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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

多摩全生園  木谷花夫さん(2)



子の故に生きねばならぬ命よと今宵もわれに声迫り来る




孤児となるべきさだめ負はしめて終に術なしわれの幼子




ひたむきに生きたきゆゑに医師の前苛赦なき屈辱をわが受けてゐつ




夏の夜の明け初むるころ崩落のごとき眠りをもちて衰へぬ




荒荒しく病みの苛立ちをいふ吾にこのごろ妻が反発して来る




簡素なる生きざまといへど一椀のスープを一日ひとひかかりてすする




外科治療補助婦となりて働ける妻よ収入日は菓子など買ひ来る




耳の中に泪の流れ入りしまま静けかるべしや今朝の悲しみ




このわれの微けき生命看護婦の友らがくるる血にぬくもれり




声の郵便

童謡を歌ふ幼子よ父われの面も忘れて育ちつつあらむ




黄なる涙

蜆汁日毎にすする現身の眼に黄なる涙たたへて(黄疸併発)




癩予防法改悪反対の運動、全国癩療養所に於て一斉に高まる

動ける者皆出で行きて癩園に残れるは重病患者のわれらのみ




刻刻に情報を伝へつつすでに遠く炎天を行けり癩陳情の一団




身に秘むる一つ二つは言ひ出でてわれの終りの死に向ふべし




病人らの今日の怒りは医師怠慢昨日は配食のこと明日は何がある




残照の衰ふるとき枯草の中よりたちて石かがやけり




やうやくに放屁果せしやすらぎに泪こぼして日の暮れをあり




病む視野にさくらは見えずとどろとどろ脹れたる腹の鳴るひもすがら




春蚊出でて今宵しきりに近づけどわれは敗北の顔さらしゐる




癩留置場設置反対運動

鞭打たれ血を吐きて土に伏したりき無断外出を問はれし患者




2030年 農業の旅→ranking


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多摩全生園  木谷花夫さん(1)


生れくる日に

療養所に於ける癩者の結婚には幾多の問題はあろう。が、結婚前に断種手術を受けるのは、人間としてのせめてもの良心に依る。思わざる衝撃は、それだけに私達を動顛させ、深い苦悩に突落した。



1 胎動

癩園に妊りたれば妻の上に挑み来る仮借なき声よ眼よ




妊りし妻に対ひて断種せしわが身の何を言はむとぞする





つきつめし思ひをもちてわが立てば泪ためつつ妻の眠れり




親と子の生活許さぬ癩園の規則の中に子を生まむとす




Ⅱ 出生


颱風の過ぎにし月の光る道ひた走るわれに子の生れむとす




生れし子を連れて移りし病棟の個室を飾るもの何もなし





子に感染す病ひを怖れ断たしめし母乳を夜半に妻しぼり捨つ




或る夜ふと恐しきおもひわれに湧きみつめ居たるに子の笑みにけり





Ⅲ 別れ


子を遠く行かしむわれら生の世に又会ふなどと思ふべからず




子に着せてやるべく妻の縫ひ上げし衣はなやげり冬更けし燈に




病む親のゆゑに離されてゆく吾子がやがて嘆かふ時迎ふべし




Ⅳ 子に会ひにゆく


子の写真うつしきたらむと借りてきしカメラいくたび手にする妻ぞ




傷のごと残れる痛みわがもてりいかに名告りて会ふべきぞ子に




とまどひを持ちて撰べり子に履かす赤き靴青き靴小さき小さき靴




船下りて島の坂道を登りゆくわが子よ会ひに父われは来し





Ⅴ 保育所


幼子に飴の包みを握らせてはや術のなくわがありにけり




言葉知らぬ幼子にして何思ふわれに一途なる瞳を向くる




人目なき山陰に来てわが抱くあはれわが子のその小さき体




たはやすく又来たらむと子に言ひてわが身虚しき涙たたへつ




病み重る日々

離れゐて遠きわが子がさやかにぞもの言ひ初めしと今日の便りや




重病棟にベッドを寄せて妻と生くる縮小されし現実の中




半熟の卵黄一つ食べ終へて重大なる使命を終へし如くゐる




平凡な療養者にて終へゆかむ病み衰へし日に願へるよ




癩園の限界の中に突き当り行き当りして生きるまでのことか



木谷花夫(田所靖二、田中真砂穂、田中正雄)さんの略歴
1919年1月19日山梨県に生まれる。1930年4月8日全生病院に入院。短歌を中心に、小説、詩、俳句を制作。歌集に『石上の火』(1959年日本文芸社)。小説は二篇が『ハンセン病に咲いた花戦後編』(2002皓星社)に収録されている。1961年6月15日死去。『石上の花』(1959年)


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ブリの照り焼き


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正月だから、いつものアラでなく切り身を買った。片面だけ塩をふって30分ほど置き、さっと水洗いして、15秒湯通しする。

熱したフライパンに大さじ1のサラダ油を入れ、弱火にしてブリを置き、蓋をして5分焼き、裏返して5分焼き、醤油大さじ2、みりん大さじ2、酒大さじ2、砂糖大さじ1のタレを入れて3分ほど焼き、裏返して3分ほど焼き、火を消して3分ほど蒸らして出来上がり。合計20分ほど。

こってりふわふわ☆ブリ照り焼き」と「ぶりの照り焼き」を参考にしたが、肝心の片栗粉を皿に出しておきながら付け忘れた。それでもおいしく焼けたと思う。



サツマイモのおやつ

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熱した無水鍋にバターを入れ、乱切りしたサツマイモを入れ(混ぜない)、蜂の巣を置き、ユズ1個の果汁を入れ、極弱火で30分、火を消して余熱5分で出来上がり。さっくり混ぜて皿にとる。




年越しそば


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これは家人が作った。具材はアゲ、チクワ、ネギ。


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松丘保養園  小山蛙村さん



林檎など持てば香りを嗅ぎてみるこの性癖も盲ひてよりか




驚きの視線あつめて後遺症多き吾が裸体あり手術台の上に




塵紙を
くわへ厠に探り行くさまをさらしぬ幾つかの眼に




手にフォークを縛りて食ぶる吾が側にさはさはとりんごの皮をむく音




幾重にもりんごの花に囲まれて小屋ありそこに隠れ病みにき




年毎に窪み萎えゆく両眼を今朝も手探りねんごろに洗ふ




友は沓に吾はズボンに小鈴鳴る信号の如く行き交ふ廊下に




道のべの牡丹の花に杖解れて迷ひたる身の向きを変へゆく




古里の弟に嫁ぎしその人に隠れ病み三十年経てわれは今逢ふ




包むなく癩の身を言はむ後遺症の多き面上げて吾は義妹の前に




直なるは一指もあらぬ手の爪を菊薫る縁に切りてもらへり


小山蛙村(桂村)さんの略歴
大正3年青森県生まれ。昭和9年松丘保養園入園。昭和24年白樺短歌会入会。昭和25年「水甕」を経て昭和36年創刊と同時に「自画像」入会。他に「きさらぎ」所属。昭和56年逝去。享年68。『陸の中の島』(1956年)『白樺』第一集(昭和32年)『白樺』第二集(昭和38年)『三つの門』(昭和45年)『白樺』第三集(昭和47年)『白樺』第四集(昭和58年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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栗生楽泉園  沼尾神四郎さん


