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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

1954年「光の杖」の詩人たち  千島染太郎さん



春水



うすみどりの 野の涯より

うすみどりの 野の涯まで

うらうらと つらつらと

流れ来て 流れ去り

流れ来て 流れ去る

ももいろの

・・・明り


ささやくように 羞うように

かんばせに照り あしもとに輝き

ちらちらと ゆらゆらと

流れ来て 流れ去り

流れ来て 流れ去る

ももいろの

・・・ひかり


水のせおとは 貴女の声に似て

水のきららは 貴女の微笑みに似て

流れ来て 流れ去り

流れ来て 流れ去る

ももいろの

・・・かげり


見えながら 消えていく

消えながら 見えている

貴女の面影

貴女の笑窪


いくつもいくつも

うたかた生れて

流れ来て 流れ去り

流れ来て 流れ去る

ももいろの

・・・こころ


ほのぼのと水の匂いが

さらさらと水のいのちが

野の花を濡らし 私を濡らし


流れても流れても・・・

流れは果てぬ

春の野川の


・・・一すじの夢



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邑久光明園  中山秋夫さん


父よりも兄よりも生き島に老い




人の死をまたいで生きる療養史




遺稿集次つぎに来る寒気団




足と手を目までも借りて命とは




療園に私の生きた樹の太さ




病名を変えても白くならぬ地図




かくれんぼ鬼の捜しに来ない島




韓国の君を葬る日本名




荼毘の煙風も草木も手を振って




泥舟へ乗せられてから聞かされる




麻痺の掌へ何もくれない風の四季




椰子の実は流れてこない島に病む




世の移り納骨堂を置き去りに




病友の死を幾たび埋めん掌の砂漠



中山秋夫さんの過去記事



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初物 シイタケ



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今日見たら、シイタケが大きくなりすぎて、半分以上捨てるはめになった。目と鼻の先の竹やぶの中なのに。

出し汁を少し入れ、いつもの醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったらスライスしたシイタケを入れ弱火で4~5分煮て、乱切りしたサトイモとニンジンを入れ強火にし、再度煮立ったら弱火にして20分煮て出来上がり。





ネギ卵

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卵3個をボールに割り、醤油と砂糖で味付けし、熱したフライパンに油をひいて流し入れ、細かく切ったネギをふり、表面が乾いたら巻いて1~2分して火を消し、余熱2分で出来上がり。



レタス、ロケット、サラダ水菜
   
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先日作った中華風ドレッシング(酢大さじ1、醤油大さじ2、みりん大さじ1、ゴマ油少々、ニンニク1片のすりおろし、すりゴマ、ネギのみじん切りを入れて混ぜる)で。


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10月31日、秋深い時期の採蜜(2)

 

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9月17日に採蜜した群を10月31日の今日、再度採蜜した。10月28日に採蜜した隣の群である。

今日もかなり緊張した。この気持ちは採蜜の都度、今後もつきまとうだろう。蜜蜂からすれば、大事な越冬用の貯蔵蜜をぶんどったのだから「悪魔」と言える。

今回は継箱をせずに、最上段の一箱を採蜜して4段に戻す採蜜をした。5段あったのだから、越冬用の蜜が足らなくはない。それでも、蜜を盗むことにいい気持ちはしない。

年に2回採蜜をさせてもらえば、毎日料理に使っても、途切れることはない。

だから、それ以上に採蜜をする必要はないが、世話を続けるには「自分にとっての作業性」が大切で、その一環として、蜂球が4段+開閉扉のついた最下段の箱(2分の1の高さの箱)を置いた床(座板)に届くようになれば採蜜した方がよい。

蜜蜂の出入りを見て、日々癒されているので、他に希望はなく、そばに居続けてくれるだけでいい。

 


