胸の埋火 消へてゆく。


何んとせう 生きて居る身を 何んとせう

のろのろと 今宵も独り 床を取る。



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栗生楽泉園  田中梅吉さん


暮坂山の星


今日も星は輝いています


入園の日のあの星

ふるさとの柿の木の上に輝く星


あれから五十年が過ぎました

胃も腸も手術しおなかの軽くなった私を

小浅間の星は見つめています


暮坂山の星たちは

人工水晶体のなかで笑っています

県立天文台が建つという

甥からの便り

遠い日の友もきっと

暮坂山の星を見上げてくれているでしょう









ぬくもり


四畳半の炬燵を囲み

療養体験を話した

短い時間の語らいでした


足が痺しび
れて立てなァいなんて

笑い ぬくもり

残していった

看護学生たちからの便り


色とりどりの便せんに

申し合わせたように

小さな文字で

私たちの町へ

おいで下さいと書いてある


夕餉のひと時

私たちに孫があったら

あの娘かな

こちらに座ってた娘かな・・・


子も孫も

もてない星の下に

生まれた私たち夫婦


あなたたちの来訪が

夢を見させてくれました










一羽のつばめ


軒下の電話ケーブルに

朝がた

決まってお喋りにやってくる

一羽のつばめ


ねむい私に

時折ホオズキを

鳴らす音をたてながら

休まず話しかけてくる


山を二つ越え

町を越え

私のふるさとの

田んぼと家を覗いてきたという


夢うつつつばめに話す

きみの目は

そんなに小さくて 

どんなふうに見えるのか


四年前の秋の日

私の目には

人工水晶体が入った


眼帯をはずした日

先生の太い指の指紋

看護婦さんの長い睫毛

はっきりと見えた


病室の白い壁

包布の白さ

窓越しに

紅葉のはじまった

どうだんつつじの葉の鮮やかさ


あの明るさは

今も忘れられない


目も心も混濁してしまいそうな私に

この夏はきっと

よいことがあるからと

つばめは話す




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邑久光明園  千島染太郎さん



「春水」の斬新なタッチに驚かされ、「老鷲の賦」で、30年後の現在の療養所の情景を描いた。まさにそんな鷲が、邑久光明園と長島愛生園の2つのハンセン病療養所がある長島の空高く舞っている。




春水



うすみどりの 野の涯より

うすみどりの 野の涯まで

うらうらと つらつらと

流れ来て 流れ去り

流れ来て 流れ去る

ももいろの

・・・明り



ささやくように 羞うように

かんばせに照り あしもとに輝き

ちらちらと ゆらゆらと

流れ来て 流れ去り

流れ来て 流れ去る

ももいろの

・・・ひかり



水のせおとは 貴女の声に似て

水のきららは 貴女の微笑みに似て

流れ来て 流れ去り

流れ来て 流れ去る

ももいろの

・・・かげり



見えながら 消えていく

消えながら 見えている

貴女の面影

貴女の笑窪



いくつもいくつも

うたかた生れて

流れ来て 流れ去り

流れ来て 流れ去る

ももいろの

・・・こころ



ほのぼのと水の匂いが

さらさらと水のいのちが

野の花を濡らし 私を濡らし



流れても流れても・・・

流れは果てぬ

春の野川の



・・・ 一すじの夢











老鷲の賦


ここ廃園の

白痴にも似た
静謐しじま

・・・赤錆びし檻の織りなす

虚しき影に絡まり

老鷲一羽

その傲岸な嘴に

霜を咥えて眠る

おおいなる翼に包みきれぬ

野生の哀愁が

茶褐色に流れ

磨り減れる強慾な蹴爪に

孤独の
宿命さだめを握りしめて眠る

万里の山獄を睥睨し

飛風天空を捲く

昔日の夢・・・

周囲の石壁に凍てて

ニヒリズムな

白樺色の光リ漂う

眠りつつ衰えゆく精気

身動きつつ滅びゆく生命いのち

朽ちる日の
木乃伊ミイラの祈りを遥か

枯園の
なげきを・・・

おもむろに眠る

貪婪と

蹂躙と

強奪と

驕暴と

専横と征服

とを失える

荒廃の王座に

片々と木の葉が散りかかる

鎖されし生涯を

崩れし餌箱の散乱を

腐臭に満ちた

日輪が巡り・・・

ここ廃園の

忘却にも似た
静謐しじま
に・・・

翼老いたる

鷲一羽

その傷痕の瞼に

永遠の憂愁を秘めて・・・

・・・眠る

 




