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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

長島愛生園  近藤宏一さん


ぼくらの風


健ちゃん

萎えたその手にハーモニカは持てるか

いや 持たねばならない

その唇に ドレミは唄えるか

いや 唄わねばならない


外には風が吹いている

外を吹く風は冷たい木枯らしだ

木枯らしは萎えた手の皮膚をいためる

足のひびわれに血をにじませる

そして ぼくらにはぼくらの風が吹いている

ああ ぼくらの心を吹く風よ

それは決して冷たくない

健ちゃん

萎えたその手にハーモニカは持てるか

いや 持たねばならない

その唇に ドレミは唄えるか

唄わねばならない


たっちゃんもおなじだ

弘も五郎もみんな同じだ

テーブルを叩いて

リズムをとっているちょねさん

窓辺で手拍子をとっているのは鈴木くん

壁にもたれて

天井をにらみつけている義足の輝一くん


みんないま邪魔者をはらいのけるようにして

自分の楽器を脳裏に刻みつけている

それは ぼくらの心の中を吹く風だ


ドラムの川崎のおじさんよ

あなたは五十一歳の足でペダルを踏む

浅井くんよ

きみは貯金と借金で買い求めた

三千円のギターをはじく


ひとつの思い

ひとつの願い

ひとつの音楽

それはぼくらの心の風だ

部屋中いっぱい渦をまき

ごうごうと音をたてるハーモニーだ


健ちゃんよ

萎えたその手から

ハーモニカを落としてはならない

その唇にドレミを忘れてはならない

きのうまで部屋の片すみで

じっと埋まっていた健ちゃん


きょうはそのくらさはどこにもない

生かされてきた昨日

生きぬこうとする明日へ

健ちゃん

ためらうな おじけるな


窓にはもう月が昇ったであろう

外には風が吹いている

ぼくらにはぼくらの風が吹いている

もうみんな覚えたであろう

はじめて生み出すぼくらの歌

みんなでいっしょに風の中へ

それを流しだすのだ


さあ 用意はいいか スタートだ




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長島愛生園  近藤宏一さん


鶴島哀歌


瀬戸の渦潮 見おろす丘に

石の十字架は 静かに眠る

流刑の鞭に 倒れし人の

悲しい祈りよ その声よ

ああ鶴島に

今日も蜜柑の 花散るばかり


うつし世遠く 捨てし心に

秘めて指繰る ロザリオひとつ

涙にぬれし 踏絵の御母に

捧げし誓いよ その魂よ

ああ鶴島に

今日も海鳥 さえずるばかり


巡る砂浜 たたずむ小道

しのぶ歴史に かげろう燃える

永遠とわの救いに 生命いのちをかけた

せつない願いよ その歌よ

ああ鶴島に

今日もひそかに 夕凪せまる


 私がこの歌をつくったのは、鶴島の殉教者と私達の間に、深い運命的な共感を禁じ得ないからであった。外出嫌いの私が「鶴島へ行こう」と友人に誘われた時、何の抵抗もなく即座に応じ得たのもこのためであった。

 五月十六日は朝から五月晴れ、海もまた鏡のそれであった。私達一行四十名を乗せた船は一路波を切って東方へ八キロ約五十分間、大きな期待に胸ふるわせる私にとってはそれも束の間、上陸した桟橋から続くコンクリートの道はすぐに石ころの上り道、同行の看護学院生徒の皆さんに導かれ、私達は蜜柑の花咲く丘をあえぎあえぎ、しかし久しぶりに開放されたような気分に満たされ、まるで子供のようにはしゃぎ合いながら登って行った。・・・・・

 我が国で初めて宗教の自由が保障されたのは明治六年。幸いにして肉体を保ち信仰を貫き通した鶴島の人々は、三年余の流刑から解放され、はればれとして故郷へ帰ったのであったが、鶴島に残る十二の魂は、結局我が国最後の殉教者となった訳である。


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ダイコンのユズ味噌煮



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乱切りしたダイコンを鍋に入れ、出し汁と水を入れ、砂糖、酒、みりんを入れ、煮立ったら弱火にして10分煮て、15秒湯通しした豚肉を入れ5分煮て、味噌を溶き入れ、ユズ1個の皮をすりおろし、3分ほど煮て出来上がり。(「野菜はともだち」参照)

ユズ皮のすりおろしが、ダイコンの煮物にとても合う。



タジン鍋

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タジン鍋の下敷きにざく切りしたハクサイを入れ、豆腐を入れ、練り製品2枚を入れ、ニンニク醤油のニンニク2個を薄切りして入れ、ニンニク醤油で味付けし、煮立ったら極弱火にして15分、火を消して余熱5分で出来上がり。



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長島愛生園  近藤宏一さん


うしなった眼


うしなった私の眼は

こんな所に落ちていたのか


月の出の

誰も知らない浜辺の砂のうえに

それはこぼれ落ちた流れ星のかけらのように

青く透明な光をはなちながら

遠い月をじっと見つめている


誰がこんな所へ捨てたのか

深い闇の世界を私の心に残したまま

病み疲れた肉体のすき間から

容赦なくうばい取られていった その眼


あの日の激しかった痛みも

長い長い苦しみの影も

縫い合わされた瞼の裏に

まだ

こんなにもはっきり残っているというのに


諦めきったはずの

なお諦めきれない悲しみの手が

どこからともなく そっとのびてきて

私のその眼を拾いあげようとする

だが 波は

遠い日の歌を奏でながら打ち寄せてきて

その手をさえぎろうとする


やがて

月が中天に冴え渡る時

私のその眼は 貝がらになる










盲目の譜


人間の


ものを見るという不思議


見えないという不思議


これこそ


神の傑作・・・・・


というべきでありましょう

(「ハーモニカの歌」1979年)


