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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

大島青松園  綾井 譲さん(3)




春の雨そぼ降る路に濡れながら葬儀の列は短かかりけり




珍らしく朝はわづかにあるゆとり机の花の水替へにけり




生臭き解剖室の暗がりに湯灌準備のあかしともしぬ




陽の光孕める冬の夕雲に別れて長き人を恋はしむ




帰省の賦
父母の亡きふるさとの家に寝てよするものなき心いたはる




明け暮れをふるさと恋ひし心かも故郷に帰て癩院を恋ふ




そば近く波寄せ返す火葬場の亡骸さむく送り来にけり




枕辺に夜は率直に花閉じて匂はざりけりサイネリヤの花




生命死なば即ち哀れさむざむと骸は水に清められつつ
(合田とくをは大正15年、前後して入所したるもっとも親しき友であり、且短歌の上でも交りふかく、17年の永き歳月を共にして来りしが)




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大島青松園  綾井 譲さん(2)



庭桜すでに一葉をとどめざる木の間に見ゆる冬潮の色




「お母さん僕を忘ないで下さい」と書く童の手紙見つつかなしゑ




はればれとマスクはづして物を言ふ看護婦とゐて親しさのあり




健かにあるやと訪ね来る人のわれになけれど生きてありたし





小見山もわれも不自由になりにけり小脇にショベル用ひつつ思ふ




指なき己が双手を膝にして人を恋ふにはせつなかる夜や




旅人の思ひを乗せてゆく船か春ぬばたまの霧に濡れつつ




渡されたる選挙用紙が有難きものの如くに
須臾しゅゆ思はれつ




苦しくはなきやとたづねやる毎に衰へし掌を合せゐし妻




亡き父母のみもとにゆくを喜びて死を待つ妻と夜明したり




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大島青松園  綾井 譲さん(1)



癩院の女男の契りははかなしも子を産むと言ふ慣しもなく




誰かまたわが名を書かむ柩旗君の弔旗を書きつつ思ふ




疲れたるわが官能を刺激して女ひとりが過ぎゆきにけり




飯崎吐詩朗兄とその妻
青潮のひたひた寄する真白砂踏むべくはなく逝きし君はや




くだかけの雄の一羽がなが啼ける声さびさびと海渡るらし




故岩田副婦長
葬列の人すぎゆきてまたもとの浜辺にかへる松原の道




カニューレ→呼吸困難なる重症者は切開し、僅かにその管に生命をたのむ
咳けど咳けど切れざる啖かまじまじとなす術もなく見て佇ちて居つ




林先生
噫つひに一人の旅に出でましき庭の糸瓜に雨ふれる音




すがすがと鉄砲百合の咲く頃は吾も健かに生きたかりけり




ゆうべ死にし友の名前は朱に書かれ食事異動の伝票が来つ




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ばら寿司



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風邪気味で、とうとう今日は夕飯が作れなかった。

家人がばら寿司を作った。寿司酢は、カブの甘酢漬けの酢を使ったという。





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1週間ほど体調不良が続いているが、卵を産み始めたばかりのニワトリが待っているし、電柵の開閉もあるので、家から500メートルほどの田んぼまで、朝と夕は行く必要がある。

ミツバチは今年は4群が越冬中である。3面に薄いダンボールをまき、その上から「ぷちぷち」というポリをまいて、寒さ避けをした。正面は出入りもあるので、巣門をせばめるだけにしている。

4群のうちこの1群だけ、1昨日初めて「給餌」を試みた。いつ採蜜したものかわからないが、しぼっていない塊のままの巣を冷凍庫で保存しているので、それを少し与えている。

