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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

菊池恵楓園  島田尺草さん(1)



独り入りし朝の山の静けさに我が口ぶえの澄みて徹るも




みまかりし友の遺稿を写し居る夏の浅夜を雨降り出でぬ




遠方に蛍を呼べる児等の声聞きつつ我は床のべにけり




夜となれば燈火見ゆる街の名も今は憶えて親しくは居る




ストーブの焼けほてりしを囲みつつ師と語り居る今朝は嬉しも




ははそはの質屋通ひもなれたりと言ひませし言未だ忘れず




妹逝きて四十九日のいとなみや白粉の花見つつ悲しも




我病幾年ひめて来しものをあらはに言えば寂しかりけり




電灯に
飛蝗ばったとまりてみじろがぬ寒夜の部屋に独り寝てをり




元日と口には言へど沸き立たぬ我の心を侘びしみにけり





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邑久光明園  上丸春生子さん





白バラの群のような雲は

見ているうちに

崩ずれてゆく

煙突の煙は

西から東へ

ゆるやかに流れてゆく

からすが一羽

煙突の煙の反対の方へとんでゆく

蕾のふくらんだ桜に

雀が二三羽止っている

窓は私の詩集である


あかい星がかがやいている

青い星がきらめいている

大きな星の隣に

小さな星がまたたいている

雨の降る穴だろうか

星は皆濡れている様に見える

山の端にあった円い月が

何時の間にか

黄(金)を失って

松の梢にかかっている

窓は私の詩集である










晩秋


島の小高い丘に

およそ千の墓標は

日毎の汐騒をきき

落葉とささやきながら

渡りゆく鳥の群に

自らの心を託していた


ある日

島を訪れた旅人は

こんなことを云った

お前等はしあわせだ

風光明媚な所に立っている

お前等はのん気だ

働かないでもいいから




だが

その旅人は

ほんのちょっぴり

涙を流したほか

代りに立ってもよい

とは言わなかった

墓標は沈黙をつづけていた


墓標は沈みゆく

夕日の果をみつめていたからだ




上丸春生子(上丸たけを)(上丸武夫)さんの略歴
1912年3月17日富山県に生まれる。1940年7月9日、光明園に入所。詩作会会員としてよりも、卯の花俳句会会員としての活動が長い。俳句は戦後に始め、「ホトトギス」「玉藻」などの結社に所属。自治会役員も長期務めた。1983年3月18日死去。


素敵な詩を残されているが、「窓」という詩が特によかった。入所者の選挙で選ばれる自治会役員を長期に務められたようで、信望もあつかったのだろう。俳句は掲載されていなかった。




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サトイモとイカの煮物


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イカは軟骨を取り除き、3~4等分し、15秒茹でる。

鍋に乱切りしたサトイモとシイタケを入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんを入れ、ひたひたに出し汁を入れ、煮立ったら弱火にして15分煮て、イカを入れ、生姜1片をすりおろし、5分煮て出来上がり。

 


カレー

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昨日のポトフは、小さじ2のカレー粉を入れ、カレーにリメイクした。

粉は、カレールーを使った時のような、きれいな色にならなかった。

   


