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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  松崎水星さん(3)



づけづけと看護婦に小言言はるるとき平たくなりて吾は臥しをり




ネブタ祭の録音ききて故郷に吾が踊る夢再び見たり




臥す吾に起ちて歩めと山中神父はパウロの書翰読み終へて云ふ




いざり吾れ洗面器にパンツ洗ひをりかかる仕業は見られたくなし




清野勇君
しまひおきし皺のなき札を献金に包みて友はミサに出でゆく




病む吾に聞かせむと友は鶯をさげて来にけり元旦の朝




躄吾れ地車に乗りて曳かれゆく風荒ければ頬かぶりして






真日照らふ山の上にをればおのづから盲ひの吾の心開くる




枕辺に小包解きてもらひたれば広辞苑のインク著しく匂ふ




亡き父の声にも似たり録音に収めし吾と吾が声きけば




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栗生楽泉園  松崎水星さん(2)



高原の冬ながければ夏の間に支給さるる炭は貯へ置くべし




紅のばら匂ふ鉢ひきよせて吾は聞きをり点字歌集朗読




金沢貫一君を悼む
みづからの骨壺包むと白布を君は行李にしまひてありき




ひぐらし
の声かと思ふこの夕べ熱たかまるか耳鳴やまず




目あき二人盲ひ五人がひっそりと吾が枕辺に歌つくりをり




台風の進路あやぶみ鉢の菊部屋に置き並べ床せまく寝る




リラ植ゑて垣根に仕立てむ計画も病み臥す吾のただ思ふのみ




次次にみかまりし友の形見着て吾は寂しく生き残り居り




居住権を護らむために常会に背負はれて来ぬ吹雪の中を




久びさに廻診に来し園長がまだ両足はあるかと聞きぬ




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栗生楽泉園  松崎水星さん(1)



ゐざりわれ山羊の如くに腹這ひて紙くはへゆく夜のかわや




この朝友が切り呉れし芍薬を手に取れば膝に雫落ちたり




出窓より桃の花匂ふいちじるし今朝は臥床の位置かへたれば




癩予防法改正闘争
厚生省に友等坐りこみし朝より食断ちて我は三日を経たり




雨の中園長は薬もて巡回すああ患者ストすでに十日間




子等のため日日働きてあはれ君は今また残る片脚を断たる




萎えし手にまさかりの柄をくくりつけて友は薪割る汗流しつつ




本館の焼跡片付けて帰り来し友は癩文献の焼けしを惜む




膿盤に血の垂るる音聞きながら吾が足の骨削られてをり




看護婦の声あらき日はきず臭き足をば吾はそっと前に出す




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長島愛生園  壱岐 耕さん(4)



耳のうしろに麻痺せぬところ少しあり汗つたふ時かすかに感ず




病むわれの茶も嫌はずに飲みゆきし人夫らはまた穴堀りはじむ




プロミン治療以後の稀なる再発と医師らきてとるわが血を肉腫を




残し来し子を歎きいふ友見れば病みて子のなきもわが倖か




年年の成る実にわれらうるほへどこの果樹園を拓きし君いまは亡し




熟すれば自ら落つるポポーの実木下こしたにけさは草敷きておく



壱岐耕(耕人)さんの略歴
明治45年愛知県生まれ。昭和7年明石の楽生病院閉鎖で明石海人らと長島愛生園入園。はじめ健康に恵まれ海人の世話や購買部の責任者など幅広く活動。また、花作りに力をそそぎ園内の花壇の美化につとめた。昭和14年2月から「水甕」に作品発表。昭和29年「水甕」同人。その後「アララギ」に移る。昭和32年2月6日急逝。享年44。『楓陰集』(昭和12年)『青磁』(昭和26年)『小島に生きる』(昭和27年)『あらくさ』(昭和30年)『陸の中の島』(1956年)『あかつち』( 昭和31年)『黒薔薇』(昭和32年)『三つの門』(昭和45年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)