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1954年「光の杖」の詩人たち  蜷川ひさしさん



焚火


真白に

霜の降りた道

人々の体温に

ほほえみをあたえながら

あお天を指さして

女神の様に立っている

炎の精







パレット


視力の失った掌に

パレットをひらくと

干からびた絵具の中から

明るい夢が湧いてくる


グリーンから生まれた蝶が

水車のしぶきに驚いて

タンポポの葉裏にかくれると

妹のリボンが馳けてくる


レッドから流れた夕雲が

白帆の風にはこばれて

裏庭の物干にひっかかると

母のエプロンがゆれている


イエロウから落ちた木の葉が

マッチの軸にひろわれて

机の上に廻っていると

先生のスリッパが怒っている


闇の世界が息苦しくなって

箸をもつことが嫌になると

古いパレットを開いて

明日への夢をえがいてみる



蜷川ひさしさんの過去記事



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邑久光明園  中山秋夫さん



哀しさがおかしく沈む介助風呂




鎮魂の花火見上げる生き残り




川柳を横書きにする代筆者




的はずれ承知で神を問いつめる




眼底の
亡友ともらの数の光蘚ひかりごけ




盲導鈴無人のような療養所




誰の手か私の骨を拾う箸




日々あらた自分だましの紙芝居




彼岸花妻よときには夢に来よ




見えぬ目を閉ざして風の奥を見る




発想をかえて寝てみる北枕




山頭火を真似てしぐれに濡れてゆく



中山秋夫さんの過去記事


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ブリアラとダイコンの煮物



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出し汁がなかったから、シイタケを15分ほど水で戻して入れ、削り節を少し入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったら輪切りにしたダイコンを入れ、再度煮立ったら弱火にして、15秒湯通ししたブラアラを入れ20分煮て出来上がり。



ピーマンとタマネギの炒め物
 
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豚肉100gは15秒湯通しする。熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、ニンニク1片のみじん切り、豚肉、タマネギとピーマンの順に炒め、オイスターソースと醤油各大さじ1で味付けして出来上がり。



出し汁作り

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干しシイタケ、昆布、煮干しは6時間ほど水に浸しておいた。中火で点火し、煮立ったら弱火にして削り節を入れ10分ほど煮て、出し殻は全て取り出し、再沸騰させてアクをとって出来上がり。



サツマイモのおやつ
  
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熱した無水鍋にバターを入れ、醤油大さじ1と半、蜂蜜を入れ、煮立ったら乱切りしたサツマイモを入れて混ぜ、極弱火にして25分、火を消して余熱5分で出来上がり。


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1954年「光の杖」の詩人たち  蜷川ひさしさん


惜春


雪につまずき

風にむせびながら

ようよう訪れてくれたのに

私は悲しいことばかり言って

花束をもってきてくれても

小鳥の歌を聞かせてくれても

拗ねてばかりいた

それでもおまえは

いつもやさしい瞳で

みつめていてくれた


今度おまえが訪ねてくれるときは

心から迎えるようになりたい

あんなに待ち遠しかったのに

もう行ってしまおうとしている

春よ







流星


手が萎えてしまった時・・・・・・

まだ足があると言われ

足が立てなくなった時・・・・・・

まだ目があるんだと思った

だがその目も・・・・・・

右は日曜になってしまい

左は半どんになってしまった


達磨の様な体に

のしかかる闇から

這い上ろうとしてすがるものは

みんな藁ばかりだ

開眼手術成功

そんな喜びも

山の向こうのことでしかない


ああ私は一体なにを希望に

生きていけばよいのか

・・・・・・・・・・・

この瞬間にも

どこかの空を

星が流れている様な

夜だ



蜷川ひさしさんの略歴
1925年大阪府生まれ。1941年邑久光明園入所。1970年死去。


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邑久光明園  中山秋夫さん



すぐ返す笑みをつくれず麻痺の顔




球根を植えて春への糸電話




ときを止め有線友の訃を告げる




死に顔のやさしい鮭を選って買う




療友ともの死を数えてやがて数えられる




前略も後略もなく五月鬱




かくれんぼう終った偽名もやす
荼毘だび










湯へ沈むふぐりの辺り麻痺は無く




病友ともの死を数えすぎての失語症




言いえない思い空気のまんま吐く




自句をよむ自分の骨をひろう如



中山秋夫さんの過去記事












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タジン鍋



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先日買ったサケ2切れは15秒湯通しする。熱したタジン鍋に、ざく切りしたサラダ水菜を下敷きに、ピーマン、ニンジン、インゲン、ナスビを火の通りが同じになるようにニンジンは薄切りし、水菜の上に順不同に置き、その上にサケを置き、胡椒で味付けし、弱火で20分、火を消して余熱5分で出来上がり。ポン酢で食べる。