キンリョウヘンは土曜か日曜に「ぬるま湯」を与えることにしているので、今日、たっぷり水やりをした。曜日を決めておくと忘れない。

キンリョウヘンは、12月、1月、2月、3月の世話が大変で、このことが4月1日の開花を極めて難しくしている。

11月中旬以降、南向きの家の軒下で管理しているが、夜間は最低温度7度に設定して電熱温床のスイッチを入れる。
朝になれば、菰をとり、古毛布をとり、温度が上がって来る昼間以降はポリの裾を開け
あまり日照が強ければ、日除けの黒い寒冷紗をかける。
夕方にはポリを閉め、古毛布をかぶせ、菰をかぶせる。
ポリの下には2重に不織布をかぶせ、これは常時そのままにしている。

朝夕合せて5~6分の作業だが、毎日これを繰り返す必要がある。

開花前の40日間はもっと頻繁に手をかける必要に迫られる。


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大島青松園  東條康江さん(3)



病院へ行けと巡査はサーベルを鳴らして父に強く言いたり




わが膝に父の骨箱しかと抱き阿讃山脈を夜汽車にて越ゆ






夫も病み我も病みたる八月は風鈴の音も聞かず過ぎたり





「風の舞」を抜けて流れる雲にのり懐かしき故郷へ帰りゆきませ





身支度を終え正座なしバイブルを夫に読みもらいひと日始まる





いづこより吹きくる風か風の息もらいてわれは生かさるるなり




讃美歌を口ずさみゆく丘の道杖に緑の風のやさしさ




わが膝に夫がのせくれし大西瓜すいか子をあやすがに暫し楽しむ





東條康江さんの略歴
昭和8年2月7日徳島市生まれ。昭和20年4月徳島市立高等女学校に入学するも、12月発病により退学。昭和23年5月31日大島青松園入園。昭和26年3月24日、武智高と結婚。昭和27年11月25日キリスト教洗礼。昭和35年失明し、大島盲人会に入会。会の機関誌「灯台」に短歌や文章を発表。平成7年より園の機関紙「青松」に短歌を発表継続し、作歌に励む。歌文集『天の国籍』(平成10年)



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大島青松園  東條康江さん(2)



失明というトンネルの長かりき三十余年の歳月流る




もの心つきたるわれに母のなく祖母の慈しみ育てられけり





父を捨て幼きわれを置き去りし母には母の悲しみあらん





生かされて生きる命の確かなり沈む夕日も朝日とならん





らい予防法廃止を祝う集いもち世になき友らに黙祷捧ぐ




父の日に亡き父想う十二歳のわれを残して逝きましし父





生臭きまでに緑の香にたてり嗅覚われに戻りきたれば




入所記念日
入所して四十七年過ぎにけり涙涸れたる5月31日




許しつつ許されにつつ歩み来し四十五年の二人の旅路




追憶(父の死)
もの心つきたるわれを背負いくれし父はハンセン病に侵されていつ




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大島青松園  東條康江さん(1)



失明のどん底に沈みいるわれに点字習うを勧めくるる盲友




ことこつと点字うつ音特殊にひびきて秋の夜の深みゆく





木枯の夜の点筆握りしめ父とも思う人に文書く





磯の香の沁みたる岩に腰を掛け友が貝掘る音を聞きいつ





雨風の激しき日なり治療棟へ行く道遠く遠く思うも




身障度強き身なれど生かされし幸に感謝し献体なせり




十五歳のおさげ髪にて入所せしわれ病み抜きて還暦迎う





初生りのなすび二つをわれの手に夫はのせくれぬ紫匂う





看護婦もわれも人なり過ちを許し許され今日暮れにけり





失明を受け入れがたく抗いて白杖持つを拒みに拒む




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鯛のアラ汁



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タマネギのスライス、ダイコンとニンジンの千切りを鍋に入れ、水とダシの素と削り節を入れ、煮立ったら弱火にして15秒湯通しした鯛アラを入れ、ハクサイのざく切りを入れ、10分煮て味噌を溶き入れ、ネギの小口切りをふり1~2分煮て出来上がり。



タジン鍋

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先日同様「まるごとニンニクとポテトのオイル煮風」を参考にした。