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ニンニクライス



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熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、ニンニク4片の粗みじん切り、ハムの角切り、タマネギのスライスの順に炒め、ニンニク醤油で味付けして火を止め、最後にご飯を入れ、ほぐしながら点火し、具材がご飯になじんだら出来上がり。皿にとり山ウド(シシウド)のみじん切りをふった。



春キャベツのサラダ

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春キャベツは手でちぎって洗い、水切りして皿にとる。山ウドのみじん切りとコーン缶をふって出来上がり。ポン酢で。



ニンジンとシイタケの煮物

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乱切りしたニンジンとスライスしたシイタケを無水鍋に入れ、大さじ3の出し汁を入れ、醤油、蜂の巣(蜂蜜)、酒、みりんで味付けし、強火で蜂の巣が溶けたら混ぜ、極弱火にして25分、火を消して余熱5分で出来上がり。




コンニャク炒め

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先日もらった手作りコンニャクがもう1個残っていたので、先日と同じ使い方をした。

熱したフライパンにコンニャクを手でちぎりながら入れ、3~4分、油を入れずに炒め、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。皿にとり七味をふった。



ポン酢作り
   
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醤油70CC+酢50CC+みりん30CC+レモン果汁25CC+出し汁25CC=200CCのポン酢の出来上がり。

出し汁がなければレモン果汁を50CCでもよい。簡単で市販のポン酢よりおいしい。


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長島愛生園  壱岐 耕さん(3)




病みふして着る事もなき仕事着の壁にかかるを見つつ淋しも




真夜なれど村人たちに会はずやと罪人のごと忍びかへりぬ




花咲ける八ツ手を見れば心痛し年迫る日を母は逝きにき




わが病悲しむ父より戦争は更に二人の弟奪ひき




嫁ぎゆきすでに二人の母となるわれの記憶に幼き妹




呼吸管にからまる痰はにくみつつ君が臨終の言きかむとす




咽喉切り開ければあと三年の生命とふことば身にしみのどは守るも




宵宵に体拭きくれし妻が病みてよりわれのあせもはにはかに増えぬ




鼻の上の傷のかさぶた眼に見えてただにうるさし煙草すふ間も




妻にさへ時に媚びつつものを言ふかかる卑屈も弱くなりてより



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長島愛生園  壱岐 耕さん(2)



人生とはああこの一語よ崩れゆく肉体もちて何と解くべき




貰ふことをのみただに喜び合ふ中に或る限界をもちて和しをり




かつて誰とも争ひしことなきわが性を少し物足りなく妻は思ふらし




単純な寓話ぐらゐでいやされる悩みでもなし眼を深く閉づ




インクの栓口もて開けるわがさまを見つめてをりし妻が目にあふ




半濁音にわれは苦しみものをいふ今朝の寒さに唇硬ばりて




断れし指ふたたび生えるはずもなく全治といふも悲しき病ひ




傷いえしプロミン治療の例として裸のからだ人に見らるる




世の中に隔てられたる癩院になほ囲ひして監禁室あり




唇に今日火傷して気のつけば何時かここにも麻痺及びゐる



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冷凍うどん



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5食入り200円の冷凍うどんは2食を4分茹でてザルに上げ湯切りする。

鍋にメンツユを入れ水で薄め、ニンジンの薄切りを入れ、煮立ったら弱火にして2~3分煮てニンジンおろしも入れ、うどんを入れて出来上がり。



ジャガイモのポタージュ

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熱した無水鍋に薄切りしたジャガイモを入れ、大さじ3の水を入れ、極弱火にして25分、火を消して余熱5分で蓋を開け、つぶす。

鍋に牛乳を入れ、煮立ってきたらつぶしたジャガイモを少し入れ、コーン缶も少し入れ、胡椒で味付けして出来上がり。



ナバナのおひたし

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夕飯のとりかかりが遅くなり、ちょっとばたばたしたら、ワンパターンのメニューになった。昨日のサトイモの煮物も残っていたので、これで十分だった。


