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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  桜井哲夫さん(10)



山葵がきいています



独身寮の食堂

十人の療友が夕餉の食卓を囲む

今夜の献立は鮪と烏賊のお刺身

二十年も三十年も

同じ釜の飯を食べてきた療養所家族

故郷も年齢も違っているけれど

いつも一緒に食卓を囲む療養家族


御馳走さまと

補装具のついたスプーンをテーブルに外す

哲っちゃん お刺身が一切れ残っている

あーんと口を開けてごらん

あーん

桂大根の陰に隠れていたという刺身一切れ

つるりと口の中に滑りこんだ

食堂の換気扇に孵ったばかりの燕の雛よ

今夜の刺身は

山葵がよくきいてますね










夜の庭


静かに静かに窓を開く

秋の夜の病室の小さな庭は

虫たちのコンサートホール

燕尾服の閻魔蟋蟀はコンダクター

白いドレスに真珠のネックレス

鈴虫はソプラノの歌姫

長い髭をピンと立てた邯鄲は

夜の空気を震わせて歌うテノール歌手

コントラバスは青い服の松虫

小さな庭は私の小さな宇宙

過去も未来も五色のイルミネーションに輝いている

たった一人の秋の夜の音楽会

秋の夜の庭は闇を照らして輝いている











オモニの子守唄


幼い男の子を背中に

韓国人のオモニは

国立療養所の門を潜った

子供は所内の保育所に預けられた

授産施設で仕事を覚え社会へ出た


風の吹く日も

雪の降る夜も

オモニは息子の帰る日を待って

子守唄を歌い続けた


オモニは死んだ

オモニの息子は帰って来なかった

チマチョゴリのオモニは柩に収まった


雪が寮の窓を打つ

今夜も聞こえてくるよ

オモニの子守唄が



2030年 農業の旅→ranking


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栗生楽泉園  桜井哲夫さん(9)






婦長さんの声に目を覚ましたのです

夢を見ていました

故郷津軽の草原に遊ぶ夢を

高い熱と衰弱に意識を失ったことも知らず

柩が用意されていることも知らずに

「婦長さん水、お水を下さい 喉が渇きました」

コップ一杯の水を息もつかせず飲みました


あれから三十有余年

ようやく知りました

水のやさしさを

水の強さを

水の大切さを









鳩笛


お土産にもらった竹細工の鳩笛を吹いているのは盲目の金さん

釜山の港から船に乗って日本に来たのは七十年も前の昔

文字のない金さんは故郷に手紙を書くことはない

時々育った藁葺わらぶき屋根の村の話をするのが金さんの喜びだ

吹き鳴らす鳩は虎が棲むと言う山で聞いた鳩か

それとも高麗雉子の飛び交う林の中で聞いた鳩か

それとも唐辛子を乗せた藁葺屋根の庭で遊んでいた鳩か

今年八十八歳になったと言って

草餅を配った金さん

鳩になれ

山を越えて海峡を飛び越えて

金さんの山へ

金さんの林へ

金さんの村へ

今日も明るい春の陽射しがいっぱいの寮の縁側で

金さんは一人鳩笛を吹き続けています










石ころ


梅雨の晴れ間の散歩

白杖に触れたのは石ころ

拾い上げた石ころをポケットに入れて歩く

石ころのやわらかな肌の温もり

ポケットの石ころは一億光年の空の彼方に旅立った療友の贈り物

腹一杯食べたいなあと口癖のように話していた友からの贈り物

小さな石ころをポケットに入れて歩くと胸が騒ぐ




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焼きナスビ



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熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、弱火で、裏表5分ずつ焼いて皿にとり、醤油をまわしかけて出来上がり。



ソーメン

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薬味は青シソとミョウガの粗みじん切り。メンツユで。



ナンキンの煮物

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熱した無水鍋に乱切りしたナンキンを入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、大さじ3の水を入れ、煮立ったら混ぜて15秒湯通ししたエビを置き、極弱火にして25分、火を消して余熱5分で出来上がり。



ゴーヤの酢の物
   
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定番です。



オクラの薄切り

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定番です。



  
キュウリの酢の物

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バットキュウリ(大きくなりすぎたキュウリ)は、縦に半分に切り、スライサーで薄切りし、塩をふってもみ、30分ほど置く。水で洗い流し(塩分を落とす)、水気をしぼりながらボールに入れる。カニ風味カマボコ2個を水で解凍し、ほぐしながら入れ、ミョウガの甘酢漬け1個の粗みじん切りを入れ、大さじ2の酢、大さじ1のレモン果汁、大さじ1の醤油、蜂蜜を入れて混ぜると出来上がり。


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栗生楽泉園  桜井哲夫さん(8)



宿り木



どどどどー ごごごごー

風は雪を飛ばし地をゆるがして唸り吠えたてる

二千メートルの高地の夜を

朝の寮舎の庭に雪は山を築く

シベリア寒波の通り過ぎた雪の大地に

四囲の上毛の山脈が白く映える

目を上げた空に宿り木の紅い実が痛く沁みた

白樺の枝に水
ナラの枝に

いつどこからきたのか

宿り木の淡緑の枝は冬空にその姿をとどめる

風の痛い朝

若い女がらいを病み肺結核を併発して死んだ

谷の水楢を伐採して火葬した

伐採した水楢の枝に

紅い実をつけた宿り木があった

私はその日初めて宿り木を手にした

手にした宿り木を若い女の柩にのせた

柩は宿り木をのせて炎の中に消えた

今夜も寮舎の軒を鳴らして風が吹いている

耳をあてた枕の下から地の揺らぎが聞こえる

光を失った網膜に

遠い日の宿り木の紅い実が鮮やかに映される

どどどどー ごごごごー

どどどどー ごごごごー

痛い痛い痛い

宿り木の実の紅が眼に沁みて痛い

宿り木は白樺と共存し

宿り木は水楢と共生して

冬枯れの空に沁みて痛い









入浴



毎週水曜日は

私の入浴日

アンダーシャツにポロシャツ

ズボンにズボン下 パンツと

介護員さんは着替えを整えてくれる


浴場の中は

介護員さんと入浴の人がいっぱい

浴槽を溢れる温泉に

老いの身をゆったりと浸す

温もりが汗となって 顔から流れる

介護員さんは手早く身支度してくれる

体重計は39kgと教えてくれた

体重計を離れ

思わず「万歳」と叫んだ

温泉ホカホカ笑ってる










飛龍



消燈を終えた病室の静寂を透かして

梅雨空の彼方から飛龍が飛んできた

私に盲人将棋を教えてくれた

私に将棋の激しさを教えてくれた

私に将棋の喜びを教えてくれた

らいの緋玉を抱いた私の飛龍


九段九行の詩を書いた

九段九行の将棋盤に

八十一文字の創作を書いた

盲人将棋を覚えて三十有余年

飛龍は私と共にあった

(※ 飛龍は将棋用語、飛車が成った駒)