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豆ご飯


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4合の白米を洗って炊飯器に入れ、酒50CCと水を入れて4合の目盛りに合わせ、塩をひとつまみ入れて混ぜる。

250gのグリンピースを入れ(混ぜない)、炊けたら混ぜて出来上がり。



ニンニクライス(チャーハン)

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IMG_3772_20180628193530f13.jpg  

熱したフライパンに油を入れ、ベーコン1枚の細切り、タマネギとピーマンの粗みじん切りの順に炒め、火が通ったら、ニンニク醤油のニンニク3片の粗みじん切りを入れ、ニンニク醤油で味付けし、火を消して最後に白ごはんを入れ、ほぐしながら点火し、具材とごはんがなじんだら出来上がり。 


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内田樹の研究室

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長島愛生園  瀬戸美佐夫さん


彼と松

島に来て

毎日松ばかり写生していた

日本画家を 私は知っていた。

天気さえ良ければ

彼は画用紙を持って

島の中を 彼方 此方と松を描いて歩き、

彼は一人楽しそうだった。


これは 南海岸の松、

これは 北海岸の松、

谷間の湿地に二本並んでいた松

又 これは岸頭に一本突立っていた松の枝 と

彼は松の素描を 何十枚も

大事に描き溜めていた。

彼はその一つ一つを私に示して、

松の生態については 実に驚くほど

細い観察と 感覚を

熱心に私に語ってきかした。

彼は一生かかっても

何とかして松の素描を大成してみたいとの

希望を持っていた。


彼は又、

金原さんの東洋美術史等を出して

民族的な日本画の特性、と云うようなことで、

夜遅く迄、

私と論争したことがある。

彼は私を頑固だと云った が、

彼もなかなか頑固で 自分の主張をまげなかった。

彼は島で二三年病の養生をして

再び中央へ画の勉強に出たいと云っていた。


彼は自分の病は

きっと自分で治せるものと、

何か一つの信念でもあるらしく

彼の顔色は何時も生き生きとして、

病にとりつかれたような、

暗い影は少しも見えなかった。


秋の終り頃だった。

突然 彼の家から電報が来て、

彼は急に あわてて帰省した。

家には

若くて美しい細君と 子供が

彼の留守居をしていた。

細君は一度 子供を連れて

島へ 面会に来たことがある。

鐘楼のある松林の丘を

彼と並んで、

むつまじそうに歩いていた後姿を

私はよく覚えている。


帰省した彼からは

それっきり何の便りも来なかった。

帰省後 間もなく彼は余病で死んだ と

云うことを

最近 私は人から聞いた が、

私には嘘のような━━

誤聞のような気がしてならない。


終戦後、

島の松は 次第に乱伐されて

淋しく手薄になったが、

処々まだ切り残された

松の茂みの青さの中から、

画用紙を持った 彼の笑顔が、

ぽっかりと 私を呼んでいるような。


春が来て

長く伸び立った松のみどりに

彼の命が匂っていて、

たとい 彼が死んでいたにしても、

たぶん 彼は最後迄捨てなかったであろう、

彼の 美しい頑固さが

まだ何処かに 生きていて、

一心に、

松の写生をしているように思われてならない。



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邑久光明園  鹿島太郎さん


癩者


暁の島を

白いベールが幾重にも覆っている


一条の光りが

暗雲を斜に射し照らす頃は

もうすっかりベールをぬいでいた


親を捨て去り

妻子を捨て去り

兄弟姉妹を捨て去り

この島の周囲には涙の海が浪音をたてている


貴方達には絶対に見られたくない部落

癩者の部落の中心の治療場

そこに通う雑踏を

杖をひきながら行く盲

太き嘆息をはきつつ

操り人形そっくりに歩いて行く姿を

私は彼等と共にささやかな望みが

思われてならない


ああ神様は我等の為に嘆いているだろうか

癩者の眼は空洞のように

永遠の闇がひそんでいる

それでも ときどき

はげしい光が点滅するのだ


この癩者にも静かな祈りがある

幼子のように神々しく笑うこともある

癩者の園が

神のパラダイスとひとしいと云うことは

何と云うよろこびだ












子守歌