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長島愛生園  近藤宏一さん


君の手


君はその手で野菊を手折って来てくれたんだね

僕の枕もとで匂う菊のかほりはきっと君のその手にも沁みこんでいるよ


今年初ものだったあの蜜柑は君がその手でむいてくれたんだね

甘ずっぱい汁がいつまでも僕の喉を潤していたっけ

僕の見えない眼には君の故里の蜜柑山が一杯に廣がっているよ


君のその手はガサガサと鳴るね

まるで枯松の幹に觸れてる音のようだ

その指は曲ったまま延びないんだね

まるで熊手のようではなかろうか

それに知覚がすこしも無いんだから本のページを繰るのにも暇がかかるんだね


君のその手に僕のこの手はそっくり同じだ

二人が握手してもうまくにぎり合えない手だ

ガサガサと侘しく觸れあう二人の固い手だ

だけどいつまでも力一杯握りしめていたい君のその手だ


(「愛生」1952年4月号)








ひとすじの道 故森岡康行氏を追悼する詩


   夏の太陽の下を

   風に真っ白なシャツをなびかせながら

   海辺の道を駆けてゆく 少年の姿

   消え去ることのない映像・・・・・

   長い時間の鼓動・・・・・


ああ 君は

いま その人生のひとすじ道を駆けて行った

精いっぱい 風のように駆けて行った


少年のころの発病

青年のころの失明 そして結婚

喜びと悲しみとを抱きしめて

しかし君は たえず燃えることを忘れなかった


例えば

手さぐりで育てあげた草花に 息をひそめて近より

その指先にさぐりえた露けきものは

どんなに美しいものであったろうか


人には誠実と柔和をもって臨み

まるで大地に刻みつけるように

生活のひとコマひとコマを 短歌にうたい

君は 決してふり向くことをしなかった


いや もしもふり向いたとしたら

それは残された半身への思いやりが

君の歩みをとどめたのにちがいない

君の歩みをとどめたのにちがいない


(「点字愛生」第110号 1986年6月)


近藤宏一さん1926年生れ 1938年入所
森岡康行さん1929年生れ 1940年入所


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ニンジンのバタ―ポン酢



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熱したフライパンにバターを入れ、1センチほどに輪切りしたニンジンを置き、極弱火で25分、火を消して余熱5分で蓋を開け、大さじ2のポン酢をまわしかけ、裏返し、1~2分煮つめて出来上がり。

「ニンジンのグラッセ」よりおいしいと思う。



ネギ卵

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ボールに卵2個を溶き、醤油と砂糖で味付けし、熱したフライパンに油をひいて流し入れ、小口切りしたネギをふり、表面が乾いたら半分にたたみ1分、火を消して余熱1分で出来上がり。



ハクサイとツナ缶の煮物

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ざく切りしたハクサイを鍋に入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、大さじ3の出し汁を入れ、ハクサイがしんなりしたら弱火にして、よく油を切ったツナ缶を入れ、10分煮て出来上がり。



ダイコンのユズ漬け    
   
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ダイコン2キロ(約2本)を3等分して皮をむき、四つ割りにして樽に入れる。蜂蜜のしぼりかすと砂糖を少し(砂糖だけなら400g)、塩100g、酢半カップを入れ、ユズ2個の果汁を入れ、皮も少し入れ、重石をして、明日、水が上がっているか確認し、水が上がっていなければ、よく混ぜ、重石を重くする。水が上がって6日経過すれば出来上がり。

3月の彼岸が過ぎる頃には暖かくなり、カビがでてくるので、今回がこの冬最後のダイコン漬けになる。6~7回作ったと思う。蜂蜜のしぼりかすは、ダイコン漬けのために冷凍庫で保存している。



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長島愛生園  近藤宏一さん



盲目十年


見えないという不思議


見えるという不思議


これは


まこと神様の傑作━━


(「裸形」1970年12月)


