あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

大島青松園  赤沢正美さん(7)


赤沢さんの短歌は雄大、そして壮大。個人的な問題(事情)を超越している。
赤沢さんの短歌を中学校の国語の教科書に載せてほしい。万葉集の代わりに。



人が立ちて歩き始めしときよりの背後の不安われもひきずる




夜の雨の船の汽笛がふくらみて鳴りひびきをり出口なきごと




嬉嬉として青葉は風に吹かれをり美しかりき日のなきわれに




咽喉のかぎり声張り餌を求めあふつばめの雛の声日日太る




五月闇ふかき眠りと無縁にて自らの夜を啼く
ふくろうをり




生きてゐるいまを自在に鳴く虫を鳴かせて闇の草原やさし




雨の昼の床下に鳴く
蟋蟀こおろぎ
の鳴き止みしときわれひとりなり




風ひとつなき秋空よ山肌の柿は色づきせかされてゐる




灯の下に妻が皮剥く富有柿の色つやめきて脳裏に溢るる




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大島青松園  赤沢正美さん(6)


短歌や詩は、繰返し繰返し、読み返してこそ意味がある。
読み返し、再度更新を繰り返しながら、その時間は十数分~30分かも知れないが、そのたった30分でも、1日のうちの「異質な時間」に触れる。それを日日繰り返していると、楽しみになり、大きな癒しにもなる。赤沢さんのような歌人は3ヶ月~半年に1度くらい繰り返して味わいたい。



夢の中の我の眼はまだ見えて覚むれば深き断絶がある




光覚はまだ残りゐて幽かなる救ひの如く夕陽が眩し




残照に祈りの如く静かなる晩夏の海とライ園の島




夕暮の桟橋に帰りきし船を繋ぎて島の夜になりたり




白杖に探りて日暮の道をゆく祈りのごときひとりの歩み




苦しみを舐めつくしたる盲友の迷はぬ杖の後に従きゆく




生きてあることの重みに松は松の音立てながら夜の風の中




地の飢えは癒されゆくか風落ちて眠りの如く降る雨のあり




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大島青松園  赤沢正美さん(5)  




曼珠沙華薙倒しつつ畦道を行きし不遜を密かに持てり




角擦れし敷石に手を触れてみぬ堪ふることのみ身に強ひてきて




病む膝を抱へて妻は眠りをり胎児標本の如くせつなく




冬の冷えわからぬ麻痺の足ながら火に温めゐて火傷せり




新しき手袋の小指断ちきりてライ病む我の手に合せたり




季節風吹きすさぶ夜の海の怒り奈落まで岩を噛まねばならぬ




冬の月繚乱と海にこおるとき鼻梁なき顔のおもてつめたし




ライを病み母の年まで生きし身を冬の砂丘に置きて呟く




癒えぬ眼とひそかに思ひはじめたるときより我のなだれはつづく




人に言ふ嘆きにあらず選びたるものにもあらず盲ひゆくなり



赤沢さんの失明は昭和46年、38歳の時。妻は詩人の塔和子さん。
赤沢さんにして塔和子さんあり、塔和子さんにして赤沢正美さんあり。



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タジン鍋



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タジン鍋の下敷きにタマネギを置き、ニンジン、ピーマン、シイタケを置き、ベーコン1連を半分に切って置き、所々にバターを置き、ニンニク醤油のニンニク1片を粗みじん切りして置き、ニンニク醤油で味付けし、胡椒をふり、煮立ったら極弱火にして20分、火を消して余熱5分で出来上がり。



味噌汁

IMG_9139_20171130192618d95.jpg IMG_9141.jpg IMG_9143.jpg 

ダイコンとニンジンの千切り、タマネギとシイタケのスライスを入れ、水とダシの素と削り節を入れ、煮立ったら、ざく切りしたハクサイを入れ、弱火にして10分煮て、味噌を溶き入れ、ネギの小口切りをふり、1分煮て出来上がり。


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大島青松園  赤沢正美さん(4)



目印を置きし西瓜の蔓の伸びたのしみて朝の畠に登る




交配を終へし西瓜の花に来てとまりし蝶に身をひそめたり




待ちをりし雨が西瓜に降る音をききをり山の畑に来りて




何となく生きてゐる日に生命断つことの自由をつきつけて見す




憐みをかけらるること拒みゐし君の死顔にガーゼを覆ふ




濃き闇の向ふになにか在る思ひ心に持ちて歩みつづける




言葉よりも切実に君を伝へつつ手話の指灯に耀けり




かくれんぼの鬼になりたる子の指に差さるる不安いまも意識す




台風に揉まれし茎を起しゐる草の自律は野にひそけしよ




惜みなく朝の光の射す部屋に坐り直してみても病みをり




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大島青松園  赤沢正美さん(3)



