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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

大島青松園  萩原 澄さん


今ありて


習性と言はむもあはれ指のなき指折りかぞへ待つものは何





独りなるこころあそばす手のひらに温みはしりて秋たつ光




我とわが吐く息きける寂しさよふかまる秋をこもりゐる昼




滅びたるわが網膜に華やぎて行き交ふ娘らの脂粉のかをる




亡ぶ眼に日の照るごとき明るさや昼も夜もなきわれの空間




眼の失せば即ち死せる野の鳥におもひ至りて己れやすらぐ




手に頬にふれて確かむるたらちねの眠るかたへに建てるわが歌碑





凡そは言葉なく心通ふなり共に盲ひの闇を生くれば




これの杖恃みとなせるわが歩みひたすらにして行く闇無限





いつまでも我のこころに薫るべし今日の別れを咲く桃の花





信じ得る具体を欲りてわれの手に受くる葡萄の房の重たさ





若き娘が手にのせくれしチョコレート重ねすぎたる齢くすぐる





まどろみのわが夢の中鮮やけくまなこの見えて父と木を伐る





眼に代りのこれるわれの聴覚にたつ物音の形ともなふ





甦るいのちに沁みて朝をきく大瑠璃のこゑ燕らの声





ライ者らのやがて亡びむ一島の夜をば占めてすだく虫が音





島畠はいま播種のときそこここに耕して人のうららけき声





かくてわが過ぐる一生もうべなはむ盲導鈴のひびく範囲に



萩原澄(とほる)さんの略歴
大正4年8月25日香川県三豊郡の三国峠のふもとの村に4人姉弟の長男として生まれる。高等小学校卒頃徴候がでたが補習科4年を学ぶ。昭和14年母、15年父死亡。弟に嫁を迎え家を託して昭和18年8月大島青松園入園。23年秋失明。予防法闘争ではハンスト。31年10月「関西アララギ」入会。昭和38年6月21日林みち子と結婚。43年5月「歩道」入会。昭和48年7月10日古里に妻と2人の歌碑建立。昭和56年11月8日香川県視覚障害者福祉協会から受彰。歌集『蓑虫』(昭和41年)『光ある方へ』(昭和49年)『今ありて』(昭和61年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)。傘寿を妻とともに迎え「らい予防法」廃止を記念して、歌文集『開かれた石の門』(共著・平成8年)刊行。


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野菜のかき揚げ


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ニンジン、タマネギ、キクイモを適当な大きさに切りボールに入れる。天ぷら鍋に1カップの油を入れて点火し、180度に温度設定する。

別のボールに天ぷら粉100g、水160cc(袋の表示通り)を入れて混ぜ、具材の入ったボールに入れて混ぜ、2つずつ入れながら揚げる。粉と水を足して芋天も揚げた。

残った油は65ccほどで、まずまず油切れはよかったと思うが、天ぷら鍋に投入する具材の目方はそのつど異なるので比較はできない。



 
   
 出し汁作り  

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前夜から昆布、煮干し、干しシイタケは浸しておき、火にかけ、沸騰直前に昆布は取り出し、削り節を入れ弱火で5分煮て出し殻をすべて取り出し、再沸騰させてアクを取ると出来上がり。


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栗生楽泉園  浅井あいさん


白い視界


死ぬ人のありて不自由室のあくまでは夫婦別居し待てというなり




人死にて空きたる部屋に移り来ぬめしいわれら後半生すごすべく




如何にしてもこの一行を読みぬかん灯りを消して点字紙をとる




おのずから友の温みにまどろみぬ座り込みする夜半の天幕に




指先の今日の知覚に頼りつつわれらの作りし「点字高原」




ハンストをなしし人らを友にもつわれに編集は委されぬと言う





目のちからついに絶ゆるとわが夫はめしいのわれを頼りてやまず





この歌集点訳しくだされし人を思う舌にやさしく触るる点文字





帯つよく胸にしめおり盲目を卑下する思い落着きし夜





惰性にて生くると人の何を言う聞けひびき打つこの心臓音





真実の通らぬ世間を言い募り眼を病む夫を泣かしめにけり





わがうから守ると遠くらい園に旅立ちし日よ十六なりき




この指にいまだ残れる知覚ありて茶碗の冷えがにぶく伝わり来





手も足も麻痺しめしいしわれやいま無菌と言われぬ信じがたしも





われは父母と十五年しか住まぬのにそれを羨む君はらい者の子



浅井あいさんの略歴
1919年5月21日金沢の商家に生まれる。旧石川県立女子師範付属尋常高等小学校に在学していた14歳で発病。1935年草津湯之沢で点灸治療。患者が家族にいるというだけで嫁いだ姉が実家に戻されたため、自ら決断して1936年9月5日栗生楽泉園に入園。同年12月14日浅井哲也と結婚。1949年6月両眼失明。1960年短歌を「高原」に投稿。1951年「潮汐」に入会し、鹿児島寿蔵の選をうける。52年夫哲也も失明。53年点字舌読を始める。1967年1月新日本婦人の会草津シャクナゲ班結成に参加。1986年結婚50年。2005年8月3日逝去。『盲導鈴』(昭和32年)『陸の中の島』(1956年)『山霧』(昭和41年)『三つの門』(昭和45年)『白い視界』(1972年)『冬の花』(昭和53年)『五十年』(昭和62年)『凍雪』(昭和63年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『高原短歌会合同歌集』(平成4年)歌集とエッセイ『心ひたすら』(2002晧星社)