大さじ1の油は入れておらず、野菜から水が出るので水も入れていない。



ピーマンの佃煮

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鍋に醤油、蜂蜜、酒、みりんを入れて煮立て、細切りしたピーマンを入れ、再度煮立ったら弱火にして5分煮て、汁気が少なくなったらカツオブシ1袋を入れ、混ぜて出来上がり。



ポリポリキュウリ

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現在進行形



3種類のサラダ野菜

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レタス、ロケット、サラダ水菜で、手作りドレッシング(酢大さじ1、醤油大さじ2、みりん大さじ1、ゴマ油少々、ニンニク1片のすりおろし、すりゴマ、ネギのみじん切りを入れて混ぜる)で。 
   
  


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5段の2群を4段に戻したい



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昨日採蜜したのはこの巣箱だった。気になって今日は6~7回チェックしたが、別に問題はなさそうだった。

現在、4段のが5群、5段のが2群いるが、5段の2群を採蜜して、すべて4段にしようと思う。4段なら人の手を借りずに採蜜や継箱ができる。

採蜜するなら11月3日くらいまでが限界・・・。11月3日だと、当地の初霜まであと3週間ほど。

今回を含め、来春以降の採蜜も考慮して、貯蔵する「冷凍庫」も必要に迫られている。5万円ほどの投資になるが。


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1954年「光の杖」の詩人たち  藤本トシさん



迷い道


杖の

当惑の息から

旋風がおこった

焦燥 羞恥 不安

只中に揉まれていたら

友の

頬白ホオジロが遠くから

声が

虹になった

・・・・・・・・

緑蔭

しじまをこぼして

杖がゆらりと

私を

虹の橋へのせた







法座


鐘の余韻が

合掌に沁みたら

朝の

渓谷がうまれた

香煙が

流れてきたら

私は

白い小鳥になって

松籟のなかへ

翔けていった



藤本トシさんの過去記事



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邑久光明園  中山秋夫さん



俺に似たうろたえぐせの蝿がおる




冬の蝿ここより行き場無いものを




有線が豚逃げてると春の園




或る噂二転三転春終る




全景に火葬場のある島の園




見えぬ眼へつつじの花を食べてやる




風景の貯金小出しにして憩う




いま在るを良しとし生きる冬いちご




沈む日へ祈るしかない生をもつ




対岸を社会と呼んで病み
ぼう




友逝けりむぎわら帽子置き去りに




病む島に正月が来るおもしろさ




訃の部屋の片づけられている寒さ



中山秋夫さんの過去記事


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野菜の煮物


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鍋に出し汁(煮えた時に汁気が少し残る程度)を入れ、いつもの醤油、蜂蜜、酒、みりん(これらの水分量も考慮)で味付けし、煮立ったらタマネギ、ニンジン、ナスビ、ダイコン、グリンピース(5月収穫・冷凍)を入れ、再度煮立ったら弱火にして10分煮て、卵2個を入れ5分煮て出来上がり。




ダイコンの蒸し煮

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熱したタジン鍋にバターを入れ、半分に切ったダイコンを入れ、極弱火で25分、火を消して余熱5分で蓋を開け、ポン酢をまわしかけて出来上がり。「うまうま☆ダイコンステーキ(バタポン味)」を参考にしている。

まだダイコンが小さく、水分が多くないのか、前回同様、少し焦げた。大さじ2の水を入れればがよかった。



ポン酢作り  
    
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醤油70CC+酢50CC+みりん30CC+出し汁25CC+レモン果汁25CC=200CCのポン酢の出来上がり。「7・5・3ポン酢」を参考にしている。


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10月28日、秋深い時期の採蜜



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本には「秋の採蜜は9月」と載っている。前回採蜜したのは9月17日で、それより40日も遅い採蜜である。迷って、蜂仲間に相談したら採蜜を促された。

9月17日に採蜜した隣の巣箱で、今年の4月に入居した群であるが、昨日内検したら、置台の床に届くまで4センチの所に蜂球がせまっており、ひっかき棒で床の掃除をしようにも、蜂球(1万2千匹ほどと思う)の先に触れるような状態だった。