葬りきし寡黙に海が犇犇と昏れゆくよ腹の底を絞りて




賑やかに君らゐるなり整然と骨堂の棚に積重なりて




此処に安置さる日の我に親しもよ簡潔に骨箱は置かれて




灯を消して無一物なり夜の雨に
しきりに木の芽ふくらみながら




フリージヤが匂ふとマスクはづしたる看護婦の鼻丸く幼し




遺書置きていでし一人を捜す灯が磯より山に移動しはじむ




河豚ふぐばかりよく釣れる日よ投げつけて好きなだけ腹をふくらませてやる




我よりの脱出は死のほかなきか何処までも昼の海たひらにて




ピンセット使はねば間引きできぬ手を考へて大根の種薄く蒔く




誰も一度考えて身をこはばらす縊死ありし日のライ園の顔




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大島青松園  赤沢正美さん(2)



相寄りて生きゐる汝の故郷の知らざる山野美しく聞く




我が
うちに棲みゐる汝も孤独にて寂しきときに相呼びにけり




華やかな音楽もよし茶を入れて妻とふたりのクリスマス・イブ




傷のなき片手にて顔を洗ひをり我は猫よりも不器用にして




警官が実力を示すといふ言葉茫茫と暗き過去につながる




夜の窓を吹きすぎゆける木枯はたちまち咽喉のカニューレに来る




楽しみの或かたちにて草餅を寄りあひて搗く海辺の寮に




深深と巨木のあひをただよへり山恋ひてゐし君の死顔




茫茫と雨に霧笛が鳴りひびき柩守る身を寄せ合ひて寝る




死にたるは君にて我でなきことが思ひ出などを語らせてゐる


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すき焼き風煮



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ダイコンとニンジンの千切り、シイタケとタマネギのスライスをフライパンに入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、水を入れ、煮立ったら弱火にして、ざく切りしたハクサイを入れ、15秒湯通しした牛肉を置き5分ほど煮て、ネギを入れ、5分ほど煮て出来上がり。



ピーマンの味噌煮
   
IMG_9115_201711291900441da.jpg IMG_9118.jpg IMG_9133_2017112919005048e.jpg

熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の粗みじん切りを炒め、ピーマンと色取りにニンジンの千切りを入れ、強火~蓋をして弱火でを繰り返しながら火を通し、味噌をみりんで溶いて入れ、1分煮つめて出来上がり。



ブロッコリー

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茹でてマヨネーズで。


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大島青松園  赤沢正美さん(1)


記事の多くは繰り返しです。

今日から大島青松園をご紹介します。大島青松園は詩人の「塔和子」さんが有名ですが、短歌においても、記憶に残る歌人が多い。まずは赤沢正美さんから。



樹樹の芽の光りの中を歩みきて脈搏つごときいのちに酔へり




腕の皮膚剥ぎてつくりし眼瞼まなぶたに静かなり春の陽光透きつつ




怖れつつ女医学生が触るる指毛虫の如く我が顔を這ふ




交る交る女医学生に触れらるる顔半面が石化してゆく




汗滲む白き額を拭ふとき看護婦が幼き態を見せたり




ことごとく指紋潰えし我の指けふ確めてこころ淋しき




いくらかは夢も残りてゐるごとし真夏の海に身を浸すとき




幾度かしぐれつつ夜に入らむとす療舎は低く屋根を並べて




荒涼として何もなしカニューレに洩れたる我の溜息の音




ホーク掌にくくりて食事とる態も平凡にしてライ園の生





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栗生楽泉園  松本茂子さん




療園に行くなと泣きし子供たちも今はそれぞれ親になりたり




面会に来し娘の話つきせぬに時計は夜の十二時打ちぬ




麻痺の手に絞りきれず干す肌着よりいまだに雫滴る音す




弱き眼に見えるは白衣の姿のみ挨拶すれど誰か解らぬ




格子柄あかるき色の炬燵掛に親しみながら一人のわが日日




夢かとも思ふ療園の様変わり鉄筋コンクリートの部屋にわが住む




母よりも二十年永らえし我なるかただ病に苦しみ日日を過ごして




新しき足の補装具我が履きて畳の上を暫し歩みぬ




麻痺の手で宵宵に床を敷くことも老いに入りては重労働の如し




故郷の話聞きおり受話器より代わる代わるに子と孫の声




静かなる日暮の一とき個室にて声かけて手足の運動始む




遠く離れて思うばかりの孫六人すでに次次中学に入りぬ




松本茂子さんの略歴
大正5年生まれ。昭和29年栗生楽泉園入園。「高原短歌会」所属。『凍雪』(昭和63年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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栗生楽泉園  臣木 至さん



