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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

1954年「光の杖」の詩人たち  鹿島太郎さん



子守歌


浜の砂の上に寝ころんで

黄昏の海をじっと見つめている

海を見つめる瞳は郷里をあこがれているのだ


此処へ来た当時はもだえ狂ったものだが

今はもう郷愁の涙も涸れてしまった


嗚々 何時ともなく時の中に溶けこんでしまったのだろうか

もう何を求めようと言うのではない

ただ一つ かすかに覚えている

母の子守歌が聞きたいのだ


こうして浜辺に寝ころんでいるのも

何処からか聞えて来はしないか

心の底から湧き出て来はしないかと

儚ない希望があるからだ


それだけでもいい

こうした私にもかつてはやさしい母の手があったのだ

美しい子守歌があったのだ


それだけでいい

それ以上何を求めよう

それ以上何があろう


私は何時迄も砂の上に寝転んでいる

嬰児のように・・・



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1954年「光の杖」の詩人たち  上丸春生子さん




黄昏



綿屑の様な雲は

あかねにもえて

墨を流した様な

煙突の煙は

だんだん薄くなりながら

西から東へ流れていく


電線に止っていた雀は

泥礫の様に見えながら

とんでいった


屋根のひさし

豆の手との間に

蜘蛛はさかさになって

囲を踏んまえている


しわのかたまりのような海面へ

太陽がめり込んでいった


くらがりのかけらが

とんでいる

蝙蝠コウモリ



だんだん濃くなっていく

やみに包まれた私の

瞼にはっきりと

故郷の山川は生れた










あれもこれも離れていき

これもあれも離れていく

ペンは手をはなれて

机の上に位置をかえ

手とペンは無限のへだたりを生じる

右手と左手のあいだに

秋の野は横たわり

よそおいた木の葉は力なく

樹の枝を見放す

記憶は雲の浮遊と共に移り去り

凡てのものが

風影の中に離散した


上丸春生子さんの過去記事


上丸春生子(上丸たけを)(上丸武夫)さんの略歴
1912年3月17日富山県に生まれる。1940年7月9日、光明園に入所。詩作会会員としてよりも、卯の花俳句会会員としての活動が長い。俳句は戦後に始め、「ホトトギス」「玉藻」などの結社に所属。自治会役員も長期務めた。1983年3月18日死去。


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1954年「光の杖」の詩人たち  上丸春生子さん






めぐり会えるこの日のいのち

かつての冬の曠野

時雨の枯路も消え去り

なごやかな陽光を

たたえて木々は芽ぐみ

呪われた病いも

新らしい薬によって

癒える夢を育て

活き活きとして

希望に満つ

生きていることの嬉しさを

真実悟らしめる春よ


更に

世のすべての病めるものに

あまねく新らしい光と

こよなき倖のあらんことを

私は願う









花に想う


壮麗な牡丹は崩れて

いつの間にか卯の花は朽ち

紫陽花のまりは雨だれに打たれ

静かに少しのやすむひまもなく

花の季節は移っていく

漂白された日々にでも耐ゆる愛と美は

大きな土壌のふところに抱かれて

生命の尊厳さをほこっている


雑草の中よりのび上がって

花は

懸命に自己の存在を訴えている

そのようないとなみの中に

生きていく俺たちの慕情があるのだ

一冊の書籍による人生の探求は

静かなる思索のひかり

一枚のレコードよりおこる即興幻想曲は

願いのひとときの音律


花粉が流れていく流れていく

永遠の孤独を求めて

自ずからの骸の上を

美しいものへの郷愁は

くめども尽きざる生命の泉

めぐり来る季節への羽搏き

花は花の為に生き

俺たちは俺たちの日々を生きていく



上丸春生子さんの過去記事



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栗生楽泉園  田中美佐夫さん



視力消えてまぶたに残る山があり




まひの手に代わりチャンネル回す義歯




まひの手はインターホンをあごで押す




点字うつ音さわやかにきょうも晴れ




目の見えたころの形でいる帽子




ふるさとの夢そばがらのまくらする




友の通夜雪もちらちら泣いてくれ




目張りして冬将軍を避ける窓




目が見えた頃の混浴花畑




失明の失意を杖と這い上り




心眼を凝らす句のみち杖のみち


田中美佐夫さんの過去記事



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栗生楽泉園  佐藤多信さん



目が見えた夢でめざめたけさの夢




零下九度まひの手痛く床に抱く




療養の身にふるさとがあってなし




みとり妻もらい故郷の妻にわび




午後八時盲導鈴も眠るころ




節分の豆にすべったまひの足




名も金もいらず見える目ひとつほし




生意気に曲がった指の爪が伸び


佐藤多信さんの略歴
栗生楽泉園 『ふるさとを捨てて』(昭和47年)に採録。


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塩サバ



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いつものスーパーで塩サバと鯛アラを買った。鯛アラは2つに小分けして冷凍した。