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邑久光明園  上丸春生子さん




春愁


五月の雨がれて

木々の枝先に

草々の葉先に

雨滴が光り

芍薬の花は

燃えるような夕焼けに染り

松の芯はまっすぐに

天を指している

それなのに

私の心の片すみを閉す

重苦しいゆううつ

それはきまって此の季節にやってくる

うすずみ色の

栗毬のようなものだ

それがある時は

重りいく病いと

又ある時は郷愁と結びついて

奈落の底へ私を誘う


そんな時

ぼんやり海岸に佇んでいると

はるかの水平線が

私の眼へとんで来ることがある

今日も昏れいく海岸に

たった今が

過去となっていくことを忘れて

それを堪え受けていた━━










訴え


弟よ

友よ

腹の足しにもならないものを

書きつづけているからと

責めないでくれ

病に呆けて

やっと細く息をしている私は

書くことによって

切つない純粋がみつかるのだ

自我とか 思索とか

それだって私には虹なのだ

近頃の私は

洗面器の水のように

冷たく さびしく

疲れている

それでいて

かりそめの情さえも

炎天の木かげのように

やさしく

心に沁みてくるのだ










花に想う


壮麗な牡丹は崩れて

いつの間にか卯の花は朽ち

紫陽花のまりは雨だれに打たれ

静かに少しのやすむひまもなく

花の季節は移っていく

漂白された日々にでも耐ゆる愛と美は

大きな土壌のふところに抱かれて

生命の尊厳さをほこっている


雑草の中よりのび上がって

花は

懸命に自己の存在を訴えている

そのようないとなみの中に

生きていく俺たちの慕情があるのだ

一冊の書籍による人生の探求は

静かなる思索のひかり

一枚のレコードよりおこる即興幻想曲は

願いのひとときの音律


花粉が流れていく流れていく

永遠の孤独を求めて

自ずからの骸の上を

美しいものへの郷愁は

くめども尽きざる生命の泉

めぐり来る季節への羽搏き

花は花の為に生き

俺たちは俺たちの日々を生きていく




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邑久光明園  上丸春生子さん


五本の線


煤によごれて

赤黒く染った

時計のかかっている柱に

横にひかれた五本の線


それは親しい友と

背丈を計って記した

なつかしい

思い出の線である

一番上の線はMさん

次の線はOさん

三番目の線は私

四番目はKさん

下の線はTさんだ


Mさんより教えられたもの

其れは苦しみのどん底に求めた

真理こそ

最大の幸福であると


Oさんから貰ったもの

それはどんな大きな怒でも

じっと耐えて一時間後に

爆発させても遅くないと


Kさんに学んだもの

それはどんな人にでも

同じ様に

尊敬を払うことだと


Tさんが諭してくれたもの

それは古い諺だ

何時までも

あると思うな親と金


だが私は

どの一つも身につけることが

いまだに出来ない










あれもこれも離れていき

これもあれも離れていく

ペンは手をはなれて

机の上に位置をかえ

手とペンは無限のへだたりを生じる

右手と左手のあいだに

秋の野は横たわり

よそおいた木の葉は力なく

樹の枝を見放す

記憶は雲の浮遊と共に移り去り

凡てのものが

風影の中に離散した









指が欲しい


戦争の始まった年より

曲りはじめた指は

戦争の終った年から

そのよくとしにかけて

秋の木の葉のように

むぞうさに

みなおちてしまった


この手に

指が生える薬が出来たら

どんな薬より先に

その薬を服用しよう

どれほど高価な薬でも

どのような犠牲をはらっても

たのしい代償である


指が生えたら

手にペンを括らなくてもよい

シャツの釦だって

ずぼんの釦だって

自由にかけれるし

食事のときには

箸も持つことが出来る


指がほしい

たとえ一本や二本

多くても少くても

どうだっていいのだ

この手に

指が生える

薬がほしい


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ポトフ



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熱した鍋に大さじ1の油を入れ、ニンニク1片の粗みじん切り、ベーコン1連の細切り、タマネギのスライスの順に炒め、残りの野菜(ジャガイモ、ニンジン、カブ、キクイモ、シイタケ)を入れて炒め、全体に油がまわったら4カップの水を入れ、煮立ったら弱火にしてコンソメ2個を入れ、20分煮て胡椒で味付けして出来上がり。



出し汁作り

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干しシイタケ、煮干し、昆布を入れて一晩、水に浸しておいた。中火にかけ、煮立ったら弱火にしてカツオブシを入れ、10分ほど煮て、出し殻は全て取り出し、再沸騰させ、アクをとって出来上がり。



ヤーコンの甘酢漬け

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ヤーコン500gは皮をむいて1センチ幅にスライスし、切りながら小さじ1の酢を入れた水に浸す(ヤーコンはアクが多いのでアク抜き)。

ザルに上げ、1分茹でて冷水にとり、瓶に入れる。甘酢(出し汁180CC、酢120CC、砂糖50gに生姜1片をすりおろす)を注いで出来上がり。明朝には食べれる。



甘酢漬け3種、そろい踏み   

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左からカブ、ハクサイ、ヤーコンの甘酢漬けで、甘酢はどれも同じで、材料はどれも500gで生姜をすりおろし、ハクサイには小さじ2のゴマ油と小さじ1の醤油を入れている。