日々の呟き


朝なさな時計に向い聴力を振子の音に確めてみる




スピーカーより流るるわれの歌声のよくぞ似しかな亡き父の声に




引き出しは素直ならねど想い出のこもる机といたわり使う




故郷には甥のその子が農を継ぎ癩を病みいる我を知らぬなり





かくも醜く容貌かえし癩なれば世の偏見もわかる気がする




閉じぬ唇指にて押さえものを食う我が生きざまを世の人見るな




欠かさずに食事取りつつ痩せゆくは身に恐ろしきもの潜み居るのか




行先を子らに言い繕い妹は遠く療園の我を訪い来ぬ





幾十年経ても故郷は有難し電気毛布がシーツが届く




長兄逝き次兄も逝きて療園に病み惚け居る三男我は



沼尾神四郎さんの略歴
大正2年1月27日生まれ。昭和16年10月5日栗生楽泉園入園。「群馬歌人」「高原短歌会」所属。平成元年1月没。『盲導鈴』(昭和32年)『山霧』(昭和41年)『冬の花』(昭和53年)『凍雪』(昭和63年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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沖縄愛楽園  里山るつさん


屋我地島


歌の道学びてよりは盲しいたる吾の生涯も豊かになりぬ




浮び来る歌書きしるす術なくて浮んでは幾首か忘れてゆけり




日もすがら聖句の暗記しておれば盲の吾の日の短かり




癩盲にも耐えて生きゆく尊さを沁みて思えり死刑囚の手記に




仕事のない時しか読めぬと雨の日を養父は吾がため歌集を開く




聖堂より心すがすがと帰る道に朝の味噌汁ゆたかに匂う




自らの権利を主張せんと口びるにて探りて投票用紙に記す




舌読で点字聖書を学ぶという友よりの便り意欲に満てり




竹槍と石もて幾度も迫害されつつ沖縄の癩者を救い来し君




久々の試歩を義母に連れられて熟れしトマトの畑めぐり来ぬ




学生らと膝をまじえて語るさま故里の肉親に見せたく思う




療養の身の慰めに歌詠めと逝きにし兄の声よみがえる




亡き父の面影知らず母も兄も若くして逝き三十三年忌迎う




ありし日に養父が植えたる庭の百合朝の陽光にほのぼの匂う




二十余年苦労を共にせし療友ら復帰真近に次次逝けり




杖持つを恥じらい居しが叱咤され杖音はずますこの頃となりぬ




探りつつひとり出で来しこの辺り杜の近くか磯鳩の啼く




盲我の手足となりし養母逝きてなす術もなく茫然と居り




歌会を催すたびに吾が歌を喜びてくれし養母は在さず




歌も手紙も代筆してくれし井藤姉の去らるると聞けば切なくさびし




相抱き盲二人が涙しぬ三十年振りの再開なりて




三十年振り我が訪れし星塚の友ら多く盲となり居り




幼な時に両親なくせし我に尚叔父叔母ありて面会に来ぬ




鈴木先生の整形に垂足の足癒えてながき階段易易のぼる




「地の上」の合同歌集を喜びて亡き義父母の夢に顕わる




まとめたる歌忘れぬ間に代筆を頼めば看護生辞書をめくりぬ




亡き兄の遺志を守りて盲我歌を学びて四十年近し




園の生活豊かになればなる程に義父母と苦労せし歳月偲ばゆ




幾年を夢に抱き来し吾が歌の歌集になる日を指折りて待つ


里山るつ(るつ子)さんの略歴
1922年6月26日沖縄県那覇市生まれ。翌年8月父死亡。1933年12歳で発病。1934年母死亡。1935年12月兄とともに星塚敬愛園入園。1939年兄死亡。短歌を作っていた兄の死後、作歌を始める。虹彩炎から極度の弱視になり1942年失明。1943年3月15日受洗。養父母とともに1947年5月13日沖縄愛楽園に転園。1951年「樹木」入会。1970年養父、1973年養母死亡。失意のうちから作歌を再開。『陸の中の島』(1956年)『蘇鉄の実』(1965年)『三つの門』(昭和45年)『地の上』(1980年)『屋我地島(昭和58年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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ダイズの煮豆


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いつもの出し汁作り。



ダイズの煮豆

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ダイズは一晩、水に浸しておいた。圧力鍋に戻し水ごと入れ、ニンジンを角切りして入れ、ヤーコンは角切りしながら水(酢水)に3分ほど浸し、水切りして入れ、キクイモも少し入れ、上の出し殻もざく切りして入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、ごま油を数滴入れ、水加減を見て出し汁を少し入れ、強火でおもりが回り始めたら弱火にして20分、火を消して30分以上放置して出来上がり。




ホウレンソウのおひたし

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すき焼き

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ハクサイ、ネギ、タマネギの具材を切り、先日の残りの牛肉60gは15秒湯通ししておく。
フライパン(無水鍋の外蓋)に出し汁を入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったらハクサイ、タマネギ、牛肉を入れて蓋(無水鍋の中蓋)をし、5分ほど煮てネギを入れ、蓋をして3分ほど煮て火を消し、3分ほど蒸らして出来上がり。
    


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栗生楽泉園  近間 治さん



衰へゆく視力なげきて朝床に障子の桟を吾は数えつ




生きてまた逢い語る日のありやいなや六十五の父と癩古りし吾と




幾百の針あと硬化せる静脈にプロミン射ちつつ果つる命か




殺人用原子力研究は進めども未だ癩菌の培養ならず




社会保障費をへらして作りしジェット機か療舎の玻璃戸ふるわせてとぶ




見えぬ眼なら縫ってしまえと言われおり痛む眼の手当されつつ




忌み嫌はるる癩者に体売る女生きゆくためとさりげなく言ふ




手術后の眼を近づけてまじまじと病み崩えし手をみつめつつおり




わが死なば骨を包まむ白き布病室に入る所持品の一つ




ガリガリと足の腐骨を切除さるることにも馴れてなげきもわかず





弟も癩に侵されて死にしこと八年を経て吾は知りたり




癩の身になし得る抗議はただ一つ安保反対の署名あるのみ




知覚残る唇のあたりより汗垂りて濡れし点字書舌先に辛し




手術して視力僅かに蘇る眼に草の緑を飽かずみつむる





十年ぶりに読書の意欲湧きてきぬ点字五十音舌読し得て




広島原爆犠牲者に黙祷す舌読中の点字書ひざにおきて




癩と肺身に病みながら盲ひ吾れ死の灰の降る世に生きむとす


近間治さんの略歴
大正13年9月17日生まれ。昭和10年12月13日入園。「高原」短歌会。昭和52年没。『盲導鈴』(昭和32年)『山霧』(昭和41年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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今日もタジン鍋