義妹母子のみづから死にし原因にはわが強制収容のことも関はりありき




双手にて鋏持ちつつ摘み落す葡萄の房を妻は籠に受く




うす墨の色に暮れゆく浅間山見馴れて古りぬ齢もやまひも




手術室より運ばれてくる妻の足短かくなりしは衣にかくれゐし




冬の日のまだあるうちに夕餉して咳こみあぐる長き夜となる




妻の骨二つの壺に納むるに箸持てぬ我は手にて拾いぬ




二級一種の障害者手帳手に受けて束の間にしてさびしくなりぬ




人の足わずらわせ
こい一尾買いぬわが衰弱をいやさんとして




帰り来てひとりの食事つくるべく葱抜きに出づ月夜の庭に




看てくるる人なき今はいささかの風邪にもわれは宵早く寝る




七年前の赤城はつつじの盛りなりき今日孤りゆく冬枯の沼べ




庭先に若松の芯太ぶとと伸びゆく見ればすがり生きたし




三十年持ちゐし覚悟崩れゆく或いは死病と思う病床に



臣木 至(山科信夫・牧野西夫)さんの略歴
明治40年2月16日生まれ。はじめ全生病院入院。昭和9年「武蔵野短歌」創刊時には牧野名で編集委員。昭和17年12月16日栗生楽泉園転園。「アララギ」所属。「高原」の編集にも携わる。昭和51年10月3日没。『山霧』(昭和41年)『冬の花』(昭和53年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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揚げ出し豆腐



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熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、両面に片栗粉をつけた豆腐を入れ、極弱火で5分、裏返してネギをふり、タレ(醤油大さじ2、みりん大さじ1、酒大さじ1)をかけ、生姜1片をすりおろし、蓋をして5分、火を消して余熱5分で出来上がり。



味噌汁


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 IMG_9106.jpg IMG_9112_20171128190929179.jpg

千切りしたダイコンとニンジン、タマネギ、シイタケを入れ、水とダシの素を入れ、削り節をふり、煮立ったらハクサイを入れ、弱火にして10分煮て、味噌を溶き入れ、ネギの小口切りをふり、1分煮て出来上がり。
   


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栗生楽泉園  内田よしさん




手さぐりに冬日もとめて黄梅の鉢を持ち出し水やるわれは




面会の母に被せむとわが夫はふくれし布団を日にかへしをり




萎えし手に絞り足らざるほし物の凍りて夜半の風にガラス戸叩く




長病みの妻に逝かれし隣室の友が点字打つ音かすかなり




指曲り固く冷たき左手より杖持つ右手は二センチ太し




別れ際に眠りいる子を抱きあげて抱かせくるる嫁はためらいもなく




わが義眼知らぬ幼な孫写真帳を抱えきたりて見よと差出す



内田よしさんの略歴
大正10年2月生れ。昭和21年5月栗生楽泉園入園。『山霧』(昭和41年)『冬の花』(昭和53年)


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栗生楽泉園  名和あいさん




遠き日にオルガン弾きしわが手萎えて今かつがつに鉄琴を打つ




今は亡き母が縫いくれし白足袋を包紙替えてまた仕舞いたり




寄贈されし栗色の木琴弱き眼に見やすき窓辺にわれは据えおく




今日逝きし人の布団が時雨の雨かかれるままにまだひろげあり




癩者の遺体拭い給うリー教母にわれも手伝いて仕合せなりき




わずらわしき雑居ぐらしを語り合うことも時には慰めとなる




われの足断ちしを母に告ぐるなと兄ヘ便りせし遠き日思おゆ




伸びしわが植毛の眉はさみ呉るる看護婦の手の温し柔かし




われに残る僅かな機能いとおしとパラピン浴に足をぬくめおり




帰り来てぬぎし義足の筋金は汗にうっすらと曇りておりぬ



名和あいさんの略歴
明治39年生まれ。昭和16年栗生楽泉園入園。「高原短歌会」所属。昭和52年没。『冬の花』(昭和53年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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栗生楽泉園  川坂忠勝さん



