宿り木
どどどどー ごごごごー
風は雪を飛ばし地をゆるがして唸り吠えたてる
二千メートルの高地の夜を
朝の寮舎の庭に雪は山を築く
シベリア寒波の通り過ぎた雪の大地に
四囲の上毛の山脈が白く映える
目を上げた空に宿り木の紅い実が痛く沁みた
白樺の枝に水楢の枝に
いつどこからきたのか
宿り木の淡緑の枝は冬空にその姿をとどめる
風の痛い朝
若い女がらいを病み肺結核を併発して死んだ
谷の水楢を伐採して火葬した
伐採した水楢の枝に
紅い実をつけた宿り木があった
私はその日初めて宿り木を手にした
手にした宿り木を若い女の柩にのせた
柩は宿り木をのせて炎の中に消えた
今夜も寮舎の軒を鳴らして風が吹いている
耳をあてた枕の下から地の揺らぎが聞こえる
光を失った網膜に
遠い日の宿り木の紅い実が鮮やかに映される
どどどどー ごごごごー
どどどどー ごごごごー
痛い痛い痛い
宿り木の実の紅が眼に沁みて痛い
宿り木は白樺と共存し
宿り木は水楢と共生して
冬枯れの空に沁みて痛い
入浴
毎週水曜日は
私の入浴日
アンダーシャツにポロシャツ
ズボンにズボン下 パンツと
介護員さんは着替えを整えてくれる
浴場の中は
介護員さんと入浴の人がいっぱい
浴槽を溢れる温泉に
老いの身をゆったりと浸す
温もりが汗となって 顔から流れる
介護員さんは手早く身支度してくれる
体重計は39kgと教えてくれた
体重計を離れ
思わず「万歳」と叫んだ
温泉ホカホカ笑ってる
飛龍
消燈を終えた病室の静寂を透かして
梅雨空の彼方から飛龍が飛んできた
私に盲人将棋を教えてくれた
私に将棋の激しさを教えてくれた
私に将棋の喜びを教えてくれた
らいの緋玉を抱いた私の飛龍
九段九行の詩を書いた
九段九行の将棋盤に
八十一文字の創作を書いた
盲人将棋を覚えて三十有余年
飛龍は私と共にあった
(※ 飛龍は将棋用語、飛車が成った駒)
目かくしだあれ
治療棟の長い長い廊下
足音が追い掛けて来る
二人の足が止まった
目かくしだあれ
昨日は盲人会女子職員
今朝は外科治療室の看護婦さん
明日の目かくしだあれ
青空を泳ぐ赤い金魚
寮の庭に咲いた鳳仙花
看護婦さんの大きなオッパイ
目かくしだあれ
その手を離さないで
その手が離れると真っ暗闇
目かくしだあれ
花道
朝の治療棟の廊下
足速に治療室に向かう看護婦
車椅子を押す介護員
白杖を探りゆっくりと治療に向かう俺
治療を終えて廊下に出る
不意に看護婦の太い腕が
白杖を持つ手をとらえる
耳元で看護婦は囁く
道行よ と
看護婦さん道行なんてお年が知れるぞ
うふふ ほんと
笑いながらもしっかりと抱えた看護婦の腕は離れない
治療棟の長い長い廊下は
終焉を迎えた山の療養所の花道
2030年 農業の旅→

天の職
お握りとのし烏賊と林檎を包んだ唐草模様の紺風呂敷を
しっかりと首に結んでくれた
親父は拳で涙を拭い低い声で話してくれた
らいは親が望んだ病でもなく
お前が頼んだ病気でもない
らいは天が与えたお前の職だ
長い長い天の職を俺は率直に務めてきた
呪いながら厭いながらの長い職
今朝も雪の坂道を務めのために登りつづける
終わりの日の喜びのために
津軽の子守唄
病室の廊下に盲目の老人は
背中を丸め日向ぼっこをしていた
枯葉が一枚老人の膝の上に駆け登った
老人は枯葉を掌に遊ばせ囁きを聞いた
木枯しが老人の掌から枯葉を奪った
枯葉の足音を追いかけながら
老人は古里津軽の子守唄を歌った
療養所夫婦の間に生まれ
標本室の棚で泣くわが子の声を木枯しの中で聞いた
26歳でその子の母は死んでしまった
老人はかすれた声で歌った
故郷津軽の子守唄を
泣くなよしよしねんねしな
泣けば山から蒙古来る
2030年 農業の旅→

病棟雑感
(昨日の続きです)
午前八時 日勤との交代
ベッド払いから掃除、治療車のきしむ音、それぞれの任務に分散して、生気をかもし出す病棟の午前。
電気器具の騒音が止む頃
「どうだい」と
主治医が入って来た、たったそれだけの声に、ほっと安らぎを覚える。
愛称髭先生である。面長の輪郭を囲う見事な髭、如何にも人格にふさわしい。
「俺大丈夫かい、先生」
「大丈夫だ、心配ねえよ」
さらりと言ってのける。山盛りの灰皿を片付けながら、でも吸うなとは言わない。言ってもきくような玉じゃないと思ったのか?
