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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

沖縄愛楽園  大味栄さん



朝早く阿旦林に土を掘る音すまた堕胎児を埋めるならん




日曜は糞尿処理の日ならんか水肥担ぎの列なして行く




北風の寒き広場に新任の園長の抱負聞かんと並ぶ




風呂釜で消し炭つくる妻の姿見えぬわが目に淋しくうつる




蟹をとる友らの声の騒がしく見えぬ目に仕草が映る




米国の盲人協会の寄付による盲導スピーカー道道に鳴る




新しくござを取り換える備後は我の古里のもの




取り換えし畳の部屋の心地良く備後の香りに郷愁誘う




プロミンの注射時間の鐘鳴れば道行く人の足音早く




選挙に代筆もならず盲ひ我一票生かさんと幾度も書き習ふ




死後までも癩者は癩と我が村は焼き豆を棺に入れる風習あると言ふ




慰問団にまざりて来るおば達が我を確かめ唯泣き崩る




二時までは茶を飲みあひし僚友三時には不発弾はぜて爆死体となる




巻き煙草三つに切りてキセルに喫ふ援護金のみの我の経済




一人あて十セントづつ出し合ひて我が短歌会の一周年を祝ふ



大味栄さんの略歴
大正4年沖縄県山原の大工の子に生まれる。高等科1年のとき父が急死、1年後には母も死亡。15歳で両親を失うも兄の支えで高等科卒業。伯父の持ち船である山原ー那覇間の運搬船で2年ほど働き、兄たちとともに大工になる。昭和18年2月12日軍医の診断で沖縄愛楽園入園。療養所の建築の第一陣を受け持つ。昭和25年ごろには視力が極度に減退、自暴自棄に陥ったが療友や松田ナミ医師の励ましでキリスト教に入信。昭和30年頃「杖の会」「短歌会」「琉歌会」を結成。昭和46年妻を失い作歌を中断。昭和50年頃から再び作歌を始める。「樹木」「アララギ」所属。『陸の中の島』(1956年)『蘇鉄の実』(1965年)『地の上』(1980年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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菊池恵楓園  市里武雄さん



病室に燕入り来ぬ老人はよきことあると喜べるかも




かすかなる望みを捨てず今日も亦痛む注射の痕さすり居り




健けき頃の夢みて目覚めたる夜更けさみしも友の咳する




薬紙に字など書きつつ看護居の侘しき心紛らしにけり




何となく寂しき夜かなペンとりて紙いっぱいに字を書き乱す




眼の前に動かす指のかすかにも見えたる日こそ嬉しかりけり




拡大鏡たのみて書けば一枚の葉書を書きて疲れけるかも




いとはるる吾の病のことごとに関はるうから思へばさびし




声をあげ吾は泣かねど神経の痛める足は置きどころなし




夢を見ることが楽しと言ひたりし盲目の言葉我はうべなふ




枕辺にかねては来ざる人も来ぬただならぬらし我の病は




寝ながらに虫の音を聞く楽しさもわれは盲ひてより知りにける




折折に盲目の我らより合へど忽ちにして話題は尽きぬ


市里武雄(武朗)さんの略歴
明治43年山口県の農家に生まれる。大正6年小学校に入学、間もなく発病。途中休学しながら14歳で卒業。大正13年回春病院入院。17歳でキリスト教に入信。「熊本歌話会」「アララギ」入会。昭和13年咽喉狭さくで呼吸困難となり絶命、享年29。『ゆうかり』(昭和5年)『市里武雄歌集』『三つの門』(昭和45年)


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すき焼き



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シイタケを何に使おうか考えていたらすき焼きになった。フライパンにだし汁を入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったらシイタケを入れ弱火で5分ほど煮て、具材のネギ、ワケギ、タマネギ、ナバナ、豆腐を入れ、15秒湯通しした牛肉100グラムを入れ、中火で蓋をして5分ほど煮て混ぜ、水分がなかったので出し汁を追加して4分ほど煮て、火を消して余熱4分ほどで出来上がり。



ヤーコンの甘酢漬け

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先に甘酢(だし汁180CC+酢120CC+砂糖50gを溶かし、生姜1片をすりおろす)を作る。