ブロッコリー

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茹でてマヨネーズで。
 


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邑久光明園  上丸春生子さん



黄昏

綿屑の様な雲は

あかねにもえて

墨を流した様な

煙突の煙は

だんだん薄くなりながら

西から東へ流れていく


電線に止っていた雀は

泥礫の様に見えながら

とんでいった


屋根のひさし

豆の手との間に

蜘蛛はさかさになって

囲を踏んまえている


しわのかたまりのような海面へ

太陽がめり込んでいった


くらがりのかけらが

とんでいる

蝙蝠コウモリ



だんだん濃くなっていく

やみに包まれた私の

瞼にはっきりと

故郷の山川は生れた














二ひきの黒揚羽が

くつぬぎ石に止っている

風雨にうたれたのだろう

はねが破れている

だが

とびたつ心は押えきれない

みどりの草原を夢見る心も


黒い蝶の黒い羽ばたき

黒い翳を落して

一瞬蝶は

一足の靴になった











めぐり会えるこの日のいのち

かつての冬の曠野

時雨の枯路も消え去り

なごやかな陽光を

たたえて木々は芽ぐみ

呪われた病いも

新らしい薬によって

癒える夢を育て

活き活きとして

希望に満つ

生きていることの嬉しさを

真実悟らしめる春よ


更に

世のすべての病めるものに

あまねく新らしい光と

こよなき倖のあらんことを

私は願う



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多摩全生園  鈴木楽光さん(7)



唇の結べずなりて結ばずにありのまにまに老いてゆくべし




菌出でずなりぬと言はれほのぼのと身に蘇るあたたかきもの




背をまるめ老いたるわれに従へる短き影を父と想ひぬ




癒ゆることただに信じて疑はぬ少年達の澄めるまなざし




はらからの行処も知らぬ古里を恋ひつつ病みて命老いゆく
(註)はらからとは兄弟姉妹




人も木も亡びほろびて形なく土にかへるを安らひとせり




癩病みてこの身に受けし屈辱の癒さるるなく亡びゆくべし




目を開きまた目を閉ぢてわが思ふ雪に埋れゐむ童野仏




ものうげにあした声啼くからすらよことのたやすく俺は死なぬぞ




開眼手術
もやのなか迷へるごとく長かりし吾が目の癒えてすること多し




面かげの残らぬまでに病み崩えし顔を鏡の中にしさらす




鈴木楽光(菊池寅雄・樫木吹夫・鈴木寅雄)さんの略歴
明治38年静岡県生まれ。大正9年15歳で発病。大正13年10月20歳のとき全生病院に入院。昭和7年頃から食糧部、12年主任。はじめ俳句を作ったが短歌に転じ作歌を始め「むさしの短歌会」の創設に参加。昭和4年ごろ「国民文学」に入会し松村英一に師事。同人。予防法闘争を闘う。昭和35年歌会始に入選。昭和49年視力著しく減退、手術によって視力回復するも昭和54年12月25日逝去。『東雲のまぶた』(昭和5年)『木がくれの実』(昭和28年)『陸の中の島』(1956年)『輪唱』(昭和34年)『三つの門』(昭和45年)『冬の光』(昭和56年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)



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ニンジンとキクイモの煮物



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タラのアラは15秒湯通しする。

鍋に乱切りしたニンジンとキクイモとシイタケを入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、ひたひたに出し汁を入れ、煮立ったら弱火にしてタラのアラを入れ、生姜1片をすりおろし、20分煮て出来上がり。





ハクサイの甘酢漬け
   
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ハクサイ500gは横5センチ、縦1センチほどに拍子木切りし、塩をふってもみ、水が出るまで数時間おく。

鍋に甘酢(だし汁180CC、酢120CCに砂糖50gを溶かす)を作り、小さじ2のゴマ油と小さじ1の醤油を入れ、生姜1片をすりおろす。

ハクサイの水気をよくしぼりながら瓶に入れ、甘酢を注ぐと出来上がり。明朝には食べれる。


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多摩全生園  鈴木楽光さん(6)