こうなるともう床の掃除は出来なくなるし、初霜(例年、勤労感謝の日の頃)まであと1ヶ月ほどあり、蜂の出入りを見ていたら、まだまだ巣をのばすような勢いがあり、「採蜜」かもしくは「継ぎ箱」かの決断を迫られた。

4段重ねの重箱を持ち上げて、最下段(掃除をする開閉扉つきで重箱の半分の高さ)の上に空き箱をひとつ挿入することは、重くて一人では持ち上げられず、一人でするには、最上段の重箱一つを採蜜し、3段重ねなら何とか持ち上げられる。

この時期の採蜜は越冬の食糧を奪うことになり、少し不安もあるが、継ぎ箱をして5段にすると、その都度、誰かに手伝ってもらわねばならず、そういう選択はしたくなかった。

採蜜はいつも緊張とプレッシャーを伴う。しかし、慣れていくしかない。夕方4時頃から5時頃まで1時間ほどかかった。

今回は刺されることもなく、蜂も意外とおとなしかった。重箱の4角にナイフを挿入して、針金(ピアノ線)が通りやすくして、一つの角から針金の中央部分を挿入して両手に針金を持ち、切り離すように針金を引っ張って、最上段の重箱を切り離して採蜜は完了。

その後すぐに3段重ねの重箱を持ち上げて、予備の置台の上に移し、床と開閉扉つきの箱を新しいのと交換し、その上に空き箱の重箱を一つ置き、その上に3段重ねの重箱を何とか持ち上げて重ね、採蜜作業は終了。

明日も順調に出入りしているようなら、残り3段の重さ(貯蜜量)から考えて、さほど大きな負荷にはならず、越冬をしてくれるだろう。


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1954年「光の杖」の詩人たち  藤本トシさん



羽根の音


あれは・・・・・・赤い羽根

そうよ━━きっと

こだまをよんだ

音のなかに

ふうわりと 乙女の夢が

乗っていたから・・・・・・

今のは・・・・・・白い羽根

そうよ━━きっと

しじまをぬいた

音のなかに

離れ住む親と子の

ひたすらな

祈りの聖火が

燃えていたから・・・・・・

崖下の日だまりに

いつまでも杖を止めて

聞いている

音・・・・・・

白い羽根 赤い羽根

・・・・・・・・・・・・・・

ふと気付くと

私の過去が

いつのまにか

羽根の片隅にすがって

大空を
飄々ひょうひょうと舞っていた







春雪


私は

いそいで探りよって

窓を開けた

雪が

浅春の別れを

舞っていると言うから

優雅な幻をだいて

じっと聞く

舞姫のうた

それはかなしいまでの

静寂・・・・・・

そのしずけさのなかに

永遠のきずなを

さがしていたら

さーっと風に乗ってきて

雪が

私の唇に

捨身を現じた



藤本トシさんの過去記事


泣ける癒される 藤本トシさん12の随筆



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邑久光明園  中山秋夫さん



冬の海承知で糸を切った凧




行く春へ手を振るだけの車椅子




りんごむく記憶の果ての俺の指




忘却に支えられての闘病譜




麻痺の手に計れぬ重さ小鳥の死




風鈴がほどよく鳴って闇ゆたか




見えぬ振り出来ぬ盲は聞かぬ振り




垂直に支えるめまい
独楽こまの無我




独楽の自我傾くことで身を支え



中山秋夫さんの過去記事


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手作りドレッシング



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「野菜はともだち」を参考にして「中華風ドレッシング」を作った。

酢大さじ1、醤油大さじ2、みりん大さじ1、ゴマ油少々にネギのみじん切りとすりゴマを入れて混ぜると出来上がり。昨日、ドレッシングを買わなかったからこのレシピを思いだした。



鯛アラとサトイモの煮物

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鯛アラは15秒湯通しする。熱した無水鍋に出し汁を入れ、いつもの醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら乱切りしたサトイモを入れて混ぜ、再度煮立ったら極弱火にして鯛アラを置き25分、火を消して余熱5分で出来上がり。