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長島愛生園  近藤宏一さん


コンクリートの道


盲目や足なえが永い間欲しがっていたコンクリートの道が

療院の広場を縦断して出来あがったという。

寒い夕方。

私はほこり臭い袷の襟をかき合せながら外へ出る。

鼻孔から頭の芯まで突刺す様な風はすっかり冬の風である。

私は馴れない探り杖に勇気を出して広場へ出た。

杖の先に固い手応えがある。

衰えた眸の中に白く光っているコンクリートの道。

私は撫でる様にそっと 杖をすべらせてみる。

こつこつ叩いてみる。

誰れも見て居ないようなのでちょっと歩いてみる。

からんころん下駄が鳴る。

もう少し歩いてみる。

萎縮した足の筋がのびのびしてくる。

胸がどきどきとはずんでくる。

私は思いきって道一ぱいに杖を振り歩き出す。


肩を張り腰に調子をつけながら

一生懸命に手を振って歩く。

体じゅうの血が一度に廻り初めた。

心臓が跳り出した。

杖も跳る。


がらがらと下駄が辺りに響く

息気をはずませ調子をとって、

私はどんどん歩く。

冷い夕風の中を一人で歩いている。

終点は治療室の入口まで、

いや何処までも歩いて行きたい。

胸に熱いものがこみ上げてくる。

目頭が熱くなってくる。

コンクリートの新しい道を歩きながら、

私は泣いていると云うのだろうか。

人間らしく歩けるので、

力一杯歩いているので。




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長島愛生園  近藤宏一さん






子供がだれかを描いたという。

足が馬鹿に細長いのでこれでは歩けそうに見えない。

腕は短かすぎて手の指が二、三本足りない、鼻が低い。

口が横についている。

耳朶が肩のあたりまでぶら下っている。

その上眉毛を描くことを忘れたらしい。

これではまるでお化のようである。


でも人間であることは確だ。

胸に手を当て

眼を伏せ

頭を深く垂れて

何かしきりに考えこんでいるから。



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ニンニクライス



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熱したフライパンに油を入れ、ニンニク2片の粗みじん切り、ベーコン3枚の細切り、タマネギのスライスの順に炒め、火を止めてニンニク醤油で味付けし、ご飯を入れて点火し、少し胡椒をふり、ご飯と具材がなじんだら出来上がり。

チャーハンと同じで、ご飯を最期に入れるのがポイントで、ご飯を入れてからニンニク醤油で味付けすると、べとつく。



タジン鍋

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タジン鍋にざく切りしたハクサイを入れ、15秒湯通しした鯛アラを置き、生姜1片をすりおろし、大さじ1と半のニンニク醤油で味付けし、煮立ったら極弱火にして20分、火を消して余熱5分で出来上がり。



ホウレンソウのおひたし
   
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定番です。


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長島愛生園  近藤宏一さん



入園番号


四四三四━━これが私の入園番号

骨張っていて

少し不安定に傾いていて

なんとなく泣きべそをかいているその文字づら



治療室のカルテに

年金袋に

選挙のときの入場券に

それはいつでも私の名前と同じ重さで登場し

里帰りの順番が来ると

帰省願書にもその通りに書いてから捺印する

四四三四

四四三四

はじめの頃は他人行儀でよそよそしいだけの

数字であったのに

使われやすくて簡単で

トレードマークのような気軽さと

改名のような親しさと

それでいてなんとなく抵抗を感じさせながら

それはもう三十年も私のなかに住みついてきた一つの抽象

さきにもない

あとにもない

ただひとつだけの私の顔

━━道を行くとき もしもそれが地面に落ちていたら

私はいきなり拾い上げて泥だらけのままポケットにしまいこむだろう

ぶつぶつつぶやきながら しかしごく自然に



やがて私が息をひきとるとき

人事係の帳簿に赤い線が引かれ

それは私とともに再び帰らぬ歴史となる

一から始まったおびただしい数字の行列が

次第に消されていったように

四四三四もまた永遠に空番号となる


(「愛生」1974年3月号)
近藤宏一さん著作「闇を光に」より


なお、「いつの日にか帰らん」の加賀田一さんの入園番号は1507番で、最後の入所者は1970年代に入った方だったと思いますが、高知から来た人で6908番でした。つまり開所以来の愛生園入所者は6908人ということになります。(P74)

加賀田一さん 1917年生まれ 1936年愛生園入所(19歳)

近藤宏一さん 1926年生まれ 1938年愛生園入所(11歳)

加賀田さんと近藤さんの入所は2年しか違わないが入園番号は2927の開きがある。つまり加賀田さんと近藤さんの間に2927人が入所していることになる。
 
この2年間はなぜこんなに入所者が増えているのだろうか。いわゆる「無らい県運動」などで強制入所させられた方が多いのだろう。



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長島愛生園  近藤宏一さん



点字


ここに僕らの言葉が秘められている

ここに僕らの世界が待っている

舌先と唇に残ったわずかな知覚

それは僕の唯一の眼だ

その眼に映しだされた陰影の何と冷たいことか



読めるだろうか

星がひとつ、それはア

星が縦にふたつ、 それはイ

横に並んでそれはウ

紙面に浮かびでた星と星の微妙な組み合わせ



読めるだろうか

読まねばならない

点字書を開き唇にそっとふれる姿をいつ

予想したであろうか・・・



ためらいとむさぼる心が渦をまき

体の中で激しい音を立てもだえる

点と点が結びついて線となり

線と線は面となり文字を浮かびだす



唇に血がにじみでる

舌先がしびれうずいてくる

試練とはこれかー

かなしみとはこれかー

だがためらいと感傷とは今こそ許されはしない

この文字、この言葉

この中に、はてしない可能性が大きく手を広げ

新しい僕らの明日を約束しているのだ

涙は

そこでこそぬぐわれるであろう



「闇を光に」 著者 近藤宏一さん
1938年 11歳で長島愛生園入所
2009年 83歳で没する

2007年 英国救らいミッションがハンセン病問題の啓発に貢献した人物に贈るウェルズリー・ベイリー賞を受賞


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お好み焼き



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 太めの千切りにしたキャベツ200gをボールに入れ、薄力粉100gを入れ、溶き卵1個を入れ、水100CC、牛乳50CCを入れて混ぜ、15秒湯通しした豚肉100gを入れて混ぜる。

熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、具材を流し入れ、蓋をして極弱火で5分ほどずつ焼いて出来上がり。ウスターソースで。


   
  

キャベツの酢醤油

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キャベツざく切りして無水鍋で10分ほど蒸す。ボールにポン酢と少し砂糖を入れ、15秒湯通しした小魚を入れ、蒸したキャベツを入れ、混ぜると出来上がり。