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栗生楽泉園  桜井哲夫さん(7)


無窮花の花は何時開く

━━故村松武司先生におくる



1993年9月26日日曜日東京の空に遅い夏の光が淡く流れていた

信濃町千日谷会堂の玄関に車から降りる

栄子未亡人の優しい声が迎えてくれた 淋しくなりましたといういう夫人の声に只々二度、三度頭を下げている

草花に囲まれた先生の遺影に長々と黙祷を贈る

さっき会堂のフロアーで渡された村松先生略年譜の表紙に描かれた無窮花の花が鮮やかに光を失った網膜に開いた


韓国の友が贈る言葉に一瞬の静寂があった

松っさん何故死んだ悔しいよと友は号泣した

京城中学校の同級生は叫ぶ 一緒に韓国に帰る日を胸に今日まで頑張って来たのに君は何故僕を残して旅立ったのか

先生 貴方は日本の国籍を持つ韓国の人だったのですね

先生 貴方の祖国は一つ無窮花の花咲く韓国は貴方の祖国

韓国の友を日本に残し貴方は韓国に帰らなかった

帰らない韓国には貴方の無窮花の花はまだ開かない


韓国の友と肩を並べ京城の酒場でカルビを肴に酒を酌むのは何時

クッパやビビンバの丼を空にし丼を叩いてアリランやトラジの歌を唄うのは何時

その日が来たら私の二十六歳で早世した妻も一緒に連れていっておくれ

平壌の店先で父に買ってもらったチマ チョゴリを着た妻の胸に無窮花の花を飾って欲しい


先生 私が立つと貴方は、何時も靴を履かせ白杖を握らせてくれた

私が座ると座を整えコップに酒を満たしてくれた

沖縄の那覇のお婆さんから買ったというアンモナイトの化石を唇に触れさせながら貴方は美味しそうに杯を傾けた

何時も貴方の優しい眼差しが私を包んでくれた


植民地侵略の責めを為政者達は言葉巧みに笑って誤魔化す

強制従軍慰安婦の傷の痛みには口を噤んでそしらぬ顔

先生 貴方は一人で重い荷を背負いました

山の療養所に足を運び町の酒場で韓国の友と語らい杯を交わした

先生 たった一つの貴方の祖国に無窮花の花が開くのは何時ですか

貴方の無窮花はまだまだ堅く小さな蕾です



(註 無窮花とはムクゲで、韓国の国花)
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タジン鍋



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タジン鍋の下敷きにタマネギを置き、ナス、オクラ、ピーマン、パプリカを置き、15秒湯通しした豚肉100gを置き、ニンニク2片の薄切りを置き、ニンニク醤油で味付けし、胡椒をふり、煮立ったら極弱火にして20分、火を消して余熱5分で出来上がり。



パプリカとピーマンの佃煮

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細切りしたパプリカとピーマンを鍋に入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、水を少し入れ、煮立ったら弱火にして15秒湯通ししたチリメンを入れ、5分ほど煮て、汁気が少なくなったら出来上がり。



ゴーヤとツナ缶のサラダ

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ゴーヤは小口切りして塩もみをし、15分ほど置く。水で洗い流し(多すぎる塩分をとるため)、水気をしぼりながらボールに入れる。タマネギのスライスを入れて混ぜ、油をよく切ったツナ缶をほぐしながら入れ、マヨネーズとポン酢で味付けして出来上がり。
   
 


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栗生楽泉園  桜井哲夫さん(6)


ー1992・8・25 竜飛岬にて

風の造形


山の療養所から五十年ぶりに帰った故郷

津軽には遠い日の津軽はなかった

車のドアが開かれた

一千㎞の旅を看取ってくれた

二十四歳の中林和子と

竜飛岬の風中に立つ

津軽の海に今生まれたばかりの風は

和子のジーパンの裾を翻し

髪をなぶって真っ直ぐに空に昇る

津軽の潮騒

風立つ音、潮の香

たしかに聞いたのです、嗅いだのです

おふくろの子宮の羊水に揺れながら聞いていたの
だと思う


その日のおふくろは竜飛岬に親父と

それとも村の女房達と来たのだろうか

私は知らない

知らないはずの耳底に残っている津軽の潮騒を

今聞いたのです、今知ったのです


風が吹きます、風が立ちます

東北電力の風力発電所の風車が回ります

竜飛岬の風に昨日はない

竜飛岬の風に明日もない

竜飛岬の風は今生まれて今吹くのです

竜飛岬の風の造形の只中に

私は中林和子の腕に支えられて

今を立っています
 








冬の手紙


白根おろしがやんだ

花びらを散らしたような雪が

寮の庭を染める

雪は手紙

病室の電灯に津軽の友からの手紙を読んでもらう


友は毎月のように故郷の便りを送り続けてくれる

職場のこと

津軽の季節もいっしょに

手紙の行間に鱈のじゃっぱ汁の匂いがしたり

津軽三味線の音が聞こえたり

雪は津軽の便りを運ぶ


両親が死んで三十年

八十歳を過ぎた兄からの手紙は

年に一度の年賀状

リューマチを患う友は津軽の冬は辛いと言う

雪の手紙を読んでもらうたびに

俺の指のない手が

補装具をつけた細い足が

ギシギシいたむ









一人ごっこ


春の宵の病室

貝殻二つ耳にあてる

目を閉じると

遠い津軽の海鳴りが聞こえる

十七歳の

春の津軽の海鳴りが聞こえる

砂山に肩を並べて聞いた海鳴りだ

波頭をかすめて鳴く

ゴメの声も聞こえてくる

一人

春の宵の一人ごっこをしていると

胸が騒ぐよ


(註 ゴメは、カモメ)




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栗生楽泉園  桜井哲夫さん(5)