スライスしたタマネギを下敷きにして、薄切りしたジャガイモとニンジンを置き、歳暮でもらったミートローフを薄切りして置き、ニンニク醤油のニンニク2片を薄切りして置き、ニンニク醤油で味付けし、煮立ったら極弱火にして25分、火を消して余熱5分で出来上がり。

 


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大島青松園  朝 滋夫さん(6)



島の土に伸びてとぼしく果をつけし葡萄の房らいの系譜となる勿れ




屋根には屋根の雪ふりつむ草木には草木の雪ふりつむそれぞれ重く




殺したる蛇のまわりにうちすてし石のたぐいを夜半に怖れき




缶詰の葡萄ことごとく種子とられ病みてそだたぬ吾が誕生日




朝滋夫(繁夫)さんの略歴
大正6年7月21日山口県下関市生まれ。昭和8年7月21日大島青松園に入園。十代の終わり頃から作歌を始める。昭和14年「多摩」に入会。「多摩」の解散の後、昭和28年「コスモス」創刊より同人、30年6月退会。昭和33年「青光」昭和41年「砂金」昭和52年「香川歌人」入会。その間、昭和45年12月第11回砂金賞受賞。昭和50年視力回復。第一歌集『星屑』第二歌集『海繍』第三歌集『異形』(昭和47年)第四歌集『樹瘤』(昭和56年)『生の構図』(平成3年)『三つの門』(昭和45年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)



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大島青松園  朝 滋夫さん(5)




二月には戸外の闇へ逐い出されゆきどころなき島の鬼たち




人間になりたくて鬼はくらやみを馳けぬけようと馳ける夜明けへ




立春のしらじら明けに凝然と裸木の幹はみな立ちすくむ




春立ちぬおまえの小さい歌壇にはいたく追儺の豆ちらばりて




精神病棟の庭いっぱいに棘を飾りてアカシヤは灰色の天を支うる




梅雨前線低くひろがる空のもとるいるいと実をつけて
枇杷びわは熟れ




軍靴すでに限界を越ゆる気配して多島海は今日もふかい霧の中




枇杷の実は熟れるはしからもぎ去られ雨にずぶ濡れの樹よ無一物




鍋の内はしだいにはげしく沸きたちて
栄螺さざえとともに煮られいる海




殻のまま煮られ栄螺はらせん状の切れやすき身をぬかれていたり




十姉妹じゅうしまつにカナリヤの卵を抱かせては韓人がたのむ母国への愛




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大島青松園  朝 滋夫さん(4)



乱れ打つ太鼓は狂い舞う獅子は搾取されどおしの農民の譬諭




中絶の子はまぼろしのなかに育ち馳けもどりくる春の渚より




せり果ててがらんどうなる魚市場もっとも魚のなまぐさい時




人間の美醜よりわれを解き放つ街の群集の中にある森




濃密に流るる冬の霧の中樹と樹とは近くにありて孤立す




病むわれら船もろともに観光船の追いぬいてゆく波にあおられ




ガスコンロのすべての孔が焔を吐き煮つめられいる女の論理




つるばらはつるばらどうしからみあいて虚空へ立つらい園の冬の心




渇水期の島よ蛇口が絶望にちかい韻たてて吐く水の量




古き創を透視されいて少年期のあやまちはいまむれかえる初夏




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チャーハン



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熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の薄切り、タマネギとニンジンの角切り、歳暮でもらったミートローフの角切りの順に炒め、ニンニク醤油のニンニク1片の粗みじん切りを入れ、ニンニク醤油で味付けし、火を止めてご飯を入れ、ほぐしながら点火し、具材とご飯がなじんだら出来上がり。



白菜とツナ缶の煮物

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醤油、砂糖、酒、みりんと水を鍋に入れ、煮立ったらざく切りしたハクサイを入れ、ハクサイがしんなりしたら、弱火にして、よく油を切ったツナ缶を入れ、10分煮て出来上がり。