焼ナスビ

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熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、縦に半分(太いのは4等分)に切ったナスビ3本を置き、極弱火で4分、裏返して3分、火を消して余熱5分で皿にとり、醤油をまわしかけて出来上がり。



ハーブティ

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左からスペアミント、タイム、セイジで、沸騰したら火を止めて入れ、3分蒸らして、ハーブを取り出して出来上がり。



ポン酢作り

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醤油70CC+酢50CC+みりん30CC+出し汁25CC+レモン果汁25CC=200CCのポン酢の出来上がり。753ポン酢を参考にしている。


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1954年「光の杖」の詩人たち  上丸春生子さん



五本の線


煤によごれて

赤黒く染った

時計のかかっている柱に

横にひかれた五本の線


それは親しい友と

背丈を計って記した

なつかしい

思い出の線である

一番上の線はMさん

次の線はOさん

三番目の線は私

四番目はKさん

下の線はTさんだ


Mさんより教えられたもの

其れは苦しみのどん底に求めた

真理こそ

最大の幸福であると


Oさんから貰ったもの

それはどんな大きな怒でも

じっと耐えて一時間後に

爆発させても遅くないと


Kさんに学んだもの

それはどんな人にでも

同じ様に

尊敬を払うことだと


Tさんが諭してくれたもの

それは古い諺だ

何時までも

あると思うな親と金


だが私は

どの一つも身につけることが

いまだに出来ない









二ひきの黒揚羽が

くつぬぎ石に止っている

風雨にうたれたのだろう

はねが破れている

だが

とびたつ心は押えきれない

みどりの草原を夢見る心も


黒い蝶の黒い羽ばたき

黒い翳を落して

一瞬蝶は

一足の靴になった



上丸春生子さんの過去記事



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1954年「光の杖」の詩人たち  上丸春生子さん



春愁


五月の雨がれて

木々の枝先に

草々の葉先に

雨滴が光り

芍薬の花は

燃えるような夕焼けに染り

松の芯はまっすぐに

天を指している

それなのに

私の心の片すみを閉す

重苦しいゆううつ

それはきまって此の季節にやってくる

うすずみ色の

栗毬のようなものだ

それがある時は

重りいく病いと

又ある時は郷愁と結びついて

奈落の底へ私を誘う


そんな時

ぼんやり海岸に佇んでいると

はるかの水平線が

私の眼へとんで来ることがある

今日も昏れいく海岸に

たった今が

過去となっていくことを忘れて

それを堪え受けていた━━



上丸春生子さんの過去記事


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栗生楽泉園  生駒一弘さん



山ゆりのにおいが家の道しるべ




おにぎりとぼくを預けて妻は留守




舌読の点字ふやけてくる湿り




点字読む限界舌が痛くなり




靴ぬげたままでうかつなまひの足




まひの手の生きてる証拠爪が伸び




しあわせはつえでまさぐるほかになし




あきらめの果てに落ち着く療養所




顔の皮張り替える日を待つ余生




きょうもまた注射うたずに済んだ幸




病んで知る人の心の裏おもて




やどかりのいのち殻から抜けきれず


生駒一弘(阿南一弘)さんの略歴
栗生楽泉園 『ふるさとを捨てて』(昭和47年)『冬の花』(昭和53年)


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星塚敬愛園  山下紫春さん



妻の肩借りて義足の試歩うれし




新患へ医官刑事のように聞く




手術台白い喋々にかこまれて




今頃になって新薬できてくる




婦長さん案外下手な注射針




初孫の写真へ見える目がほしい




文学の真似屑籠へよくたまり




盲いには月は見えないけど月見




世の隅で舌読点字たのしかり




目に青葉じっと臥てろと医者の無理




梅雨明けの食べられそうな白い雲




療養の二字四十年背負わされ




五月晴れですよとナース脈をとり




よく聖書読んでくれてたナース嫁ぎ




療養のお陰句を知り神を知り




視力出てお伽の国に似て花見


山下紫春さんの略歴
星塚敬愛園 大正6年鹿児島生まれ。看護兵として兵役に従事。昭和15年に発病、16年に星塚敬愛園に入園。19年にモトエ姉と結婚。一時退園、郷里で農業に励み両親を助けるも病気を悪化させ22年再入園。足を切断、眼の悪化など不自由をかこつが元気な妻に支えられ、27年頃川柳会に入り句作活動。34年受洗。60年3月子供たちに見守られ召天。没後5年、平成2年『川柳集夫婦道』刊行。


