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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

RITERA


 森友問題によって、改憲日程が狂ったなどとする報道もあったが、むしろ逆で、森友隠しのためにも、死にもの狂いで「改憲」を政治日程に乗せ、強引に発議まで持ち込もうというわけだ。


そしてもし憲法改正が発議された時点で、護憲派が何の準備もしていなかったら、それは罪だとさえ思います。そうならないためにも、国民投票法には広告規制がない、という致命的な欠陥があることが広く知れ渡ればいいと思っています。


安倍首相が党大会で「改憲」強行を表明! 裏では電通に依頼して国民投票に向けた大規模広告戦略を計画



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松丘保養園  佐藤一祥さん(7)



夜夜起す媼の尿は数増せりかかる厳寒を越さねばならぬか




入院の媼に春の香嗅がせむと雪間の小さき蕗の薹摘む
(義務付けられた、患者が患者を看とる作業は相当の負担であったと思う)





五月晴を居残る炉辺に集ふどち一人が読みて二人は聴きつつ




人間が月面歩める現つ世に三十余年経て里帰り叶ふ




療友らと里帰りせるもハ氏病への偏見残れば生家に寄れず




右下脚再切断までして応ぜしに不調の義肢の整備ならざる





指萎えし妻が口もてつぎくれし幅狭き足袋は義足に合はず




激論し向上しゆく自治会か信じつつ吾等頼らむとする




好奇心と恐怖の人の眼にも慣れトタンの義足十五年穿く




入園して二十七年経しが農馬など使ひし頃の夢を見にけり




試みに便所に行くといふ妻の杖となりつつ壁際をゆく




雇はれゆき酷使されたる杳き日が病み古る今も吾を支ふる



佐藤一祥さんの略歴
1909年秋田県南部の農家に生まれる。尋常高等小学校を卒業後、5年間農家に奉公。20歳で発病。療養所の存在も知らず実家に隠れ住むが、茸取りに行き足を滑らし医者にもかかれず足を不自由にする。「家の光」を読むのがささやかな楽しみ。この頃から短歌・俳句に憧憬の念を抱く。1936年4月北部保養院入院。病棟看護につく。昭和15年白樺短歌会入会。内田守人の指導を受ける。傷の悪化で右下肢切断。1950年「水甕」社友となり本格的に作歌を志す。昭和38年同人。平成5年10月没。享年84。『白樺』第一集(昭和32年)『白樺』第二集(昭和38年)『三つの門』(昭和45年)『白樺』第三集(昭和47年)『歌祷の日日』(昭和51年)『白樺』第四集(昭和58年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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松丘保養園  佐藤一祥さん(6)



二十九年振りに写真贈りきし妹が年より老けて母によく似る




プロミンの効目確かなるこれの世に癩の偏見消ゆる日は近し




義肢の身は汗に濡れつつ参道の登る石段を二百数へし




プロミンの効目あらはなる現つ世に著るき後遺症を口惜しく思ふ




癩園に結ばれし妻と銀婚に至るまでの思ひ出は語り飽かずも




友園の招待受けて梅雨晴の松島巡るガイド聞きつつ




吾がシャツも干場に白く連なりてもてなし厚き友園宿舎




崖下の岩根のぞけば鋭く寄りて鋭くまた返る白波の穂列




丹念に鰈の小骨も除く吾の箸を見守りて臥しゐる媼




長病みの媼は見舞ひに来し夫の松葉杖みつめて言葉を出さず




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松丘保養園  佐藤一祥さん(5)




吾が痔核を癒しくれたる医師の来て研究台にこの腕の皮膚くれといふ




わが一生の善意と思ひ腕の皮膚を癩菌培養のために捧げぬ




六ヶ所の光田氏反応の皮膚切られ昨日より腫れし左腕が重し




失敗と医師に率直にあやまられ綻びし傷の手当を受けゐる




癩菌の研究のために傷痕を腕に残して年暮れむとす




面ふせて歩む癖など今は断ち無菌者は明るく首あげてゆけ




二十八年振りに会ひに来たりし弟の涙声になりて言ふはききづらし




綿つむぐ工場に働く弟は肺の手術の後遺症見せぬ




面会に来たれる弟に義肢となりし嘆きは遂に云はで終りぬ




二夜泊り明るく弟は帰りゆきぬ日照りの雨の落つる朝路を



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春キャベツを使った2品


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熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の薄切り、魚ソーセージの輪切り、タマネギ、春キャベツの順に入れて炒め、ウスターソースとケチャップで味付けし、最後に山ウドの粗みじん切りをふって混ぜ、パスタ100gが茹で上がるのを待つ。