秋風に
明水さんと坂道を農園先まで散歩せし思い出




病癒えラジオテレビで日日を学び得る今を幸いとせり




たそがれに庭に降りたち杖と手でまさぐりみれば草丈伸びぬ




妹も風邪ひきいるに夜中まで熱に苦しむ吾をみとりくるる




わが部屋へ父が来たれる夢を見き然も弟も連れて来たりて




生れ出でて生かされてきて生きてきて今日は私の誕生日なり




廊下をばから拭きしたりわが体ようやく昔に戻りし如し




歌を学び療養つづけかにかくに四十年を過ぎて来しかな




我が庭のほおずき赤く色づけば遠き故里恋しかりけり




この病吾が身一人であれかしと家族の者の幸を祈れる




父母はわが病ゆえいかばかり苦しみしならん今にして思う




運動会終れば看護婦に手をひかれ虫の音ききて帰りゆくなり




悲しみて嘆き苦しみ生活せしに今は恵まれ豊かに暮す



川坂忠勝(利勝)さんの略歴
明治41年4月生まれ。昭和17年3月栗生楽泉園入園。『盲導鈴』(昭和32年)『冬の花』(昭和53年)『凍雪』(昭和63年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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初物キクイモとニンジンの煮物



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キクイモはこぶんこぶんした芋である。だから皮はむきづらいが、洗って泥をよく落とし、汚れた所をすこし剥く程度でよい。

乱切りしたキクイモとニンジンを無水鍋に入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、大さじ2の水を入れ、煮立ったら混ぜて極弱火にし、15秒湯通しした豚肉を置き25分、火を消して余熱5分で蓋を開け、小さじ1~2のニンニク醤油を追加し、混ぜながら強火で1~2分煮つめて出来上がり。



ダイコン漬け

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今季初のダイコン漬けを作った。毎年6~8回は作るので、組み合わせ調味料は覚えていた。

ダイコン2キロ(2~3本)は皮をむいて二つ割り又は四つ割りにして樽に入れる。砂糖400g、塩100g、酢半カップ、ユズ1個の果汁と皮を入れ、さなをして4キロほどの重しをする。翌日、水が上がっていなかったら、その時点でよく混ぜ、重石を重くするか、少し差し水をする。

水が上がって6日経過すれば食べれる。自分の場合は砂糖は100gほどで、残りは蜂蜜のしぼりかすを目分量で入れる。ダイコン漬けのためにしぼりかすは捨てずに専用の冷凍庫で保存している。



パスタ
  
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まず野菜炒めを作り、茹でたパスタを入れ、具材となじんだら出来上がり。

野菜炒めは、熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の粗みじん切り、ベーコン3枚の細切り、タマネギの順に炒め、ニンジンの千切りとピーマンの細切りを入れ、最期に細切りしたキャベツ(初物)を入れて炒め、ニンニク醤油で味付けし、パスタが茹で上がるのを待つ。



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栗生楽泉園  秩父君代さん



ペニシリン塗りし眼帯かけて寝る閉ぢぬ瞼の乾き恐れて




吾が夫の舌読すべき点字聖歌集春の日差にさらして置きぬ




手萎え吾が炊きたる飯を鬢白き
義兄はさりげなく食べて下さる




梅の花咲けりと言へば朝朝に幾つ咲きしと吾に問ふ夫




生残りし一匹の金魚わが友が置きてゆきしをいたはりて飼ふ




性強き君も最後は素直なりきみ骨となりて人に抱かる



秩父君代さんの略歴
大正10年1月2日生まれ。昭和23年7月19日栗生楽泉園入園。昭和25年4月秩父明水と結婚。昭和47年没。『盲導鈴』(昭和32年)『山霧』(昭和51年)


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栗生楽泉園  秩父明水さん(4)