ヤーコンの皮をむいて1センチほどの厚さに切り、熱湯で1分半ほど茹でて冷水にとり、瓶に入れ、冷めた甘酢を注ぐと出来上がり。



蜂仲間が早くも分蜂をゲット


まだ3月なのに、蜂仲間が早くも第一分蜂をゲットした。うちから30分ほどで、当地より少し気温の低い地域にある。


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栗生楽泉園  古川時夫さん



カニューレをはめいるわれは喋らんと友等の声の静まり待ちぬ




唇のよく合わさらぬ口の中に冬のつむじ風の砂が吹きこむ




ゴールデンウイークはいまいまし気管治療を今日もなされず




順調に治療すすみてカニューレが十五年ぶりに取れるかも知れぬ




二十八度の手術うけたるわが咽喉も癒ゆることなく年暮れんとす




塞ぐよと声をかけくれて先生はわれの気管を縫いはじめたり




わが咽喉に十七年間使用せしカニューレのかず百を越すらん




盲人将棋われもようやく覚えきてこの頃駒の重ね打ちせず




部屋隅に友の亡骸安置して通夜はじまるをわれら待ちおり




祭壇の十字架に名を記すとき友の本名はじめて知りぬ




雪混る風に真向い探りつつ盲導鈴ひびく坂を登りぬ




桜桃の熟しておらんふるさとの会津に似たる風の匂い来




配分する品に番号の札をつく盲人一九三名に届きたる服




幾年も充員運動続けおるにわれらのたのむ医師は去りゆく




八百の入園者がいるわが園に七つの宗教と六つの教堂




盲いわれ七つの花の鉢守りて高原の冬ようやく越しぬ




蕗の薹は咽喉に効くよとともどもに咽喉痛みし友は摘みきてくれぬ


古川時夫さんの過去記事


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星塚敬愛園  長門房子さん



盲ひたる我に代りて看護助手の花供へくるる父母の写真に




日ごと日ごと六畳の部屋を廻り歩き病みて細れる足をきたふる




幼児にはかせる如く看護婦のなえし我が足に靴はかせくるる




逢ひに来し姉の顔の見えざれば懐しき声を耳澄まし聞く




二十四年ぶり面会にきし姉の声テープにとりしをくり返し聞く




拡大鏡で姉の便りを読みくるる共に病む叔父盲の吾に




業と言ひ腰の痛みに耐へてゐる隣の姥に涙湧きくる




幼なかりし姉とわれとを置きて逝きし母の心をおもふ年老いて




いつの間に傷のできしか両の手より血の流れゐて着物汚しぬ


長門房子さんの略歴
大正12年生まれ。昭和14年星塚敬愛園入園。所属なし。『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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大島青松園  萩原 澄さん



さみだれに打たせて傘をつらね来る女子大生の笑まひ明るく




いのちありて今年も聞けりひそかなる昼に筍の皮をぬぐ音
(当方の孟宗竹の筍は今年もイノシシに掘り返され、口に入るのはせいぜい2~3本か、もしくは皆無か)




まなうらに浮びてさびし亡びたるわが家の跡の赤きほほづき




この小さき島に籠らひ病みをれど青く展けし海をもつ窓




徳重と名を改むる三度目の君が余生はしづかにあれよ




こもり居の窓も明るむ如月の海へ押し出す若布とる船




友を焼く重油の煙ながれくる春の疾風に低く乱れて




の辺にねそべりて本を読みもらふかかる安けき刻の過ぐるな




ぎりぎりの訴へをする著名書に拇印を捺さむ指ひとつなく




園長と卓を囲みて茶をすする背後に疼く六十年の過去




茫茫と坐る盲の眼にしみて太古につづく海の落日


萩原 澄さんの過去記事


萩原 澄さんの記事は過去に5回更新しています。どれもすばらしい。妻の林みち子さんの記事も3回更新しています。


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ジャガイモとベーコンの蒸し煮



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巣箱の周囲を囲んでいた寒さ避けの段ボールを取り除き、春の装いにした。これは昨年、採蜜をしなかった5段重ねの巣箱で、4月10日前後に第一分蜂があるだろう。



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サクランボの開花はたった5日ほどで終わり、今度はそのそばにあるスモモが八分咲きになっているが、まだ蜜蜂は来ていない。


  
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これは去年の9月20日に最上段の一箱を採蜜した、山の4段重ねの巣箱であり、これもダンボールを取り除き、春の装いにした。右の画像のように近くに待ち受け箱を5つ設置して、分蜂群の入居を待っている。



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分蜂群を呼び寄せるキンリョウヘンはやっと花芽が伸びてきた(画像が鮮明でないが)。分蜂の入居探しの「探索蜂」が動き始めるであろう4月5日頃の開花は難しいが、4月10日頃には開花が始まるだろう。

蜂仲間の農業ハウスに置かせてもらっている4鉢(2月21日に移動)は4月5日頃には開花するだろう。





ジャガイモとベーコンの蒸し煮

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熱した無水鍋(2分ほど強火で空炊き)に大さじ1のオリーブ油を入れ、小さ目に乱切りしたジャガイモを入れ、ベーコン1連を切って入れ、風味付けに月桂樹とローズマリーを置き、極弱火で30分、火を消して余熱5分で蓋を開け、ハーブは捨て、大さじ1のオイスターソースと醤油で味付けし、イタリアンパセリのみじん切りと粉チーズをふって混ぜると出来上がり。

イタリアンパセリは4月中旬頃に播くと6月末頃から翌年4月上旬頃まで収穫が続き、まもなく「塔立ち」して終る。立ち枯れ病(青枯れ病)が多く、30株定植して、現在も残っているのは10株。