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ホウレンソウのゴマ和え


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ホウレンソウを茹でて冷水にとり、ざく切りして水気をしぼる。ボールに醤油と蜂蜜を入れ、ホウレンソウをばらしながら入れ、すりゴマをふって混ぜると出来上がり。



キャベツの簡単蒸し
  
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無水鍋を熱して、キャベツを手でちぎりながら入れ、スライスしたシイタケを置き、極弱火で15分蒸し、生姜をすりおろし、片栗粉でとろみをつけ、醤油で味付けし、混ぜると出来上がり。(野菜はともだち参照)

残っていたおかずがあったので2品だけ作った。


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大島青松園  吉岡晴雄さん


代筆を頼むにはばかる手紙にて乏しき視力凝らしつつ書く




我がために妻が送りてきし浴衣開眼手術の今朝手を通す




人気なき道を選べり癩園に帰りゆく我と見送る妻と




病み崩えし母を疎みしその癩に我も罹りて十五年経し





騒ぐ思ひを鎮めつつ友に読みもらふ常よりも厚き妻の封書を




探りつつ床をのぶるも現身のわが事として過ぎてゆく日々





癩を病むこの身のゆゑか手紙みれば妻は職場をまた変へてゐる





料亭に職を求めてゆく妻を病めるこの身の止める術なし





眠らむとする我の眼にちらつける妻の働く料亭の灯が





毛糸縒る残業に得し金なりと娘は2千円送りくれたり





帰省する度に落ちゐるか我が視力妻の面輪の定かに見えず





一本のたばこも二度に分けて喫ふ妻の勤めを思ひゆくとき



吉岡晴雄さんの略歴
昭和2年生まれ。昭和34年大島青松園入園。「関西アララギ」「歩道」所属。『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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栗生楽泉園  金 夏日さん


黄土


点筆を持つなと言えど何としても今日の日記は書かねばならぬ





盲ひたる今のわれより聴覚まで奪うなかれとストマイ拒む




晴れわたる金甫空港に降り立ちぬ遺骨の父5十年振り吾三十年振り




あな嬉し従弟正福チョンボキユンさんと空港ロビーに出迎えくれし




走り寄り抱き合いたる兄とわれと暫しの間言葉の出でず





杖持てるわれを抱きて
夏日ハイルお前目が見えぬのかと兄嘆くなり




目を病みて再入園を願いしに自国へ帰れと追い返されき




母国語の手紙の代筆今日よりは頼む術なし友は逝きたり




此の国に世話になりおり何か一つ良き事をして残しおきたし





盲いなるわれ自らは刷り上がりし「高嶺」の出来栄え見ん術もなし




宮腰先生病むみ手に点筆握りしめ点訳しまししこの五十冊





韓国人二十四名集い居て本名名告るはわれ一人のみ



金夏日さんの過去記事


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ダイコンの蒸し煮


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今日の日中、少し寒さがやわらいだら、もう蜜蜂がさかんに出入りしている。しかも足に花粉をいっぱいつけて。花粉を持ち帰るということは、まだ子育てもしている?

寒くなったので出入り口は縦穴、横穴とも狭めた。

越冬群がいるということは、12月のこの時期になってもミツバチの出入りが楽しめるということ・・・人を癒やす昆虫である。56歳になるまで、その生態も、飼えるということも全く知らなかった。ミツバチと一口に言っても、これは市販の蜜の大半を占める西洋ミツバチではなく、在来の(日本古来の)日本ミツバチである。



ダイコンの蒸し煮


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熱した無水鍋に大さじ1のオリーブ油を入れ、1センチほどに輪切りしたダイコンを置き、まわりにシイタケを置き、極弱火で20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、ポン酢をまわしかけて強火で1~2分煮て火を消し、また蓋をして2分蒸らして出来上がり。「大根ステーキ(バタポン味)」を参考にした。

新鮮なダイコンと無水鍋という2つがそろって、できる調理と思う。



ブロッコリーの湯通し

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ハクサイとツナ缶のサラダ


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ハクサイは千切りにしてボールに入れ、酢大さじ3と塩・胡椒をしておく。よく油を切ったツナ缶を鍋に入れ、醤油大さじ2と砂糖少々で味付けして加熱し、熱いうちにボールに入れ、手でハクサイと混ぜると出来上がり。「白菜とツナのサラダ」を参考にした。