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長島愛生園  明石海人さん

(歌日記)

兆しくる熱に堪えつつこれやかの環が声を息つめて聴く


 「環女子来る」の噂が待望となり、待望が愈々現実となって、三浦環女史をこの島、長島愛生園の礼拝堂にお迎えしたのは、一昨年の紀元節の当日であった。この日女史は岡山で講演される忙しい日程の中を、わざわざお訪ね下すったのである。ふだんはソプラノなどには怖気をふるっている老人達までが、続々と礼拝堂へ集って来て、神妙に膝を正していた。

 やがて、導かれて這入って来た女史の面は、さっと沈痛の色が走った。堂に溢れた今日の聴衆の異様な相貌が、女史の鋭敏な神経をかき乱したのであろう。まことにその通りで、一人前の顔形を具へたものは一人も無い。今日まで華やかな聴衆の前でしか歌ったことのない女史には、怪奇にも無残にも映ったのであろう。

 不自由な手を叩き合す寂しい、けれど、ひたむきな拍手の中に幾つかの唄が歌われた。私は環女史の肉声を聴くのは今日が始めてであった。人の世を離れたこの島で、ゆくりなく聴くこの人の声は美しくも悲しかった。殊に、お蝶夫人の最期の唄━━床の上に掌を突き、肘を突き、花模様の裳を惜気もなく曳きながら、短剣を咽喉に擬して歌ったお蝶夫人の最期の唄を、私は何時までも忘れることが出来ない。

 歌が終ってから挨拶をされた言葉のなかで、自分は今迄数多あまたの人々の前で歌って来た。外国の皇帝や、皇后や大統領などの前で歌ったが、今日程心を打たれて歌ったことはなかった。と云われたとき、女史の眼には美しい涙が光っていた。次いで、患者総代が感激におののく声で謝辞を述べた頃には、女史をはじめ一千に近い会衆は、一つに融け合ったよろこびとも悲しみともつかない感激に、或いは落涙し、或いは嗚咽していた。


沈丁のつぼみ久しき島の院にお蝶夫人の唄をかなしむ



明石海人さんの略歴
1901年7月5日、静岡県駿東群(現・沼津市)に生まれる。静岡師範学校を卒業後、尋常高等小学校訓導として勤務。1924年結婚、二女をもうけるが、1926年に発病し退職。1927年、明石楽生病院入院。1932年、同院の閉鎖にともない、長島愛生園に入所。1933年受洗、1936年失明。1938年気管切開。1939年2月に上梓した歌集『白描』(改造社)はベストセラーとなったが、6月9日腸結核のため死去した。『海人遺稿』(1939)、『明石海人全集』(1941 ともに改造社)、『海人全集』(上・下・別巻 1993 晧星社)。





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長島愛生園  明石海人さん

(歌日記)

癩に棲む島に盲ひて秋ひと日替へし畳をあたらしと嗅ぐ


 この療養所に来てから二度目の畳の表替である。前の度にはまだ眼が見えていて、淡緑の面をくぎる黒い縁の直線が、すがすがしく眼にも映ったのであるが、今でも眼には見えなくとも畳の新しいのは快い。切味のよい剃刀の手ざわりである。もぎたての果物に歯をあてた感じである。

 臭覚にしみる特有の匂い━━畳の上に生れ、畳の上で育って来た過去のあらゆる経験が、この匂いに籠もっている。我々の一生というのも、あたらしい畳が古びてゆく過程の幾つかに外ならない。火屋の真上の天井のひとところだけが円く明るくなっている吊りランプの下で、ふと目を醒した夜更けの静寂の中に、弟の産声を聞いたのも、その弟が七つになった夏の或日、半夜の熱に急死したのも、その翌る朝ふと触れた弟の額の、魂をおののかす冷たさに、世の無常を知りそめたのも、棺を閉じて泣崩れる母をたしなめた父の眼にも涙が光っているの見た時、私も声をあげて泣いてしまったことなども、皆畳の匂いに染みついた記憶である。

 六畳の部屋を三畳だけ替えて、畳屋は帰って行った。今日は生憎茶菓子になるものもなかったので、明日は何かお茶うけの用意をしておこう、そんな事を云いながら、室の中や縁先などを掃いていた附添さんは、外した縁の障子をはめ込みながら、「ひどい夕焼だなあ」と呟いていた。その夕焼の空から吹いて来るのであろう、障子の破れを鳴らす風が、室の中を水のように流れ去る。
 用事を済まして附添さんも帰って行った。あたらしい畳の室には夜の冷気が静寂となってたちこめる。庭先にはまた蟋蟀こおろぎが鳴きだしていた。

清畳にほへる室の壁ぞひに白きふすまを展べて長まる



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すき焼き



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千切りしたダイコンとニンジンをフライパンに入れ、出し汁を入れ、煮立ったら弱火にして醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、15秒湯通しした牛肉80gを置き、豆腐一丁を置き、5分ほど煮てハクサイとネギのざく切りを入れ、強火で5分煮て出来上がり。
   
 


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長島愛生園  明石海人さん

(歌日記)

捜りゆく道は空地にひらけたりこのひろがりの杖にあまるも


 眼が見えなくなって、始めて杖を突いて出て歩くのは可なりな勇気を要する。人に見られるのが嫌だと云ふよりも、自分自身に対する侘しさに堪え難いものがある。自由自在に出歩いてゐた道を、杖に頼らなければ一歩も歩けないと言ふ、生活能力の低下に対する忌々しさである。
 