芋飯

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3合の米を洗って、50CCの酒と塩を一つまみ入れ、3合の水加減でセットすると炊き上がる。

通常は6合炊くが、芋飯はその半分の3合にしないと、うまく炊けない。炊き込みご飯は炊飯器より無水鍋を使った方がおいしい。



ゆで卵

  
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今日は種まきびよりだった。小松菜、春大根、ニンジンの種を播いた。小松菜は2週間後にもう1回蒔く。

4月18日頃、電熱温床で、エンサイ、ツルムラサキ、モロヘイヤ、スイートバジル、オクラを蒔く。

購入する苗は、ナスビ、ピーマン、トマト、キュウリ(第1回目)、ナンキン類(病気が多いので今年から育苗を止め、多品種を植える)、ゴーヤ、スイカ。 


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長島愛生園  中原 純さん



涙腺がゆるみて涙ふくゆゑに病みて一つの癖となりたり




十年をあらそひ生きし如くにて古き患者と今は呼ばれぬ




十年を生き凌ぎきて残党に似たる思ひに机にをりぬ




古き患者と人に呼ばれる一人にてへらへらと笑むこの寂しさや




5CCの液体が静脈に吸はれゆくこんなに率直にプロミンを信じ




病む吾ら陰惨のみを歌にする常にかくまでは思ひたくなし




隔離より治癩の段階に入りたれば淡あはとして保てり今日も




長く住めば小さき諍ひも吾らにあり顔までうづめ寝る友を見る




年とれば寂しくなると言ふ母の古き手紙を引出しに持つ




君もまた不自由舎を希望し移るとき口ごもり吾に涙見せしよ


中原 純さんの略歴
大正8年生まれ。昭和14年9月27日長島愛生園入園。「水甕」所属。『青磁』(昭和26年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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奄美和光園  島 立神さん



ひと月分のキザミとバットを購へばいくばくも残らぬ作業賞与金




失明のきざしにおびえつ耐えゆかん癩病み古りし己が余生を




建築費二十万円の四畳半がわれら夫婦の生涯の部屋




わが薬購うために村村を子豚を売りし亡父ぞしのばる




ハンカチで鼻を覆てる参観人そんなに癩は伝染らないですよ




手の自由奪われし妻のボタンはめ髪を梳くのも馴れしこの頃




手の悪き友は吾が手をうらやみ吾は君の目がうらやまし




いつの間に斯くもみにくく曲りしか指紋も失せし指となりたり


島 立神さんの略歴
大正5年生まれ。昭和11年星塚敬愛園入園。23年奄美和光園転園。所属なし。『陸の中の島』(1956年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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大島青松園  静森鵑子郎さん



三日月のとがる夜空や仰ぎみて身を置く方の終にあらぬを




からうじて曲れる指に持つ針のをみなぞ哀しつつましく縫ふ




学帽の古りしかむり明日よりは院の作業に従う子等か




淋しさに堪へ難き日は手文庫の古き写真を出してもの言ふ




われひとり見るには惜しき鉢の花一と日は友の枕辺に置く




薪を挽く鋸がしばしば陽に光り六月の海よ平らなりけり




手花火を焚く少女らの手もとより盆の宵やみほぐるるらしも




癩われに死ねといどみし父もまた
一生ひとよ寂しき人にありけむ


静森鵑子郎さんの略歴
『白砂集』(昭和15年)に出詠。


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鯛のアラ煮


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熱した無水鍋に、醤油、砂糖、酒、みりんを入れ、生姜1片をすりおろし、出し汁を大さじ3入れ、よく煮立ったら、乱切りしたニンジン、サトイモ、キクイモ、シイタケを入れ、15秒湯通しした鯛アラを置き、極弱火で30分、火を消して余熱5分で蓋を開け、アラを崩さないように混ぜて出来上がり。

野菜の上に置いたアラは、醤油等にふれておらず、単に蒸しただけの状態だがおいしい。下の根菜は鯛アラのダシが出ている。蒸し料理は冷めてもおいしい。「鯛のアラ炊き」「ぶりのアラ煮」を参考にした。



ナバナのおひたし

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茎の太い所と葉は時間差をつけて茹で、冷水にとり、水気をよくしぼる。



ワケギの酢味噌
  
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ワケギはざく切り(根元の太い所は縦に半割)して1分半ほどゆでて冷水にとり、水気をしぼりながらボールに入れる。小魚は15秒湯通ししてボールに入れる。酢味噌(酢、味噌、砂糖)を入れ、みじん切りしたシシウド(山ウド)をふって混ぜると出来上がり。