ダイコンの味噌煮

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乱切りしたダイコンとシイタケを鍋に入れ、出し汁と、水も少し入れ、煮立ったら弱火にして5分煮て、湯通しした100gの豚肉を入れ、味噌、みりん、砂糖で味付けし、さらに10分煮て、ユズの皮をすりおろし2分ほど煮て出来上がり。   


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大島青松園  政石 蒙さん



遙かなれども



方一里の島の僅かな平地をば区切りて患者地区職員地区




患者地区職員地区のけぢめなく連なり咲けり桜並木




花季を過ぎて若葉の美しき五月死者なく島静かなり




対岸の山脈を染め海を染めわが眼染む大夕焼けは




捨てられしものら漂ひ寄りきたり島の汀の波に揉まるる




療園の減員予測統計に合わさねばならぬ如く死にゆく





足枷の「らい予防法」改正の成るまでは死ねぬ生きねばならぬ




変形を双手に遺し病癒ゆ何かを握り緊むるかたちに





生かされて生くるといへどをりをりの喜怒哀楽に心は震ふ





声のして窓少しあき風と共に今日の新聞差入れられつ





目薬の色に染まりて溢れくるレモンいろの涙を拭ふ




闇の夜をみみづく啼けり応ふ声なけれど啼くも声の限りを





廊下掃く音せかせかと近まりて睡い頭の中までも掃く





盲人に夜道はなしと帰りゆく君の杖音まだ聞こえくる





モンゴルに共に病みつつ斃れたる友眠る日本人墓地訪ねたし




嗅ぐ力失せゐるわれと目の見えぬ君と連れだつ花苑の中





われに見え君には見えぬ花のまへ香りのなきをきみの呟く




隣室の咳に誘はれわれも咳き競ひ咳きつつ寒夜更けゆく





生ききたる不思議に触れて散るさくら死に損じたる日にも散りゐき





恐ろしきエイズといへど癩のごとく人の群れより追ふこと勿れ





人間のいのちに軽重あるやうで無いやうでわがいのちの目方





希ふ「らい予防法」の改正ならざるままに昭和終わりぬ





仲間の死を深く悼みて葬りをば骨噛みと言えり炭鉱 びと





遺稿集を編む侘しさの五度目なり生あるうちに編みたかりしよ




骨を噛む思ひに仲間とつくりたる遺句集成りて秋深まりぬ


政石 蒙(本名・政石道男)さんの略歴
大正12年6月愛媛県生まれ。昭和14年上京し東京鉄道学校卒。昭和19年西部36部隊に入隊、直ちに満州へ派遣。敗戦後ソ連軍捕虜となり、昭和22年モンゴル人民共和国抑留中の昭和22年4月に発病。病院外の隔離小屋における生活中に作歌をはじめる。昭和22年11月復員。23年7月大島青松園に入園。昭和24年~33年少年療寮父。23年「青松歌人会」「龍」「短歌山脈」に入会。25年「創作」に転じ長谷川銀作に師事。昭和43年9月第5回牧水賞受賞。昭和47年8月「長流」創立に参加、編集委員。『稜線』(昭和27年)『澪』(昭和29年)『三つの門』。処女歌集『乱泥流』(昭和39年)(歌文集『花までの距離』(昭和54年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)歌集『遙かなれども(平成2年)』



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ヤーコンの甘酢漬け


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先に甘酢(だし汁180cc+砂糖50g+酢120cc=300cc)を作っておく。

ヤーコンを切りながら、小さじ1の酢水に浸し、全部切り終えたらすぐに水切りし、熱湯で30秒茹でて冷水にとり、瓶に入れ、冷めた甘酢を注ぐと出来上がり。

薬味としてニンニクのすりおろし、生姜のすりおろし、ユズの皮の細切り、唐辛子の小口切りの4種があるが、今回はユズの皮と唐辛子を入れた。明朝には食べれる。



サツマイモのおやつ
  
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定番です。熱した無水鍋にバターを入れ、乱切りしたサツマイモを置き(混ぜない)、蜂蜜とユズ果汁(ユズ1個をしぼる)を入れ、極弱火で30分、火を消して余熱5分で出来上がり。



ホウレンソウのおひたし


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霜に2回あたって秋冬野菜の特にホウレンソウがおいしくなった。



サトイモの煮物


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定番です。こそげるようにむいたサトイモを乱切りして鍋に入れ、シイタケのスライス、削り節を入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、出し汁と少し水も入れ、煮立ったら弱火にして15分煮て出来上がり。  