日に三度粥運び来るをみなあり今日は不機嫌にてもの言はず去る




泥沼の鈍き光を思ひ見ぬ吾癩院に落着かむとす




自由もなく平等もなくただ病むを歎きはかなみて憐れがられき




新薬プロミン施療を咽喉病む友に譲り負債果しし如く息づく




癩を病む白系露人この園にひそけく住めりその前を行く




清らかに今日より汝と契るべしなへし手握り合ふ聖壇の前に




さきはひは夢にかも似る春の夜の月に新妻とたづさはり出づ




唇の相触るる官能も知らざりきあわれ吾が婚断四十二歳一ヶ月



秩父明水さんの略歴
明治41年2月17日埼玉県生まれ。昭和7年聖バルナバ医院入院。7月24日受洗。昭和10年病状悪化して失明状態。11年「アララギ」入会。点字習得。昭和12年5月から斎藤茂吉の指導を受ける。完全に失明。昭和16年4月24日バルナバ医院解散に伴い栗生楽泉園入園。昭和20年「アララギ」復刊とともに土屋文明に師事。「新泉」「潮汐」「高原」で鹿児島寿蔵に師事する。昭和25年4月君代と結婚。昭和39年群馬県文学賞短歌の部受賞。昭和42年没。『高原歌集』(昭和12年)『雲遊ぶ山』(昭和31年)『盲導鈴』(昭和32年)『山霧』(昭和41年)『三つの門』(昭和45年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)




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栗生楽泉園  秩父明水さん(3)



盲吾等が金集め掛けし巣箱らに小鳥巣籠る若葉となりぬ




物陰は早くさめゆく地のほてり出でて跼むとき
ひぐらし鳴きぬ




冬晴れの砂利敷く道は心安し盲導線を今日は頼まず




白髪増えし
と雪庭に写真撮る眼弱き妻は黒眼鏡して




手摺れたるさるすべりの枝艶よしと人ごとにいふ君が呉れしもの




舌頭にて点字一行を読み得たる心あはあはと春雪を踏む




プロミンに半ば癒ゆれば青年等眉植うる手術次次に受く




尾根越えて
郭公かっこう鳴けば盲吾の限界も広く日日を起き臥す





眼をやみて滋養物摂ればうつそみははかなきかなや情欲起る



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ピーマンの煮物


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ピーマンとパプリカを切って鍋に入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、水と削り節を入れ、煮立ったら弱火にして5分ほど煮て出来上がり。



インゲンの蒸し煮

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インゲンを半分に切って無水鍋に入れ、ニンニク醤油のニンニク2片を粗みじん切りして入れ、大さじ2の酒を入れ、煮立ったら極弱火にして15分、火を消して余熱5分で蓋を開け、ニンニク醤油で味付けし、強火で混ぜながら1分煮つめて出来上がり。



バターポン酢
   
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熱したフライパン(無水鍋の外蓋)にバターを入れ、1センチほどの厚さに切ったダイコンとニンジンを置き、煮立ったら極弱火にして25分、火を消して余熱5分で蓋を開け、裏返してポン酢をまわしかけ、強火で1分煮つめて出来上がり。



手作りポン酢

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醤油70CC+酢50CC+みりん30CC+レモン果汁50CC=200CCのポン酢の出来上がり。

出し汁があれば25CC入れ、レモン果汁は半分の25CC。

  


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栗生楽泉園  秩父明水さん(2)




衰へか救ひか知らず年古れば癩病むことも沁みて嘆かず




抹消神経痲痺し尽して生きてゐる日日を丸太のやうに冬籠る




麓まで白き浅間を告ぐる妻の面さへしらず吾は添ひゆく




人手より人手に育ち来し妻の時にあどけなく吾にあまゆる




盲導鈴こはれし角より四十五歩左に曲り百歩と記憶す




便り絶ちて病む吾みむと麦蒔終へ湯治よそほひ兄の来りぬ




自殺者を讃ふる如き口吻も一期のはなむけと黙して聞きつ




雪風に半日吹かれ屍色に変色せし手を人に言はれをり




給食のマカロニうまし故郷のほうとうに似しこの舌障り



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栗生楽泉園  秩父明水さん(1)



癩新薬プロミン予算復活を願ひて断食の祈祷決しぬ




プロミンにて嗄声癒えたる友のこゑわが聴覚を驚かしめつ




いのちなきものと思はず朝開き夕べは閉づる花にふれつつ




盲われの歌に写像のなきことを指摘さるるを頭垂れて聞く




二十年病みて盲目となりし身のたはやすく今は涙流れず




二十年癩にし盲ひありありて今若草の妻と添ひ寝る




術もなき吾が愛欲の衰へを言はざる妻に看とられ居りぬ




盲ひしを幸と思はねど霜凪のこの安らかさ日の中をゆく




感覚のしびれし指に触るるもの皆よごれものの如き感じなり




咲きさかる花のけはひは盲わが五感をこえて夕べしづけし



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栗生楽泉園  近間 治さん(2)