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サトイモと鯛アラの煮物


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熱した無水鍋に大さじ4の出し汁を入れ、いつもの醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら乱切りしたサトイモを入れてよく混ぜ、再度煮立ったら極弱火にして、15秒湯通しした鯛アラを置いて20分、火を消して余熱5分で出来上がり。




タマネギとグリンピースの煮物

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鍋に大さじ4の出し汁を入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったらタマネギのスライスを入れ、再度煮立ったら弱火にして5分煮て、グリンピースを入れ5分煮て、卵2個を入れ5分煮て出来上がり。



ゴーヤとツナ缶の苦くないサラダ

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IMG_8779.jpg   

ゴーヤはスライスして塩もみをして10分ほど置き、30秒ほど茹でて冷水にとり、水気をしぼりながらボールに入れる。タマネギはスライスして5分ほど水にさらし、水気をしぼりながらボールに入れる。ツナ缶の油をよく切ってほぐしながら入れ、マヨネーズと大さじ1のポン酢とレモン果汁で味付けして出来上がり。



ポリポリキュウリ

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定番です。


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1954年「光の杖」の詩人たち  上丸春生子さん



指が慾しい



戦争の始まった年より

曲りはじめた指は

戦争の終った年から

そのよくとしにかけて

秋の木の葉のように

むぞうさに

みなおちてしまった


この手に

指が生える薬が出来たら

どんな薬より先に

その薬を服用しよう

どれほど高価な薬でも

どのような犠牲をはらっても

たのしい代償である


指が生えたら

手にペンを括らなくてもよい

シャツの釦だって

ずぼんの釦だって

自由にかけれるし

食事のときには

箸も持つことが出来る


指がほしい

たとえ一本や二本

多くても少くても

どうだっていいのだ

この手に

指が生える

薬がほしい



上丸春生子さんの過去記事



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長島愛生園  浜口志賀夫さん



倖は不揃いなれど四肢があり




両足と両手でお茶の缶が開き




目もみえず足も立たぬに株を買い




病み古りた大工の我れに釘もすね




金槌の最期の一とつ効いた音




代読の声がうるんだ子の便り




岩影のデートを覗く波頭



(盲人会に入会して)
盲人としての一歩を踏みしめる




目に見えぬ速度で闇がしのびより




まだ杖を忘れる視力うらやまれ




このままの視力でいたい酒も止め




点字読む指一本が欲しい友




バーテンのようにみくじの筒を振り


浜口志賀夫さんの略歴
長島愛生園 明治38年生れ。本業大工。社会に出て間もない時期に発病。昭和18年5月長島愛生園入園。視力減退のため園内での大工仕事が困難になった折に川柳に出会い、大森風来子に師事し句作に励む。「川柳七草会」結成(昭和27年)の立役者の一人。昭和35年開眼手術を受け成功、白杖を放して歩行できるまで回復。その機をとらえ念願の自選句集『志賀夫句集鳥羽玉』(昭和36年)を上梓。50年7月20日没。合同句集に『七草』第一集(昭和30年)、『七草』第二集(昭和32年)。



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星塚敬愛園  園井敬一郎さん



夢の中の私元気に走ってる




男運これからなのと婦長さん




病棟をそっと抜け出す恋の闇




面会の母に療園遠すぎる




掃除機に追われるように出る散歩




改築へとまどっている初燕




療園に老いて今なお親がかり




菜の花に吹く風なんとなく黄色




男でしょうと婦長に手術励まされ




直ぐ治るつもりで入所50年


園井敬一郎さんの略歴
星塚敬愛園 昭和13年17歳で入園。3年後、社会復帰し大阪で本屋に住み込みで働く。故郷の広島に原爆が投下され叔母を失う。昭和21年、手足の腫れが増し再入園。22年園内で藤岡まつ恵と出会い結婚。昭和30年代後半にキリスト教信者と。個人句集に『句集日向ぼっこ』(平成8年)。本集の刊行の前年、平成7年昇天。享年74歳。