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栗生楽泉園  松崎水星さん


樅の木


厚生省に友等座りこみし朝より食断ちて我は三日を経たり




雨の中園長は薬もて巡回すああ患者ストすでに十日間




子等のため日々働きてあはれ君は今また残る片脚を断たる




萎えし手にまさかりの柄をくくりつけて友は薪割る汗流しつつ





本館の焼跡片附けて帰り来し友は癩文献の焼けしを惜む





膿盤に血の垂るる音聞きながら吾が足の骨削られてをり





高原の冬ながければ夏の間に支給さるる炭は貯へ置くべし





紅のばら匂ふ鉢ひきよせて吾は聞きをり点字歌集朗読




目あき二人盲ひ五人がひっそりと吾が枕辺に歌つくりをり





次次にみまかりし友の形見着て吾は寂しく生き残り居り




居住権を護らむために常会に背負われて来ぬ吹雪の中を





久々に廻診に来し園長がまだ両足はあるかと聞きぬ





づけづけと看護婦に小言言わるるとき平たくなりて吾は臥しをり





看護婦の声あらき日は疵臭き足をば吾はそっと前に出す





ネブタ祭の録音ききて故郷に吾が踊る夢再びみたり





臥す吾に起ちて歩めと山中神父はパウロの書翰読み終へて云ふ





病む吾に聞かせむと友は鶯をさげて来にけり元日の朝





躄吾れ洗面器にパンツ洗ひをりかかる仕業は見られたくなし





躄吾れ地車に乗りて曳かれゆく風荒ければ頬かぶりして





真日照らふ山の上にをればおのづから盲ひの吾の心開くる





萩の花盛りと聞けば山原の野外祈祷会に吾はゆきたし




横たはり盲眼つむれば真昼野に星屑の如きこほろぎの声





常臥の吾が畳床今年また換へねば堆肥の如く匂ひぬ




病む身ながら吾が五十三の誕生日に濁酒沸かして友と飲みたり





暖かき縁に這い寄れば犬の啼く真似して友が吾にたはむる





大工われ健けき日に造りたる故郷の母屋思へば恋し



松崎水星さんの略歴
明治37年1月27日青森県の農家に生まれる。若い頃は大工をしていたが18歳の時診断を受け、21歳で湯之沢に来て湯治と点灸治療を受け4年後には軽快、その後3年間は大工の棟梁の元で働く。再発し昭和16年バルナバホームに入り受洗。昭和16年4月24日栗生楽泉園に移る。秩父明水のすすめで40歳から作歌。昭和23年「潮汐」、25年「アララギ」入会。昭和45年5月31日没。『陸の中の島』(1956年)『盲導鈴』(昭和32年)『樅の木』(昭和38年)『三つの門』(昭和45年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)



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鯛アラの水炊き鍋

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昨日、鯛アラのいいのがあったので買った。

朝、水を入れた土鍋に昆布、干しシイタケ、煮干しを入れ、8時間後の5時に、出し汁と水を少し足し、薄切りしたニンジンとキクイモ、タマネギを入れて中火にかけ、10分ほど煮てから、15秒湯通しした鯛アラを入れ、さらに10分煮てミズナ、シュンギク、ネギを入れ3分ほど煮て出来上がり。ポン酢で食べる。

ダシをきちんととる(もしくは出し汁を入れる)ことと、魚のアラは15秒湯通ししてから入れること、この2点を押さえればおいしい水炊きが出来る。

いつもは2回に分けて使う鯛アラ(大きな頭が4つ入って198円)を全部使ったこともおいしさアップにつながった。明朝は味噌を入れ、鯛のアラ汁にする。


一昨日の12月3日、例年より10日遅れの「初霜」が当地にも降りた。朝、新聞をとりに出た時はわからなかったが、田んぼへ行く途中、近所の家庭菜園のジャガイモの葉が湯をかけたようにしおれていたので、初霜を認識した。

今日、軒下に置いているキンリョウヘンの電熱温床を入れ、最低温度を7度に設定した。ここ2日ほどミツバチは外に出なくなったが、巣門に近づいて覗き込もうとすると、急に数匹が飛び出して威嚇する。寒くなって蜜源がなくなると蜜蜂は怒りっぽく(凶暴に)なる。

   