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東北新生園  佐藤つや子さん



両の手をのべて手さぐる我が態を母には一生見せたくはなし




網棚の荷物となりし父の骨母へ土産のリンゴとならぶ




冬近ききざししるけく降る雨に無花果の葉の音たてて散る




逝きにける三人の友と共に寝し蚊張を今年も探りつつ吊る




幾度か射ちそこねつつ今日も又癒ゆるあてなきプロミンを射つ




癩を病む父にはついに告げざりき登校の道にてさげすまれしは




小石にも躓き易き嘆きさえ率直に笑める盲となりぬ




暗きまで茂る松林通りぬけ白塗りの患者留置場を見き




流れ出る汗に失せゆく引き眉のわがみじめなるさまを夢みし




わが体の一部を見られ居る如く杖のいたみを調べてもらう




長らえて居たしと切に願わねど今日死にてよしと思う日もなし


佐藤つや子さんの略歴
大正12年岩手県生まれ。昭和15年東北新生園入園。「戸伊摩短歌会」所属。『陸の中の島』(1956年)『うもれ木』(昭和34年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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菊池恵楓園  北村愛子さん



「学校は好き」とアナウンサーに答へる新入児童へ通学拒否など知らせたくない




通学を拒ばまれゐるのも知らぬらしランドセル背おひゆく新入生四人




はるばると七年振りに来るといふ父を夫とつつましく待つ




らいを病む吾がゐることも打明けて婚約したりといふ妹は




夫の先妻が夫おもふ手紙たへがたし青き陸稲畑に向ひゐつ




叫びたき思ひに堪へて雲に向ふかくして病む身守り生き来ぬ




七年振りに逢ひ見し父は言葉なく痲痺せし吾が手労りて泣く




わが夫に先妻よりけふ手紙来れば病み臥す床に心乱るる




癩病むと知られ乗船こばまれし青島の埠頭記憶より去らず




痲痺したる手にてはタオルも絞り得ず雫たるるまま窓辺に干しぬ




産むことは許されぬ園と知りながらクリスチャンの君堕胎をこばむ




日溜りに集れば戦争をなつかしむ声となり夫はひそかに立ちゆく




ニユギニヤに生き残りし連隊百八名その中の一人ぞ癩病む夫は


北村愛子さんの略歴
10歳で母と死別。父の出征の間、叔母の元でデパートに勤めながら生活。健康診断で病気が判明。復員した父の元で療養するうち病状悪化、昭和19年菊池恵楓園に入園。昭和28年結婚。29年結核発病。作歌を始める。『陸の中の島』(1956年)『海雪』(昭和35年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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大島青松園  小見山和夫さん



病みくゆる一世虚しく思ほへば吾を産みませし母を悲しむ




ふくる夜は浴室に映す我が裸形さぶしと見つつ男なりけり




不自由室に行くべくなりて思ほへばひそけかるなり芽ぶく球根




うらわかく死にけるゆゑに哀れがるおほよその人を我はにくめる




らい患者を強制収容すべしと叫ぶ光田健輔に文化勲章あり





病む吾等覗かれてをり人間のもっとも嫌な眼の色と思ふ




うつそみの人なる我に心眼を開けとぞ言ふむごき言葉なり




小包のなかより出でし鈴ひとつ畳に転げ清き音たつ




我が義足春泥を蹴りて歩みつつ力はひとり内より発す




人間の科学宇宙へ宇宙へと伸び地の一隅に癩やみはあり


小見山和夫さんの過去記事



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ダイコンとシイタケの蒸し煮



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熱した無水鍋に大さじ1のオリーブ油を入れ、ダイコンの輪切りと、シイタケのスライス、フキノトウを入れ、極弱火で30分、火を消して余熱5分で蓋を開け、大さじ3のポン酢をまわしかけ、裏返して強火で1分ほどからめて出来上がり。

フキノトウは焦げたのではなく、熱を加えたので黒ずんだ。旬の風味がおいしい。ダイコンの季節は間もなく終わる。



タマネギとベーコンの炒め物

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熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の薄切り、ベーコン1連の細切り、タマネギのスライスの順に炒め、大さじ1のオイスターソースと醤油で味付けして出来上がり。皿にとってシシウドのみじん切りをふった。




ポン酢作り

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醤油70CC+酢50CC+みりん30CC+出し汁25CC+レモン果汁25CC=200CC(1カップ)のポン酢の出来上がり。


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沖縄愛楽園  小島住男さん



遅れじと急ぎ行く我の杖落しまさぐり拾ふ日溜りの中




盲目の女新患訪ひ行けば嬉し気に語る盲ひ我らに




探り来てやうやく口もて解きたれど包紙の薬は畳にこぼしぬ




汗ばみし額に口づけ熱を見る療友ともの仕草に瞼うるみぬ




鉛筆を手に結びつけ媼懸命に習ひをり投票日迫りて




盲導鈴の音のとだへて迷ひしが木犀の香に位置を示さる




癩故に職を追はれて無免許で人力車夫せし頃を偲びつ




人力車夫で稼ぎし金を受け取りて涙せる母の姿浮びく




古里を追はれし如く来し園にキリストの教へを受けて安らぐ


小島住男(住夫)さんの略歴
明治41年沖縄県首里市生まれ。大阪で働いていた23歳のとき母に首里に呼び戻され結婚。結婚後1ヶ月足らずで兆候が現れ離婚。治療費のため家屋敷を失い那覇のいとこを頼る。無免許の人力車夫をやっていたが、昭和12、3年沖縄愛楽園入園。薪割りをしていたとき右の目に破片が飛んでそれが元で次第に視力を失う。昭和15年失明。戦後、井藤道子の指導で短歌を始める。「樹木」所属。『蘇鉄の実』(1965年)『三つの門』(昭和45年)『地の上』(1980年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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神山復生病院  坂田泡光さん