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サツマイモの煮物



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無水鍋に大さじ3の出し汁を入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら乱切りしたサツマイモを入れて混ぜ、再度煮立ったら極弱火にして20分、火を消して余熱5分で出来上がり。「おやつ」ではなく、醤油を加えて「おかず」にした。




焼ナスビ

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熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、縦半分に切ったナスビを切り口を下にして置き、蓋をして極弱火で4分、裏返して3分、火を消して余熱5分で皿にとり、醤油をまわしかけて出来上がり。




ピーマンの佃煮

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イリコは15秒湯通しする。鍋に大さじ2の出し汁を入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら細切りしたピーマンとイリコを入れ、強火~弱火で5分ほど煮て、汁気が少なくなったら出来上がり。  
   


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1954年「光の杖」の詩人たち  上丸春生子さん



訴え



弟よ

友よ

腹の足しにもならないものを

書きつづけているからと

責めないでくれ

病に呆けて

やっと細く息をしている私は

書くことによって

切つない純粋がみつかるのだ

自我とか 思索とか

それだって私には虹なのだ

近頃の私は

洗面器の水のように

冷たく さびしく

疲れている

それでいて

かりそめの情さえも

炎天の木かげのように

やさしく

心に沁みてくるのだ



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1954年「光の杖」の詩人たち  中村七鶯さん



雨に陽に



春になって足の傷が治ったら

小鳥を飼うのだと云い

夏になって足の傷が治ったら

盆踊りに出るんだと云った


いつになったら

友の足がよくなるのだろうか


掛けてある松葉杖が

木枯に

かたことと

焦燥しているかの様になっていた






夢淡き日


気違いのように

一日降りしきった雪が

一日のうちに

溶けてしまった


それは

この別世界に

送られることになった時

凡ての夢が

消え去った時のように━━






垣根の向うから


闇夜に垣根の向うから匂ってくるのは

薔薇の花だった


その香の色あいはうつくしいのだ

闇の中を透していつか

甘酢っぱく人間の匂いのように思われる


私はその匂いに眩惑されて

美しい青春の去っていくのをつよく意識した



中村七鶯さんの過去記事



中村七鶯さんの略歴
1921年11月22日石川県に生まれる。1939年8月21日光明園に入所。短歌・俳句も作ったが詩にいちばん力を入れていた。盲人会会長を長く務める。2002年3月20日死去。


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栗生楽泉園  田中美佐夫さん



失った目に口数が多くなり




口笛を吹いて知覚を試す口




表札に盲と示す赤い紙




養命酒勧めた友が先に逝き




刈るたびにバリカン泣かす病禿




患者減る園に川柳燃えつづけ




麻痺の手をシャワートイレに助けられ




門付けで歌ってくれるジョウビタキ




ジャンケンへ麻痺の拳は口を借り




無菌でも麻痺の拳はほぐせない




笑っても三分笑えぬ麻痺の顔




プロミンに命救われ句を作る




見えぬ目に耳は第二の命です


田中美佐夫さんの過去記事



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栗生楽泉園  五津正人さん



白杖に夢の火種は絶やすまい




目に代る指に還暦支えられ




音の世に生きて匂える花を活け




目くばせの出来ぬ義眼を意識する




耳はまだ達者義眼を嘆くまい




足音の個性を盲聞き当てる




雑談の中で義眼も微笑する




カセットの柳誌が老いへ油差す




盲目の履歴に農と軍と癩




夢はいつも見えるに覚えて盲なる




義眼から流れる涙暖かい




反骨のナイフもいつか錆びて古稀


五津正人さんの略歴
栗生楽泉園 大正5年4月青森県生れ。兵役に服して外地でハンセン病を発病。昭和14年草津温泉を訪ね点灸と大楓子油による治療に励む。17年国立栗生楽泉園に入所。18年3月「高原川柳会」入会。同年右眼を失い、22年に左眼も喪失。『合同句集高原』(昭和57年)に採録。『川柳句集義眼の達磨』の刊行を目前にして61年7月1日早朝、脳出血で急逝。63年、渡邉蓮夫と柳友の岩谷いづみの尽力により同句集出版。 


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サトイモの味噌煮



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熱した無水鍋に50CCの出し汁を入れ、酒と醤油と蜂蜜を少し入れ、煮立ったら乱切りしたサトイモを入れて混ぜ、極弱火にして20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、味噌をみりんで溶いて入れ、混ぜて出来上がり。



夏野菜の煮物(カレー風味)