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大島青松園  朝 滋夫さん(3)



復権の希ひを熱くひそめ持つほほづきの実の熟れてゆくにも





人がひとを差別し止まぬ世の隅にみづみづと朱き地の唐辛子






島に過ごしつつあごがれし阿讃の山に来ぬ借耕牛も越えゆきし山に






谿ふかき山の斜面に屋根のみを見せて人棲めり病まずにあれよ





秋彩ふ阿讃の山のおきふしは視野にあまりてかさなりあへり






古代より穢を祓ふならはしの祓はれしものの行方には触れじ





おだやかに凪ぐごとく見えてつかのまも移ろいやまぬ内海の潮





みじろげば待合室の木の椅子が軋むそれぞれに重い患部をいだき





病みて永き二人の間のくらがりに線香花火の火華散らしむ





歓楽は昨夜果てしかな仕掛花火の骨組ばかり見せて恥辱めく





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大島青松園  朝 滋夫さん(2)




まぶしかる五月の風に吹かれつつ癒えし眼をしばらく閉じぬ




鼻欠けし石の仏のくちもとの微笑よらいの吾がこころ和ぐ





積みあげて常に用意のなされゐる倉庫のなかの棺見たりき






手作りの妻の 煮染にしめを少し褒めあたらしき年われに始まる





ほのぬくき雑煮の
湯気ほけを吹きながら曇る眼鏡の内のふるさと





地面を擦る風塵のなかのポスト赤しそこより今日の思想は展く






隔離政策による憂鬱をいっぱいに貯めゐて春のポストは立てり






春は四月きらびやかなる人びとのなかにして吾等群になりやすし






らいを患むことよりも癩による差別われも家族も耐へがたく生く






蝉の屍を蟻むらがりて引きあへる一夏の果ての寂寞に会ふ




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大島青松園  朝 滋夫さん(1)



あやまたず同じ草同志が受胎する野のひろがりに恍惚とゐる





やうやくに朝のミルクを飲み終るしとどに鼻の先濡らしゐて





諦めてゐるとはいへど白き杖を握りしめしときまなじり熱し






うしろより妻が見守るわれの試歩限りもあらぬくらがりを踏む






暑き路を探り来て杖に重くふれし風なき昼のその草いきれ





いま友が立ち去りてゆく靴のおと聴覚及ぶ範囲より消ゆ





瞳の底のうつつに光溢れたり医師のことばもくるめくまでに
(大島青松園に「神の手を持つ眼科医」が赴任してきたようだ。その後、この医師は各地の療養所をまわられた)



眼先まなさきにさし示されし指二本たしかにし見ゆまぼろしならじ





<十年振りにお目に掛かります>と吾が妻に拙く言ひて目頭熱し





目を患みていついつとなく忘れゐし鼻こする妻の癖にまた遇ふ





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サトイモの煮物




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乱切りしたサトイモを鍋に入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、水とダシの素と削り節を入れ、煮立ったら弱火にして20分煮て出来上がり。



初物、ホウレンソウのおひたし

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台風による大雨で、10月に2度、田んぼが浸水し、ホウレンソウが大きくならない。

冬は毎日でも食べたいが、出荷の残りを使った。



ニンジンおろしとダイコンおろし

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今日もポン酢で。ニンジンが甘い。
   
  


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大島青松園  笠居誠一さん(7)



