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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

ニンジンを使った3品



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ダイズは一晩、水に浸しておく。干しシイタケは1時間ほど水で戻す。

圧力鍋にシイタケを戻し水ごと入れ、ダイズは戻し水を半分減らして、出し汁を1カップ入れ、ニンジンとヤーコンの角切りを入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、ごま油を数滴入れ、強火でおもりが回り始めたら極弱火にして20分、火を消してそのまま放置して出来上がり。



ニンジンおやつ

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ニンジン約200gはすりおろしてボールに入れる。薄力粉120gを入れて混ぜ、溶き卵1個と蜂蜜を入れ、シナモンとベーキングパウダーを少しふり、少し固そうだったので大さじ2の牛乳を入れて混ぜ、クッキングシートをおいた型に流し入れ、180度のオーブンで30分焼いて出来上がり。

油は身体によくないので入れない。

簡単おやつ♪にんじんケーキ」を参考にした。



ニンジンの酢醤油
   
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ニンジンは拍子木切りして水から茹で、煮立ったら弱火にして15分煮て、やわらかくなっていたらザルに上げる。ボールに醤油大さじ1余り、酢大さじ1、みりん小さじ1、蜂蜜少々を入れて混ぜる。湯切りしたニンジンを入れ、すりゴマをふって出来上がり。

「農家のレシピ」ニンジンの酢醤油和え  を参考にした。


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大島青松園 中三 河辺悦子さん


かや


病室から帰ってみると

かやがつってあった

中に入り

ふとんの上に寝ころぶと

かやの匂いがした

家のと同じかびくさい匂いだった

足をあげて

きゅうーと伸ばすとやっととどいた

大きく垂れたかやにさわった

家でもはじめてつった夜は嬉しかった

何回も足をあげてかやにさわっていた

今夜も

何も考えずに同じことをやっていた

太い息をついてやめるまで

みんな静かに寝息をたてていた


(「青松」1952年10月5日)






生きている


とくべつ 悲しいとも嬉しいとも感じなくても

ただ、ぼやっとでも生きている

どうにか たいしたこともなしに暮して

行けるから

このまま

どんどん病気が進んでいき

盲目となり つんぼとなり

手足がかなわなくなっても

どうにもならないから生きている


ただ ぼやっとでも生きている


(「青松」1952年11月1日)


河辺悦子(山本美恵子)さんの略歴
1937年2月19日香川県に生まれる。1946年5月、顔が腫れ、眉毛が抜け始めたため高松日赤で受診、ハンセン病と判明。近所の医院(校医でもあった)で大風子油等の治療を受ける。1年後、復学してもよいとの校医の判断で登校したが、担任教師、父兄の反対がありそのまま休学した。1952年3月11日、同級生が中学を卒業する年、自分の意志で大島青松園に入所した。村の担当の人が、二度と帰れないから大島へは行かせるなと守ってくれていたと聞いた。10年ほど前から短歌の結社に入っている。


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多摩全生園  美川良子さん


わすれなぐさ


夕ぐれを姉と散歩した時

この花の名をしった

「わすれちゃだめよ」

「これわすれなぐさね」

やさしい姉がなつかしい

心をこめた

このおし花

そうと手紙の中に入れてやった


(「多摩」1954年8月1日)






寮母さんの手


暗い台所でおにぎりをしている寮母さんの手

私はそっと近寄っていった

血管がぼこぼこでしわだらけの手

この手ににぎられたおにぎりを

私達がたべる

月の光がかすかに寮母さんの手をてらした


(「多摩」1954年12月1日)


美川良子さんの過去記事



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グラタン



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グラタン皿に解凍したムラサキ芋を入れ、昨日の残りのホワイトシチューを入れ、とろけるチーズと粉チーズをふり、220度に予熱したオーブンで15分焼いて出来上がり。



卵焼き

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卵3個をボールに割り、砂糖と醤油で味付けし、熱したフライパンに油をひいて流し入れ、ネギの小口切りをふり、表面が乾いたら巻いて火を消し、余熱3分で出来上がり。




揚げ出し豆腐
   
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熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、半分に切り片栗粉をつけた豆腐を置き、極弱火で5分、裏返してざく切りしたネギをふり、タレ(出し汁大さじ2、醤油大さじ2、みりん大さじ1)をかけ、10分煮て出来上がり。