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熱した無水鍋に大さじ2の出し汁を入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら乱切りしたナス、ピーマン、オクラを入れて混ぜ、再度煮立ったら極弱火にして15分、火を消して余熱5分で蓋を開け、カレー粉を小さじ1余りふって強火で1分からめて出来上がり。




卵焼き
    
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ボールに卵を3個割り、醤油と砂糖で味付けし、熱したフライパンに小さじ1の油を入れ、卵を流し入れ、ニラをふり、表面が乾いたら巻いて出来上がり。


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1954年「光の杖」の詩人たち  中村七鶯さん



夕虹



一しきり夕立が降ったあと

暮れいく空には夢の様な虹が残っている

いまあなたは眼球の痛みにきっと

耐えかねているであろうか

あなたを囲む人々の口からは

どんな慰さめの言葉や
いのりがあっても

いまのあなたには

その痛みはどうすることも出来ないかも知れない

暗いくらいかなしみのどん底の世界

黒一色にぬりつぶされた色彩のない世界

そこでなんの術もなく

しんぎんしているかも知れないが

そこからまたあたらしいあなたの道を

きり開いていかねば

私は一人しずかにここからはげましている

そんな禱りのうちに

夕虹はもう私の眼前で美しく

淡く消えそうになりながら

なおも七色に最後の名残をとゞめている



中村七鶯さんの過去記事


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栗生楽泉園   前川とき子さん



まひの手よ母のふところ捜した手




夫婦して雪にこもれば恋に似て




人形をあつめて母になれぬ部屋




安静のまくら浅間の見える位置




浅間山ベールかぶっている視力




生きていてほしいと便りくれる人




薬包紙一句を書いて捨てられず




郷愁のうずきすすきの穂がゆれる




押し花も記憶の人も色あせる




この先は愚痴が出てくる酒の量




古きずにしみるお酒と知りながら




ジキタミン一包きょうの寄りどころ




しあわせを少ない視力から見つけ



前川とき子さんの略歴
栗生楽泉園 『ふるさとを捨てて』(昭和47年)に採録。



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栗生楽泉園  田中美佐夫さん



心眼にこびり着いてる母の顔




月見えぬ月見楽しいつえ仲間




寝ていてもまぶたが閉じぬ目のかわき




白杖にキチキチばった鳴いて逃げ




見えない目でもたいせつにする気持ち




すぐはけるように靴ぬぐつえの慣れ




混浴は老いても花の咲くところ




崩れても積む人生と言う積み木




看護婦が塗れば湿疹治りそう




ふるさとが布団かぶると見えてくる




見えぬ眼もはしゃいで回るボタン雪




看護婦がささやくように耳掃除




仲の良い盲三人顔知らず



田中美佐夫さんの過去記事



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ゴーヤチャンプル



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ゴーヤは塩もみをして10分ほど置き、30秒ほど茹でて冷水にとり、水気をしぼる。豚肉100gは15秒湯通しする。

熱したフライパンに大さじ1のオリーブ油を入れ、ニンニク1片のみじん切り、豚肉、ピーマンの細切り、ゴーヤの順に炒め、オイスターソースと醤油各大さじ1で味付けして出来上がり。今回はピーマンも加えた。




   
キュウリの酢の物

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キュウリ3本はスライサーで薄切りして塩もみをし、15分ほど置く。さっと水で洗い流し、水気をしぼりながらボールに入れる。ミョウガ2個の薄切り、カニ風味かまぼこ2本をほぐしながら入れ、タレ(酢大さじ3、醤油大さじ1、蜂蜜大さじ1)を入れ、混ぜて出来上がり。



ピーマンの佃煮

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今回は煮干しも少し入れた。煮干しは15秒湯通しした。

鍋に大さじ2の出し汁を入れ、醤油、蜂蜜、酒で味付けし、ピーマンの細切りと煮干しを入れ、強火~弱火で5分ほど煮て、汁気が少なくなったら出来上がり。



ポリポリキュウリ 

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キュウリの塩もみに少し味付け(醤油大さじ2、ニンニク1片のすりおろし、ゴマ油と胡椒を少々)するだけ。