目かくしだあれ



治療棟の長い長い廊下

足音が追い掛けて来る

二人の足が止まった

目かくしだあれ


昨日は盲人会女子職員

今朝は外科治療室の看護婦さん

明日の目かくしだあれ


青空を泳ぐ赤い金魚

寮の庭に咲いた鳳仙花

看護婦さんの大きなオッパイ


目かくしだあれ

その手を離さないで

その手が離れると真っ暗闇

目かくしだあれ









花道


朝の治療棟の廊下

足速に治療室に向かう看護婦

車椅子を押す介護員

白杖を探りゆっくりと治療に向かう俺

治療を終えて廊下に出る

不意に看護婦の太い腕が

白杖を持つ手をとらえる

耳元で看護婦は囁く

道行みちゆきよ と

看護婦さん道行なんてお年が知れるぞ

うふふ ほんと

笑いながらもしっかりと抱えた看護婦の腕は離れない

治療棟の長い長い廊下は

終焉を迎えた山の療養所の花道




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サンマ



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新物ではない。



塩サバ

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リメイクしてカレー

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昨日のタマネギの煮物の残りに、味噌汁の残りのナンキンを加え、煮立てて、ルーを1個入れてカレーにした。夏バテにはカレーが食べたくなる。




ポリポリキュウリ  
   
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キュウリの塩もみの水気をしぼり、大さじ2の醤油、小さじ1のゴマ油、胡椒、ニンニク1片のすりおろしを加えるから、味が濃くなってしまう。
だから、塩もみの時に多少、塩を少なくする。




オクラの薄切り

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定番です。


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ミツバチの今



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現在、5群の蜜蜂が元気に夏を越えようとしている。




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上の群と10メートルも離れていない、大きな杉の木の2メートほどの高さの樹皮に、「モンスズメバチ」の長さ60センチ以上あるハチの巣があるが、この外敵にも十分対抗できている。


田んぼの2群は1日に3~4回ほど見回るが、山の3群は1~2日に1回の見回りである。

しばしば見回っていると、状況の微妙な変化もわかる。

7~10日に1度は、最下段の開閉扉を開けて底板の掃除をする。掃除をする時は防御ネットをかぶり、厚手のゴム手をつけ、上半身は合羽を着る。

掃除はたいてい午前6時~6時半頃の間にしている。理由は、まだ蜂の動きが活発でなく、最下段の横穴にさほど蜂がむらがっていないので、開閉扉が開けやすい。10匹くらいなら、口で風を送れば中へ入っていく。

掃除の時は、1匹も犠牲を出さないことが理想だが、2~3匹は、掃除をする「ひっかき棒」でつぶしてしまうことがある。

日々の定期見回りでは、蜘蛛の巣を払うことと、今の時期はカマキリが巣門に居座っていることがあるので、見つければ捕殺する。

カマキリは大切な益虫であるが、ミツバチにとっては外敵であり、ちょっとの時間でも数十匹の犠牲が出ると思う。カマキリは動きがにぶいように見えて、とても俊敏である。

スズメバチは見つけ次第、百均で買ったバドミントンのラケットで叩き落とす。獲物(蜜蜂)に夢中なので、比較的叩きやすい。

ミツバチには何の支援もできないが、日々見回ることによって微妙な変化に気づき、蜘蛛の巣、カマキリ、スズメバチ等の天敵をたった1~2匹でも仕留めて側面支援をする。


ミツバチが5群もいてくれることは、とても楽しいし、けなげな動きを見ていると、癒される。

当地での天王山と位置付けている7月中旬~9月中旬の2ヶ月を大過なく乗り越えて、無事に秋のお彼岸を迎えれたら、越冬は夏越えよりリスクがかなり小さいと認識している。

7月中旬~9月中旬の2ヶ月間は、巣もあまり伸びず、蜂数も一進一退を繰り返すようだ。貯蜜を食べながら夏を越すことも多いようなので、貯蜜は夏の間に減るようにも思う。

今年捕獲、あるいは入居した群は採蜜の予定はないが、巣の伸び具合によっては、10月末までに採蜜をする。理由は「6段重ね」にはできないし、来春に巣をのばすスペースも1箱分(1段分)くらいは余裕が必要だから。現時点で5群とも「5段重ね」になっているので、5段目に巣が伸びてきたら採蜜をする。

とにかく採蜜は二の次で、「いかに来春の分蜂をうまく迎えれるか」を重点とする。

分蜂期が始まる前の3月に「蜂児持ち出し」が続いて、分蜂ができなかったり、消滅することが「毎年2群」ほど発生するので、仮に現在の5群がすべて越冬しても、順調に分蜂をしてくれるのは3群と捉えている。

蜂児持ち出しは、春から始まる除草剤や農薬散布にあたった蜜源を巣に持帰り、それを与えられた幼虫が死に、死骸を巣箱の外に持ち出す。これが繰り返されると、分蜂のための蜂数が増えず、分蜂しなかったり、もしくは消滅する。


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栗生楽泉園  桜井哲夫さん(4)



破戒


青森県北津軽群鶴田町妙堂崎

長峰利造 大正13年7月10日生まれ

父太兵衛 母はる

癩園への旅立ちの朝

顔を歪めて父は言った

たとえ口を裂かれるともこのことだけはけっして言うな

父の戒めを守って45年

俺は死んだ人のように口を開かなかった

だが6月25日ライを正しく理解する日が来るたびに思うのだ

俺が固く口を閉ざしていて誰に癩を正しく理解せよと言うのか

俺は戒めの口を開こう

俺は罪によって生まれたのでもなければ悪によって病人でいるのでもないのだから

父よあの朝あなたは許してくれと言った

そして今私はあなたに許してくださいと言う

すべての人に理解をもとめてあなたの戒めを破るのだから










残照


昭和61年7月10日

栗生盲人会50年史『湯けむりの園』が発刊された

静かにページを開いて下さい

ハンセン病を病み盲目となり

第二の目と言われる指さえ奪われた盲人たちの記録

顔をさすり唇をなめながら残された知覚を探した

点字用紙に舌先を当てた

何度も何度も繰り返し血の滲むまで

ついに点字の文字を舌先から読みあてる

そして短歌を詠み俳句を作り詩を書いた

『湯けむりの園』は盲人たちの生きた記録だ

ページを閉じ目を上げてごらん

藍色の空に光る残照

『湯けむりの園』は世の人々に送る俺たちの残照なのだ




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栗生楽泉園  桜井哲夫さん(3)