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栗生楽泉園  中二 匿名




 海のように青く澄みわたった夜空に、何万とも知れぬ星が、宝石のようにちらばっています。なんと美しい星だろう。僕は今、風呂から帰って、少年舎の窓に腰をかけています。
 日中は、かんかんと照って、暑かったのにひきかえ、この涼しい風が気持良く、窓の風鈴が鳴っています。僕はじっと星空をながめているのです。こんなしずかな夜、星をながめていると、いつも僕は故郷のことを思い出すのです。お母さんの事を、そして妹の事を、きっと、国のお母さんも、今日のこの美しい星空をながめていて、僕の事を考えているかも知れません。僕は今までに、こんなに星空を美しいと思って、見たことはありませんでした。
 故郷にいた時は、お母さんと妹と三人で、よく夜空をながめたものだ。十五夜のお月さんも、そのまわりの小さい星も、とても美しかった。すばらしい物を発見したような思いで、いつまでもお母さんと妹と三人で、楽しく、お盆のごちそうのにおいがただよう縁がわでながめていた。
 今の僕は、たった一人でながめているのです。しかし、僕はちっともさびしくない。何万とも知れない星が、全部僕の友だちのような気がするからです。風はだんだん涼しくなってきた。桜の葉々は星の光をあびて、金色に美しくかがやいています。僕はそんな事を忘れて星をながめ、そして故郷の楽しい夢を見ています。大空にかがやくあの大きな星は、お母さんの様に思われてなりません。大きな声で呼んでみたくなりました。僕は心の中で「お母さん、お母さん」と何度も呼びました。その時でした。お母さん星に向って、小さい小星が飛んで行きました。僕はすぐに流れ星だと思いました。いやいや、僕がお母さんを呼ぶ声に、お母さんは僕をひっぱったのだとも思いました。小星は喜んでいるでしょう。お母さんの横で、お母さんといっしょに、楽しくお話をしているのでしょう。僕は、こんな晩には、星をいつまでも見ていたいのです。遠い故郷のお母さんのひとみを見る様に。


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星塚敬愛園



見わたせばなの花麦とつづきけるここは悲しき敬愛の村




母の顔まぶたにありて思いだす別れの言葉耳にのこれり


日野弘毅さんの略歴
1933年宮崎県に生れる。1947年発病し、家族とともに偏見差別に苦しめられ、1949年10月29日星塚敬愛園に入所を余儀なくされる。53年間の隔離の後、2003年4月故郷に帰ったが、母も姉も自分の帰りを待ちきれず、すでに死亡していた。





荒畑のすみに咲きにし日照草そっとおこして鉢に植えたり




たえがたき暑さに外に出てみれば十三夜の月照りて涼しも




カいぶしつつ友と歌えりなき母の好みし歌の「仏の子ども」を


貞子さん
略歴の記載はありません






さらさらと木の葉のおちるささやきにモズのひとこえひびくなり




友だちの看病しつつ本よめば遠く聞こゆるふくろうの声




冬きたり健児ヶ丘の窓に見ゆるかえでの葉のもみじしており


Y・M夫さん


(『南風』1958年3月28日)


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簡単ばら寿司



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小魚は15秒湯通しする。お椀に柚子果汁2個をしぼり、少し、酢も入れ、小魚を浸しておく。

ボールにご飯を取り、ホウレンソウのおひたしを粗みじん切りして入れ、ミョウガの甘酢漬け3個を粗みじん切りして入れ、小魚を浸した柚子果汁を入れて混ぜると、簡単ばら寿司の出来上がり。

柚子果汁に砂糖を入れ忘れ、すっぱい、ばら寿司になった。



ホワイトシチュー

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賞味期限の過ぎたハムと、賞味期限の近づいた牛乳を早く使いたかったから、このメニューになった。

熱したフライパンにバターを入れ、ニンニク1片のみじん切り、ハムの角切り、タマネギのスライスの順に炒め、乱切りしたニンジンとジャガイモを入れて炒め、火を止めて大さじ3の薄力粉を入れて30秒ほど混ぜ、牛乳を入れて点火し、コンソメ2個を入れ、煮立ったら弱火にして15分煮て胡椒で味付けして出来上がり。