 眼が見えなくなってからずっと閉じ籠っていたが、或日美しい小春日和に誘はれて、初めて杖を突いて出掛けた。嘗ては、無雑作に歩き廻っていた道である。大体の木石の配置は記憶に残ってゐる。にも拘わらず、杖の先でさぐるとだいぶん趣が変って来る。嘗ては気にも止めなかった極く僅かな路面の凹凸が、ともすれば身体の平衡を脅かす。第一、自分の足からして頗る不確かなもので、真っ直ぐに歩いてゐるつもりでも、何時の間にか横へそれてゐる。狭い道の処はまだよかったが、十字路のようになった一寸した空地へ出ると、杖は忽ち方位を失ってしまった。
 
 記憶をたよりにあちらこちらと叩き廻って見たが、思わぬ処に溝が出来てゐたり、物が置いてあったりして、くるくる廻っている中に、雨水の溜まっていたらしいぬかるみに吸われて、片方の靴が脱げてしまった。よろめく途端に足袋をよごすまいとして、二三度ちんちんをしてから一本足で立ち直った時には、脱げた靴のありかは見当さえつかなくなっていた。仕方がないので、杖を支えにしばらく片足で佇んでいた。
 
 それにしても、網膜にものを映す一生理機能の喪失が、我々の生活能力を如何に局限してしまう事か。今の私には音さえしなければ、命を狙う銃口が目の前に擬せられている事をさえ感じる事が出来ない。肉身の支えをうしなった精神力の、唯心論が拠ってもって人間存在の根源なりとする意識とは、何と言う哀れな低能児でしかないことか。
 
 私は自分の立っている所が空地の何の辺に当たるのか、視覚を借らずに感得出来ないものかと、全精神を集中して天来の啓示を待った。が、唯心論を侮蔑した祟りか、識閾に影を落として来る何ものも無い。人間の叡智とは、舞い上って方位を悟る鳩の本能に比してかくも凡庸なのだ。かの論者を今の私の位置に立たせたら、何と言うであろう。それとも、彼等はこの空白をも、神秘主義の泥絵具で塗潰してしまうであろうか。
 
 肉身の機能を抹殺して、理性の外縁に直に人格的な神を凝集させたり、個体の経験が肉身を越えて生存すると説く霊魂不滅論などの感傷には、どうも近づき難いが、さりとて、音波のみしか聴き得ない耳や、光波だけしか見得ない眼の行動半径を飛躍することの余りに少ない唯物弁証法の精悍な認識論にも、安んじてしまうことが出来ない。
 
 彼らの論理は強靭でもあり精緻でもあるが、立場の根底をなす前提に━━前提の設定に━━前提を設定することそれ自身に対する懐疑がある。けれど、科学も理論も、前提なしには成り立たないとすれば、こう言う見解はすでに知性の限界を超えたものである。が、単なる知性にとどまらず、人間性能の総和によって、側面から照射されるとき、彼等の論理は、始めて複雑微妙な立体感を現して来るのであろう。
 
 例えば、科学が分析し尽すことの出来ない微量の物質に、我々の味覚が反応するように、論理の網の目にすくい残された雰囲気が、知性以外の方向から、(例えば感性の如き)を通して、人生や社会に対する我々の見取図に反映し得るものであり、また、そうなければならない━━。

 「どうした? やあ、靴が脱げているね。ちょっと待って・・・よしよし、それでちゃんとはけたよ。何処へ行くね、××寮?それなら、この柵を伝わって行くがいい。真っ直ぐな道だから・・・」
 
 聞き憶えのある声だが、誰だか思い出せない。それにしても、私の全精神を尽くして窺い知ることの出来なかった私自身の位置を、彼の肉眼は、至って簡単に指示して呉れた。それが、飽くなき真実究明の過程を、睡魔のようにまやかしてしまうニイチェの所謂『隣人の愛』に過ぎないにしても、行きずりのささやかな行為は、いつか私の心を明るくしていた。


天国も地獄も見えぬ日のひかり顱頂にしみて酒よりもうま



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長島愛生園  明石海人さん「白描」1939年



気管切開


鼻ありて鼻より呼吸のかよふこそこよなき幸の一つなるらし




この冬はこの冬はとをおそれつつかそけき命を護り来にけり




切割くや気管に肺に吹入りて大気の冷えは香料のごとし




また更に生きつがむとす盲我くづれし咽喉を今日は穿ちて




おほかたは命のはての歌ぶみの稿を了へたり霜月の朔




かたゐ我三十七年をながらへぬ三十七年の久しくもありし






蒼空のこんなにあをい倖をみんな跣足はだしで跳びだせ跳びだせ




蝉の声のまっただなかを目醒むれば壁も畳もなまなまと赤し




夕づけばしづむ遠樹の蝉の声なにもかもしつくして死にゆくはよけむ




こんなとき気がふれるのか蒼き空の鳴をひそめし真昼間の底




起き出でて探る溲瓶しびん前後まへうしろかかるしぐさに年を重ねし




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グラタン




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無水鍋に薄切りしたジャガイモを入れ、大さじ3の水を入れ、煮立ったら極弱火にして30分、火を消して余熱5分で蓋を開け、胡椒をしてつぶす。