浜の砂の上に寝ころんで

黄昏の海をじっと見つめている

海を見つめる瞳は郷里をあこがれているのだ


此処へ来た当時はもだえ狂ったものだが

今はもう郷愁の涙も涸れてしまった


嗚々 何時ともなく時の中に溶けこんでしまったのだろうか

もう何を求めようと言うのではない

ただ一つ かすかに覚えている

母の子守歌が聞きたいのだ


こうして浜辺に寝ころんでいるのも

何処からか聞えて来はしないか

心の底から湧き出て来はしないかと

儚ない希望があるからだ


それだけでもいい

こうした私にもかつてはやさしい母の手があったのだ

美しい子守歌があったのだ


それだけでいい

それ以上何を求めよう

それ以上何があろう


私は何時迄も砂の上に寝転んでいる

嬰児のように・・・



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栗生楽泉園  桜井哲夫さん



かすみ草

雪の夜の病室

消灯後の瞬間の

静寂を破り

ドアをノックして入ってきたのは

単身赴任の事務職員さん


起きているかね

町の酒場で飲んでいたら

酒場の女が

詩集『津軽の子守唄』を読んで

感動したと言って

かすみ草の花束を頼んだのだと言う

広げた胸の中に花束を抱かせて

職員さんは雪の中を帰って行った


顔をうずめた唇に

花びらの小さな震えがあった


花束を贈った酒場の女に

再び会えなかったと

職員さんは伝えてくれた

名も告げぬ湯の町の酒場の女の痛みが

いつまでも小さく唇に残った









榛名グラス


真昼のほてりを残した病室

友よ7月10日は俺の誕生日そして君の誕生日

門灯の光を透かして国立療養所栗生園の表札を読んだときも

空腹のあまり農園の南瓜を盗んで食べた夜にも君は俺と共にあった

破れたパンツの繕いを

汚れたシャツの洗濯を

17歳の俺に教えたのも友よ君だ

盲人将棋を指しアマチュア四段の免状を将棋連盟から贈られたときも

一番大きな拍手を送ってくれたのも君だ

第二詩集『ぎんよう』出版会の日も

花束を贈る西毛文学の詩友飯島豊子さんの眼鏡の奥の優しい瞳を

頬に浮かべた微笑みを俺の耳元で囁いたのも君だ

その日詩友の新井美代子さんから贈られた榛名グラスに
看護婦は琥珀の液体を満たし二個の氷片を浮かべてくれた

友よ榛名グラスを上げてくれ

二人の誕生日

上げた榛名グラスに療養所で送った年輪が輝いている

友よ 友よ 俺の友よ

友よ 君の名は癩





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初物 オクラ


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初物のオクラだが、取り遅れて大きくなりすぎているのもあった。

2~3分茹でて冷水にとり、薄切りしてカツオブシをふり、醤油で。



夏野菜の味噌煮

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ナス、ピーマン、インゲン、ズッキーニは食べやすい大きさに切る。

熱した鍋に大さじ1のゴマ油を入れて野菜を炒め、水とダシの素と削り節を入れ、煮立ったら弱火にして15分煮て、味噌をみりんで溶いて入れ、1~2分煮て出来上がり。



ゆで卵

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ズッキーニの漬物
  
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ズッキーニは7ミリほどの輪切りにして、塩をふってもみ、30分以上置く。

ボールに醤油、酢、レモン果汁、蜂蜜を各大さじ1入れ、生姜1片をすりおろして混ぜ、ズッキーニの水気をしぼりながら入れ、混ぜて出来上がり。冷蔵庫で一晩寝かせた方がおいしい。





キュウリの酢の物

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キュウリだけで作ると簡単である。

キュウリはスライサーで薄切りし、塩をふってもみ、30分以上置く。

水で洗い流してキュウリの塩分を落し、水気をしぼる。

ボールに酢大さじ2、醤油大さじ1弱、レモン果汁大さじ1、蜂蜜大さじ1を入れて混ぜ、キュウリを入れ、混ぜて出来上がり。

 


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私のエッジから観ている風景

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長島愛生園  志樹逸馬さん




露(二)