シチューの素はもういらない!これでOK」を参考にした。
  


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多摩全生園  中三  平良 広さん



発病した時


 私が中学一年の時、右足に方言で言う「グチャフワ」が出来た。それをなおすため色々治療したあげく、ようやく良くなった。が、しばらくたつと同じ所に又出て来た。前とは違って、それがだんだん拡がり、大きな出来物になってしまった。
 私は早速父に見せた。父はすぐ医者の所へ私をつれて行った。見てもらった後、医者は父を呼んで何か話していたが、父の顔がだんだん青くなるのに、私は気がついた。帰りに、「どうしたの」と私は早速きいた。父は「何でもない」と答えたが、私はなんだか不安でたまらなかった。
 翌日、私は父に連れられて癩療養所へと急いだ。何も知らない私は、連れて行かれるままに歩いた。バスに乗ってから私はきいた。
「どこへ行くの」
「田舎のおばさんの家に行くんだ」
と平素とは違った口調で答えた。私には田舎のおばさんなんていないはずなのに、どこへ連れて行くんだろうと不審に思ったが、それ以上はきかなかった。しばらく行くとバスが止った。そこで降りると長い間歩き続けた。人通りの少ない山路を一時間位も歩いたら、前方にセメントの塀で囲まれた部落みたいな所に来た。私は「ここはどこ」と聞いた。父は「愛楽園」と答えた。私はまた聞いた。「愛楽園ってどんな所なの」「癩病院だよ」それを聞いた私の驚きと言ったらなかった。自分が癩病だ、きっとそうだ、と感じた時、私は胸をしめつけられる思いだった。あの恐ろしい、そして世の中の人々からきらわれている癩病だとは、私は夢にも思わなかった。
 私はしばらく谷のどん底に落とし入れられた気持ちだった。そして田舎のおばさんと言う人は、そこの婦長さんであったことがそれで分った。父が残念がっているのを、婦長さんは慰めていた。そういう婦長さんが私には神のように感じられた。
 それから私は婦長さんに連れられて行き、診察を受けた。帰りには二人とも無言だった。父のあのときの顔は草のように青かった。私は家に帰っても、何もする気にはなれなかった。足の出来物を見てはくやしがり、癩病で生きて行くより、などとつまらないことばかり考えて二、三日過ごした。四日目に、父は愛楽園の婦長さんと相談して来たといって「沖縄に居るより、日本へでも行って治療した方が良いから、日本に行くように相談してきた」と語っていた。日本へ行くと聞いて私の胸はおどった。
 日本と言えば、沖縄では、留学生を思い出すからである。が、私は癩病で日本へと思うと、何とも言えない気持ちになった。その日からは、ただ船の出るのを待つのみだった。それから五、六日して、私を乗せた船はテープを切って日本へ、日本へと進むのだった。


平良 広さんの略歴
1936年沖縄県生れ。1951年多摩全生園に入所。


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星塚敬愛園



コスモスは庭いちめんに咲きみちて明るいながめとなりにけるかな




看護婦の注射うつ手のつめたさにすくめど液のまわりてぬくし




どす黒い空より舞い散る大雪やただ病床よりながめておりぬ


川島光夫(川島光男)さんの略歴
1942年1月5日、鹿児島県に生まれる。1953年4月16日、星塚敬愛園に入所。




引揚者でなき友らはうらやまし引揚げてきて衣服なきわれは




まっかに沈みゆく夕日をながめつつきょう一日をふりかえりみる




「楓の間」にひとりいて歌よみおればどこからか小鳥のさえずり聞ゆ


郡山幸子さんの略歴
幼少時を外地で過ごす。戦後、引揚げで日本に戻るが、発病、星塚敬愛園に入所。


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T-falのフライパン



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アマゾンのギフト券でT-falのフライパンを買った。直径28センチのフライパンは3200円、強化ガラス蓋が1040円で合計4240円だった。

今まで使っていたフライパンと、サイズ、柄の長さ、色は同じだが、重さはT-falの方が多少(150g)重い。



すき焼き風煮

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早速、すき焼きに使った。出し汁を少し入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったらざく切りしたハクサイを入れ、強火でしな~としたら弱火にして豆腐を入れ、15秒湯通しした牛肉100gを入れ、蓋をして10分ほど煮て、昨日のホウレンソウのおひたしを入れ3分煮て出来上がり。

何回も使わないと、フライパンに関してはわからない。
   
 


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星塚敬愛園


(重夫さん)

お別れのことばをのべ給う父の声とぎれとぎれに細くかすれぬ




別れをば短くのべし父さまは春雨しぶく庭を見つめぬ




わが胸の悲しみ知らぬ父母に悲しみ知らせず書くたよりかな




土壁の土の落ちたる竹組の間より見ゆる青き秋空




壇上に初めて立ちて朗読すわれの手ふるえて顔ほてるなり





(K・Hさん)

よもぎだんご友がつくっているそばにぼくはすわってなめているなり




遠方の汽車の煙を見るたびにかあさんと来たことを思い出す






(一郎さん)

ひよの群れ流れるように飛んでゆく春風強く吹いている空に




西空に真赤にそまりし太陽のガラスの窓にうつりておるかも




空高くあがりしつばめ羽ひろげそのままおりくる池すれすれに




岩の間をはさみをあげて逃げてゆくカニのあと追う子らの小さき手




学徒らの帰り道をば吹きならす草笛きこゆ病室の窓



(『南風』1958年3月28日)