その間にホワイトソースを作る。熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の薄切り、ベーコン2枚の細切り、タマネギのスライスの順に炒め、火を止めて大さじ2の薄力粉を入れて30秒まぜる。牛乳を入れて点火し、コンソメを半個入れ、混ぜながら牛乳が煮立ってきたら火を止めて、ジャガイモが蒸し上がるのを待つ。

グラタン皿につぶしたジャガイモを入れ、ホワイトソースをかけ、とろけるチーズをのせ、冷凍して粉々にしたスイートバジルの葉を入れ、220度に予熱したオーブンで15分焼いて出来上がり。




コロッケ

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残ったジャガイモは丸めて薄力粉をつけ、熱したフライパンに油を入れ、弱火で裏表5分ほどずつ焼いて出来上がり。ケチャップとソースで。




塩サバ

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ホウレンソウのおひたし

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定番です。
  


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長島愛生園  明石海人さん「白描」1939年


春夏秋冬

骨あげにしばし間のあり火葬場の牡丹ざくらに蜂は群れつつ




息つめてぢゃんけんぽんを爭ひき何かは知らぬ爪もなき手と




繰りかへし我の齢をかぞへゐる壁のむかうの声ならぬこゑ



失明

拭へども拭へども去らぬ眼のくもり物言ひさして声を呑みたり





不自由者療


鳴き交すこゑ聴きおれば雀らの一つ一つが別のこと言ふ




えやみ童の日にこそ受けたらめふるさとの吾子よ病むな伝染るな









夜すがらを脊柱の冷え夢に入りうつうつと聞く一時二時三時




杖さきにかかぐりあゆむ我姿見すまじきかも母にも妻にも






盲ひてはもののともしく隣家に釘打つ音ををはるまで聞く




夜すがらを案じあぐめる歌ひとつ思ひにはあり朝粥の間も




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長島愛生園  明石海人さん「白描」1939年


紫雲英野

巳にして葬りのことも済めりとか父なる我にかかはりもなく




ながらへてかたゐの我や己が子の死しゆくをだにうべなはむとす




世の常の父子なりせばこころゆく嘆きはあらむかかる際にも





島の療養所

蔦わか葉陽に透く朝を窓ぎはの試視力表はほのかに青む




父母のえらび給ひし名をすててここの島の院に棲むべくは来ぬ




監房に罵りわらふもの狂ひ夜深く醒めてその声を聴く




幾山河

遇遇を逢ひ見る兄が在りし日の父さながらのものの言ひざま




ゆくりなく映画にみればふるさとの海に十年のうつろひはなし




鬼豆

年祝ぎのよそほひもなく島の院に百八つの鐘ただ静かなり




元日をきたる年賀の文ふたつうちのひとつはふるさとの子より



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長島愛生園  明石海人さん「白描」1939年



癩は天刑である。

加わるしもとの一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呻吟しながら、私は苦患の闇をかき捜って一縷の光を渇き求めた。

━━深海に生きる魚族のやうに、自らが燃えなければ何処にも光はない━━さう感じ得たのは病がすでに膏肓に入ってからであった。

齢三十を超えて短歌を学び、あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、己が棲む大地の如何に美しく、また激しいかを身をもって感じ、積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し時には鼓舞しながら、肉身に生きる己れを祝福した。

人の世を脱れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。

癩はまた天啓でもあった。



診断

そむけたる医師の眼をにくみつつうべなひ難きこころ昂ぶる




看護婦のなぐさめ言も聞きあへぬ忿にも似るこの侘しさを




診断を今はうたがはず春まひる癩に堕ちし身の影をぞ踏む




人間の類を逐はれて今日を見る狙仙が猿のむげなる清さ




陸橋を揺り過ぐる夜の汽車幾つ死にたくもなく我の佇む




妻は母に母は父に言ふわが病襖へだててその声を聞く




職を罷め籠る日ごとを幼等はおのもおのもに我に親しむ




癩わが命を惜しむ明暮を子等がゑまひの激しくもあるか




さらばとてむづかる吾子をあやしつつつくる笑顔に妻を泣かしむ




鉄橋へかかる車室のとどろきに憚からず呼ぶ妻子がその名は




窓の外はなじみなき山の相となり眼をふせて切符に見入りぬ




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ヤーコンの甘酢漬け


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先に甘酢を作る。出し汁180CC、酢120CC、砂糖50gを入れ、点火して溶かし、生姜1片をすりおろす。

ヤーコンは皮をむいて1センチ厚さほどに切り、30~60秒茹でて冷水にとり、瓶に入れる。冷めた甘酢を注いで出来上がり。明朝には食べれる。



サンマと大根おろし

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煮物2品

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乱切りしたダイコンとニンジンを鍋に入れ、出し汁を入れ、煮立ったら弱火にして、2つに分けた。


カニ缶詰と煮物に

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昨日の残りのカニ缶を入れ、醤油を少し入れ、砂糖、酒、みりんで味付けし、15分煮て出来上がり。


ミルク煮 

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移した半分は10分ほど煮て、解凍したサトイモを入れ、コンソメを1個入れ、5分ほど煮て、牛乳を入れ、煮立ってきたら出来上がり。
    