全身の知能を耳に盲ひらは聴く文楽の人形浄瑠璃




二十四畳の部屋一ぱいに飯粒をこぼして盲ひゐざり歩ける




園内作業に得し一日の拾円にて買ひ求めたる鉛筆二本




セックスの技巧をあらはに語りつつ漁夫ら渚に網洗ひ居り




新築の看護宿舎に灯は点り美しき夢を描く娘が眠る




田を売りて亡父の負債を整理する義弟年より老けて貧しき




背教者の心が理解出来る日よ朱線を引きて聖書を読む




断種して若き夫婦が療院につつましく世のいとなみをなす




笠居誠一(笠居誠)さんの略歴
明治27年香川県生まれ。大正9年大島療養所入所。昭和11年「水甕」入社。昭和39年「水甕」同人。昭和42年没。享年73。第一歌集『松癩』。『藻の花』(昭和10年)『白砂集』(昭和15年)『稜線』(昭和27年)『澪』(昭和29年)『陸の中の島』(1956年)第二歌集『義肢』(昭和40年)『三つの門』(昭和45年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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大島青松園  笠居誠一さん(6)



火葬場の煙りが臭き山畑にトマトの実は赤く色づく




われにつらくあたりし人の名もありて墓一つづつ手にさすり見る




砂浜に座して写生をする児等は皆沖を行く船を描き居り




友を焼く煙消えゆく片空の雲赤赤と夕づきにけり




断種して癩根絶をせよと叫ぶ人は霊魂のことは言はざる




霧の如き私の視野横切りて若き男女が腕くみて行く




青き風に寮舎は窓を皆開けて癒ゆる望みの無きが眠れる




曼珠沙華咲く墓地に入り仰ぐ目に蜻蛉とんぼ短き命飛び交ふ




ばらの花咲く花壇に冬の日が照りて凍蝶がひとつ花に眠れる




暑にやせて食慾のなき老妻に白桃を買うて夜道を帰る





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大島青松園  笠居誠一さん(5)




温罨法朝夕になして守る眼に障子の桟が今朝淡く見ゆ




心貧しくヨブ記を開けて読む朝の机に匂ふフリジヤの花




人間の住める所に恋がありつばくらめ来て梁に巣つくる




去る夏をおしむが如く白き腹干してボートは浜に並べる




何もないひらひて見せる掌によりきてなめる犬も老いたり




独り寝の幾夜を寒く帰り行く妻の足音ききて眼を閉づ




バイブルを開きて思ふ昨夜見し映画『ベンハー』の筋のはこびを




潰瘍ある屍は洗ふ丹念に水道のコック開け放ち居て




若松に白き葉牡丹そへて活け癩者につまし正月がくる




火葬場に行きつくまでの人生と友はビールのあわを呑みこむ



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タジン鍋



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熱したタジン鍋に油を入れ、下敷きにタマネギのスライスを入れ、ジャガイモの薄切りとニンジンの薄切りを置き、歳暮で貰ったミートローフを薄切りして置き、ニンニク醤油のニンニク4片を置き、ニンニク醤油で味付けし、煮立ったら極弱火にして25分、火を消して余熱5分で出来上がり。

まるごとニンニクとポテトのオイル煮風」を参考にした。



卵焼き

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熱したフライパンに油をひき、溶き卵2個を醤油と砂糖で味付けして入れ、シュンギクの粗みじん切りをふり、表面が乾いたら巻いて火を消し、余熱2分で出来上がり。



ヤーコン炒め
   
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ヤーコンを拍子木切りしてゴマ油で炒め、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。



ニンジンおろしとダイコンおろし
 
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ポン酢で。


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大島青松園  笠居誠一さん(4)



義足はき朝夕に西瓜を見に通ふ趣味耕作も重労働なり




療園の幾変遷を生きて来し机に歌集とバイブルがあり




己れの病知る大方は死にたえし故郷の町頭をあげてゆく




両親に別れて島に病める児に何の慰安ぞ鯉幟こいのぼりたつ




癩を病む親を憎みて自らの生命たちたり若き学徒は




塩分の無き水が欲し結晶するやかんの口の塩落しつつ




おかっぱの髪を吹かれて准看の生徒が風の中走り来る




松の花粉に汚れし廊下に指の無き足形残し友は去りゆく




社会復帰の友に握手の力が入るおいらの分も働いてくれ




夜釣りする舟に女の声ありて入江は月のかげ静かなり





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大島青松園  笠居誠一さん(3)