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長島愛生園  木原弘明さん



写生大会の賞品を手に持帰る今日も小さき喜びとして




決勝のテープを我の胸に切りて賞品の前に喜びて行く




いまや春行かんとはして我が庭にスイトピーの花咲きいでにけり




病室の吾がけんどんにスイトピーの花を看護婦が生けて行きたり




机の上にさしたる花がスタンドの光りに負けてしおれはじめぬ




学校の横に出来たるスベリ台小さき子等が楽しくすべりぬ



中三 木原弘明さん(「愛生」1952年8月20日)

木原弘明さんの略歴
1937年9月22日、大阪生れ。1941年広島へ疎開。東広島の小学2年生だった8月6日、たまたま学校にいて原爆の落ちるところを目撃。4、5日後から髪が抜け始めた。5年生の2月にハンセン病の発病がわかり、1949年7月6日、県より長島愛生園に入所させられた。岡山に向かう途中の広島駅の惨状が忘れられない。入所後、詩や短歌の創作を始め、写真も撮っている。


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ケチャップライス


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熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、ニンニク1片の粗みじん切り、ハムの角切り、タマネギの粗みじん切りの順に炒め、青味に茹でたホウレンソウを粗みじん切りして入れ、ケチャップで味付けして火を消し、最後にご飯を入れ、ほぐしながら点火し、具材とご飯がなじんだら胡椒で味付けして出来上がり。




ダイコンと鯛アラの煮物


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鯛アラは15秒湯通しする。鍋に乱切りしたダイコンを入れ、出し汁と水を半々ほどずつ入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら弱火にして鯛アラを置き、15分煮て出来上がり。

温めなおす時、風味付け(アラの臭み消し)に柚子1個の皮をすり、果汁も入れた。



ホウレンソウのおひたし

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一部はケチャップライスに使った。



ネギ卵
   
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鍋に出し汁を少し入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったらタマネギのスライスを入れ、少ししてネギのざく切りを入れ、強火で2~3分煮てネギがしんなりしたら弱火にして卵2個を入れ5分煮て出来上がり。


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多摩全生園  美川良子さん



発病した頃


 「いってまいります」元気よく家を出た私は、広場でみんながくるのをまっていた。いつもならもうみんなきているのに今日は仲良しの正子ちゃんまでもきていない。
 そのうちに八時のサイレンがなった。
 学校までは三十分かかるのにまだだれもきていないので、私は変に思い正子ちゃんをよびにいった。「正子ちゃん・・・正子ちゃん・・・」いくらよんでも返事がない。私はあきらめてその場を去ろうとした。とその時お母さんが障子を少し開けて「正子はもういったよ」というなりびしゃんと障子をしめてしまった。その言葉をきくなり私はいそいで学校への道をいそいだ。あと二十五分で学校までいけるかしら、それにしてもみんながいってしまった。正子ちゃんのお母さんがあんなにつめたかったのが私には不安でならなかった。
 やっとのことで学校までついたのが八時二十六分だった。一時間目は体操だった。男性は飛箱、女性は親子高飛をして遊んだ。だが私とはだれも組になってくれないので、しかたなく私はぬけてみんなのするのを見ていた。いままでこんな事は一度もなかったのに今日にかぎってみんなからのけものあつかいにされる自分がかなしかった。なみだがほほを休みなく流れる。どうしてこんなにのけものあつかいにされるのだろう。こんなことを考えているうちに一時間目が終ってしまった。校庭にひびきわたるみんなのたのしそうな声、そこへ六年生の女生徒が二三人きてわたしのまわりでなにかささやいている。
 私は下をむいたままだまって体操の終るのをまっていた。いつのまにか私のまわりには大ぜいの人があつまって私の方を見ている。みんな何のために見ているのだろう、とその時私は朝かみの毛をとかしているとき、鏡に写った自分の顔を思いだした。顔一面が紫色のようになっていた。
 私はそれに気がつくといそいでその場を去り教室の方へかけだした。途中まできて後をふり返るとやはりみんなは私の方を見ている。かいだんを上り二階にくるとそこには大きな鏡がある。私は鏡なんかみるつもりでなかったがなんの気なしにちょっと横を見るなり私はおそろしさのあまり声が出なかった。
 はずかしさと病気のために顔がどす黒く、まるで狼のようにくいつきそうな顔をしている。その時の私の気持ちはだれにもわからない自分だけのひみつだった。教室に入るなり私は思いきって泣いた。二時間目の数学の時間、答がわかっていても私には手を上げることができなかった。みんな私をみているようではずかしかった。休み時間も教室で悲しさをじっとこらえていた。
 昼食の時間になった。みんなはたのしそうにおべんとうをひろげた。でも私はおべんとうをたべる勇気もなく教室をでた。鏡を見ないようにかいだんを下りると校庭の片すみのだれもいない所へいった。
 青々とした田んぼには稲が私の苦しみもしらずにすくすくと育っていく。帰り道みんなに見られるのがはずかしいので一人さみしい近道を通っていった。「ただ今」家を出る時の元気はどこへいったのやら私は花がしおれたようにさみしく家に入った。机の前にすわって今日のおそろしい出来事を思いだした。のけものあつかいにされた自分の姿があらわれてはきえ、あらわれてはきえていく。そこへお母さんがきて「良子どうしたの、元気がないじゃないの、学校でなにかあったの」ときいたので「うゝんなんでもないの」とわざと元気をだしていった。私はお母さんに心配をかけるのがいやだったからです。
 次の日も次の日ものけものあつかいにされた。日がたつにつれてよけいにのけものあつかいにされた。ある日私は学校を休むことを決心した。机の前にすわってどういってお母さんにいおうかしらと考えていた。
 そこへお母さんがきて「良子今日は学校を休みなさい」といった。私はちょうどいいと思って「うん」といった。でも目の前には私にとって一生がいに一番悲しい大事件がおきていた。いうまでもなく病気のことだった。お母さんのいわれた「入院」そのことばをきくなり私は「お母ちゃん」といったきりお母さんのひざの上でないていた。こうして私はなつかしい故里をあとに病院へきた。