8分茹でたパスタを湯切りしてフライパンに入れ、強火で1分ほど混ぜ、具材となじんだら出来上がり。



春キャベツのポン酢和え

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小魚は1分湯通しして湯切りし、手作りポン酢に5分ほど浸す。

春キャベツはざく切りして2分ほど茹でて冷水にとり、水気をしぼり、ボールに入れ、混ぜて出来上がり。

  
  


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分蜂期がやってきた



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28日にキンリョウヘンの一輪挿しを置いた。この一茎以外はまだ咲かない。

ただ、この3日間、キンリョウヘンに来ている探索蜂を一度も見ていないので、分蜂はもう少し先だろう。



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この群は強群(蜜蜂の出入りを見て判断)だが、まだ雄蜂の巣房の蓋が巣門の前に出て来ない。雄蜂の巣房の蓋が出てから1週間前後が分蜂の目安と思う。

なお、手前の方に見えるのは「分蜂板」で、画像のように杭や木に、市販の野地板を6等分して18個ほど取り付けた。




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去年はこの1群しか分蜂せず(3群が春を迎えたが、他の2群は蜂児持ち出しが続き、分蜂しなかった)、それでも合計で5群捕獲(うちの元巣からだけでなく、他所から来たのもあると思う)できた。

今年は4群が健在で、まだ「蜂児持ち出し」はないので、今後も順調なら4群全部が分蜂してくれると思う。目標捕獲数は10群。



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山の2群は1日1回しか見回りできないが、田んぼにあるこの群は近いので、1日3~4回はチェック(雄蜂の巣房の蓋と、蜂児持ち出しの2点)している。


   

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この群は去年の今頃、「蜂児持ち出し」が続き、分蜂もせず、消滅寸前だったが、奇跡的に生き残った。今春は4群の中でも最強群になっているので、第1分蜂、第2分蜂、第3分蜂、第4分蜂という4回の分蜂(たいてい1日間隔である)を期待している。近くに5つの「待受け箱」を設置している。


 
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山桜が、はや葉桜になっている。この山の斜面は眼下に池があり、子どもの頃には、葉タバコを植える急斜面の畑だった。

ここは名づけて「ミツバチ銀座」で、初めて待受け箱を設置した9年前、キンリョウヘンも置いていなかったのに、怒濤のごとく4群が入居した。あの時の興奮(感動)を今もひきずっている。



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松丘保養園  佐藤一祥さん(4)




わたとなりとびてゆくなりたんぽぽの穂は無風なる空をさまよふ




妻の母が農事疲れのいき抜きと面会にきて日焼顔見す




面会の老い姑が街を見に行くに癩病む妻は連れ立つ許されず




盲目の君が正座して推敲するにペン持ち直してまとまるを待つ




長く長く病みと闘ひ折折の孤独のこころ歌に詠み来ぬ




如露ジョロの水汲まむとすれば吾と陽と揺らぎ乍らに池底に見ゆ




二十二年前父母失ひて農家継ぎし面会の兄の顔皺ほりの深しも




兄が子等を話題となして明したり小農にいたき進学経費




面会の兄にプロミンの効果述べ古き偏見のしこり解きたり




来園に結ばれし二人戸籍など入れず二十余年をみとり合ひ来し




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松丘保養園  佐藤一祥さん(3)



野球場の観覧席は無毒地と有毒地との区別守りつつ




弱弱しき心太らする念ひにて松の巨木を撫でてゐにけり




何時になく発声よければ君の歌代書をするに吾は悩まず




雪消えて張り直されし盲導線を盲友ら探りゆく杖もほがらに




秋山の草木の匂沁む日なり療舎に戻らむ腰あげ難し




リンゴ箱の釘抜きをればこぼれ散る妻が生れし故郷の籾殻




初雪の浄める道を義肢曳きて人より狭き歩幅と思ふ




へつらひなくへつらはれ難く住む故に雪の浄さを好む吾かも




冬支度終ふれば面会に来るといふ兄よりの文を読めば血ぞ湧く




涙ぐみ母の病の返事待つ友の三通目の代筆終る




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松丘保養園  佐藤一祥さん(2)