縁側で白いダリヤの花を

一枝もらった



数えきれないほどの

雨の滴りが

いっぱい光っている



淡いみどり色の

小さなくもがとまっている

葉の裏に

あずきほどのかたつむりが

じっとしている



そっとみていると

まだまだ私の知らない世界が

いくつも

かくされていそうだ










夕映え


夕映えの空に

うすもも色の雲は

じっと動こうともしない

ああだのに

もう・・・

山も 海も 人家も 樹木も

いつしか

うす暗い暮色の中に

沈んでいこうとする



夕映えよ

あした またあした

いいえ

━━これからさき

私がどのような環境におかれ

孤独と病苦に

汚れた体を

暗いベッドにすがらせるときも

きっと

この美しい素顔を見せておくれ



しずかな入江の桟橋にたって

私は

いつまでも生きていたいと思う




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長島愛生園  志樹逸馬さん


この詩は癩文学近代文学の頂点に位置する詩だと思います。




癩者




誰が 俺に怪異の面を烙印したのだ

碧天の風を吸って 腐臭を吐き

黄金の実を喰って

膿汁の足跡を踏む



よろめき まろび

指を失った掌にも

土塊は砕け

何故 花は開くか



捨てられた水を呑んで生き

そそがれる光に

描くは 紫の浮腫 斑紋



己を憎み

人を恋い

闇の彼方に

天を憧れる 無性の渇き

ああ 非情の石よ

己が掌を微塵に砕け

悪魔よ ほくそえめ



除けものにされれば されるほど

自らを知る性



俺は 誰に

生きる表情を向けたらいいのだ



瀬戸内市 長島愛生園  「島の四季 志樹逸馬詩集」
1959年 42歳で生涯を終える



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長島愛生園  志樹逸馬さん


志樹逸馬さんは、私にハンセン病文学の扉を初めて、開いてくれた方です。


二十八年間



二十八年間

私はここで何をしていたというのだろう


あの日 私は中学制服に鞄一つさげて

ハンセン氏病療園に入った


盲目の人 全身腫物に爛れた人

ゆがんだ鼻

一つ鍋をかこんだ軽症な友人

松林の陰での読書

耕せば

陽光と影は私によりそって揺れ

緑も萌えた


友の多くを失い

私は病み衰えた

だが 渇きに飲む水は甘く

妻は側らにあった


私は一層 前かがみになり

短くなった指で 草をむしった

畑からころがり出てくる馬鈴薯に微笑んだ

生命へのいとしさをまし

友への懐しさをつのらせた


空は一つの尾根であった

光は一つの形を生む力であった

空気は一つのことばであった


唯みずからの生活を咀嚼するしか

すべての問にこたえる途はなく

このありのままの姿こそ その応答に等しいのだ


あの日の涙をとかした風が

今も この地上に立っている私の周辺に吹いていた










五月


青葉にめざめる

さわやかな風をすって

ぬれたおもいが

清水のような意欲を噴きあげる


鮮かなひかりが

全身にふりそそぎ

かぞえきれない


手のひらで

すくっても すくっても

こぼれる

あゝ 五月

私も

地上に萌える生命です











水をむ女


広い地上 貴方はどうして

私達病み汚れている者の集まる小さな島を

たった一つの職場と選んだのですか


黒く澄んだ瞳を持つ若い貴方に

純白の服を着せたのは 誰なのですか


この生命に掬まれる水の 今日も━━

冷たいかおりを親しみ

うちに・・・赤い血潮となる不思議をいぶかしみながら


あゝ貴方は何処から来た

この胸に顫える手を

じっと 私はみつめるばかりです

(1951年)




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第9弾入居


午後3時、ニワトリに青菜をやろうと思って、鳥小屋の方へ歩いていた時、竹やぶ沿いにまだ置いている「待受け箱」に眼をやったら、多数の蜜蜂が乱舞していた。

多分、分蜂の時に選んだ住居の居心地が悪く、新住居を探さざるをえなかったか、もしくは、選んだ住居が狭すぎて、巣がいっぱいになってしまったか、理由はそんなところだろうが、今までに6月18日~19日に2回入居した実績があるので、分蜂期は過ぎても、6月20日頃までは、まだ入る可能性があると思っていた。今日は26日なので、やはり6月下旬のこの時期は、最初に選んだ住居の良し悪しが表面化する時期なのだろう。

6時半がまわって薄暗くなり、大半の蜜蜂が巣に戻る頃を見計らって、もう一度田んぼに行き、竹やぶ沿いの待受け箱を山に移動させた。

この時期に移動してくる蜜蜂は、蜂数もそれなりに多く、蜜もいっぱい腹に蓄えてやって来たはずだし、明日から、元の住居の蜜がなくなるまで、新居へ蜜を移動させるはず。だから、山に移動したと同時に一つ継ぎ箱をした。

1週間ほど前に1群が消滅したが、また7群になった。定着してくれるかどうか、夏を越せるかどうか微妙だが、楽しみが一つ増えた。


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ラタトゥユ(夏野菜煮込み)



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熱した鍋に大さじ1の油を入れ、ニンニク1片の薄切り、15秒湯通しした豚肉100g、タマネギの順に炒め、残りの野菜(ナス、ピーマン、インゲン)を入れ、全体に油がまわったら、白ワインともらったトマトを入れ、煮立ったら弱火にしてコンソメ2個を入れ、15分煮て、胡椒で味付けして出来上がり。



焼きナスビ

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熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、8ミリほどに輪切りしたナスを置き、裏表5分ずつ焼いて皿にとり、醤油をまわしかけて出来上がり。油と醤油の入れすぎ注意!