大演習近づきぬれば癩院は厳しき監視のなかにあるべし




咽喉を穿ち救はれしいのち呼吸管より嗄れし笑みをかそかに洩らす




日に三枚越えぬ消費を限度とし塵紙が癩者に支給されたり




痺れたる唇をもてやうやくに息をころして薬包紙解く




幾度も匙落としては食む飯の十匙が程に汗は流れぬ




窓際を手探りしつつゆくわれに冬日の匂ひがあたたかくする




数十歩の湯槽の距離をゐざりゆく盲ひわが今の喜びにして




かなしくも離ればなれに義眼二つしづもりて居り洗面器の中




手萎えわが幸とせむ歯を使ひ録音ボタン押せるだけでも


坂田泡光さんの略歴
大正6年生まれ。昭和8年神山復生病院入院。「短歌人会」所属。『陸の中の島』(1956年)『未明の鳥』(昭和33年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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栗生楽泉園  笹川佐之さん



六角なすおだまきの蕾食ひてみれば裸で春にふるる味合い




癩園に捨て行かれたる女童が無常なる父の行為かばふ




医師の忠言拒みて重症の我等六人悪法阻止のハンストに入る




ハンストの是非は後で考へます今我にできるのはこれしかないのだ




座り込みする天幕の中に姉がうつ点筆の紙きる音がするどし




衰へし足かばひつつ草の香の沁みたる高野盲ひ我が行く




苦しみてつづけゐる点字の舌読を共産主義者の故と言はれぬ




生きるから時に醜くこびを言ふ冬の西日に霜柱溶ける




疑念なく物見る言葉聞きゐつつ手のりんどうをちぎりて捨てぬ




言いきれて物疑わぬこの友の年に我はまなこ盲ひぬ




危険の札さげられ遠く来し嫗の癩園につきてくつろぐあはれ




力もて隔離されいし日を思ひ武力で保つ平和はうそだ




原爆の被害者の辿る道思ふ癩末期のわが顔に似るときき




匂ひなき切昆布の煮付食みいつつ飼はれて果てん生命思ひぬ




コスモスの葉を分けひそみゐる蕾舌にふれつつ悲しくなりぬ




自らの知覚に学びうる幸の残されてゐし癩盲の舌に




心打つもののみ舌に我が読まむ痲痺及ぶ日のさけがたければ




舌読にほてりし舌を犬の如垂らして夜気にふれしめており




痲痺の手の点筆の角度を舌先に確めながら歌稿書きゆく




癩の盲両腕に支へ歩みゐし荒垣先生と聞けばこだはる


笹川佐之さんの過去記事

浅井あい金夏日らと点字舌読を最初に実行し、その後、舌読は全国の療園に広がったと言われるあなただったのに、昭和33年で突然人生を終えられた。
もっともっと、あなたの短歌を読ませてもらいたかった。


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最近の物価高はなんだ



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熱した無水鍋に大さじ1のオリーブ油を入れ、乱切りしたサトイモとシイタケを入れ、極弱火で30分、火を消して余熱5分で蓋を開け、生姜醤油にヤーコンの甘酢を少し加えたタレをかけ、強火で1分からめて出来上がり。



ワケギの酢味噌

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ワケギをざく切りして1分半ほど茹でて冷水にとり、水気をしぼりながらボールに入れる、15秒湯通しした小魚を加え、シシウドのみじん切りを入れ、酢味噌(酢、味噌、砂糖)で和えると出来上がり。



最近の物価上昇は一体どうなっているんだ!

最近、物価がどんどん上がっている。タキイ種苗の通信販売のタネ代が3割ほど値上がりし、今まで430円だったインゲンがこの春から540円に値上がりといった具合である。スーパーの価格も軒並み上り、農業資材を買っているコメリでも今まで228円だった軍手が30円上がって258円になっている。

こんなに急激に物価高になったのは、あまり記憶にない。しわ寄せは真っ先に底辺に来る。4月の統一地方選でこの思いを反映させる必要がある。ろくでもない政権と常々思っている。

   