吾がうちに住める餓鬼ども出でて来む壁に映りて若葉が踊る




わが意志の通はずなりしぶらぶらの右手を抱けば胸に冷たし




監房跡の茂る青芝ふみゆけばわれのみ知る暗き過去あり




萎えし手にひたすら吾の工夫して鉛筆が持てし今日の喜び




萎えし手に鎌を結びて少しずつ苗木植えたる畑の草刈る




庭くれてさだかに見えぬ人ひとりおぼろに動くその影を追ふ




胸熱くなる感動もわれになく壁を背にして過ぎぬ一日




医局まで踏みゆく二百八十歩覚えておかむ今朝数え来し




わが生の亡びたる日は獅子ライの菌もろともに焼かれゆくべし




ここに病みて亡びゆくとも悲しまず父よりも母よりも長く生きたり



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多摩全生園  鈴木楽光さん(5)



妻と吾と二人の中の環境に猫も家族のごとく住みをり




視力日日衰へゆけばただ白き光の中に身はありにけり




手足萎えて命生きゆくわれにまた残る一つの眼も冒されぬ




汗の出ぬ身を苦しみて水にひたる友の現実われに近づく




ただ飯の食へる君らは君らはとさげすまれつつ命生き居り




電灯をともして昼を臥しをれば眠らぬ夜の続きの如し




眼を冒し手足を冒し咽喉冒し吾より笑ふ表情を奪ふ




砂ほこり巻きて空気の乾く夜はほとほと寂し閉ぢぬ唇




やすらぎのなき生活とだしぬけに妻の言ひたる言葉身にしむ




眉落ちしわれを恐れて会はざりし妹も弟もすでに世になし




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ダイコンの柚子漬け



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初霜が降りてから漬けようと思ったが、まだ初霜が来ない。例年なら勤労感謝の日前後が初霜になるが。

ダイコン2キロ(約2本)は3分割し、皮をむき、半割、または四つ割りにして樽に入れる。砂糖400g、塩100g、酢半カップを入れ、ユズ1個の果汁と皮を入れ、混ぜて重石をし、6日間漬けて出来上がり。

明日、水が上がっているか確認し、水が上がっていなければ、もう一度よく混ぜ、重石を重くする。

冬の間に6~7回は作る。なお、砂糖は半分の200gにし、蜂蜜の搾りかすをたくさん入れた。ダイコン漬けに使おうと思って、搾りかすは容器に入れて冷凍庫にたくさん保存している。一つ難点は、甘さが適当かどうか搾りかすを使うとわからない。



サツマイモの煮物

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無水鍋に大さじ3の水を入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、ユズ1個の果汁と細切りした皮を入れ、よく煮立ったら極弱火にして25分、火を消して余熱5分で出来上がり。

大さじ1余りの醤油が入っているが、おかずにはあまりならず、おやつ。




ダイコンとニンジンの煮物

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乱切りしたダイコンとニンジンとシイタケを鍋に入れ、出し汁を入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったら極弱火にして30分煮て、生姜1片をすりおろし、同量の水で溶いた片栗粉を入れ、さらに5分ほど煮てとろみがついたら出来上がり。




カブの甘酢漬け
  
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カブ500g(4~6個)は皮をむいて半月切り、またはイチョウ切りしてボールに入れ、塩をふってもみ3時間以上置く。水が出てしんなりしたら水気をしぼりながら瓶に入れる。甘酢(だし汁180CC、酢120CCに砂糖50gを溶かし、生姜1片をすりおろして混ぜる)を瓶に注いで出来上がり。明朝には食べれる。
   



生姜焼き

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生姜焼き用の豚肉は4つに小分けし、その1つを15秒湯通しした。

お椀に生姜1片をすりおろし、醤油を入れ、生姜醤油を作る。

熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の粗みじん切り、豚肉、タマネギの順に炒め生姜醤油で味付けして出来上がり。


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多摩全生園  鈴木楽光さん(4)



癒ゆる日は遂にあらずとも命まもりわれは親しむこの小詩形




少年の日に別れたる弟が子供をつれて今目のまへに




冒されし顔をつつみて故郷を出でて来し日の忘らえなくに




日のひかり及ぶことなき一隅に置き並べたり臓器の標本




外よりのひかり呼ぶがに肥大して瓶に沈める空洞の肺




樫の木の落ち葉掃きつつ思ひ居りわが一生もここに終らむ




山岡君が移り来て住むこの家に数吉ありし日を思ふなり




患者にて運営をなす新しき制度のなかに病養ふ




吾が耳に乱れ入りくるいくつかの声ありわれをののしれる声




石路をつたひて友が帰りゆく杖に結びし鈴が鳴るなり




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多摩全生園  鈴木楽光さん(3)