ー鎌倉観音堂にて
 

火山列島のまんまん中

群馬倉賀野は真佐子の故郷

水力発電技師を父とした真佐子は

川に生まれ、せせらぎを子守唄に成長した

工事が終わると父は川の流れとともに台湾、朝鮮へと流れていった

台湾花蓮港の女学校に入学した真佐子は北朝鮮鴨緑江の工事を半ばに家族と別れ故郷の女学校に転向してきた

女学校を卒業した秋、真佐子は敗戦間もない楽泉園の門をくぐったのです

私の傍らに立つ結婚して間もない真佐子の瞳は

給食棟の煙突から吐き出される細くて弱い煙を離れ、勢いよく立ちのぼる火葬場の煙の果てを追い掛けている

食糧も治らい薬もなかった終戦当時のらい園の火葬場には煙の絶えることはなかった

二人の薄い布団の中にも忍び寄る明日の不安の煙が流れていた

十九歳で結婚した真佐子は二十六歳の激しく雪の降る朝、私の腕の中からするりと抜けて消えていった

死亡診断書には白血病とあった

私は今、鎌倉観音堂の前にひざまずいている

僚友の鳴らす鐘の向こうに真佐子の唄う口語と散文によるラブとエロスのセレナードを聞いた

浅間山は限りなく高く

空は果てしなく青かった

真佐子の唄うセレナードはいつまでも地底深く炎となって燃えたぎるのです



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キュウリの酢の物



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キュウリはスライサーで薄切りしてボールに入れ、塩をふってもみ、15分ほど置いて水で(塩分を)洗い流し、水気をしぼりながらボールに入れる。カニ風味カマボコ2個を水で解凍し、ほぐしながら入れ、ミョウガの甘酢漬け1個を粗みじん切りして入れ、醤油大さじ1、酢大さじ2、レモン果汁大さじ1、蜂蜜で味付けして出来上がり。



ソーメン

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薬味は青シソとミョウガの甘酢漬けの粗みじん切り。メンツユで。



コンニャクの乾煎り

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コンニャクは洗って手でちぎり、乾煎りし、ニンニク醤油のニンニク2片を薄切りして入れ、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。



タマネギと調理用トマトの煮物

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スライスしたタマネギと調理用トマトを入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、水を少し入れ、煮立ったら弱火にして5分ほど煮て、冷凍していたダイズの水煮を入れ、5分ほど煮て出来上がり。




ゴーヤの酢の物
   
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定番です。
 


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栗生楽泉園  桜井哲夫さん(2)



天の職


お握りとのし烏賊と林檎を包んだ唐草模様の紺風呂敷を

しっかりと首に結んでくれた
 
親父は拳で涙を拭い低い声で話してくれた

らいは親が望んだ病でもなく

お前が頼んだ病気でもない

らいは天が与えたお前の職だ

長い長い天の職を俺は率直に務めてきた

呪いながら厭いながらの長い職

今朝も雪の坂道を務めのために登りつづける

終わりの日の喜びのために








 


津軽の子守唄


病室の廊下に盲目の老人は

背中を丸め日向ぼっこをしていた

枯葉が一枚老人の膝の上に駆け登った

老人は枯葉を掌に遊ばせ囁きを聞いた

木枯しが老人の掌から枯葉を奪った

枯葉の足音を追いかけながら

老人は古里津軽の子守唄を歌った

療養所夫婦の間に生まれ

標本室の棚で泣くわが子の声を木枯しの中で聞いた

26歳でその子の母は死んでしまった

老人はかすれた声で歌った

故郷津軽の子守唄を

泣くなよしよしねんねしな

泣けば山から蒙古来る 
 


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栗生楽泉園  桜井哲夫さん(1)



かすみ草

雪の夜の病室

消灯後の瞬間の

静寂を破り

ドアをノックして入ってきたのは

単身赴任の事務職員さん


起きているかね

町の酒場で飲んでいたら

酒場の女が

詩集『津軽の子守唄』を読んで

感動したと言って

かすみ草の花束を頼んだのだと言う

広げた胸の中に花束を抱かせて

職員さんは雪の中を帰って行った


顔をうずめた唇に

花びらの小さな震えがあった


花束を贈った酒場の女に

再び会えなかったと

職員さんは伝えてくれた

名も告げぬ湯の町の酒場の女の痛みが

いつまでも小さく唇に残った









榛名グラス


真昼のほてりを残した病室

友よ7月10日は俺の誕生日そして君の誕生日

門灯の光を透かして国立療養所栗生園の表札を読んだときも

空腹のあまり農園の南瓜を盗んで食べた夜にも君は俺と共にあった

破れたパンツの繕いを

汚れたシャツの洗濯を

17歳の俺に教えたのも友よ君だ

盲人将棋を指しアマチュア四段の免状を将棋連盟から贈られたときも

一番大きな拍手を送ってくれたのも君だ

第二詩集『ぎんよう』出版会の日も

花束を贈る西毛文学の詩友飯島豊子さんの眼鏡の奥の優しい瞳を

頬に浮かべた微笑みを俺の耳元で囁いたのも君だ

その日詩友の新井美代子さんから贈られた榛名グラスに
看護婦は琥珀の液体を満たし二個の氷片を浮かべてくれた

友よ榛名グラスを上げてくれ

二人の誕生日

上げた榛名グラスに療養所で送った年輪が輝いている

友よ 友よ 俺の友よ

友よ 君の名は癩





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イカの緑酢和え



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ボールにキュウリ2本をすりおろし、出た水分は捨て、大さじ2の酢と大さじ1の醤油を入れて混ぜる。

もらったイカは解凍して一口サイズに切り、2分ほど茹でて冷水にとり、緑酢に入れ、混ぜて出来上がり。「いかの緑酢あえ」を参考にした。






海鮮の味噌汁

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鍋に乱切りしたナンキン、ナスビ、タマネギを入れ、水とダシの素を入れ、煮立ったら弱火にして15秒湯通しした海鮮を入れ、10分ほど煮て味噌を溶き入れ、2~3分煮て出来上がり。



リメイクしてカレー

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一昨日の茄子の煮物の残りは、よく煮立たせ、ルーを1個入れ、ベーコンと炒めたタマネギ半個を加え、途中で水も補充しながら弱火で7分ほど煮て出来上がり。
   
 


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栗生楽泉園  朴 湘錫さん 



病棟雑感



 オ・・・・・イ
 準夜のせわしい時間帯、それとは関係なく
 オ・・・・・イ オ・・・・・イ
 舟は出ないと思った。が舟は出る。
 まあーま、こんなに汚して、ほれ、そんなばっちい手。
 お尻がぶたれる場面が想像され、遠い昔が脳裡をよぎる。
 ぶたれても痛みを感じない母の感触、赤ちゃん嬉しそうだ。
 オ・・・・・イ
 
 たえずそばにいてほしい
 オ・・・・・イ
 たえず何かを語りかけて欲しい
 そうだ、彼は李さんである。
 慶尚北道のある地方のヤンバンの出であるとのことだ。
 ヤンバンとは働くことを知らない種族で、つまり支配階級なのである。
 国が亡び、権力を召し上げられ、土地を奪われて見れば、はやり雑草のそれで、いや、より耐え難い苦しみを味わって来たことは間違いない。
 李さんが入園してきたのは一九四四年、ある炭礦で強制労働に従事、そして発病、四十数年のいま、ふるさとも、家族を思い出す気力もなく、汚物をもて遊ぶ
 忘れることの幸せ
 記憶よ戻るな、今日も明日も・・・