全生分教室中一 美川良子さん
(「多摩」1954年6月1日)

美川良子さんの略歴
1940年6月、静岡県に生まれる。1952年多摩全生園に入所。


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長島愛生園



(高二 M・S夫さん)

移りゆく小さき雲影わが寮をかすか翳して海に消えたり




垂乳根と離れて住めば男我が温かき縁に針を運びぬ
(注)垂乳根とは母の枕詞




(高二 O・M子さん)

友達の頭にさしている櫛のピカリピカリと美しきかな




海岸に涼みに行きて眺めをれば松かさ一つ落ちて来にけり




雀の子蝉をおっかけてとんで行く蝉はなきなき逃げて行ったよ





(高一 N・K江さん)

兄よりの慈愛のこもるこの文を我は何度もよみかへすなり




山路ゆく吾が足音にとび出でし鳥に我の方が驚かされし




散歩よりかへり来にける我が室に薬の瓶の配られてあり


(『望ヶ丘の子供たち』1941年8月20日)


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リメイクしてカレー



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昨日のポトフの残りに、ルーを2個入れ、煮立ったら弱火にして10分煮込み、カレーにした。




ジャガイモのポタージュ

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冷凍しておいた、蒸してつぶしたジャガイモを解凍する。

熱した鍋にバターを溶かし、ジャガイモを入れ、牛乳を適量入れ、煮立ったら塩・胡椒で味付けし、みじん切りしたイタリアンパセリをふって出来上がり。


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松丘保養園


月光


僕は夜中に目がさめて

外から聞える虫の音に

じっと静かに聴き入った


虫がないてて月が出て

明るいこんな夜だった

僕が一晩泣いたのは


母も泣いてた父だけは

いじらしそうに僕を見て

低いため息ついていた


「母さん心配いりません

 僕は行きます

 一日も早く治って帰ります」


あれから丁度二年経つ

此所はほんとにいいけれど・・・

やっぱり故郷が懐しい


窓からもるる月あかり

僕のまくらのすぐ横を

明るく明るく照してた


北部保養院児童(13歳)1935年11月28日


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ポトフ



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熱した鍋に大さじ1の油を入れ、ニンニク1片のみじん切り、歳暮でもらったハムの角切り、タマネギのスライスの順に炒め、乱切りしたジャガイモとニンジンを入れ、全体に油がまわったら3カップ半ほどの水とコンソメ2個を入れ、煮立ったら弱火にして15分煮て、胡椒で味付けして出来上がり。

ポトフは簡単で、明日のリメイクにも、いろいろ使える。



ホウレンソウのおひたし

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根元の方から入れて30秒、茎葉も浸して1分茹でて冷水にとり、ざく切りして水気をしぼりながら皿にのせる。カツオブシと醤油で。

少ししわくなっているが、寒さにたっぷりあたったホウレンソウは甘くておいしい。


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今日の背筋運動(リハビリ)


どの時間帯でもいいから、「1日30分の背筋運動」は、自分にはどうしても必要である。

足先のしびれはかなり治まったが、手のしびれはまだ治まってはいない。しかしこの症状のおかげで、それまで思いもしなかった「背筋運動」というストレッチを習慣化(まだ2ヶ月半ほどだが)することができた。


背筋運動は難しい動作はなく、器具もいらないし、おもしろみもない。

おもしろみはないが、楽しく繰り返すことができている。

それはなぜなのか。

身体の動きが以前よりスムーズになっていると感じるから。

1日パスすれば健康寿命が1日短くなると感じる。


今日は風呂に早く入り、8時50分頃から9時30分頃までした。背筋運動だけでなく、腕立て伏せ5度×4回=20回と、ジムボールに背中をのせ、へそを上げるようにして、足と頭は畳につける。この姿勢が農作業とは逆で、5分ほどそうしていると、体がリラックスして背中が伸びるように感じる。