暮れ方を必ず軒に来て啼ける雀が親し人のごとくに




昼間より敷きつづけある床に入り犬の如くに身をまるめ寝る




幾たびか眼ぬぐへど黒き星あしたもの書く紙の上にとぶ




相共に住みし友等の幾人かすでに盲ひて不自由舎にあり




(松村英一先生 ラヂオのあらねば友の家に行きて放送をきく)
とこやみの空を伝ひて来るみ声まさしく師なり心おどりぬ




つくづくと変りはてたり現身の
すね
毛のあらぬこれがわが足




目ををかし咽喉もやがてをかされむ声音の
れてゆくに思ひぬ




あかつきの夢に入り来て弟のものいふ声に驚きて覚む




配給のとぼしき米を持ちよりて祭の夜は白き飯炊く




月の夜を更けて阿部君の帰りゆく舗道に響くその杖の音




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初物 ブロッコーリー



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ブロッコリーの花房は小分けし、茎は薄切りする。沸騰した湯に茎を入れて30秒、その後花房を入れて1分茹で、湯切りして、マヨネーズで。



お好み焼き
  
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豚肉100gは火を止めて15秒湯通しする。ボールに太めに千切りしたキャベツ200gを入れ、薄力粉100gを入れ、溶き卵1個を入れ、水を150CC入れて混ぜ、豚肉を入れ、再度混ぜる。

熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、具材を入れ、極弱火で裏表5分ほどずつ焼いて出来上がり。ウスターソースで。



コンニャク炒め

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コンニャクを手でちぎって乾煎りし、ニンニク醤油で味付けし、七味をふって出来上がり。


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多摩全生園  鈴木楽光さん(2)



葉を閉づる合歓ねむの下陰手をとりて汝と行くとき鳥啼きてたつ




顔に出でし病のことも悲しまず帽子を脱ぎて会ふ君の前




生れたる処も君の名も知らず呼びならされて過ぎしかりの名




われよりも幾つか齢若かりし
伊藤繁も逝きて年経ぬ




帰り来し吾にもの言ふごとく鳴き産み月近き猫が人恋ふ




満州にふたたびいゆく弟の上を思ひて一夜眠らず




恐ろしき夢より覚めし暗がりにぼんぼん時計鳴り出でにけり




楽しげに近所の子等の遊ぶ声かくれて暮らす納屋に聞え来




癩病にわがなりてより久しきに家の
生計たつきのいたく貧しき




眉の毛の日毎うすくなりゆくを吾より母の嘆き給ひし




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多摩全生園  鈴木楽光さん(1)



ころころと湯の煮え沸ぎる音にさへ吾の心の遊ぶとすらし




顔に出し病ひかなしも醜かる姿となりて世に生くる我は




再びを生れ来ることなき世なれ命は生きてながくありたし




押入にあるひは納屋に幾年か隠れて過ぐる身をかなしみき(回想)




眉の毛の生えたることの嬉しくて故郷へ帰りし夢さめにけり(夢)




諸諸のかなしき念ひ湧く夜にて灯に来る虫をあへて殺さず




病秘めてひそかに籠りありし日も松の花粉は庭に散りゐき




誉められしことは忘れて叱られし日の父思ふあはれと云はむ




食みこぼしし飯を拾ふと膝さぐる爪なくなりし円きわが指




知覚なき足を歎かひしたたれる血潮拭へり今朝も畳の




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サンマ



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ダイコンおろし

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シュンギクの卵とじ


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鍋にメンツユ70CCとだし汁140CCを入れ、砂糖とみりんを少し入れ、煮立ったらざく切りしたシュンギクを入れ、シュンギクがしんなりしたら溶き卵2個を入れ、弱火で4~5分煮て出来上がり。

  


キャベツの酢醤油
    
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ざく切りしたキャベツを沸騰した湯に入れ、2分ほど茹でて冷水にとり、水気をしぼりながらボールに入れる。お椀に大さじ2の醤油、大さじ1の酢、大さじ1のレモン果汁、蜂蜜を入れて混ぜ、キャベツにかけて混ぜると出来上がり。