 沈んでいく病棟の夜
 静寂を破って、ナースコールのブザーが鳴る。タイルの床を蹴って不しん番が駈ける。
 地獄より使者
 今宵はどの部屋に忍び入ったのか、しつこい奴、俺のこの部屋は遠慮してほしいものだ。
 又静寂が戻って来た。
 眠れぬ長い夜が続く。
 忍び入る気配に息を整えた。俺の生を確めに来た忍者なのだろう。そーっと夜具をかけ、忍び足で消えていく。
 天使とはなんだろう、
 汚物にまみれて、身も心も捧げる神よりの使者、それを希い強要する心の残酷を感じないわけにはいかない。
 白衣に身を包んで、俺たちの命を支えているこの人たち、天使にして天使に非ず、ビジネスの社会に生きる人なのである。
 といって、職業婦人と割り切ることは更にできない。
 やはり、俺たちの天使でありたい、と、祈りたいのである。



朴湘錫さんのやさしい心情があふれた病棟雑感だった。82歳で亡くなられている。故郷への里帰りで、なつかしい釜山の港を再度訪れることができ、万感の思いが「連絡船」という詩になったと思う。


最後に朴湘錫さんの略歴をもう一度載せておきます。

朴湘錫(星政治/本名・朴錫相)さんの略歴
1919年5月23日、韓国慶尚北道義城郡北安面に生まれる。1944年3月3日、栗生楽泉園入所。2002年1月31日死去。合同作品集に『残影』(1973 私家版)、合同作品集『トラジの詩』(1987 晧星社)がある。


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栗生楽泉園  朴 湘錫さん 


病棟雑感


(昨日の続きです)

 午前八時 日勤との交代
 ベッド払いから掃除、治療車のきしむ音、それぞれの任務に分散して、生気をかもし出す病棟の午前。
 電気器具の騒音が止む頃
「どうだい」と
 主治医が入って来た、たったそれだけの声に、ほっと安らぎを覚える。
 愛称髭先生である。面長の輪郭を囲う見事な髭、如何にも人格にふさわしい。
「俺大丈夫かい、先生」
「大丈夫だ、心配ねえよ」
 さらりと言ってのける。山盛りの灰皿を片付けながら、でも吸うなとは言わない。言ってもきくような玉じゃないと思ったのか?
 先生にいま一つ大切なニックネームがある。少しばかり表現は悪いようだが、俺たちは「のんべ先生」とも言っているのだ。
 失礼にも聞こえるが、そうでもない。のんべの中味は濃いのである。
 俺たちの親愛の情が含めてある。医者と患者の壁を感じない。要するに、立場を超越して、俺たちの生活の中に飛び込んでくれる先生とも信じているのだ。
 少し古い話になるが、ある職員が患者の出したお茶をのんでくれた、とのニュースに俺たちは驚いた過去を思いかえす。
 時代も変って、ライへの認識も見直されつつある今日なお、お茶一杯出すことに迷いを感じている俺たち。
 もし、ひざを交えて生の心を語り、酒一杯くみ交わす職員が、又は社会人がいたとすれば、自らの偏見と、コンプレックスにこもりがちな心の扉をひらいてくれることではないだろうか。
 その意味からして、俺たちが生の心をぶっつけ、わがままも言える俺たちの先生に、多分お気に召すまいと思うが、「のんべ」という称号を、心を込めて贈る次第である。


 助けて・・・・・
 看護婦さん助けて・・・・・
 救いを求めているのは一号室の老婆らしい。いま暴漢に襲われているのだ。
 この病室のことを備品室とよんでいる。勿論俺たち仲間の口のわるい誰かである。
 備品室には老婆も含めて、行き場のない何人かの者が収容され、いわゆる彼等は病棟の備品なのである。
 聞き捨てにならない言葉ではあるが、なんてことはない、俺たちが自らを自嘲する言葉なのであるから━━。
 なぜなら、口のわるい彼も、論評を加えているこの俺も、まぎれもない備品の一人なのである。後なき人生を、療養所という名の囲いの中で生き、そして消えていく備品、多少なりと違いがあるとすれば、自力で動き、正常に判断する能力が、まだ残っている、ということにほかならないだろう。


 婦長さん・・・・・
 婦長さん・・・・・
 可愛い叫びは天使の玉子のようだ。
 ウンコよ、Hさんがウンコだらけよ、と、更にそう叫んだ。
 騒ぎはやはり備品室である。
 俺は自分のおむつに手を当ててみた。
 幻想に怯え叫ぶ老婆、何が気に入らんのかわめき散らす者、平和な顔して、汚物と遊ぶHさん。
 彼等の昨日を知る者の誰が、今日の彼等を想像し得たであろうか。
 因果な人生はさておいて、
 因果な役割、と言ってはならないのか、天使の皆さん。

(つづく)


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ゴーヤチャンプル



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豚肉100gは15秒湯通しする。ゴーヤは小口切りして塩をふってもみ、15分ほど置き、塩分を洗い流し、水気をしぼる。

熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の薄切り、豚肉、ゴーヤの順に炒め、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。



オクラの薄切り

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1分茹でて冷水にとり、薄切りしてカツオブシをふり、醤油で。


パプリカとピーマンの煮物

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細切りしたパプリカとピーマンを鍋に入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、水を少し入れ、煮立ったら弱火にして、15秒湯通ししたチリメンを入れ、5分ほど煮て、汁気が少なくなったら出来上がり。



ゴーヤの酢の物

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ゴーヤを小口切りして塩をふってもみ、15分ほど置く。

塩分を水で洗い流し、水気をしぼりながらボールに入れ、各大さじ1の酢とレモン果汁、蜂蜜を入れ、混ぜて出来上がり。



ポリポリキュウリ

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キュウリは乱切りして塩もみをして2時間ほど置く。

水気をしぼりながら容器に入れ、大さじ2の醤油、小さじ1のゴマ油、胡椒、ニンニク1片のすりおろしを入れ、混ぜて出来上がり。冷やすとおいしい。

 


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栗生楽泉園  朴湘錫さん  


朴湘錫さんは「連絡船」や「古里ってなんだろう」のような記憶に残る詩の他に、こんな面白い散文も書かれている。



病棟雑感


 どの位の時間が過ぎたのだろう。
 俺の鼻に黒い紐が通されて、足にも何かロープで繋がれているような気がする。
 高野ひじりの、あの魔性の女が俺を牛に変えてしまったのかと怪しんだ。
 それにしても大きなおむつである。
 いま俺を取り巻いている、この白い妖精たちが、よってたかって俺の下着を剥ぎ取り、干ししいたけのようにしなびた、俺のむすこの、その首根っこを摘み上げ、この無格好なおむつの中へ閉じ込められたのかと思うと、首を縮めたくなる。