キュウリの酢の物
  
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キュウリ3本はスライサーで薄切りし、塩をふってもみ、30分以上置く。

ボールに酢大さじ2、レモン果汁大さじ1、蜂蜜大さじ1、醤油大さじ1弱を入れて混ぜる。

キュウリは水洗いして塩分を落し、水気をしぼりながらボールに入れ、混ぜて出来上がり。

  
 


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内田樹の研究室

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蜜蜂は現在 6群



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4月29日に入居したこの群が6月20日頃に消滅した。

どうやら「無王群」だったようだ。理由は、
(1)片付けた時の、巣の伸びが悪かった。
(2)入居した時の時間が4時20分頃と、新住居への移動の時間帯が通常よりかなり遅かった。
(3)普通、女王蜂がいたら、キンリョウヘンにそんなに長くはさばりつかず、女王蜂が入った巣箱の中に「すうっと」入っていくはずなのに、キンリョウヘンを動かしても、多くがそれにさばって離れようとしなかった。
(4)入居して翌朝はまだ新住居の位置を覚える行動をしているが、翌々日くらいからは、巣門からピュウッと飛び出して、ピュウっと帰ってくるが、どうもそうではなかった。

6月下旬というのは、今春の分蜂群にとっての一つの壁だと思う。無王群だったり、弱小群だったりすると、7月まで群をキープすることが難しい。


5月16日に捕獲した第8弾は6月25日の今日、やっと一つ継ぎ箱をして3段にした。握りこぶしほどの蜂球だったので、なかなか蜂数が増えず、一進一退を繰り返していたが、ここ数日、少し蜂数が多くなったように見えたので、「待受け箱」の状態から一つ継ぎ箱をした。持ち上げた時にまだ軽かったが、今後の暑さ対策には空間が広い方がいいと思った。この群はまだ今後どうなるかわからない。


この春の分蜂で、計算上は8群とったが、このうち5群はそれぞれの方が持ち帰られた。3群は当地に残し、越冬した4群と合わせて7群になったが、1群が消滅し、現在は6群である。


もともと、蜜源や世話をする手間の関係で7~8群が限度と認識し、このうち半分の4群が越冬してくれることを目標にしている。

分蜂が終った今は、毎日の見回りが楽しみであり、「足音」が、蜜蜂に対する後方支援と思っている。



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ハンセン病文学は3回目の繰り返しに入ります


おおまかにですが、ハンセン病文学は2回めの繰り返しが終った。

これから3回目の繰り返しになりますが、詩、短歌、俳句、川柳、随筆のジャンルや療園ごとに区別することなく、記憶に残った作品を順不同で紹介していきたいと思います。

暗記できるくらい繰り返さないと、結局、自分の血となり肉とならない。

10回ほど繰り返すことが目標です。

3~4回の繰り返しでは、ただ、読んだ、知った、わかった程度で、単なる知識の集積であり、何か事が生じた時の「心の支え」にはならないだろう。


大半が「ハンセン病文学全集第1巻~第10巻」からの抜粋です。


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生鮭を使った2品



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生鮭のアラを買った。15秒湯通しした。


タジン鍋

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タジン鍋の下敷きにエンサイとツルムラサキを置き、ナス、ピーマン、インゲンを食べやすい大きさに切って置き、サケを置き、生姜1片をすりおろし、ニンニク醤油で味付けし、煮立ったら極弱火にして15分、火を消して余熱5分で出来上がり。


バター醤油


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熱したフライパンにバターを入れ、残りのアラに片栗粉をつけて置き、裏表5分ずつ焼いて火を消し、余熱3分で蓋を開け、醤油をかけて出来上がり。



甘いハーブティ
 
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左からセイジ、タイム、アップルミント、ステビアで、沸騰したら火を止めて入れ、3分蒸らし、全て取り出し、ステビアだけ戻し、さらに30分浸して出来上がり。



ラッキョの本漬け
  
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10日ほど10%塩に浸しておいたラッキョは、さっと水洗いして、昨日、今日の2日間、天日に干した。

干したラッキョを瓶に入れ、ラッキョ1キロに対して酢500CCに砂糖140gを溶かし、さめたら瓶に注いで出来上がり。1ヶ月ほど経過したら食べれる。

合計で3キロと300gほど漬けた。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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