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今日は魚介類だったので大さじ1のオリーブ油は入れず、キャベツに水分が多いので、水も入れない。

キャベツを手でちぎってタジン鍋に入れ、生姜1片をすりおろし、15秒湯通ししたサケを置き、10分ほど水で戻した干しシイタケを置き、胡椒で味付けし、弱火で15分、火を消して余熱5分で出来上がり。ポン酢で食べる。



ポン酢作り

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醤油70cc+酢50cc+みりん30cc+レモン果汁(ユズ果汁)25cc+だし汁25cc=200ccのポン酢の出来上がり。



ダイコンの蒸し煮

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熱した無水鍋に大さじ1のオリーブ油を入れ、1センチほどに輪切りしたダイコンを置き、水で戻した干しシイタケを入れ、極弱火で25分、火を消して余熱5分で蓋を開け、裏返してポン酢をまわしかけ、強火で1分煮て出来上がり。

「うまうま☆大根ステーキ(バタポン味)」を参考にした。レシピではオリーブ油でなくバターを使っている。




目玉焼き

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大根の残り油で目玉焼き。


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多摩全生園(身延深敬園)  山川草木さん



飼ひ馴れし乳牛を今は手離して明日癩園に発たむと思ふ




育て来てやっと役立つ牛なれど癩やみて今手放さむとす




癩園の向ひの畑に青青と伸びゆく麦が日増しに目立つ




今日も亦治療具さげて傷を病む不自由の友を治療に廻る




プロミンもP54も効なく病ひ重りゆく吾が行く末は




粟粒に満たぬ程なる蟻でさへ餌を探して生きゐるものを




隠れ病む吾に代りて家支ふ妹も早年頃となれり




隠れゐる部屋の障子を細く開け遠きどんどの火をかいまみる




癩われのありて縁談の破れたる妹が食事の支度しくるる





くれぐれも身を労れと言ひ置きて帰りゆく父の復たふりむきぬ




母そはの作り給ひしやはらかき布団に吾は病む身養ふ




かた手間に時計修理す癩癒えて世に出る希みなほもすて得ず




から梅雨の暑さにあわてすだれあむ妻と二人の新しき部屋




バケツに植ゑて実れる稲ありて粥が一食分ありと友は言ふ




友のくれし金魚が小さき水鉢に浮きつ沈みつしてただ一尾




衣類買ふ時すら柵のへだてあり手をふれし物は買はねばならず




身の廻り整へて眉植毛の手術まつ君のいきいきと見ゆ




六十路なる母がいまなほ山畑に鍬をふるひて吾を待つとふ




金魚鉢泳ぎ廻れる出目金が鉢いっぱいに映るをりをり




足どりの軽く帰りゆく看護婦の一家の夕餉楽しかるべし




木を担ぐ吾に触れてもためらはず手伝ひくれし土方の一人


山川草木さんの略歴
身延深敬園。『陸の中の島』(1956年)『河鹿集』第三集(昭和33年)『河鹿集』第四集(昭和38年)


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栗生楽泉園  松崎水星さん


樅の木


血を吐きて友の死にたるこのベッドに吾また胸を病みて臥すなり




尿終へてベッドの上によぢのぼり動悸しづめるまでの苦しみ




六年臥す人と並びて病室に吾も静かに年越さむとす




大工道具の手入れ終りて夢の中走り戻りぬ病棟の夕餉に




検痰用シャーレに墨をぬりつけて日食見てをり看護婦と患者と




壁づたひに歩みてゆけと声あらく看護婦は吾の手をはなしたり





静かさは斯くの如きか隣室の寝息聞こゆる壁をへだてて




雪の中来りて友ら窓外に讃美歌うたひぬ病む吾のため




アララギに振仮名入れて読みくれし若き看護婦を思ふことあり




配食時間心にかけつつ看護婦が吾が枕辺に歌読みくるる




今朝活けし牡丹の花に面よせて舌に探れば露ふくみをり




治療終へ看護婦と帰る道すがら庭に憩ひて茱萸ぐみの実を食む




摘みて来し山あざみの花活けくるる新人看護婦に親しみの湧く




子規の歌廊下に出でて聞きてをり野球放送聞く友等離れて



松崎水星さんの過去記事


松崎水星さんの過去記事


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タジン鍋



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ウインナー3個は斜め切りし、ニンニク10片は皮をむく。タジン鍋に大さじ1のオリーブ油を入れ、スライスしたタマネギを下敷きにして、薄切りしたジャガイモとニンジンを置き、ウインナーとニンニクを置き、風味付けにローズマリーと月桂樹を置き、胡椒で味付けし、弱火で25分、火を消して余熱5分で出来上がり。ポン酢で食べる。「まるごとニンニクとポテトのオイル煮風」を参考にした。




ヤーコンとカブの甘酢漬け
  
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まず甘酢漬け用の出し汁を作る。2カップいるので、2カップ半の水を入れ、昆布、干しシイタケ、煮干しを5時間ほど浸して火にかけ、煮立ったら出し殻を取り出し、砂糖100g(50g×2倍)を入れて溶かし、酢を240cc(120cc×2倍)入れる。

つまり一瓶で、出し汁180cc+砂糖50g+酢120cc=300ccの甘酢が必要で二瓶だからこの倍。



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ヤーコンは皮をむいて1センチほどに切り、アクが多いので切りながら小さじ1の酢水に浸す。水切りし、沸騰した湯で30秒茹でて冷水にとり、瓶に入れる。

カブは皮をむいて薄切りして塩もみをし、途中で3~4回もみながら1時間ほどおき、さっと水洗い(早くしなっとするように多めに塩をふっているから)して水気をしぼりながら瓶に入れる。