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大島青松園  斎木 創さん



痛きまで人に愛され愛すといふ覚えなきまま病重りゐつ




年に一度癩院の外ゆく船の旅みなぎる照りの何ぞ
うつしき




健やかな人ら住みゐる街のさま船よせて吾らひそかに見つむ




乳呑児に生き別れ来しこと云ひ出で女まさしく酔ひみだれをり




空気銃まどの近くにうちし音ひるのまぼろしをつき崩したり




看護婦の手くぼひそかにみつめゐて稚き羞恥ふとよぎりたり




ひっそりと脈とられゐて看護婦の手窪なんとなく艶めく日あり




呵責なく引ずられゆきしここにして今はみ歌の碑が建ちてゐる





小部屋への希望容れられずに火葬場と解剖棟が建ち
わるなり




病みすじと幼児いたぶられ早死にし弟妹化けこよ逢魔が時ぞ




防着辞しマスクもされず患者区に殿下参られみんな驚く




宮殿下ジョーク巧みに病むわれら大笑いさせきつい昨夏なりしに




手を握り胸さわらしめ頬ずりて馳せ帰りたり小悪魔めく




生き動くわれ映りおり盲い以後まみえ会えるは夢鏡のみ



斎木創さんの略歴
大正3年岡山県生まれ。昭和3年発病により旧制中学校3年で中退。昭和9年大島青松園入園。入園以来諸誌で歌を学び、「心の花」の他に地方誌に作品を発表。昭和13年「新万葉集」に一首掲載。昭和26年「花宴」入会、32年「第一回花宴賞」受賞。第二回角川短歌賞候補。昭和59年失明。昭和61年「歌林の会」入会。平成7年没。「龍」同人。『稜線』(昭和27年)『澪』(昭和29年)『陸の中の島』(1956年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)歌集『海のこだま』(平成1年)遺稿集『斎木創歌集・角川書店』(平成9年)


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東北新生園  小泉たき さん



病み果てて吾に粧ふすべもなし手箱にパフの淡く匂へど




生きながら朽ちゆく吾身侘しめり貝殻に似し爪はさみつつ




サルビアの紅きも潔し病みつぎて狭き視野にも今は馴れつつ




病む吾の子を持たぬまま萎えてゆく両の乳房の淡きぬくもり




崩れんとする悲しみを支え来し夕べ音なく草に降る雨




花既に萎えしひまわり立ち呆けて安らう如し地に落つる影




この道を幾たび目にかわれも行かむ友の柩を送る山道




かくまでの根気をすべてに欲しと思ふ萎えたる指に針運ぶ時




子もなくて甥に書き替ふるわが土地ぞ押したる印の朱が目に沁む




かかはりの今は何もなき故里に千切れし雲がまた一つゆく


小泉たき(桜糀うめ)さんの略歴
大正7年生まれ。昭和16年東北新生園入園。所属なし。平成17年10月23日没。『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『陸の中の島』(1956年)『うもれ木』(昭和34年)


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多摩全生園  伊藤 繁さん



ま昼まの室静かなりこもろひて庭木に来鳴くひよの声きく




夕まけて小雨降り来し庭のすみ咲きて久しき萩のこぼるる




妹の送り呉れたる金をもて吾は取るなり国民文学




人恋ひてたたずみ居ればこの垣の夕顔しるく香に立ちにけり




うつそみは眼をわづらひて打見はる書の面にゆらげり活字




手術室に置かれし一つ置時計音してきざむ手術の刻を




眼科焼灼手術
開かれし眼に迫りくる赤き火をまたたきあへず吾見てゐたり




蚕飼して名に知られたる故里の冬の信濃に妹帰りけり




黒髪の匂ひを恋ふる魂あはれ深夜の床にひとり目覚し




3月25日長島愛生園に兄の黒川行く
兄上と親しむことも今宵限りと我の思ひはきはまりにけり




うら萌えの新草ぬらし降る雨の音のしたしき春となりたり




かなかなの声涼やかにかなかなと風吹き入りぬ窓の外より




絶詠
ちちのみのなしし所業憎みたれ血分けし父ぞ恋しかりける




絶詠
灯の下に落ちたる虫の時過ぎて床に翅すりそこら這ひ廻る




身に一つ纏ふものなく生れし日にかへる思ひの吾にありけり



伊東繁(伊藤繁)さんの略歴
全生病院。昭和3年から作歌を始める。「国民文学」社友。「黒川眸」を兄と慕う。昭和6年8月23歳で夭折。『東雲のまぶた』(昭和5年)『歌集しげる』(昭和6年)は歌友(鈴木数吉)がその夭折をいたんで孔版印刷で作ったもの。


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煮豆をカレーに

 

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昨日のナバナのおひたしの残りと魚ソーセージを乱切りして炒め、半分はカレーに使い、残り半分はニンニク醤油で味付けした。



大豆の煮豆→カレー

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昨日のダイズの煮豆に、ルーを1個と上の炒め物を入れ、煮立ったら弱火にして10分ほど煮て出来上がり。