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邑久光明園  中村七鶯さん



スプーンの中から


銀のスプーンの中には

醜い影が宿っている

私は思わず

誰だ! と叫ぶ

すると その顔は

少し醜くゆがんだように見えたが

まるで世を呪う悪魔のように嘲笑うのだ


とても大切に思っていた

銀のスプーンの中に

悪魔が宿っている

と思った私は

憤りのあまり

庭先を目がけて投げつけた

わたしはスプーンがチンチンと音をたてて

悪魔が現れ出るような気がしたが

スプーンは静かな朝の太陽の光をうけてただ

輝やいただけだった

食膳の前に

人形のように私だけが取残されていた



中村七鶯さんの略歴
1921年11月22日石川県に生まれる。1939年8月21日光明園に入所。短歌・俳句もつくったが詩にいちばん力を入れていた。盲人会会長を長く務める。2002年3月20日死去。



中村七鶯さんの詩はどれもわかりやすく、胸に迫って来た。特に「盲」という詩がよかった。他にもたくさん詩を書かれていると思うが、これだけしか載っていない。著作の紹介もない。同じ長島にある愛生園に行けば書庫が充実しているので、中村七鶯さんの他の作品を読んでみたい。



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邑久光明園  中村七鶯さん


点字

指先が痺れているので

唇で点字を習う

子供達が数える

星の歌のように

不確かな唇で

私は点字を追う

私の習う点字の一字一字は

闇を彩り

星座となり

ついに私を方向づけるのだ


星の物語を聞いた子供らが

夕食後の一時 庭を賑わすように

口笛におくられながら

遠い 遠い 処へ

今日も私は点字を習いにゆく










正しいゆきかたと云えば

生意気だと言われ

平和な生活をと思えば

黙っていなければならない

考えが違っていても

正しいと思っている人に

それでついてゆかねばならない

そう言いながら

盲は死んで行った

私は今その言葉を

想い起し

底をかすめる

花の
かげを感じながら

窓辺に佇んでいる









平和の鐘よ響け


灰色の世界に

赤いランプの燃えたのは

それは

ロシア革命だった

暗黒の世界に

青いランプの燃えたのは

それは

宗教革命だった

そのいずれに誰が救われたか

死の灰が

人間のいなくなった地球の周囲を何廻転もする

眼に見えない炎が何万年も燃え続ける


そんなことがあり得ないと

誰が断言出来るか

いき苦しい世の中に

悲惨な日の来る時計の針が廻っている

平和の鐘よ やがてこの地上に

お前の響を聞くことが出来なくなるかもしれない

平和の鐘よひびけ

世界の耳の遠い人達に聞えるように響くのだ 



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邑久光明園  中村七鶯さん


夕虹

一しきり夕立が降ったあと

暮れいく空には夢の様な虹が残っている

いまあなたは眼球の痛みにきっと

耐えかねているであろうか

あなたを囲む人々の口からは

どんな慰さめの言葉や祈り
があっても

いまのあなたには

その痛みはどうすることも出来ないかも知れない

暗いくらいかなしみのどん底の世界

黒一色にぬりつぶされた色彩のない世界

そこでなんの術もなく

しんぎんしているかも知れないが

そこからまたあたらしいあなたの道を

きり開いていかねば

私は一人しずかにここからはげましている

そんな祈りのうちに

夕虹はもう私の眼前で美しく

淡く消えそうになりながら

なおも七色に最後の名残をとゞめている








垣根の向うから


闇夜に垣根の向うから匂ってくるのは

薔薇の花だった


その香の色あいはうつくしいのだ

闇の中を透していつか

甘酸っぱく人間の匂いのように思われる


私はその匂いに眩惑されて

美しい青春の去っていくのをつよく意識した




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タジン鍋



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時間がなかったので、タジン鍋にした。

ざく切りしたハクサイを下敷きにして、スライスした赤カブ、ニンジン、キクイモ、シイタケを置き、練り製品1枚、カニ風味カマボコ2個、ニンニク醤油のニンニク4個をスライスして置き、大さじ2のニンニク醤油で味付けし、煮立ったら極弱火にして20分、火を消して余熱5分で出来上がり。