ピーマンのオイスターソース炒め
  
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豚肉80gは15秒湯通しする。熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、ニンニク1片のみじん切り、豚肉、ピーマンの細切りの順に炒め、オイスターソースと醤油各大さじ1で味付けし、強火で1分炒めて出来上がり。
   


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1954年「光の杖」の詩人たち  藤本トシさん



闘病


お正月の餅 白い餅

幾年かのあいだ

私には羨望の的であった餅

母の涙であり

父の太息であった餅

あの頃は私にとって

毒の象徴であった

眼を伏せて耐えている

病む子の姿に父も母も

とうとう死ぬまで

口にし得なかった

白い餅

私は今それを

父 母の霊前に

供えようとしている

・・・・・・・・・

治ると信じ

治そうと努力して

親も子も

ひたすらであったものを

歪んでしまった手で

探りながら器に盛る

白い餅 正月の餅







冬ばら


来る日もくる日も

ぽつねんと見つめていた

灰色━━

今日もやっぱり

涸渇のなかを

覗いていたら

さっと

緑の色彩が

流れた

それから白と

少しばかりの黄と・・・

瞬間 もらった

たった一本の花が

執拗な寂漠を

ちぎって

盲眼の底に

匂った



藤本トシさんの略歴
1901年2月5日、東京都生まれ。1919年に発病し、民間病院に通院後、1925年、身延深敬園に入園。1929年5月、外島保養院に転院。1934年、室戸台風により外島保養院は壊滅状態となり、全生病院に委託される。1938年、外島保養院が光明園として再建後、帰園。園の機関紙「楓」の創刊後、短歌、詩、随筆などを投稿していた。1987年6月2日死去。随筆集『藤本トシ』(1970 復権文庫)、作品集『地面の底が抜けたんです』(1974 思想の科学社)。


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野菜の蒸し煮



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熱した無水鍋に大さじ1の油を入れ、適当に切ったニンジン、インゲン、ナス、キクイモを入れ、極弱火にしてニンニク2片をすりおろして25分、火を止めて余熱5分で蓋を開け、ニンニク醤油大さじ2で味付けして出来上がり。



   
ネギ卵


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ボールに卵3個を割り、砂糖と醤油で味付けし、熱したフライパンに油をひいて流し入れ、小口切りしたネギをふり、蓋をして弱火で3~4分焼き、表面が乾いたら巻いて、余熱で火を通して出来上がり。



エダマメ

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白豆、黒豆、青豆、白黒豆(パンダ豆)と、50株(2本立ち)ほどずつ4品種植えているので、熟期が異なり、長くエダマメが楽しめる。適当にちぎって残りはニワトリ行き。

近くの直売所で冬の煮豆用にこれらの豆を1キロほどずつ買い、最後に少し種用に残し、6月20日頃に蒔く。

品種は大豆だが、大豆にして収穫するのは面倒なので、エダマメの段階で終らせる。



サンマ

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サンマを見たらたいてい買う。1匹100円だし、あまり「はずれ」はない。他に今日買ったのは定番の鯛アラと、1切れ100円のサケも2切れ買った。

レタス、ロケット、サラダ水菜が収穫の本番を迎えるので、ドレッシングを買おうと思ったが、以前より2割ほど高くなっているので、ばかばかしくてやめた。

食料品価格が軒並み高騰している。ぼくの経済感覚では買えない・・・。



焼きナスビ

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熱したフライパン(無水鍋の中蓋と外蓋を活用)に大さじ1の油を入れ、縦切りしたナスビを入れ、蓋をして弱火で4~5分、裏返して3~4分、火を消して余熱3分ほどで皿に取り、醤油をまわしかけて出来上がり。


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栗生楽泉園  前川良輔さん



雨漏りの屋根へ見えない目をむける




弱視には気ままな靴の右ひだり




一つだけ病まない妻の目がたのみ




十代と愛称故郷へおいたきり




髪洗う妻の無きずの手がうれし




語り合うだけの故郷を持つ二人




うつしても見えぬかがみを拭いてやり




癒える日をひとり信じてくれた母




安らぎを君におぼえるのは罪か




病める目に鉄砲ゆりの向きがあり




野仏の目に触れ顔に触れて足る




針の先ほどの視野から朝が来る



前川良輔さんの略歴
栗生楽泉園 大正15年1月生れ。昭和19年4月栗生楽泉園入園。『陸の中の島』(昭和31年)『盲導鈴』(昭和32年)に短歌、『ふるさとを捨てて』(昭和47年)に川柳採録。

記載はないが前川とき子さんとご夫婦?