ジムボール(フィットネスボール)は直径が55センチと65センチの2種類あり、どちらも千円前後でホームセンター等に売っている。ジムボールはもっぱらこの姿勢のためだけに利用している。


夜中に何回も目が覚めたら困るので、昨晩は背筋運動と腕立て伏せは止め、「ジムボールに背中のせ」だけをして寝たら、いつもよりよく眠れた。

強いストレッチは寝る2時間ほど前に終わらせたい。


還暦を過ぎたら、自分に合うストレッチ法を見つけて、1日30分、毎日続ける必要に迫られる。


「自分にあうストレッチ」とは、何でもいいからとにかく始めて、続けれたら、それがあなたに合う方法と思う。


「1日30分の散歩を惜しむものは病床の10年をもつ」、これはイギリスのことわざだそうです。


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ミツバチの時騒ぎ



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曇ってはいたが、1時半頃の瀬戸内市の気温は13~14度あったようだ。何と5群が「時騒ぎ(羽化したミツバチが巣箱の場所を覚える行動)」のような動きをしていた。


梅の香をしたいて来たるミツバチを見上げて嬉し7群の春


今は、梅、寒椿、ロケット(ルッコラ)の花が咲き、それらに訪花している。


それでもまだ予断を許さない状況である。春は目と鼻の先の3月上旬に「餓死」が多いと聞くから・・・。


蜜源の少ない冬の時期は、ミツバチの気が立って狂暴になっているので、最下段の開閉扉を開けて「巣屑」を掃きだす掃除はしていない。つまり12月以降は内検をしていないが、2月20日頃には、今年初の内検をしてミツバチの状況を確認し、風よけに狭くしていた巣門も少し広げ、5~10ミリ積もっているであろう巣屑の掃除もする必要がある。


2月20日頃というのは意味がある。当地方では2月の第3土曜日に、備前平野に春を呼ぶという「西大寺の裸祭り」があり、三寒四温を繰り返しながら春に向かう。

そして西大寺の裸祭りが終ったら、後40日余りに迫った第一分蜂に照準を合わせて、軒下の電熱温床で管理していた「キンリョウヘン」を田んぼに移動させる。

2月20日を過ぎる頃には太陽の昇ってくる位置が変り、軒下に朝日があたってくるのは10時近くとなり、これでは遅すぎる。

田んぼへ移動すると「電熱温床」はできないし、「ぬるまゆの水やり」もできないが、午前8時からの朝日にあてることはできる。花芽の伸長~開花には午前8時頃からの朝日が特に大事と思う。

パオパオを二重掛けし、その上にポリをかぶせ、日中の暖かい時間帯にはポリを少し開け、夜間は毛布をかぶせ、その上にコモをかぶせ、その上に雨避けのブルーシートをかぶせる。


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サンマ



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「生きはどうかなあ」・・・と思いながら買ったが、火の通りが時間内だったので、生きはよかった。


豚肉と鯛アラ

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サンマの他に豚肉と鯛アラを買った。豚肉は3つに、鯛アラは2つに分けて冷凍した。



出し汁作り

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干しシイタケ、昆布、煮干しは5時間ほど水に浸しておいた。中火で点火し、煮立ったら弱火にして削り節を入れ15分煮て、出し殻は全て取り出し、再沸騰させ、アクをとって出来上がり。

再沸騰させないと、日持ちがよくないと思う。



焼芋

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銀紙(アルミホイル)に包んでストーブの上で、細い芋なら、30~40分で焼ける。




紫芋の蒸し煮

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無水鍋に大さじ4の水を入れ、薄切りしたムラサキ芋を入れ、よく煮立ったら極弱火にして30分、火を消して余熱5分で蓋を開け、水分が残っていなかったらしゃもじでつぶす。残っていたら、水を捨ててからつぶす。

一部はケチャップとソースで食べ、残りは冷凍にした。




ダイコンおろし

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ポン酢で。



ヤーコンの甘酢漬け

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先に甘酢{出し汁180CC、酢120CC、蜂蜜(砂糖なら50g)を入れ、点火して溶かす}を作っておく。

ヤーコンは1センチ幅に切り、熱湯で1分茹でて冷水にとり、水気を切って瓶に入れ、冷めた甘酢を注ぎ、ユズ1個の皮をすりおろし、果汁も入れて出来上がり。明朝には食べれる。右の画像の左は出し汁で右は甘酢漬け。