ほかほかと春陽射し入る病棟に手縫ひ作業の媼らは坐る




朝朝を釦かけくるる妻病めば吾が胸元の今朝だらしなき




病床ゆ起きむとする妻制しつつ吾は寄り伏し釦かけもらふ




ふつふつと沸ぎれる怒り息にのみ採決に敗れしルールにしたがふ




いくたびの激論の後に諾へる彼の握手の固きを受くる




面会の母に見るなと背を向けて手萎えの妻は芋むきそめぬ




癩園に学校あれど文化費を認める法はいまだ創られず




金魚売りが見るだけでもと見せ去れり廊下にこぼせし水滴涼しく




円筒のトタン義足は予備となし今日より革の義足つけたり




癩病める兄もつ故に肩身狭く生きゆくうからの写真見つめぬ




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タラと野菜の蒸し煮



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タラのアラは15秒湯通しする。

無水鍋の下敷きにタマネギを置き、ニンジンとキクイモの乱切りを置き、シイタケのスライスを置き、タラを置き、生姜1片をすりおろし、ニンニク醤油で味付けし、酒とみりんを入れ、煮立ったら極弱火にして25分、火を消して余熱5分で出来上がり。



味噌汁

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タマネギ、ニンジン、サツマイモ、シイタケを具材にして、水を入れ、ダシの素と削り節を入れ、煮立ったら弱火にして10分ほど煮て、味噌を溶き入れ、ネギをふって出来上がり。
   
 
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無関心という生き方


どうしようもないむなしさ

どうしようもない無力感

それでも、声を上げなかったら、為政者の都合のいいようにやられてしまう


マハトマ・ガンジーの言葉

《あなたがする事の殆どは無意味であるが、それでもしなくてはならない。
そうした事をするのは、世界を変えるためでなく、
世界によって自分が変えられないようにする為である。》

(望月衣塑子さんの新著「新聞記者」の後書きより)




(リュウマの遺言・3月24日の末尾の記事を再度抜粋)


 しかし、スキャンダルそのものより悪いのは、政府と官僚がスキャンダルを隠蔽しようとしたことだだがその隠蔽よりさらに悪いのは、隠蔽に対する国民の反応だ。 「今の政府がこの事件を乗り切ることができたとしたら、もう日本の民主主義は終わりだね」と、日本に住むベテラン外国人ロビイストは嘆く。数多くのニュース動画に映っている人を見ると、デモの参加者よりも警察官のほうが多い。仕事場での会話でも、日本人はスキャンダル全体に関し嫌悪感を抱いているというより、むしろ無関心のように見える。

 日本の状況は、2016年と2017年のデモによって昨年朴槿恵(パク・クネ)政権を倒すことに成功した韓国とはひどく対照的だ。北東アジアの外国通信特派員はみな、韓国の民主主義が、いかに活気があるか、そして日本の民主主義がいかに意気地なしになっていたかに気がついた。

 「驚くべきことは、森友問題に対する日本の世論の結集力が非常に低いことだ。もちろん抗議行動の形は国によってそれぞれだが、私は昨年冬、韓国で毎週100万もの人がマイナス15度の寒さもものともせずに集まり、朴大統領の辞任を要求していたのをこの目で見た。朴氏のほうが安倍首相より重い刑事処分の対象となっていたのは確かだが、それでもこの日韓の格差は驚異的だ

 20世紀の初めに民主主義の道を開いた人口1億2000万人の国、日本は、今では休止状態だ。一方、民主主義を発見したのがわずか30年前にすぎない人口5100万人の国、韓国は、デモ活動をする権利を、総力を挙げて守っている。
    この状況を日本人は心配したほうがいい。



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松丘保養園  佐藤一祥さん(1)