5ヶ所の待受け箱に一輪挿しを4ヶ所、鉢は1ヶ所にキンリョウヘンを置いた。待受け箱は全部で16箱置いている。今日はすでに1つの待受け箱に探索蜂がしばしば来ていた。

今まで世話になった人や友人、知人に声かけして(こういうチャンスはそんなにあるものでないから)、待受け箱を5人の方が持って来られた。入ったら当日の夜7時(働き蜂が全て巣箱に戻ってくる時間帯)に取りに来てもらう。


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長島愛生園  壱岐 耕さん(1)



たまきはる命のきはも会ひがてぬかたゐの兄を汝は持ちにし




臥りゐる慰めに聞けとわが友は鶯の籠かしてくれにけり




このままに二十日を病めば盲ふてふ眼の痛みはや七日つづきぬ




このごろのわが癖となりて起きぬけに紫陽花に向ひ視力をためす




入園の人あるらしもこの夜更けぽんぽん船の近づく音す




一月中旬許されて家に帰る。五年ぶりなり。
終列車の時をはかりてたらちねは迎へたまひぬ道のなかばまで




療院のならひ悲しも夫逝けば住みなれしいえも移されにけり




つぎつぎに起れる家の不幸みなわれのやまひにもとするごとし




今年こそ休詠やすむことなく励まむと思ひしことも病めばむなしき




心してつねにありつつ知らぬ間の火傷はかなし痺れたる手に




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多摩全生園  鈴木楽光さん(7)



唇の結べずなりて結ばずにありのまにまに老いてゆくべし




菌出でずなりぬと言はれほのぼのと身に蘇るあたたかきもの




背をまるめ老いたるわれに従へる短き影を父と想ひぬ




癒ゆることただに信じて疑はぬ少年達の澄めるまなざし




はらからの行処も知らぬ古里を恋ひつつ病みて命老いゆく




人も木も亡びほろびて形なく土にかへるを安らひとせり




癩病みてこの身に受けし屈辱の癒さるるなく亡びゆくべし




目を開きまた目を閉ぢてわが思ふ雪に埋れゐむ童野仏




ものうげにあした声啼くからすらよことのたやすく俺は死なぬぞ




開眼手術
もやのなか迷へるごとく長かりし吾が目の癒えてすること多し




面かげの残らぬまでに病み崩えし顔を鏡の中にしさらす




鈴木楽光(菊池寅雄・樫木吹夫・鈴木寅雄)さんの略歴
明治38年静岡県生まれ。大正9年15歳で発病。大正13年10月20歳のとき全生病院に入院。昭和7年頃から食糧部、12年主任。はじめ俳句を作ったが短歌に転じ作歌を始め「むさしの短歌会」の創設に参加。昭和4年ごろ「国民文学」に入会し松村英一に師事。同人。予防法闘争を闘う。昭和35年歌会始に入選。昭和49年視力著しく減退、手術によって視力回復するも昭和54年12月25日逝去。『東雲のまぶた』(昭和5年)『木がくれの実』(昭和28年)『陸の中の島』(1956年)『輪唱』(昭和34年)『三つの門』(昭和45年)『冬の光』(昭和56年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)




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初物 春キャベツ



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初物の春キャベツは手でちぎって洗い、ザルで水切りし、皿にのせる。山ウドのみじん切りとコーン缶をふって出来上がり。ポン酢で。



サトイモと鯛アラの煮物

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鯛アラはレンジで半解凍し、水洗いし、15秒湯通し(火は止めて)する。

無水鍋に乱切りしたサトイモとシイタケを入れ、大さじ3の出し汁を入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、強火で蜂蜜(蜂の巣)が溶けたら混ぜ、極弱火にして鯛アラを置き25分、火を消して余熱5分(もしくはそのまま放置)で出来上がり。

鯛アラは汁に浸っていなくても全く問題ない。逆にこういう煮方の方がおいしいような気がする。



コンニャク炒め

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今日、待受け箱を置きに来た人から、コンニャク芋から作った手作りのコンニャクをもらった。

水洗いし、手でちぎってフライパンに入れ、油は使わずに3~4分炒り、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。皿にとり七味をふった。