ガリガリと足の腐骨を切除さるることにも馴れてなげきもわかず




弟も癩に侵されて死にしこと八年を経て吾は知りたり




癩の身になし得る抗議はただ一つ安保反対の署名あるのみ




知覚残る唇のあたりより汗垂りて濡れし点字書舌先に辛し




手術して視力僅かに蘇る眼に草の緑を飽かずみつむる





十年ぶりに読書の意欲湧きてきぬ点字五十音舌読し得て




広島原爆犠牲者に黙祷す舌読中の点字書ひざにおきて




癩と肺身に病みながら盲ひ吾れ死の灰の降る世に生きむとす



近間治さんの略歴
大正13年9月17日生まれ。昭和10年12月13日入園。「高原」短歌会。昭和52年没。『盲導鈴』(昭和32年)『山霧』(昭和41年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)



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初物 ヤーコン



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ヤーコンは皮をむき、拍子木切りする。

熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の粗みじん切り、ベーコン2枚の細切り、ヤーコンの順に炒め、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。



サトイモの煮物

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乱切りしたサトイモを鍋に入れ、シイタケを入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、水と削り節を入れ、煮立ったら極弱火にして25分煮て出来上がり。



味噌汁
  
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タマネギのスライス、カブ、シイタケ、ニンジンの千切りを鍋に入れ、水と削り節を入れ、だしの素を入れ、煮立ったら弱火にしてハクサイを入れ、10分ほど煮て、味噌を溶き入れ、ネギの小口切りを入れて出来上がり。
  


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栗生楽泉園  近間 治さん(1)




衰へゆく視力なげきて朝床に障子の桟を吾は数えつ




生きてまた逢い語る日のありやいなや六十五の父と癩古りし吾と




幾百の針あと硬化せる静脈にプロミン射ちつつ果つる命か




殺人用原子力研究は進めども未だ癩菌の培養ならず




社会保障費をへらして作りしジェット機か療舎の玻璃戸ふるわせてとぶ




見えぬ眼なら縫ってしまえと言われおり痛む眼の手当されつつ




忌み嫌はるる癩者に体売る女生きゆくためとさりげなく言ふ




手術后の眼を近づけてまじまじと病み崩えし手をみつめつつおり




わが死なば骨を包まむ白き布病室に入る所持品の一つ




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栗生楽泉園  横山石鳥さん(7)



夜が来れば妻は勤めにいでてゆきわれは子のため積木はじめる




親子三人散り散りに暮すほかなしと言いゐし妻は早く眠りぬ




療園の近くに妻子が棲みてよりわが寮の庭菜畑となる




らいを病むゆえの悲しさ犬ゆきてあと往くもののなき道とほる




戦後九年園の民主化なるといへど守衛の壁に手錠掛けてある




独立家屋の居住権めぐる諍ひもつづまりは此の園にて生命終へむため




わが病この白き指をも蝕ばむのか瞬時に殺さるるよりも怖ろし




病重ければすぐにへこたれる思想にて言葉交すなく末席にをり




横山石鳥(横山秀夫)さんの略歴
1925年3月31日石川県に生まれる。1945年海軍航空隊にて戦傷、国立療養所、海軍病院など転院中にハンセン病発症。1947年1月16日栗生楽泉園に入所。1966年3月23日同園を退所。楽泉園では機関誌「高原」の編集にあたる。らい予防法闘争時、全患協栗生支部代表として全生園本部に駐在。短歌は1948年「アララギ」「潮汐」に入会、土屋文明、鹿児島寿蔵に師事。歌集『としつきの音』(1975草津公論社)合同歌集『盲導鈴』(1957新星書房)『山霧』(1966新星書房)『陸の中の島』(1956新興出版社)年刊療養歌集『試歩路』(1955第二書房)『無影燈』(1956第二書房)ほか、合同歌集『日本ヒューマニズム詩集』(1952三一書房)、合同詩文集『楓の影』(1955藤楓協会)ほか。「高原」に連載評論「生きること働くことの基本問題」。社会復帰後の1966年3月、地方新聞、草津公論社を設立。タブロイド版四ページ月2回刊、250号まで発行。1976年より1988年まで草津町教育委員会嘱託。草津町誌編纂室長として草津町誌「古代中世近世篇」「近代現代篇」「自然科学篇」「草津温泉の文化財」「草津温泉の災害と消防の二百年史」「日でみる町政八十年」などを執筆編集。現在、日本温泉地域学会理事、ぐんま日独協会常任理事、日本ドイツ学史学会会員、草津町文化団体協議会副会長。短歌雑誌「潮汐」の後継誌「群緑」選者。草津町文化財調査委員。福島県立医科大学医学部森修一博士との共同研究「草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究」を2003年2月、日本ハンセン病学会雑誌に掲載発表。