眼を冷やし臥しゐる吾の傍らにアイロンかくる妻が聖歌を唄ふ




停電の暗きに馴れきし視力にて夜空望めば八甲田山見ゆ




死の灰を含める雪に埋れねばならぬ寮なり四月半ばまで




本買ふと貯へ置きしそこばくの銭は塩買ふ妻に出だしつ




黒眼鏡はづして曇り拭ふとき菊晴の光疾む眼に痛し




信仰に生きゐる友らよ他の人を蔑すみ居りて神怒らすな




病窓を誘なふ如く大幅の天の川見ゆ故郷に続かむ




月光の澄めりと言へばうしろより盲ひの友も窓に寄り来つ




紙芝居けふも来て居り療庭に児等より多く大人並べる




義肢擦れの痛み秘めつつ腹痛む妻の看護の湯を湧し居り




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菊池恵楓園  西羽四郎さん



子に


いまごろ お前に

平和な夢が 訪れているだろうか

知られてはならぬ 遠い地点に

この父は病んでいる

お前の為に

けれどもお前の未来の為に

シミほどの汚れを残したくない


施療院の

冷めたい手術台の上で

メスのきらめきを鋭く感ずるとき

お前の笑靨を 胸に抱いておもった

先ず生きねばならぬ

先ず闘わねばならぬ


おまえは、くずれた父の病の同胞を見たら

その醜さに 身震いするかも知れぬ

むごたらしさに

その眉が ひそむかもしれぬ


だがお前は 嘲笑いはしないだろう

指さして逃げもしないだろう


わたしは かなしい旦暮を

お前に 知らせたくない

お前に 味わせたくない



西羽四郎(西羽仁)さんの略歴
1921年7月4日台湾で生まれる。学生時に発病、友人たちの冷たい目に刺される思いで1938年2月長島愛生園に入所。戦争中は台湾楽生院に入院、終戦後引揚船にて菊池恵楓園へ入所。愛生時代から詩に親しむ。




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菊池恵楓園  山崎玲子さん(2)





私の胸は熱い涙にぬれています。


私の想いは遠く故郷に走ります。

父母のいるなつかしの土地なのです。


私の手はしきりにペンをにぎります。

そのペンは私の思いを書くのです。


私の眼はまるい月を眺めます。

暗い夜空を青く照らす月なのです。


私の耳には彼の人のいびきと、

無心に鳴く虫の声だけが聞えます。


私の心は何かを思います。

虫の声が月の光が、そうさせるのです。


私の胸は熱い涙でぬれています。









何が私の悩みを


何が私の悩みを救うのか

時間か。


仕事にまぎれることか

静かに座して祈ることか


そぞろ歩きの回想か

おお何が私の悩みを解決するのだ。


傷つけられた胸の痛みに

魂の深い傷のうずきに

どこの特効薬がいいというのだ


この悩める私の心を

そっと愛の衣に包み快よく温めてくれる

かぎりなく尊い愛の神を

私の心は強く感じているのだが

所詮生涯つきまとう私の悩み

いつまでも私について来るお前

ああ何が私の悩みを救うのだ



山崎玲子(伊藤富子)さんの略歴
1932年4月5日鹿児島県に生まれる。1947年8月23日菊池恵楓園に入所。1994年8月18日死去。



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初物 春キャベツ



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春キャベツを初収穫した。

熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の薄切り、魚ソーセージの輪切り、ざく切りした春キャベツの順に炒め、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。



ナバナのおひたし

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ナバナはざく切りして2分ほど茹でて冷水にとり、水気をしぼる。

カツオブシをふり、手作りポン酢で。



ゆで卵

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タジン鍋

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タジン鍋に豆腐(重しをして少し水切りした)を置き、乱切りしたシイタケを置き、練り製品1枚を置き、ニンニク1片の薄切りを置き、ニンニク醤油で味付けし、煮立ったら極弱火にして15分(途中で削り節をふった)、火を消して余熱10分で出来上がり。


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リュウマの遺言


リュウマの遺言


北の大地から 南の空へ

飛びゆく鳥よ 自由の使者よ

誰が祖国を二つに わけてしまったの

誰が祖国を わけてしまったの


https://www.youtube.com/watch?v=heYsfUo9wNc


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菊池恵楓園  山崎玲子さん(1)



不思議な女


その女の顔は

会う度に変っていた。


天気のよい朝は

生き生きと輝き。


曇った昼は

抜けたようにぼんやりし。


雨の降る日は

怒ったように。


何物かを信頼し

何物かに抵抗するような眼を光らせていた


夜は

悪魔の真黒い誘惑の掌が

黄泉の国からのびて来る

絶望と苦悶の中で

悪魔とのたたかいに

女の胸ははりさけそうに痛み、


うつろなひとみには

不気味な蛾の

ゆるやかな羽ばたきが映る。


だが

再びこの地上に太陽が上ると

女は、

さらりと暗いかげを捨て

充実した一日の仕事に精を出す。


太陽が雲にかくれる度に

女の顔にも影がさす。


そして又、女には絶望の夜が来る。


だが

女は死なないで生きている。



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菊池恵楓園  重村一二さん(2)