 重い瞼をあけて息を整えた。
 俺は生きているのだ
 俺のコンピューターも正常に作動している感じである
 頭がひどく痛い
 目がまわる
 ベッドが揺れている、波にもまれる小舟のように
 えらいことになったと思った
 いま俺がねかされているこの病室、末路の部屋、あるいは三途への渡し場ともささやいているその個室のようである。
 誰がこんなひどいことを言い始めたのか、それは知らないが、いずれはこの部屋のお世話になる運命も知ってはいたが、遂に俺もこの渡し場へやって来たのか、と目を閉じた。
 数日前のこと、
 句友のちえ女が、あの世とやらへ旅立っている。俺のいるこの部屋のこのベッドからである。
 日頃、彼女は善行の人であった。人の面倒をよくみて、世話好きな人であったから、おそらく彼女は地獄ということはないと思う。
 極楽からのやさしい使者に案内され、いま頃は三途の川瀬を渡っているに違いない。
 そこへいくと俺は駄目だろう。
 日頃の信仰からしても極楽は無理だろうし、天国も玄関払いだろうから、いやでも赤鬼や青鬼にむち打たれながら、火の途の地獄道を行くことになるのだろう。
 ちえ女のように、俺ももう少しいい事をしておけば、と、後悔しても遅きに過ぎた感じである。


 オ・・・・・イ・・・・・
 オ・・・・・イ・・・・・
 ナースコールは、俺のいる渡し場の向い側の住人らしい。長く節をつけて、
 舟が出ルヨ・・・・・
 返事が返っていく、ピッタリした調子、彼とナースのみに通じるコミュニケーションでもあるようだ。
 病棟の一日はこれから始まるのだ。
 検温、洗面、汚物の処理から、おむつの取り換え、てきぱきと作業は進んでいく。
 六時四十分頃と思う
 オイチニ、オイチニ
 NHKの朝の体操ではない
 ナースの肩に手をかけ、三人、四人連なって、声を合わせて、オイチニ
 食堂へ向う人間列車である。
 真新しい機関車だけが目立って、いまにも崩壊しそうなこの列車にも、やはり過去はあった筈。その彼等の、かすみゆく脳裡に去来する、それは果たしてなんだろう。

(つづく)


朴湘錫(星政治/本名・朴錫相)さんの略歴
1919年5月23日、韓国慶尚北道義城郡北安面に生まれる。1944年3月3日、栗生楽泉園入所。2002年1月31日死去。合同作品集に『残影』(1973 私家版)、合同作品集『トラジの詩』(1987 晧星社)がある。


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栗生楽泉園  朴 湘錫さん


古里ってなんだろう


お地蔵さまがいた

峠に君臨する

さくらんぼの老木もいた

草深い山里

険しい峠道

わが古里

見下す村はずれから犬が吠えている

この村に生を受けたこの俺を

あいつらは知らないのだろう


お地蔵さま

あなたは俺を知っているか

思い出してほしい

五十数年も遠いむかし

朝夕

この峠を通っていた村の子供たち

小石のだんごを差し上げ

あなたにたわむれた

なかのひとりを


さくらんぼの老木よ

まさか

お前に忘れたとは言わさんぞ

部厚いお前の背によじのぼり

折角つけた実を

食い荒したわんぱく共の

そのなかのひとりを


お地蔵さま

ふるさとってなんだろう

俺には

ふるさとを語る何もない

というのに

妙に恋しがり

妙に懐しがる

待つ人もないふるさと

お地蔵さま

きっと

私はまたやってくるだろう













三十八度線


江原道の東海岸

名もない筈のこの海辺は

観光の人で

今日もにぎわっている

売り物はなんだろう

入れ替り、立ちかわり

記念のシャッターを切る人たち

俺もカメラを向けた

無限に広がる海原をバックに

巨大な自然石

あー

三十八度線

深く、鋭く

掘り込んだ朱入りの五文字

赤く

血の色に似て

カメラの視界を覆う

観光を楽しむ人たち

紳士がいる

貴婦人がいる

アベックも学生もいた

シャッターを押す

祖国の人々よ

あなたたちの思いはなんだろう

おだやかな顔して

恨みも

悲しみも忘れた顔して

悠々

横たわる日本海の荒波よ

偉大なお前の力で

打ち砕いてくれ

忌わしい

あの怪物を











祈り


振っています

なびいています

民族の祭典

どよめく歓声

ゆらぐ旗々

ユニバーシアードの大会

競う者も

観る者も燃えています

民族の

熱い血をおどらせて

赤い地に星のマーク

そして

白い地に太極拳

見つけましたわが祖国の旗

南の選手が出ました

赤い旗も振られています

北の選手が出ました

太極拳が振られています

惜しみなく

情熱を燃やして


どす黒く

深い溝

埋められています

民族の赤い血で

私も祈ろう

そして私も振ろう

画面にゆらぐ

二本の旗へ



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秋ナスを使った2品


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7月25日頃、枝を強く切り戻して、1ヶ月ほど休ませたナスビが生り始めた。これを秋ナスと呼ぶ。

熱した鍋にゴマ油を入れ、乱切りしたナスビを炒め、水と調理用トマトを入れ、ダシの素を入れ、煮立ったら弱火にして10分煮て、味噌をみりんで溶いて入れ、煮立たせないように5分ほど煮て出来上がり。



焼きナスビ

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熱したフライパン(無水鍋の外蓋を利用)に大さじ1の油を入れ、縦切りしたナスを入れ、弱火で裏表5分ほどずつ焼いて皿にとり、醤油をまわしかけて出来上がり。



ソーメン

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薬味はミョウガの甘酢漬けと青シソの粗みじん切り。
  
  


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ナンキンの煮物


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もらったエビは解凍して15秒湯通しする。

乱切りしたナンキンを無水鍋に入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、大さじ3の水を入れ、煮立ったら混ぜ、エビを置き、極弱火にして25分、火を消して余熱5分で出来上がり。



オクラの薄切り

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1分茹でて冷水にとり、薄切りしてカツオブシをふり、醤油で。



オクラ炒め

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少し残ったオクラは縦切りして炒め、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。



ゴーヤの酢の物

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定番です。
  


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栗生楽泉園  朴 湘錫さん


記事の多くは繰り返しです。今日から栗生楽泉園の文学者たちを紹介します。

栗生楽泉園というと、この人を思い浮かべる。大好きな詩人の一人である。



連絡船(一)

オモニ

まだ僕は生きています

釜山のこの埠頭に立って

もう忘れてよい筈の過去

その記憶を

懸命にたぐりよせています

オモニ

あなたと

僕を乗せてくれた

あの連絡船は見当りません

多くの

涙と悲しみが沁みている筈の

釜山の港

すっかり近代ビルに化け

僕の思い出の上

どっかと

あぐらをかいています


オモニ

あの場所はどの辺だったろう

渡船の書類を大切に持ち

よごれた風呂敷包をかかえた

あのみすぼらしい行列

はねられて哀願する者

ひきずり出されて

泣いて、わめく女がいました

幼い心の怯え

不思議と甦って来ます


オモニ

あなたが教えてくれた

いま一本の通路

あの道はどの辺だろう

泣き叫ぶ女を流し見て

フリーパスで去っていく道

僕たちは通れない道、と

オモニが云う

なぜ?