訪れる人無き島の冬の夜は
一入ひとしお寒きはまの松かぜ




行き交ひに黙して居れば眼の患き友は足音きき分けて呼ぶ




日当たりの縁に義足をつくろへる我が近く来て仔猫遊べり




医師よりレプラと聞きしたまゆらの心をこの日新に思ふ




療院にかくれ住む身をあばかれて甥の縁組又破約さる




尻をふく手のある事の幸福を語る盲ひにこの救ひあり

(指先がないと、こういう現実も生じるのですね)




手袋をはめし手が背にふれるとき医師と私の距離遠くなる




指の無き妻が丹念に縫ひあげし袷着て行く夜の歌会

(歌会の短歌は笠居さんのほかにもたくさん出て来る。楽しみだったんだろうなあ歌会。タイムトンネルで僕も参加させてほしい)



貧富の差ある療園に義肢のわれ最低作業に朝を出でゆく




職員地区患者地区との間にある溝の汚水が匂ひ泡立つ





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大島青松園  笠居誠一さん(2)




流れ来し死者をかこみて各各に批判の声が屍をうつ




骸には菰をかぶせて検死待つ渚に冬の波が光れり





義肢の金具かなしき音に鳴るをはき山の畑へ肥桶かつぐ





天水を飲料にせる我が島に今日も朝より死の雨がふる




檻に飼ふ猿怒らせて喜べる彼らも共通の悲しみを持つ





床ずれのきずのガーゼを取替へる時いさらひの糞をぬぐへり





病室の屋根すれすれに人魂の飛ぶといふ夜に冬の雨ふる





寒波くる浜辺の道を火葬場に鉦鳴らしつつ行く僧も癩





向き直り吾を見て居し野良犬が道標の石に尿かけゆく





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鯛アラと根菜の煮物



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乱切りしたニンジンとキクイモを無水鍋に入れ、15秒湯通しした鯛アラを置き、生姜1片をすりおろし、ニンニク醤油と酒、みりん、砂糖で味付けし、大さじ2の水を入れ、煮立ったら極弱火にして25分、火を消して余熱5分で出来上がり。



ダイコンのバターポン酢

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熱したタジン鍋にバターをひき、1センチ余りに輪切りしたダイコンを置き、煮立ったら極弱火にして25分、火を消して余熱5分で蓋を開け、裏返してポン酢をまわしかけ、2分ほど煮つめて出来上がり。




金柑の甘露煮

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初めてだったので、作って見たかった。

鍋に1キロの金柑を入れ、1カップの砂糖と酢を入れ、中火で4分ほど煮て、煮立ったら弱火にして10分煮て出来上がり。

味の方は? 食べきれるだろうか。「お手軽♪金柑の甘露煮」を参考にした。

 
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大島青松園  笠居誠一さん(1)



天涯の孤独が寄りて癩園に結ぶちぎりを人赦しませ




断種してちぎりし友も年老いて子が欲しと言ふ心諾ふ





かぎりなく視野ひらけくる岬に来て病の癒ゆる錯覚に佇つ





遺骨すら拒否せる親が若干の遺金は受けて口をつぐめる





胸に手をくみて眠れりこのままの姿勢に死ねば倖せと思ふ





健康の良きが有利な位置を得て不自由者の意見握りつぶさる





キリストの奇蹟信じる吾ゆゑに彼等に愚弄されて生き行く





ぱぴぷぺぽ言えなくなりし唇を映す鏡に顔がひづめる





トロを押す女土工の野生美に年甲斐もなく吾が心うごく





法網にがんじがらみにしばられて患者は生ける屍となる





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大島青松園  太田井敏夫さん(8)