ワケギの酢味噌

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小魚は15秒湯通しする。ワケギはざく切りし、2~3分茹でて冷水にとり、水気をしぼりながらボールに入れる。お椀に、酢とレモン果汁を大さじ1、味噌、みりん、酒、蜂蜜で味付けして混ぜ、小魚を5分ほど浸す。ボールに入れワケギと和えて出来上がり。



キンリョウヘンの一輪挿し

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半分咲いたキンリョウヘンの一茎を切り、リポビタンDの瓶に水を入れて一輪挿しにして、待受け箱のそばに置いた。10日間ほどもつ。

一鉢に5~7本の花茎が出れば2本は残し、残りは逐次切りとって待受け箱のそばに置く。一輪挿しで十分効果があるし、花茎が多ければ株の負担を少なくするために、早めに切りとって活用した方がいい。

ミカンネット(もしくはタマネギネット)で花を覆うのは、探索蜂によって受粉すると効果がなくなるため。
   


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多摩全生園  鈴木楽光さん(6)


吾がうちに住める餓鬼ども出でて来む壁に映りて若葉が踊る




わが意志の通はずなりしぶらぶらの右手を抱けば胸に冷たし




監房跡の茂る青芝ふみゆけばわれのみ知る暗き過去あり




萎えし手にひたすら吾の工夫して鉛筆が持てし今日の喜び




萎えし手に鎌を結びて少しずつ苗木植えたる畑の草刈る




庭くれてさだかに見えぬ人ひとりおぼろに動くその影を追ふ




胸熱くなる感動もわれになく壁を背にして過ぎぬ一日




医局まで踏みゆく二百八十歩覚えておかむ今朝数え来し




わが生の亡びたる日は獅子ライの菌もろともに焼かれゆくべし




ここに病みて亡びゆくとも悲しまず父よりも母よりも長く生きたり



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多摩全生園  鈴木楽光さん(5)



妻と吾と二人の中の環境に猫も家族のごとく住みをり




視力日日衰へゆけばただ白き光の中に身はありにけり




手足萎えて命生きゆくわれにまた残る一つの眼も冒されぬ




汗の出ぬ身を苦しみて水にひたる友の現実われに近づく




ただ飯の食へる君らは君らはとさげすまれつつ命生き居り




電灯をともして昼を臥しをれば眠らぬ夜の続きの如し




眼を冒し手足を冒し咽喉冒し吾より笑ふ表情を奪ふ




砂ほこり巻きて空気の乾く夜はほとほと寂し閉ぢぬ唇




やすらぎのなき生活とだしぬけに妻の言ひたる言葉身にしむ




眉落ちしわれを恐れて会はざりし妹も弟もすでに世になし



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多摩全生園  鈴木楽光さん(4)



癒ゆる日は遂にあらずとも命まもりわれは親しむこの小詩形




少年の日に別れたる弟が子供をつれて今目のまへに




冒されし顔をつつみて故郷を出でて来し日の忘らえなくに




日のひかり及ぶことなき一隅に置き並べたり臓器の標本




外よりのひかり呼ぶがに肥大して瓶に沈める空洞の肺




樫の木の落ち葉掃きつつ思ひ居りわが一生もここに終らむ




山岡君が移り来て住むこの家に数吉ありし日を思ふなり




患者にて運営をなす新しき制度のなかに病養ふ




吾が耳に乱れ入りくるいくつかの声ありわれをののしれる声




石路をつたひて友が帰りゆく杖に結びし鈴が鳴るなり




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リメイクしてカレー



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昨日のポトフはルーを1個入れてカレーにした。



ナバナのおひたし
  
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定番です。



分蜂の予知

今日、最下段の開閉扉を開けて巣箱内の掃除と、定期見回りをしていたら、4群で「雄蜂の巣房の蓋」を見つけた。巣門の前にこれが出るようになると分蜂が近い。しかし他の2群はミツバチの幼虫の死骸の持ち出しが1週間以上続き、ちょっと心配である。