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松丘保養園  麻野登美也さん



おちぶれては見る人もなく悲しやと家まで売りし兄の心は





家のない吾等親子を目の前に汚物の如くいふ親戚の会議




貰はれて行く人の名も判らずに従きて行きたり故里いでて




縄綯ひつつ昼の疲れに居睡ればまたも火鋏で吾は打たれし




わが居れば妻娶る義兄の妨げと病ひ疎みて今日は言ふなり




顔すらも知らざる姉の名もありて故郷より来ぬ戸籍謄本





父母達の墓に詣づる思ひにてわが家の謄本読みくるる聞く




きびしくも監視されつつ働くに身弱き友はあはれ死にたり





遊びゐて貰ふ年金と羨しまれ萎えし掌のことふるる人なし




世間より亡き者となりし友等いま癒えても家へ帰ると云はず




癩菌の見えずとて吾の世に出でば頼るほかなき金と云ふもの




足のみが一つ取柄の吾にして盲友と連れ立つ新年歌会に





貰ひたるお萩をひとつ人目を隠れて持ちゆく病棟の妻へ




盲ひ妻を肩に縋らせて歩み行く狭き雪路夜は光るなり





こつこつと安き作業に得し金も商人に渡れば紙屑の如し





朝夕にしみ来る寒さ妻に吾にまつはる蝿もまた哀れなり





潜むがになほも生きゐてこの夏のねぶた囃子の太鼓聞くなり



麻野登美也さんの略歴
大正13年秋田県生まれ。昭和12年松丘保養園入所。農園室の野菜作りなど患者作業に就き、療養所に居ながら専ら労役に服したため両手が麻痺に侵されるも、人の面倒見がよく誰からも慕われる。「国民文学」所属。昭和44年、45歳にて没。『陸の中の島』(1956年)『白樺』第一集(昭和32年)『白樺』第二集(昭和38年)『白樺』第三集(昭和47年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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クリームシチュー


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寒かったからクリームシチューにした。具材はジャガイモ、ニンジンは小さ目に(火の通りが早いように)乱切りし、タマネギとシイタケはスライスした。豚肉100gは15秒湯通しした。

熱した鍋にバターを入れて豚肉を炒め、具材をすべて入れて炒め、火を消して大さじ2の小麦粉をふって全体をよく混ぜ、牛乳3カップ、コンソメ1個、粉チーズ少々をふり、煮立ったら弱火にして12分ほど煮て出来上がり。

農家のレシピ クリームシチュー」を参考にしたが小麦粉がうまく溶けなかった。味はよかった。

牛乳の使えるレシピは
(1)クリームシチュー
(2)グラタン
(3)ポタージュ
(4)お焼き
の4種類しか知らないので、賞味期限内に残りの400ccを使ってどれかを作る。



ブロッコリーのニンニク醤油炒め

   
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ブロッコリーの茎は薄切りして30秒早く入れて茹で、房を入れ30秒茹でてザルに上げる。熱したフライパンにごま油を小さじ1入れ、ニンニク1片のみじん切り、ブロッコリーの順に炒め、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。



ヤーコンのヨーグルト和え

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前回は味付けしなかったが、今回は、ニンニク1片のすりおろし、生姜1片のすりおろし、塩、クミンパウダー(この料理のために買った)で味付けした。

ヨーグルトを使った「夏野菜のライタ」と「キュウリとタマネギのライタ」を参考にした

 


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長島愛生園  森岡康行さん


森岡康行遺歌集


妻とわれ音と匂ひにたよりつつ干鱈ひとつ焼き上げにけり




どちらかが見ゆれば消ゆる憎しみか妻も噛みしむるらしき沈黙





妻のため耳傾けて熱したる鍋に油をしたたらせをり




待ちわびし個室に移りはやばやと盥に妻の背を流しやる




盲夫婦われらが部屋内の往き来にも手を打ちて位置知らせあふなり




匂ふがにしなやかさ持つは何の落葉さぐりひろぐる掌の上




点筆をくくり持ち妻の書きし随筆入選と今日知らさるる




点字書の尠き時にわれら編む小機関紙が期待されをり




逢ひたしと送りし手紙数知れず母を苦しめき二十二年よ





この疲れ無為の故より来るならむ水屋を拭ひ手すりを磨く




静止すれば海も忽ち凍らむか小さき入江の結氷したり





エンジン止み下船準備のざわめきの中よりもとむ老い母のこゑ





わが前に声なく立ちしその人をしばらくの後母とは知りぬ





手探りにわが淹れし茶をすすむるにしばらくにして茶をすする音





盲ひわれらにそひ遂げよとて老い母が結婚届いま書き給ふ





もの言えば涙とならむ母の船去りたる浜に妻の手さぐる





受取りし便りただちに読みくるる女子補導員は涙ぐみつつ




盲将棋してゐる吾らのみ残り昼餉の後の野は風のなし





面会の姉に手を引かれゐる妻のはればれと笑ふその声きこゆ





吾が見しは妻の乙女の頃の顔それより知らぬを幸せと言ふや





もろもろの音にたよりて歩むわれ夜霧は杖の音をうばへり





老い母が仕立仕事に得たる銭盲ひ夫婦の吾らいただく





幾千年の癩絶ゆるべし療園にわれらが生くるを終りとぞして



森岡康行(広岡一夫)さんの略歴
昭和4年三重県生まれ。昭和15年秋小学5年生で発病。昭和15年9月6日長島愛生園に入園。昭和24年失明。昭和33年律子と結婚。同じ頃「形成」に入会。「潮汐」「未来」所属。昭和61年3月没。入江章子は実姉。『あらくさ』(昭和30年)『陸の中の島』(1956年)『あかつち』(昭和31年)『青芝』(昭和32年)『風光』(昭和43年)『海光』(昭和55年)『森岡康行遺歌集』(昭和62年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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ダイズの煮豆