山羊の歌


桜の根元に

今日もお前はたっている

長老の髭さみしく

むすばれたクサリを

じっとみている


高い青い空の下で

お前はたゆみなく廻った

枯木のような足で

退屈な円周をえがいて


太陽がかえる頃

お前は哀愁をこめてないた

その声が余りに不気味なので

仲良しになろうとした

小鳥たちを追いかえした




重村一ニさんの略歴
1922年山口県に生まれる。村役場、海軍工廠、鉄道などに勤めたのち、1943年応召、南方派遣、1945年復員、1946年菊池恵楓園に入所。自治会副会長を務めたほか、園内の青年団・婦人会機関紙「晩鐘」に詩などを発表(1947~1950年)。園内の詩誌「炎樹」には1959~1961年に発表。「菊池野」には1951年より論文を発表している。2003年2月死去。


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菊池恵楓園  重村一二さん(1)



宣告の手記


━━あなたはレプラです

といわれたその一瞬

硝酸をあびせられたように思った

私の二十五年の歴史の

全リズムが

果てしもない奈落に

頭蓋骨を粉々にくだかれ

心の水銀が

無限のかなたに飛び散ったかのように思った


あの激しい戦場で

すこしもひるまなかった私が

今 恐怖と絶望のどん底で

こんなに青ざめなければならない


パーヴに 電車が走り

ネオンは輝き

人は流れている

が もう私とは遠い


妖婆は異様に叫び

私を追いたてる

あたりは

無数の癩菌が

爪をかざし

ガッガッ牙をならし

私の肉体に這っている

医務室の古棚の上にある

ぞっとするようなライの標本が

私に迫ってくる


ああ いやだ!

私一人がレプラなんて とても耐えられない

みんなレプラになれ みんな

私はどうすればいいのだ

もう私の皮膚の下では

底設導抗を穿っているのだ

明日にでも

あの戦慄的なバラのような結節が

火山のように爆発するのだ


ああ それでも私は

この肉体のなかに

自分をゆだねて

深淵のなかで呼吸しなければならないのか



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ワケギの酢味噌



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ボールに酢、味噌、砂糖を入れ、1分湯通しした小魚を入れて混ぜる。

沸騰した湯に、ざく切りしたワケギを入れ2分ほど茹でて冷水にとり、水気をしぼりながらボールに入れ、混ぜて出来上がり。



ダイズの煮豆
  
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ダイズ150gは一晩、水に浸す。

圧力鍋に大豆の戻し水を少し捨ててから大豆ごと入れ、ニンジンとシイタケの角切りを入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、ダシの素と削り節を入れ、強火で点火し、おもりが勢いよく回り出したら極弱火にして25分、火を消して圧が抜けるまでそのまま放置して出来上がり。



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在野のアナリスト

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営業せきやんの憂鬱


ほんに、あなたは  へ のような。国権最高機関国会侮辱、権威失墜させ、国賊に落ちた佐川!

テレビを見ようと思ったが、見なくてよかった。新しい展開は何もなかったようだ。

人は突然には変われない。今までの積み重ねの日々の後に今日があるのだから。


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菊池恵楓園  水野民子さん(2)




病む夫と励まし合うてホ句の秋




木犀の匂ふ窓辺に眼を洗ふ




年を越す病夫の為の冬構へ




ひたすらに夫をみとりて年暮るる




白足袋やかなしきことの次々に




春愁の帯きりりっとしめにけり




向日葵に強く生きんと思ひけり




夫逝きて気弱くなりぬ沈丁花




さびしさの日ましにつのる置炬燵




踊り好きの夫の初盆踊らばや




水野民子さんの略歴
九州療養所 夫水野竹声とともに療養所を最後の安住の地と定め、俳諧に病者の生きる道を見出し句作に精進。「草の花」「ホトトギス」「阿蘇」など俳誌に投句。昭和14年、夫の遺志を継ぎ『句集露草』を夫婦句集として出版。合同句集に『檜の蔭の聖父』(昭和10年)『草の花句集』第二集(昭和26年)



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菊池恵楓園  水野民子さん(1)



母ぬぎし田植の蓑の雫かな




来る人も来る人も菊ほめにけり




鈴つけし猫従いて来る萩の径




落葉掃く音のしてゐる濃霧かな




雲雀ひばりの子育てゐるなり子供寮




毛糸編む春の光りや小春緑




席題の紙貼ってある桜かな




離れ住む子を負うてゐし春の夢




筆とればみとり疲れや花の雨




蠅打って眠る病人見守りぬ





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菊池恵楓園  水野竹声さん(2)