大豆の煮豆はしばしば作るのに、初めて、カレーにリメイクが思い浮かんだ。食べる前からおいしいだろうと思った。煮豆はカレーと相性がいい。ポークビーンズのようだった。

けんちん汁も同様、肉類が入ってなくても、おいしいカレーになる。



出し汁作り

    
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5時間ほど水に浸した干しシイタケ、煮干し、昆布を中火にかけ、煮立ったら弱火にして削り節を入れ5分ほど煮出し、出し殻をすべて取り出し、再沸騰させてアクをとると出来上がり。


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東北新生園  今野新子さん



新しき下駄の鼻緒の目じるしに結びし小布手探りてみる




記憶せる文章なれば指先に潰れし点字もなめらかに読む




面会よと告げられたれば身づくろう手ももどかしく帯を結びぬ




吾の背を洗いくれたる補導婦の掌は荒れいたり農婦のごとく




手のひらに固きたこあり二十余年杖握りたるそのしるしにて




寝苦しき夜半に詠みしをメモすべく点字を打てば音のするどし




ようやくに打ち終わりたる点字文読み返す指に誤字をさぐりぬ




見えし時のしぐさのままに包丁を磨きつつおれば心足えり




隠れ病む吾にてあればアンケートにためらいながら本名を書く




息つまる思いにて聞く言語障害の少年の読む文集録音




見えし時もとめし羽織ひろげつつ柄の記憶のうすれしを思う




生甲斐は何かと問われしばらくを黙しておりぬ長病むわれは



今野新子さんの略歴
大正5年生まれ。昭和15年東北新生園入園。「戸伊摩短歌会」所属。『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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多摩全生園  桜戸丈司さん



足るを知るこころをねがふひと鉢のまつばぼたんに水注ぎつつ




いづくにか夜半の二時打つ鳩時計口添えて指の繃帯巻き直す




園長の懲戒検束権に苦しみし昔を涙し語るを聞きぬ




一生ひとよ
の隔離も民族浄化のため耐へて死に行きし生命いく千




父に抱かれ庭に遊びし淡淡し一つの記憶
一生ひとよ恋はむかも




オルガンに向ふは十年ぶりにして萎えたる指をさびしみにけり




人間復帰の命を惜しみ生くる園に知らぬ間に国警監房の工事始まる




座敷豚と罵られつつ人権も認められず過ぎ来し四十年




ありありと眼開きてピアノ弾きし夢さめてうつつの思ひ儚く




ピアニストになり得ざりしもみ摂理とし知覚にぶき指にヨブ記を読む




木の芽匂ふ春の嵐の吹きしきて埃はまぶた閉ぢぬ目に入る




少年のある夜母と仰ぎし一つ星永遠なる光母を恋はしむ




窓閉ざし指読する部屋に匂ひつつザボンの皮の煮ゆるたのしも




苦しむためのいのちなりともおろそかならず夕光に返り咲きし沈丁花匂ふ


桜戸(桜井)丈司さんの略歴
1908年3月新潟生まれ。15歳で発病。草津の聖バルナバ病院に入院。コンウォール・リーの感化でキリスト教に入信。1923年4月20日受洗。霊名ダビデ。1932年11月一夜にして失明。点字を習い短歌を学ぶ。1936年「アララギ」入会。土屋文明に師事。1941年聖バルナバ病院解散、多摩全生園に移る。昭和61年没。『高原歌集』(昭和12年)『陸の中の島』(1956年)『輪唱』(昭和34年)『棕櫚の花咲く窓』(昭和40年)『三つの門』(昭和45年)『開かれた門』(昭和53年)『青葉の森』(昭和60年)


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栗生楽泉園  笹川佐之さん



渡り職の炭やきの子吾も癩園に住みて歌など作りはじめぬ




生きる悩み病む苦しみのことは言はず君はわい談しヒステリックに笑ふ




点字の本希望者は事務所までと言ふ放送に痲痺の手をさすりみる




何による欲心なるかいらいらと凍てたる道の凹凸を来ぬ




夜のしじまに音立てて下水流れをり思ひしずめむと来し道の辺に




桜の枝痲痺の手にたわめ蕾と花を口に含みぬ盲の我は




針仕事していし姉が唐突に面会に来ぬ父をなじるがに言ふ




六月五日朝降る雨の中を友等に歌会の場所伝へ廻る




朝な朝な咲く朝顔の数姉に聞きつつ記憶している




探り杖痲痺の指伸ばし握らせて春の吹雪に出で行かむとす




谷合ひの村に降りゆき取り来しと蕗のとう四つ五郎君がくれぬ




味噌汁の味変る程蕗のとう浮かしし飲みて足らふ思ひか




点の数調べつつ一字を舌に読み言葉となれば声に出して読む




世にうとき盲の我の日日を想ひ雑誌「平和」読む会に入りぬ



笹川佐之さんの過去記事



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ダイズの煮豆



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青大豆は一晩、水に浸しておき、ニンジンとヤーコンは小さく角切りし、シイタケも小さく切る。