目玉焼き


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邑久光明園  中村七鶯さん



瞼の郷土


とおり魔のように霰が

駆けて行ったし

雪に雪降る音が

夜もすがら聞えていたようでもある

下駄で踏む雪がキクキクキクキクなる

何時までも踏みしめていると

雪女郎に驚いたことや

吠える吹雪の中を

学校へ通った日の想い出が

それからそれへと浮んでくる

何時までも追憶の糸をたぐっていると

今迄しのんできたこころは

おとを立てて崩れそうになる

永久に帰れることもない

故郷へあこがれを抱いて

何時までも雪を踏みしめていよう








夢淡き日


気違いのように

一日降りしきった雪が

一日のうちに

溶けてしまった


それは

この別世界に

送られることになった時

凡ての夢が

消え去った時のように━━










放心したとき


郭公

カッコウ
よ俺を呼んでくれるな

俺は起きたくはないのだ

なんにも見えない俺だから

何時迄もこうして寝ていたいのだ

カナリヤよ俺を慰めるために

お前は歌を唄っているのか

俺は聞きたくもない

そして唱いたくもないのだ

ただ静かに

何時迄もこうして座っていたいのだ

俺の側に来て座して居る
フクロウ

お前と話をすることは真平御免だ

だから俺は知らないふりをする

俺はその人の声色から

さがを知ることさえも出来るのに

人生の断崖を見つめて

放心した時の俺自身のことだけは

なんにもわからなくなるのだ

だから何時迄もこうして座って

居たいのだ

このまま静かに寝ていたいのだ

誰れも訪れない静かな処で

たった一人でもう何んにも

考えたくないのだ



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邑久光明園  中村七鶯さん



盆踊り


癩者は白鳥になる夢をもっている

栗の
いがは手に触れがたいが

一皮はげば中から薄桃色の

美しい実がころげ出る

癩者の盆踊りを誰かが鬼が踊っていると

云った

外面すごく醜悪に見える病者にも

内面に美しい夢があり希望をもって生きている

苦しみも悲しみも打忘れ踊っている様は

灯を求めて飛び交う鳥に似ている

癩者は白鳥になる夢をもっている

踊っている鬼ではなく

あこがれに湖上を狂わんばかり

踊っている様だ











ランプの灯


盲になった私にも

色々な思い出があるのだから

夜になったら もう一度ランプの灯を

つけておくれよ

それは慾ばりでしょうか

ランプの灯には

妹が生れたよろこびの日の思い出がある

ランプの灯には

母を亡くした日の悲しい記憶がある

ランプの灯には

楽しく学校に通った少年の日の希望が残っている

私を慰さめて呉れるランプが

いつも郷愁の中にともっている

思い出がふかいランプの灯を

盲の私にもつけておくれよ










雨に陽に



春になって足の傷が治ったら

小鳥を飼うのだと云い

夏になって足の傷が治ったら

盆踊りに出るんだと云った


いつになったら

友の足がよくなるのだろうか


掛けてある松葉杖が

木枯に

かたことと

焦燥しているかの様になっていた



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サトイモの煮物

IMG_0683_201611231756057b0.jpg IMG_0689.jpg IMG_0697_20161123175538bff.jpg

鍋に乱切りしたサトイモとシイタケを入れ、出し汁を入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら弱火にして20分煮て出来上がり。



タラのアラ汁

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IMG_0699_20161123175539b52.jpg

鍋に千切りしたニンジンとダイコンとキクイモを入れ、水から煮て、煮立ったら弱火にして5分煮て、15秒湯通ししたタラのアラを入れ5分煮て、味噌を溶き入れ、小口切りしたネギを入れ、さらに4分ほど煮て出来上がり。


  

ハクサイとツナ缶の煮物
   
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ざく切りしたハクサイの白い部分を入れて3~4分、白い部分がしんなりしたら青い部分を入れて3分ほど煮て、油を切ったツナ缶を入れ、醤油と蜂蜜を入れ、3~4分煮て出来上がり。「白菜あったら絶対コレ♪簡単うま煮☆」を参考にした。


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長島愛生園  大村堯さん(4)