除夜の鐘今年もきかず年迎ふ鎮痛剤の利きて寝ねしに




ひと日だに薬服まざる日はあらじ六十年の長き我が病み




里帰りすると言ふにも思ひ出の山をはるかに眺めて帰る




妻も子もなくてやすけく又さびし六十一歳の年逝かむとすも




我を産みし父と母との奥津城に詣づ日もなくすぎ来し五十年




トマト四本植ゑてもらひて花咲けばめしひあしなえ寄りて手入れす




まとまらぬ思ひひとつに疲れゐて義足枕にしばし眼つむる




島静かに生きる仕合はせ五十年父のよはひをはるかに超えて



太田井敏夫(太田井苔石)さんの略歴
明治43年1月1日岡山県高梁市中井町津々に生まれる。3歳で母と死別。9歳ごろ発病し就学せず自宅療養。昭和5年3月26日大島青松園に入園。いつとはなしに短歌を始め、昭和13年1月「アララギ」入会。土屋文明に師事。昭和23年「龍」に入会、服部忠志に師事。「心の花」「林泉」「関西アララギ」に出詠。『藻の花』(昭和10年)『白砂集』(昭和15年)『稜線』(昭和27年)『澪』(昭和29年)『藤の影』(昭和31年)『三つの門』(昭和45年)『緑の島』(昭和53年)『陸の中の島』(1956年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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大島青松園  太田井敏夫さん(7)



うづ潮の望めるところバス止めてあしなえ我はめしひにすがる




十六首点訳したるのみにして秋の彼岸の中日終る




住みなれて心やすけし重不自由寮死に逝く友よ入り来る友よ




蜜柑ひとつころばしくるる眼の見えぬ友の手つきのあざやかにして




看護婦も医師も我より若くして勤むる見れば病みつぐ長し




トンプクを服みたるあとの紙切れにメモ一つして寝に就かむとす




我がためにセキセイインコ見せに来し女は鳥に物言ひながら




憩ひつつ眼つむりきけばさながらにふるさとめきて川は流るる




ふるさとを出でしかつての日のごとく川音きこゆバスに乗るとき




右の手にペンを結びて左手に蝿打ち持ちて雨の日こもる




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すき焼き風煮



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千切りしたニンジンとダイコンをフライパンに入れ、醤油、砂糖、酒、みりんと水を入れ、シイタケのスライスを入れ、煮立ったら弱火にして5分ほど煮て、15秒湯通しした牛肉100gとハクサイのざく切りを入れ、10分煮て出来上がり。


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大島青松園  太田井敏夫さん(6)



治療室に行きて帰ればそれだけの歩みなれども今日のやすらひ




新しき足袋を義足に穿かせたり勿体ないと人に言はれつ




春来れば家を出で来し日のごとく心しづみてひと日のながし




口をもて足袋はかせたる両義足穿けば我がもの脱げば重たし




この島に我が来し日なり数ふれば三十四たびの春は来にけり




這ひまはる足なき吾の曳きずりし寝巻の裾に仔猫じゃれつく




病み崩えしこの身このまま写すべし今日ある命祝ふ思ひに




この義足穿きて立つ日はいつならむ断ちて捨てたる足はかへらず




病む人も病まざる人も行き交ふる花の匂へる道は明るし




病む窓にみとれてゐたりバラよりも人等行き交ふその足どりに




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大島青松園  太田井敏夫さん(5)




それぞれに楽しみはあらむ年金を受くれば大事にみな貯金せり




憧れの本土を今日は踏む義足いびつなれども革靴はけり




洗礼を受くるあしたの雨はげし入浴をして身支度をする




霊柩車初めて購入されたりきベッドに病める人も見に行く




この我を造り給へる神あれば必ず癒えむ傷かと思ふ




おとろへる視力たのみて読み書きす歌詠む他にたのしみなくて




夏来れば大いなる蚊帳に十人が孤独しづかに寄せあひて寝む




二十年この島山に見る月の変らざれども友等死に逝く




孤独なるこの侘しさや行きずりのナースの声が痛くやさしく




手術せし足かばひつつ這ひまはる二十四畳の我が部屋広し




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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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