先生にいま一つ大切なニックネームがある。少しばかり表現は悪いようだが、俺たちは「のんべ先生」とも言っているのだ。
失礼にも聞こえるが、そうでもない。のんべの中味は濃いのである。
俺たちの親愛の情が含めてある。医者と患者の壁を感じない。要するに、立場を超越して、俺たちの生活の中に飛び込んでくれる先生とも信じているのだ。
少し古い話になるが、ある職員が患者の出したお茶をのんでくれた、とのニュースに俺たちは驚いた過去を思いかえす。
時代も変って、ライへの認識も見直されつつある今日なお、お茶一杯出すことに迷いを感じている俺たち。
もし、ひざを交えて生の心を語り、酒一杯くみ交わす職員が、又は社会人がいたとすれば、自らの偏見と、コンプレックスにこもりがちな心の扉をひらいてくれることではないだろうか。
その意味からして、俺たちが生の心をぶっつけ、わがままも言える俺たちの先生に、多分お気に召すまいと思うが、「のんべ」という称号を、心を込めて贈る次第である。
〇
助けて・・・・・
看護婦さん助けて・・・・・
救いを求めているのは一号室の老婆らしい。いま暴漢に襲われているのだ。
この病室のことを備品室とよんでいる。勿論俺たち仲間の口のわるい誰かである。
備品室には老婆も含めて、行き場のない何人かの者が収容され、いわゆる彼等は病棟の備品なのである。
聞き捨てにならない言葉ではあるが、なんてことはない、俺たちが自らを自嘲する言葉なのであるから━━。
なぜなら、口のわるい彼も、論評を加えているこの俺も、まぎれもない備品の一人なのである。後なき人生を、療養所という名の囲いの中で生き、そして消えていく備品、多少なりと違いがあるとすれば、自力で動き、正常に判断する能力が、まだ残っている、ということにほかならないだろう。
〇
婦長さん・・・・・
婦長さん・・・・・
可愛い叫びは天使の玉子のようだ。
ウンコよ、Hさんがウンコだらけよ、と、更にそう叫んだ。
騒ぎはやはり備品室である。
俺は自分のおむつに手を当ててみた。
幻想に怯え叫ぶ老婆、何が気に入らんのかわめき散らす者、平和な顔して、汚物と遊ぶHさん。
彼等の昨日を知る者の誰が、今日の彼等を想像し得たであろうか。
因果な人生はさておいて、
因果な役割、と言ってはならないのか、天使の皆さん。
(つづく)
2030年 農業の旅→

朴湘錫さんは「連絡船」や「古里ってなんだろう」のような記憶に残る詩の他に、こんな面白い散文も書かれている。病棟雑感
どの位の時間が過ぎたのだろう。
俺の鼻に黒い紐が通されて、足にも何かロープで繋がれているような気がする。
高野ひじりの、あの魔性の女が俺を牛に変えてしまったのかと怪しんだ。
それにしても大きなおむつである。
いま俺を取り巻いている、この白い妖精たちが、よってたかって俺の下着を剥ぎ取り、干ししいたけのようにしなびた、俺のむすこの、その首根っこを摘み上げ、この無格好なおむつの中へ閉じ込められたのかと思うと、首を縮めたくなる。
〇
重い瞼をあけて息を整えた。
俺は生きているのだ
俺のコンピューターも正常に作動している感じである
頭がひどく痛い
目がまわる
ベッドが揺れている、波にもまれる小舟のように
えらいことになったと思った
いま俺がねかされているこの病室、末路の部屋、あるいは三途への渡し場ともささやいているその個室のようである。
誰がこんなひどいことを言い始めたのか、それは知らないが、いずれはこの部屋のお世話になる運命も知ってはいたが、遂に俺もこの渡し場へやって来たのか、と目を閉じた。
数日前のこと、
句友のちえ女が、あの世とやらへ旅立っている。俺のいるこの部屋のこのベッドからである。