ヤーコンもカブも冷めた甘酢を注ぎ、今回はユズの皮をすりおろし、半分に切って果汁も入れ、生姜1片もすりおろしていれた。明朝には食べれる。

無くなったら、すぐ次を仕込む。どちらもおいしい。
 


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栗生楽泉園  福島まさ子さん


花の香ありて


癩の宣告うなずくわれに医師立ちて乳飲ませよと吾子見やりにき




わが乳首吸っては離す幼子もただならぬ気配感じたるらし




くすくすの鼻吸いやればふと笑みて乳首含みし吾子を忘れず




柔らかき舌に包みて乳首吸うこの子を連れて入り難き園




授乳すめば奪うがに夫吾子をとる幼児期の伝染率高しを言われ




義妹に負われて帰る幼子をただに見送るわれの術なさ




わが肩
に夫の手あたたかくおかれあれど地に沈むばかり吾子との別れ




漲りて痛む乳房を抱きつつ吾子いる彼方爪立ちて見き




帰途の車中泣き通しに泣きし吾子とかや義妹の文は今も泣かしむ




白妙のジャスミンの花盲いわが唇に触るれば花弁の甘し




杖つきて行きなずむわれをおりふしに手をひきくれし人は今朝逝く




島木赤彦全歌集テープ十六巻読みくれし介護員君は今亡し




寒に入りて花咲き初めし沈丁花夕べの部屋に香り放てり



福島まさ子(マサ子)さんの略歴
大正5年東京生まれ。父は運送業。4歳の時母がなくなり、群馬の叔母の手で養育される。昭和14年父が運送業を止め帰郷。昭和16年6月隣村の養蚕指導員と結婚。17年女児出産。病気の兆候が現れ12月乳飲み子を連れ栗生楽泉園に受診。そのまま乳飲み子と別れて入所。19年前夫と正式離婚し園内結婚。昭和29年夫と別れ不自由舎に移る。浅井あいの勧めで短歌を作るようになる。41年「潮汐」入会。『山霧』(昭和41年)『冬の花』(昭和53年)『凍雪』(昭和63年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『高原短歌会合同歌集』(平成4年)『花の香ありて』(平成6年)


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長島愛生園  金沢真吾さん


日々あらた


牧師あり医師作家あり教授あり癩園高校にかつて学びて

(癩園高校は長島愛生園だけにあり、全国の療園から若き学徒が難関を突破して集まった)



やや距離を置きてつき合ふ友ゆゑに常に親しく常鮮しく




悲しみを深く沈めて上澄めるこの透明を風よ濁すな




溜めためし涙のごとく山茶花は触れしわが手に花ふりこぼす




わが名呼ぶ彼の夜の母が声かとも霧笛の音は真夜を貫く




髪洗ふ母がさらしし髢禿見しより知りし女のかなしみ




耳朶を吹く微風に君が溜息を想ひ出だして嘖まれゐる




盲ひし眼にうつつはまぶし露に濡れ桑摘む君がまなざしぞ顕つ




まなぞこに君を閉ぢこめ潰えたる日より涙は流れて止まず





杖音にはたと鳴き止む邯鄲よ汝も聴覚に命生くるか




包まるる黄昏色は盲目のわれに賜ひし平安の色




妻に子に逢はむと島抜け試みたる病友幾十呑みし海峡
(最短でたった30メートルほどの距離なのに、潮の流れが早い)



癩盲の我ら看取りて退き行かす君が二十年疎かならず




「さやうなら」と手はとられつつめくるめく想ひ溢れて言葉とならず





橋成りてわが療園の夏祭人いきれ迷子もの焼く匂ひ




子ら持ちて帰らぬと言ふ君の遺骨他人われらの相寄り拾ふ




癩癒えて余病に逝きし君ながら遺骨を子らは島に置き去る




事故車の辺に寄らば病がうつると言ふポリスの言葉死者を鞭打つ
(20年ほど前、長島に帰りつく直前のブルーラインで起きた、入所者6人即死の大事故。僕の記憶にも残っている大事故だった)



はばからずわが言ふべきを言ひ放ち透明人間のごとくわがゐる





自治会存続めぐる議論もつづまりは語るに落つる保革確執
(長島愛生園でも過去にすさまじい対立があった。加賀田一さんの「いつの日にか帰らん」に詳しく載っている。療友という深い友情とは別に、他の側面ではこういう対立も多かった)



顔色を窺ふるすべのなきを利し今日は会議に自説貫く


金沢真吾さんの過去記事


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黒豆の煮物


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黒豆200gは一晩、水に浸しておいた。前回より70g増やした理由は、圧力鍋が大きいので、量が少ないとうまくいかない。

戻し水ごと圧力鍋に入れ、砂糖100gと蜂の巣を入れ、醤油を小さじ1入れ、おもりが回り始めたら極弱火にして20分、火を消してそのまま放置して出来上がり。

簡単おせち★材料3つの黒豆」を参考にした。「おかず」にも「おやつ」にもいい。





ポトフ→カレー

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昨日のポトフは汁を少しとり、カレールーを1個入れ10分ほど煮込み、カレーにした。



ダイコンの味噌煮

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乱切りしたダイコンを鍋に入れ、出し汁を入れ、水も少し入れ、煮立ったら弱火にして味噌を半量入れ、砂糖、みりん、酒を入れて10分ほど煮て、湯通しした豚肉100gを入れ、残りの味噌半量を入れて5分煮て、最後にユズ1個の皮をすりおろし、醤油小さじ1を入れ、さらに2分ほど煮て出来上がり。(野菜はともだち)参照。



今日のミツバチ
 
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暖かかったお昼時、元気に飛び回っていた。この場所は風当りは強いが、朝から夕方まで一日中、陽があたる。


ミツバチ大量死?の農薬 残留基準緩和へ

厚生労働省の部会は24日、ミツバチの大量死の原因と指摘されているネオニコチノイド系の農薬「クロチアニジン」について、食品中の残留基準を緩和する案を了承した。化学メーカーからの適用拡大の申請を受け、内閣府の食品安全委員会の評価を踏まえ設定した。ただ、欧州連合(EU)の基準値より緩く、環境保全団体が反発している。
クロチアニジンは日本ではコメや大豆の害虫対策に使われている。今後、国民への意見募集などの手続きをへて、新基準が正式に決まれば、今まで使えなかったホウレンソウなど、より多くの農作物に使えるようになる。
基準案は「人の健康に問題ない」としたもので、生態系への影響を考慮していない。(朝日新聞12月25日)