人生後半からのたくましい行動力と生き方、立派な経歴。それを支えたであろう病者でない配偶者。まるで横山石鳥さんの将来を見通していたような一途な愛。


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栗生楽泉園  横山石鳥さん(6)




思ふだにかなしけれどらいの子を妊りし妻の産む日近づく




らい病は遺伝にあらねば妊りし子は産むべしとわが言い切りぬ




らいの子と蔑むことなくわが妻の出産を看とりてくれし人びと




不幸なき戦争なき世を祷るべしわが嬰児の日日育ちゆく




ふるさとに老いたる母が綿のもの縫ひて賜ひぬわがみどり児に




何時しからい園残酷史に折込みて告げゐつ恋遂げるまでの五年を




一心にわれの瞳を見詰めゐる吾がみどり児は物見えそめし




妻の胸に眠らんと乳首さぐりゐる見て卓上の灯をずらしてやりぬ




女中にゆきし母遅ければわが飲ますミルクにたりて子は眠りたり




一語一語やさしき発音に母を呼ぶこの子に恥なき未来を得させ




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ハクサイとサバ缶の煮物



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ざく切りしたハクサイを鍋に入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、水を少し入れ、煮立ったら弱火にしてサバ水煮缶を入れ、15分煮て出来上がり。



リメイクしてカレー

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昨日のポトフはルーを1個半入れて、カレーにした。



カブの甘酢漬け

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赤カブと白カブはスライスして塩をふってもみ、3時間ほど置く。現在進行形・・・。
さっと水で洗い流し、水気をしぼりながら瓶に入れ、生姜1片をすりおろす。

1カップ半~2カップほどの水を沸騰させて火を消し、削り節を入れ20分ほど置き、茶こしで濾す(レシピでは出し汁180CC)。砂糖50gを溶かし、酢120CCを入れて混ぜ、冷めたら瓶に注いで出来上がり。翌朝には食べれる。

  


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栗生楽泉園  横山石鳥さん(5)



肌に泥ぬらるる思ひに目つぶりぬ乱れし旅館にはたらく妻よ




妻と二人の糧を求めて今日はゆく雪限りなく凍る野の町




寝るときに枕に海の音するを山の村に育ちし妻がまたいふ




機織を見習ふ妻の冷えし手が浅きねむりのふところにあり




わがやまひうつるをひそかに怯るれど
かひな
にまきて眠りたりけり




新妻と棲みにし五十幾日は病みさかりきてまぼろしに似る




たはやすく死はある故に生きるべし離れ住む妻よ相逢はむ妻よ





朝の霜踏みゆく妻よらい園の夫婦は産まぬ子をみごもりて




棲まふ家なくなりし妻はらい園に面会に来てそのまま暮らす




国費にて養わるるもあはれなれど飢ゑてさまよふ壮健者のわが妻





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栗生楽泉園  横山石鳥さん(4)



このほかのいかなる形を愛となさむ抱けば海の音絶えてなし




ゆくゆくの思ひおそろし汝もか目を開きしまま抱かれてくる




恋人をも殺す冷たき眼といへり永き虐たげに堪へ生きて来にしを




人の忌む病も君はこととせず或る夜妻のごとく泊りゆく




三峡の七里吹雪にふかれつつ来りし汝か病むわれの為に




火のそばに寄りゐる汝よわが妻にあらねば帰さむ吹雪の中を




愛しつつ傷つきゆくのか吾のらい云ひつつ汝の嗚咽をやめず




家追はれもはやよるべのなくなりし汝はらい病む吾にきたりぬ




村人の冷視も知りゐて四年のあいだ汝は通ひきぬらい病む吾に




家を出てつひにわが許に来し汝の息安らかに傍に寝る




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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在65才、農業歴29年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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