日頃、彼女は善行の人であった。人の面倒をよくみて、世話好きな人であったから、おそらく彼女は地獄ということはないと思う。
極楽からのやさしい使者に案内され、いま頃は三途の川瀬を渡っているに違いない。
そこへいくと俺は駄目だろう。
日頃の信仰からしても極楽は無理だろうし、天国も玄関払いだろうから、いやでも赤鬼や青鬼にむち打たれながら、火の途の地獄道を行くことになるのだろう。
ちえ女のように、俺ももう少しいい事をしておけば、と、後悔しても遅きに過ぎた感じである。
〇
オ・・・・・イ・・・・・
オ・・・・・イ・・・・・
ナースコールは、俺のいる渡し場の向い側の住人らしい。長く節をつけて、
舟が出ルヨ・・・・・
返事が返っていく、ピッタリした調子、彼とナースのみに通じるコミュニケーションでもあるようだ。
病棟の一日はこれから始まるのだ。
検温、洗面、汚物の処理から、おむつの取り換え、てきぱきと作業は進んでいく。
六時四十分頃と思う
オイチニ、オイチニ
NHKの朝の体操ではない
ナースの肩に手をかけ、三人、四人連なって、声を合わせて、オイチニ
食堂へ向う人間列車である。
真新しい機関車だけが目立って、いまにも崩壊しそうなこの列車にも、やはり過去はあった筈。その彼等の、かすみゆく脳裡に去来する、それは果たしてなんだろう。
(つづく)
朴湘錫(星政治/本名・朴錫相)さんの略歴
1919年5月23日、韓国慶尚北道義城郡北安面に生まれる。1944年3月3日、栗生楽泉園入所。2002年1月31日死去。合同作品集に『残影』(1973 私家版)、合同作品集『トラジの詩』(1987 晧星社)がある。
2030年 農業の旅→

古里ってなんだろう
お地蔵さまがいた
峠に君臨する
さくらんぼの老木もいた
草深い山里
険しい峠道
わが古里
見下す村はずれから犬が吠えている
この村に生を受けたこの俺を
あいつらは知らないのだろう
お地蔵さま
あなたは俺を知っているか
思い出してほしい
五十数年も遠いむかし
朝夕
この峠を通っていた村の子供たち
小石のだんごを差し上げ
あなたにたわむれた
なかのひとりを
さくらんぼの老木よ
まさか
お前に忘れたとは言わさんぞ
部厚いお前の背によじのぼり
折角つけた実を
食い荒したわんぱく共の
そのなかのひとりを
お地蔵さま
ふるさとってなんだろう
俺には
ふるさとを語る何もない
というのに
妙に恋しがり
妙に懐しがる
待つ人もないふるさと
お地蔵さま
きっと
私はまたやってくるだろう
三十八度線
江原道の東海岸
名もない筈のこの海辺は
観光の人で
今日もにぎわっている
売り物はなんだろう
入れ替り、立ちかわり
記念のシャッターを切る人たち
俺もカメラを向けた
無限に広がる海原をバックに
巨大な自然石
あー
三十八度線
深く、鋭く
掘り込んだ朱入りの五文字
赤く
血の色に似て
カメラの視界を覆う
観光を楽しむ人たち
紳士がいる
貴婦人がいる
アベックも学生もいた
シャッターを押す
祖国の人々よ
あなたたちの思いはなんだろう
おだやかな顔して
恨みも
悲しみも忘れた顔して
悠々
横たわる日本海の荒波よ
偉大なお前の力で
打ち砕いてくれ
忌わしい
あの怪物を
祈り
振っています
なびいています
民族の祭典
どよめく歓声
ゆらぐ旗々
ユニバーシアードの大会
競う者も
観る者も燃えています
民族の
熱い血をおどらせて
赤い地に星のマーク
そして
白い地に太極拳
見つけましたわが祖国の旗
南の選手が出ました
赤い旗も振られています
北の選手が出ました
太極拳が振られています
惜しみなく
情熱を燃やして
どす黒く
深い溝
埋められています
民族の赤い血で
私も祈ろう
そして私も振ろう
画面にゆらぐ
二本の旗へ
2030年 農業の旅→