いつまでも

幼い心は追っていった









連絡船(二)


西陽を受けて

観光船の白い巨体が入って来た

深々と体を沈めて

貨物船が出て行く

にぎわう釜山港

埠頭に立つ、かつての少年

遠い遠いむかし

母に手を引かれて乗った

あの時の連絡船はどこだろう


あの場所はこのビルのどの辺だったろう

気力を失った長い行列だった

疲れた顔をしていた

悲しく

不安な顔をしていた

ふるさとを捨てる悲しみなのか

それとも

明日に生きる不安なのか

植民地、という

衣をつけて

闇をさぐる新しい日本人


心もとない足どりで行列は進む

生きることへの苦悩

肉親との決別

諸々の涙を積んだ連絡船

僕はお前を忘れない

古傷の痛みではない

とてつもなく

お前が懐しいのだ




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多摩全生園  北條民雄(七條晃司)さん

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タジン鍋



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タジン鍋の下敷きにタマネギのスライスを置き、ピーマン、パプリカ、オクラ、ミニトマトを置き、練り製品1枚を4等分して置き、ベーコン2枚を切って置き、ニンニク醤油のニンニクと、ラッキョの醤油漬け2~3個を薄切りして置き、ニンニク醤油で味付けし、胡椒をふり、煮立ったら極弱火にして15分、火を消して余熱5分で出来上がり。



キュウリの酢の物

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キュウリ3本はスライサーで薄切りし、塩をふってもみ、30分ほど置く。水で洗い流し、水気をしぼりながらボールに入れる。大さじ1の醤油、大さじ3の酢、大さじ1のレモン果汁、蜂蜜を入れて混ぜ、カニ風味カマボコ2本を水で解凍し、ほぐしながら入れ、ミョウガの甘酢漬け1個を粗みじん切りして入れ、混ぜて出来上がり。



ポリポリキュウリ

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キュウリは乱切りして塩をふってもみ、1時間以上置く。水気をしぼりながら容器に入れ、大さじ2の醤油、小さじ1のゴマ油、胡椒、ニンニク1片のすりおろしを入れ、混ぜて出来上がり。冷蔵庫で冷やすとおいしい。



豆ご飯

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白米4合を洗って炊飯器に入れ、塩を一つまみ入れて混ぜる。200gのエンドウ豆を入れ、炊き上がったら混ぜる。3時間ほど経過すると桜色になり、一晩経過すると赤飯色になる。
   
 


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北條民雄さんと藤本トシさんの接点


ハンセン病文学の文豪同士が、一時、多摩全生園で一緒になった。

明治34年生まれの藤本トシさんは1987年、邑久光明園で87歳で亡くなったが、彼女より14歳年下で大正3年生まれの北條民雄さんは1937年、23歳で亡くなった。

たった23年の生涯だったが、残した文学は厖大である。

北條民雄さんの作品を読んで」。



北條民雄さんの略歴
1914年9月22日、朝鮮「京城」生まれ。1歳から父の郷里の徳島県那賀郡で育つ。1933年2月発病。1934年5月18日、全生病院(現・多摩全生園)に入院。1936年1月「いのちの初夜」が川端康成の推薦により「文學界」に発表され、「文學界賞」を受賞する。その後「文學界」「中央公論」「改造」「文藝春秋」に作品を発表。1937年12月5日、結核により死去。享年23歳。『定本 北條民雄全集』(1980 東京創元社)。




藤本トシさんの『地面の底がぬけたんです』の中に、北條民雄さんのエピソードがある。藤本さんは大阪の外島保養院におられたが、昭和9年9月21日の第一室戸台風で外島保養院は壊滅し、出身地にある多摩全生園に委託患者として4年間預けられ、その時、北條さんに出会った。


『地面の底が抜けたんです』の一部抜粋


 北條民雄さんて御存知でしょう。あの方と全生園で一緒の時期がありましてね、結核病棟におられましたけど、何度かお見舞いに行きました。というのは、あたしたちは委託患者ですから、時々全員が集まっていろんな話があるわけなんです、その委託患者の代表さんから。例えば、注意とか、しなければならないこととか。そうした折に、病室には必ず時々はお見舞いに行ってくれ、あたしたちはこうやってお世話になってるんだから、ということでしたから、何人かずつ病室を見舞うのです。
 北條民雄さんは、本病は軽いお方でしたよ。なんですか、声をかけても返事もしない人で・・・。ベッドのそばにまいりますと、上をむいて目をあけておられるから、いかがですかとかって伺うでしょ。すると、クルッと背中をむけて、むこうむいてしまいなさる。
 ある時、やはりお見舞いに行った時でしたが、ちょうどお医者さんが診察なさっていたことがありましててね、北條さんに小言を言ってなさってでしたよ。
 あんたは確かに文学者としては優れた人だ、文章も立派な腕をもっている、だけど人間としてはゼロだぞって。まあ、あたしにはどうこう言えませんけど、とにかく、とりつく島がない人でした。頭の中は文章のことでいっぱいで、他のことで口をきくのは、もうめんどうくさいってことだったのでしょうか。何か、いつも考えてられたんでしょうねえ。



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パプリカとピーマンの煮物


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パプリカとピーマンは細目に切って鍋に入れる。

醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、少し水を入れ、煮立ったら弱火にして5分ほど煮て、汁気が少なくなったらカツオブシを入れ、混ぜて出来上がり。



塩サバ

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ソーメン

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薬味はミョウガと青シソの粗みじん切り。



ゴーヤと厚揚げ炒め
   
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ゴーヤは小口切りして塩をふってもみ、15分ほど置き、水で洗い流し、水気をしぼる。

熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の薄切り、厚揚げ、ゴーヤの順に炒め、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。