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背筋運動が深い眠りを阻害



風呂から出て、寝る前に「背筋運動」に出ている5つの動作を30分ほど、ゆっくり繰り返しているが、それが習慣化できたと、内心、喜んでいたのに、困った事がおきた。



それは、この運動をすると逆に、夜中にしばしば目が覚め、深い眠りに入れないことだった。



ネットで「寝る前の筋トレ 逆効果」と検索したら「寝る前の筋トレは成長ホルモンを抑制してしまう(寝る前の筋トレは深い眠りに悪影響)」という記事に出会った。



夕飯を7時頃に食べたら、1時間ほどして風呂に入り、8時半~9時頃から筋トレ(背筋運動という自分にとってのリハビリ)をし、その後2時間ほど経過してから睡眠にもっていくという方法をとるしかないようだ。



背筋運動を続けるには、今までのリズムを少し変えるしかない。つまり、風呂→背筋運動をしてから→ブログというふうに・・・


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ダイコンの柚子漬け



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ダイコン2本(2キロ)は3等分して皮をむき、縦に四つ割りして漬物樽に入れる。塩100g、酢半カップ、蜂の巣(砂糖なら400g)を入れ、柚子2個の果汁を入れ、皮も細切りして入れる。

5キロほどの重石をしておくと、一昼夜すれば水が上がって来る。水が上がっていなければ、よく混ぜ、水を少し足すか、重石を重くする。

水が上がって6日間で漬かる。冬中、途切れないように作り続けたが、月末頃にもう一回仕込んだら終わる。暖かくなるとカビがわきやすいし、ダイコンの季節も終わる。




黒豆の煮物

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黒豆は一晩、水に浸す。圧力鍋に戻し水ごと入れ、醤油を大さじ半分ほど入れ、蜂の巣を適量入れ、強火でおもりが回り始めたら極弱火にして20分、火を消してそのまま放置して出来上がり。



 この換気扇から
 
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この換気扇から今日、ミツバチが2匹も台所に入ってきた。こういうことがしばしばある。今日は小春日和の一日だったから、田んぼにいてもミツバチの羽音によく出くわし、飛行コースを通ると、何回か「威嚇攻撃」もされた。

今日、台所に入ってきたミツバチは、直線で500メートルはある田んぼの巣箱から飛来したと思う。黒豆に蜂の巣を使い、蜂の巣が溶けるまで圧力鍋を開けて煮ていたので匂ったのだろう。

ミツバチの、春はすぐそこ。



ダイコンの煮物

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少し残っていた鯛アラは半解凍して洗い、15秒湯通しする。

乱切りしたダイコンを鍋に入れ、出し汁と水を半々ほどずつ入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら弱火にして鯛アラを入れ15分煮て、柚子1個の皮をすりおろし、さらに3分ほど煮て出来上がり。



ニンジンのグラッセ

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熱した無水鍋にバターを入れ、5センチほどの長さに切って四つ割り(または拍子木切り)したニンジンを入れて混ぜ、蜂蜜を目分量で入れ、塩を少しふって混ぜ、よく煮立ったら極弱火にして30分、火を消して余熱5分で出来上がり。
  


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栗生楽泉園  T・K夫さん




お父さんが居た

お母さんが居た

N子もOも居た

そして友達も

皆んな大勢楽しそうに居た

僕だけが一人遠くに居た


お父さんが呼んだ

お母さんが呼んだ

N子もOも呼んだ

そして友達も

皆んな僕を呼んだが

なぜだか僕は行けなかった


僕は白い雲の浮いている丘に

何時までも一人で立っていた


楽泉中3年 T・K夫さん(1950年11月1日)


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長島愛生園  Y・M子さん


愛生誌


嬉しいこと 悲しいことの数々を

詩や歌にして親しんだ愛生誌

突然にも 園長先生のお話で

今月限りで お別れだ

戦局はいよいよはげしくなって

愛生誌の一頁をも 翼に 弾丸に

しなくてはならなくなったのだ

戦争にち抜けば

懐かしい愛生誌も また出来るだろう

いつか又来る 其の日を待って

潔く愛生誌と別れよう


(「愛生」1944年7月15日)


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長島愛生園  伊藤とし子さん



雨晴れし庭の花壇に花咲きぬまい来る蝶の数多くして




あふれ来る想いを心におさえつつ出で来し浜に月見草咲く




うす暗き青葉のうらに雨蛙目をまるくしつつかくれ行くなり




病室の灯赤々と静かなる夜更けの海に光りて揺れる




散歩して帰りの道のうす暗く松の並木の奥にほたるとぶ



伊藤とし子さんの略歴
1933年12月31日生れ。1947年10月3日長島愛生園に入所、愛生学園に入学した。


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お好み焼き



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豚肉100gは半解凍し、15秒湯通しする。ボールに薄力粉100g、水4分の3カップ、溶き卵1個、太めの千切りにしたキャベツ200gを入れて混ぜ、湯通しした豚肉を入れて混ぜる。
熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、具材を入れ、蓋をして弱火で5分、裏返して5分、余熱3分ほどで出来上がり。ウスターソースで。