圧力鍋に戻し水ごと大豆を入れ、戻し水を少し減らし、ニンジン、ヤーコン、シイタケを入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、ゴマ油を数滴入れ、最後に出し汁を入れながら目分量で水加減を調整し、強火でおもりが回り始めたら極弱火にして20分、火を消してそのまま放置して出来上がり。3日間で食べ終える。





炊き込みご飯

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3合の米を洗って無水鍋に入れ、2カップの水、1カップのだし汁、酒と醤油を各50CC、残りの水を半カップ(合計水分量は4カップ)入れて混ぜる。

具材は、サトイモ、ニンジン、キクイモ、シイタケ、山芋の子(むかご)を適当な大きさに切って入れ(具材は混ぜない)、7分ほどで煮立ったら極弱火にして30分、火を消して余熱(蒸らし)30分で蓋を開け、さっくり混ぜて炊飯器に移して保温する。

キノコの炊き込みご飯」を参考にしている。



ナバナのおひたし

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定番です。



ネギ卵

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ボールに卵3個を溶き、砂糖と醤油で味付けし、熱したフライパンに少し油を入れて流し入れ、小口切りしたネギをふり、蓋をして極弱火で4分ほど焼き、表面が乾いたら巻くと崩れない。火を消して余熱2~3分で出来上がり。


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栗生楽泉園  沢田五郎さん



桜の枝にあるかなきかの冬芽なりそっと噛んで見る奥深き生命




女中にて姉が得し金せびりたり父は貧しくわれら幼く




腕を組み戦列に伴う君らなくば孤独のらい者にてあるいは果てんか




手を曳いてくれ顔に噴く汗は拭いてくれ明日を開く友らの暖かきこと




ペンを咥えて字を書く君と知らざりきその字さげすみしこともありけり(「新堂ひろし歌集」を読む)




心楽しく縊られよという説の裏打ちに使われてありハンセン氏病の位置




父が付けし名を変え隠れ病みいたる兄はその名を戸籍名にする




かけがえなき生命さし出し償なわねば消えざる罪か草川たかし




罪なきに罪ある如く在るらいを文に嘆きし囚徒なりけり




明日処刑告げられて詠みし君が歌読みすすむ時時間停止す




(高橋あきと結婚)
幾年ぶり猛り来し男の心かもその荒荒しさを愛しむわれは




待ちわびし春とも遅すぎた相聞とも淡淡と痲痺の手重ねあう




病癒えて兄は印刷屋開きおり兄嫁は庭に菜をきざみおり




地の果てにか細く住めり時過ぎてらい者の列は公衆の前を


沢田五郎さんの過去記事



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長島愛生園  芝山輝夫さん



ひまわりの黄に輝ける此の真昼汗出でぬ身の火照りに苦しむ




遺骸なきがらの運ばれゆきしベッドにはまだ新し義足残れる




死にゆきし人の金もて供物買ふ侘しき慣いの相談を受く




ひさびさに届きし義姉の便りには破談となりし姪のことのみ




義肢に擦れ傷みしズボンたたみをり一日終れば終る哀しみ




カーテンを開きて人の動く窓二月の光あたたかく差す




倖せなる未来よあれよ椅子車あやつる少女の胸ふくらめる




療園に終る一生は詮なけれ呼ばれてみたき父といふこゑ




癩園に二代勤むる職員をわれは知りをり長く病みきて




療園といへど生活に差のありて支持党異なる看板が立つ




長病みて崩えたるわれに被爆かと問はれうなづく奈良の旅路に


芝山輝夫さんの過去記事


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多摩全生園  山岡 響さん



暁のまどろみに見し寸劇の夢に黙して亡き友居りし




十年の個室の暮し看取りくるる世代は移り声若やげり




わが庭に赤きアメリカ芙蓉咲きめしひ寮舎は昼の安静




今朝咲ける芙蓉に指頭触れてをり傷をもたざる薄き花弁




火の匂ひのどに静かに広がれりこの焼き茄子は友の手づくり




わが歌集手にまさぐりて一人居りさびさびと紙の匂ひ立ちくる




東京タワーの店に求めし皮の財布音のよき鈴選びて結ぶ




口述のペンの動きを耳に追ふ筆跡美しき人と聞きにし




元旦に生きの証のうたを詠む生かされてこし一人の生の




一人居の部屋にいのちの息を吐きうた詠む我と匂ひつつじあり




匂ひ濃き大きな黄薔薇にふれてをり瞼にどっと花あふれこよ




手を振りて盲目の闇払ひたし昼寝覚め際の暗きに戻れば




清めたる義眼瞼に冷たけれ盲ひて会ひしこの季節感




文章の構想胸に綴りつつ点字に打てぬ悔しみを積む




山百合の莟すぼまる先割れて花となりゆく匂ひを吐けり




両の手に納まる小さき骨のつぼ死にとは斯くも軽きものかな


山岡 響さんの過去記事


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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