もともと甘かった基準がもっと甘くなる。食品安全委員会のメンバーはどういう人が選ばれているのだろうか。
   


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駿河療養所  双葉志伸さん



虎杖の花



かさなれる屋根屋根寒き月に照る夜の癩園に入園をせし




あきらめのつかぬ吾なり山の端のくれなゐの陽をふり返り見る





生きてゆく日日のめぐりの甲斐もなく癩園の縁に夜具を繕ふ





亡き母が呼び居る如き思ひにて吾は老いゆくまた年ひとつ




萎えし手に林檎あやふく持ち上げて率直にありぬ一刻の幸





鬼百合の黒き斑点浮きたたせ昨夜の露がこぼれ落ちたり





病みつつも希望捨てまじ霜枯れの野に開墾の鍬を打ちふる




枯草を背負ひて立てば寒寒と夕日の中のながき吾が影





ふるさとのお茶が飲みたし離り来て十三年目の今朝の目覚めに





からからに枯れし路傍の草なづる働らく術を忘れ来し手か





レントゲンに撮らるる値なき足か医師はつぶさに切断を告ぐ




二時間後切り落とさるる足の毛を剃られつつをり涙湧き来る




痣ひとつ断たれし足と共に消え命あり霧の中を運ばる




義足着け歩めば泳ぐ形なり持ちし自信が又消えてゆく




義肢脱げば吾が一本のこの足の疲れ癒やさむ床のふくらみ




妻の肩借りて立ちあがる身をもちて吾に残りし片足がむくむ




美しきまなこに涙ひからせて来たりし新患の少女なりしが




血縁者ことごとく果て隔離の地に病みをれば親し枝頭の蓑虫




陳情団に加はりて来しバスの中薄き視力に見し東京タワー





萎えし手にやうやく握る鍬の柄よこの幸吾にいまだ残れり


双葉志伸さんの略歴
大正2年3月22日静岡県中川根町に生まれる。昭和22年3月25日駿河療養所に入所。昭和27年「一路」入会。昭和29年3月24日菅野美代と結婚。昭和36年カトリックに入会。44年8月23日受洗。同日脳溢血で逝去。『虎杖の花』(昭和50年)『苔龍胆』第一集(昭和28年)『苔龍胆』第二集(昭和29年)『苔龍胆』第三集(昭和31年)『陸の中の島』(1956年)『苔龍胆』第四集(昭和40年)『苔龍胆』(第五集)(昭和48年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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ポトフ

 
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豚汁より、おでんより簡単なポトフ。具材はタマネギ、ジャガイモ、ニンジン、カブ、キクイモを、明日リメイクするカレーを考えて小さめに切った。

熱した鍋に大さじ1のオリーブ油を入れ、ニンニク1片のみじん切り、ベーコン1連の細切り、タマネギのスライス、その他の野菜の順に炒め、油が全体にまわったらひたひたに水を入れ、コンソメ2個と月桂樹の葉4枚を入れ、追加で魚ソーセージ半分を小口切りして入れ、煮立ったら弱火にして20分煮て、胡椒で味付けして出来上がり。



ヤーコン団子

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ヤーコンの皮をむいてすりおろし、ダイコンより多い水分をコップに取り、残りはボールに入れ、つなぎに片栗粉を入れて混ぜる。熱したフライパン(無水鍋の外蓋)に大さじ1のオリーブ油を入れ、ヤーコンをスプーンで落とし入れ、極弱火で裏表5分ずつ焼いて出来上がり。すりゴマをふり、ポン酢で食べる。

出てきたヤーコンの水分は、すこし土っぽいが甘みがあっておいしい。

すりおろすのはダイコンより簡単だが、焼くのに手間がかかり、2回に分けて焼くと合計で30分ほどかかる。

ヤーコンはレンコンのレシピがそのまま使える。今回も「レンコン団子(野菜はともだちに掲載)」を参考にした。
  


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大島青松園  萩原 澄さん


光ある方へ


健やけき人の世界は夢ありき五月の空の矢車の音





読みくるる比島戦史に胸ふたぐ草食みて我が弟も逝きしか




弟を奪ひ家をも亡ぼししこの国がなほ再軍備する




法隆寺の御手洗の水を灼に飲むはるばると来し旅の渇きに




スト決行会員に告げむ口述をしつつ憤りに胸は膨るる




鳴きながら海をこえゆく鴉あり嵐とならむ夕ぐれ刻を





屋根をはぎ松を倒せし台風のあとに慰撫するごとく日の照る




八月の暑き盛りを病み臥して安らふときのなく逝きし母




菜園となりゐる吾の生家跡病む身はばかりて遠くより見る




拾ひきて石おくのみの父母の墓石の形をわが手にさぐる




ほしいまま苔をまとへる父の墓撫ずるに刺さるごとき寂しさ




道のべの野菊の花にくちづけて誰にも逢はずふるさとを去る




いつまでと限りのあらぬ病にて又冬に入る海鳴りの音




傍らに箸とりくるる妻ありて盲ら多き中のわが幸





吹きあらびゐたりし風の今朝凪ぎて君迎へむと待つ浜ぬくし





指のなきもろ手に受くるふるさとの色美しき嫁入りあられ




天井を鼠の走る音しても過保護の猫の膝に眠れり





石と石打ちあへば石の音たちて乾きし我の心にひびく





これよりは妻の生れし阿波の国若葉すがしき峠をくだる




これよりは路極りて山迫る青葉に透るもろ鳥の声


萩原 澄さんの過去記事



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星塚敬愛園  深川 徹さん


深川徹 遺歌集


療養所につれ行かるとも知らずして弟は汽車の旅をよろこぶ




偽名に戸惑ひしつつも弟はいつしか子等と馴染みゆくらし




船陰に裸体となりし弟の臀部の斑紋たしかめてゐつ




断種うけし友は終日黙し居つ時に荒あらしく新妻を叱る




癩家族の断種を行へと証言せし光田健輔こそ吾吾の敵だ




『癩患者野放し』新聞社よ我等を猛獣とでも思ってゐるのか




悪法とたたかふ我らを社会への恩知らずとでも君らは言ふのか




処女療より夫婦舎に移る妹に対へばとめどなく涙こぼれつ




妹の嫁ぎてゆきし夫婦舎のともしびが見ゆ吾が臥所より




癩ゆゑに診る医者もなくわが母は納戸の奥にて死にゆきにけり




いつの世にも我等癩者のよき理解者は神に仕ふる異国人なりき




外出許可証をもてどおどおどと夜汽車をえらび帰り来にけり




病む吾にひそかに自殺強ひたりし父を鬼の如く恐れゐたりき





母亡きあと癩病む吾に父はことさらやさしくなり給ひけり




癩者を罪人の如く扱ひし昔の警察ああ吾が母も命失ひし一人なり




癩病む吾を最も憎みし姉なりき自殺せよと荒縄を投げてよこししこともありけり




癩病む吾を最も憎みし姉なりき七年振りに会ひ優しき言葉かけくるる




自殺せむとレールの上に寝てゐたり哀れ癩病む十一歳の少年なりき




病む吾を憎み憎みし父なれど今は赦さむみ棺のなか




癩病むも生くるは楽しはるばると会ひに来てくれぬ津田治子
畑野むめ






吾が自転車の荷台に乗りし津田治子処女のごとき声にて歌ふ





無菌者となりたることのうれしくて野行き山行き一日遊びぬ





曲がりたるわが手を取りて涙流し夢の中の父はやさしかりけり




癩は遺伝と未だ信じて疑はぬ吾が村人は吾に優しも


深川徹さんの略歴
星塚敬愛園。『深川徹遺歌集』(昭和49年)