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キンリョウヘンの開花



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日本蜜蜂を呼ぶフェロモンを出すキンリョウヘンの花が昨日1輪咲いたと思ったら、今日は6~7輪開いた。まだ1鉢だけだが、残りの6鉢も順次花が咲くだろう。もう少し花数が多くなってから4月1日頃、「待受け箱」のそばに置く予定である。分蜂は多分4月6~8日頃から。

4月1日を開花目標にしていたから、今年は順調である。鉢花なので、水やり忘れなどは致命的となる。手はそれほどかけていないが目は365日かけてきた。

キンリョウヘンの1年のサイクルは、
分蜂が終る頃の5月中旬には花はぜんぶ切り、必要なら一輪挿しにする。鉢の中で株が混み合っていれば、この時点で株分けをする。

花を取り除いたら、ここからまた新たな1年がスタートする。鉢に菜種かすの置き肥えを4~5個置き(1ヶ月に1度交換)、週に1回はハイポネックス等の液肥をかける。2~3日に1回は水やりを忘れないようにする。

置き場所は昼間に2時間ほど日のあたる半日陰に置く。

梅雨の雨にはあててよいが、何日も降り続くようなら屋内に入れる。

置き肥えも液肥も9月末日頃までで、10月に入ったら肥料はやらない。

11月の初霜の前(その頃にはすでに花芽が出て来る)に家の軒下に置き場所を変える。

パオパオを二重掛けし、その上からポリをかぶせ、西日があたるようなら黒い寒冷紗をかけ、高温すぎないように昼間はポリを開閉する。

寒くなったら夜間は古毛布をかぶせ、その上から菰をかぶせている。寒くても1週間に1度の水やり(ぬるま湯)は忘れないようにする。

夜間の温度が5~7度を下回るようになったら、夜間だけ電熱温床を入れる。

2月20日頃には、我が家の軒下では朝10時頃まで日が当たらなくなるので、田んぼへ置き場所を変える。花芽の伸長には朝8時頃からの日照が必要と思う。

この時期はまだ夜間や早朝が寒く、田んぼでは電熱温床が使えないので、夜間の保温をきっちりする。パオパオの二重掛け、ポリ、古毛布、菰は軒下と変わらないが、その上から雨避けのブルーシートをかぶせる。これでなんとか5度以下にはならないと思う。

田んぼへ移してからは、朝8時の古毛布等の除去と、午後4時頃の古毛布等をかぶせる作業が毎日欠かせないので、旅行等の外泊は出来なくなる。

そして今日、目をかけつづけてきたキンリョウヘンが開花した。分蜂が終る頃まで30日間以上咲き続ける。

このキンリョウヘンの花がないと、日本蜜蜂の分蜂は採りづらいし、1年を通しての世話は結構大変である。


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多摩全生園  鈴木楽光さん(3)



暮れ方を必ず軒に来て啼ける雀が親し人のごとくに




昼間より敷きつづけある床に入り犬の如くに身をまるめ寝る




幾たびか眼ぬぐへど黒き星あしたもの書く紙の上にとぶ




相共に住みし友等の幾人かすでに盲ひて不自由舎にあり




松村英一先生 ラヂオのあらねば友の家に行きて放送をきく
とこやみの空を伝ひて来るみ声まさしく師なり心おどりぬ




つくづくと変りはてたり現身のすね
毛のあらぬこれがわが足




目ををかし咽喉もやがてをかされむ声音の
れてゆくに思ひぬ




あかつきの夢に入り来て弟のものいふ声に驚きて覚む




配給のともしき米を持ちよりて祭の夜は白き飯炊く




月の夜を更けて阿部君の帰りゆく舗道に響くその杖の音




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多摩全生園  鈴木楽光さん(2)



葉を閉づる合歓ねむの下陰手をとりて汝と行くとき鳥啼きてたつ




顔に出でし病のことも悲しまず帽子を脱ぎて会ふ君の前




生れたる処も君の名も知らず呼びならされて過ぎしかりの名




われよりも幾つか齢若かりし
伊藤繁も逝きて年経ぬ




帰り来し吾にもの言ふごとく鳴き産み月近き猫が人恋ふ




満州にふたたびいゆく弟の上を思ひて一夜眠らず




恐ろしき夢より覚めし暗がりにぼんぼん時計鳴り出でにけり




楽しげに近所の子等の遊ぶ声かくれて暮らす納屋に聞え来




癩病にわがなりてより久しきに家の
生計たつき
のいたく貧しき




眉の毛の日毎うすくなりゆくを吾より母の嘆き給ひし




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多摩全生園  鈴木楽光さん(1)