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長島愛生園  岡 生門さん



杖なしでここまで来たよ
喜壽きじゅ
の門




サイコロと自問自答の狭い部屋




桜前線狂わず逢えた花句会




手術の目若葉やさしく迎えくれ




朝顔の執念支柱をはなさない




妻の背を流せば侘しく骨がなる




本棚の奥で昔が呼んでくれ




望郷の向日葵首をのばしきる




平均台あなどるなかれ喜壽の足




砂に書いた話は潮がもってゆく




食うためか自衛か蟹のその鋏




人生のまわり道にも鬼が居て




ハードルは越すよりくぐる老いの知恵



岡 生門(一門)さんの略歴
長島愛生園 明治41年山口県生れ。昭和16年召集令状を受け、老母妻子を残して兵曹長として南方出征。昭和18年に若手要員と交代してビルマ奥地より帰国。23年3月40歳で長島愛生園入園。園友とともに弱い視力をかばいながら闘病をつづけ作句に活路を見出す。「川柳七草会」創立の主要メンバー。昭和38年一門改め生門。39年3月故郷から長男面会のため来園、「涙ぐむ自己紹介で子とわかり』。個人句集『句集生門』(昭和43年)『生門第二集』(昭和52年)『続々々生門』(平成6年)合同句集『七草』第一集(昭和30年)『七草』第二集(昭和32年)『断種』七草第三集(昭和38年)


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1954年「光の杖」の詩人たち  中村七鶯さん



ランプの灯


盲になった私にも

色々な思い出があるのだから

夜になったら もい一度ランプの灯を

つけておくれよ

それは慾ばりでしょうか

ランプの灯には

妹が生れたよろこびの日の思い出がある

ランプの灯には

母を亡くした日の悲しい記憶がある

ランプの灯には

楽しく学校に通った少年の日の希望が残っている

私を慰さめて呉れるランプが

いつも郷愁の中にともっている

思い出がふかいランプの灯を

盲の私にもつけておくれよ


中村七鶯さんの過去記事



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大島青松園  桜井学さん(2)



酸欠の金魚のように生きてます




代読をしてもらえそう雨の午後




末席の正論私語のまま終り




紙コップにされてたまるか老いの自負




病臥して見ていたバラが散りました




翔びたいと思うわたしと病むわたし




はいチーズ麻痺した頬がままならず




五十年病む天刑か天恵か




残存機能フルに活かして生きる欲




落ち葉焚くわたしもやがて地に還る


桜井学さんの過去記事


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栗生楽泉園  田中美佐夫さん



浦島のように無菌者里がえり




口と手が力合わせてひもをとき




つゆ晴れを盲はせみに教えられ




見えぬ目のひざに届いた川柳誌




ふぶく夜は声かけ合って寝るめしい




見えぬ目に社会復帰の厚い壁




牧水の像はわらじをはいてたち




舌読みの点字に顔がほころびる




平熱の朝はベッドに笑い声




療園に子供がほしい子供の日




目の見えたころの写真に触れてみる




カレンダー九枚めくって咲く野菊




残雪を捜して歩くつえの先


田中美佐夫さんの過去記事



2030年 農業の旅→ranking



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サトイモと鯛アラの蒸し煮


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鯛アラはレンジで少し解凍して、15秒湯通しする。熱した無水鍋に半カップの出し汁を入れ、いつもの醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、乱切りしたサトイモを入れ、よく煮立ったら混ぜて極弱火にし、鯛アラを置き20分、火を消して余熱5分で出来上がり。

鯛アラからいい出汁が出ておいしい。アラもおいしい。





焼きナスビ


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熱したフライパン(無水鍋の外蓋)に大さじ1の油を入れ、縦に半分に切ったナス(大きいのは4等分)を置いて蓋(無水鍋の中蓋)をし、弱火で4分、裏返して3分、火を消して余熱5分で皿ににとり、醤油をまわしかけて出来上がり。冷めてもおいしい。



オクラの2品   
   
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オクラは熱湯で1分茹でて湯切りし、薄切りしてカツオブシと醤油で。残りは適当に切ってポン酢で。


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栗生楽泉園  和田智恵さん



ドラマふとわたしの過去に似たシーン




まっ正直すぎて夫がはがゆい日




検温の看護婦ベッドを縫ってくる




掃除機のさし込みまひの手にあまり




復帰した友アドレスのない便り




手のかかる病夫で倦怠期も忘れ




眠られぬ夫のそばでよく眠り




インコ飼い夫婦ことばを改める




どのくつもなじんでくれぬまひの足




高原のスケッチ空を広く描き


和田智恵さんの略歴
明治44年新潟県生れ。昭和40年11月「高原川柳会」入会。『ふるさとを捨てて』(昭和47年)『合同句集高原』(昭和57年)に採録



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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