深川さんに関してこれだけの記述しかなかったが、歌から、母、弟、妹のうちの一人の4人が患者だったようだ。


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ぶりアラと根菜の煮物


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ニンジンとキクイモを5ミリほどに薄切りして鍋に入れ、出し汁を入れ、少し水も入れてひたひたにし、煮立ったら弱火にして、湯通ししたぶりアラを入れ、生姜1片をすりおろし、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、10分煮てネギを入れ、落し蓋をして5分煮て出来上がり。




ホウレンソウのおひたし
   
 
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長島愛生園  甲斐八郎さん


その日


棺桶の蓋にてつくりし本箱がわが傍にあり四十年あまり




一人のしあはせはすなわち万人の幸福に通ずこれ座右の銘




わが歌集一部売れたるよろこびを礼状にそえて今日送り出す




ささやかな贅沢だといって今日は買うハイ・チャームという高級石鹸





見舞金もらう書類に印を捺す午後のベッドの安静の中




病室のベッドに不在者投票すわれら推す町会議員候補を





カトレアを培う春の園芸のラジオ相談聞きつつ居りぬ




園長の前に手と足投げ出してわが不自由度を調べられをり





エアシートつきたる新居に移りきて余生ようやくさだまるごとく





長島架橋請願署名に捺印す八十年代を生きつがんため




島流しと偏見に耐えし五十年いま長島に橋架からんとす


甲斐八郎(香取勉・不二木穣・川畑又一・甲斐又一)さんの略歴
1918年12月16日大阪市生まれ。父は大工。小学6年の春大阪大学皮膚科で診断。高等科2年卒業。翌年の徴兵検査を避けて1937年11月1日長島愛生園入園。まもなく短歌・創作に取り組む。1945年3月8日父母と面会。3月10日の大阪の空襲で弟妹たちは爆死。1947年7月不自由者棟に移る。戦後、園内民主化運動、予防法闘争、自治会活動に参加。1967年日本共産党45周年記念文芸の短歌佳作。新日本歌人協会会員。1977年日本共産党永年党員証。1987年4月7日逝去。『青磁』(昭和26年)『小島に生きる』(昭和27年)『陸の中の島』(1956年)『青芝』(昭和32年)『風光』(昭和43年)『海光』(昭和55年)『サンルームの風』(1979年)『その日━━らい予防法闘争記録集』(1988年)


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多摩全生園  山岡 響さん


雪椿の里


春の夜を睦むねずみか天井をさばしりてゆく一匹ならず




三組の夫婦共に暮せば声あげて争ふ日あり妻は妻どち




夜の床に安らぐ時もまだ慣れぬ雑居生活の疲れせつなし





虫の声庭辺にしづみ雨ふれり妻は離別を乞ひつつ強し





灯の下に日用のもの整理する妻の引出しは甘く匂へり





裏切りし汝の事を思ひつつ袋にしまふ一人分の餅





万葉に盲ひの歌のなきことを眼よき日は気付かず過ぎし





盲ひなば海の魚さへおのづからその保護色を失ふと言ふ




点字の短歌が一句一首と読めて来ぬ読む感動よいくとせ振りか





触覚に秋の日を白く感じつつ熟れし無花果を掌にせり





面会の幼子の付けてゐる鈴が君のベッドを離れずに鳴る





十三年逢はぬ妹妻となり母となり吾より考え深からむ





指読する点字書の上に降る砂の微粒するどきとがりをもてり





わが歌の口述に来てはずむなり豚飼ふ君の作業の話





硬貨持てば金気の匂ひ花持てば花粉の匂ふ盲ひの吾が手





三十年で消滅をする癩者には銭を使わぬと国は言ふとぞ





二十年たてば千人に減る数に生きて残るは誰と誰ならむ





眠る前唇ふれてたしかむる右手左手に傷なし





祈る時も祈らぬ時も孤独にて祈りは孤独の中に生るる





盲導柵に添ひて曲りし日のおもて木犀の匂ひ忽ちに濃し





盲導音鳴りつぐ下に曼珠沙華立ち群がりて匂ひなく咲く





血管痛の痛みも知りぬいく百たびプロミン注射差しし現身





二十年歌の浄書をしてくれし君の右手もしびるると言ふ




人形の瞳にも似て写れるか光りなき目の二つの義眼





親と子は此の世かぎりの縁とぞ老いて言葉の嘆きに触るる




芽吹く日を待てる木立の静かなりわが聴覚に日足延びつつ





うべなひぬ吾の手のゆく左耳音失へる耳朶軟らかし





みづからの唾液にむせぶ喉持てば顔かたむけて夜夜眠るなり




狂ひたる置時計のねぢ巻き居りぬ自らの刻きざみつぐべし





戸の外に知覚の残る頬をさらし曇りよりさす冬日を探る





もろかりし爪薄く延びつや帯びぬ菌陰性十年かすかな変化





口述の賀状書きくるる奉仕者と石焼いもを分ち頬張る



山岡 響さんの過去記事



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ダイズの煮豆


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まず、出し汁作りから。

前夜から煮干し、干しシイタケ、昆布は水に浸しておいた。火にかけ、煮たったら弱火にして昆布は取り出し、削り節を入れ、5分煮たら出し殻は全て取り出し、再沸騰させてアクを取ると出来上がり。冷めたら冷蔵庫で保存する。



ダイズの煮豆

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前夜からダイズも水に浸しておいた。戻し水を減らして圧力鍋に入れ、減らした分だけ出し汁を入れ、ニンジンとヤーコンをダイズほどの大きさに切って入れ、上の出し殻もざく切りして入れ、醤油、砂糖、酒、みりん、2~3滴のゴマ油で味付けし、おもりが回りはじめたら極弱火にして20分、火を消してそのまま放置して出来上がり。

ダイズの煮豆を食べると、心も体もほっこりする。



サツマイモのおやつ

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熱した無水鍋にバターを入れ、乱切りしたサツマイモを入れ、蜂の巣とユズ果汁を入れ、極弱火で30分、火を消して余熱5分で出来上がり。