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1954年「光の杖」の詩人たち  橋本正樹さん


秋の翳


秋津のぶつかる音が

私のみけんで外れる


あれほどあつく灼けついていたいらかの

かなしみが


その後の消息を断つように

私のうしろに消え去ってしまうと

今日は

松風がきゅうに輝き出し

みちと云うみち辺には

ところかまわずバッタが

宙返えりする


私の虫歯のいたみを

どうにか桔梗の花かげに

美しく 捨てては しまったものの


それでも

私の外は

広い 海である以外には


私は

何も云うべき言葉を

持たない







日附け


一坪の

花園の芝生を

蹴上げるように

山茶花の花びらが

こぼれ散っていたのは

昨日の夕暮であった


入水━━

そんな事件が

私達の園内をさわがしたのも

遠いことではない

一日違いの

昨日の出来ごとであった


それから

まだ何かがある

しん夜は

餅搗もちつく きね音で

賑わった



橋本正樹さんの過去記事



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初物 ダイコンとカブ


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まだ少し小さいがダイコンとカブを初収穫した。

「うまうま☆大根ステーキ(バタポン味)」を参考に、熱したタジン鍋にバターを入れ、半分に切ったダイコンとカブを入れ、弱火で20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、ポン酢をまわしかけて出来上がり。

少し焦げた。弱火より極弱火がよかったが、隣のコンロがふさがっていた。途中で焦げた匂いがしたので水を少し加えた。

去年もしばしば作ったが、今年も頻繁に登場するレシピになる。




初物、サラダ水菜とロケット(ルッコラ)

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ロケット(ルッコラ)はゴマ風味の、生食するサラダ野菜で、イタリアンやフレンチのサラダによく使われ、業務用の需要が多い。

サラダ水菜はざく切り、ロケットとレタスは手でちぎり、ポン酢で食べた。市販のドレッシングで食べるともっとおいしい。



サツマイモのおやつ

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無水鍋にバター、蜂の巣、大さじ2の醤油、大さじ1の水を入れて煮立て、乱切りしたサツマイモを入れて混ぜ、極弱火にして25分、火を消して余熱5分で出来上がり。




ポリポリキュウリ   
 
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1954年「光の杖」の詩人たち  橋本正樹さん


抜け殻


私のてのひらに

こんなに軽く乗って

お前のいのちはどこへ行ったのであろう

そっと 
寄生木やどりぎ
に尋ねてみても

知らないと云った

真白いお前の
亡骸なきがら

こんなに軽く

私の
てのひらに乗って

お前のいのちはどこへ行ったのであろう

かなしい ものの
運命さだめ

今日吹く野づらの風に

私が そっと山に尋ねてみても

お前のいのちはなかったのか







荒廃の花園
━━故 
瀬田洋兄追悼


それはかなしい一つの記憶でもあるが

あなたの
精根いのちが西に傾く日車草ひまわり

まみえた時のように

この
荒廃あれはてた花園のなかに

たった一つ見られる

美しい風船かずらが

わたしのあしもとに揺れていた

かそかな日の想いのなかに

かそかに淡い光を湛えながら

あの日のあなたの面影にどっか結びついている
記憶おもい
に垂れて

秋風に乱してはならないこの荒れた花園の朝を

ただひとつかそかにも風船かずらが揺れている



橋本正樹さんの過去記事


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栗生楽泉園  羽山 明さん



五百キロこの地つづきに母がいる




それぞれの郷里へたよりする偽名




妻には目夫に手足あって無事




土佐なまり新患妻子あるという




いささかの命大事にらい日記




退園を送る白杖ふっている




天刑といわれるおぼえのない病い




山ひとつ越えて人住む療養所




切断ときめてしみじみわたしの手



羽山 明さんの略歴
栗生楽泉園 『ふるさとを捨てて』(昭和47年)に採録。


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ニンジンとキクイモの煮物



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熱した無水鍋に出し汁を入れ、いつもの醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら乱切りしたニンジンとキクイモを入れて混ぜ、再度煮立ったら極弱火にして、15秒湯通ししたブリアラを置き20分、火を消して余熱5分で出来上がり。