揚げ出し豆腐

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熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、半分に切り片栗粉をつけた木綿豆腐を置き、蓋をして弱火で5分、裏返してネギの小口切りをふり、タレ(出し汁と醤油を各大さじ2、みりん大さじ1を入れて混ぜる)を豆腐にかけ、蓋をして弱火で10分、火を消して余熱5分で出来上がり。



ハムエッグ

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お好み焼きに使ったフライパンに卵2個を割り入れ、歳暮でもらったハムを置き、蓋をして弱火で5分焼いて出来上がり。

  


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星塚敬愛園


俳人


はや日は沈み

ほのぐらき公園の道を

ゆっくりゆっくり歩いている人

ああ、あの人は俳人だ

すいれんはもう眠っている

俳人はたゆまず

スリの目のように

観察の目を輝かしている

右手に鉛筆

左手に手帳を持ち

俳人はゆっくりゆっくり歩く

一歩一歩をあじわって

歩いているようだ


S・Tさん
(『南風』1958年3月28日)






口笛


だれがならす口笛か

風のふくたびごとに

遠くなったり

近くでなったり

あれはだれがならす口笛か

わたしは耳をかたむけて

じっと口笛をきく

しずかな夕暮れ

へやにはだれもいない


良子さん
(『南風』1958年3月28日)





慰霊祭


みんなしんとしている

広い堂に

お坊さんのお経の声がひびく

線香のけむりがうすくほそい

おそなえしてあるくだものが

白く光っている

焼香をする人の足がゆっくりあるく

うしろのほうで

おばあさんのせきがつよくした

ゆるい風に

ろうそくの火がチラチラッとうごいた


S・Tさん
(『南風』1958年3月28日)








一歩も歩けなかったこの足が

新しいクツで地面をふむ

なんだか

かってが悪いような

うれしいような気がする

みんなも笑い声でぼくを見ていた


匿名
(『南風』1958年3月28日)






梅雨


いまから三週間は

梅雨だ

みんなは梅雨といえば

いやだと思うにちがいない

梅雨のような

農家にとって

喜ばしいものはない

さあいまだ

農家の忙しさ、楽しさは


Y・Mさん
(『南風』1958年3月28日)







さびしくなると


ぼくの心はさびしくなると

山にのぼるんだ

山の上をはしるんだ

なにも思わないで

弓矢のように・・・

そしたらぼくはたのしくなるんだ


K・Hさん
(『南風』1958年3月28日)


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すき焼き



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フライパンに出し汁を入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったらざく切りしたハクサイを入れ、ハクサイがしな~としたらネギとシュンギクを入れ、15秒湯通しした牛肉100gを入れ、蓋をして強火で3~4分煮て混ぜ、弱火にして5分煮て火を消し、余熱5分で出来上がり。


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星塚敬愛園  徳山義久さん



日の本に生れて桜をまだ知らぬ父母へたよりにそえてやるかな




ふるさとの南をさしてタカの群れ静かにわたる朝あけの空




家に待つ友らの顔をうかべつついちごをとれば疲れ忘れぬ




わがゆけば首さしのべてしたい来る乳牛の背に夕日やさしも




乳牛の首をかかえてたわむれば牛の目にあかし秋の夕焼



徳山義久(徳山良久)さんの略歴
1929年3月2日鹿児島県に生まれる。7歳になって、8人兄弟の5番目だったので親にも付き添われず小学校の入学式に行ったが、校長先生に呼ばれて、お前は明日から学校に来なくてもいい、これをお父さんに持っていきなさいと言われて、一通の手紙を渡された。左手の小指が少しおかしいと思っていたので幼心にもぴんと感じて、自分などもうこの世にいないほうがいいのではと思い、死を意識して川伝いに山を登っていったことを覚えている。叔父が追いかけてきて連れ戻されたが、それから3年間、10歳になるまで妹の子守をしながら、入れてはもらえない学校の周りを回っていた。1939年4月30日、収容で星塚敬愛園に連れてこられ、3年遅れで一年生に入学した。1956年ワゼクトミー(断種手術)を避け逃走。無一文で結婚生活を始める。7年間屋台をひいてお金をため、小さな中華料理店を開いた。子どもができ、学校に上った頃、決心して32年ぶりに母のいる徳之島に帰った時のことが心に残っている。現在は園に戻り、子どもの頃一緒に育った人たちとともに暮らしている。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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