サツマイモがおいしくないので蜂の巣で甘み付けをしている。蜂の巣は専ら料理に使うので、蜂蜜はしぼらず、蜂の巣ごと全巣を頂いている。




キャベツの酢醤油


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キャベツはざく切りして2~3分茹でて冷水にとり、水気をしぼりながらボールに入れる。お椀に醤油大さじ2、出し汁大さじ1、砂糖大さじ1、レモン果汁、ユズ果汁、米酢を各大さじ1弱入れて混ぜ、ボールに注いで混ぜると出来上がり。



   
   
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クリスマスだから一応、コンビニでケーキを買った。540円。



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昼から、本を返しに愛生園の自治会事務所へ行った。その後、いつもの「神谷書庫」へ行ったら職員さんが、今日は「愛カフェ」が開かれているから、いかがですかと誘ってくださり、入所者の方と1時間余り歓談することができた。

愛カフェとは、地域の方々、また小さいお子様など、あらゆる世代や立場の人々が、お茶を飲みながら交流する場所です。樋野興夫先生(順天堂大学医学部教授)の講演をきっかけにスタートしたこのカフェが、多くの人に親しまれるように、この度「愛カフェ」という名前に決まりました。愛カフェをよろしくお願いします。(パンフレットより)
1月は1月27日(火)、2月は24日(火)、いずれも午後1時半~3時10分です。今日はクリスマスということでショートケーキをご馳走になった。


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菊池恵楓園  山本吉徳さん


ふゆの草


病む吾とみまもる母の乗りたれば客車の扉に錠下ろされつ





わが育ちし村の人等のごとく崩えゆく吾を家を避けにき




療養所に行くわが自動車に縋りつき泣きくずれたる祖母よいま亡し




崩れゆく病の父を連れ母は四国巡礼に出でてゆきにき




やせ畑の土にまみれて生くる母かたときも数珠をはなさず





身じろぎをすれば溢るる悲しみに身を堅くして夜をあかしにき





日の光の入らぬ左眼の諦めがたく日の照る窓に寄りて試む





芒の穂も曼珠沙華の花も咲きたらむ歩みてみたし虫の鳴く野を





月の出を知らせる妻の声につれ仰げどわれの眼には入りこず





めしひたる吾をいざなひ歩みくるる腕より妻の温み伝はる





堕したる吾子は七つになるべしと妻と語らふ癩の病舎に





治癩薬ただのひとつも受けつけぬ崩えゆく吾が身を呆然と撫づ





手を引かれ吾が歩みゆく辻辻に音色わかちて鳴る盲導鈴





われの眼の再び見ゆる日結ふといふ妻の黒髪腰に届きぬ





戸籍名と匿名ふたつを使ひつつ療園に二十四年は過ぎつ





無気力と怠惰に慣るるみづからの心を恐れ白杖を取る





よろめきて支えに握りし夏草に匂ひ親しき蓬草ありつ





まろき顔笑ひ崩して夢にたつ汝を今一度この眼に見たし





妻の手にいざなはれつつ父の手を取れど別るる言葉の出でず





相病めばこの日が終の別れとも思ひて老いし父と別れつ




めしひ吾の看取りを妻に頼みたのみ花冷えの朝母のいにたり





立ち動き影さへ見えぬ曇り日は妻の声のみ追ひて暮れゆく





茶の花を嗅がしめ茶の実を握らしむ妻ありて吾に短き一日





共に病みし
藤本松夫の命むなしかりき死刑囚の再審開かれむとして思ふ




再びは見ゆるなき眼となりしいま何を心にみつめて生きむ





二十八年かかりて無菌の身となりぬ気力衰えつきたるときに





眼廃て無菌となりて喜びを分ち合へるは妻のみなりし





十八年病む身寄せ合ふ妻あれば命の限り吾も生きたし





三十余年島の療養所にひとり生きし盲の父の遂に逝きたり




うかららのために自ら除籍して島に逝きたる父あはれなり





父の住みし病舎はここと妻いふに立ち去りがたく並び立ちゐつ




流浪の果てこの山門に病める身を連ねさらして命終へしか





吾を看つつ盛りを過ぐる妻あはれ声しっとりと丸味おびきぬ




生きてあらば楽しきこともあるといひ妻はしたたか吾が背を叩く


山本吉徳さんの略歴
昭和13年生まれ。昭和28年長島愛生園に入園、新良田教室一期生。社会復帰がかなわず35年菊池恵楓園に転園。昭和37年結婚。昭和47年頃から登場した新薬リファンピシンの後遺症で34歳の初夏に失明。それを機に作歌を始め、昭和48年「檜の影」、49年1月「アララギ」に入会。『ふゆの草』(昭和61年)『檜影集』(昭和51年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『すゞめの爪音』(平成10年)


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ダイコンとツナ缶の煮物


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乱切りしたダイコンとシイタケを鍋に入れ、出し汁を入れ、煮立ったら弱火にして醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、油を切ったツナ缶を入れ、15分煮て出来上がり。



ホウレンソウのおひたし
 
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塩サバ
   
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ダイコンおろし

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長島愛生園  金沢真吾さん


日々あらた


わが意志にかかはりもなく臓動く命とは何己とは何ぞ




躓きし石とらへたる白杖に石の無念の伝はる心地す




時効となりし秘密を明かす唇に芽吹ける薔薇の刺の鋭き




癩はすでに過去の病ぞ仏典も聖書も書きかへらるる日は来ぬ




唖に生れ癩病み癌に君逝けり「
まさる」という名の身に沁むものを




書きくるる君と口述するわれと合ひし呼吸を乱すなたれも




待ち侘びて鳴けるインコに灯しやるわれに無用の部屋の灯りを




生くるとはすなはち耐ふることと知るアマリリスは一日風にもまるる




くちなしの香に杖とめて今ぞ知る疎にして洩らさぬ天の公配




燃え咲けるカンナの赤を唇に触れみる今し誰も誰も見るな




しとどなる露にたわみて萩咲けりわれの涙は癩に費えし




屈辱的癩予防法改正の声あがる癩完治する時代となりて




強制隔離に癩撲滅を謳ひたる法厳然とあり完治する今も




光恋ふる罰かもしれぬ見えぬ目の明るくて明るくて今宵狂ほし




裏庭に栗の実しきりに落つる夜を限りとはして家を出で来つ




父母の墓守るすべなくわがおもひ馳する空より雷の轟く




花は葉を葉は花しらぬ彼岸花か盲ひて後のわが顔しらず




癌の喉にて愛してゐるよと盲妻へ康行が一言千万無量




康行つづきて由貴子消えわが足元を風吹きぬくる


この時代、愛生園でも他の療園と同様、歌会等でコラボしながら切磋琢磨していた。それはまるで1950年代に東京のトキワ荘に集い、後に日本を代表する漫画家になった人たちのよう。