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長島愛生園  明石海人さん


冬の納骨堂

うすら陽の疎林に

石の骨堂の球と方との

属性が投げかける階調は、冷厳である。


やがてここに葬られる日のことを思ひ乍ら

ぢっとすます胸にひびいてくるものは

石面の交錯が冬陽にかなでる、明暗の挽歌ばかり


かくて、冬の疎林の薄ら陽に、

石の骨堂は

その冷厳な表情をくづさうとはしない。









癩の島


 めぐらすは海。漁夫は網を布き、老女はこごえつつ貝を掘り、芥の如き獲物につづれを濡らす。療養所の敷地は高く、麦飯に腹を満してあはれむ。
 費足らざれば馬鈴薯に痩せ、昨日も今日も埋葬の鐘は鳴る、病室には咽喉を塞がりて管を貫き、手足痿えて海鼠の如く、腮をゆるんで涎を垂らし、眼のかはきに痛みを呼び、神経の疼きに毒鍼を欲る。

 手指は折れ、足はむしばまれて短く、大方は盲なり。死に近き友は頬に深く影をひきこんこんと眠る。軈て此処に果つべき日を思ひながら、母も子も思ひ出にうすれ、婉然とわかきは別れ来し日の妻。壁の汚れに陽は滲み、尿の香に大気はぬかるむ。芝居の稽古あはただしく、人々はおのがじしの光を索め、からを閉して石くれの如く重なる。無頼の徒、世の如く、路を開き家を建つる労苦を嗤ふ、知友の多く火葬場にやかる。千魚の如き手に杖をさぐって納骨堂に至れば、石の壁は荒く、母の骨を擁いて嘆く少女がある。



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長島愛生園  明石海人さん




癩の憂鬱


Oは授業中に突然狂い出して狂癩院に送られ、Uはダイビングで心臓麻痺を起し、Mは頸動脈を切りそこねて教師となり、Iは牢獄に肺を蝕まれて死んだ。

━━頁を繰りながらそんな事ばかり憶い出していた私は、同窓生名簿を火鉢の中に投げこんで立上った

国立療養所長島は赤松山の若葉朶に六月の太陽がさんさんと明るい。ふるさとでは今日からはじまる予防週間に、母や妻が、ひそかにおびえていることであろう。







あらしのあと


風は吹きやまないが、長い雨とあらしは過ぎ、さし覗く空が蒼い。おお蒼ぞら! おん身の肉体は希みを教える。日ごとの失意も屈辱もおん身の瞳に投げかけて明日の夢に睡る。この幾日、雲のかさなりをのみ瞶めていた神経は、はちきれる苦汁をおまえの微笑に濯いで新しい感覚によみがえる。叢をころげる蛇の抜け殻さえ何と楽しげではないか。枝の間にひろがる青空。文の聡さと母のいつくしみと恋人の歓びと童の希みとを芽ぶく光のシンホニー━━青ぞら! どんな宝石よりも香料よりも深く爽やかな青ぞら! いかに多くの争いが吐息がそこに浄められることか。人の心に醸されるあらゆる暖いもの美しいもの光あるものの故国、青ぞら。人の世のどん底に喘ぐこの身すら朝ごとに瞬くおん身の瞳に生きる歓びを汲まずにはいられない。壊れゆく肉身、氓び失せた希み、蹂みにじられた願、よるべもない魂の廃業を一瞥に吸いとって。



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長島愛生園  明石海人さん




昨日は二つ

今日は一つ

この頃
うたの出来るのは

先きの短い魂の

この世にのこす
歔欷すすりなき









おもひで


ふるさとの春はひねもす

れんげ田にぬるむ鳥ごゑ


ふるさとのかすむれんげ田

末とほく富士の根となる


ふるさとの山の
南面みなも

新茶つむ乙女らの唄


ふるさとの乙女のどちは

若き日のわれによかりき


ふるさとの春のおもひに

わが心しきりになごむ











今日


今日もむなしく暮れてゆく

昨日もおとといもそうであった

明日もあさってもそうであろう

かくて再び太陽がのぼらない日になっても

空しくすぎさった過去をただくやんでいることであろう

思えば地上の大気を吸いはじめてから

みたされた一日でもがあったであろうか?

遠いものにおもっていた生の終末が

実はまうしろに忍びよっているのを

まんざらしらないわけではないが

明日をたのむこころはそれをふりむこうともしない

かくて「今日」もまた同じ悔をのこしつつむなしく暮れてゆくのである



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ダイコンのバターポン酢



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熱したフライパンにバターをひき、1センチほどに輪切りしたダイコンとニンジンを入れ、極弱火で25分、火を消して余熱5分で蓋をあけ、ポン酢をまわしかけ、強火で1分ほどからめて出来上がり。



ハクサイとカニ缶詰の煮物

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ざく切りしたハクサイを鍋に入れ、砂糖、酒、みりんを入れ、醤油は少し入れ、煮立ったら弱火にしてカニ缶詰(歳暮で貰った)を入れ、5分ほど煮て出来上がり。



出し汁作り

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昆布、干しシイタケ、煮干しは一晩、水に浸しておいた。

中火にかけ、煮立ったら弱火にしてカツオブシを入れ10分煮て、出し殻は全て取り出し、再沸騰させ、アクを取って出来上がり。

  