 


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北條民雄さん 続癩院記録(3)


ハンセン病文学全集4「記録・随筆」P565~P566を抜粋しました。



 まだ明け切らない朝まだき、或はようやく暮れかかった夕方などに、カアン、カアンと鐘の音が院内に響き亘ることがある。すると舎の人々は、
「死んだな。誰だろう。」
「九号の斎藤さんだろう。もう十年も前から、補助看護がついていたから、昨夜行って見たらもう死にそうだった。」
 そしてその死人の入信していた宗教と同宗の者、または近しく交渉のあった者なぞはぞろぞろとその病室へ集まって行く。つまり死人があると付添夫は室の前へ出て鐘を叩いて、院全体への死亡通知をするのである。
 
 院内には、真言宗、真宗、日蓮、キリスト新・旧等々の宗教団体があって、死亡者はそれらの団体によって葬られるのである。補助看護というのは、病人が重態になり、付添夫だけでは手が廻りかねるようになると、それらの団体の中から各々交替で付添夫の補助をするものである。勿論病人の近親者、友人なども替り合って看護に出る仕組になっている。
 
 ところがこうした宗教団体のどれにも入らない者などが往々あり、補助看護は友達などがやるからよいとして、死亡した場合には、全く葬り手がなかったりする。それではいけないとあって、このようなつむじ曲りのために、各宗が順番で当番を務めることになっている。もっともこんなのは全く少く、千二百幾名かの患者中を探して十名あまりのものであろうし、また、いざ死期が近づくと心細くなると見えて、急に殊勝な心持になってどれかに泣きついてしまうので、こういうのはごく稀である。私なども殆ど体質的と思われるほど宗教の信用出来ない人間の一人であるが、息が切れそうになったら信仰心が急に出て来るかも知れない。この疑問に対して私は今からひどく興味を持っているが、兎に角死に対すると人間の心理は弱点ばかりを露出するものとみえる。
 
 死体は担架に乗せられて、付添夫がかついで解剖室に運ばれる。解剖室と並んでもうひとつ小さな部屋があり、人々はその部屋に来て念仏をとなえ、或はいのりが始められる。その部屋には花などがまつられてあって、ちょっと寺のバラックという感じであるが、突きあたりの破目板がはずされるようになっており、そこから解剖室の廊下の台の上に乗っかっている死体が眺められる仕掛になっている。酷暑の折や、厳寒の冬には死人が多く、どうかすると相次いで死んだ屍体が、その台の上に三つも四つも積み重なっていたりする。
 
 解剖が終り、必要な部分が標本として取られると、また患者達はぞろぞろとそこへ集まって行って、やがて野辺送りとなる。屍体は白木の箱に入れられ、それを載せたリヤカーを引きながら、焼場まで奇怪な行列が続いて行く。頭の毛の一本もない男、口の歪んだ女、どす黒く脹れ上った顔・手、松葉杖をついた老人、義足の少年、そんな風な怪しげな連中が群がり、中央にリヤカーを挟んで列をなして畑の中を通って行く様はちょっと地上の風景とは思われない。遠くに納骨堂の白い丸屋根が見える。
 
 焼場につくとそこでまた念仏がとなえられ、キリスト信者は感傷的に声を顫わせながら讃美歌を唄う。細い小さな煙突からは煙が吹き出し、屍臭が院内中に流れわたる。こうして苦悩に満ちた生涯は終り、湯呑のような恰好をした病院製ー患者が造っているーの骨壺に骨の切れ端が二三個納まって、ハルちゃんが抱えて行ったように、納骨堂の棚の上に並べられる。
「あの人も死んでほっとしとるこっちゃろ。」
「ほんまにまあこれが浮世かいな。」
 念仏の終った老婆たちはそんなことを話合ってそこを離れる。そしてまた病苦の世界へ帰って行くのである。



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北條民雄さん 続癩院記録(2)


ハンセン病文学全集4「記録・随筆」P564~P565を抜粋しました。



 また時とすると親子が揃って入院することもある。
 
 前記少年から半年ばかり遅れた頃、ハルちゃんという女の子が父親と二人で這入って来た。年はまだ九つであるが、大柄で世間ずれがしているせいか十二三には見え、それに非常にきれいな顔をしていて、この子が来ると暫くの間院内中がこの噂でいっぱいになったくらいである。病気は軽症であるに加えて神経型のため、外面どこといって病人らしいところがない。黒く鮮かな眉毛と澄み切った大きな眼とが西洋の子のように接近していて、頬が痩せてさえいなかったら、シャリイ・テムプルを思わせるくらいである。もっとも、こういう世界に長年暮し、見るものと言えば腐りかかった肉体と陥没した鼻、どす黒く変色した皮膚などで、患者達は美しい少女や少年に無限に執拗な飢えを感じているため、余計綺麗に見えたというところもないではない。ところがこの子の父親はひどい重症で、おまけに結核か何かを患っており、収容病室から舎へ移ることも出来ないで重病室に入り、その後間もなく死んでしまった。この親子は良く馴れた力の強そうな大犬を一頭連れていて、暫くの間収容病室内で奇妙な一家族を形成して人々を怪しませたものであった。
 
 私はこの親子のことを考えると、曲型的な癩の悲劇とはこんなものであろうと思わせられるのであるが、実は彼等はここへ来るまで世の人々の言う癩病乞食であったのである。つまり歩行の自由を奪われた父親を、車のついた箱に載せ、その力の強い犬に曳かせて、この九つになったばかりのミス・レパースは物乞いして歩いたのである。そして彼女の母親もやはり病気で、その頃は既に立つ力もなく、家に寝て彼等の帰りを待っていたという、文字通りの人情悲劇である。母親は彼等が入院するちょっと先に死んだ。
 
 だから彼等が入院した時は全身しらみだらけで、付添夫たちもちょっと近寄れなかったそうである。頭髪はぼうぼうと乱れ、手も足も垢が厚ぼったくくっついて悪臭を発散していたのは勿論である。が、風呂からあがり、床場へ行って髪をオカッパに切って来ると、忽ち見違えるほどであった。と付添夫たちは言った。
「この児の母親も実に美しかった。この児はその母親そっくりだ。」
 とは病める父親の術懐である。
 
 ところが、ある朝、私が例のように畑の中を歩き廻っていると、焼場の中から数人の人が群がって出て来るのに出合った。見ると一番先頭に立ってその児が骨壺を抱いて歩いて来るのである。
「どうしたの? 誰が死んだんだい。」と私が言うと、彼女は「父ちゃん。」と言って笑うのであった。別段悲しそうにも見えず、かえって一見愉快そうに壺を抱えているのである。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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