ころころと湯の煮え沸ぎる音にさへ吾の心の遊ぶとすらし




顔に出し病ひかなしも醜かる姿となりて世に生くる我は




再びを生れ来ることなき世なれ命は生きてながくありたし




押入にあるひは納屋に幾年か隠れて過ぐる身をかなしみき(回想)




眉の毛の生えたることの嬉しくて故郷へ帰りし夢さめにけり(夢)




諸諸のかなしき念ひ湧く夜にて灯に来る虫をあへて殺さず




病秘めてひそかに籠りありし日も松の花粉は庭に散りゐき




誉められしことは忘れて叱られし日の父思ふあはれと云はむ




食みこぼしし飯を拾ふと膝さぐる爪なくなりし円きわが指




知覚なき足を歎かひしたたれる血潮拭へり今朝も畳の




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ポトフ



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熱した鍋に大さじ1の油を入れ、ニンニク1片の薄切り、15秒湯通しした豚肉100g、タマネギのスライスの順に炒め、ジャガイモ、ニンジン、シイタケの乱切りを入れて炒め、全体に油がまわったら5カップほどの水とコンソメを2個入れ、煮立ったら弱火にして20分煮て胡椒で味付けして出来上がり。



ポテトサラダ


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昨日蒸した残りのジャガイモをボールに入れ、山ウドのみじん切りをふり、コーン缶を少し入れ、ミョウガの甘酢漬け3個を粗みじん切りして入れ、ゆで卵1個をつぶしながら入れて混ぜ、マヨネーズ、酢とレモン果汁を各大さじ1、塩・胡椒で味付けし、混ぜて出来上がり。
  
 


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多摩全生園  森下静夫さん(4)



四十年前われの集めし小貨幣貯金箱のまま母の送りてくれぬ




治療して癒ゆる病ひとなりたれば開かれた門を出で入る人ら




七人の子を育てたる農の嫂互に知らず逝きしと聞きぬ




終焉に向ひつつある癩園を緑の森にと願ひ植樹す




力こめテーブルを撫でかうしただけで癩は
うつ
ると思ったと言ふ




部屋毎の杖差しに立つ白杖も夜は休息の時間なるらし




思はざる人も来たりて引越しの荷を積みしリヤカー引きくるるなり




苦しかりし時代のことは遠くなり新居に新しき家具が並びぬ



森下静夫さんの略歴
大正6年1月生まれ。静岡県浜松市の農家の次男。尋常高等小学校卒業後名古屋の印刷所に住み込みで働く。4ヶ月で発病帰郷。昭和10年全生病院に入院。昭和14年「一路」に入会。山下陸奥に師事。戦時下の生活で失明、義足となる。昭和29年9月8日、手術により視力回復。『木がくれの実』(昭和28年) 『陸の中の島』(1956年) 『輪唱』(昭和34年) 『三つの門』『開かれた門』(昭和53年)(昭和45年) 『固定されし椅子』(昭和57年) 『青葉の森』(昭和60年) 『ハンセン病療養所歌人全集』(昭和63年)


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多摩全生園  森下静夫さん(3)



電灯を消したる部屋の月明り汲田冬峰
点字読み居る




三年に一度許されし外出に河口湖行きのくじを引くなり




もうそんな時代ではないと言ひ切りしハ氏病怖れぬ若さ眩しむ




癩の怖れあればここには来ませんと女子学生はわが前に坐る




卒論に癩園を選びしと言ふ声も明るくアンケート用紙わが前に置く




ペンをくはへ書きゆくを見し驚きを素直に言ひてわが前に坐る




手術にてあきしわが目よ代筆を終りておもふああ新井園長先生




目があきてふたたび本読める倖せを誰にか告げむ新井園長先生




手術にて吾目のあきし九月八日誕生日よりうれしかりけり




寝つづけの木谷を訪へば目の癒えしわれに歩け歩けと言へり




四十年ぶりに来たりし故里に落葉のにほふ水をのみたり




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多摩全生園  森下静夫さん(2)