療院に育ちて今や入学す




仰向いて歩く盲や花吹雪




さえずりの見えてたのしきベットかな




出来上がり来し銀喉管や春灯




誰か又逝きしもの音こだま返る




往診の所長と語るホ句の春




春惜むいくばくもなき餘命とぞ




話しつつ眠る盲や蚊帳の月




晩涼や明日断つ足をいつくしみ




緬羊のひろごる天を雁渡る




句友らが来ぬ夜はさびし秋蛾舞ふ




水野竹声さんの略歴
九州療養所 九州生まれ。町の造船所で働くなかハンセン病に罹り職を失い天涯孤独の身に。昭和3年、九州療養所入所。民子と結婚。昭和5年、故・河村所長の恩愛に触れ「草の花」俳句会に入会。宮崎草餅の指導のもと夫婦で句作に専念する。昭和9年、病が進み咽喉が冒され、「喉切り3年」と呼ばれる気管切開手術を受ける。病床に呻吟しつつ俳句を続けるが、『句集露草』(水野竹声・民子夫婦句集・昭和14)の発刊を見ることなく昭和12年永眠。民子夫人、夫の遺志を継ぎ同句集を発刊。合同句集『檜の蔭の聖父』(昭和10)。


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鯛のアラ汁



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鯛アラは15秒湯通しする。

ニンジンの千切りとタマネギとシイタケのスライスを鍋に入れ、水を入れ、ダシの素と削り節を入れ、煮立ったら弱火にして鯛を入れ、10分煮てナバナのざく切りを入れ、味噌を溶き入れ、ワケギの小口切りをふって出来上がり。



ニラ卵
   
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熱した鍋に油を入れる。卵3個をボールに溶き、砂糖と醤油で味付けし、フライパンに流し入れ、ニラをふり、蓋をして表面が乾いたら巻いて火を消し、余熱1~2分で出来上がり。


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在野のアナリスト


弁護士は正義のためでも、正しいことをするために論陣を張るのでもない。依頼者の利益を最大化するために行動し、そのために嘘もつく。(文中より)

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菊池恵楓園  水野竹声さん(1)




水しぶきたててこがらし渡りけり




入学の子に新しき義足かな




そこここに豚が寝てゐる木陰かな




風荒き萩野の原や野辺送り




台風に襲はれし大阪外島保養院の病友を迎えて
寝待月疲れし面照しけり




病に侵され旅に出る
餅搗きをききつつ旅に立ちにけり




吾故に嫁がぬ姉と墓詣




長病みて畳恋ひしき雑煮かな




義足より盲がかなし羽子をつく




干してある小さき義足や花ゆすら



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菊池恵楓園  平良一洋さん(2)



にら粥や養生流転二十年




初蝶の色は白かと盲問ふ




故郷を追れし時のパナマ帽




目の見える如くに佇ちて阿蘇は秋




手紙書く妻に助言や炉の盲




眼ナ底に残れる視力葵咲く




壁越しに話して寒夜笑い合い




ぢぢとばば昼寝の枕ゆずり合ひ




菊芽さす助言右より左より




手土産の無花果松葉杖に吊り




ぽっかりと眼の開きそうや梅日和




かくれ住む小箪笥一つ百合活けて



平良一洋さんの略歴
明治33年6月沖縄平良市生れ。高等小学校卒。少年期に芦谷芦村著『短歌俳句少年作法』で俳句の初歩を学び、雑誌に投稿。この時期ハンセン病発症。昭和2年5月菊池恵楓園(当時、九州療養所)に入園。昭和8年3月に句作を始め、同年8月「ホトトギス」初入選。翌9年竹声に奨められ「草の花会」幹事に。昭和16年「鴫野」の同人。昭和27年より草野駝王に師事。「虚子先生の花鳥諷詠の精神にもとづいて培われ、一杉先生の崇高なる人間性にふれて成長し、開眼した』(あとがき)。両脚義足、盲の身を妻に支えられ句作に専念。30年間で俳誌に入選した句の数は2400句に及んだ。個人句集『盲導線』(昭和38年)、合同句集に『檜の蔭の聖父』(昭和10・九州療養所)『俳句三代集』(昭和15年)『草の花第二集』(昭和26年)など。



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菊池恵楓園  平良一洋さん(1)



真っ暗なぶらんこにまだ乗ってをり




台風の過ぎたる浜の魚拾ひ




首吊りのありし冬木や倒さるる




朝顔の種ほぐしをり新聞紙




海に向く異人の墓や島の秋




会ひに来し父よりふけて炉の盲




炉話や故郷追はれし顔ばかり




年越しの大根牛蒡埋める妻




夢のごともどりし視力芙蓉咲く




膝歩きして座敷掃く妻の冬



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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