 
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ヤーコンがまたコンニャクのような色になったのは、アクのせいでなくパンダ豆というダイズの品種の黒い部分から出た汁だった。クロマメの汁が黒くなるように。

ダイズ(パンダ豆)は一晩水に浸しておいた。具材のヤーコンは切るはしから酢水(小さじ1の酢)に浸し、ニンジンとシイタケはダイズと同じ大きさに切る。

無水鍋に大豆を戻し水ごと入れ、ヤーコンはよく水切りして入れ、ニンジンとシイタケを入れ、醤油、砂糖、酒、みりんで味付けし、出し汁も半カップほど入れ、ごま油を2滴落とし(風味付け)、よく煮立ったら極弱火~弱火に火を調整し、1時間煮て火を消し、そのまま放置して出来上がり。

来客があり、1時間15~1時間30分煮る予定が1時間しか取れなかったので、極弱火~弱火の中間ほどの火加減で煮たら、1時間でも、少し固さが残っているなと感じる程度に煮えていた。無水鍋の特徴(かなり肉厚の鍋でなかなか冷めない)で、冷めていく時に柔らかくなる。

ダイズを無水鍋で煮るようになると、圧力鍋(20年余り前に2万円ほどした)の出番がなくなった。



キャベツのマヨネーズ炒め

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熱したフライパン(無水鍋の外蓋)にマヨネーズを入れ、ざく切りしたキャベツを中火で5分ほど炒め、塩・胡椒で味付けして出来上がり。「キャベツのマヨネーズ炒め」を参考にしたが、そんなにおいしくない。




ブロッコリー
   
    
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1分ほど茹でてマヨネーズで。




パスタの簡単な手順が暗記できた

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熱したフライパンに大さじ1のオリーブ油を入れ、ニンニク1片のみじん切り、ベーコン3枚の細切り、タマネギ1個のスライスの順に炒め、最後に季節の葉物(今日はミズナとロケット)を入れ、ケチャップとウスターソースで味付けし、パスタが茹で上がるのを待つ。パスタでなくご飯にしたらケチャップライス。


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松丘保養園  新谿生雄さん



宿りたる子の処置のみに関はりて断種手術不完全なりしを君は言はざる




救癩の美名は高く評価され数多き陰の残虐は軽視さるるか




職員に逆ふ者を罪にせし癩予防法を守らむとする意図は解るよ




松葉杖を頼りたがらぬ義肢の妻の心理を自ら杖つきて知る




たかが癩患者がとふ官吏らの意図を知りしとき逡巡ためらひ居りしストを決議す




夜に入りて降る雨増し忽ちに荒むしろ一枚の寝床を濡らす




雑居部屋の深夜を妻と交したる倖せの語も杳かなるもの





誰の血を亨けゐる吾か世の中に抗ひそして貧しさを負ふ




しばらくは使はぬ火葬場は草茂り幸と云ふには遠き癩園




母死すてふ哀しさは何に
げなむか昏のダリヤの畑に跼む




文盲の母ゆえ吾への関はりごとは胸深く秘め堪えて死にけむ



新谿生雄さんの略歴
大正4年秋田県生まれ。昭和11年松丘保養園入園。戦後の園内自治会改革の指導者。また蒔苗芙蓉氏の跡を継ぎ、白樺短歌会の会長として短歌の隆盛に貢献する。昭和16年白樺短歌会入会。「自画像」所属。昭和49年59歳にて逝去。青山歌子の夫。『陸の中の島』(1956年)『白樺』第一集(昭和32年)『白樺』第二集(昭和38年)『白樺』第四集(昭和58年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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肉じゃが


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タマネギはスライス、ジャガイモ、ニンジン、キクイモは乱切りし、豚肉は15秒湯通しする。


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無水鍋に醤油、砂糖、酒、みりんを入れ、煮立ったら底にタマネギを置き、他の根菜をその上に置き、豚肉を置き、極弱火で30分、火を消して余熱5分で蓋を開け、バターを入れて強火で2分炒めて出来上がり。

うまくできたと思ったが最大の誤りが一つあった。ダシが煮立ってから具材を入れたが、ダシの汁気が多いから、最初に無水鍋をキンキンに熱っしなかった。だから低温蒸しになって、具材に火が通っていなかった。再度煮た。




塩サバ
   
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ぶりアラ


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4つに小分けして冷凍した。




ヤーコンのヨーグルト和え


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ヨーグルトを買い、千切りしたヤーコンと和えた。もう少し味付けした方がよかったが、何を入れていいか思い浮かばなかった。