十月号の一路持ち来て友直井読みてくれつつ祭りの夜更く




ひいらぎ垣に杖をふれつつ歩みゆく或いは地球の丸きにも似て




癩園の柊垣に咲く花を見る目なければほのかに匂ふ




目の見えし日のことなどはいさぎよく忘れて生きよと燃える日記帳




目明きなる友らは年始に出でゆきて広くなりたる部屋に坐れり




亡き
庫治
が夢に聞きしと詠みたりき先生のみ声に向ひて坐る




癩の人見るは始めてと少女歌舞伎公演終へし録音の声




ヒワ鳴けばヒワのこと言ひカナリヤの囀ればカナリヤを言ひつつ住めり




試験動物しづまる夕べ角膜をとられし兎が目をこすり居る




幾人の声なき視線そそがれてわが目に植ゑる鶏の角膜




鶏の角膜植ゑて臥すわれと明日植ゑらるる兎の行方




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多摩全生園  森下静夫さん(1)



杖先のにはかに広くなりにしは十字路にして何処に行かむ




新盆の供物ととのへてこの年も不自由者名簿の幾人を消す




忘るると云へる救ひが人間にありて癩園に経し二十年




目の見えずなりゆく友がプリントはいらないといふ大きな声で




一首づつ読み上げ手を挙げ採点す盲人ばかりの今日の歌会




会員の総意によりて動くとき意に副はぬことも言はねばならぬ




園内ラジオがその日その日を読みくるる三十分間の新聞を待つ




手ざはりの厚くなりたる一路誌が届けばわれは目明きの友待つ




朝となる物音が聞こえ雀子の囀る闇にわれは目ざめぬ




手探りに金椀持ちて今日よりは見ることのなき飯を食ふなり




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大豆の煮豆



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緑ダイズ150gは一晩、水に浸しておいた。戻し水を1カップほど減らしながら圧力鍋に入れ、出し汁を1カップ入れ、ニンジン、ヤーコン、シイタケの角切りを入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、ゴマ油を数滴入れ、強火でおもりがまわりはじめたら極弱火にして20分、火を消してそのまま冷めるまで放置して出来上がり。

野菜の少ないこの時期、ダイズの煮豆をよく作る。






ジャガイモのポタージュ

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熱した無水鍋に大さじ3の水を入れ、薄切りしたジャガイモを入れ、極弱火にして30分、火を消して余熱5分で蓋を開け、つぶす。一部は煮立った牛乳の中に入れて1分ほど煮て胡椒で味付けして出来上がり。お椀にとり山ウドのみじん切りをふった。




ワケギの酢味噌

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沸騰した湯の中に、ざく切りしたワケギを入れて2~3分茹でて冷水にとり、水気をしぼりながらボールに入れる。お椀に味噌、酢、レモン果汁、みりん、酒、蜂蜜を入れて混ぜ、ボールに注ぎ、15秒湯通しした小魚も入れて混ぜて出来上がり。  


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菊池恵楓園  島田尺草さん(10)