  
ピーマンとタマネギの炒め物

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豚肉100gは15秒湯通ししておく。熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、ニンニク1片のみじん切り、豚肉、タマネギとピーマンの順に炒め、オイスターソースとニンニク醤油で味付けして出来上がり。


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1954年「光の杖」の詩人たち  橋本正樹さん




春は

抱擁される季節だ

美しい月があるからだ

夜々の庭木が濡れているからだ

一枚のタオルも濡れるからだ

浅い宵星

話しがある ロマンスがある

夜空がある

金星がある

浴槽がある

いのちがある いのちを燃やす

窓がある


春はやっぱりいい

抱擁される

季節だからだ







春の標識


いそ山の

いばらの刺から


岩の裂目の牡蠣がらの

貝から


くずおれたあし

こぼれた とびの羽根など

そんな中から


しめやかな 春がやって来るのに

違いない


今日いちにち

砂山に隠れて

私は静かに前方を見る


ふしだらけの

明るい景色の中には

そそり立つような黒いからす

脚が垂れさがり

聴き澄ます耳もとには

なんとも云えない

幽閉された 大きな力が

こみあげて来るようだ


それが人々の呼びあう

春と云うものであるかも

知れない


そう云えば

私の頬先にふれた

風のなかには

たらの新しい芽刺が

あかるい光を保っている

春の季節はもう十分に

私のあしもとに拡がっているのだ


砂山に崩れてもくずれても溜る

白い貝殻族よ


明日はきっと柔かい春風が吹いて来て


わたしたちのたましいの一つ塚を

濡らすのに違いない


橋本正樹さんの略歴
1912年10月28日石川県に生まれる。1929年5月5日、外島保養院に入院。詩と俳句に没頭した。俳句は橋本秋暁子と号し、戦後の俳句会の中心的存在だった。詩作は1941年頃から始めている。1955年春に片足を切断。1986年1月27日死去。没後、夫人藤本トシの文学碑の近くに「秋暁子亭」と名づけた東屋を遺金で建立。

「橋本正樹さんは藤本トシさん(1901年生れ)の2度めの夫です」

藤本トシさんの著作「地面の底がぬけたんです」に、その間のいきさつが書いてあります。
 
 『いやあ、恋愛ってほどのものじゃあありますまいねえ。もちろん、ぜんぜん嫌なら結婚しないでしょうけれど、とにかく、十八も齢はちがってたんですから・・・ただ、不自由だろうと思いましてね・・・。
 その人とは二十九年間つれそいました。山田法水といいましたけれど。
 二十九年間といいますけど、その途中で、あたしが目を失いましたろ、目の悪い人の不自由をみてお世話するつもりになったんでしょ、そのあたしが目を失ってしまって・・・。 
 そこからが、あたしの本当の修行が始まったんですね。それまでは、どんなことでもつらいとは思いませんでしたけれど・・・あれからが、あたしの、頂上の修行でした。
 ともかく、その人を送ることができまして・・・。
 この病気は、どこもかしこもみんなしびれてしまいますけど、舌だけは麻痺しない。あたしも目を失くしてからは、ほんとにそれで助かりました。特におじいさんが病んでからは、なんでも噛んで食べさせてあげるのですが、硬さも熱さも、みんな舌があってこそね、わかるのですから・・・。だけど、入歯を洗ってあげることができなくなったのはつらかったです。ですが、これも舌に助けられたんです。
 入歯を洗うのは、他人さまには頼みにくい。いえ、お願いして、やって下さらないことはないのですが、他人の入歯を洗うというのは、気持のいいもんじゃありませんです。あたしはこのとおり、今も入歯をしたことはありませんけど、おじいさんのを長年洗っていて、これはなかなか、他人さんにお願いできるようなことじゃないってわかってますから。あれはいけませんですよ。
 というのは、食べカスがついたりしてて、ヌラヌラしてますでしょ。それをあたしは目がいい時は、ブラシの硬いので何回も何回も洗いましたけど、目が見えなくなると、ブラシがあってもこすられんのです。すぐ落とすんです。手が麻痺してますから、持ってるものやらなにやらわからなくなるんです。目が見えなくなってわかるのは、それまで目でこすってたんですよ。目で持ってたんですよ。手でこすったり持ったりしてたんじゃあないんですねえ。
 それで、しょうがないから、あたしは、自分の歯でみんなカスを取って、そして舌でさぐってみて、これでどこにも汚れはない、みんな取れてると確かめてから、おじいさんに入れてあげました。これは、あたしが目を失ってから九年間、やりとおしました。
 その九年間が・・・。
 だけど、臨終の時、ひと言、おじいさんがあたしを拝みましたのでね、もう・・・苦労は忘れました。この人(橋本正樹氏)は、当時、隣の部屋にいたんです。この人はその時分から、あたしのしてきたことを、一部始終しっています。おじいさんが死んで一年経ってから、こんどは逆に、あたしのめんどうをみてやろうと思ってくれたんでしょうか、一緒になることになりまして・・・。』