ヨーグルトだけなら、ヤーコンをすりおろしてデザートにした方がいい。


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東北新生園  板垣和香子さん


睡蓮の花


ゆだねれば医師のてのひら温かし半裸の膚を打診されつつ




わが生きの拠所と思ふ療院に張られてありぬ有刺鉄線





もの買へばピンセットにて銭拾ふ職員見つつ哀しくなりぬ





古里に子供が居ると言ふひとと番茶をのみて縁を結びぬ




別寮に住み居る母にくれなゐの枕カバーを縫いつつたのし





山里にライ者をみとりてみまかりし婦長の柩花に埋もるる





長病みて生きつぐ吾のみじめさよ姉の心もへだつ気のする





姉は娘の幸を念ひてくづれ病む吾に除籍をうながして来ぬ




眉薄き顔そのままがせまりくる鏡を割りきそのかけらまで





涙にはならじ嗚咽をのみこみて生きつつ腐る足の治療す





病み古りて故里に帰れぬ現し身を社会浄化と自慰するわたし




順をまつ死刑囚のごとき思ひにて友の遺骨に手を合はせをり




膝つきて母の腰上げたぐりつつともに病み来し歳月憶ふ




いくたりの医師くすしに命ゆだねつつまた初春の戸をくりにけり




耳遠くなりたる母はつくねんと隅に座りて今日もいましき




ライ者等の薬を生涯計りたる小塚先生みまかり給ふ




目に光る涙たたへて不具吾を励ましにつつ夫逝きにけり





吾を呼びし仕草が胸にひろごりて今日も来にけり夫の墓前に





しみじみと吾の末路を思ふ日よ身動きならぬ母のかたへに





急速に母と夫とがみまかればいとど身に沁むたそがれの風




手術台に定着されし現し身に伝はりてくる腐骨切る音




足の疵大きく切開したるらしこの夜の看護婦われを離れじ





後もどり出来ぬひと日を惜しみつつ飽かず見てをり夕映えの空





無意味ともおもふ歳月重ねつつ吾は五度目の卯年を迎ふ




蔵王山越えてわが家の近づけば自動車の中にて髪直しをり




見も知らぬ人ら行き交ふ道の辺に昔のままに存はす野仏





わが命断ちそこねたる日も遠く安らぎ歩む桜並木路





「すまない」と手をにぎり逝きましき父の苦衷を今にし思ふ





わが命支ふる医師を偲びつつ今宵も服まむホリゾンひとつ





移りゆく四季を詠みつつ日を送るこの安らぎは思ひみざりき


板垣和香子さんの略歴
大正4年1月14日山形市に生まれる。山形市香澄町第四小学校入学。14歳の夏診断を受ける。昭和17年春東北新生園に入園。宗教即生活即短歌の境地を求めて作歌。昭和25年以来、「東北アララギ」の扇畑忠雄に師事。また、30年から41年まで「アララギ」所属。昭和58年3月8日没。『陸の中の島』(1956年)『うもれ木』(昭和34年)『睡蓮の花』(昭和54年)


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松丘保養園  松永不二子さん


出合ひ


血筋悪しと知られ婚家ゆ離縁されき母は吾をぞ胎りにつつ




離婚後の母は稼ぐと街へ出でぬ癩病む祖母に吾を託して




吾が生れて母の復縁かなひしに其の吾が体を癩むしばめる




癩吾の去りても忌まるる其の家に汝ら励みて医業を成しぬ




うとまれし時代は過ぎぬ癩園の個室に訪ひ来し客と夕餉す




癩吾の縁家にあるをも打あけて娶りしといふ従兄は明るし





肉身の訪ふこと稀なるこの園に学生君らこぞり来給ふ





吾等に憩ひの場をと荒れ果てたる沼辺を若き君等墾きぬ





病癒え晴れて帰郷れる駅頭に迎ふる肉親の顔は無かりき




寄せ来たる潮の如き倖せよ帰郷の荘に姉妹とくつろぐ





かたじけな世の隅に居て詠む歌に心傾け給ふきみあり




逢ひ得ざる哀しきこころかくしつつ死線を越えたる母に文かく




三人の子を医師くすしとなすに貢ぎつつ夢を果せるその母は死す




母の逝きて吾の印鑑を欲しと来ぬ秘し断たれたる吾が生家より




後遺症深く残れど誇らまし四十年費やして癒えたるわれぞ





亡き母の意を嗣ぐ如く妹の送りくるる梨にたぐる億ひ出




手萎え吾に夫がむきくれし故里の梨の歯ざはりに遠き日を億ふ


松永不二子さんの略歴
大正2年8月7日福島市生まれ。母離縁のため母の実家で育つ。大正9年父方に引き取られる。福島第二小学校入学。大正11年母復縁。大正15年発病。昭和4年北部保養院に入院。昭和11年北部保養院の大火災で実家に5ヶ月帰る。昭和12年再入院。「白樺短歌会」、昭和17年「ことたま」昭和42年「形成」に入会木俣修に師事。「形成」終刊により「波濤」入会。平成11年10月没。享年86歳。『白樺第一集』(昭和32年)『白樺第三集』(昭和47年)『白樺第四集』(昭和58年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『出合ひ』(平成8年)