関節の傷癒えしかど吾が指は再び直に延びずなりたり




知覚なき手となりはてぬ知らぬまに小指に深き傷負ひて居し




幾日を熱もちうづく傷故に小指は医師に乞ひて落しぬ




便さへなき
病友とも多き身に比して和みゆくべく吾が幾日なる




新しく茶をいれしめて綴りつつ
言葉ことそへがたき虚しさに居り




新薬プロミンに開く未来を命賭けて逝きにし友よかなしかりけり




病み重ね孤独無量の海鳴りに灯りあかあかと点して眠る




一日づつ澄みゆきしがありありと残る視力も乏しき妻よ




年老いし夫を残して天翔ける孤独のみ霊は帰郷の旅か




大村堯(牧原白路・牧原徹・島崎徹)さんの略歴
大正5年沖縄県平安座島の生まれ。父は那覇の中心地・若狭町で法律事務所を開業。そこから首里一中に通う。昭和10年代初め福岡県「生の松原」にあった深敬病院分院に入院。当時の院長は早田晧。分院の閉鎖に伴って長島愛生園に移る。このとき早田も愛生園の医官となる。戦前は青年団のリーダーとして活躍。昭和12年から「愛生」に短歌を投稿。その頃は牧原白路・牧原徹・島崎徹などを名のる。昭和25年「水甕」入会。予防法闘争時は社会党長島愛生園支部長、全患協事務局長を務める。58年からは作歌を再開し大村堯名で発表。「水甕」所属。昭和61年1月9日逝去。『青磁』(昭和26年)『清き空白』(昭和61年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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長島愛生園  大村堯さん(3)



「死にたくない」と言ふ告白を君も残し癩病む一生を亡びてゆけり




酒あらくみすさみ行く若さあり吾が過去として今思ふかも




患者道徳といふものがあり死の母にその夜逃亡の友をかばひて




何故生むんだと自虐は母に言ひすてて悔いつつ不運の夜の闇に哭く




癩診断を今は疑ふ余地もなし顔の浮腫の日に日に重く




降り続く霧雨今日も降りやまず鐘哀哀と島は暮れ行く




吾も亦指を落せり癩病いたつき運命と言はば母よ嘆かん



(発病当時)
あらがひて酒に荒さびし明暮も母は涙に許し給ひき



(明石海人)
見舞行きし人の思はぬ衰弱にもの言ひかけてしばし見守る




たへがたき疲れなるらし痰切れし暫しの間も君はまどろむ



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芋飯



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3合の水加減にして50CCの水を捨て、酒を50CC入れ、塩を少し入れて混ぜ、乱切りしたサツマイモを置き(混ぜない)、炊飯器をセットする。炊き上がったらさっくり混ぜて出来上がり。

炊き込みご飯より、かなり簡単。





ダイコンのバターポン酢

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熱した無水鍋にバターを入れ、1センチほどに切ったダイコンを置き、スライスしたシイタケを置き、極弱火で30分、火を消して余熱5分で蓋を開け、ポン酢をまわしかけて出来上がり。




野菜炒め
  
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豚肉100gは15秒湯通しする。熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の粗みじん切り、豚肉、タマネギのスライスの順に炒め、最後にキャベツの細切りを入れ、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。


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長島愛生園  大村堯さん(2)



更くる夜のものみな暗し海鳴りのありのままなる孤島と思へ




意識の中にあきらかに覚めて君もあらむ喉切り三年と言ふその言葉




若き等は若きをみて苦しめり自虐は明日を持たず危ふく




父ありき母ありき癩の身の限りなき記憶を呼びて悔恨来る




病む日日の吾が貧しさにあふれ来て風にきこゆる労働歌あり




新薬プロミンに開く未来も命過ぎて逝きし友等も我等も哀し




現実は厳粛なりき今君は呼吸閉塞の数分に喉開かしむ




一家心中の新聞記事あり癩病みて切迫つまりし過去吾れも持つ




死体硬直の来し君が手は故里に君待つ母のために組みやる




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長島愛生園  大村堯さん(1)



「感動的な短歌」と「記憶に残る短歌」は、何か、違うような気がする。

大村堯さんの短歌は、時として、頭に浮かんで来る。特に次の5つ。



この人を知りこの人に学びて癩院におそれなく孤独の命生きゆく




生きゆくは所詮孤りに耐ふるものたとへば死期の迫る日日にも




医師の論理と病勢の自覚と一致するこの直線上に展きて燃えよ




とりすがる術もなかりき受験期のわが朝を打砕く癩の宣告




母の涙を酒場の酒にのがれ来てグラスにひさぐ嘘だらけの秋




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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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