金沢真吾さんの略歴
大正4年兵庫県生まれ。昭和10年頃発病。23年失明。昭和25年10月31日長島愛生園入所、このとき35歳。昭和41年から短歌を始め48年「水甕」入会、56年同人。60年第一歌集『投影』出版。平成9年没。享年83。『風光』(昭和43年)『海光』(昭和55年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『日々あらた』(平成6年)


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邑久光明園  森山栄三さん


楠若葉の島


海峡は三十米に足らざれど架橋は成らず十年を越ゆ




沈黙の時間ややありわが姉の嗚咽きこゆる受話器の内に




唇に点字まさぐりし日を思い録音に聞く我が詠みし歌





明石海人に劣らぬほどの歌詠めと遠くの人より便り届きぬ





たたみいる我の服より転がりし木の実に妻は幼顔見す




開通を喜び合える橋の上瀬溝の潮は青青と深し





今日一人週に一人と減り逝きて癩終焉の間近となりぬ




過去を捨て苦悩忘れて新しき納骨堂に眠る三千八百余柱





らい予防法廃止となりしも兄弟に負わせし痛手浅くはなからん





病ゆえ強制収容に泣きし療友とも予防法廃止を骨堂にて告ぐ





くちびるも気管も著く病む妻に真夜の薬は口移しする





山鳩の淋しき声は病む老妻つまの嗚咽の声と一つになりぬ





所内結婚して来年は五十年金婚式挙げたし痴呆の妻と





ちぐはぐな妻の言葉を聞きやれば果てしなく我が心いたぶらる




妻の介護せねばならぬ身日に夜に心掻きたて歌を詠みゆく





盲目の互いの身をば庇いあい我を立てくれし妻の優しさ





盲目の夫婦の生活に言い知れぬ寂しさありき妻は耐えいし




苦しみも悲しきことも堪えてこし妻との五十年疎かならず


森山栄三さんの過去記事


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すき焼き


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出荷に手間取り、夕飯作りが遅くなった。短時間でできるものと言えばすき焼きが手っ取り早い。だから帰りにスーパーへ寄って牛肉を買った。

具材はネギ、ミズナ、ハクサイ、シイタケを適当な大きさに切り、牛肉は15秒湯通しした。

フライパンにだし汁を入れ、具材をすべて入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったら牛肉を入れ、5分ほど煮て出来上がり。「すき焼き風煮」を参考にした。



肉ジャガ
   
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明日昼用に肉ジャガも作った。具材のジャガイモ、ニンジン、タマネギは適当な大きさに切る。

熱した無水鍋に大さじ1のオリーブ油を入れ、昨日の残りのベーコン二枚を細切りして炒め、具材を全て入れて炒め、火を止める。湯通しした牛肉を置き、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、強火で1分ほど無水鍋をもう一度加熱してから極弱火にして30分、火を消して余熱5分で蓋を開け、バターを大さじ2ほど入れ強火で1分炒めて出来上がり




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残った牛肉を計ったら120gあったので、すき焼きと肉ジャガで合わせて140g使ったことになる。残りも2回に分けて使おうと思う。

260gが消費税込みで753円だったので、4で割ると1回分が188円。

最近、肉が高くなっている。これもよい牛肉ではなかったが。


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長島愛生園  千葉修さん


文字にごる視力となりて灯を消しぬ消せば冴えくる文字も論旨も




入日に向ひ独り広野を行くといふ君が詩を思ふ葬列にゐて




癩の子ら全く絶へて増築をかさね重ねし校舎残りぬ




海見ゆる小高き杜の校舎跡癩絶へし代の歴史は語らむ





われゆえに離縁され再婚し気丈になり二人の孫を守る姉かも





明石海人遺品の机いくたりの友の手を経ていまわれのもの





忍従し模索し君が凭りゐたる机ぞとおのれむちうちむかふ





無菌にて不自由度五十までというなかに選ばれ甲子園へ来つ





スタンドを埋めつくしたる四万人われほどに憧れて来しはなからむ





山を守り山に守られゐる石のそれぞれ安住の場を得たるたたずまひ





「俱会一処」名さへ哀しき厚き書よ癩の苦患を余さずつづる





棄てられし磯にところを得て群れて泡立ち草はいま花の季





麻痺の手にて時計の捩子を巻き終りたたかひし後の息太く吐く





時の流れ時の流れと言ひて酔ふ父を哀しみきわらべごころに




何の罪ぞと病みたるわれに縋り泣く母の白髪を見てゐたりけり





爪を切りつつ幾たびも鋏とり落しどうにもならぬ限界にゐる





根かぎり支へあはねば瞬の間にくづほれゆかむ中の一人ぞ



千葉修(北川・稚葉)さんの略歴
明治44年沖縄県首里市に生まれる。昭和12年4月19日発病のため教職を辞して長島愛生園に入園。愛生学園教師、長島短歌会会長などを務める。昭和16年「多摩」会員。昭和28年「形成」同人。昭和61年6月22日没。享年75。『楓陰集』(昭和12年)『青磁』(昭和26年)『小島に生きる』(昭和27年)『あらくさ』(昭和30年)『陸の中の島』(1956年)『あかつち』(昭和31年)『青芝』(昭和32年)『風光』(昭和43年)『三つの門』(昭和45年)『海光』(昭和55年)『遁れ来て』(昭和62年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)他に歌集『珊瑚礁』『守礼門』がある。


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ホウレンソウを使った2品


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ホウレンソウは1分ほど茹でて冷水にとり、ざく切りして水気をしぼる。


ホウレンソウのパスタ


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ニンニク1片は薄切り、ベーコン3枚は細切り、タマネギはスライス、ホウレンソウは上の一部を小さく刻む。

熱湯に小さじ1の塩を入れ、パスタ150g(2人分)を中火で8分(袋の表示通り)茹でる。

熱したフライパンに大さじ1のオリーブ油を入れ、ニンニク、ベーコン、タマネギの順に炒め、最後にホウレンソウを入れ、ケチャップとソースで味付けし、火を消してパスタが茹で上がるのを待つ。茹で上がったパスタを入れ強火で1分炒めてパスタが具材にからんだら出来上がり。



ホウレンソウのゴマ和え

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残りのホウレンソウはほぐしながらボールに入れ、蜂蜜を大さじ1の醤油で溶かして入れ、すりごまをふって和えると出来上がり。




ゆで卵


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サツマイモの惣菜

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熱した無水鍋にバターを入れ、乱切りしたサツマイモを入れ(混ぜない)、甘みに蜂の巣を入れ、ユズ1個の果汁を入れ、今回は醤油大さじ2を入れ、極弱火で30分、火を消して余熱5分で出来上がり。

醤油を入れたが惣菜にはならず、やっぱりおやつだった。
 


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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