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長島愛生園  明石海人さん






拾年前

隣人は私の生存を悪んだ

五年前には同胞きょうだい

今は私自身が


のこるは一人の母親だが

涙ながらに生きてよと言ふ









癩はひが


肉身は此の世かぎりのもの

魂だけは暖かい快いところへ行きたいもの・・・

有難い御坊さんの説教である。が

「癩は僻む」

こちとらヽヽヽヽは生身のまんまで

熱いも冷たいもないんだ

ぬくとがったり淋しがったりするものが霊魂なら

霊魂なんか嗤っちまへ・・・と










天秤


たましひがどこかの空に行倒れる

あられもない夜更

解剖室の天秤が揺れてゐる

飛びついてはいけない天秤の針よ

脳髄を量りに来たのではない

私は夢を見に来たのだ


頭蓋骨をひき剥いてしまへば

私の脳髄も

美しい襞を畳んでゐよう

(注)
解剖のし放題
(加賀田一さん「いつの日にか帰らん」より104ページの「解剖のし放題」を下記に抜粋しました)

 また、愛生園では誰の了解もなしに遺体を解剖していました。ハンセン病そのもので死ぬ人はまずいません。併発した病気で亡くなります。主治医としては患部がどのようになって死んだのかをどうしても検証したいわけです。医者としては珍しいほど魅力があるのでしょう。
 変わった状態がたくさんあって、標本にもしています。ハンセン病だけでなく、身体病変を知るためにたいへん勉強になったようです。医師としても知見を増やすためには解剖が一番いいそうです。徳永進先生も「私もずいぶん解剖はしたからな。初めはビクビクして解剖してたけれど、しまいには子供がカエルの解剖をするのと同じで、何も感じなくなる」と言っていました。
 片っ端からやっているので、私は事務の方に「解剖には遺族の同意が必要と聞いてますが、誰かの了解をとっているのですか。法律違反ではないのですか」と質したら、「国費で治療してるからいいんだ」という答えが返ってきました。
 研究材料になることを承知して大学病院等に無料入院する施療室とか施療患者という制度が当時はありました。国立療養所だから国がすべての面倒を見ているということで、この施療患者の扱いだったのかもしれません。死亡者の全員を解剖の対象にしていたようです。まさに治外法権のなかの違法行為でした。


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長島愛生園  明石海人さん



民謡 恵みの鐘



鐘が鳴ります あの長島に


ヤンレ 恵みの鐘が鳴る

鐘は明け六つ ホン二明け六つ明けの鐘

くらい歎きの

長い悩みの夜があける


鐘が鳴ります 光が丘に

ヤンレ 恵みの鐘が鳴る

鐘は暮れ六つ ホン二暮れ六つ暮れの鐘

今日の憩ひに

明日の希みに日は暮れる









小曲 


このごろを遠のく便り

━━母よ


このやうにして父とも訣れた

想ひの隈にくろづむ影よ

身を病むに流離の十年

面影は夢にも淡く


のぼりくる島の頂に

くったくのない鳶のこゑ


今日も空しいのか━━


あこがれは火と燃えながら

うつそ身は灰ともならず

胸の血を喀きつくして

消えも失せない瞬間

はてしない思ひを籠めて

わたしは呼ぶ

(母よ、わが母・・・)


声は歯に消えて

杳き守唄か、すすり泣く

めぐり落ちる海の日よ

うらぶれの希ひよ夢よ

たましひのふるさと

ああ、母よ、母・・・









父母


父は大きく

母は優しく


蜻蛉とんぼ釣りに時を忘れ

夕げに遅れた時

(蜻蛉を食べてゐよ)と、父

くりやの隅に

膳を置く母


わたしが病気になってから、父は

無量寿経を誦でゐた


母、今も、吾が児と二人

ふるさとの家を守ってゐる。











父さんまだ遠いいの

もうぢきだよ

疲れたのかい


道がなくなってしまったよ

草も石も分けて行くのだ。サア

父さんの後からついておいで


やあ、見える見える、きれいな泉が

お天道様に光ってゐる

ほらあんなに高く噴きあげて

おお、とうとう見つかった

私の泉は見つかった


おや、泉が消へてしまったよ

苔はこんなに濡れて居るのに

たしかここにあったのだが・・・

(わたしの泉はもう涸れた)


父さんこれからどうするの

おまえの泉をさがすのだよ

何処にあるのか誰も知らない。が

爾の為に湧いてゐる

新しい泉を探すのだ

爾の力を傾けて

一生かかってさがすのだ




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鯛のアラ汁



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鍋にダイコンとニンジンの千切りを入れ、出し汁と水を入れ、煮立ったら弱火にして15秒湯通しした鯛アラを入れ5分煮て、ざく切りしたハクサイを入れ、生姜1片をすりおろし5分煮て、味噌を溶き入れ2分ほど煮て出来上がり。




ホウレンソウのおひたし

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定番です。




煮豆腐

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賞味期限が近くなった豆腐を早く使おうと思った。

タジン鍋にハクサイのざく切りを入れ、練り製品を入れ、豆腐を四つ割りして入れ、生姜1片をすりおろし、大さじ1と半のニンニク醤油をかけ、煮立ったら極弱火にして15分、火を消して余熱5分で出来上がり。



ハクサイの中華風サラダ

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ハクサイは拍子木切りして塩をふってもみ、2時間ほど置いた。

ボールに大さじ2の醤油、大さじ1の酢とレモン果汁、小さじ1のゴマ油を入れて混ぜ、水気をしぼりながらハクサイを入れ、ゴマをふり、混ぜて出来上がり。




ホットケーキミックスでお焼き
    
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ボールにホットケーキミックス100gを入れ、ニンジンを適量すりおろし、溶き卵1個を入れて混ぜ、水を入れて水分調整をする。

熱したフライパンにバターを引いて流し入れ、蓋をして裏表7分ほどずつ焼いて出来上がり。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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