たはやすくもの言ふこともなくなりて吾の心はいよよ澄むなり




我がために血潮ゆづると四五人の友ら来りけり朝の寒きに




若き歌友伊藤保君病む
君病みては手紙のこと誌のこと歌のこと誰に頼まむ吾また迷ふ




以下、順序が逆になりましたが残りの短歌を紹介させて頂きます。
別れては何時また逢はむ人と居て庭の桜の散るを見て居り




内田先生に
永らへる命思へば世を頼み君を頼みて歌を学べり




末妹逝く
ゆらゆらとゆらぐ舟の上に立ちも得ずはしゃぎし妹を今日も偲べり




げんげ花摘む子にまじる妹の姿はついに見るべくもなし




久しきを語らざりけり国言葉あらはに言ひて見たき日のあり





そのかみの家に居し日は淋しけれ人にかくれて眉書きにける




梅の香をしづめて降れる雨脚のほそぼそと今朝は春めくをおぼゆ



島田尺草(大島数馬)さんの略歴
明治37年9月16日福岡県嘉穂郡に生まれる。16歳で発病し、薬を求めて各地を放浪。大正13年九州療養所入所。入所後、作歌を始め、昭和3年より歌誌「水嚢」に参加。昭和12年「水嚢」同人。長年「檜の影」編集に従事し自ら印刷工となって発行に尽くす。昭和8年失明。9年に気管切開。歌集『一握の藁』(昭和8年)『檪の花』(12年ともに水甕社)。昭和13年2月23日没。享年35。『檜の影』第2集(昭和4年)『檜の影の聖父』(昭和10年)『島田尺草全集』(昭和14年)『菴羅樹』(昭和26年)『三つの門』(昭和45年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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菊池恵楓園  島田尺草さん(9)



隣室に死ぬ人ありて午前四時の暗きベッドに起きて坐れり




枕辺に妻を坐らせ讃美歌をうたはせて友は静かに死にぬ




いくつかの仕事かたづけし如くをり手紙二通を書きて貰ひつつ




歌集礫の花上梓
今日までの命とりとめ得ておほかたの人に礼言ふ心すなほに




わが歌集世に出でたるを喜びて呉れむ友さへみな冥路よみに在り




吾が意識つひにかそかになりしとき心にかかるものはなかりき




折をりの人のたよりの絵葉書は看護婦が壁にはりてあるらし




わが歌集に涙せしとふ人の手紙ねもごろに包みしまはせにけり




下村海南博士より正月二日み文を受く
廻礼の友をたのみてよみもらふ文に涙をわがぬぐひつつ




こぞの冬より命を常にあやぶまれ耐へ耐へて来し君も亦われも




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菊池恵楓園  島田尺草さん(8)



月月に来たる雑誌を読みくるる友一人ありて吾は足るらし




療院に吾が病むを秘め嫁ぎゆきて便りを断ちし姉妹三人




吾が眠る蚊帳の上に夜を来て死ぬる虫多し秋も更けつつ




言ひ残すべきこともほとほとあらざれば心は澄めりいまの現に




友が穿く義足の革の鳴る音のこころに沁みてひびく日のあり




隣室の柩はこばれ出づる音痰の切れねばさめて聞きゐつ




君と語るいとまも痰のあがり来てつひに話しえず吾が思ふこと




吾が歌集の刊行の日まで生きたしと所長に言ひぬ今朝の診察に




芭蕉葉に朝降る雨を聴きゐつつひそかに人を待ちて時経つ




帰りゆくと吾が手を堅く握りたる友に再び会ふ日なからむ




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菊池恵楓園  島田尺草さん(7)



元旦の年ぎに来し友にまづ咽喉のくすりを飲ませもらひつ




貧しさをしろしめす師の賜ひたる金は死ぬ日のたしにのこさむ




呼吸管に痰のからみて落ちつかず夕ひゆる室に湯を煮えたたす




三月あまり命あやふく苦しみし疲れをもちてまた梅雨に入る




凝りし痰をむせび出すと夜半すぎては腹の力のほとほとになき




なにかしら大き力に頼みたき明暮れにゐて身は疲れをり




七年まへ会ひに来ませし母の顔今宵おもはるる熱の高きに




吸入を終へてやすらぐ枕べに
馬酔木あせび
の花のほのかににほふ




呼吸絶えてありししばしの虚しさの心に沁みて去りがてぬかも




眼の見ゆるうからら多き部屋に入りて労らるれば心和ぎをり




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ニンジンの煮物


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無水鍋に大さじ3の出し汁を入れ、乱切りしたニンジン、ヤーコン、シイタケを入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら極弱火にして25分、火を消して余熱5分で出来上がり。



ナバナのおひたし
   
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定番です。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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