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栗生楽泉園  柳田 弘さん



まひの手からリンゴがころげ落ち




整形をしてから下駄を買うつもり




アンケートうそも少しは入れて書き




盲導鈴うずめて立春すぎの雪




まひの足つまづく先に母の顔




まひしない足がペダルを夢で踏む




鳴く虫の仲間になろう灯を消して




看護婦の若さがにおう背に負われ




病棟を回る年賀の車いす




病むぼくの心にいつも青い鳥




付添いのきょうはにおいの違う人




安静のベッドにためた金を抱く




手術して下駄はくまでの夢捨てず




気まぐれに振ればわびしい貯金箱



柳田弘さんの略歴
栗生楽泉園『ふるさとを捨てて』(昭和47年)に採録。


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ゴーヤとツナ缶の苦くないサラダ



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例年なら10月中旬で終るゴーヤが、晴天が続いて、いまだに生っている。

ゴーヤは中のワタをとり、小口切りして塩もみをして15分ほど置く。いつもより20秒ほど長く約50秒茹でて冷水にとり、水気をしぼりながらボールに入れる。タマネギはスライスして5分ほど水にさらし、水気をしぼりながらボールに入れる。ツナ缶の油をしっかりきって、ほぐしながらボールに入れて混ぜる。マヨネーズとポン酢で味付けし、混ぜて出来上がり。

ゴーヤは少し長めに茹でたが、ちょっと固かった。今回でゴーヤ料理は終りにする。



タマネギとインゲンの煮物

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鍋に出し汁を入れ、いつもの醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったらタマネギのスライスと半分に切ったインゲンを入れ、再度煮立ったら弱火にして10分煮て、卵2個を入れ5分煮て出来上がり。

昼作って夕飯に食べた方がおいしいが、それができなければ、煮えて少なくとも20分は経過してから食べる。



エダマメ

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エダマメは鶏の餌にするのを主目的に、6月20日頃に蒔く。エダマメで食べれる適期は2週間ほどだが、ニワトリに与えるのは「ダイズ(固くて突つけない)」になる前の1か月間ほど与える。



ポリポリキュウリ

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キュウリも例年10月20日頃には終わるが、今年はまだ生っている。今生っているのは7月20日に蒔いた4回目の播種で、45日経過した9月5日頃から生り始めている。
   


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1954年「光の杖」の詩人たち  山田法水さん


夜話


俺が懐しさと喜びに慄えながら

七年振りで古里の土を踏んだ時

待っていて心から受け入れてくれたものは

真暗な夜と古巣の納屋だけだったよ


俺が二日間元の主人顔をしていた時

昼間訪ずれて来てくれたものは

節穴から忍びこんだ白っちゃけた光線と

蟋蟀コオロギの老ぼれだけだったよ


俺が後悔のほぞを噛みながら

しょんぼり帰園ってくる時

沁々と来し方行く末を囁きながら

駅まで送って来てくれたのは

闇夜が産んだ

あの時雨しぐれだけだったよ



山田法水さんの過去記事


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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