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ハクサイの酢の物


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ハクサイは5センチに切り、縦に千切りし、塩をふって何回かもんで1時間以上おく。さっと水で洗い流し、固くしぼる。

一部は味噌マヨネーズで和えた。(野菜はともだち参照)



ハクサイのサラダ

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残りはボールに入れ、お椀に酢、砂糖、ユズ果汁を合わせ、湯通しした小魚を入れて1~2分浸し、ボールに入れて和えると出来上がり。



サツマイモのおやつ


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熱した無水鍋にバターを入れ、乱切りしたサツマイモを置き、蜂蜜とユズ果汁を入れ、極弱火で30分、火を消して余熱5分で出来上がり。
  
  


ダイコン蒸しポン酢


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今回は最後にバターを使わなかった。

熱した無水鍋に大さじ1のオリーブ油を入れて1~2センチに輪切りしたダイコンを置き、シイタケのスライスも入れ、極弱火で20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、裏返してポン酢をまわしかけ、強火で1分、火を消して1分蒸らして出来上がり。





ホウレンソウとシュンギクのおひたし


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ホウレンソウとシュンギクは別々に茹でて冷水にとり、水気をしぼる。半分ほどづつ皿におき、花かつををのせ、(醤油大さじ1+だし汁大さじ1)をかけて出来上がり。



シュンギクのサラダ

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残りのシュンギクは醤油大さじ2、酢大さじ1、ごま油少々のタレで和え、すりゴマをふって混ぜると出来上がり。



ゆで卵  
  
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大島青松園  朝 滋夫さん


樹瘤


あやまたず同じ草同志が受胎する野のひろがりに恍惚とゐる





やうやくに朝のミルクを飲み終るしとどに鼻の先濡らしゐて




諦めてゐるとはいへど白き杖を握りしめしときまなじり熱し





うしろより妻が見守るわれの試歩限りもあらぬくらがりを踏む





暑き路を探り来て杖に重くふれし風なき昼のその草いきれ




いま友が立ち去りてゆく靴のおと聴覚及ぶ範囲より消ゆ




瞳の底のうつつに光溢れたり医師のことばもくるめくまでに




眼先まなさきにさし示されし指二本たしかにし見ゆまぼろしならじ




<十年振りにお目に掛かります>と吾が妻に拙く言ひて目頭熱し





目を患みていついつとなく忘れゐし鼻こする妻の癖にまた遇ふ





まぶしかる五月の風に吹かれつつ癒えし眼をしばらく閉じぬ




鼻欠けし石の仏のくちもとの微笑よらいの吾がこころ和ぐ




積みあげて常に用意のなされゐる倉庫のなかの棺見たりき





手作りの妻の 煮染にしめを少し褒めあたらしき年われに始まる




ほのぬくき雑煮の 湯気ほけを吹きながら曇る眼鏡の内のふるさと




地面を擦る風塵のなかのポスト赤しそこより今日の思想は展く





隔離政策による憂鬱をいっぱいに貯めゐて春のポストは立てり





春は四月きらびやかなる人びとのなかにして吾等群になりやすし





らいを患むことよりも癩による差別われも家族も耐へがたく生く





蝉の屍を蟻むらがりて引きあへる一夏の果ての寂寞に会ふ




復権の希ひを熱くひそめ持つほほづきの実の熟れてゆくにも




人がひとを差別し止まぬ世の隅にみづみづと朱き地の唐辛子





島に過ごしつつあごがれし阿讃の山に来ぬ借耕牛も越えゆきし山に





谿ふかき山の斜面に屋根のみを見せて人棲めり病まずにあれよ




秋彩ふ阿讃の山のおきふしは視野にあまりてかさなりあへり





古代より穢を祓ふならはしの祓はれしものの行方には触れじ



朝滋夫(繁夫)さんの略歴
大正6年7月21日山口県下関市生まれ。昭和8年7月21日大島青松園に入園。十代の終わり頃から作歌を始める。昭和14年「多摩」に入会。「多摩」の解散の後、昭和28年「コスモス」創刊より同人、30年6月退会。昭和33年「青光」昭和41年「砂金」昭和52年「香川歌人」入会。その間、昭和45年12月第11回砂金賞受賞。昭和50年視力回復。第一歌集『星屑』第二歌集『海繍』第三歌集『異形』(昭和47年)第四歌集『樹瘤』(昭和56年)『生の構図』(平成3年)『三つの門』(昭和45年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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